80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

私の人生(27)

2016-11-04 16:59:38 | 最近の出来事
小学校5年生の時、父がピンポン台を買ってくれました。

ご近所の子供達だけでなく、時にはそのお父さんも、やって

みたいという事で一緒にこられたり、親類のいとこ達も

みんなでやってきて、中々の盛況ぶりでした。

父に教えられたことは、相手の討ち返しにくいところに

玉を入れろとか、コーナーコーナーを狙えとか言うもので

したが、弟や妹は小さくて中々相手になりませんでしたし、

相手変われど主変わらずというわけで、毎日のようにやっ

ているのは私だけですから、早稲田の大学生だった父の

従弟が、”チーちゃん、センスがあるよ。女学校に入っ

たらピンポン部に入るといい。きっといい選手になれる。”

といってくれましたが、その年の暮れ太平洋戦争がはじ

まり、ピンポン台は物置に鎮座したままになりました。

その翌年の春、父がコロンビアと言うレコード会社の

大阪支店勤務になり、一家は大阪の南田辺に引越しました。

ピンポン台は、狭い家に持ってはいけなかったのです。

その翌年女学校へ入学しましたが、何せ、戦争の真っ只中。

外国語はご法度。ピンポンは卓球、バスケットボールは

篭球、バレーボールは排球と言えといわれて、私は腹が

立ちました。

古来わが国では、戦いに勝つには相手を知ることだと

言われてきたのに、相手の国の言葉さえ使わせない国の

お偉方はそれで戦争に勝てると思ってるのかと考えたら、

その愚かさに、とってもとっても腹が立ちました。

しかも卓球台は女学生が登下校する昇降口の隅に置かれて

いて、とてもやる気がおきませんでした。


太平洋戦争が始まった時、アメリカでは日本や日本語の研

究がとても盛んになったそうです。

なんという違いでしょうか? 

私は人間が大好きです。どこの国の方とでも、出来るだけ

話かけることにしています。 いろんな国の言葉を少しづ

つ勉強していたこともあります。世界中から戦いをなくす

には、国民ベースでお互いに仲良くなっていく事ぐらいし

か、私などには出来ません。

何かの法案に反対して、デモる方もあります。それはそれ

でご立派だと思いますが、私に合うやり方ではありません。

私の強みは、間違いを恐れないことです。間違いたってい

いじゃないかと思うのです。ただし謙虚でないと、自分が

間違った言葉を使ってしまい、相手に大変失礼になること

だってあるのです。例えば、中国語で、手紙は信といわな

ければなりません、トイレットペーパーが手紙です。

留守と言うと、とどまるところを守るのですから、必ず

居ると言う事になります。よく漢字を知っているから中国

語を勉強しなくても中国旅行は出来るという方がおられま

すが、日本と正反対ですからこれは気をつけなければいけ

ません。

以前夫が中国の北京に勤務していたときには、中国人の方

の前で、夫と話す時にも努めて日本語を使わないようにし

ていました。相手に不快な気持ちを起こさせないためです。

そうそう、思い出しました。夫が北京から一時帰国で帰っ

てきてディズニーランドへ孫達と出かけたことがありました。

向こうから、スペイン語が聞こえてきたのです。当時スペイン

語を習いはじめたばかりで、数えるほどしか知らなかったの

ですが、何時もの癖が出て、

”何処から来たの?”覚えたての言葉を発してしまいました。

”サクラメント”と言う言葉が返ってきました。

”あなた達は?”と質問されました。

隣に居た夫が、”北京から来た”といったのです。私がびっ

くりしている間に、前を通り過ぎようとしていた女性が

”アラ、中国の人も日本に来られる状態になったのだといった

のです。

私が慌てている間に、彼女らは足早に遠ざかって行きましたっけ。