転載:あるシリアの学者が書いた『女性』という本があります。
イスラーム法での女性に関する様々な規定について、欧米のオリエンタリスト達が「これは女性蔑視ではないか」と言っている問題について、イスラーム側からの回答ともいえるべき本です。
その中にヒジャーブ(狭義では頭や首を覆うスカーフの事ですが、広義にはイスラーム法における女性の服装規定)に関する項目があり、その効用の一つについて以下の様な事が書かれていました。
要約すると、ヒジャーブは、欧米の人が誤解している様な女性蔑視や女性の自由を束縛するものではなく、その逆に、女性個人・その理性・知性・人間性を尊重し、彼女の人間性を自由にするものだというような意味だったと思います。
その例として挙げていらっしゃったのが以下の様な話でした(話の詳細は忘れてしまいましたが大体の内容)。
ある国際的な学会で、非常に優れた女性の学者が、非常に優れた知性あふれる発表をしました。その発表の後彼女のプレゼンについて、参加者達(つまり他の学者達)に意見を求めた所、返ってきた答えの多くは次の様なものでした:
―美しい人ですね
―彼女の髪の色は素晴らしい
―彼女の服装のコーディネートはセクシーだね
ーアクセサリーが服に合っていますね
・・・
つまり、彼女の画期的なプレゼンの内容にもかかわらず、聴衆が注目したのは、その知性や発表の学問的価値ではなく、女性としての外見だったのです。
これは女性に対する男性の見方には顕著ですが、男性だけではなく、私達女性も、程度は下がりますが、同じ女性として、相手の女性の内面よりも外見に目が行く事が往々にしてあります。
例えば少し前に世間が騒いでいた女性研究者の記者会見ですが、あの発表で、彼女の服装や髪の色、メークなどについて、男女問わず詳細を覚えている方は少なくないでしょう。
しかし、その両隣りにいた、弁護士のお二人の御顔やネクタイの色、スーツの色などを覚えている方がどのくらいいるでしょうか?
或いは別の男性学者(例えばノーベル賞受賞者など)の会見で、彼の服装や髪形、ネクタイの色などを覚えている人がどのくらいいるでしょうか?
それが良いとか悪いとか言っているのではなく、人間は、通常、そのように反応してしまうのです。
イスラームは、その人間の性質を踏まえたうえで、女性を、単なる外見で評価される存在から、人間としての知性・理性・努力・行いなど、「一個人としての人間」として見られ、評価される存在とすべく、その美しくて人々の目を引く様な要素を、それに適さない場所では隠し、評価されるべき点にスポットをあてる事を助けてくれているのです。(適する場所ではおしゃれをする事を大いに奨励、時には義務とまでしています)
例えば、以前イランの副大統領の女性が、安倍首相と会談をしている記事が投稿されていました。
それを見た時に私が思ったのは、まず「イランの副大統領が女性なんだ」という事と、その次は「何の話をしたのかな?」という事です。
彼女の服装やスタイルなどには関心が及びませんでした。
なぜかというと、彼女は頭から足の先まで黒いチャドルを着ていたからです。恐らく、それを報道したマスコミも、彼女の容姿に関してコメントしたものは、殆どなかったのではないでしょうか。
その本をお書きになった先生は、もう亡くなられましたが、何十年も前に書かれた事を実際に目の前で見ると、感慨深く、イスラームの深さを説明される先生のご意見の鋭さに感銘を新たにした次第です。ラヒマフッラー。
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紹介されている先生の著書:
英語版も出ています。昔、ダマス留学生でこの英語版を、ダマスの欧米人のバックパッカーが多い安宿の共有スペースに他のイスラム関連の本と一緒に置いて頂いたことがありました。
何故かこの本だけ、置いても置いても無くなっていました。
アラビア語版pdf(全内容が読めます(oˆˆo))
ヒジャーブの部分は簡単ですが、ほかの項目はイスラーム法の細かい話が入っているので分かりにくいかもしれません。
また、英訳がアラビア語の意図を表現しきれているかチェックしていないので、もし読んで疑問が沸いたらご質問下さい。
フェミニストのアメリカ人女性の手記 も参考まで。
預言者(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の人徳 クルアーンの奇跡 ①
ムスリムになりました(入信記、体験記) イスラーム講座(上級)
「アフガニスタンという国で・・」NGO「ペシャワール会」現地代表、中村哲氏
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