質問
私は仏教徒です。死ねば地獄に落ちるとイスラム教徒に言われるのは、勝手ですが、7世紀ムハンマドが仏教のなんたるかを知ってのことですか?
回答
地獄というのは、神の存在を、否定する者のみが行くところです。
人が自分をどう名付けようとも、キリスト教徒と名付けようとも、仏教徒と名付けようと構いませんが、神の存在を否定していないのなら、あなたが、自分のことをどう名付けようとも、問題はありません。
クルアーンの中でアッラーが言われているのは、
【本当に(クルアーンを)信じる者、ユダヤ教徒、キリスト教徒とサービア教徒で、アッラーと最後の(審判の)日とを信じて、善行に勤しむ者は、かれらの主の御許で、報奨を授かるであろう。かれらには、恐れもなく憂いもないであろう。】(2 雌牛章62節)
私たちは誰も、自分のことも、他人のことも、死後、地獄に入るかどうか判断することはできません。
誰にもそれは知らされていません。
アッラーのみがご存知のことです。
あるとき、預言者様(彼に平安と祝福ありますように)の教友が、殉教者として亡くなりました。
彼の母親が墓に来て、土をなでながら、「息子よ、あなたが天国に入れることを祝福します。」と言っていました。
預言者様(彼に平安と祝福ありますように)が、それをご覧になられ、
『誰があなたに、彼が天国に行くと告げましたか?』
と、母親に尋ねました。
母親は、「彼は殉教者ですよ。」と言うと、預言者様(彼に平安と祝福ありますように)は、
『アッラーのみが、それをご存知です。』
とおっしゃいました。
アッラーにしか、それはわからないのです。
ですから、誰かがあなたに、「仏教徒だから地獄に行く」と言われたようですが、あなたが、神の存在自体を信じていなければ、問題は、仏教徒であるとか、キリスト教徒である、とかいうことではありません。
問題は、神がいるということを信じているかどうか、という点です。
誰一人、あなたに、「あなたは地獄に入る」と言うことはできません。
あなたが、今現在、神の存在を信じていないとしても、将来、もしかしたら、信じるようになるかもしれません。
それは誰にもわかりません。
ですから、あなたが天国に入るか地獄に入るかは、アッラー以外、誰にもわかりません。
今ムスリムであっても、礼拝をしていて、断食をしていても、死ぬ直前になって、信じることをやめてしまうかもしれません。
それは誰にもわかりません。
アッラーのみがご存知です。
最後の審判の日の主催者である、アッラーのみが、私たちが死後どこに行くかを決定します。
もっとも公正で、私たちがこの世で何をしたかをすべてご存知のアッラーが、誰が天国に行き、誰が地獄に行くかを決定します。
質問
(ブログ内の「人を許すこと①~③」利他主義に関する話への質問として。)
教義としては立派ですが、…。ならば、アラブの人達は、イスラエルに対して、一番親切にしてあげるべきだしそのはずです。でも、うちの近所のイマームでさえ、例えば去年1月の攻撃にイスラエルを激しく非難していましたが。
回答
イスラームにおいて、権利というのは、2種類に分かれます。
個人的な権利と、集団の権利、です。
個人的な権利、というのは、私個人だけの権利、例えば、所有権などです。
この携帯電話は、私のもので、これは、私に所有権があります。
誰かがこの携帯電話を私に黙って持って行ってしまったとしたら、私は彼を追いかけて自分の携帯電話を取り返そうとするでしょう。
