韓国高官は凍りついた http://youtu.be/PtmHU5mdSS4
昨年開かれた日韓非公式協議にて
荒波吠ゆる風の日も |
高橋 芳平 |
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今私の手許に母校在校時の軍歌集がある。表紙には右からの横書きで、昭和17年9月、軍歌集、海軍經理學校と3段に記されており、表紙全体が褐色じみて、端はすり切れている。 懐しい歌が日白押しの中で、つい先日も、冒頭の「校歌」と「元寇」の頁には、「右足」と鉛筆書きのメモがあるのに気がつき、改めて懐旧の念を新たにした。 さて掲題の「荒波吠ゆる風の日も」の「上村将軍」は私の好きな軍歌の一つである。 このたび私はこの歌にまつわり、戦後に知り得た意外な事柄や、最近調べた次のようなこと 1「上村将軍」は旧制一高の寮歌でもあった。 2「上村将軍」の3番(敵艦乗員救助)について、 伴 正一先輩(33期)の論評 3 上村将軍の生い立ちとエピソード 強運の東郷元帥と非運の上村仁将 について述べてみたい。 1、 軍歌「上村将軍」は一高の寮歌「上村中将の歌」でもあった。 2、「上村将軍」の3番について、伴正一先輩(33期) の論評 実は過日、竹田 腆君と記念誌『続編』のことで雑談した際、私から「上村 将軍」について前記1の経緯を話した上で「このことを『続編』に寄稿する積りで、今この周辺の3考資料を物色中、何か心当たりはないものだろうか。」と相談をもちかけたところ、同君は早速いろいろ調査されて、将軍に関する資料を送ってくれた。 総力戦を強調しただけとは思えない。日本古来の思想でも、楠木正行の敵兵救助は天晴れ武士の鑑とされてきたではありませんか。そんなことを考えると、これはどうもナチスの影響でもあったように思えてなりません。 参考までに伴先輩は33期 (恩賜卒) で戦後の略歴は次の通り。 3、上村将軍の生い立ちとエピソード さて上村将軍とはどのような人物であつたのか。私はこのことに関心を持ち、いろいろ調べてみた。 |