野の花 庭の花

野の花や山の花は心を慰めてくれます。庭園に咲き誇る花は心をはなやかにしてくれます。

孤高の立ち姿が素敵なノビル

2019年05月22日 15時13分03秒 | 
古代から日本人に親しまれてきた野蒜。
すくっと立った立ち姿が好きだ。
他人がどうであろうと、他人にどう思われようと
そんなこと関係ない
とでも宣言しているかのようだ。
(2019-05 神奈川県川崎市 道端)






ノビル
ノビル(野蒜、学名: Allium macrostemon)は、ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属の多年草。一部地域では、「ねんびろ、ねんぶり、ののひろ、のびろ、ねびる」とも呼称される。生のネギのようにひりひりと辛いところから、「ひる」の名が付いた。

形態・生態
地下に球根(鱗茎)を持ち、地上に細い葉を伸ばす。

葉は線形で20 - 30cmのものを数本出す。雑草にまぎれて花茎が伸びてきてはじめて気がつくことが多いが、葉の表面に白く粉を噴くので慣れると見つけやすい。タバコ位の太さにしかならず、小さなタマネギのようである。

まっすぐ立ち上がる花茎は60cmに達し、先端に一個だけ花序(散形花序)をつける。花は長さ数mmの楕円形の花被片が6枚、小さいチューリップのように集まったもので、白または薄紫を帯びる。花柄はやや長い。花は開花するが、種子ができる系統はごくまれである。代わりに花序には開花後ないしは開花前から小さな球根のような珠芽(むかご)を着生し、それを散布体とする。珠芽は紫褐色で固く密生する。たくさん集まると表面に突起の出たボールのようになる。むかごの着生が遅れれば通常の花序となるが、開花前からむかごの肥大が始まり、開花がほとんど認められないことがある。これは小型個体より大型個体ではげしい傾向がある。

むかごの散布以外にも分球でも繁殖する。


河川敷に自生するノビル
東アジアに広く分布する。日本では北海道から沖縄までの畦道や堤防上など、丈の低い草が生えているところによく自生する。主として人里近く、畑地周辺や土手でよく見かける。一説によれば、古い時代に作物と共に日本へ入ってきた、いわゆる史前帰化植物ではないかとも言われるが、はっきりしたことはわからない。 北海道ではノビルの群生が簡単には見られないことから、分布に関して再調査が必要である。

人間との関わり
Allium macrostemon - LNDDYL.jpg
葉とともに、地下にできる鱗茎が食用となる。鱗茎は地下5 - 10cmにできるため、スコップなどで掘り起こさなければならない。積極的に栽培されることは少ないが、野草として食用にされ、タマネギに似た香りと辛味があり、アサツキ等よりも鮮烈な香味を持つ。収穫後、時間が経つと辛味が強くなり、香りも悪くなる。休耕地など土壌の養分が十分な場所で育つと、鱗茎がピンポン玉程の大きさになることがある。生食も可だが、軽く茹で酢味噌等の味付けで食されるほか、味噌汁の具や薬味としても用いる。一般的に春が旬であるとされる。

文化
古くは『古事記』にその名が見える。応神天皇の歌として、

いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに
また、『万葉集』の長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌に、

醤酢(ひしほす)に
蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて
鯛(たひ)願ふ 吾にな見えそ
水葱(なぎ)の羹(あつもの)
がある。

記紀の東征神話においては、白鹿に化けた地の神をヤマトタケルが蒜で打ち殺すエピソードがあるが、これもノビルである可能性が高い。

野蒜 の例句

いのしゝのやぶほりかへすのびるかな一 野明
さりげなき別れの野蒜摘みゐたり 木村蕪城 寒泉
つひに老い野蒜の門をあけておく 飯島晴子
びんらんの野蒜を愛し一本杉 三橋鷹女
みちのくのひとはかなしや野蒜掘る 山口青邨
やうやくに日が手にとどく野蒜かな 古舘曹人 樹下石上
ゆく雲の幅だけ翳る野蒜摘 能村登四郎
わらんべはすでに一握の野蒜掘る 山口青邨
何もかも野蒜田螺も地獄茄で 高野素十
何掘ると訊くより野蒜さし出しぬ 星野麥丘人
千鈞の王を釣り上ぐ野蒜掘る 山口青邨
名を知りて野蒜を人にをしへけり 右城暮石 句集外 昭和七年
国分寺跡へのびるを摘みながら 細見綾子
摘みたきもの空にもありて野蒜摘 能村登四郎
樋水ます雨に花さく野蒜かな 飯田蛇笏 春蘭
汗ばみて指美しや野蒜籠 石橋秀野
白珠や道も生野の若野蒜 上田五千石『天路』補遺
籠いつぱい野蒜を摘みて才女ならず 鈴木真砂女 夕螢
耳鳴りのうしろ従きくる烏の子 佐藤鬼房
郭公や庭後に摘みし野蒜和 水原秋櫻子 緑雲
野蒜つむ擬宝珠つむただ生きむため 加藤秋邨
野蒜など摘みわが素顔茫々たり 橋閒石 卯
野蒜など生ふる山科こゝに住む 高野素十
野蒜出て須磨子の墓へ夕畷 古舘曹人 樹下石上
野蒜噛み月日いよいよ飛ぶごとし 岡本眸
野蒜噛む旧約悪しき予言満ち 有馬朗人 知命
野蒜噛む是又花鳥諷詠詩 阿波野青畝
野蒜掘り芹摘み己れ遊ばしむ 石塚友二 光塵
野蒜掘るあしたのことは考へず 鈴木真砂女 紫木蓮
野蒜掘る繊々と上ぐ大き球 山口青邨
野蒜掘れば強きにほひや暮の春 松本たかし
野蒜掘ルその根な添そ菫草 仙化
野蒜摘み八岐に別れゆきし日も 赤尾兜子 歳華集
野蒜摘む野に雲垂れぬ湖かけて 木村蕪城 寒泉
野蒜生ふ少年啄木歌つくる 山口青邨
野蒜野に出でて壮気を培はな 上田五千石 天路
雪を削ぐ山風いたし野蒜摘み 能村登四郎



目立たないけど可憐なヒメフウロ

2019年05月22日 15時04分53秒 | 
道端で咲いていたヒメフウロとおぼしき花。
以前のアメリカフウロと比較すると、こちらのほうが大柄で、色も濃い。栽培種が漏れだしたものだろうか。
可憐な花だ。
(2019-05 神奈川県川崎市 道端)



ヒメフウロ(姫風露)
本州や四国の一部の石灰岩地に自生する。全草に特有の臭気があり、軟らかい開出した白毛がまばらにある。茎は基部で分枝して、高さ20〜60cmになる。葉は互生し、長さ3cm、幅5cmほどで、深く3全裂し、小葉はさらに羽状に深裂する。茎の上部の葉は羽状葉状になる。葉腋から長い花序を伸ばして、直径15mmほどの淡紅色の花を1〜2個つける。花弁には2本、濃色の筋がある。雄しべの葯は赤い。果実は長さ2cmほどの嘴状となる。古くなった葉や、結実期に入った全草は赤く染まることが多い。最近、帰化したと思われるものが市街地に見られるようになった。萼片には開出毛と腺毛がある。萼片の先端は芒になる。花期は春。(日本帰化植物写真図鑑)
学名は、Geranium robertianum
フウロソウ科フウロソウ属
図鑑に葯は赤いと記載があるが、帰化植物MLで、「ヒメフウロの葯が赤、うすピンクと黄色の3タイプがあることがわかりました。」と教えていただきました。
ヤサカフウロ(Geranium purpureum)との果実の違い。Manual of the Alien Plants of Belgiumの右の画像がヒメフウロの果実。
参考サイト:「遅咲きの花は葯が鈍い黄色」 (occasionally dull yellow in late flowers)

清楚な感じのシロバナシラン、お寺にぴったり

2019年05月22日 09時33分12秒 | 
シラン紫蘭には名前どおりの紫のものだけではなく、白い品種もあるらしい。
お寺さんの境内に咲いていた。
なぜかお寺には紫蘭よりも白花蘭があうかも。
(2019-05 神奈川県川崎市 寺社)



別のところでは、紫蘭と白蘭が混在していた。




白花紫蘭(シロバナシラン)

白花紫蘭(シロバナシラン)はラン科シラン属の多年草である。
別名を白蘭(ハクラン)ともいう。
紫蘭(シラン)の品種の1つで、分布域は重なる。
本州の福島県から沖縄にかけて分布し、やや湿った岩の上や林の中に生える。
海外では、中国や台湾にも分布する。
草丈は30センチから70センチくらいである。
葉は大形の披針形で、茎の下部に4枚から6枚が互い違いに生える(互生)。
開花時期は4月から6月である。
花は茎先に数輪ずつつく。
花被片は6枚である。
外側に外花被片が3枚、内側に内花被片が3枚が互い違いにつく。
下側にある内花被片は他の5枚と形が違い、唇弁と呼ばれる。
唇弁の先は浅く3つに裂け、そのうちの真ん中の裂片には内側に襞がある。
内花被片を花弁、外花被片を萼片とする場合もある。
花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。

そこだけ太陽に照らされたように明るくなるキンポウゲの群落

2019年05月22日 06時28分43秒 | 
キンポウゲはウマノアシガタの八重を指すとされているが
俳句の世界などでは、どれもキンポウゲだろう。
馴染みの黄色い花が、道路わきに群れて咲いていた。
そこだけ太陽が濃く照らし出しているように明るくなっていた。
「黄は光る色一面の金鳳華 稲畑汀子」と言うとおりだ。
(2019-05 神奈川県川崎市 道端)




ウマノアシガタ
ウマノアシガタ(馬の足形、毛茛、Ranunculus japonicus)は、キンポウゲ科キンポウゲ属の野草。別名キンポウゲ(金鳳花、毛茛)はウマノアシガタの八重咲のものを指す。


特徴
日本では北海道〜南西諸島まで、日本国外では朝鮮、中国、台湾に広く分布する多年草で、日当たりの良い山野に生える。草丈30-60cmで茎と葉裏には白い長毛がある。葉は根生葉が長い柄のある掌状に3-5裂した単葉で、茎の中程には柄の短い掌状の葉がつき、茎の上部には線状の小さな葉がつく。葉身は円心形で、長さ2.5-7cm。花期は春。花は直径1.5-2cm、花弁は5枚で広倒卵形、長さ10〜12mm、色は黄色。その花弁に独特の光沢があることで知られている。花後には約5mmほどの小球状の果実(集合果)をつける。

和名の由来は根生葉を馬の蹄に見立てたものと言われる。

キンポウゲ科に多い有毒植物のひとつであり、これを食べた牛が中毒を起こしたことがある。中国では「毛茛」と書き、古くから薬として用いられているが、もちろん素人が扱うのは危険である。

金鳳華 の例句

あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ 種田山頭火 草木塔
きんぽうげこの地たづぬる神ありて 角川源義
きんぽうげまだ珍らしき日の清み 細見綾子 桃は八重
きんぽうげハモニカは子を俯向かす 岡本眸
きんぽうげ午が夕日を踏んで来る 細見綾子
きんぽうげ川波霧を押しひらく 飯田龍太
きんぽうげ野にこけて音あらざりし 岡井省二 夏炉
きんぽうげ響灘潮あぐるなり 岡井省二 前後
きんぽうげ馬に面魂なんど 平畑静塔
たがやしの埋みてありし金鳳花 右城暮石 句集外 昭和十一年
だんだんに己かがやき金鳳華 中村汀女
ぬれるだけぬれてきたきんぽうげ 種田山頭火 草木塔
六月に入るきんぽうげ青き実を 山口青邨
切株の満面喜色きんぽうげ 鷹羽狩行
別の頃日きんぽうげ原をなす 岡井省二 有時
城址の記憶落窪と金鳳華 橋本多佳子
夕方の明るき花に金鳳華 星野立子
太宰府の畦道漬えきんぽうげ 山口青邨
女学生泣きに出てをり金鳳華 右城暮石 句集外 昭和三十五年
妻を得てまぶしく来りきんぽうげ(林徹氏結婚) 細見綾子
小町忌や堅田いちめんきんぽうげ 星野麥丘人
小町忌や捨田いちめんきんぽうげ 雨滴集 星野麥丘人
山坂やうまのあしがた右ひだり 雨滴集 星野麥丘人
島の陽の刻々強し金鳳華 中村汀女
川幅に水が窮屈きんぽうげ 岡本眸
我が背に咳の泡あり金鳳花 右城暮石 句集外 昭和二十二年
水ひいて畦縦横や金鳳華 原石鼎 花影
流速の嘆きひたすら金鳳華 岡本眸
湖見えて湖畔の遠さ金鳳華 及川貞 夕焼
熊野路のここにはじまる金鳳華 高浜年尾
燦々と愛してゐるかきんぽうげ 平井照敏 天上大風
臀並べたる女流らよ金鳳華 石田波郷
菜の花に咲かわりけり金鳳花 句空
葬具庫の扉の勝手開き きんぽうげ 伊丹三樹彦
走りたくなる日もありぬ金鳳華 亭午 星野麥丘人
農薬に負けぬ金色金鳳華 右城暮石 句集外 昭和六十一年
金鳳花蘇我につながる檜前道 松崎鉄之介
金鳳花踏絵も光さびにけり 水原秋櫻子 蓬壺
金鳳花風吹くたびに黄を加ヘ 飯田龍太
金鳳華午前のまぶた痙攣す 橋閒石 朱明
金鳳華咲き故郷の道そつくり 右城暮石 句集外 昭和四十九年
金鳳華宣長の母かつの墓 山田みづえ 手甲
金鳳華明りの谷の火宅かな 岡井省二 明野
金鳳華明日ゆく山は雲の中 飯田龍太
金鳳華昼しんかんと鉄路置き 岡本眸
金鳳華東なぞへに野は展け 大野林火 白幡南町 昭和二十九年
金鳳華汽車行きてまた時経たる 森澄雄
金鳳華照りて空しき天守かな 阿波野青畝
金鳳華神婢嬰児の墓に咲きぬ 山口誓子
黄がつよし帰郷一年きんぽうげ 右城暮石 散歩圏
黄は光る色一面の金鳳華 稲畑汀子
黄金花咲くごと佐渡はきんぽうげ 阿波野青畝