一仕事済み、車を運転していましたら、どうも風見しんごさんの記事が気になった
ものですから、コンビニへ寄りました。
風見しんごさん・・・
愛娘のえみるちゃんの誕生日に、
絵本が好きだったこともあり、書店へ寄って3冊の本を手にしたそうです。
そのうちの1冊が、先に紹介しました「天国のこどもたちから」でした。
そして・・・
飯田史彦教授の「生きがいの創造」PHPも購入したのだそうです。
・・・
「不思議だよね。」
誕生日に次女の音頭で、ハッピーバースデーの歌を歌ったのだそうですが、えみる
ちゃんがいないということが不思議に感じたそうです。
悲しい。悲しいです。。。
読んでて。。。
心からご冥福をお祈りいたします。
・・・
しかし、えみるちゃんは、きっと、いや絶対に、
「お父さんやお母さん、そして次女のそば」にいますよ!
絶対にいます!
私は、またいつか自分自身が逝くべき時がきた際には、必ず亡き彼女に逢える、
そう信じています。
「あんな優しかった彼女が、死んだからといって、無になってたまるもんか」
と、いつも思っています。
実家のご近所さんの話といい、仮称:田中さん(友人)の実体験の話といい、
兄嫁の話といい、
実際に何かしらの不思議な体験をした人から話を聞けば聞くほど、「見えない世界
(あの世,精神世界,中間生,非物質の世界)は、存在する」と感じてきます。
・・・
ただ、やはりいくら
「自分が、生前あの世で決めてきたこと」
「宿命である」
「人生の課題なんだから」
と言いましても、辛いものは辛いです。
正直、投げやりな気持ちになることだってあります。
しかし、
「(生まれ変わりや因果律が事実なら)もう二度とこのような辛い思いはしたくない。」
もういいです。
万が一(私は信じていますが)、あの世や生まれ変わり、そしてカルマと言われる
ものが存在するのであれば、
「今回の辛い思いは、今のこの世できっちりかたをつける。」
「もう一度、やり直しなんてしたくない。」
そのために、生き抜きますよ。
亡き彼女も協力して与えてくれた試練。
決して無駄には出来ませんし、また、繰り返しも嫌。
ご免です。だから、生きようという気持ちなんです。
ものですから、コンビニへ寄りました。
風見しんごさん・・・
愛娘のえみるちゃんの誕生日に、
絵本が好きだったこともあり、書店へ寄って3冊の本を手にしたそうです。
そのうちの1冊が、先に紹介しました「天国のこどもたちから」でした。
そして・・・
飯田史彦教授の「生きがいの創造」PHPも購入したのだそうです。
・・・
「不思議だよね。」
誕生日に次女の音頭で、ハッピーバースデーの歌を歌ったのだそうですが、えみる
ちゃんがいないということが不思議に感じたそうです。
悲しい。悲しいです。。。
読んでて。。。
心からご冥福をお祈りいたします。
・・・
しかし、えみるちゃんは、きっと、いや絶対に、
「お父さんやお母さん、そして次女のそば」にいますよ!
絶対にいます!
私は、またいつか自分自身が逝くべき時がきた際には、必ず亡き彼女に逢える、
そう信じています。
「あんな優しかった彼女が、死んだからといって、無になってたまるもんか」
と、いつも思っています。
実家のご近所さんの話といい、仮称:田中さん(友人)の実体験の話といい、
兄嫁の話といい、
実際に何かしらの不思議な体験をした人から話を聞けば聞くほど、「見えない世界
(あの世,精神世界,中間生,非物質の世界)は、存在する」と感じてきます。
・・・
ただ、やはりいくら
「自分が、生前あの世で決めてきたこと」
「宿命である」
「人生の課題なんだから」
と言いましても、辛いものは辛いです。
正直、投げやりな気持ちになることだってあります。
しかし、
「(生まれ変わりや因果律が事実なら)もう二度とこのような辛い思いはしたくない。」
もういいです。
万が一(私は信じていますが)、あの世や生まれ変わり、そしてカルマと言われる
ものが存在するのであれば、
「今回の辛い思いは、今のこの世できっちりかたをつける。」
「もう一度、やり直しなんてしたくない。」
そのために、生き抜きますよ。
亡き彼女も協力して与えてくれた試練。
決して無駄には出来ませんし、また、繰り返しも嫌。
ご免です。だから、生きようという気持ちなんです。
私も風見しんごさんが気になって、色々と検索していると、こちらのブログにたどりつきました。
あなたがおっしゃられている内容は、全て真実で間違いないです。
私は28歳から、霊能をさずかり、数々の霊体験もあり、今となっては疑う余地もありません。
