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写真はお正月の神宮外苑いちょう並木です。
人も車も少なく、気持ちよくお散歩をすることができました(^。^)
「山登りの帰り道、電車にベビーカーに乗った子どもが入ってきた。ちょうど扉に一番近い席に座っていたので、その子の行動をつぶさに見ていた。本当に元気な子どもで、その場で寝そべって寝転がえりをうったり大きな声でお父さんを呼んだり。その状況に、子どもを連れて電車に乗って遊びに行っていた時のことを思い出した。その懐かしさに思いを馳せる程度で特に気にかけてはいなかったが、私の隣に座ったまだハイハイもできないであろう子どもを抱いていた方が、その元気な子どもを気にかけていたので、多分この4人は家族なのだと気づくことができた。
父親もそろそろ子どもの様子を持て余してきたようなので席を譲ったところ仕切りに感謝された。その元気な子どもにも私に対し感謝を述べさせるべく頭を押さえる行動に出たので、こちらも恐縮してしまい、お互い頭を下げ合いその場は終わった。
子どもへの挨拶の強要、私も経験したからよくわかる。しかしあまり過度にそれをするのはどうかと思う。子どもに強要しなくても、両親が挨拶をしていれば、両親が見ていないところで挨拶をするものである。だから極端な挨拶の強要は必要ないと思うのだが、子どもにそれを強要することでご両親の心が落ち着くのであれば仕方ない。
昨年山登りを始め、近くの山に登りに行くようになったが、山での挨拶はなかなかに面白い。装備が必要な山だと躊躇いなく挨拶するが、高尾山あたりだとそれが微妙になるのも妙である。靴や装備を見て、登山客と観光客を見計らいつつ挨拶をするかどうか考える。たんなる観光客に挨拶を強要するのを申し訳しわけなく思っている自分がいるのであろう、自分の挨拶のためらいとともに、この場を早く立ち去りたい衝動にかられる時もしばしばある。
山での挨拶であるが、本来これは命に関わることのようにも思っている。挨拶もできないような人間には、私は気持ちよく救助にいけそうにない。私自身まだ訓練が足らないし、私が救助する側になることは無いとしても、もしも私に登山のスキルがあって、そのような場面に出会した時、些細なところで醜い判断をするかもしれない。
たかが挨拶だと思うことなかれ。それ如何によって、死に直結することがあるかもしれない。
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