しかし、もし彼が、それを返してくれず、逃げてしまったら、私は、他の人のところに行って、彼の悪口を言い回ったりすることなく、自分の権利に対して彼を許し、口をつぐんで、黙っていることができます。
自分だけの個人の権利の場合は、相手を許して、自分の権利を放棄することができるのです。
しかし、それが、集団の権利だった場合、国の権利だったり、共同体の権利だったりした場合には、イスラームは、私に、その権利を守りなさいと教えています。
私の携帯電話が不当に摂取されても、私は黙っていることができますが、イスラーム国の土地が、不当に摂取された場合には、私は黙っていることはできません。
それを守らなければなりません。
もし、自分の国に、他の国の人が来て、これは、私の国だ、と言い出したら、その国に住むすべてのムスリムが、その外国人に抵抗して自分の国を守る義務が生じます。
ですから、利他主義(自分よりも他人の権利を優先する)というのは、とても美しいものですが、それは、自分の権利のみに適応されます。
私が自分のものでもない、他人の携帯電話を友達にあげて、利他主義を実行するために耐えなさい、と言うのは、間違っています。
自分個人の権利を放棄することはできますが、他人の権利や、集団の権利を、あなたが個人で放棄することはできません。
もし、集団の権利において、利他主義を実行しようとしたら、その国は、無くなってしまいます。
国の権利というのは、集団の権利ですから、すべてのムスリムが、その権利を守らなければなりません。
自分の国を侵略してきた敵が、あなたにこう言うかもしれません。
「あなた達は、利他主義で、とても優く、悪いことをしても善行で返し、何でも許してくれるから、私たちは、あなたたちの国に入って勝手に何でも好きなことをします。」
それを許していたら、その国の人たちは、安全な生活を送ることは不可能になってしまいます。
そうなれば、その国は、死んでしまいます。
私は、誰かが自分の権利を侵害したときには、忍耐して、自分の権利を放棄し、利他主義に徹することができますが、国や、共同体に害を与える場合には、怒らなければなりません。
それに対して私が黙っていることは、その国の一員として、義務を怠っていることになるからです。
質問
カイロに来て住んでみてください。騙そうとする輩には、気をつけて距離をおき、時には、怒鳴りつけなければ、奪い取られ続けるだけです。私の周囲の比較的親切なエジプト人は、私が災難にあうたび、同情するかわりに、「経験から学んで、二度と○○しないことだ」と言います。○○は、妻が癌で今すぐ入院が必要なのでと泣きながら頼まれたり、家賃が払えなくて大家に妻子ともども追い出されるとかね、そりゃあ、人道的に見過しにくいことを言ってきますよ。あとで、嘘とわかるんですがね。
回答
世界中にこういった現象は多々あり、カイロに限ったことではないのではと思います。
どこの国にも、こういった嘘の劇を作り、泣いたり叫んだりして、人を騙そうとする人たちは、どこにでも存在します。
日本人留学生:「日本では、めったにこういったことは、起こりません。ですから、彼は、すごくびっくりしているのだと思います。日本人は、こういったことに慣れていないため、すぐに人を信用するので。」
かわいそうに。
もし可能だったら、私は彼と電話で話をしたいです。
彼のことが、とても心配です。
彼は、本当にいい人です。
彼はアラビア語は話せるでしょうか?
