
長く開きました。
実は無事に24日朝、成田に着きました。
日記を書き続けようかどうか、ホントに悩みましたが
今後、初めてアフリカに行こう!と思っている人の
参考になると思ったので
書き続けます。
2月18日(木)
1時からほとんど眠れなかった。
ゴロゴロしてとにかく身体を休める。
8時に起き上がってみる。
寝転がりすぎのせいか腰が痛い
考え事ばかりで眠れなかった訳でもない。
そんな日ってありますよね。
知っている人は多いが
私の左足には大きな紅い痣が4つある
マリに来て多くのマリ人に
「それはどうした?虫に食われたのか?」
と聞かれた。
あいにくこの痣は産まれたときに
看護婦が私の足を強く握ったために出来たもの、と聞かされていた。
その痣のことを先日バガリジャンが
「本当はその痣は産まれたときに既にあって、ドリドリ(黒魔術の悪魔)から貴方を守ってるものなんだ。特別な人の証だよ」
と言った。
バガリジャンがあまりにもまじめに言うので、しかも特別な人・とか言われて少し嬉しかった。
今日は少し早めに10時にパレへ。
今日は舞踊団の稽古は休みなのだが
何故か大勢いる。
そう、今日は舞踊団のドラマーであるジェリフィリの結婚式があるのだ。
パピスレッスン。
ダンサの2回目。
今日も沢山叩いた。
また今日も真っ赤な血尿だ。
身体が水をとにかく欲しがる。
結婚式の会場へ。
バガジゴロニという、ユスフの工房の結構近く。
ユスフに送ってもらう。
ダラの音が聴こえてきた。
ダラの音は分かるようになった。
舞踊団の面々、勢ぞろいだ。
デリサが妙なネクタイをしているのが可笑しかった。
マダムは皆、超着飾っている。
ミュージシャンがとにかく豪華だ。
音楽も踊りも最高潮。
しかし暑い。
のどが渇く。
水をがぶ飲みする。
ぼーっとしてきた。
2時間くらい見て、ダラが食事してったら?と言ってくれたが
先に失礼する。
明後日帰国するMちゃんが工房を見てなかったので一緒に徒歩で工房へ。
我慢できずスーパーでコーラライトを買い、がぶ飲み。
工房ではアメリカ分の作業が相変わらずエンドレスで続く。
今日はアダマがフレッシュ山羊(絞めた山羊の皮を剥いでそのまま持ってきた、まだ温かい皮)をたくさん持ってきて、それを張っている。
生々しいがいい音がしそうだな。
水をがぶ飲みするが何故か小便が出ない。
でても真っ赤な血尿の残りがチョロチョロ。
あれ?
嫌な予感と記憶が。
あれだ。
石だ。
思えばここ数日の体調不良も睡眠不足も
1時間しか叩かないのに出る真っ赤な血尿も
石のせいだった。
だんだん右腰に鈍痛が走る。
腎臓が膨らんでいて右腰が腫れている。
タクミと一旦帰宅。
少し横になる。
夕方ネットカフェへ。
痛みが抜けない。いや、どんどん増す。
猛暑の中、ジャンプを繰り返す。
(これ結石体操って言うんですよ)
脂汗が出てきた。
帰宅後、症状は痛みのピークに。
思えば渡航前にかかりつけの医者へ行き
尿管を広げるブスコパンという薬と
発作が起きた時の座薬をもらおうと思ったけど
思っただけで実行しなかった。
そのツケ。
最近大がかりな痛みが無かったからナメてた。
意識が飛びそうなほど痛い。
一瞬、繰り上げ帰国も考える。
しかし今の状態で18時間の飛行に耐えられるわけもない。
タクミが薬を出してくれた。
今はどんな痛み止めでもいいから、この痛みから逃れたかったので
ありがたい。
数種類、タクミが処方箋を見ながら薬を確認して・・・・
あ・・・・
一種類だけ処方箋のない
見覚えのある薬があった。
ブスコパンだ。
聞けばホリサンのKちゃんが渡航前日に
味噌汁や乾きモノと一緒にくれた薬だそうだ。
なぜKちゃんがブスコパンをくれたのか
今の自分の状況からすれば神に思えた。
バガリジャン、やはり私は神に守られてました。
ブスコパンを鎮痛剤と一緒に飲む。
数分で効いてきた。
タクミがとびっきりの梅茶づけを作ってくれた。
伊勢海老味噌汁といっしょにたいらげる。
生き返った。
深夜、また激痛がぶり返したが
ブスコパンが効いたのか
2時には潮が引くように痛みが消えた。
今、19日の8時。
朝日が神々しい。
神、いや、タクミやKちゃんや心配してくれたユスフやホセ、日本で無事を祈ってくれてる家族や友人、この日記を詠んでくれてる皆さんが助けてくれたんだと思います。
慢心することなく感謝して生きよう。
実は無事に24日朝、成田に着きました。
