気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

初秋の京都御苑5 廬山寺と梨木神社

2022年04月30日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 清浄華院を辞して寺町通を南下、上図の廬山寺に立ち寄りました。この寺には藤原時代文化を勉強していた頃に三度ほど行った事があります。

 

 なぜかというと、紫式部の邸宅跡とされているからでした。源氏物語も一通り読んで当時の情勢や風俗を偲んだりしましたので、ここはある意味聖地の一つでした。ですが、確証があるわけではなく、昭和四十年(1965)に歴史学者の角田文衛さんが紫式部ゆかりの「堤邸」の跡と考証したのが契機となって今に至ります。

 「堤邸」とは、紫式部(藤原香子)の曽祖父の中納言藤原兼輔から伯父の為頼、父の為時へ伝領された邸地の名称であり、鴨川の西側の堤防の西に接して占地したことに因みます。それで藤原兼輔は「堤中納言」とも呼ばれましたが、その邸宅の位置が現在の廬山寺にあたります。発掘調査を行なっていないので、「堤邸」の遺跡は確認されていませんが、境内地の大半は宮内庁管轄の廬山寺陵墓群になっていることもあって、掘っての検証は無理だと思われます。

 

 廬山寺の大師堂です。山門を入って正面に見えるので本堂とよく間違われているそうですが、寺のルーツのひとつ與願金剛院の開基である良源つまり元三大師を本尊としてお祀りするお堂です。その右手に回ると受付があり、そこから東側の本堂へ行きます。その本堂および付属の尊牌殿は、江戸期の寛政六年(1794)に仙洞御所の一部を移築したものです。

 

 本堂入口横の歌碑と説明板です。歌碑には紫式部とその娘の大弐三位の歌が刻まれています。つまりは母娘の歌碑です。

 紫式部(藤原香子)  めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月影
 大弐三位(藤原賢子)  有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

 数年前、大弐三位を主人公にした歴史小説が二冊出たので、興味をもって図書館で借りて読んだことがあります。タイトルは「紫式部の娘。賢子がまいる!」、「紫式部の娘。賢子はとまらない!」でした。著者の篠綾子さんは独特の切り口で平安期から江戸期までの歴史小説を多く書かれており、個人的には「酔芙蓉」や「幻の神器」や「岐山の蝶」などが面白かったと記憶しています。中世戦国期の歴史に関心がある方なら、たいてい読んでいるでしょう。

 

 歌碑の前でサークルの文芸部メンバーの三人とバッタリ会いました。「星野先生じゃないですかー」と声を掛けられてやっと気付き、成り行きで少し紫式部の歌の文化的背景などを簡単に話しました。

 自身が参加するサークルを、普段は模型サークルなどと書いていますが、以前の記事にて述べたように、正確には文芸同好会のなかの模型分会という位置づけです。しかし現在では本家の文芸同好会よりも分家の模型分会のほうが倍以上の会員数を有して活動も盛んに行っているため、周囲からはほとんど模型サークルとして認識されており、それで我々もそのように呼んでいますが、本家の文芸同好会も地味ながらちゃんと活動していることは、私自身も時々古典朗読の集まりに顔を出しているので知っています。
 今回会った三人の娘さんたちは、その古典朗読の集まりの常連でした。前回の朗読会で「源氏物語」をやったそうなので、その関係で廬山寺に来ていたもののようでした。

 

 娘さんたちと別れて、廬山寺陵墓群へ寄ってみました。東に戦国末期の御土居がめぐる独特の墓地の静かな雰囲気が割と好きなので、廬山寺参拝の時は大抵この参道へも歩いています。

 

 廬山寺を辞して、すぐ西にある梨木神社に行きました。かつての三條家の邸宅跡を神社と成したところです。
 三條家は藤原北家閑院流の嫡流にあたり、公家としての家格は清華家、華族としての家格は公爵家でした。幕末期に三條實萬(さねつむ)、三條實美(さねとみ)の父子が出て維新に貢献したことから、久邇宮朝彦親王の令旨によって三條家邸宅跡にこの父子を祭神とする社殿が造営されたものです。

 

 別名を萩の宮ともいうように、一般には萩の名所として知られます。境内全域に約500株の萩が植えられており、九月中旬から下旬にかけて萩祭りがおこなわれます。今回はたまたまこの萩祭りの期間中でしたので、本来の予定にはなかったのを変更して立ち寄ってみました。

 

 びっしりと咲き広がる萩の香りに包まれて、拝殿から本殿までを回りました。

 

 実はこの梨木神社には今回初めて入りました。小学校の頃に、左翼による梨木神社の爆破事件というのがあって、それで名前をかすかに覚えている程度だったのですが、今回横を通りましたので、なんとなく寄りましたが、萩の群生の見応えはなかなかのものでした。

 

 本殿の奥には校倉の神庫が見えました。奈良では幾つかの社寺で校倉を見かけますが、京都の社寺ではあんまり見かけた記憶が無かったので、珍しいなあ、とは思いました。

 

