朝ドラ“ととねえちゃん”
昨日の朝ドラ、涙なくして御覧になった方は居ないかと・・・。
肺結核で死期を感じた父親が長女常子に、父の代わりになってくれと小学生の
常子に後を託したシーンがあった。
私も、小学校5年生の時に父から家族を頼むといわれた経験がある。
1941年12月8日、朝6時半頃、ラジオから、大本営発表で、米英両国と
戦闘状態にはいったことを知らされて、家族全員に緊張感が走った。
其の日は、雲一つない晴天で、学校から帰った私は、父に裏庭に呼び出された。
父は竹薮の前に、茣蓙を敷き、軍用行李を持ち出して、中の軍服や帽子、サー
ベル、水筒、皮製のゲートル、靴など、一つ一つ取り出して、虫干しをしてい
たのである。
“お前も知ってのとおり、戦争が始まった。私は、予備役の将校だから、何時、
陛下のお召しがあるかもしれない。お母さんは身体が弱いし、おばあちゃん
はもう年だ。 お前の弟は泣き虫で頼りにならん。お前だけが頼りだ。
みんなを頼む。
昔、フランスのオルレアンに、ジャンヌ ダルクという少女が居て、戦争が起
きた時、国のために、武器を持って戦った。お前もいざという時には、千万人
と言えども、吾行かんの気概を持て!“と言われたのである。
私をかしらに、幼い弟妹たちがいた。〔当時は4人兄弟、その後13歳離れて弟が生まれた)
その時の父の心境。そして、私の気持ち。今思い出しても、涙。涙である。
昨日の朝ドラ、涙なくして御覧になった方は居ないかと・・・。
肺結核で死期を感じた父親が長女常子に、父の代わりになってくれと小学生の
常子に後を託したシーンがあった。
私も、小学校5年生の時に父から家族を頼むといわれた経験がある。
1941年12月8日、朝6時半頃、ラジオから、大本営発表で、米英両国と
戦闘状態にはいったことを知らされて、家族全員に緊張感が走った。
其の日は、雲一つない晴天で、学校から帰った私は、父に裏庭に呼び出された。
父は竹薮の前に、茣蓙を敷き、軍用行李を持ち出して、中の軍服や帽子、サー
ベル、水筒、皮製のゲートル、靴など、一つ一つ取り出して、虫干しをしてい
たのである。
“お前も知ってのとおり、戦争が始まった。私は、予備役の将校だから、何時、
陛下のお召しがあるかもしれない。お母さんは身体が弱いし、おばあちゃん
はもう年だ。 お前の弟は泣き虫で頼りにならん。お前だけが頼りだ。
みんなを頼む。
昔、フランスのオルレアンに、ジャンヌ ダルクという少女が居て、戦争が起
きた時、国のために、武器を持って戦った。お前もいざという時には、千万人
と言えども、吾行かんの気概を持て!“と言われたのである。
私をかしらに、幼い弟妹たちがいた。〔当時は4人兄弟、その後13歳離れて弟が生まれた)
その時の父の心境。そして、私の気持ち。今思い出しても、涙。涙である。