木更津で整体、カイロで肩こり、腰痛、スポーツ障害の自然療法の専門家が施術するCCRKです

【拳骨日記】カイロプラクティック・コンディショニング・ルーム・Kの日々の臨床現場を通して医療のあり方を診療日記にしました

No 295 側弯症

2006-05-12 | カイロプラクティック
昨日来た患者さん。中学1年生 主訴 側弯症のの改善。今年の中学入学後の学校での内科検診で校医から指摘された。

専門医で再検査をするように言われて整形外科を受診した。X線検査をして「21度」の側弯が認められた。その後は経過観察ということである。

お母さんいわく。「レントゲンでs時の側弯がみられ21度も曲がっているので真っすぐにしてください。」「これからひどくなるようならコルセットを着用すると言われて、何にもしてくれません。経過観察していくそうです。」

検査をする。外見上はそんな酷い側弯ではなく、簡易の計測器では正常範囲以内である。突発性側弯症の可能性は無しに等しい。機能的な側弯症である。お母さんは盛んにレントゲンの角度のを気にしており、真っすぐにしてくれと望んでいる。

ある程度は改善するがお母さんの希望に沿うような改善度は約束できない。お母さんは「側弯症」「レントゲン」が気になり他の症状には無関心である。

他の症状はアレルギー性鼻炎は小さいことから現在まで一年中あり、小児喘息、アトピー、生理の問題、頭痛、成長が遅い(年齢的にみて身長、体重)そのほかにも沢山ある。

もちろんアレルギー疾患は専門医で見てもらっているが改善しないため諦めている。側弯症も含めて体質的な問題、健康について説明する。側弯症の発症原因はいまだ不明である。機能的なものは不良姿勢説が有力だが決定的ではない。

姿勢が悪い人が必ず側弯になるかというとそういうわけでもない。短絡的な節である。「木をみて森を見ず」的な説である。骨の病的なもの意外は、骨格を変化させるのは筋肉である。筋肉の力関係である。

印肉の力関係が変化するのは筋肉を支配している神経や筋肉自体の生化学的な異常と考えることができる。「森を見て木を見る」と仮説が立てられる。「木を見て森を見ず」は結果しか診ていない。原因を見失ってしまう。

他の心身の症状と側弯の症状も同じである。風邪をひいてセキ、くしゃみ、鼻水、熱、下痢などの症状がでるのと同じである。目先の症状にとらわれていると健康になれない。

拳骨

No 294 ルーズショルダー

2006-05-11 | PCRT(心身条件反射治療)
ルーズショルダーの続き。だいぶ投げられるようになった。練習も他の部員と同じメニュウーで行っている。チームプレーに参加してサインプレー、連係プレーなど最終確認の練習である。夏に向けての仕上げの段階に入っている。

選手も焦りが見えて来る。今日の治療はCRETで感情的なエネルギーブロックを解放した。「不安」「あせり」がある。メンバーに入れるか、入れないか、夏までに間に合うのか?

この「不安」「あせり」を開放しないと直らない。ハード面はほとんど問題なし。後はソフト面である。ソフト面を残すとすぐに再発する。治療後はうそのように楽になる。

監督さんに積極的にアピールをするようにアドバイスする。監督の目に留まらない選手は使われない。遅れた分を挽回する。残りわずか、最後の夏。

拳骨

No 293 不調2

2006-05-10 | カイロプラクティック
昨日に続き不調が続いている。これもまたS社である。S社と言っても今日のS社は米国製である。

昨日のCDチェんジャーは日本国産である。CCRKの輸入製品は米国が多く、当院はアメリカアレルギーがあり米国製品は長持ちしない。故障が多い。

以前から不調だったS社のAMCTテーブルが可動時の音が大きくなってきた。以前から少しずつなっていたが最近特に大きくなってきた。

以前にもこのテーブルは故障が多く修理を何度か繰り返してきた。個人輸入のため修理は自分でやる。ここが問題である。昨日の患者さんが機械、電気の専門家で合ったのでみてもらった。

「生兵法は怪我の元」のことわざがあるがまさしく大怪我の前兆であった。修理は送られて来たパーツを交換するだけの簡単な作業である。これくらいのことであるから自動車やバイクが好きだった元少年にとっては簡単なことである。

事あるごとに修理交換をしていた。機械論的な簡便さが良い。こういうときに機械は面倒がなく機械論万歳である。人間はパーツ交換とは簡単にいかない。大きな違いである。

さて音の原因はモーターが原因かと思っていたが、今回のテーブルの音の問題は、専門家がいうことには「モーターは大丈夫です。交換した際にセンターを出しましたか?」・・はっ・・・・センター? 何のことやら。

