第二章 イスラームは私の人生をどのように変えたか
「私たちは光をどれほど愛することでしょう・・・。かつて暗やみに住んでいたならば。」
私が初めてイスラームに入信したとき、それがどれほど私の人生に影響を及ぼすことになるか、思いも寄りませんでした。イスラームは、私自身の人生に影響を及ぼしただけでなく、私を取り巻く環境そのものもすべて変えてしまいました。
家族生活
私たち夫婦は、互いをとても深く愛し合っていました。この愛情は、今でも互いの心の中に存在しています。それでも、私がイスラームを学び始めた頃、私たちは問題を抱えるようになりました。
夫は私が変わっていくのを見、何が起っているのか理解できずにいました。私自身も理解できずにいました、というより、自分が変わって行っていることにさえ気づいていませんでした。 夫には、私がこのように変わっていくのは他の男がいるからに違いない、としか考えられなかったようです。自分で気づいていない以上、私は、夫に自分のことを理解させる術をもち合わせていませんでした。
のちに自分がムスリムであると気づいた時も、それは状況を改善する助けにはなりませんでした。夫には、女性が宗教という人生の根本的なものを変えてしまう理由として、他の男性の存在しか考えられなかったのです。
彼は他に男性が存在する証拠を見つけられませんでした。しかし、この男性は存在しなければなりませんでした。
結局、私たちの関係は、非常に見苦しい経過をたどって離婚に終わりました。離婚裁判では、異端の宗教(イスラーム)が子供たちの成長に悪影響を及ぼすとして、私から親権を取り上げる判決が下りました。
離婚裁判中、一度、私に選択の機会が与えられたことがありました。
イスラームを放棄し子供を取るか、子供を放棄しイスラームを取るか。
私は打ちのめされました。私にとって、これはいずれも不可能な選択肢だったからです。
もし私がイスラームを放棄すれば、私は子どもたちに欺(あざむ)くことを教えることになる・・・。私は、心の中にあるものを否定することができませんでした。私にはアッラーを否定することはできませんでした。その時だけではなく、永遠に・・・。
私は、以前まるで祈ったことがなかったかのように必死に祈りました。
30分の選択猶予時間が過ぎたとき、私は悟りました。
私の子どもたちにとって、アッラーの御手の中より安全な場所はどこにもない、ということを。
もし今私がアッラーを否定すれば、将来、私の子供たちに、アッラーと共に生きることの素晴らしさを伝える術を失ってしまう。
私は裁判で、子供たちをアッラーの御手に委ねるという意思表明をしました。これは、子供たちを拒絶することではないのだ、と。
裁判所から退出する時、子供たちのいない人生がどれほど困難なものになるか、ということを私は知っていました。
心の中で、いかに自分は正しいことをしたのだと分かっていても、心は粉々に打ち砕かれていました。
私はアーヤト・ル=クルシーに慰めを見出しました。
また、アッラーのご性質(美名)を一つ一つ味わうようになり、いずれのお名前にも美しさを発見しました。
私の直面した問題は、離婚と親権の喪失だけではありませんでした。
私の他の家族も、私の選択を快くは思っていませんでした。
彼らのほとんどが、私とあらゆる関係を持つことを拒絶しました。
母は、私が一時的にこうなっているだけだと思い、そのうちこの状態から抜け出すだろうと思いました。
「精神保健の専門家」である妹は、単に私の気が触れてしまったのだと思い、精神病院に入院させるべきだと主張しました。
父は、私が地獄の奥底に落ちる前に、いっそのこと私のことを殺してしまったほうがいい、と思っていました。
あっと言う間に、私は、夫も家族も失ってしまったのです。
次には、一体何が待ち受けているというのでしょうか?
友人関係
私がムスリムになった最初の一年のうちに、ほとんどの友人が私のもとを去ってゆきました。
一緒にいても、面白くなかったからです。パーティにも飲みにも行かない、恋人探しにも興味がない。
私のすることといえば、馬鹿げた本(クルアーン)を読んで、イスラームの話をすることばかり。なんて退屈なんでしょう!
