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ゆるキャン△の聖地を行く37 その2  下諏訪めぐり

2024年01月27日 | ゆるキャン△

 宿のグリーンサンホテルに一端入って手続きをして、部屋に荷物を置いたのち、下諏訪の見物散歩に出かけました。下諏訪の町は、諏訪大社下社の門前町として栄えた地域で、いまも江戸期の風情を残す街並みが各所に残ります。

 宿から北に進むと国道20号線に出ました。この道がかつての中山道で、諏訪大社下社秋宮への参詣道でもありました。そのまま東へ歩いて緩やかな登り坂を進み、上図の諏訪大社下社秋宮に行きました。

 

 諏訪大社は、周知のように諏訪湖の北側に下社の春宮と秋宮、南側に上社の前宮と本宮、の4つの社殿があって、これらを総称して諏訪大社と呼びますが、実質的には上社と下社は別々の神社として認識されているそうです。

 大学時代の同級生に諏訪市の人が居ました。出身校は諏訪清陵高校だったかと記憶していますが、秀才肌で非常にもの作りが上手で、マッチ棒で法隆寺五重塔を作ったり、新聞紙で東大寺大仏殿を作ったりしていました。木を削ってドイツ軍の機関銃を作り、それがあまりにも実物に見えたために間違えられて警察に呼び出された件で、学内ではかなり有名でした。
 その彼に、諏訪大社の事を聞いたら「どっちや?」と訊かれました。上か下か、というのでした。四社のうちの秋宮、と答えたら、「ああ、向こうか」という言い方をしました。彼は上諏訪の南側の飯島に家があるので、上社の氏子圏に含まれていたようで、諏訪大社といえば上社の前宮と本宮、という基本意識があったようです。それで、諏訪湖の反対側に鎮座する下社の春宮と秋宮を「ああ、向こうか」と言ったわけですが、その言葉が今も記憶に残っています。

 その彼が「ああ、向こうか」と言った下社の秋宮に、今回は参拝して明日からの聖地巡礼の交通安全と無事を祈願しました。諏訪大社の四社へは、2019年4月のゆるキャン聖地巡礼の際にひととおり回って参拝したことがあるので、今回は下社秋宮のみにとどめました。

 諏訪大社の公式サイトはこちら

 

 諏訪大社に参拝した後は、北の中山道筋にある上図の本陣岩波家に行きました。江戸期に東海道や中山道などの主要街道に配置された本陣の一つです。長野県内では現存する本陣跡の建物は二ヶ所、小県郡長和町の和田宿本陣と、諏訪市の下諏訪宿本陣、となっています。

 この下諏訪宿本陣は、江戸期より本陣問屋を務めた岩波家の邸宅であるので、観光ガイドなどでは「本陣岩波家」とされていることも多いです。

 

 本陣(ほんじん)とは、 江戸期以降の宿場町において、大名や皇族などの身分が高い者が泊まった建物を指します。一般的には参勤交代の際に大名が泊まる宿、として知られますが、実際には皇族の利用も少なくありませんでした。他に勅使、宮様、門跡そして公家、旗本や幕府役人が利用しています。

 

 玄関口には、上図の「関札」と呼ばれる大きな木の札が幾つも並べてありました。大名や公家の名前が官職名で記されており、これを玄関に掲げておくことで、誰が泊まっているのかが分かるようにしたものです。

 例えば、上図の左から2枚目の「米沢中将」は米沢藩12代藩主の上杉斉憲、5枚目の「仙台中将」は仙台藩13代藩主の伊達慶邦、7枚目の「因幡中将」は鳥取藩10代藩主の池田斉稷もしくは12代藩主の池田慶徳、と分かります。4枚目の「尾張大納言」は尾張徳川家でしょうし、8枚目の「彦根少将」は彦根藩井伊家でしょう。また6枚目の関札は皇族の伏見宮のものです。

 

 本陣の現存部分は、全体の四分の一ぐらいといい、母屋と客殿、土蔵などの建物が伝わります。上図は客殿から見た庭園です。見学客には客殿にて茶菓子がふるまわれます。

 本陣岩波家の公式サイトはこちら

 

 本陣岩波家を見学した後は、上図の「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」に行きました。中山道筋の脇道に面する「しもすわ今昔館おいでや」の中にある歴史系の資料館です。地元の国史跡「星ヶ塔黒曜石原産地遺跡」の出土品やジオラマなどを展示しています。
 「しもすわ今昔館おいでや」の公式サイトはこちら。「星ヶ塔黒曜石原産地遺跡」の紹介記事はこちら

 

 「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」の二階には、上図のように諏訪地域唯一の前方後円墳とされる青塚古墳のパネル展示もあります。建物がその青塚古墳の西隣に建てられているので、二階の窓から青塚古墳を見下ろせます。

 

 二階の窓から見下ろした青塚古墳の墳丘です。上図の左側が前方部、右側が後円部にあたり、後円部に設けられた石室の石組みが露出しています。石室に繋がる羨道(えんどう)の部分は破壊されているようです。

 

 「しもすわ今昔館おいでや」の売店にて土産物を買い、あとは中山道筋の上図の古い街並みの民家の列を見ながら宿に戻りました。宿には16時過ぎに入って、その天然温泉風呂に浸かり、しばらく休んで、18時前にすぐ近くの中華料理店「福来屋」に行って夕食をとりました。

 諏訪地域のゆるキャン聖地は、周知のように志摩リンが回った霧ヶ峰高原、高島城、片倉館が諏訪市にあり、いずれも2019年4月に回っています。
 このときは諏訪市の上諏訪駅付近のビジネスホテルに泊まりました。が、付近に食事処が殆ど無く、夕食をとるには上諏訪駅の反対側まで回り込むか、約200メートル離れた上諏訪温泉の繁華街まで行く必要があったのでした。

 そうした経験があるので、今回は周囲に食事処が幾つかある下諏訪駅近くの宿に泊まりましたが、実際に泊まってみて、なかなか便利だと思いました。下諏訪めぐりの観光コースがすぐ近くで楽しめましたし、その途中にコンビニもありますし、美味しそうな料理のお店を中山道筋に幾つか見かけました。何よりもJR下諏訪駅のすぐ向かいにあるので、ゆるキャン聖地巡りの宿としてもおすすめです。  (続く)

 

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