ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

足りない公益のための思慮(加計問題)

2017-11-14 11:13:29 | 雨だれ石を穿つ(意見)

選挙に勝ったら早速忖度かと、腹立たしさ、失望感を噛みしめる昨今である。


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客観的に、素朴な疑問を口に出せば、なぜ、今治市で獣医学部新設なのだろうか。

畜産農家数や家畜頭数が多いのは、北海道、九州沖縄、東北、関東。
全国比率から見て四国は少ない。(参考:農水省畜産統計調査)


本当に、より高度でより実情に応じた獣医の育成を考えるならば、畜産の課題がより切実で、畜産の盛んな場所を選定する方が良いのではないか。

 

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実際に、日本の獣医学は臨床実務教育が弱く、国際水準に達していないため、知識技能を有した人材や実践資料などを分散せずに、統合して指導するよう尽力している最中だという。


参考:日本獣医師会「国家戦略特区による獣医学部の新設に係る日本獣医師会の考え方について 」)

その考え方は理解できるし、間違っているとは思えない。

 

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また、現存する獣医師が不足しているわけではなかった。

獣医師のうち、小動物診療(いわゆる町の動物病院)に就労する人が多く、家畜診療、家畜・公衆衛生分野で不足しがちな傾向があった。


感染症が発生した時、家畜診療獣医師が不足していることが問題となったが、以降は各地で人員確保に努めている。



(参考:日本農業新聞2017年2月28日付『獣医師不足 深刻 防疫業務 増すばかり 家畜伝染病を警戒』

/朝日新聞2010年6月17日付『公務員獣医師が足りない』

/農水省H21年「公務員分野における適切な獣医療の提供体制の整備を図る上で留意すべき事項について」 その他、地方自治体の取り組み文書など)


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現状を見れば、獣医師の数が足りないのではなく、就労場所に偏重があるということ。

獣医学部を新設して人材を増やしたいという主張は当てはまらない。


さらに、国が主導して獣医学部を新設するならば、より必要性のある地域を吟味すべきだったのではないか。

 


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今治市では、獣医学部を新設したいと熱望してきた。

一方、既存の獣医学部では、知識や技能の共有をして内容の充実を図る努力をしていたため、新設はそぐわないという考えだった。


それでもなお、国が獣医学部の設置を推し進める形となった。

 

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しかも、「広域的に獣医学系大学のないこと」という「空白地域」を、後から規制条件に入れたということも報じられた。

(NHKクローズアップ現代「波紋広がる特区選定」)


そのため、今治以外に京都が採用希望で提案書を用意していたのに、選択地から外れることとなったという。

 

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こうなると、先に今治市の要望と、個人的に結びつきのある加計学園が名乗り出たため、国家戦略特区として獣医学部新設という運びになったと見える。


真に国民にとって有益な獣医学の在り方は、吟味していないように思えてならない。

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本当に、公益のために必要な獣医学部の新設を進めるのであれば、地域選定は果たしてこれで良いのだろうか。

全国から適した設置地域を選定し、打診するという手順があって然るべきではないのか。


獣医学会の取り組みを無視してまで、国益として獣医学部の新設を推し進めるのであれば、なおのことである。



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たとえばの話だが、もしも獣医学部新設に適した地域を提案するならば、福島県を推薦してもいいのではないか。


現在、復興のために尽力している福島は、家畜衛生についても力を入れている。

東北の畜産数の多さ、規模や土地の広さに対して、獣医学系大学は岩手と青森のみ。


東北での新設置となれば、家畜数が多く畜産も盛んなため、家畜診療や公衆衛生分野の実践を行うに適し、必要性も高いだろう。

 


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だが、今回の新設置は、全国的な検討がない。

そして、昨今の獣医学や獣医師の現状を、十分に理解しないままに進んでいた。

  

特区という名のもとに限定的に進め、今治市と加計学園で獣医学部新設という運びになったのは、やはり釈然としない。


公正さ、誠実さに欠けるという思いが、どうしても湧き上がってくる。

そういう国民の思いを一つも汲み取ることなく、
「正しく進めた。説明もした。」と言い張る政府に、不信感しか残らない。

 



見つければ 嬉し懐かし 郷の味

2017-11-13 15:05:40 | ゆるゆる歩き:旧跡

ずらり並んだ国中の品々。

つい探してしまうのは、ふるさとの品。

 


明治神宮にて見つけた。

献上品である。


折しもその日は、鎮座記念祭であった。(大正9年11月1日の明治神宮御鎮座の日を記念 )



東北の品を見つけては嬉しく思い、故郷の日々を懐かしく思う。

 

