「こんなこと言ったらバカにされる、嫌われる」と普段思っているのではないだろうか。悩み相談のスペシャリストである加藤諦三氏が、我慢しないでちょっとだけ自分を信じてみたら、人づきあいが楽になる方法を紹介する。
ずるい人や悪い人を見抜ける力を養うために
善い人だと思ったら、仕事を押し付けてくるだけの人だった。誰もやらない仕事を一緒にやってくれないかと言葉巧みに持ち掛け、自分はなんだかやったふりだけ。周りを見渡せば、こんな感じのずるい人や悪い人は五万といる。
私が責任を取るからと仕事をふられ、できなければ引き受けたあなたが悪いと自己保身に邁進する。そういう人はだいたいにおいて、あなたが勝手に引き受けた、やろうと思っていた等、弁解や言い訳が多い。こんなずるい人の周りにはずるい人が集まるので、そんな生き方を続けていれば、結局最後まで裏切ったり裏切られたりの人間関係から離れる事はできない。そしていつまで経っても、どんなに稼いでも、安心する生活は訪れない。
そんな高度にずるい人を演じる人を見抜けないかと思いきや、ずるい人の雰囲気は普通に生きていればわかると思う。見た目や語り口は穏やかに見えても、そのずるさを察する能力、ずるい人の雰囲気に気づけるための、家庭での教育がなされていれば。家族という小さな集団でちゃんと「普通」を身につける。このコミュニティで暮らすための暗黙の了解さえ身につけていれば、ずるい人は必ず見抜ける。だが、日本という七面倒臭いコミュニティで暮らすための暗黙の裏ルールを家庭で学ぶ事ができなければ、勉強やスポーツが優先される生き方のみを家庭で実践されれば、人のずるさを見抜く力は養われず、ずっと人に苦労する事になる。結局周りから良い人と思われていたいがために、口当たりのよい言葉に酔いしれ、美味しい話にコロッとだまされる。
そうは言っても、ずるい人に引っ掛かったらどうするか。メンタルを病む前にどうすればいいのか。人との関係が悪くなる前にどんな行動をすればいいのか。とりあえず良い人を演じるのはやめる。それができなければ、良い人を演じつつ、結局イエスともノーとも言わず、曖昧なまま相手がしびれを切らせて離れるのをじっと待つ。そして自らを静かに消す作業をする。柳に風、暖簾に腕押しの如く、相手が勝手に引き下がるまで、適当に無視を決め込み、相手への配慮すら意識から消す。それを押し通せば、ずるい相手は勝手に離れていく。ただ一つ、それを寂しいと思わず、自分をずるいと思わない事。人を憎み続けている人に人を愛する事はできないから、人を憎むようになる前に、チャッチャと相手からフェードアウトする。
結局ずるい人を寄せ付けない人は、自分に対して責任ある行動をしてきた人だけだと思う。責任はずるい人の言動や言いつけに対するものではなく、自分の行動に対してだけある。そのためには正しさをしっかり理解し、正しい判断をする事が大切になる。そんな責任ある行動をとる事ができるよう育てるのが教育であり子育てだと思う。
家族という小さな集団でこの暗黙の了解を身につけつつ、コミュニティで暮らすための裏ルールを学ぶわけだが、その暗黙の裏ルールに気づくことができず、なぜ人が自分を忌み嫌うのかわからない、という人は確かに存在する。
自殺した自分の子とカウンセラーとの交流記録を知りたいとか、
子どもをなめてる?
こんな親と一緒にいたくないと思うの、
自分のことを親に相談できないの、
なんかわかる。
こんな親と一緒にいたくないと思うの、
自分のことを親に相談できないの、
なんかわかる。
人は「普通」が好きである。でもこの「普通」の定義はなかなか難しい。なぜなら普通の感覚は生活の中で正されながらゆっくりと身につけていくものなのでだから。頭で覚えるというより、日々感じつつ覚えていくものだから実はやっかいだったりする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます