中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ツールドモンブラン(15);2日目(3);エリザベッタ小屋を目指して

2011年09月20日 17時34分07秒 | フランス・スイス・イタリア;ツールドモンブラン

                                                                       <セーニュのコル間近で・・>

  ツールドモンブラン(15);2日目(3);エリザベッタ小屋を目指して
                  (アルパインツアー)
      2011年7月16日(土)~24日(日) 

 第4日目;2011年7月19日(月)(トレッキング2日目)

<第2日目の地図(つづき)>


<モッテ小屋からセーニュのコルまで(再掲)>


<セーニュのコルからエリザベッタ小屋まで>

<フランス・イタリアの国境>

■雨の中の登り坂
 降りしきる雨の中,やっとの思いで,モッテ小屋に到着した私たちは,モッテ小屋の食堂で,やや慌ただしく昼食を済ませた.そして,13時丁度に,再び,モッテ小屋から歩き出す.
 まだ雨が降り続いている.
 地図を見ると,モッテ小屋から谷筋の左岸を,標高差約200メートルほど登るジグザグ道が続いている.長時間,急坂を登るのも大変だなと思いながら登り始める.でも,実際に登り始めると,予想以上に登山道の傾斜は緩やかで,路面も歩きやすい砂利道である.
 谷間には深い霧が立ちこめていて,全く展望はない.私たちは雨の中を黙々と登り続ける.
 13時29分,雨の中で立ち休憩.降りしきる雨の中では,地図を広げて現在地を確かめるわけにもいかない.また,視界が殆どないので,自分がどの辺りを歩いているのか正確には分からない.

<眼下に今し方登ってきた谷が見下ろせる>


<霧は晴れたが雨が降り続いている>

■心地よい尾根道
 13時40分頃,再び歩き出す.相変わらず雨は降っているが,谷間を埋めていた霧が少し薄くなり,いくらか視界が開け始める.進行方向左手には谷底を流れるフラシェ川(読み方不正確;Torrent Glaciers)が見えている.私たちは,川の左岸沿いの尾根道を登っている.
 14時18分頃,ずっと降っていた雨がようやく上がる.振り返ると,これまで登ってきた登山道が良く見えるようになっている.
 前方には,尖鋒が聳えている.雨具を着ているので,簡単には地図を広げられないので,この山の名前を確かめることはできない.
 なだらかで,眺めがよい尾根道が続く.

<尖鋒を長めながらの心地よい登山道を進む>

■セーニュのコル
 15時丁度に,私たちはセーニュのコル(Col de la Seinne,標高2516m)に到着する.ここで休憩.
 セーニュのコルはランスとイタリアとの南北に走る国境尾根の鞍部に位置している.
 国境には小さな石柱が埋め込まれている.石柱のフランス側には「F」,イタリア側には「I」という字が彫ってある.
 一同,この石を跨いで,片足をフランスに,もう一方の足をイタリアに置いて,記念写真を撮る.
 少し小高い所に巨大なケルンが積まれている.
 国境からイタリア側眺望が開けている.
 
<フランスとイタリアの国境;左側がフランス>      <国境のケルン>

<モンブラン山群ジオラマ展示場>

■展望の下り坂
 15時07分,セーニュのコルを出発する.緩い勾配で長い下り坂が続く.少し急な砂利道である.
 15時24分頃,眼下に広がる谷を下りきった辺りに,小さな小屋が見え始める.
 現地ガイドのクリストファに,
 「・・あれも山小屋ですか?」
と聞く.
 「あれは山小屋じゃないよ・・・・あそこはモンブランの展示場だよ」
という.
 何んで,こんなとんでもない所に展示場など作るんだろう.私には不思議に思える.

<眼下に小屋(展示館)が見え出す>

■モンブラン山群のジオラマ
 15時26分,急な下り坂の先にある展示場に到着する.煉瓦状の石を積み上げた小綺麗な建物である.展示場の広さはせいぜい12畳程度.トイレがあるので,ここで見学兼トイレ休憩.
 私たちのグループより先に到着した郵船航空のツアー客が,内部を見学中で,混雑している.私たちは,先着グループが見学を終わるまで,暫くの間,外で待つ.
 15時30分頃,やっと建物の中に入る.展示場に中央に,モンブラン山群のジオラマが置いてある.ジオラマを一回りしながら,自分たちがどの辺りに居るのか確かめる.
 その内に,誰かが,
 「FHさんは,どこからモンブラン山へ登ったんですか・・・」
と私に聞く.
 「・・あそこ,あそこにシャモニーがあるでしょう.あそこから電車などでニーデグルまで行くんです・・・・そこから歩き出して.・・・ホラ・・あそこにあるグーテ小屋でまず1泊.翌日,岩場のある登山道を登って,グーテ小屋まで登ったんです.本当は翌日モンブラン山頂を目指す予定でしたが,天気が悪くなるとのことで,グーテ小屋に着いたその日の内にモンブラン山頂を往復しました・・・・とてもきつかったです・・・」
 今回の同行者の中には,モンブラン山に登りたいなと熱心に思っている方々が数名居る.この方達が私に,いろいろと質問をしてくる.
 「・・・岩登りやアイゼン歩行など,一応の基礎技術を覚える必要はありますが,是非,登って下さい・・」
と希望を持って頂くようにアドバイスする.

<小雨の中,展示館に到着する>


<ジオラマでモンブラン山を探す;湿気でレンズが曇ってしまい上手く撮れない>

<路傍の祈祷所>

■水たまりと馬糞の道
 15時42分,展示場を出発する.
 まだ,小雨がパラパラと降っている.私たちは雨具を着用したまま,再び居歩き続ける.
 登山道は良く整備された砂利道である.道幅は広く,四駆の自動車ならば難なく通れるような道である.
 つい先ほどまで,かなり強い雨が降っていたらしく,道路の至る所に水たまりができている.また,馬糞が沢山散らばっている.何だか長閑な感じの散策路が続く.

<水たまりと馬糞の道>

■使い捨ての膝サポーター
 途中から同行者のF田さんは,膝が痛むらしくて,どうしても遅れがちになる.痛みをかばうように歩くために,歩行がますます辛くなってきたようである.
 僭越かなと思ったが,私がリュックの中に常備している使い棄ての膝サポーターを提供する.私自身はサポーターを使ったことがないので,どの程度有効なものか分からないが,まあ,使わないよりはマシだろうと思う.
 その様子を見ていた誰かが,
 「FHさんのリュックは,ドラえもんみたいですね・・・」
と言う.昨日,どなたかに「ツムラ68」を提供したことと重ね合わせて,そんな感想を持ったのだろうと思うが,登山必携の品物を持っていただけに過ぎないと自分では思っている.


■小さな教会?
 16時21分,進行方向左手に小さな小屋が建っている.
 粗末な小屋だが,何となく霊験な雰囲気がある.早速,ガイドのクリストファさんに聞いてみる.
 「これは教会ですか?」
 「いや,教会じゃないです・・・ここを通る人や家畜の安全を祈願する所ですよ・・・」
 まあ,日本流に言えば,道祖神のようなものらしい.

<安全祈願の場所;日本の道祖神のようなもの>

<旧イタリア軍兵舎跡>

■広大な谷間を下る
 地図を見ると,私たちはなだらかな谷間の左岸沿いに下っている.川の名前は分からないが,なだらかな下り坂が続く.進行方向左手(北西)には峻険な尾根が続いている.反対側(南東)は広い湿地帯になっているらしい.
 地図で確かめると左手の山並みはピラミデスカルカリー(発音不正確;les Pyramides Calcaires,標高2896m)である.カルカリー山群とでも訳す方が妥当かもしれない.今私たちが歩いている場所の標高は,およそ2280メートル.従って標高差約600メートルの尾根を仰ぎながら歩いていることになる.
 なお,右手には長大なセイン山脈(発音不正確;Montegne de la Seigne,標高2800~3000m)が連なっている.

■旧兵舎跡を通過
 16時18分頃,前方の少し小高い所に何棟かの建物が見え始める.
 「あれがエリザベッタ小屋ですか?」
とクリストファに伺う.
 「いや・・・あれは,昔,イタリアの兵舎跡ですよ・・・」
とぶっきらぼうに答える.
 なだらかな坂道を登って,16時34分,旧兵舎脇を通過する.
 ここからは私の推測だが,フランス人であるクリストファは,どうやらドイツとイタリアにはあまり好印象を持っていないように思える.
 ・・・というのも,昨夜,雑談中に,クリストファが,色々な国から来る観光客を案内しているが,その中でも日本人は時間がパンクチュアルで,規律があって良いという.その後,これまで案内したどこそこの国の人はこんなだという話になる.彼が沢山あげた国の中にドイツが入っていないのが不思議だった私は,
 「ドイツの人たちを案内したことないんですか?」
と伺う.
 すると,クリストファの顔色が変わって,
 「ドイツ人なんて*⊿!#☆#?!*・・・※□・・!!・・・・」
とフランス訛りの激しい英語でまくし立てる.全く聞き取れない.
 でも,クリストファさんが,ドイツに対して抱いている感情の一端が分かったような気がする.
 私は,旧兵舎の脇を通りながら,
 「・・そういえば“日独伊三国同盟”なんていうのがあったナ・・・」
と,もはや歴史の中で忘却の彼方に追いやられてしまったことを,つい昨日のことのように思い出す.
 戦争中だったら,こんなにノンビリと,この辺りを散策することなど不可能だったろう.その意味でも平和の有り難さが身に染みる.もっとも,こんなことを考えながら歩いているのは,私たちのグループの中では,多分,私一人だろう.

