満月と黒猫日記

わたくし黒猫ブランカのデカダン酔いしれた暮らしぶりのレポートです。白い壁に「墜天使」って書いたり書かなかったり。

『ゲド戦記』(映画)※毒あり、ネタバレあり

2006-08-31 01:52:51 | 映画

皆様ごきげんよう。健康診断を無事に終え、ワインで乾杯中の黒猫でございます。


ところで、昨日の日記にも書いたとおり、今日映画の『ゲド戦記』を観に行って参りました。

先に申しあげておきますが、今日、わたしは以下にネタバレを含め、あまりいいことを書きません。
日頃は雑記も含めてあまり否定的な内容は読み手側にとっても不快だろうし、感じ方は人それぞれだと思うので、あまり書かないようにしているんですが、今回は書きます。かなり辛い内容になります。その上かなりの長文になります。
ですので、ネタバレはイヤだとか、そんな不愉快な内容はイヤだとか長文無理という方は、ここでお引取り下さい。

念のため多めに改行して、続けます。
















内容なんですが・・・ええと。わたし、普段映画や本のレビューを書くときは、自分なりにまとめたあらすじを載せているのですが、今回自信がありません・・・一応、わたしなりに「こういう内容?」と思ったあらすじを書きますが、正確な内容は上に貼った公式サイトでご確認下さい。


エンラッドの王子アレン(声:岡田准一)は、名君の誉れ高い父王を刺し、王家に伝わる剣を持って出奔する。
逃亡中の砂漠で狼に囲まれたアレンは、偶然居合わせたハイタカと名乗る魔法使い(声:菅原文太)に助けられ、行くあてがないのなら同道しようと誘われる。ハイタカとともに大都市ホート・タウンを訪れたアレンは、奴隷狩りに追い回されていた少女テルー(声:手蔦葵)を助けるが、その自暴自棄な戦いぶりに「命を大切にしない奴なんか大嫌いだ」と詰られる。アレンは自分のあとをつけてくる不気味な影に悩まされ、投げやりになっていたのだった。その後、油断したところを報復のために戻ってきた奴隷狩りに捕らわれたアレンだったが、ハイタカに救われ、ふたりはハイタカの昔なじみだというテナー(声:風吹ジュン)の暮らす農家に身を寄せる。そこでアレンはテルーと再会し、警戒されながらも少しずつ仲良くなるが・・・?


というようなお話・・・なのかなあ?すいません、やっぱりよくわかりません。申し訳ない。

わたしは今回原作とされるアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズのガチなファンなので、ジブリによる映画化決定(ル=グウィン承認済み)→宮崎駿ではなく息子の吾朗が監督→製作中 という時点から追っていたのですが、ゲド戦記製作ブログなどを見るにつけ、大丈夫かなぁと結構不安になりつつ公開を待っていました。そして封切りの時は丁度旅行に出ていたので初日には行けず、そのあとのネットでの不評ぶりにためらって、今まで観に行けずにいたのでした。

が。

観た感想を簡潔に申しあげたい。

ル=グウィンは訴えたら勝てるんじゃないかなと思いました。
(作品のイメージを著しく低下させた上に契約不履行(駿じゃなくて吾朗だなんて聞いてなかったよ)という内容で)

それくらい酷い。

原作『ゲド戦記』、原案『シュナの旅』(※宮崎駿氏の著作。アニメージュ文庫かなんかから出てます)って何だよ。じゃあおとなしくシュナの旅の映画化しろよ。



わたしの趣味は読書で、しかも傾向がSF・ファンタジー寄りなので、今まで読んだ大好きな作品が映画化された、というケースが結構あります。そのたびに「原作と全然違う」とかブーブー言ってきましたが、今回はそんなレベルじゃない。
タイトルをゲド戦記ではなく違うものにして、ゲド戦記既読者に見せたら「名前モロゲド戦記からパクってたねー(笑)」という感想になったと思います。それくらい話が違う。

