子どもの心の安定を守る上で大切なのが親の幸せ。片親でも親が幸せであれば子どもは生きていける。子どものために父親が必要、だから離婚せず頑張っていると言われても、喧嘩が絶えない家であれば、子どもの心が安定するはずはない。
家族はできるだけバラバラに過ごさない。多分これは本当だと思う。だが結婚していようと心がバラバラに離れていれば話は別だ。結婚という形に固執する必要は全くない。
自分の可能性を信じ、広い世界に飛び出していける子どもに共通して言えるのは、家に揺らぎない安心感を得ているということ。多分いつでも帰ることのできる場所があるという安心があるから旅立てるのだろう。でも両親の不和がその安心感を奪っているのだとしたら、そして片親でも親からの愛情に絶大なる安心感を持つことができているとしたら。
あなたを嫌いな人は必ずいる。何もしていないのに、あなたを嫌いだと言う人は五万といる。そんな辛辣な世界に私たちは住んでいる。だから何をしても何もしなくても、絶対に愛してくれる人がいるという安心感を、幼少期に育む必要があるのだ。
他人を羨んだとしても、本当に羨むべき人なのかなんて、外からわかるわけがない。どんなに羽振りの良さそうな人でも、どんなに素敵そうな家庭でも「隣の芝はどす黒い」のだから。どこもそれなりに、人に言えないしんどいことを抱えているものだ。そんな世間で羨ましく思わなくていい人を羨ましく思うことのないよう、人と比べる事のない自分を育むために必要なのは、幼少期の絶対的なる安心。誰もが自分を愛してくれるという根拠のない自信を持つために、親となった身であれば、自信の境遇や苦しさを子どもに吐き出すのではなく、子どもの前では年長者として少しばかり気丈に振る舞い「何があってもあなたが大好き」をこれでもかという程伝えてもらいたい。そうすれば、子どもは好かれたいという気持ちよりも、誰かを何かを好き、という能動的な感情が増し、相手への「好き」が優先する。そう、自分を好きでいられたら、それが相手の好きを導く結果となる。
もちろん無茶苦茶難しいのはよくわかる。自分がきついのに子どもに目をむけられないのもよくわかる。でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいから子どものことも意識してもらいたい。
患者と話をして思った事を書いた。
がんばれ!
親に甘えることを許されていた子どもは、どこに行ってもこれまで親が愛してくれたように誰もが私を愛してくれる、という根拠のない錯覚に陥るので、遠くに羽ばたく事ができます。
隣の芝はどす黒い
隣の芝もいろいろだ。外から見るだけでは判断できない。だから妬み気分が満ちてきた時「色々あるよね!応援しているよ!」と、道ゆく人を「どす黒い」と決めつけて、密かに言葉をかけてみたりする。
隣の芝がとっても青く見える時もあるかと思うが、隣もおたくの芝を羨ましく思っているかもしれない。
隣の芝もいろいろだ。外から見るだけでは判断できない。だから妬み気分が満ちてきた時「色々あるよね!応援しているよ!」と、道ゆく人を「どす黒い」と決めつけて、密かに言葉をかけてみたりする。
隣の芝がとっても青く見える時もあるかと思うが、隣もおたくの芝を羨ましく思っているかもしれない。
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