北朝鮮の市民の経済活動を一手に支えてきた「市場」が今、荒れに荒れている。物価高騰は手がつけられないほど凄まじく、そもそもモノが絶対的に不足しているという。その悪影響は甚大で、このままでは金正恩体制を揺るがしかねないほど深刻だ。なぜこんなことになったのか──。北朝鮮内の協力者が送ってきた情報を基に、現在進行中である物価高騰と、それに対する当局の対応を見ていきたい。
◎金興光氏の過去の記事はこちら(https://jbpress.ismedia.jp/search?fulltext=%E9%87%91+%E8%88%88%E5%85%89)をご覧ください。
(金 興光:NK知識人連帯代表、脱北者)
北朝鮮の内部消息筋によると、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が国際的な広がりを見せ始めた2020年2月以降、当局は国境の全面封鎖や市場営業の統制、住民の外部活動の制限などの対策を採った。
その結果、庶民の暮らしや生計を支えていた市場(いちば)が機能不全に陥り、品不足に伴う物価の高騰や人々の収入減による購買力の低下など、北朝鮮の庶民を支えた“市場経済”が大打撃を受けている。
商売にならない商人は、少しでも自分たちの稼ぎを確保しようと、談合によって商品の価格をつり上げた。これに市民の怒りが爆発。市場管理当局や司法、検察機関が強制的な物価統制を実施し、逮捕される商人や閉鎖される店舗が相次いだ。今では、空き店舗となった店を前に、モノが買えない市民がため息をついている。
北朝鮮の市場で起きた物価騒動は、北朝鮮の経済危機が続く中、市場における供給不足と需要の縮小、住民の購買力の低下が同時進行で起き、これにコロナの悪影響が追い打ちをかける形となった。北朝鮮当局としてもなすすべがなく、状況は深刻化するばかりだ。
ここで、今回の物価騒動が起きた原因と特徴について、3つ指摘しておきたい。
物価崩壊が生じた3つのポイント
一つ目のポイントは国境封鎖の影響である。
北朝鮮の市場では商品が枯渇しており、ほとんどの店舗に品物が並んでいない。輸入品だけでなく国産品も同時に姿を消した。コロナ禍による国境封鎖で輸入がストップしたことで、輸入品はもちろん、中間財の輸入も減少し、国内生産にもブレーキがかかっているのだ。
国境封鎖の長期化に伴って交換部品の調達も難しくなっており、設備のメンテナンスができない地方の工場の生産活動にも支障が出ている。
二つ目のポイントは、商人が自身の利益を確保しようと動いた結果、状況をさらに悪化させたことだ。
商人は商品を売って利益を得ているが、急に売る商品がなくなり危機感を募らせた。そこで、中国産製品を取り扱っていた流通業者と小売業者が対処に乗り出した。彼らはありったけの在庫を引っ張り出すと、できるだけ高い価格で売り払って商売をやめた。今後、中国産製品が入ってくる見込みがないからだ。
今の北朝鮮では、生活用品や衣類、工業製品など不要不急のものを売っていた店は軒並み廃業している。市場には、生活に不可欠な食料品を売る店以外は残っていない。
三つ目のポイントは、市民にモノを買うだけの余力がないということだ。
もともと北朝鮮では、職場からもらう1万北朝鮮ウォン足らずの給与では生活が成り立たない。そのため、多くの市民は市場での売買を通じて生活費を稼いでいる。
このように市場での商いは北朝鮮の人々にとって生活を維持するのに必要な経済活動だが、市場の営業時間が短縮した上に、市場の機能も低下しているため、市民は市場を介してお金を稼ぐことができなくなった。
毎日の生活必需品を買うためには、何としても1カ月30万ウォン以上は稼がなければならない。ところが、当局がコロナの感染拡大予防策だといって、市場での活動も、人々の移動も制限してしまったのだから、もはや稼ぐ方法が何もない。北朝鮮住民の購買力は、この20年間で最低の水準に低下した。
そこへ、生きるためだとして商人が価格をつり上げた。市民は商品を前にしても、その値段では到底買うことはできない。ここに当局が介入を本格化し、物価騒動は全土に拡大していった。
