気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

2024年大晦日の感慨

2024年12月31日 | ガールズ&パンツァー

 2024年の暦も大晦日となりました。2012年10月に「ガールズ&パンツァー」のテレビ放送を初めて観てファンになって以来、12年余りが過ぎたことになります。2016年10月に「ゆるキャン」の原作コミックを初めて読んでファンになってから、8年余りが過ぎたことになります。

 この一年も、「ゆるキャン△」がメインとなりました。合わせて17回の聖地巡礼を計画し、そのうちの9回は高崎をベースにしてアニメ4期の舞台のひとつになるであろう群馬キャンプ編のエリアを回りました。最も遠い野反湖へも到達、私自身のゆるキャン聖地巡礼で最も長距離の移動を果たしました。

 また、アニメ3期の主舞台となった大井川鐡道には4回行きました。うち2回は嫁さんの希望で井川線にも乗り、川根温泉ホテルに泊まりました。あと、西伊豆・下田へも嫁さんと行きました。以下は行った地域と月日です。

1月18日 大井川鐡道
2月10-13日 清水・富士宮・島田・川根温泉
3月7日 天竜浜名湖鉄道
4月9日 大井川鐡道
6月10-11日 高崎・榛東
6月12日 安中・碓氷峠「アプトの道」・碓氷峠鉄道文化むら
7月30-31日 大井川鐡道・川根温泉 
8月7日 西伊豆・下田
10月12日 高崎・碓氷峠鉄道文化むら・伊勢崎
10月13日 高崎・榛名湖・榛名山・伊香保温泉
10月14日 高崎・長野原・野反湖(上図)
10月15日 高崎・伊香保温泉
11月20日 高崎
11月21日 高崎・中之条・旧太子駅
11月22日 高崎・碓氷峠鉄道文化むら・軽井沢・小海線・甲府
11月23日 富士川町・大柳川渓谷・十谷温泉
12月14-15日 大井川鐡道・川根温泉

 来年もゆるキャン聖地巡礼を幾つか計画しています。群馬方面では再度「アプトの道」を歩いてみたいですし、野反湖へも高山植物の開花期の6月ぐらいに再訪してみたいです。あと、山梨方面でも未訪の聖地ポイントが幾つかあります。

 静岡方面では、志摩リンと土岐綾乃のデスロード第2弾国道152号線ルート、があります。私自身はその国道152号線ルートは10年ぐらい前に、友人と浜松から諏訪まで走った事がありますので、連載ストーリーがただ走るだけの内容になれば、聖地巡礼で再訪するまでには至らないかもしれません。これは原作の連載の進捗および内容次第になるでしょう。

 

 模型サークルの活動は、今年は議事会および月1回の定期会合と年4回の宴会、年4回の売買譲渡会があり、一昨日に忘年会も行なわれました。私も嫁さんも全ての活動日に参加していました。嫁さんが参加しているモケジョさん達のサークル仲間の展示内覧会にも作品を出展し、ガルパンプラモに関する特別講演も依頼されて三回務めました。

 ただ、二人とも鉄道模型Nゲージがメインになったため、家ではプラモを全く作らず、お互いのレイアウトのジオラマ製作に熱中し、週に三日ぐらいのペースで夕食後に二人でNゲージを楽しんでいました。

 なので、今年は嫁さんはプラモは3点しか作っておらず、私自身はガルパンプラモデルを全く作らないままに終わりました。なにしろ2022年に49点、2023年に38点を作りましたので、未製作の車輌が数えるほどになったうえ、拙ブログでの製作レポートが全然追いつかず、一年余りの遅れが出るまでになってしまいましたので、2024年度はプラモ製作は一切止めました。
 そのうえで、2023年度までに制作した分のレポートが全て終わってから、2025年度のプラモ製作を再開する予定です。

 上図は去年2023年の3月から4月にかけて、余剰キットを活用して製作したオリジナルチーム「京都・室町桜輝高校チーム」の10両のうちの5両です。2023年10月から今年2024年12月まで、モケジョさん達の6つの内覧展示会に連続して出展していたものが、去る12月8日に一年二か月ぶりに手元に戻ってきたときに記念に撮りました。この10両に関する記事もいずれ作成する予定です。

 

 今年も鉄道模型Nゲージを色々と楽しみました。嫁さんもハマっているので、二人でそれぞれの車輌を買い集め、それぞれのレイアウト計画に沿ってジオラマを少しずつ製作していきました。
 嫁さんは生まれ故郷の丹波の山陰線をモデルにしたジオラマ製作を5年計画で進めており、私のほうは去年と同様にゆるキャンに登場する鉄道路線を対象として、大井川鐡道と天竜浜名湖鉄道とJR身延線に絞り、また作中に登場する車輌や関連品などを色々と買い集め、または製作しました。
 それらの内容は下記の通りです。品名、メーカー、品番またはシリーズ名、購入か改造か製作、の順に記します。

