ふくらく通信

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2011年3月11日の記憶①

2018-01-14 15:23:51 | 東北被災地の歩み:仙台

仙台駅から南へ進むと、長町駅、太子堂駅と続いている。

当時、太子堂駅のそばに住んでいた。

 

この地区は再開発地域で、周辺には空き地も多かったが、平坦で広い道路、新しいスーパーマーケットや移転再建した店が沿線にあり、大変便利であった。


3月に入ると、なぜかやたらと胸がざわつき、春だからとか、野球開幕が楽しみなせいだとか言っていた。

これが胸騒ぎというものだったとは、その時は思いもしなかった。

 

2011年3月11日も、普段と同じように一日が始まった。


晴れて暖かい午前中だったが、天気予報では午後に急転、寒くなるとの予報だった。

普段なら、思い立っても午後に買い物に行くが、何となくその日は午前中に済ませた。


掃除も洗濯も済ませ、昼からのんびりとしていた。

午後3時まであと十数分。

静かな住宅地の一軒、居間にいた自分の耳には、ブーンと妙な音が聞こえた。


トレーラーなど大型車の音が、屋内では低くブーンと伝わるが、そんな音だった。

近くで工事でも始まるのかと思いながら、窓の外を見た。

何もない。


すると、今度は背後から、台所に並ぶ瓶がカタカタと音を立てた。

あっと思った瞬間、ズシンと家中が鳴った。

いそいで居間の真ん中に座るが、地震だと気づいた時、今までにない揺れが来ていた。


起震車のような揺れ、それが現実に起こっている。

冷蔵庫と棚が、そのまま横にずれ動いていく。


長い。1分以上続くとは。

さすがに、不安や焦りを感じた。


ようやく揺れが弱まり、外を見ると周辺に火災はない。

家の中を確認する。電気とガスは止まったが、幸運にもこの地域は水道が使えた。

後で水も止まるかもしれないと、備蓄飲料水はあるが、一応、やかんと浴槽に水を溜めた。


収納の扉をそっと開けると、案の定、棚の本が扉側に寄っていて落ちてきた。直ぐに戻す。

食器棚では、扉を開けると一番軽い茶碗だけが隙間に落ちて割れていた。

片付けている最中に大きな余震で、「いつまで揺れるんだ」と思わず叫んだ。


さっさと片付け、明るいうちに必要な物を居間に運び込む。

余震の中で歌いながら、ラジオ、カセットコンロ、カンテラ、ろうそく、布団、防寒着などを用意。

非常時生活の準備をし、ひと息ついた。


お茶と菓子を口にする。これからどうなることか。頑張らねば。

この揺れ、津波、海側は大丈夫だろうか。

窓の外は、雪がちらつきはじめた。



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