ふと思った。
「ゲーム理論」って何のために存在するのだろう?
例えば、
「囚人のジレンマ」
要約すると、
「信じていた人に裏切られると損をする」
ってこと。
そんなの小学生でも知ってるよ。
わざわざ「ゲーム理論」って立派な名前を付けなくても良いのに・・・・・
ゲーム理論から発展してきた理論に、
「相互確証破壊」
ってのがある。
簡単に言うと、
「確実に報復するのに十分な武装をすることで、敵に攻撃させる気を起させない」
ってこと。
それが現実に成り立つとしたら、2001年の「世界同時多発テロ」は起きてない。
「イスラエルとパレスチナの紛争」が続いていることも説明できない。
イスラエルはテロが起きるたびに、
・主犯格の指導者
・テロの実行者
の両方を確実に暗殺してきたにも関わらず、未だに、イスラエルを狙うテロ事件は後を絶たない。
「相互確証破壊」って、無意味
他にも、
「ナッシュ均衡」ってのがある。
簡単に言うと、
「交渉をしたら、2人が一番満足するところで話がまとまる」
ってこと。
これも当たり前の話じゃん。
わざわざ「ナッシュ均衡」みたいなカッコイイ名前を付けなくても・・・
ちなみに俺が交渉人だったら、まとまる話もまとまらない自信がある。笑
その場合は、「ナッシュ均衡」が存在しないことになるわけだから、やっぱり「ゲーム理論」はおかしい。名前はカッコイイ。
「相手のルールでゲームしない」
みたいなのもあった気がする。
例えとしては、
『コップに水が半分だけ入っているのを見て、
・半分しかない
・半分もある
どちらだと思いますか?』みたいな質問に、
「コップが大きすぎると思います」って答えろ。
って話。
「有利に交渉を進める手段」と言うよりも、
そんな答え方が出来る時点で、すでに相手よりも優位に立っている気がしなくもない・・・
相手を怒らせるのが怖い状況だったら、とてもじゃないけど、相手のルールを無視することなんてできない。
「ゲーム理論」の一環に、「最終提案ゲーム」ってのがあります。
ルールは、
『2人一組のゲーム。
お互いは相手を知らない。
ゲーム中に2人は顔を合わせない。
ゲーム中に交渉はできない。
ゲーム後も2人は顔を合わせない。
一方が「配分者」、他方が「受け手」としてプレーする。
まず、配分者は1万円を2人の間でどのように分けるか決める。
次に、受け手がこの分配額にOKを出すかどうか決める。
受け手がOKを出せば、受け手にも、配分者にも、それぞれの取り分が入る。
受け手がOKを出さなければ、2人とも1円も貰えない。』
実は、このゲーム、全く意味がありません。
と言うのも、ゲーム参加者の「出身地」によって、結果が変わるからです。
なので、「参加者の出身地を当てる」のには役に立ちます。笑
「ゲーム理論」は、学生の出身地を当てるために発達したのかね?
『最終提案ゲーム参加者が「経済合理的」な場合、
配分者は、
・自分の取り分を 9999円
・受け手の取り分を 1円
と分けます。
受け手は、
・OKした場合の取り分 1円
・拒否した場合の取り分 0円
を比べて、「OKした場合」の方が取り分が大きくなるので、OKを出します。
そのため、取り分は 9999円 対 1円 になります。』
一般にアメリカ人の考え方は、これに似ていて、配分者の分け方の平均は、8000円 対 2000円とかに近くなるようです。
日本人の場合は、ほとんどの場合、5000円 対 5000円前後に落ち着きます。
インドネシアのとある島で、この実験をしたところ、2000円 対 8000円に分かれたらしいです。
日本人にはもっと「思いやりの心」を持って欲しいですね。
「受け手が拒否する最低金額」も、これに合わせて上昇します。
道を歩いている人に突然声をかけて、最終提案ゲームの説明をし、「あなたは受け手です。配分者はあなたにーーー円を提案しました。
受け取りますか?」と聞いた場合。
声をかけられた人は、金額が何円であろうと「受け取ります。」と言えば臨時収入が入るにもかかわらず、拒否する人が出てきます。
突然声をかけられて、「この10円あげます」と言われた場合と、
「配分者の取り分は9990円です。あたなの取り分は10円ですが、受け取りますか?」
と言われた場合だと、感じ方が違います。
どっちにしろ、「気味が悪いから受け取りたくない」と感じる人も出てくる気がしますが・・・
「ゲーム理論」って何のために存在するのだろう?