<イタリア軍兵舎跡>

<エリザベッタ小屋に到着>

■シンドイ登り坂

 旧兵舎跡から,見上げる位置に今日の宿泊場所のエリザベッタ小屋(Refuge Elisabetta,標高約2210m)が見えている.そこまで,S字状の急坂が続く.大した距離ではないが,日々中歩いてクタクタになっている足には,なかなか辛い.たちまちの内に,足の強さの差が出て,列がばらける.
 16時42分,漸くエリザベッタ小屋に到着する.
 エリザベッタなんていう素敵な名前なので,どんなところかと期待していたが,普通の山小屋である.概観は石造り.なかなか立派な感じである.

<エリザベッタ小屋に到着>

■快適な二人部屋
 小屋の中に入る.内部は,なかなか小綺麗.
 私たち男性2人は,ラッキーなことに2階にある2人部屋が割り当てられる.
 早速,割り当てられた部屋に入る.6畳ほどの広さの部屋に,2段ベッドが置いてある.ベッドの脇には小さな机と椅子1脚.突き当たりは二重窓.窓から外を覗くと,広大な谷が見下ろせる.
 足を痛めておられるF田さんに,ベッドの下段を使って貰うことにする.早速,私はベッドの上段に登ってみる.
 なかなか快適.
 まずは,旅装を解いて,一呼吸入れる.
                                      (つづく)

「ツールドモンブラン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7173b361e39d25e350bcb46fca63f2e9
「ツールドモンブラン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5994d8bf99e1142fc541de497fb121b6
「ツールドモンブラン」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c

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[編集後記]

2011年9月20日(火)
  曇後雨

 沖縄付近で何日も居座っていた台風15号が,昨日辺りから,進路を北北東に変えてから,随分と足早に本州に接近している.どうやら丹沢方面では強い雨が降っているようである.鎌倉も,朝からドンヨリとして空模様で,今にも雨が降り出しそうである.明日には関東地方に最も接近するとか・・・・名古屋でも大規模な避難勧告が出ているとテレビは伝えている.よくもまあ,次から次へと災難が襲ってくるものだ.
 天災は忘れた頃にやってくると言うが,この頃に限って言えば,忘れるどころか,まだ災害の傷跡が生々しい間に,次の天災がやってくる,実に困ったものである.
 さて,中山道の旅から帰宅して、早くも2日になる.
 あいにくの空模様なので,山歩きは差し控えているものの,そろそろ“歩きたい病”が鎌首をもたげ始める.こうなると始末が悪い.本来ならば,折角の雨模様の空なのだから,じっくり家で腰を落ち着けて水彩画に没頭すれば良いなと思うのだが・・・・理屈では分かっていても,どうも家の中に拘束されているような気分になり,イライラ感が増してくる.
 とはいえ,お天気ばかりはどうしようもない.
 午前中は,自宅で雑用をこなす.昨日から本格的に仕上げ校庭に入っている水彩画も何とか姿形が見えるようになってきた.あと,もう少し書き込めば何かが見えるようになるだろう.
 午後から,大船駅まで散策.今にも降り出しそうな空模様なので,携帯傘を持参しながらの散策である.自宅から鎌倉中央公園を抜けて,大船駅まで約2.5キロメートル.少々距離が短いので,急ぎ足で散策する.歩数で言えば8000歩程度.歩数は少ないが,まあ,全く自宅で動かないでいるより,少しはマシだろう.
 夕方から時々強い雨脚の降雨が連続する.
 貴重な今日一日も,また焦点が定まらない生き様だった.反省!
                               (愚痴おわり) 

 



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