回転したり、動きがが起こるときは必ず支点があり軸があるということである。納得。動く際に軸がずれていると問題が生じるらしい。まさに機械論的思考である。伝統的なカイロプラクティックである。

センターすなわち動きの中心を出さず適当につけたのがいけなかったらしい。有機論的な考えでは「落ちつくとこに落ちつく」生物の良いとこであるが機械に対してはそうは行かなかった。

機械に対しては機械論的思考で対処しないとだめらしい。人間とは違う。機械論をみなそう??? 今度の休日はノギスをもってセンター出しをして再調整してみる。決して人間の身体にノギスは当てない。

拳骨

No 292 不調

2006-05-09 | カイロプラクティック
最近の天候の不調には参ってしまう。平年並みの気温かと思えば今日は(9日)はかなり気温が低い。(木更津は)

今朝は暖房をつけている。暖房を入れて平年並みを維持している。患者さんも恒常性が正常な患者さんははいいが低下している患者さんはたいへんだ。外気温の変化に対応するのに一苦労である。

常に身体内部では生命時のために恒常性が機能し外部環境、体内環境に適応するメカニズムが働いている。凄いメカニズムである。日々健康な患者さんは、この対応力に何となく気がついている。

これと言って現れないが何となく気づいている。気づいている患者さんは「節制」という形で心身の健康に気遣いをしている。反対に不健康な患者さんは無頓着である。全く気づきがない。気づきがないから自分の体調の変化に気づかない。

身体が表現視して初めて気づく。「病気」「痛み」という表現である。あわてて医療機関に行く。身体が表現する前に気づくはずである。中には、気づいているが何となく無理をしてしまう。手遅れになってしまうことがある。

話しは変わるが、約半年前から当院のBGMを流しているSメーカーのCDちぇんジャーが音がでたり、でなかったりと不調であった。何となく気づいていたがなだめたり叩いたりして何とか頑張ってもらった。

昨日のは朝から機嫌が悪く叩いても反応が無い。いよいよである。ここかが機械のいいところである。代わりが効く。CDカセットで代用している。一日中同じCDを聞くのは飽きるが、何とか代役が効く。

S社のCDチェんジャーは優れものであった。6連式で取替えがなく面倒でなく横着ものの小生にはこの上ないものであった。さて、同じものが生産されていない。困った。誰か優れものの情報をください。優れものとは安くて丈夫で長持ちと言うことである。良い嫁さんもそういうものかも。

拳骨

No 291 ベイシック

2006-05-08 | セミナー
今年のGWは静岡に行ってきた。昨年も静岡にいた。昨年は静岡県警のヘリが住宅街に墜落して大騒ぎをしていた。野次馬根性が出て墜落現場を見てきた。日本の乗り物の安全崩壊の一端を垣間見た感がある。

丁度一年前である。NAETのセミナーを受講し試行錯誤しながら臨床で結果を出すため繰り返してきた。そんな中、静岡のオフィスニ勉強に行きヘリの墜落と遭遇した。早いもので一年が過ぎた。

思い起こすと一年前とは数段の進歩が感じられる。進歩しないようでは困るが一年前とは大きな違いがある。進歩してくると過去の技術の恥ずかしさがこみ上げてくるととともに患者さんには申し訳なイ気持ちもでてくる。

最初から100の治療ができるわけでないのでこればかりはいたしかない。勘弁していただくほか無い。進歩するとともにベイシックの重要性がわかってくる。ベイシックは基本という意味より「重要」という意味が強い。特に医療関係のテクニックではベイシックの重要性が高い。

治療も慣れてくるとベイシックの重要性が薄れてくる。薄れてくるというよりないがしろにする。ベイシックの部分をはしょってしまうことがある。あるいは勝手に解釈して手を抜く。治療に行き詰る。治らない。治らない。

基本に返ることである。そこで改めてベイシックの重要性が理解できる。ベテラン先生ほどベイシックを甘く見ている。大怪我をしないうちにベイシックの重要性を改めてみるべきである。

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No 290 経過報告(滲出性中耳炎)

2006-05-06 | アレルギー
以前に紹介した滲出性中耳炎の患者さん。前回来院したときに「次回専門医に行って、変化がなければアデノイドの手術をするように進められている。」と言っていたお母さん。

先週末の来院したときに訊ねた。手術の件はどうしました? 「ハイ、耳のグジュグジュが取れて乾燥した状態が続いているので、今のところは手術をしなくても大丈夫でしょう・・・といわれました。」一安心である。