人間は、一人残らず霊的存在であり、元々霊界で永遠に暮らしていますが、霊的成長、魂の成長のために、この世に修行で生まれてきます。
そして、霊界では経験出来ない試練、困難、苦難を経験して、よりいっそう強く、逞しく、美しくなって、霊界に帰ってからの新たな仕事のために必要な経験値、能力を身に付けることがこの世に生まれてきた意味です。
私も数々の困難苦難を経験しました。なぜ自分がこんなつらい思いをしなければいけないのかが、分からなかった時は、自殺も考えました。
ひきこもり、うつ、トラウマなど、あらゆる経験もしました。精神状態はボロボロになり、ドン底まで行きました。
そして、一番底まで味わうと、なぜか霊能が芽生え、守護霊の存在を知り、守護霊に助けてもらいました。
そして、シルバーバーチの霊訓に導かれ、なぜこんなつらい思いをしなければいけなかったのかも全てわかりました。
あなたも、シルバーバーチの霊訓を読まれることをお勧めします。
今のあなたの信じている内容が、確信に変わり、もしかすると、あなた自身も彼女さんや、先に霊界に帰った会いたい人などとコンタクトを取れるかもしれません。
そういう体験をすれば、なおさら疑う余地はなくなることと思います。
シルバーバーチの霊訓はネットで検索すれば、無料で読めるサイトがあります。
あなたがすでに読まれた書籍よりも素晴らしいと思います。ぜひ読んでみて下さい。
追われる日々を送っていました。。。
28歳から霊能を授かって多くの霊体験をされて来たのですか!私には「視える」能力はありませんが、やはり大切な最愛の人を亡くすと、「本当に、無になってしまったのか」「いや、世の中、幽霊が出た」とか「視えるという人がいる」ので、見えない世界があるのではないか、「そういう世界が有ってほしい」と思うものですよね。
そういう思いから、また亡くなった彼女が枕元に置いてあった江原啓之さんの「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック」を読んで「あぁ、亡くなった彼女は、こんなことを読んで、何かを感じ取り、また知っていたのか」と思ったところから、スピリチュアルな世界ってあるのではないかなぁ、有ってほしいと思うようになりました。
「シルバーバーチの霊訓」
ネットで読めますよね。私も目を通したことがあります。かなりの多くの書籍が無料で読めるので、まだ読み切ってはいないですが、あの世の仕組み、見えない世界、向こう側にいるとき、行ったときに、こちらの世界を見て思うこと、死後にも後悔したり、悔い改めたりする意識体(魂・霊)と存在として生き続けること等、色々な方が「精神世界」「霊的な世界」を語っていますが、全ては、シルバーバーチの霊訓で語られていることに合致すると読んでいてそう感じたものでした。
今、といいますか、ちょうど彼女が亡くなった時期の前あたりから、スピリチュアルがブームのように流行したときがありましたが、流行するもっと前、ずっと前から、死後の世界、精神世界は語られていたのだなぁと感じたのがシルバーバーチの霊訓を読んだときでした。急に研究されだされたり、語り出されてきたわけでないということを知りました。
そして、いわゆる幽現界から幽界、霊界、神界、生まれ変わり、グループソウル等、呼び名や呼称は違っても、どの方も言っていること、伝えてきていることは同じだということに辿り着いたことで、一旦、自分自身の中で「見えない世界」「精神世界」は、「死後に有る」「死後の世界はある」、あとは今、生かされている間は「とにかく生き抜こう」という気持ちになれました。
まだまだ読めていないシルバーバーチの霊訓。
また読んでみます。
コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。
すごく遅くなってしまったのですが、すでにシルバーバーチの霊訓を読まれていたのですね☺
よかったです!すでにあなたの守護霊がちゃんと導いてくれていたのですね🎵
でも、にもかかわらず、どうして私とあなたを霊界が出会わせたのか?ちょっと気になりますね。
あなたは何か使命感のようなものはありますか?伝道とか真理普及などに。
地上に生まれてくる前、霊界で大まかな人生計画を立てて来ますが、いざ地上に生まれてしまうと、仕事や肉体的なことに気をとられ、本来の計画を忘れがちになってしまいます。
でも、魂ではちゃんと分かっているのですが、そういう使命感は感じていらっしゃいますか?
