(2017年7月13日:県道129号線西から港方面へ・旧消防庁舎閖上出張所手前)
ようやくここまで進んだ、閖上の再生整備。
まだ、古墳のような盛土地帯も更地もあるのだが、
空き地だらけだった場所に、集合住宅や戸建てが見えるようになった。
(閖上港付近・河川堤防上から西方向)
道路も新しくなり、以前は無かった坂道が出来ている。
これは、その坂の高さの分だけ嵩上げされたということ。
(港方面から西へ・旧消防庁舎閖上出張所の前)
ただし、女川や南三陸町と違って、商店の整備は遅い。
港周辺には、生産加工場や朝市協同組合の販売所などは既に出来ている。
(閖上港周辺)
だが、商店を営む人々は、未だに仮設の「さいかい市場」のまま。
商工会と協同組合と、同じ閖上でも組織が違うことが、足並みに影響しているようだ。
津波を目の当たりにして、命からがら逃げた住民の心中には、複雑な思いもあるが、現地再建という形で再生整備は進められてきた。
今までも、これからも、ずっと閖上で暮らす人たちは、相手を慮って言葉を飲み込み、成り行きを見守っている。
本当は、言葉を拾い上げながら、うまく仲立ちをしつつ進められるといいのだが。
それでも、いつも我々を明るく迎え入れてくれる「閖上さいかい市場」の人々。
「みんな、頑張ってくれているんだけれどね。」と、不安や焦りを引っ込めて、笑顔で温かな言葉を交わす。
まだ続く辛抱の日々。
だが、笑顔でたゆまず日々努め、生まれ変わりつつある町を見つめている。
(2017年7月13日:慰霊碑と芽生えの塔付近)