「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

「子どものために」は親のエゴ

2023年10月28日 | 子育て
外苑いちょう並木界隈をちょっと走ってきたのですが、喘息前の妙な雰囲気があったので養生することにしました(^◇^;)
悪くならなければいいんだけど、、


子どもの将来が心配なのはよくわかる。だが道を一度でも踏み外したら戻れないとでも思っているのだろうか、良い学校を出て良い会社に就職するという選択肢しかないと考えている親が多いような気がする。

大学を出て会社勤め。毎月決まった給料が入り、計画が立てられる生活を送ってきた。そんな生き方しか知らなければ、それ以外の生き方が理解できないのはよくわかる。だが子どもがその安定した生き方を選ばなければ不安だ、は正直どうかと思う。

会社勤めをしたことがないので、その良さ悪さは本当のところよく分からない。私は若い時に粋がってしまい、途上国での生活をちょっとだけだがなぞってしまったのが運の尽き。ボーナスなんてとんでもない、毎日が日雇い労働者的な、そんな人生を歩んでしまったから。生活は楽ではなかったが、子どもが道を外しても、なんとかなるんじゃないかと呑気に構える自分でいられたのは、ひとえにそんな経験をしてきたからかもしれない。

世の中何が起きるかわからない。固定給があるのは本当に羨ましいが、それがいつまで続くか分からない。資産価値が突然無くなる事もあるだろう。だから何が起きようと生きていけるように、なんとなくだが、そんな事を考えながら生きてきた。

そんな考えだから「この子のために良い学校」は、親自身の子育てを正当化したいがためだけの対外的なものだと思ってしまう。自らの子育てを正当化するために良い学校に行ってもらいたい。子どもがそれにハマれば最高なのだが、世に言うお受験でそれなりの小学校に入り、それなりの中学校にはいり、でも親の愛を今も探している大人を多く見るにつけ、子どものためにという親のエゴほど子どもにとって残酷なことはないのではなかと思うに至っている。

その子の好きを鑑みつつ、その子の最善をその子主体で考える。その子の生きる場所やその子の生きやすい道なんてその子しか知らないのだから、いやほとんどの子がそれすら分かっていないのだから、急かさず失敗をフォローしつつ、その子の生きやすい道を一緒に探す手伝いを「させてもらう」。そのくらいの気持ちで子どもに向き合えば、親子共々もう少し気楽に相対せるようになるのではないかと思うのだが、頑張る自分に酔いたい人もいると思う。だから当たり前だが人の話には立ち入らない。

子どもの興味を否定しない。隣で付き添うだけで子どもは安心して生きていける。

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