推測ですが、あなたは彼女さんの死をきっかけに、霊的真理にたどり着き、そしてシルバーバーチの霊訓などを学び、実践し、体得していく計画ではないかと思います。
そして、そうであるならば、もちろん伝道や真理普及も、その一貫なので、それをせずに地上界を終わらせると、霊界で多大な後悔をすることになると思うのです。
もし、的外れなことを私が言っているとしたら、申し訳ありません。
しかし、通常、霊界が私を使い真理普及するのですが、そのほとんどがシルバーバーチを知らない人に、シルバーバーチを知ってもらうというのが、その中心です。
なので、今回は違うようですので、少し気になりました。もし、気を悪くされたらすみません。
知らない街に転勤で来まして、仕事も知らないことを覚えながらの日々を過ごしています。
追われ追われの日々ですね。。。
霊的心理に関しての使命感・・・正直、伝道や真理追及とまでの使命感は感じていません。ただ、このブログに書いているような「自分が知ったこと」「これは、真実味があるぞ」「同じように最愛の人を亡くした方々に、『死』は無になることではなさそうですよ」ということを伝えたい、知ってもらって共に生き抜こうよ、ということは伝えたいと思っている自分がいるのは感じています。
今やるべきことは、やはり仕事だと思うんですよね。別に仕事が好きなわけではないのですが、自分自身の心の中の概念に「朝から晩まで仕事(働いて)して当然」という気持ちが強くありまして、まずは慣れて余裕が出て来るまでは与えられた仕事に打ち込むことが大事だと思う心が強いです。
だけど、仕事をするのが全てとも思わない。
出来れば、ゆったりと時を過ごしたい。
そういう気持ちと、いつも隣り合わせ、相反した中で日々を生きているといった感じです。
毎晩、今も亡き彼女に語りかけています。
そうしましたら、不思議なことが起こり、今の職場に移って来ました。※ブログの記事へ書いておきますね。
そんなことがあり、亡き彼女なのか、守護霊様なのかは分かりませんが「今は仕事をしなさい」「頑張ってみなさい」と言われている感が凄くしています。
ですので、今のスタイルが一番私に合っている=求められている姿だと感じています。
色々と「気づき」の言葉をかけてくださってありがとうございます。
しかし、今の私は「いま ここ じぶん」だと思っています。
コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。
不思議なことの記事読みました。
私も似たような経験があります。私の場合は、会社を辞めたのに、また戻ることになりました。
それで、辞める前と戻った時の条件は変わっていました。その当時は、私はこの会社にどうも縁があるなという程度でしたが、後にもっと深い意味があることを知りました。
そこにいないといけない何かがあるのだと思います。私達、地上人には、理解していない霊界の計画というものがあって、知らない間にその計画に導かれているものです。
それは後になって振り返ってみると、ああこの会社は辞めてはいけない会社だったから、あの時、引き戻されたのかと納得がいくのですが、その最中にあっては、意味が分からないものです。
しかし、この世に偶然はひとつもなく、全てが必然です。偶然にしか見えないようなものも、何らかの意味があってそうなっています。
なので、その会社にいないと経験出来ないような大事な計画があるように思われます。
この世の仕事からもたくさんの学びがあります。それとシルバーバーチがよく言っているのですが、地上人にはなかなか理解出来ないが、苦難困難はありがたいものだと。
特に地上では人間関係で苦労することも学びのひとつです。
地上では、霊的成長度の違う人が、同じ平面上で暮らしているので、意見の食い違いや価値観の違いは避けられないです。
しかし、だからこそ学びになるのだとのこと。私達地上人からしたら、嬉しくない、出来たら避けて通りたいことが、成長に繋がるようです。
苦難困難は魂の目覚めのきっかけです。色々な苦労を通して、本当の自分に出会い、また成長もしていきます。
だからこそ、シルバーバーチは何度も何度も、苦難困難はありがたいものだと強調しているのだと思います。
この時期、例年仕事が忙しく、また慣れない部署での仕事で遅くまで働いています。
私も今回は、「引き戻される(戻された)」と強く感じています。そして、まだまだ、今の会社で学ぶべきものがあるのだろうと思いました。
悩みや不満を言って、そして異動させてもらったわけでもなく、ただ「もう、ここは辞めよう」と本気で思い、そして、亡くなった彼女や見えない何かに向かって、「もう駄目だ、ここではやっていけない」「何でこんなことになるのか」「この職場のようなところでなければ、もっと自分はやって行けたのに・・・」と語り掛けながら、転職先を探していましたら、人(同僚)の不幸事ではありますが、その結果、数ヶ月で異動することになったのには、自分自身、大変驚きましたし、「これは、やはり何かあるな(見えない何かのチカラがあるな)」と思いましたね。
