7日は仕事で久々の徹夜。体調はイマイチですが何とかこなし、8日の朝に無事提出。一睡もしてなかったのでさすがに夕方くらいに少し寝てしまった。8日も遅くまで起きていて働く時間帯がだんだんおかしくなって・・・。で、9日も過ぎましたが、まだ起きていて仕事をしています。というか、仕事は楽しい。
設計の仕事をしていると時間も不規則だし、人が思うほど儲からないし、親に言わせると「自分でやるより、サラリーマンのほうが安定もしているし、そのほうがいいのと違う?」などいわれてしまいます。まあ、水商売のような感じで仕事の量にムラがあるのですが、建物が完成したときの充実感が忘れられず、細く長~くやっております。ある種のビョウキかも知れませんね~。
計画をしていて「これは いいなあ」と自分で思っても、経済的な制約や依頼主との好みの違いなどから計画が変更されたりする場合も多々あります。しかし、めげずに紙にスケッチし、これは楽しそう、これカッコいいやん、など妄想し、楽しんでしまう。だから時間がどんどん過ぎ~、効率はすごく悪い。
なかなか自分の思い通りにいかないときも多いのですが、そんなこともぐっと飲み込み仕事を進めます。それは工事が始まって完成するとそれまでの苦労はすっ飛んでしまうから。たくさんの職人が携わり、一つの建物の完成に向かって仕事を進めていき、その結晶として建物が完成する。何もない更地から、建物が姿をあらわす。この感動がいい。リフォームの場合でも内部は確実にかわる。その驚きがいい。
建物は設計図がないと建たない。どんな図面でもあれば建つ。工事は工事のプロがいるから現場ではどうにかなる。でも、その基となる設計がしっかりしていなければ、決していい建物は出来ない。いい建物が建たないといい街並みは出来ない。建物がよくないといい人生が送れない。建物の中にいる時間は非常に長い。衣食住といわれるが衣食に関してはかなり日本人は充実してきたと思う。でも住に関してはどうだろうか。もっといい空間があり、その空間を知らないだけではないだろうか。
空間に関しての価値観は人によって違うだろうが、今の世間一般の住宅よりももっと快適な住宅があるのではないか?もっと大切にできる空間をつくれるのでは?以前の日本人は「この床柱は1本○○万円もした」などと住宅の中で気に入ったものを自慢していたが、今はこの住宅が○○○○万円で出来たと安さを自慢することが多いように思う。経済に流されているのでは?。高いものがよいとは思わないが、家に自慢できるものがあれば大切に使われると思うし、長持ちする。そんな気持ちが無いから日本の住宅の平均寿命が25年なのかと思ってしまう。思い入れがある住宅ならそんな短い期間で解体できない。
愚痴っぽくなりましたが・・・。家は買うものでなく、つくるものだということを理解して欲しくって書いてみました。人の生活は同じでは ありません。だから建売やハウスメーカーの家で押し付けられた住宅で辛抱していてよいのでしょうか?もっと工夫したら良いのに~。あぁ~、今日は最後まで愚痴っぽくなってしまった~。ここまで読んでいただいた人、ごめんなさい~。