例えば、
「囚人のジレンマ」
要約すると、
「信じていた人に裏切られると損をする」
ってこと。
そんなの小学生でも知ってるよ。
わざわざ「ゲーム理論」って立派な名前を付けなくても良いのに・・・・・
ゲーム理論から発展してきた理論に、
「相互確証破壊」
ってのがある。
簡単に言うと、
「確実に報復するのに十分な武装をすることで、敵に攻撃させる気を起させない」
ってこと。
それが現実に成り立つとしたら、2001年の「世界同時多発テロ」は起きてない。
「イスラエルとパレスチナの紛争」が続いていることも説明できない。
イスラエルはテロが起きるたびに、
・主犯格の指導者
・テロの実行者
の両方を確実に暗殺してきたにも関わらず、未だに、イスラエルを狙うテロ事件は後を絶たない。
「相互確証破壊」って、無意味
他にも、
「ナッシュ均衡」ってのがある。
簡単に言うと、
「交渉をしたら、2人が一番満足するところで話がまとまる」
ってこと。
これも当たり前の話じゃん。
わざわざ「ナッシュ均衡」みたいなカッコイイ名前を付けなくても・・・
ちなみに俺が交渉人だったら、まとまる話もまとまらない自信がある。笑
その場合は、「ナッシュ均衡」が存在しないことになるわけだから、やっぱり「ゲーム理論」はおかしい。名前はカッコイイ。
「相手のルールでゲームしない」
みたいなのもあった気がする。
例えとしては、
『コップに水が半分だけ入っているのを見て、
・半分しかない
・半分もある
どちらだと思いますか?』みたいな質問に、
「コップが大きすぎると思います」って答えろ。
って話。
「有利に交渉を進める手段」と言うよりも、
そんな答え方が出来る時点で、すでに相手よりも優位に立っている気がしなくもない・・・
相手を怒らせるのが怖い状況だったら、とてもじゃないけど、相手のルールを無視することなんてできない。
「ゲーム理論」の一環に、「最終提案ゲーム」ってのがあります。
ルールは、
『2人一組のゲーム。
お互いは相手を知らない。
ゲーム中に2人は顔を合わせない。
ゲーム中に交渉はできない。
ゲーム後も2人は顔を合わせない。
一方が「配分者」、他方が「受け手」としてプレーする。
まず、配分者は1万円を2人の間でどのように分けるか決める。
次に、受け手がこの分配額にOKを出すかどうか決める。
受け手がOKを出せば、受け手にも、配分者にも、それぞれの取り分が入る。
受け手がOKを出さなければ、2人とも1円も貰えない。』
実は、このゲーム、全く意味がありません。
と言うのも、ゲーム参加者の「出身地」によって、結果が変わるからです。
なので、「参加者の出身地を当てる」のには役に立ちます。笑
「ゲーム理論」は、学生の出身地を当てるために発達したのかね?
『最終提案ゲーム参加者が「経済合理的」な場合、
配分者は、
・自分の取り分を 9999円
・受け手の取り分を 1円
と分けます。
受け手は、
・OKした場合の取り分 1円
・拒否した場合の取り分 0円
を比べて、「OKした場合」の方が取り分が大きくなるので、OKを出します。
そのため、取り分は 9999円 対 1円 になります。』
一般にアメリカ人の考え方は、これに似ていて、配分者の分け方の平均は、8000円 対 2000円とかに近くなるようです。
日本人の場合は、ほとんどの場合、5000円 対 5000円前後に落ち着きます。
インドネシアのとある島で、この実験をしたところ、2000円 対 8000円に分かれたらしいです。
日本人にはもっと「思いやりの心」を持って欲しいですね。
「受け手が拒否する最低金額」も、これに合わせて上昇します。
道を歩いている人に突然声をかけて、最終提案ゲームの説明をし、「あなたは受け手です。配分者はあなたにーーー円を提案しました。
受け取りますか?」と聞いた場合。
声をかけられた人は、金額が何円であろうと「受け取ります。」と言えば臨時収入が入るにもかかわらず、拒否する人が出てきます。
突然声をかけられて、「この10円あげます」と言われた場合と、
「配分者の取り分は9990円です。あたなの取り分は10円ですが、受け取りますか?」
と言われた場合だと、感じ方が違います。
どっちにしろ、「気味が悪いから受け取りたくない」と感じる人も出てくる気がしますが・・・