まさに、その最中は分からないものです。
後になって、「あぁ、あのとき、不思議なチカラで方向が変わったのだな」と思うものだと思います。
しかし、今回は、もの凄く「動く予感」がしました。
それは、前任者が突然、平日に元いた部署(私が異動して来た部署)に入ってきて、元上司と部屋に入っていった、その姿、その光景を見た瞬間に、何か胸騒ぎがしました。
これは、亡き彼女が事故で亡くなる寸前、私が住まいに帰ってきて、彼女が部屋にいないのをみて「あれ?何か部屋の空気が違う。おかしいぞ」と思い、外へ探しに出て行った、亡き彼女を探しに行った、あのときに感じた、「えっ?えっ?えっ?」と同じもの、同じ空気が漂いました。
ですから、「これは何かが起こる」「起こっている(起ころうとしている)」と感じたわけです。
不思議ですよね。ですが、大きな動き、今、自分が乗っている路線・走っている道から、自分の動きが大きく変わろうとするとき、このような予感に似た何かを感じるものなのだと、その後、気づいたり、自分の中で流れをまとめて見て、そう思うものなのでしょうね。
この度の異動は、刻一刻、翌日には「あれ?おかしい。これは何かあるぞ」と感じたものでした。
数人の同僚や地元の友人の中には、ほぼ毎日話をしていた者がいたので、私が辞めようとしていたことから、今回の短期で異動になるまでの話を逐一聞いていた者は、みんな驚きました。
そこで、これは「その前任者の持っているカルマ(試練)と、私の動きが相まって、今回の異動になったのだと思う」と話しました。
ここですよね、このような突然、思いもよらなかった、そんなことはあり得ない(数ヶ月で異動)ということが起こったことに対しては、私の心境を知っていた同僚や友人は「凄いな。こんなこともあるもんだな」と驚きはしますが、スピリチュアル的な言い方をすると、そこはみんな「・・・」となりました。
不思議なことが起こった(今まさに起こっている)ことに対しては、本当だ!と共感を得て、同調してくれますが、怪しい言い方をすると・・・人は引くものですね。
苦難は有り難いもの・・・とまでは、なかなか心底からは思える人間ではありませんが、「見えない何かによって導かれている」「その行動は違うぞ」というときには、心に感じられるほどの見えない何かからの修正の手が加えられることがあるのだと感じたのが、今回の異動でした。
ちなみに、職場の雰囲気と言いますか、異動してきて上司(トップ)が変わったことで「あのときは、一体何だったのだろう」というくらい一変しました。
全く違う会社に来た感じです。
元々いた部署に戻ったような感じとも言えます。
「くだらないことで気遣い、気疲れするような職場ではなく、仕事に集中させてくれよ」とも、部屋で一人訴えかけていました。
今は、まさに「お任せ」状態で、変な気遣いも要らず、自分がやり遂げるか否かだけになっています。
ですので、この時期は例年ですが、深夜遅くまで仕事をしても、耐えてやることが出来ています。
ホント不思議ですよね。
確かに、この地上には、色々なレベルの魂の人間が存在していて、そして出会って、同調することもあれば食い違うこともあったりと、またそれが、自分自身の試練であったりもするものだと、私もそう考えています。
ですが、逃げるが勝ちのときもあるので、自分から死を選ぶ(自死)は選ぶことはありません。
それはスピリチュアルな書籍を読んだことから、というのもありますが、今の自分は死ぬのは怖い、死にたくはないからです。
耐え切れないなら、別の居場所を探せばよいという感じですね。
職場だけではなく、学生なら学校もそうだと思いますが、自ら死ぬくらいなら、もっと肩の荷を降ろして、こうでないと駄目だという理想も一旦外して、寄り道をしたらよいですよね。
苦難困難は魂の目覚め、まさにそうだと思います。
仕事(会社)も学校もそうですが、去るも地獄(辞めてしまったあと、それはそれで不安になる)、残るも地獄(今が続くと思ったら耐えられない)という選択肢しかないように思えるときって、生きていたらしばしばありますよね。
そのときは、「そんなこと(仕事など)で命まで取られて堪るか!」と思うようにしています。
後先のことや体裁、今後のことなどよりも、このようなときには「命を守るために思うような行動を取る」のが一番の最善策だと考えています。
死んだら終わり。ではなく、あの世へ行っても魂は生き続けますので、それなら現世で肉体があるときは、まずは生き抜くこと、そこだと思っています。
それがそのときは逃げであっても、その道を進んで新たな出会いややりたいことが見つかれば、結局のところは逃げたのではなく、前を向いて歩いて行ったことになりますよね。
これも、その最中にあっては分からないことですね。
あとは、為せば成るでしょうかね。
コメントありがとうございました。