イスラームがなぜこんなにも美しいのか、当時の私にはまだ、友人たちの理解を助けられるほどの知識がありませんでした。
仕事
次は仕事でした。専門分野でよい成績を修めた私は、高給取りのトレンドセッター(流行を生み出す人のこと)として位置づけられていました。
しかし、ヒジャーブを着け始めたその日が、その仕事の終わりを意味しました。
私は、家族を失い、友人を失い、そして仕事を失ったのです。
こうしたすべての事態の中で、最初の光は、私の祖母でした。
なんと彼女は、私の選択を認めてくれただけでなく、ムスリムになったのです。
何という驚きでしょう!私はいつも、彼女のことを知恵に富んだ女性だと思っていました。でも、ムスリムになるとは!その後、間もなく、彼女は亡くなりました。
そのことを思うと、ふと、私は彼女のことが羨ましくなります。
彼女がシャハーダを唱えた日、彼女のすべての過ちは取り除かれ、善い行いはそのまま書き留められました。彼女はイスラームを受け入れたあと、すぐに亡くなったので、彼女の「本」は、善行のほうにはるかに秤が傾いているに違いありません。
そのことを思うと、私は喜びでいっぱいになります。
知識が深まるにつれ、人々からの質問に対して、より的を得た回答ができるようになり、多くのことが変わっていきました。
でもそれは、私の人となりの中に現れた変化で、それが徐々に、周囲の人々に対して大きな説得力を発揮するようになりました。
数年後、公でイスラームの話をしたとき、母から電話がありました。「イスラームがどんなものかは分からないけれど、あなたがイスラームといつも共にあることを願っているわ」と彼女は言いました。
母は、イスラームが私にもたらした変化を好意的に受け止めていたのです。
それから数年後、母はまた電話をかけてきて、「ムスリムになるにはどうしたらいいの?」と尋ねました。
私は彼女に「アッラーの他に神はないことを知ることと、ムハンマドがアッラーの使徒であることを知ることです」と答えました。
すると母は「そんなことは、どんなバカでも知ってるわ。でも、具体的に何をしなくちゃならないの?」と尋ねました。
私はただ同じ答えを繰り返すだけでした。
母は「そうなの、分かったわ。でも、お継父さんにはまだ内緒にしててね。」と言いました。
母は、私と継父が数週間前に、すでに同じような会話を交わしていたことを知らなかったのです。
私の生父(私のことを殺すべきだといった父)とも、こうした会話を2ヶ月前に交わしていました。
そして、私の妹(精神保健の妹)も、彼女の知っている人たちの中で、私が一番自由で柔軟な考え方をしている人だと言いました。今まで、あの彼女の口から出た言葉の中で、最高の褒め言葉でした!
一人一人がどんな風にイスラームを受け入れたか、という説明を試みるよりも、とにかく、毎年、私の親族からイスラームを見出す人たちが続出したということを述べさせてください。
格別に嬉しかったのは、親友であるカイセル・イマーム兄が、前夫がシャハーダをしたと伝えてくれた時でした。カイセル兄が彼に理由を尋ねると、前夫はこう言ったそうです。
「前妻を16年間見続けてきて、自分の娘にも母親の持つものを持ってほしいと思ったから。」
彼は私のところにも来て「自分のこれまでの過ちを赦してほしい」と言いました。
私は、彼のことを、ずっと前にすでに赦していました。
さて、今度は私の長男ウィットニーです。私がこの文章を書いている間に、電話をしてきて、「ムスリムになりたい」と宣言しました。数週間内にISNAConventionでシャハーダをする予定だそうです。今のところ、彼はできる限りイスラームについて学んでいるところです。
アッラーはもっとも慈悲深いお方です。
何年にも渡って、私はイスラームの語り手として知られ、聴衆の多くがムスリムになることを選びました。
私の内なる平和は、アッラーからの知識と叡智への信頼とともに増し続けました。
アッラーは私の創造主であられるだけでなく、わたしのもっとも親愛なる友です。
アッラーはいつも共に居ておられ、決して私を拒絶されることがありません。
私がアッラーに向かって一歩あゆむごとに、アッラーは私に十歩あゆみよって下さいます。なんと素晴らしい知識でしょうか。
本当に、アッラーは私に試練を与え、約束されたとおりに、私が望むことができたことをはるかに上回った報奨を与えて下さいました。
数年前、私は医師に末期がんであることを伝えられました。
がんはすでに進んでおり、治療法はないとのことでした。今後、どのような経過をたどっていくのか、ということを説明しつつ、私が死に備えられるよう支援してくれました。
余命約1年とのことでした。
私は子どもたち、特に一番下の子のことが気がかりでした。誰が彼の面倒を見てくれるのか。
それでも、私は落ち込んではいません。
私たちはみな死ななければならないのです。
私の味わっている痛みは、祝福をも含んでいると確信しています。
よき友、カリーム・アル=ミサウィのことを思い出しました。
彼はまだ20代の頃、がんで亡くなりました。
彼が亡くなる直前、彼は私に「アッラーは本当に慈悲深い御方だ」と言っていました。
この男性は、信じ難いほど激しい苦痛の中にありながら、アッラーからの愛を放っていました。「アッラーは、僕がきれいな本を携えて天国に入ることを望んでおられるんだ。」
彼の死は、私にあることを教えてくれました。彼は私にアッラーの愛と慈悲を教えてくれたのです。これは、まだ誰も論じたことのないものです。
アッラーの愛!
