
今日は10月1日、そして旧暦十五夜9月15日!!
この組み合わせ、明治神宮に行くしかないですよね!
ということで、朝6時前に出立、良い気をいっぱいもらってきちゃいました!
生きていればどうしても偏ってしまう。
政治に宗教みんなそう。
ネット社会での傷の舐め合い、似た物同士が偏る窮屈な在処に居場所を求め過ぎて、自らの所属への批判を悪とし無毛な論争を繰り広げる輩多数。
どの話も最初から論点がずれているのだから、どれだけ頑張ってもお互い疲弊するだけなのに。
わかっていてもやめられない?
一流の論者と思しき人がソースも見ずにそこに加わり、終わりのない論争に油を注ぐ始末。
それでも言わないと収まらない??
危険な人だと思ったら離れること。
この時の自分自身への戒めは守ってるみたい。
ということで、今朝読んだ本からメモった言葉。
「どんなに「正しい」目的で行われていることであっても、ある種の「うしろめたさ」を欠いた社会運動を私は疑います。」(運のつき 養老孟司)
神の名の下に侵略を繰り広げたキリスト教や、僧兵抱えてやりたい放題だった戦国時代、横暴貫く宗教だったからこそ、古くから続く宗派はその「うしろめたさ」がブレーキとなり、ある種の「よい塩梅」を生み出すといった意味に解釈したこの言葉、最近反芻しております!!
毎日やるべきことをちゃんとやる。
なかなかできないけど、ちゃんと行動し続ける。
7年前に書いたこのブログ、良い塩梅とか東洋思想的中庸の考え、今も昔もあまり変わっていない私です!!
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