 参道はどういうわけか、上図のようにマンション敷地になっており、建物の脇を迂回して南の表鳥居のほうに出るといった形でした。聞く所によれば、10年くらい前に、社殿の修復等の資金集めに苦慮した挙句に境内の参道を含む土地をマンション開発業者に60年の定期借地権で貸して、その賃貸料を社殿の修復費用に充てたのだそうです。それであと50年ほどは参道はマンションによって占められる、ということでした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 エレファント

2022年04月29日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.325 (商品コード35325)

  制作期間   2015年11月18日~12月18日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 黒森峰女学園チームのエレファントは、実際のドイツ軍の車輌とはかなり異なるアニメ独自の設定車輌であるため、同チームの所属車輌のなかでも製作の難度が高いほうに属する。プラッツ発の公式キット、各メーカー発の適応キットのいずれを用いても、車体各所の溶接線を全て消す、転輪ハブの改造、フェンダー前端のカット等の修正および改造の手間をともなう。
 難しく考えずにストレートに仕上げても良いが、劇中車との乖離感がどうしても出てくるので、あえてガルパン仕様に寄せて作ることをオススメしたいケースである。今回は最も組み立て易いとされるタミヤ製品を使用したが、それでも天板上のベンチレーターの向きを変えるのに苦労したりした。どちらかというと、トコトンこだわっての作り込みを楽しみたい方向きの車輌であり、劇中車の再現製作を試みることによってテクニックを磨く機会とするのも良いだろう。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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BC自由学園 オチキスH39軽戦車(フェイズエリカのこぼれ話版) 作ります!! その1

2022年04月28日 | ガルパン模型制作記

 ガルパン同人誌「フェイズエリカのこぼれ話」に登場するBC自由学園チームには、アニメ版には出ていない車種が3つ含まれます。これを順に制作して、コミック版のBC自由学園チームを模型的に楽しんでみたいと思います。

 

 前回にて、上図右のボルドーの搭乗車M5A1ゼネラル・スチュアートを作りました。今回は上図左の、ムールの搭乗車を作ってみることにしました。
 ボルドーもムールももとは「リボンの武者」に登場したのが最初だったかと思いますが、ガルパンコミックスにおいては、ひとつの作品のキャラクターが他の作品にも登場しているケースが多いので、このお二人が「フェイズエリカのこぼれ話」に出ていても何ら違和感はありません。

 

 ムールの搭乗車は、御覧のとおりオチキスH39となっています。史実での公式名称はオチキスH35で、そのエンジンを新型に換装し、武装をもとの短砲身37ミリ砲SA18から長砲身35口径37ミリ砲SA38に強化した型を便宜上「H39」と呼んだのですが、いつしかオチキスH39という呼称が公式名と誤解されて広まってしまい、未だに是正されないまま、一般的に使われているそうです。

 ですが、ガルパンではオチキスH39の名で呼ばれて描かれているので、ここでも便宜上オチキスH39と呼び、書いてゆくことにします。

 

 作中車がオチキスH39、つまりオチキスH35の新型エンジン搭載型、武装を長砲身35口径37ミリ砲SA38に強化した型であることは、上掲の「フェイズエリカのこぼれ話」中巻の「登場車輌」記事の図からも分かります。エンジンデッキ右側のグリルが横方向になっていて、主砲も長砲身35口径37ミリ戦車砲SA38になっているからです。

 

 手元には、ずっと昔にグンゼ産業が販売していたオチキスH39のドイツ軍仕様のキットがありました。キューボラをドイツ式に交換したタイプですが、キットは元のフランス軍仕様にも作れますので、フランス仕様のムール搭乗車の再現製作に問題はありませんでした。

 

 中身はこんな感じでした。妙にツルツルしたプラの材質感を一見して、これは国産品じゃないな、海外メーカー品のOEMかな、と思いました。

 

 びっくりしたのは、起動輪だけがプラパーツの他に金属パーツでも付いていたことでした。こういうのは初めて見た気がします。さらに履帯はモデルカステンの品が同梱されており、金属製の起動輪パーツもそれに付帯するものであったようです。元製品はたぶん履帯がベルト式パーツだったろうと思いますが、事情があってモデルカステンの連結式パーツに交換したのでしょう。
 ですが、連結式の履帯パーツは個人的に苦手とするところです。またコレを組むのか・・・、と夜逃げしたい衝動に駆られました。

 

 説明書を読んで、キットの元メーカー名がどこかにないかと探しましたが、見当たりませんでした。組み立てガイドの図は元の製品の図をコピーしているようでしたが、どこかで見たようなタッチの描画でした。しばらく見ていて、あれ、ソミュアS35の組み立てガイド図の雰囲気に似ているな、と思い出しました。

 

 車体パーツの底面にエレールの刻印を見つけて納得しました。そうかエレールだったのか、ソミュアS35も確かエレールの品を一個作ったなあ、と思い出しました。今回のオチキスH39もソミュアS35と同じフランスの軽戦車ですから、フランスのメーカーであるエレールがキット化しているのは当然の事でした。
 グンゼ産業は以前にエレール製品も扱って代理店としての立ち位置にあったそうですから、今回のキットは間違いなくエレールからのOEMであったわけです。