今回わたしが自分で書いたあらすじに自信がないのは、結局原作のどの時代を描いているのかわからなかったからです。いろんな時代がごちゃまぜな上、キャラクターの設定が変わりすぎていて、正直「誰だよお前」という状況です。そんな調子で原作読者を混乱させたかと思えば、原作を読んでなければ絶対にわからない台詞(例:テナーの「あのひとがアチュアンの墓所からわたしを連れ出してくれた」云々発言)を連発。一体どういう人をターゲットにしているのかさっぱりわかりません。

原作既読者ならかろうじてわかる点は、映画のみの方には「ハァ?」という感じだったと思います。全体として、とにかくストーリーが不親切すぎる。中途半端に固有名詞を出されても、原作未読者には全っ然わからないと思います。
この日記を書く前に、レビューサイトをいくつか回ったのですが、好意的な意見が本当に少なく、あーあ、といった感じでした。
ついでに言うと、映画館を出て階段を降りていた時にわたしの前を歩いていたカップルの会話がヤバかった。

男性「・・・なんか難しかったけど、面白かったね」
女性「えッ!?・・・う、うん・・・まあ・・・それなりに・・・」

カップル崩壊の予兆を目撃してしまいました(笑)。


『ゲド戦記』は、1968年に第一巻が刊行されて以来、多くの人々を魅了してきた物語です。『指輪物語』『ナルニア国ものがたり』と並んで、三大ファンタジーと言われるような作品です。作中で描かれるアースシーの世界に魅了された愛読者が世界中にいます。

そんな作品を、こんな風に捻じ曲げなければいけなかったのなら、映画化なんて要らなかった。本当に失望しました。

原作者ル=グウィン自身が、ご本人の公式サイトで遺憾の意を表明しており、映画を見せに来て「どうでした?」と訊いた吾朗監督に向かって"Yes. It is not my book. It is your movie. It is a good movie." と答えています。これはわたしの本じゃない。そう言うしかなかったのでしょう。大人の対応だと思いますが、きっとすごく失望されたと思います。

今日び、ネットやオフラインで二次創作をする方だって、原典の設定とあまりにかけ離れたことを書く場合は前もって注意書きを載せるのが普通だと思うのですが。
この場合なら、

・アレン王子はちょっと欝入ってて、ゲドが『影との戦い』で追いつ追われつした影のようなものにつきまとわれている設定です~☆
・テルーは思い切ってアレンと同じかちょっと下くらいの年頃の少女にしちゃいました☆火傷は可哀想なので軽めにしました♪
・色々説明が面倒くさい(爆)ので、すべての出来事はハブナーで起こっていることにしちゃいました☆

ぐらいは書いてくれると思いますよ、普通の同人作家は。

かくいうわたしも幻想水滸伝3の二次創作をしていますので、何というか、原作に対する真摯な姿勢というのは大事だなあと、心の底から思いました。好きが高じて二次創作をしているわたしですが、自分の妄想が入りすぎて受け手に不快な思いをさせないように、気をつけなくちゃいけないな、と、本当に思いました。そういう意味では勉強させてもらいました(笑)。


否定ばかりではアレなので、個人的によかった点。
テナーの「あのひとはアンタたちなんかには負けやしないけどね」と「あのひとに悪さする気なら承知しないよ」(うろ覚え)というような台詞。テナーのゲド大好きぶりが如実に表れていて、個人的に微笑ましかったです。

あと最後のほう、クモがテルーを連れて塔の上に逃亡するあたりの安っぽい展開は、香港伝奇アクションだよねコレと思いました。アレンはいっそ剣を前に構えてワイヤーアクション気味に跳べばいい。テルーはドラゴンに変身した時にいっそ「実はわたしはドラゴンの血を引く家系・・・」とかぶっちゃければいい。もうなんだか何でもアリな展開でした。
映像的な面から言うと、最後のほう、クモが二次形態三次形態になった時の映像は、時間がなかったのかギャグなのか手抜きなのかわかりませんでした。

結論。

レディスデーでよかった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