もし話せなければ、あなたが、通訳をして、話をしましょう。
本当に彼はかわいそうです。
私は、深く彼に同情します。
問題は、嘘をつく、ということを、まったく知らない人が、嘘つきのいる社会で暮らす場合です。
彼と同じ問題が、昔、私の子供にも起こりました。
私の息子が小さいときには、彼はまったく嘘というものを知らずに育ち、そして、自分の周りの全ての人のことが大好きで、愛情深く、誠実に育ちました。
しかし、学校に行くようになって、問題が起こり、ある日、息子が私に向かって言いました。
「お母さんは、嘘をつかないようにと教えてくれたけど、嘘をつく人間がいる、ということを教えてくれなかったじゃないか。全ての人を好きになるようにと教えてくれたけど、人を憎む人がいる、ということを教えてくれなかったじゃないか。」と。
質問してくださった彼は、私の息子と同じような状態に陥っているのしょう、かわいそうに。
私は息子に、そのときから、善いことと悪いことを両方教えなければなりませんでした。
あなたに嘘をついた人がいたら、その人に挨拶はしますが、あまり深く関わらないように、そういう人には注意するよう、話しました。
嘘つきの人や、ねたみ深い人や、人に憎しみを抱く人たちは、心に病気を抱えていますから、その人たちと関わり合いになるのは、とても危険です。
私が息子に教えたように、彼は、人に何かを言われたら、まず最初に、この人は本当のことを言っているのか、それとも、嘘を言っているのか、と調査し、疑うことが必要です。
誠実な人かもしれないし、嘘つきかもしれないからです。
なぜなら、あなたのお金を、嘘つきに与えてしまうのは問題です。
教友ウマルさま(彼にアッラーのご満足がありますように)は、ある伝承でこう言われました。
≪私は、人を騙す者ではありませんし、人に騙される者でもありません。≫
この意味するところは、私は、嘘つきではないけれど、嘘つきの人に騙されるままにしておくこともありません、ということです。
周りの人々に確認したり、調査をして、その人のことを、本当に誠実な人か、冷静に判断しなければなりません。
その人が、自分をムスリムと名付けていたとしても、イスラームは嘘を禁止していますが、ただ外見上の名前だけで判断してはいけません。
残念なことに、イスラームをまったく実践しない人たちは、自分の利益のために何でもするからです。
質問
イスラムはすばらしいのかもしれない。でも、それを信じている人の態度は、そう誉めたもんじゃないですね。後悔させ正しい道に進ませる力のない宗教なんですかね。
回答
彼の言葉は、すばらしいですね。
彼と連絡を取ることができたら、どうか、私からサラーム(彼に平安があるように)を伝えてください。
本当に私は、彼の質問が気に入りました。
イスラームというのは、例えると、飛行機のようなものです。
飛行機は、ある国から他の国に多くの人々を簡単に運ぶことができますが、操縦士が、もしその飛行機の操縦方法を知らなかったら、何の役にも立ちません。
何億円もする高額な飛行機で、最新式の機能のついたすばらしいものだったとしても、その操縦方法を知っている操縦士がいなければ、何の役にも立ちません。
では、飛行機自体に問題があるのでしょうか?
そうではなく、その飛行機を操縦する人がいないことが、問題なのです。
イスラームというのは、歴史的事実が証明しているように、その教えに従った人々を、正しい道に進ませ、歴史的に偉大な事業を成し遂げさせました。
イスラームの教えを忠実に守っていた人々が、どのように人々と接し、どのように文化を発展させることができたか、歴史が証明しています。
ぜひ、預言者様(彼に平安と祝福がありますように)の時代とその後、十字軍襲来までのイスラームの歴史を勉強してみてください。
(参考:http://www.uraken.net/rekishi/reki-westasia22.html)
(参考:預言者ムハンマドの足跡を辿って《前編・生誕からヒジュラ(マディーナへの移住)まで》-アフマド・クフターロー師の預言者伝講義より-)
私の亡くなった師の最後の言葉ですが、
「イスラームは、その導きへと導いてくれる操縦士が、不足しています。」
と、先生はおしゃいました。
現在のイスラーム社会の混乱は、その真実の教えイスラームへと導いてくれる、操縦士の不足によるものです。
これら7つの質問は、コメントにて、「とおりすがり」さんが寄せてくださったものです。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います、本当にありがとうございました。回答が大変遅れましたことを、深くお詫び申し上げます。
また、答えてくださった、ダマスカスの大学教授でもあるイマーン先生が、とおりすがりさんとぜひ直接お話をしたいと言われていますので、お手数ですが、もし、これをお読みになられたら、留学生有志のメールアドレス(damas327@hotmail.com)の方へ、メールにて直接ご連絡を頂けると助かります。
エジプトでの生活の大変さは、こちらでも耳にすることがありますが、日本人として、誠実に対応されている姿に、とても感動しました。
ご質問をお寄せいただき、ありがとうございました!
関連記事:
2月19日にエジプトから、エジプト・ムルシ政権与党の穏健派イスラム政党・自由公正党首で前人民議会(下院)議長のサード・カタトニ氏(60)が来日し、記者会見をされたのはご存知でしょうか?