アッラーの祝福に気づくのに長くはかかりませんでした。
私を愛する友人が、どこからともなく現れてきました。
アッラーは、友と抱擁しあうという贈り物を与えて下さいました。
さらに私は、皆と真実のイスラームについて分かち合うことが、私にとってどんなに大切なことであるか、ということを学びました。
ムスリムか否かを問わず、人々が私に同意してくれるか、私のことを好いてくれるか、といったことは問題ではありませんでした。
私が同意を必要としたのも、愛を必要としたのも、ただアッラーお一人からでした。
それでも、特にこれといった理由もなく、私のことを愛してくれる人たちがたくさんいました。
私は、「もしアッラーがあなたを愛して下さったら、アッラーは、人々があなたを愛するようにしてくださるでしょう」という文を読んだことを思い出し、喜びました。
私はどんな愛にも値する存在ではありません。
ということは、人々からの愛はアッラーからの贈り物に違いありません。
アッラーフアクバル!(アッラーは偉大なリ)
私の人生がどのように変わったかということを、完全に説明し尽くすことはできません。
アルハムドリッラー。(すべての賞賛はアッラーに。)
私は自分がムスリムであるということをとても嬉しく思います。
イスラームは私の人生そのものです。
イスラームは私の心臓の鼓動です。
イスラームは私の血管を流れる血液です。
イスラームは私の強さです。
なんと素晴らしく、美しいことでしょう。
イスラームがなければ私は無に等しく、アッラーはその高貴な御顔を私から背けられ、私は生きることができなかったでしょう。
≪アッラーよ、私の心に光を、私の目に光を、私の耳(感覚)に光を、私の右に光を、私の左に光を、私の上に光を、私の下に光を、私の前に光を、私の後ろに光を、私に光を与えて下さい。≫(ハディース アル=ブハーリー)
≪アッラーよ、私のすべての行為とあなたが私よりよくご存知のことにおいて、私の罪と無知と過ぎた行いをお赦しください。アッラーよ、私が意図して行った、意図せず行った、無知により行った私の過ちを赦して下さい。これらのすべての罪は、私のなした行為であることを告白します。アッラーよ、私が過去と未来において、表立って、あるいは、隠れて犯した罪を赦して下さい。あなたこそ、物事を早め、また遅らせる御方、あなたこそ全能者であらせられます。≫(ハディース アル=ブハーリー)
アーミナ・アッスィルミさん(65歳)は、は病を抱えておられましたが、国内外で講演会を精力的に行っていらっしゃいました。彼女の上にアッラーのご慈悲がありますように。
引用元の記事:日本語訳:日本ムスリム協会
1)http://www.whyislam.org/spiritual-journeys/aminah-assilmi/
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マーシャアッラー、とても素敵な記事でした。
特にご家族の方が次々と入信した、というところは私たちも自分のあり方次第で大きな希望が持てるようで嬉しく読ませていただきました。アッラーが私たちをムスリムにしてくださったように、私たちの家族、親族もお導きくださいますように、アーミン。