日記を書き続けようかどうか、ホントに悩みましたが
今後、初めてアフリカに行こう!と思っている人の
参考になると思ったので
書き続けます。
2月18日(木)
1時からほとんど眠れなかった。
ゴロゴロしてとにかく身体を休める。
8時に起き上がってみる。
寝転がりすぎのせいか腰が痛い
考え事ばかりで眠れなかった訳でもない。
そんな日ってありますよね。
知っている人は多いが
私の左足には大きな紅い痣が4つある
マリに来て多くのマリ人に
「それはどうした?虫に食われたのか?」
と聞かれた。
あいにくこの痣は産まれたときに
看護婦が私の足を強く握ったために出来たもの、と聞かされていた。
その痣のことを先日バガリジャンが
「本当はその痣は産まれたときに既にあって、ドリドリ(黒魔術の悪魔)から貴方を守ってるものなんだ。特別な人の証だよ」
と言った。
バガリジャンがあまりにもまじめに言うので、しかも特別な人・とか言われて少し嬉しかった。
今日は少し早めに10時にパレへ。
今日は舞踊団の稽古は休みなのだが
何故か大勢いる。
そう、今日は舞踊団のドラマーであるジェリフィリの結婚式があるのだ。
パピスレッスン。
ダンサの2回目。
今日も沢山叩いた。
また今日も真っ赤な血尿だ。
身体が水をとにかく欲しがる。
結婚式の会場へ。
バガジゴロニという、ユスフの工房の結構近く。
ユスフに送ってもらう。
ダラの音が聴こえてきた。
ダラの音は分かるようになった。
舞踊団の面々、勢ぞろいだ。
デリサが妙なネクタイをしているのが可笑しかった。
マダムは皆、超着飾っている。
ミュージシャンがとにかく豪華だ。
音楽も踊りも最高潮。
しかし暑い。
のどが渇く。
水をがぶ飲みする。
ぼーっとしてきた。
2時間くらい見て、ダラが食事してったら?と言ってくれたが
先に失礼する。
明後日帰国するMちゃんが工房を見てなかったので一緒に徒歩で工房へ。
我慢できずスーパーでコーラライトを買い、がぶ飲み。
工房ではアメリカ分の作業が相変わらずエンドレスで続く。
今日はアダマがフレッシュ山羊(絞めた山羊の皮を剥いでそのまま持ってきた、まだ温かい皮)をたくさん持ってきて、それを張っている。
生々しいがいい音がしそうだな。
水をがぶ飲みするが何故か小便が出ない。
でても真っ赤な血尿の残りがチョロチョロ。
あれ?
嫌な予感と記憶が。
あれだ。
石だ。
思えばここ数日の体調不良も睡眠不足も
1時間しか叩かないのに出る真っ赤な血尿も
石のせいだった。
だんだん右腰に鈍痛が走る。
腎臓が膨らんでいて右腰が腫れている。
タクミと一旦帰宅。
少し横になる。
夕方ネットカフェへ。
痛みが抜けない。いや、どんどん増す。
猛暑の中、ジャンプを繰り返す。
(これ結石体操って言うんですよ)
脂汗が出てきた。
帰宅後、症状は痛みのピークに。
思えば渡航前にかかりつけの医者へ行き
尿管を広げるブスコパンという薬と
発作が起きた時の座薬をもらおうと思ったけど
思っただけで実行しなかった。
そのツケ。
最近大がかりな痛みが無かったからナメてた。
意識が飛びそうなほど痛い。
一瞬、繰り上げ帰国も考える。
しかし今の状態で18時間の飛行に耐えられるわけもない。
タクミが薬を出してくれた。
今はどんな痛み止めでもいいから、この痛みから逃れたかったので
ありがたい。
数種類、タクミが処方箋を見ながら薬を確認して・・・・
あ・・・・
一種類だけ処方箋のない
見覚えのある薬があった。
ブスコパンだ。
聞けばホリサンのKちゃんが渡航前日に
味噌汁や乾きモノと一緒にくれた薬だそうだ。
なぜKちゃんがブスコパンをくれたのか
今の自分の状況からすれば神に思えた。
バガリジャン、やはり私は神に守られてました。
ブスコパンを鎮痛剤と一緒に飲む。
数分で効いてきた。
タクミがとびっきりの梅茶づけを作ってくれた。
伊勢海老味噌汁といっしょにたいらげる。
生き返った。
深夜、また激痛がぶり返したが
ブスコパンが効いたのか
2時には潮が引くように痛みが消えた。
今、19日の8時。
朝日が神々しい。
神、いや、タクミやKちゃんや心配してくれたユスフやホセ、日本で無事を祈ってくれてる家族や友人、この日記を詠んでくれてる皆さんが助けてくれたんだと思います。
慢心することなく感謝して生きよう。
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