 

 エレールのキットだと分かってスッキリしたところで製作にとりかかりました。ステップ1と2は付属の兵士フィギュアの組み立てなので、ここでは飛ばしてステップ3からスタートしました。ステップ3で車体を組み立てて、ステップ4でサスペンションを組み立てます。

 

 ステップ3で組み立てる車体のパーツです。以前に作ったソミュアS35もそうでしたが、エレールのキットは車体が箱組みになります。

 

 丁寧に組み合わせましたが、昔の大らかなキットの常で、バリやズレが一部にあって削り調整、ヤスリ調整が欠かせませんでした。ピタッと合わさらないうえに、パーツとパーツの貼り合わせ位置が微妙にズレていたりするわけです。タミヤ製品と同じような気楽さは通用しないのが面白いところです。

 

 ステップ4で組み立てるサスペンションのパーツ群です。パーツ割も大まかで、モールドもやや甘いのはフランス風の愛嬌でしょうか。ここでの注意点は、転輪のパーツ175に表と裏があることでした。間違えないように表側を確認して取り付けました。

 

 組み上がりました。いかにもフランス戦車の転輪だなー、と思える独特のデザインです。以前にサークル交流仲間のモケジョさんたちがソミュアS35を作っていた際に足回りを「エスプリだよねえ」と話していたのを思い出しましたが、あれはこの独特のデザインを指して言っていたのかな、と考えました。

 エスプリとは、フランス語のespritの音写で、「精神」「知性」「才気」「機知」などの意です。美術面での「感覚」や「才覚」にも使われますが、戦車の足回りに言うなら「知性」か「感覚」だろうな、と思ったことでした。  (続く)

 

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初秋の京都御苑4 中山邸跡と清浄華院

2022年04月27日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 猿ヶ辻から東に進み、左手に見えてきた上図の門に近づきました。多くが跡地となっている公家邸宅のなかで、門と建物の一部を残す少ない例とされる中山邸跡の門です。門前の石橋もそのまま残されており、公家邸宅の門構えの一様相がよく分かります。

 

 説明板です。中山家は、藤原北家花山院家の支流のひとつで、家格は羽林家に相当します。羽林家は鎌倉時代以降の公家の家格のひとつで、摂家、清華家、大臣家の下に位置して名家と同列です。明治期の華族としての家格は侯爵であり、羽林家の中で侯爵に叙せられた家は他に四条家のみでした。
 この中山邸は、後の明治天皇である皇子祐宮(さちのみや)の生誕地として知られます。その当時の産屋が唯一の建築遺構として現存しています。

 

 その産屋の建物が、門からみて左側、邸宅敷地の西側に建っています。

 

 そして門から右側の奥には井戸が見えました。

 

 望遠モードで撮影し、井戸枠の「祐井」(さめのい)の刻字を確認しました。皇子祐宮(さちのみや)にちなんだ名称です。その井戸水を産湯として使ったといい、産屋とともに記念に残されているもののようです。

 

 中山邸跡からさらに東へ進み、上図の石薬師御門をくぐっていったん外に出ました。門前の梨木通りを南へ進み、次の辻で東に折れました。

 

 東の寺町通に出たところが、浄土宗大本山の清浄華院(しょうじょうけいん)の門前にあたります。浄土宗七大本山の一となり、その京都四ヶ本山の一に連なります。寺伝では清和天皇の勅願により円仁が創建したといいますが、存在を史料上にて確認出来るのは鎌倉期以降とされています。
 鎌倉末期の乾元二年(1302)に向阿証賢が兄弟子の専空より三条坊門高倉(現・中京区御池高倉御所八幡付近)の専修院(専修念仏院)を伽藍や本尊ごと譲り受け、これをのちに「浄華院」と改称したといいます。したがって向阿証賢を事実上の開基とする鎌倉期創建の寺、と理解するのが正しいようです。

 

 ですが、鎌倉期創建以来の建物は既になく、寺地も移転を繰り返して、豊臣政権期の京都市街地再編事業に際して現在地に落ち着いています。それで現存最古の建物は江戸期のものが知られますが、個人的には上図の立派な勅使門に興味がありましたので、ここに立ち寄ったのでした。
 勅使門は、建物自体は昭和九年(1934)の再建になりますが、江戸期以来の様式を忠実に踏襲して造られているので、一見すると江戸初期頃の古い門にみえて見応えがあります。

 

 御覧の通り、門扉に菊紋が輝きます。しかし、皇室の紋とはちょっとデザインが異なります。この寺は御所の東隣にあることで皇室の帰依をうけ、皇室の菊花紋を許されてきましたが、明治以降は皇室の権威に遠慮して菊花に葉をかけたデザインに変更しています。「葉菊紋」と呼ばれます。

 

 勅使門を見た後、総門から境内に入り、上図の本堂格の御影堂の前を通り、一礼しました。

 

