掛川城へ3回目の訪問
新たな発見・大手門
3回目の訪問で初めて目にする掛川城の大手門です。
新幹線で行くと、大手門は駅から城への
直線コースに入っていないので
見落としていたことに気付きました。
平成7年に復元された
間口7間(約12.7m)奥行3間(約5.4m)
2階建の櫓門です。
門の奥に見える建物は番所です。
今まで訪ねたことのあるお城でも、また行くと新たな発見があります。
これがお城を訪ねる楽しみの一つです。
さらに新たな発見
天守に行く道に戻って天守を眺めると、
また、新たな発見です。
左側が天守、右に見えるのは太鼓櫓です。
今まで訪れたときを思い出しても太鼓櫓の記憶がありません。
城郭検定の勉強するまで、
掛川城の太鼓櫓が、現存の太鼓櫓であることを知りませんでした。
これまで掛川城に来ても、太鼓櫓のことはあまり眼中になかったのだと思います。
また、他のお城で現存の太鼓櫓があるのは、
姫路城だけらしいことを最近知りました。
非常に貴重な掛川城の太鼓櫓なのです。
太鼓櫓は、その中に太鼓があって時を知らせたと言います。
御殿の中に、こんな資料が太鼓と共に掲示されていました。
掛川城と高知城の天守の類似点
山内一豊が最初に手掛けたお城は、掛川城です。
高知に行って、掛川城を参考にして高知城を建てたと言います。
そして、掛川城の天守を再建するときには、
高知城を参考にしたといいます。
高知城の天守の特色として
廻縁の高欄に擬宝珠がある。
鉄剣の忍び返しがある。
どちらもとても珍しいといわれています。
高知城擬宝珠
高知城鉄剣の忍び返し
その2つが掛川城にもありました。
掛川城の擬宝珠
掛川城の鉄剣の忍び返し
掛川城擬宝珠
これらによりお互いの関係がわかってきます。
現存掛川城の御殿
現存する御殿は4つしかありません。
二条城、川越城、高知城、そして掛川城です。
御殿は、藩主が公務をしたり、私生活を送る場です。
掛川城に来る人の多くは、天守を見て満足して帰る人が多いそうです。
しかし、天守は平成6年の復元、
御殿は安政2(1855)年から文久元(1861)に
造られたものが現存しており、
国の重要文化財に指定されています。
御殿の方が文化財としての価値は高いと言えます。
掛川城を訪れる際には、天守と共に御殿も訪ねてほしいです。
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