当局が総がかりで統制しているが効果は限定的
市場における商品の価格高騰が深刻化したため、人民委員会の商業部が管轄している市場統制に、党や保衛部、保安署など、体制維持に関わる諸機関が総動員される展開となっている。
そこには、金正恩総書記の直接の指示があった。物価を何としても9月中に安定させろと厳命を下したのだ。具体的には、食料価格をキログラム当たり5000ウォン以下に抑えろと命じたのだという。
金正恩総書記の指示を受け、党や人民委員会、保安署、保衛部は、市場を統制するための合同組織を構成し、物価騒動を収束させるための作戦にとりかかった。
合同組織は現在の物価について地域別、分野別に詳細に分析し、各機関の特性に応じて課題を設定した。今は金正恩総書記が定めた期日までに物価を下げようと、人員を総動員して統制に全力を尽くしている。
人民委員会では、商店管理所と市場管理所の職員が市場の売り場を回りながら価格動向をチェックしている。価格を上げている店があれば、商品を押収し閉鎖させる。市場管理所は、客を装った職員が商店での会話を録音し、高く売ろうとした店にはすぐに処分を下すなど厳しい姿勢で臨んでいる。
保安員(警察)は「商人がカネに目がくらんで、国家運営に悪影響を及ぼしている」とし、価格のつり上げはもちろん、市場外での営業や穀物の買い占めなども摘発し、厳罰を科している。
このように権力機関が総がかりで物価を統制しようとしているが、思うような効果が上がっていないようだ。
特に深刻なのは穀物だ。ただでさえ在庫が少ない穀物を新興富裕層が買い占めており、市場に入って来るや否や競うように買いあさっている。当局はそんな買い手がいるのに、「高く売るな」「売らないで保管するのもだめだ」とし、商売に干渉して、没収までしている。
店側でなく、実際に買い占めている新興富裕層に対処しなければ食料の価格統制などできるわけがない。だが、新興富裕層は目立つことを避け、わざわざ当局に引っかかるような真似はしない。
インフレ対策が分かっていない金正恩
もし北朝鮮が国境封鎖を解除し、人々の経済活動を活性化させ、国内生産を増加させるのなら、解決への道も見えてくるだろう。それが見込めない現状では、庶民を支える“市場経済”は破綻するしかない。
北朝鮮における市場とは、商売人同士が取引をする卸売市場ではなく、基本はエンドユーザー向けの小売業だ。韓国では古くからよく見かけるが、生活の場に近いところに零細の店が集まった小規模な商業エリアだ。
北朝鮮の市場が、韓国や他の国のマーケットと決定的に違うところは、商売を望むすべての市民が依存し、また生活に必要な諸々商品を買い求められる、事実上唯一の場所だという点だ。
それだけ市民生活に深く根ざしているだけに、市場が縮小したり、停止したりしてしまえば北朝鮮社会は大混乱に陥る。それが続けば、北朝鮮という国の崩壊にもつながり得る。
韓国で仮に市場が閉鎖されようが、そこで働いている人は大変だとしても、その影響が国家レベルになることはない。他にいくらでも売り買いする場所はあるからだ。だが、北朝鮮には市場以外にない。
だからこそ、金正恩総書記も問題を非常に深刻に捉えている。ただ問題なのは、金正恩総書記が当局者や警察を市場に向かわせ、店の取引を監視すれば、物価を安定させられると考えたことだ。だが、これには実効性が全くない。
実際、市場管理員による価格監視が強化されると、食料を取り扱う商人の多くは、市場の外で売買をするようになった。電話で価格を交渉し、品物は配達するという方法で監視の目を潜り抜けている。
物価騒動が長引く中、市民は価格のつり上げ自体には強い不満を持っているが、市民にとっては買いたくても買えない状況よりも高くても買える方がまだマシだ。今のような市場の統制や監視は緩めてほしいと考えている。金正恩は今年7月の党中央委員会全員会議(8期第2次)で、現状への強い危機感を露わにしたが、現状では有効な手は打てていない。中国が今すぐ救いの手を差し伸べてくれるというなら話は別だが、北朝鮮の経済は破綻へのカウントダウンが始まっている状況である。