 そのまま境内地の東へ行き、墓地の北の参道を進んで河原町通に東面する上図の東門を見ました。これが清浄華院における現存最古の建物です。江戸期の延宝四年(1676)の棟札が打ち付けられています。寺では裏門と呼んでいるようですが、河原町通側なので、参拝の檀徒や信者方の大半がこちらからお詣りするそうです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 70V ラング

2022年04月26日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.340 (商品コード35340)

  制作期間   2015年10月31日~11月5日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンではⅣ号駆逐戦車ラングとされて黒森峰女学園が保有する車輌は、史実ではIV号駆逐戦車の発展型であるIV号戦車70(V)ラングに該当する。Vは製造元のフォマーク社の頭文字、ラングは「長砲身型」を意味する。史実ではIV号戦車の車体に低い戦闘室をデザインしたフォマーク社製の70(V)のほかに、Ⅳ号戦車J型の車台に戦闘室を載せただけのアルケット社製の70(A)も存在したが、ガルパンの劇中車は全て70(V)である。
 プラッツ発の公式キット(下のキット一覧の1)は、ドラゴンの製品(下のキット一覧の4)を使用している。適応キットはタミヤの新旧の2製品が知られるが、劇中車に近いのは新キット(下のキット一覧の3)のほうである。旧キット(下のキット一覧の2)を用いる場合は転輪の前部2個を鋼製リムに変更するほか、数ヶ所の修正および改造が必須となる。劇中車はアニメ独自の要素が多いため、公式キットやタミヤの新キットを用いても幾つかの改造や修正が必要となる。ガルパン仕様に拘らないのも一つの方法である。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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BC自由学園 M5A1軽戦車(フェイズエリカのこぼれ話版) 作ります!! その3

2022年04月25日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では砲塔を組み立てます。作中車は機銃を外していますので、機銃のC41は付けませんが、機銃架は付いたままですので、C39は取り付けてC38はそれに差し込みます。またグローサーは未装備ですので、C20、C21、C22は不要です。
 ステップ9では上下の車体を組み合わせて砲塔をセットします。アンテナは収納事情により省き、車体前面の予備転輪C5は作中車にありませんので不要とします。

 

 ステップ8で組み立てる砲塔のパーツ群です。

 

 組み上がりました。

 

 機銃架のパーツC38は差し込みのみで可動としますので、塗装後に差し込むことにしてここでは付けませんでした。

 

 続いてハッチや砲防盾などのパーツを取り付けます。

 

 取り付け終わりました。

 

 機銃架のC38も仮組みして、全てのパーツを組み終えました。ハッチはピットマルチ使用にて開閉自在にします。

 

 最後に組み合わせる上下の車体パーツです。

 

 組み合わせて車体が仕上がりました。

 

 砲塔もセットして、塗装前の組み立てが完了しました。塗装カラーはたぶん自由フランス軍の標準色であったオリーブドラブあたりになるでしょう。同じコミック版のBC自由学園チームの同色の車輌を他にも作りますので、塗装作業はそれらの車輌キットとまとめて行う予定です。

 

 履帯はベルト式パーツでした。こんな楽なパーツを、なぜ大部分のAFVモデラーが敬遠して連結式パーツのほうを好むのか、個人的には未だに理解出来ません・・・。  (続く)

 

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初秋の京都御苑3 県井と猿ヶ辻

2022年04月24日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 西園寺邸跡からさらに通りを北上して蛤御門からの通りとの交差点にて清水谷家の椋を見た後、御所の西側築地塀に沿って宜秋門(ぎしゅうもん)の前を過ぎ、車返桜のある辻で左折して上図の中立売休憩所に寄りました。しかし、改修工事のため一部の休憩空間を除いて休館していました。その東隣では2022年5月にオープン予定の京都御苑情報館の建物が建設中でした。

 京都御苑内には、中立売休憩所と富小路休憩所の2ヶ所の休憩所があります。2022年5月からはさらに近衛邸跡休憩所と清和院休憩所の2ヶ所がオープンして休憩所が4ヶ所になりますので、それ以降にまた行こうと考えました。

 

 中立売休憩所から北に行く遊歩道を進むと、縣井(あがたい)がありました。上図はその説明板です。

 

 縣井(あがたい)の現状です。この北側に一條邸跡があり、東側には宮内庁京都事務所の大きな建物があってフェンスで囲まれていました。京都御苑は環境省の管轄ですが、京都御所や大宮御所や仙洞御所は宮内庁の管轄であるので事務所が置かれているわけです。

 

 縣井(あがたい)の井戸には安全対策のためか木の蓋がはめられてありました。その留め木が覆屋の柱の礎柱石に固定されているので、昔からこうなっていたのでしょう。

 

 縣井からさらに北へ行くと一條邸跡の西側、上図の乾御門の内側に出ました。とりあえず乾御門の外まで行って上図の画を撮影し、また中へ戻りました。

 

 乾御門から今度は東へまっすぐ進みました。御所の北側築地塀に沿って歩き、何となく通りの中央に白く浮かび上がっている自転車の轍をたどりました。

 