その際に、彼がはっきりと、イスラームとテロとの関係を否定し、イスラームはテロを禁止している、と明言しています。
こちらが朝日新聞に掲載された記事です。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201302190650.html?
こちらの真ん中より下のほうにもあります。
http://bit.ly/12RJBAX
しかし、私が住む地方新聞には、会見があったことすら掲載されていませんでしたし、ネット上でこの会見についての記事を探しても、とてもわずかな記載しかなく、まして、彼のこの発言「テロの禁止」発言を取り上げていたのは、なんと、朝日新聞社一社のみでした!!!
こうして、日本で明言された「イスラームはテロを否定します」という明言さえ、日本のメディアが拾わない現実を、目の当たりにして、本当にびっくりしています。
彼は、アルカイダがイスラームを政治的に利用しているだけ、とはっきり公の場で抗議していて、彼の発言を聞けば、イスラームがテロを認めている、という誤解は解けると思いますが、問題は、それを報道しないメディアと、それを報道させない日本人の関心のなさ、なのではないかな、と思いました。
今回の件は、私自身とても勉強になりました。
今回のような会見に注目する機会を与えてくださったとおりすがりさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、有益なコメントをありがとうございました。
とおりすがりさんに、アッラーのご加護がありますように。
お返事が遅れて申し訳ありません。
実は私たちダマス留学生も、留学中に同じ質問を向こうの宗教学者にした事があります。
「テロが起きるたびに、日本ではイスラームのイメージが悪くなるが、そのテロはイスラームと無関係だという声が、イスラーム世界からは全く聞こえてきません。何故、学者たちは、「イスラーム」の無実性を訴えないのですか?」と。
先生のお答えは、「学者たちはそれについて多くのメッセージを発しています。また、その為にできる限りの努力をしています。なぜそれが日本に伝わらないのでしょうか。」という内容でした。
確かに、9・11や、デンマークで起きた預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を題材にした風刺画やそれに関連する騒動の際には、エジプトのアズハル大学などの宗教機関や他の学者達も様々な声明を出し、欧米にアピールしていまし た。
ですが、それが日本にも届いていたでしょうか?
今回の事件に関しても、本来ならば、おっしゃる通り、世界的なイスラーム機関が、日本の方々にお悔やみを申し上げると同時に、「このテロはイスラームの教えに反します。」という声明を出すべきです。
或いは、欧米向けなどには声明を出したけれども、又は学者たちが個人的にはそういった声明を出しているけれども、日本にそれを拾って来て、きちんと伝えるメディアがないために、日本の方たちのところに届かないのかもしれません。
またそのような声明に加えて、学者達の中には、そういう一時的なアピールではなく、「イスラームの名のもとにテロを行う、【イスラームに無知なムスリム達】、或いは【イスラームを誤解しているムスリム達】」に、正しいイスラーム教育を与えるという、長期的・根本的な解決方法に力を入れている方達がたくさんいます。
仏教徒として生まれた日本人が仏教の教義に無知なように、イスラーム教徒でも、イスラームを意図的に、きちんと正しい方法で学ばなければ、正しいイスラームを理解することはできません。
そういった学者達は、メディアに登場して叫ぶのではなく、同じムスリム達の間を、事件が起きようと起きまいと、何年も何年も根気よく正しいことを説教して回り、正しいイスラームの姿を広めることに生涯をかけて必死に努力されています。
一人一人のムスリムが正しいイスラームを学ぶ事が、将来的に、世界の誤解を解き、世界がイスラームの正しい姿を理解する最も良い手段であるという事を信じて。
そういう学者達が、世界中に本当にたくさんいて地道な努力を続けているおかげで、私たちは今回のようなテロがイスラームの教えではないことを明確に知ることができます。
