気仙沼の唐桑から、広田湾に沿って北へ向かい、岩手の陸前高田に入った。
坂道の下に、海が見えてくる。
岩手県南の内陸部では、海水浴といえば、まず思い浮かぶのが陸前高田だった。
かつては、穏やかな青い海と白い砂浜の向こうに、色濃く連なる緑の帯が見えていたはずだが、その高田松原は消えている。
ただ一つだけ、あの日の辛さを一身に引き受け、海も町も見守るように、松がそっと立っていた。
町の片付けは続いていて、まだ、解体を待つ建物が多く残っている。
津波に砕けた町の断片を、重機で分別しながら積んでいて、まだまだ片付けに時間がかかりそうだ。
海から、なだらかに陸が続く所に、町があった。勢いづいた海は、一たび乗り上げてしまうと、強く重く流れ込み、町を壊してしまった。
海水浴場の近くに、「海と貝のミュージアム」もあったが、
美しかった洋館風の建物は、窓の硝子は割れ、中も壊れて入り口の看板門も無くなっている。
数年前に入ったことがある、思い出の博物館だった。
この「海と貝のミュージアム」は、それは見事な博物館だった。
陸前高田の海洋生物学者であった、鳥羽源蔵先生(1872~1946)と千葉蘭児先生(1909~1993)が採集した、貴重な貝や資料がたくさんあったのだ。
磯の風が窓から入り、静かで穏やかな空気の流れる部屋で、寛ぎながら学べる所だった。
収蔵されていた貴重な標本などは、どうなったか心配していたが、浸水して塩や泥で大変なことになっているものの、幸いにも大半が流出をまのがれたという。
早急に、全国の博物館や大学施設の協力によって、貴重な標本や資料が復元・保存されることとなった。
ありがたい。
復元は、気の遠くなるような繊細な作業である。
作業に当たられた人々の情熱によって、先人の研究成果が守られたのであった。