 御所の北側に位置する朔平門(さくへいもん)の前に来ました。平安宮内裏外郭の北正面にあった同名の御門の伝統を受け継いで禁裏の北門の位置にあります。「朔」は北を意味します。この朔平門の名は、歴史に親しむ人の間では幕末の朔平門外の変(さくへいもんがいのへん)によって有名になっています。

 朔平門外の変とは、一般的には猿ヶ辻の変(さるがつじのへん)と呼ばれます。事件の場所が朔平門外東側の猿ヶ辻であったためです。

 

 その猿ヶ辻に行きました。京都御所の築地塀の北東の角部分が、鬼門除けのために隅を作らずに築地塀を内側に折れさせてある部分を猿ヶ辻と呼びます。幕末の文久三年(1863)5月20日に攘夷を唱える公家の有力指導者であった国事参政、右近衛少将の姉小路公知(あねがこうじきんとも)が暗殺された現場ですが、当時は少し西側の朔平門寄りに位置していました。現在の猿ヶ辻は慶応二年(1866)に御所の敷地を東へ拡張した際に移されたものです。

 事件の当時、現場に残された太刀と薩摩下駄から、薩摩藩士で幕末の四大人斬りの一人と恐れられた田中新兵衛に容疑がかかりましたが、京都町奉行所に捕縛され監禁された田中新兵衛は尋問直前に自刃し、真相は闇に葬られてしまいました。本当に田中新兵衛が下手人であったのかは定かではなく、暗殺者の真偽は今なお不明なままです。

 

 説明板は猿ヶ辻の東向かいの道端に立てられています。

 

 猿ヶ辻の築地塀の内側軒下に安置して祀られる猿の木像を望遠モードで撮りました。保護用の金網に覆われているために見えにくいですが、烏帽子をかぶり御幣を担いだ姿に造られています。禁裏の鬼門を守護する日吉山王権現社(現在の日吉大社)の神使が猿であった由緒にちなむ造形です。猿ヶ辻の名称もここからきているそうです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 Ⅲ号戦車J型

2022年04月23日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-13)

  制作期間   2015年9月19日~10月5日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンにおけるⅢ号戦車J型は、黒森峰女学園の所属車輌が知られ、最終章第3話では逸見エリカ隊長が臨時に乗り換えたりして知名度が更に上がっているが、テレビシリーズでは第1話の戦車道入門ビデオに既に登場しており、他にヴァイキング水産高校も使用している。それでプラッツからは黒森峰女学園仕様(下のキット一覧の1と3と4)とヴァイキング水産高校仕様(下のキット一覧の2)の2種の公式キットが発売されている。いずれも元キットはドラゴン製品(下のキット一覧の5)である。
 それとは別にタミヤのⅢ号戦車L型を改造する方法もよく採られているが、デカールを別途準備する必要がある。最近にはライフィールドモデルより精密なフルインテリアキット(下のキット一覧の8)も出ており、選択肢が増えているが、いずれのキットを用いてもほぼストレート組みで劇中車を再現出来る。ガルパン仕様に作る場合でも改造や修正が最低限で済むため、初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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BC自由学園 M5A1軽戦車(フェイズエリカのこぼれ話版) 作ります!! その2

2022年04月22日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では、車体下部の組み立てを行ないます。足回りや背面部を組み立てます。

 

 組み立てるパーツ類です。車輪類もここでは組み付けます。転輪は全て可動にして回るようにしてありますので、サスペンションを取り付けても塗装作業には支障がありません。

 

 組み上がりました。車体底面にはモーターライズ品であったことの名残である、スイッチ用の穴とモールドが残されたままでしたが、完成すれば見えなくなる範囲ですので、このままにしておきました。

 

 

 ステップ5では車体上部を組み立てます。ステップ6では各所の部品や車外装備品を取り付けますが、サイドスカートのA1およびA22は塗装後に履帯をはめ込んでからでないと取り付けられませんので、保留にしておきます。
 ステップ7では背面の車外装備品を取り付けます。作中車はとくに実車と異なる部分が無いので、ガイドの指示通りに組み付けます。今回の車輌に限らず、全般的にコミック版に登場する作中車には、ガルパン仕様というか独自の設定があまり見られない傾向がありますので、アニメ版の劇中車よりは製作が楽だと思います。

 

 ステップ5で最初に組み付ける車体上部のパーツ3個です。

 

 組み上がりました。

 

 続けて取り付ける各所の部品です。ハンドルや車載機銃やライト、ライトガード、ホールドなどです。細かいパーツが多いので紛失しないように、綿棒ケースの蓋を流用した丸トレイに入れました。

 

 全てのパーツを取り付けました。アメリカの軽戦車は他国のよりも大柄なイメージがありますが、横幅が広いのでそう見えるのでしょうか。

 

 ステップ6とステップ7のパーツ類は、別に保管しておく左右のサイドスカート以外をまとめて切り出して準備しました。塗装段階まで保留にする車外装備品のパーツが多いので、ここで組み付けるパーツは半分近くになります。

 

 組み上がりました。7点の車外装備品のパーツは塗装後に取り付ける予定です。  (続く)

 