お母さんいわく「できればこのまま手術をしなくてすむならさせたくない。」本音である。なぜ手術をするのかわからない。アデノイドの肥大で耳管の換気が悪くなり炎症や化膿しやすくなると言われている。まさしく結果である。

アデノイドを摘出手術をしてもアレルギー体質は変わらない。耳の症状が消えても他の症状が出る。症状は姿、形を変えて現れる。そのたびに対症療法では治らない。

患者さんの症状は、鼻炎もだいぶ治まり、それとともに耳のグジュグジュがなくなってきている。鼻炎がなくならないと耳もよくならない。鼻も耳も一緒である。ここへ来て大きな変化でてきた。先が見えてきて親子ともども明るい顔になった。

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No 289 復習

2006-05-02 | セミナー
先週末の日曜日に、先日、行われたAMCTのTrack1の復習会を行った。ベテランから初心者まで様々である。

共通して言えることは「熱心」である。これで言いと満足しない。特にベテランの先生の探究心には頭が下がる思いである。若い先生方も見習ってほしい。

テクニックの形だけならハウツウで十分であり、教科書を見れば誰でもできる。しかし、真似事では治療はできない。前回にも書いたが、ハウツウセミナーで学んだ技術はどうしてもテクニックの一人歩きをしてしまう。

今回のセミナーは受講生の拡大でカイロプラクティックの学位保持者以外の参加した。医療の価値観の相違があると主たが取り越し苦労であった。皆、熱心である。貪欲に学んでいる姿が印象的であった。

復習会にはその先生方も参加し、更にAMCTの奥深さを感じてもらった。復習会に参加された先生方の目的は資格云々を超えた「学び」という共通の目的があり、資格を超越した「治療家」としての心が感じられた。

若い先生方もベテランの先生方も世代や資格を超越し、互いに十分刺激し会うことができ、復習会の目的をはたせた。次回のセミナーTrack2までの間にコツコツと足長検査を復習してほしい。track2が楽しみである。

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no 288 テクニックの一人歩き

2006-05-01 | セミナー
国内におけ代替医療従事している先生方の治療テクニックは様々である。東洋医学や西洋医学の理学療法、カイロプラクティックのテクニック、あるいは国内に伝わる伝統的な民間療法のテクニック。

更に、各先生方のアレンジした奇妙なテクニック?(笑)。患者さんは治ればなんでもいいだろう。日本人特有の器用さで各先生方が臨床に合わせてテクニックをアレンジして、患者さんに合ったテクニックを駆使している。いいことである。

他のテクニックは知らないが、なぜか縁あってAMを広めている。今年受講生の拡大をして、業界からはご意見をいただいたようだが医療の価値観の相違である。これからも平行線のままだろう。

AMは世界的にみてもかなり普及し始め、中にはAMI公認でないセミナーや勉強会が行われている。そんなかな最近AM治療に対するクレームが入るようになった。国内はもちろん海外からもクレームが入る。

クレームの来た患者さんが受けた治療院は全て公認の治療院ではない。正式にAMのセミナーを受講したようでもいない。かといって、患者さんに「あなたの受けた治療院は正式のAM治療院ではありませんから、責任が持てません。」では患者さんが困る。

患者さんはAMを使っている先生はセミナーを受けようが受けまいが同じである。AMを使っている先生は皆一緒である。見てみぬふりはできない。適切な説明をしアドバイスをして対処している。(それ以上のことができなくてすみません。)

このような問題に共通しているのは、テクニックを捻じ曲げて使っていることである。テクニックの創始者はそのテクニックを考案開発するにはそれなりの精神や哲学が伴っている。テクニックは技術だけではない。

公認セミナーは技術の切り売りではない。必ず創始者の精神や哲学が伴ったセミナーになっている。創始者の精神や哲学も学んでほしい。一度や二度の参加で学べるものではない。問題を起す先生は一度の参加で一から十を学んだようになり、自分なりにテクニックを捻じ曲げて使う。テクニックに対する哲学が無い。

他のテクニックも同様である。本家本元が言っていないようなことまで、勝手に推測し解釈し自分で本家本元を超えたような気になっている。患者さんは「こういう治療はいいよ」と聞けば同じ治療を受けたくそのテクニックを使っている先生の治療院を選択する。

いざ行って見て治療を受けてみると名ばかりで、テクニックの真似事でやっていることと、説明することが違う。さぎみたいなものである。患者さんの体系や症状にあわせて臨機応変にあわせるのはいいが、考案した創始者の精神や哲学まで捻じ曲げて使うのはやめるべきである。患者さんの立場から言わせてもらす。

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