今朝は日枝神社さんにお参りに行ってきました!
「子どもの第一の高い塀は親と先生、第二の塀は法律と国家です。この塀のなかの囚人が子どもなんです」吉本隆明「老いの幸福論」
放っておいたら好きな事しかしない子どもをどこまで放置するか、自分で考え行動する事をどこまで許せるか。
周りにいる年長者の、その庇護のもとでしか生きる事のできない小さき者たちの、何に注視しどう目を逸らすか。一人一人の個性と照らし合わせつつどのようにそれを伸ばしていくのか。
集団の一人としてだけ捉え続ければ、子どもの承認欲求は満たされない。しかし自分だけに焦点を当てられ続ければ、その過干渉に辟易する。だからなんでもかんでもバランスというか良い塩梅というか、子ども中心の子育てをしたいところだが、大人も感情の持ち主、いつも広い心を持って子どもに接する事なんてできるわけがない。
ただ一つ、ネガティブな感情に支配されていても、やはり子どもと接する時の中庸は意識したい。はっきりしているのは、子どものバランス感覚は人と触れ合う中でしか身につかないという事。「過干渉も放任も、同じ親の無関心」とは加藤諦三氏の格言であるが、人との触れ合いと親の関心のありようだけで子どもは育つのだから、白黒させてすっきりしたい人が多いこの世の中ではあるが、干渉しすぎず放っておきすぎず、子どもを見守ってもらいたい。
とりあえず、この世に白黒は存在せず、グレーの世界だけが真実だという事さえ覚えていれば、少しはこの塀の中にいる小さき者たちの先達になれるのではないかと勝手に思っている。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」夏目漱石の草枕より
子は親の鏡である。
子どもを見れば親がだいたい見えてくる。
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