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初秋の京都御苑2 白雲神社と西園寺邸跡

2022年04月21日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 白雲神社は、かつてここにあった西園寺邸の邸内鎮守社で、鎌倉期の元仁元年(1224)に西園寺公経が北山第造営に際し建立した妙音堂の後身であるとされます。その後衰退しますが、江戸期の明和六年(1769)に西園寺邸とともに御苑内に移り、明治以降に西園寺家が東京に移った際にも現地に残されて今に至っています。

 

 拝殿前より、西の鳥居および西口を見ました。境内地が西面するのは、西園寺邸の鎮守だった頃からの名残で、西園寺家の最初の邸宅であった北山第西園寺旧地の方角に向けてあるからだそうです。

 

 改めて西口に行って鳥居前に正対しました。こちらが正面です。祭神の市杵島姫命は、仏教化して妙音弁財天とも称され、中世から琵琶の宗家とされた西園寺家において音楽の神として祀られてきた歴史を持ちます。本殿に安置される鎌倉期の木造弁才天坐像は、かつての北山第たる西園寺の妙音堂の旧本尊であったもので、国の重要文化財に指定されていますが、御神体として非公開であるため、一般にはあまり知られていません。

 

 鳥居横の説明板です。一部の文が風雨で薄れて読みづらくなっていました。

 

 本殿の背後に鎮座する「薬師石」と呼ばれる神体石です。いまは「御所のへそ石」などと呼ばれていますが、おそらくはかつての北山第西園寺家の敷地内にあった磐座をもってきたのではないかと思われます。
 北山第が位置した左大文字山はもとは洛北の神奈備のひとつで、古くから信仰を集めた山であり、かつては山裾に多くの磐座があったのを、西園寺家の北山第の庭園造営にて神体石を兼ねた景石として取り込んだ流れがあったといいます。いまの鹿苑寺境内地北側の安民沢(あんみんたく)が北山第の庭園の遺跡ですが、その周囲にはいまも磐座とみられる露岩が散見されます。

 

 本殿の金具にあらわされた左三つ巴の紋は、西園寺家の家紋です。西園寺家は藤原北家閑院流の一門で、支流には菊亭家、洞院家、伊予西園寺家などがあります。西園寺家の家名そのものは、4代当主の公経が北山に建立した山荘の北山第に付属した寺院の西園寺にちなみます。
 西園寺は戦国期に鞍馬口の寺町通に面した現在地に移されて今に至りますが、その本尊である鎌倉期の阿弥陀如来坐像もかつての北山第西園寺の本尊であったものです。

 

 社務所には、本殿に安置される鎌倉期の木造弁才天坐像のカラーイラストも懸けられてありました。御神体として非公開であるため、一般にはあまり知られていませんが、私自身は以前に鹿苑寺関係の調査報告書等の図版でその美しい姿を見たことがあります。まさに上図のカラーイラストの姿で、中世期の女性形彫像の遺品としては屈指の優品です。現存する二臂弁才天像としても最古の遺品です。

 

 参拝を終えて退出しました。

 

 境内地のある一帯は、かつての西園寺家の邸宅跡です。上図は跡地に立つ説明板です。

 

 西園寺邸跡のほぼ中心あたりに、上図の標柱がたてられています。西園寺家の邸宅といえば、いま京都大学の管理施設となっている、西園寺公望の京都別邸であった清風荘の建築群が挙げられます。私自身は、博物館明治村に移築保存されている旧西園寺家興津別邸も見学したことがありますので、かつて御苑内にあった西園寺邸の立派さがある程度リアルに想像出来ます。

 

 西園寺邸跡から北へ進んで次の辻にて右側、東を見ると、京都大宮御所の正門が望まれました。一般参観は行われているのかどうか知りませんでしたが、もしやっているのならば後で立ち寄ろう、と考えました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 ヤークトパンター

2022年04月20日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.203 (商品コード35203)

  制作期間   2015年6月28日~7月15日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 完成です!!

  総評・備考
 ドイツの駆逐戦車ヤークトパンターは、機関部上面のレイアウトが2種類あり、前期のG1型、後期のG2型に分かれる。黒森峰女学園チームのヤークトパンターは、3D描画のデータがパンターG型と共通するためか、戦闘室の寸法および機関部上面のレイアウト、戦闘室後部の傾斜角度などはG2型に近い。しかし装備品の状況などに前期のG1型の特徴も混在して、アニメ独自の仕様になっている。それでプラッツ発の公式キット(下のキット一覧の1)はG1型、G2型両方の要素を併せ持つドラゴンのG1型後期のキット(下のキット一覧の3)を用いているものと思われる。
 しかし、それ以上に劇中車特有の要素も少なくないため、ガルパン仕様に拘れば相当の改造や修正が必要となる。適応キットのいずれを選んでも状況はあまり変わらないため、今回製作したタミヤ製品でも幾多の改造や修正を加えてかなりの手間がかかった。それで黒森峰女学園チームの車輌のなかでは最も製作時の難度が高いとされるが、思い切ってガルパン仕様に拘らずに、好みでキットを選んでストレートに組んで雰囲気を楽しむのも良いだろう。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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BC自由学園 M5A1軽戦車(フェイズエリカのこぼれ話版) 作ります!! その1

