ドゥンドゥン馬鹿

ドゥンドゥンバ狂もそうでない人も・・・もちろんジャンベ・ジェンベにまつわる話し・・・

無言の会話(備え2)

2014年04月23日 23時39分38秒 | Weblog
ぽれぽれのティンゴと最初につながったのは、いったいいつ頃だったろうか?
忘れちゃうくらいだし、ぽれぽれ結成が2004年だからかれこれ10年前か。
「ハッチャけた奴ら」ってのが最初の印象。メンバーみんなバックパッカー出身で、演奏スタイルも妙な縛りを設けずにパワー全開!ってイメージで、その活動履歴がそのパワーを実証しています。
何と定禅寺ジャズフェスのフィナーレアクトを務めるなんぞ、凄い!

会いに行きたかったのは3年前の三島でティンゴと一緒に叩く機会を持つまで、実は一緒に叩いたことが無く、またその時もジェンベで会話をするほど叩けなかったので、今回の旅でじっくり演奏で会話がしたかったのと、彼らは東日本大震災をまさに真っ只中で体験し、被災し、そしてその中でも出前コンサートを同じ被災者に向けて演奏していったという、その「究極の状況下で火事場の馬鹿力を発揮できる奴ら」の秘密は、バックパッカーだったから・・だけではない、その秘密を感じたかったからです。

今年の3回目の3.11に際し、自らに問いかけた想い。
震災後すぐに現場に行かなかったこと・お金で解決しようとしたこと・それもメールで募金を募って、、など「どう言い訳してみても・理屈では正しかったとしても、自分の腑に落ちないそれはなんなんだろうか?」を探ろう!と3月11日14時46分に決めたのです。

迷わずティンゴに連絡して4月に会いに行きたい、そして迷惑かけちゃうかもしれないけどティンゴ達が慰問活動を通じて感じたことを実際に現場を案内してもらいながら聞かせてほしい・・・とお願いしたところ二つ返事でOKを頂きました。
ティンゴは鍼灸師でもあり柔道整復師でもありアフリカンパーッカッショニストでもあり、彼が経営するぽれぽれ治療院」は日曜がお休み、お子さんや奥さんとの貴重な休日をそんな私の勝手な想いでぶっ潰してしまうことに自ら呵責をしましたが、ここはご行為に甘えながらも土曜夜のぽれぽれ練習会で一緒に叩いた後お宅へ泊めていただき、翌日津波被害が酷かった荒浜地区や閖上地区へ車で連れてって頂くことになりました。

前置きが長くなりましたが、石巻から高速バスで仙台へ行き、土曜の診療休憩時間の15時に治療院へ伺いました。丁度1週間前に車でオカマ掘られていたのでティンゴが首肩腰を診てくれることに、ティンゴの診療は本当に的確。自分の痛い部位を確実に捉え、そこからつながってる筋をじっくりほぐしてくれました。それから何とiPadを使って筋の図解をもとに今後の痛み対策と予防法までご教授してくれました。

そのあと練習会へ。
故郷を離れ仙台で整体師の国家試験のために猛勉強して見事合格、今も開業に向けて修業の日々を送る小鉄と、山形から車をぶっ飛ばして会いに来てくれたアジキ、そして楽しいぽれぽれのメンバーと一緒に叩いたその時間は「本当にジェンベやっててよかった・・・」と思ったかけがえのない宝物のようなものでした。
まさに音と熱と笑顔でする「無言の会話」でした。

小鉄の手が早い(ジェンベね笑)のは知ってましたがティンゴもアジキもとても切れの良いジェンベを楽しそうに叩きます。りょうくんもかよさんもあゆみさんも、ポレ面はそんなティンゴたちの「スペシャルシャワー」を長きに渡り浴び続けてきた!って感じの終始笑顔あふれる練習会でした。


その後ティンゴ宅で宴会、夜行バス~石巻~ぶっ叩きで濃ゆい1日だったので私はまたまた例により深夜2時過ぎ辺りから舟漕ぎどんぶらこ!で、3時にはお開きで就寝しました。

明日は海方面です。あのヘリからの津波映像を当日フィットネスクラブで大揺れの中見ていた自分の記憶と、3年経った今の状況にどれだけの乖離があるのか>はたまた全く変わっていないのか?

映像やネットや憶測などではなく「現場で感じて腑に落ちなかった何か」を探せたらと思います。


   

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