荒川を挟んだ桶川市と川島町の間をつなぐ太郎衛門橋の東側(桶川市)の台地上にそれは忘れられた様にひっそりと建っていました。
今は調査中のため立ち入り禁止で、その内部は見る事が出来ませんが外観から往時を偲ぶ事が出来ます。
県道12号(川越栗橋線)を桶川方面から太郎衛門橋直前の信号を過ぎると、すぐに右側に荒川河川敷におりる道が有り案内看板が目に入ります。
更に進むと大きな銀杏の木のふもとにも案内看板があり跡地に続く道が有ります。
緩やかな坂を登りきったところがその跡地になります。
導入路には境界を示す標識が両側に何本か有り「陸軍」の文字が読み取れます。
敷地内は工事用の仕切りが建てられており現在は中に入る事が出来ません。門と思える場所にはこの遺跡の歴史が判るような案内が掲示されていました。
仕切りに隙間が有ったので木造の古いその建物の外観を窺い知ることが出来ました。
建物はかなり老朽化しており戦後70年以上も経過した歴史を垣間見ることができます。老朽化は裏側の方がひどく窓ガラスも破損したりしていました。
調査中のため電灯がともっていましたが人影も見えずなんともうら寂しい光景です。
建物の表側(玄関側)
建物の後ろ側
直接見る事が出来た唯一の施設は小さな「弾薬庫」ひとつでした。
導入路の傍からは訓練用の滑走路のある荒川の河川敷が見渡せます。この地で訓練をし、特攻隊として戦地に赴いて戦死した人がいると思うと戦争を知らない自分としては何とも複雑な気持ちです。
今、国会では自衛隊員の「かけつけ警護」案件が通過しようとしています。悲惨な事態にならなければいいがと思います。
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