2022年04月19日 | ガルパン模型制作記

 私のガルパン車輌プラモデル製作は、アニメシリーズの劇中車だけでなくコミック版の作中車も対象としています。既に「激闘!マジノ戦ですっ!」や「フェイズエリカ」、「リボンの武者」や「樅の木と鉄の羽の魔女」などの作品の登場車輌も幾つか作ってきています。
 他にも色々作ってみたい車輌がありますが、今回は上図の同人誌「フェイズエリカのこぼれ話」の作中車を作ってみようと思い立ちました。

 

 この「フェイズエリカのこぼれ話」は、「フェイズエリカ」を主軸と位置づけてのサイドストーリー的な存在で、主役の逸見エリカたち黒森峰女学園チームがBC自由学園チームと試合をする物語になっています。そのBC自由学園チームの登場人物群は、アニメ版のキャラクターにコミック版独自のキャラクターを合わせた豪華な顔触れとなっています。

 アニメ版のBC自由学園チームではマリー、安藤、押田の三人がメインとなりますが、「フェイズエリカのこぼれ話」では「リボンの武者」にも登場しているアスパラガス、そして上図のボルドーやムールが加わっています。それぞれの搭乗車輌を見ると、アニメ版には出ていない車種が3つあって、模型的には面白そうに思えましたので、順に作ってみることにしました。

 

 とりあえず、最初の製作対象として上図のボルドーの搭乗車である軽戦車M5A1を選びました。フランス軍テイストのBC自由学園チームにアメリカ車輌とは珍しい組み合わせのように見えますが、実際の第二次大戦期にてドイツに抵抗を続けた自由フランス軍がアメリカから供与を受けた軽戦車M5A1ゼネラル・スチュアートを多数運用していた史実に因みます。

 御覧のように、作中車はほぼ実車準拠にて描かれているようで、ガルパン仕様と目される独自の要素は見当たりませんでした。つまりは市販されている軽戦車M5A1のキットをそのまま組み立てればよく、装備品の有無などを確認して外見を合わせてゆけば作中車を再現出来ることになります。

 

 使用したキットはタミヤのMMシリーズの97番、かなり古い時期の製品です。かなり以前に中古ショップで500円で売られていたのを半ば衝動的に買っておいて押し入れにしばらく積んだままでしたが、今回ようやく役に立つことになりました。

 

 中身はこんな感じです。タミヤ製で軽戦車のキットですから、パーツ数も少なくて組み立て易そうでした。

 

 組み立てガイドの表紙は、タミヤ製品ならばでの解説文付きです。これを読んで作る車輌についての基本的な知識を得ておくと、知らないで作るのとは、製作時の楽しさが全然違います。解説文とは、キット車輌の基礎情報ですから、これがあるのと無いのとは雲泥の差がつきます。プラッツやファインモールド発のガルパン公式キット群が解説文をコミックやイラストに差し替えて情報量を最低限に下げてしまうのが、いかに得策でないかが改めて実感出来ます。

 

 ステップ1ではドライブシャフトを取り付けます。ヘッジカッターのC4はホールド部分のみを切り離して使います。ステップ2ではドライブスプロケットつまり起動輪、リヤホイルを組み立てます。ステップ3ではサスペンションを組み立てます。

 

 ステップ1の最初からガルパン仕様への改造が必要となります。作中車はヘッジカッターを装備していませんので、パーツC4の大部分が不要となります。

 

 パーツC4の大部分が不要、というのは、一部が必要であるためです。一部とは、本来ならば車体側につくホールド部分です。

 

 御覧のように、ヘッジカッターの基部のホールドも一体成型になっています。タミヤ製品にはよくあるパーツの一体化ですが、ガルパン仕様への製作においては時折支障をきたします。パーツがきちんと分割されているドラゴンなどの海外メーカーの製品がガルパン車輌の製作に適している、とよく言われるのは、こういう点からも納得出来ます。

 

 ホールド部分だけを丁寧にカットして、車体に取り付けました。ヘッジカッターを付けない通常の姿になりますから、ガルパン仕様への改造というより、ヘッジカッター未装着の状態に戻した、というのが実態に合っています。

 

 ステップ2で組み立てるドライブスプロケット、リヤホイルのパーツ群です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ3で組み立てるサスペンションのパーツ群です。これはタミヤ製品特有のパーツの少なさが有り難いです。ドラゴンなどの海外メーカーの製品ではもっと細かくパーツ割りされるので、組み立ても大変になってきます。

 

 組み上がりました。タミヤの軽戦車クラスは本当に組み立てが楽でした。  (続く)

 

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初秋の京都御苑1 再び京都御苑へ

2022年04月18日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2021年9月25日、再び京都御苑へ散策に行きました。前回2月6日は嫁さんに案内してもらって御所の初参観にも望み、なかなかに面白かったのですが、御苑が広くて全域を回れていなかったため、未訪の範囲が少なくなかったからでした。今回は嫁さんは仕事でしたので、事前に大体の情報を教えて貰ったうえで一人で出かけました。