もちろん、他所の物にも興味を持つ。

だが、馴染みの場所や思い出の味は、真っ先に探してしまうのが人情だ。



好物の一つを見つけて立ち止まった。

相馬きゅうり漬けだ。

絶妙の味加減と歯切れ良さで、うまい。


隣で同じように見ていた女性がいたので、このきゅうり漬けは美味しいと声をかけると、彼女はとても喜んだ。

相馬の出身だという。

やはり、献上品にふるさとの味を見つけ、嬉しく思ったようだ。


中には被災地で踏ん張って作った品もある。

その味は格別にうまい。

 

 


松川浦名物の青海苔コロッケ・ほっきコロッケ:2012年5月16日の記録

2017-11-12 18:34:33 | 東北被災地の歩み:福島

相馬の「松川浦」は、青海苔やほっき貝の産地だ。

だから、「道の駅そうま」に行くと、青海苔やほっき貝を使った品が色々ある。

中でも、手軽で美味しく食べられ、手土産にもなるのが

「青のりコロッケ」

「ほっき貝コロッケ」だ。



それぞれ、香りや旨味がお芋に馴染んでいて美味しい。


ほっきコロッケは、具の中に刻んだほっきが見え、 貝のだしがしみている。    


青海苔コロッケは、色合いも香りも良い。

 

どちらも、お芋の粘りや甘味と調和し、いい味だ。


道の駅の中にある食堂で、お母さんたちが元気に働いている。

笑顔と、はりのある声で応対し、揚げたてのコロッケを手渡し、見送ってくれた。


美味しかったコロッケとともに、明るい笑顔を思い出す。

また食べたい。


相馬 松川浦の今:2012年5月16日の記録

2017-11-10 16:24:12 | 東北被災地の歩み:福島

仙台から福島の相馬へ向かう。ふと気になったのが、人通りの少ないこと。

仙台は人が多いから、その差が目に付くのは当然だが、それだけではない。


実際に、福島の人口は減っているそうだが、(福島県の人口調査より)訪れる人も少ないような気がして残念だ。

人の少なさとは反対に、震災がれきが多く積み上げられたままなのも。


松川浦は、福島の北東で宮城との県境にも近い。

石巻の万石浦も、普段は湖のように静かだが、松川浦も同じく、穏やかな海が柔らかに波を輝かせる、美しい入り江である。



そんな静かな海も、あの日は陸に乗りあがり、重くのしかかって建物を壊しながら進み、帰っていった。

今、その痕が鮮明に残っている。


海辺には、一階が空洞になっている工場や店が残っている。

転がった建造物と、下が破れた紙のようになった工場に驚きつつも、その向こうに見える松川浦大橋を眺めた。

松川浦大橋は、それは素晴らしい橋だ。

渡ると、海の中を進むみたいに爽快な気分を味わえるのだが、今は車での通行を止めている。


それでも、港には船が戻り、 海辺の旅館も修復され、再開した店もある。

地元の人々は、再びふるさとを取り戻そうと、精一杯に努力している。

訪れる人を、もてなす努力もしている。


この気持ちを、温かな思いを、汲み取れる者でありたい。

人はみな境遇が違い、同じではないが、温かな思いを分け合うことはできるのだから。


生まれ変わる被災地~山元町坂元駅~:2017年3月1日の記録

2017-11-06 18:56:22 | 東北被災地の歩み:亘理・山元

西側に移設し、高架化された常磐線。

 

坂元駅は、国道6号線近くに設置。

駅前は道路の舗装も新しく、駐輪場も整っている。

 

↓2017年3月1日の坂元駅前

 

高架下から、東側の光景が見える。

↓2017年3月1日駅から東方面

かつては、この方向、左側に見える橋より奥の海寄りに坂元駅があった。

海岸は堤防工事中で、坂元川も河岸工事の最中。

  

新しい坂元駅は、すっきりとした形。

↓2017年3月1日坂元駅

 

かつて、県道120号線を真っ直ぐ進むと、坂元駅があった。

 

↓2012年6月の県道120号線坂元停車場線にて

 

震災後、津波によって駅舎は消えていた。

↓2012年6月の坂元駅前

  

坂元駅のプラットホームに上ると、線路が途切れていた。

北側を見ると、がれきと化した町の破片の山。

 

↓2012年6月

 

南側を見ると、途切れた線路の奥に、被災した中浜小学校。

 

震災前は、温かみのある可愛らしい駅舎があった。

↓2007年11月の坂元駅

 

 

 

これからは、新しい場所の新たな駅舎、新たなプラットホームが、人々の往来を見守る。

↓2017年3月の坂元駅プラットホームにて