現状は、とおりすがりさんがご指摘のように、残念ながら全てのイスラーム教徒が、客観的に、「イスラームが、世界、特に欧米以外の人々にどう思われるか?」という事に気を配っているわけではありません。
また、残念ながら、今回の件は、日本で報道されたように大々的に、全てのイスラーム圏で扱われているわけでもないかもしれません。
各国のメディアの扱い方によっては、このニュースを知らないムスリムも少なくないことも予想されます。
(現に私たちの知り合いのいるイスラーム国ではさほど取り上げられなかったので、現地のムスリムたちはこの事件を知らない人も多かったようです。)
だからと言って、いい訳にはなりません。
私たちムスリムの努力不足はご指摘の通りです。
あなた様のような、欧米経由のメディアに甘んじず、現地メディアにも関心を持たれる方が増えれば、イスラームの真実の姿を知る方が増えて行くのではないかと期待して おります。
この度は、ご質問ありがとうございました。お答えになっていないかもしれませんが、、、
>彼らは、イスラームの教えを全く無視して、こういった犯罪を行っています。
これが本当であれば、彼らはイスラームのイメージを著しく貶め、偽のイスラームであるということです。
しかし、『世界中の4人に1人が信じている「イスラーム」』教徒は、誰も偽のイスラームであるテロリストを取り締まろうとしてませんよね。
クルアーンが1冊でも焼かれたと報道されれば全イスラーム世界で抗議行動が起こるのに、偽のイスラームの教えのもとに実行された今回の事件に対して、イスラーム世界で表立った抗議が起きてるとは、アラブ系のメディアを見ても聞いたことがありません。
自分たちの神の名を著しく辱めている『偽のイスラーム教徒(=テロリスト)』を、『世界中の4人に1人が信じている「イスラーム」教徒』が野放しにしてるのはなぜですか??
義勇軍のようなものを募って、全世界の誤解を解こうとしないのはなぜですか??
イスラームに熱心な人々がテロリストに立ち向かったという話を聞いたことがありません。
中東・北アフリカでテロリストに対して強硬姿勢を取っていたのは、ベンアリであり、ムバラークであり、カッダーフィーであり、アサドであり、いずれもイスラームとは距離を置いていた連中です。
彼らがいなくなったことにより、テロリストが野放しになっているのが、今回の悲劇の根本にあるのではないでしょうか。
マリの件は、現地の住民がフランス軍を支持しています。今回の悲劇を正当化する理由にはなりません。
同じ日本人として、私もあなたと同じ気持ちです。
本当に犠牲者の方たちのご家族に、心からお悔やみ申し上げます。
過激派の人たちは、「イスラーム」という名を使うので、一般の方たちには区別がつなかいと思いますが、彼らの思想は、世界中の4人に1人が信じている「イスラーム」とはかけ離れて違います。
彼らは、イスラームの教えを全く無視して、こういった犯罪を行っています。
イスラームは、罪もない人を殺すことを全く認めていないません。それはクルアーンの中にも明白に書かれています。
【人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。】食卓章32節
どんな宗教でも、罪もない人を殺すことは認めていないでしょう。それは、平和を愛するイスラームでも、同じことです。
外国人だから、という理由だけで何の罪もない人を害した彼らの行為は、許されないものです。
また同じように、イスラーム教徒だから、という理由だけで、彼らと何の関係もない、何の罪もないイスラーム教徒を非難することは、彼らと同レベルで、許されないものです。
それが、いかに間違ったことであるかは、Unknownさんもご理解いただけると思います。
犯罪者への憎しみは、犯罪者本人に向けられるべきであって、全く関係のないイスラーム教徒や、彼らが無視しているイスラームの教えに向けられるべきではないでしょう。
また、なぜ彼らが人質をとったのか?という背景にも、メディアには流れない、日本の人たちが知らないことがたくさんあります。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/54907
Unknownさん、もしイスラームのことでわからないことがあったら、遠慮なくご質問ください。
この度は、コメントをくださって、本当にありがとうございます。
Unknownさんに、アッラーのご加護がありますように。