佛暦2561年 1月28日
今朝はいつものパターンを変更して、日の出と共に川っペリの散歩コースをブラブラと一回りして来ました。
(^^)みんなおはよ。
ここ最近は日の出の撮影が済んだ後、コブチャカポーのお出ましまで瞑想をし、それから鳥たちの姿を眺めつつの散歩をしているのですが。
今朝はまず散歩から初めてみると……
(^^)私が彼らのななめ後ろに居ることに気がついているのか否や、カポーがいつもの場所を目指して元気に泳いでいました。
(^^)またね。
地べたリアンに改宗された皆さんは精一杯、掘削工事に励んでおります(笑)。
(^^)ジョビコンヌお嬢様もジョビエッタお嬢様もまた地べたリアン教に改宗されたご様子(笑)。
これで心置きなく瞑想に集中できる準備が整いました。
すると対岸で、朝っぱらから演歌を大音量で流すおかしな人が現れるという、意味不明な無常(笑)をもはさみつつ、呼吸と身体と心に集中して行きます。
「自分の心を見つめる」
別に瞑想やブッタの教えに関心がない人でも、自分の心を見つめるという事は、とても大切な事だという印象ぐらいは持っているでしょうね。
ただし、それなのに、本気で自分の心を見つめる人は、ほとんどいないようでもあります。
自分の心をありのままに見つめるという事がこれすなわち「瞑想」という言葉の第一義的な意味合いとなります。
さて、自分の心という現象を集中して見つめいると……嫌でも気がつくのは、心の変化というものは、べらぼうに速くて、その変化を確認しながらついて行くことすら至難だという最初の壁を、私はもう少しで越えられそうだという手応えを感じています。
まずは感じること。
心身に何かが触れて様々な現象が絶え間なく回転を続けている今朝の川っペリはこれまでに御座います。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
230 拝