半世紀を彷徨う

自分の心理状態や日々の出来事から趣味の事まで幅広く。

もう、何もかもがいやになるとき

2018-08-07 22:59:10 | 日記
子供たちが大きく成長しつつあった頃から、生きることすらもういいやと思う出来事がいくつもあった。
その間楽しかったこともあったがほんの一握りならぬひとつまみ程度。
それでも何とか楽しく過ごして行きたいとの願いがあり、楽しむ努力をしてきた。

だが現実は厳しい。こんな風に何もかもがいやになる時なんて誰にでもあるとそう思いたい。
精神科へ通院する中で、先生に「健常者の方でも、もう死んでしまっても構わない」くらい
思いますよね?と聞くと少し怒った様に「普通の人はそんな事考えませんよ!」と言われてしまう。

今回7月の西日本豪雨災害で被災された方の話をあまりメディアが取り上げない気がする。
あの被災者は家族を流され家をだめにされ、それこそ何もかもがいやになるだろう。
おれなんかのよりもっと深いレベルで。

でも生き残った人は大きな悲しみもやるせなさも全て抱えて生きていくしかないんだよね。
例え生きる意味を見失っても、何とかやっていくしかないんだよね。
おれもそれに倣って何とか生きていく事にするよ。

話はそれるけど、被災地に送る支援物資はもう何を送っても分別する手が必要になるだけ。
いままで送られていた古着類はゴミとなる。下着は新品のみ受け入れ。
おれも一度は被災地にお邪魔して支援物資の実情を観てきたい。

千羽鶴や寄せ書きはゴミになってしまうのは分かったけど、古着とかは本当に需要ないのか。
赤十字はピンハネするという噂もまことしやかに話されている。

マスコミには現地で本当に必要な物は何なのかを聞いて回って欲しいが、
直接役に立つ情報よりも悲惨さを強調するような取材をして被災地の怒りを買っている。
もう今となっては現金を贈るしかおれたちにはできないのか。

ニュースの取材をするときに、被災地別に今必要とされているものを集計し、
まとめて伝えるとか、場合によっては運送会社等と連携して物資輸送するとか、
出来る事はいくらでもあると思うんだけどね。そうすれば被災地の方も
快く取材に協力もしてくれるだろう。

何かある度に政府と自治体の対応を叩くだけじゃなく、放送のネットワークを生かせれば・・・


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