 いつものように市営地下鉄に乗り、烏丸線の丸太町駅で降りて1番出口より上図の間ノ町口へ向かいました。

 

 間ノ町口は、地下鉄利用で南側から京都御苑に行く場合の最寄りの出入口です。御門が建つ本来の出入口ではなく、戦後の国民公園化にともなって後から追加された出入口のようですが、御苑南西隅の閑院宮邸跡や九条邸跡への最寄のアクセスルートとして便利です。

 

 前回2月6日に行った閑院宮邸跡の東門です。前回の訪問時は北側の長屋門から入って、環境省京都御苑管理事務局などの横から邸内に進んでいます。

 

 夏を経て樹木が豊かに膨らみ、邸内を緑のカラーで包んでいましたので、前回の冬の見通しの良かった景色とは趣が違いました。今回は東門外から覗き込むにとどめ、先へ急ぎました。

 

 閑院宮邸跡の北側の長屋門を見ました。この門が通常の一般見学出入口となっており、前回2月6日の訪問時にも長屋門から入りました。この建物もかつての閑院宮邸の建築群の一部であるそうですが、内部は環境省京都御苑管理事務局などのエリアになっています。京都御苑は国が設置・管理する公園のうちの、環境省が管轄する国民公園であるからです。

 

 そのまま北への通りを歩きました。京都御所の西側に向かう通りです。広い通りの中央に細い轍が細くのびています。地元では「御所の小道」や「御所の細道」または「獣道」と呼ばれる、自転車の轍です。砂利が敷き詰められた御苑内の通りは、自転車では走りにくいため、自然にこのように轍が通行ルートになったもののようです。自転車がみなそこを通るため、御苑内の通りはどこもこのように中央あたりに細い轍が通ります。ただ、御所正門前だけはこの轍がみえないそうです。禁裏の御前であるので畏れ多いからでしょうか。

 毎年1月から3月にかけて、環境省京都御苑管理事務局が通りのメンテナンスを行います。減った砂利を足し、深さを均等にするため機械でならして整備します。それによって全ての「御所の小道」や「御所の細道」または「獣道」が消えるのですが、自転車の通行は途絶えないので、その後は自然に復活するそうです。付近住民の近道の一つとして欠かせないからでしょう。

 

 左に出水の小川の跡を見、右に賀陽宮邸跡を見たところで交差点に出て、なんとなく右側、東を見ました。奥に仙洞御所の築地と正門が望まれました。この右側の通りへ少し入りまして、すぐに北側へ折れました。

 

 北側へ折れると、御覧のように小さな道があって、そのまま白雲神社の境内地の南口へと続いています。

 

 前回の京都御苑散策で未訪であった範囲の、最初の目的地がこの白雲神社でした。境内地は西面するため、正式には西から鳥居をくぐって入るのでしたが、今回の順路の関係で上図の南口から入りました。神社の裏口というか、通用口にあたるようです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 カモさんチーム 九五式小型乗用車

2022年04月17日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ピットロード 公式キット  (商品コードPD10

  制作期間   2017年11月25日~11月27日

  製作記事   その1 その2 その3 完成です!!

  総評・備考
 大洗女子学園カモさんチーム、風紀委員の三人が学園内での広報車として使用している車輌が九五式小型乗用車である。テレビシリーズではACEモデルの1/72キットの車輌がモデルとなっていて外見に相当の差異があったが、劇場版および劇場版DVDの映像特典「愛里寿・ウォー!」にてほぼ実車通りの姿に変更され、かねてから指摘されていたピットロード発の公式キットとの相違も解消された。
 キットは1/35スケールではピットロード製品が唯一であり、その製品(下のキット一覧の2)が公式キット(下のキット一覧の1)になっている。組み立て易さでは定評のあるメーカーの品であり、そのまま組み立てて劇中車を再現出来るので、初心者にもおすすめである。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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(車輌目次表紙)大洗女子学園 カメさんチーム ヘッツァー

2022年04月16日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  アカデミー  (商品コードAM13230

  制作期間   2015年10月14日~10月23日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 大洗女子学園の生徒会三役カメさんチーム搭乗車の第二形態が、駆逐戦車ヘッツァーである。その劇中車はヘッツアーの初期型、中期型、後期型のそれぞれの要素が見られるという、史実では有り得ない独自の仕様である。そのため、プラッツ発の公式キット、各メーカーからの適応キットのいずれを用いても、劇中車の完全再現に際しては改造や追加工作が必須となる。全体的に中期型の要素が多いが、防盾や誘導輪や視察装置の形状などに初期型や後期型の特徴がみられる。
 それで、今回の製作に際しては中期型と後期型のパーツが同梱されるアカデミーの製品(下のキット一覧の8)を使用して排気管のみをタミヤのパーツで補うという形をとって、製作コストをなるべく抑えた。他のキットを使用しても何らかの形でパーツの転用が必要になるため、ガルパン仕様に拘らず、好きなキットを一つ選んでストレートに組んで雰囲気を楽しむという方法もおすすめである。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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