ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第62回ふうちゃんのブログ 滝山城

2022-12-01 18:52:33 | 続日本百名城

伊東潤の読書会のメンバーと

10月1日に

東京都八王子市にある滝山城に行きました。

滝山城は続百名城です。

八王子市には4つある東京の百・続百名城のうちの2つがあります。

現在の滝山城は、北条氏照(小田原北条氏3代氏康の次男)が築いたと言われています。

ここは滝山城の大手門への入口です。

竹藪が両側にある

坂道(天野坂)を上っていきます。

その坂道がカーブしています。

ここまで上ったととき

どこか、ここと似た城に最近登ったことがあると感じました。

両側に竹藪と曲がった坂道。

おそらく、この坂道に違いない。

そうです。

小机城(横浜市港北区)です。

北条氏が築城した城には共通点があるのでしょうか。

(カメラに適当な写真がなかったので

小机城まで写真を撮りに行ってきました。)

 

さて、わたしは、滝山城は今回で3回目ですが、

ぜひ、確認したいことがありました。

それは、二の丸集中防御のための3つの角馬出です。

何しろあの武田信玄が攻めてきても持ちこたえたという集中防御です。

伊東潤さんら滝山城に詳しい専門家が同行しているので

確認できることを期待しているのです。

伊東さんの解説で

この地図にある東馬出、角馬出(南馬出)、大馬出、

そして千畳敷角馬出(伊東さんの指の所)を

確認することができました。

写真に撮るとの馬出も同じように写り

違いを出すのがなかなり難しいです。

東馬出の馬出(左側)と堀です。

大馬出です。

草原のようになっています。

南馬出の大きな横堀(空堀)です。

角馬出から見た空堀と千畳敷です。

 

今回の二の丸の馬出をはっきり確認するという訪問の目的は達成しましたが

その他の滝山城の見所を紹介します。

 

中ノ丸と本丸を結ぶ橋

堀切の上に建っています。当時の滝山街道です。

下から見るとこのようになっています。

橋から堀切を見下ろすと

中ノ丸から本丸へは桝形虎口になっています。

当時は石が敷き詰められていたようです。

集中防御だけでなく、随所に守りの技があふれた城だとわかりました。

でも氏照は堅固なこの城を棄てて、近くに八王子城を築きます。

なぜ、なのでしょう。

 

でも、八王子城は秀吉の物量作戦とはいえ、

一日で落ちたのです。

 

追伸 このツアーについて、

伊東潤さんは12月17日お城エキスポで

講演する予定です。

https://www.youtube.com/watch?v=aX-iSEbS8TI

 

 



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2 コメント

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Unknown (井内幹雄)
2022-12-06 19:00:07
八王子市の記録では、武田信玄に攻め立てられ、ほとんど落城寸前。上杉が動いて、持ち堪えた。滝山古城は北条以前の小豪族が築いたもので、古かったのでしょう。この時、今の高尾山周辺も武田軍に溢れたようです。そこで、東南の深沢山に新城を造り、併せて城下も整え始めて12年後に前田利家を大将とし、上杉軍など北陸勢が力攻めをして、氏照以下主要軍勢が小田原に詰めて、城将横山勘解由以下、ほとんど農兵に守られた八王子城は一日で落城しました。
私は滝山は昭島側から臨み、八王子城跡は週に一度、登ります。落城時も未完成だったようで、落城100年後、許されて建立された氏照主従の墓や馬ひやし、富士見櫓跡など、山中彷徨を楽しみます。落城時、城の女性たちが自害し身を投げた滝も圏央道工事で水量が減りました。多くの慰霊碑があり、手を合わせて登り降りします。
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Unknown (fuhchan2399)
2022-12-07 08:48:21
井内さん コメントありがとうございます。
ここは井内さんの地元ですね。12月1日に大学の同期夫妻を案内して滝山城に行ってきました。信玄の攻撃を防いだ二の丸集中防御を確認してきました。氏照がここを放棄して、八王子城に移ったので、その遺構が残っているとも言えます。一度、八王子の城をご一緒したいですね。
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