大井川鐡道関連 
1 チキ30形ペーパーキット 甲府モデル 1-110 製作
2 シキ40形ペーパーキット 甲府モデル 1-125 製作
3 千頭駅転車台ペーパーキット 富士ドリームスタジオ 地方の転車台第4弾 購入
4 井川線DD20形機関車 アルナイン A1061 購入
5 井川線客車B アルナイン A1063 購入
6 井川線客車C アルナイン A1064 購入
7 井川線DB51形機関車 コメットモケイ CM-12 購入
8 井川駅 2023年に自作したものを修理、補完 
9 お堂ペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP03-04 購入
10 駅舎Hペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP03-65 購入
11 ホームCペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットTP03-81 購入
12 鐘楼ペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP04-39 購入
13 薬医門ペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP04-43 購入
14 祠Bペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP04-55 購入
15 自動販売機Aペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP04-63 購入
16 民家小物Bペーパーキット さんけい みにちゅあーとキットMP04-81 購入
17 駅C4 トミーテック ジオコレ022-4 購入
18 3燈式信号機 グリーンマックス 2185 購入
19 ローカル駅舎・ローカルホーム・小型車庫セット グリーンマックス 9801 購入
20 上路式単線トラス鉄橋 トミックス 3266 購入
21 C11形機関車 カトー 2002 購入
22 客車スハフ42形 カトー 5019-1 購入
23 客車オハ47形 カトー 5070 購入
24 客車オハニ36形 カトー 5077-1 購入
25 国鉄貨車チ1形 トミックス 2720 購入
26 大井川鐡道きかんしゃトーマス号 トミックス 8602 購入
27 JR12系客車(やまぐち号用レトロ風客車)セット トミックス 92391 購入

天竜浜名湖鉄道関連
1 8620形機関車(デフなし) マイクロエース A6102 購入
2 C50形機関車 カトー 201 購入
3 C58形機関車 カトー 2010 購入 
4 キハ20形(一般色) カトー 6001-1
5 キハ20形(首都圏色) カトー 6002-2
6 キハ25形(首都圏色) カトー 6002-3
7 キハ25形(一般色) カトー 6003-1
8 キハユニ26形(一般色) カトー 6006-1
9 キハユニ26形(首都圏色) カトー 6006-2
10 キハ20形(一般色) カトー 602

ゆるキャンの作中に登場する車輌
1 313系2300番台2両 カトー 10-588 購入 (コミックス第6巻30話・身延線) 
2 EF64形機関車0番台 カトー 3041 購入 (コミックス第13巻72話・駅前甚六公園)
3 C12形機関車 マイクロエース A6201 購入 (コミックス第14巻76話・韮崎藤井公園)
4 EF15形機関車 カトー 3008 購入 (コミックス第14巻76話・韮崎藤井公園)
5 211系クハ210 カトー 4151 購入 (コミックス第16巻92話・信越線横川駅)
6 211系モハ210 カトー 4153 購入 (コミックス第16巻92話・信越線横川駅)
7 211系クモハ211 カトー 4154 購入 (コミックス第16巻92話・信越線横川駅)
8 キハ111-100+キハ112-100 2両基本セット カトー 10-347 購入 (コミックス第16巻90話および第17巻98話・小海線)
9 ED42形機関車4重連セット マイクロエース A-3400 購入 (コミックス第16巻92話・横川鉄道博物館)
10 EF62形機関車 トミックス 2102 購入 (コミックス第16巻92話・横川鉄道博物館) 
11 EF63形機関車1次形セット トミックス 92167 購入 (コミックス第16巻92話・横川鉄道博物館)
12 EF63形機関車2次形哀別碓氷峠セット トミックス 92908 購入 (コミックス第16巻92話・横川鉄道博物館) 
13 EF63形機関車3次形セット青色碓氷峠セット トミックス 92128 購入 (コミックス第16巻92話・横川鉄道博物館)
14 EF65形-500機関車F形 カトー 3060-2 購入 (コミックス第16巻92話・横川鉄道博物館)
15 E257系5500番台「草津・四万/あかぎ」5両セット カトー 10-1884 (上図)(コミックス第17巻96話・吾妻線) 

(参考)嫁さんの「丹波山陰線ジオラマ化計画」関連
1 C51形機関車 マイクロエース A6601
2 C56形機関車 マイクロエース A6305
3 C57形機関車 カトー 2007
4 D51形機関車 マイクロエース A9502 
5 DF50形機関車 トミックス 2204
6 DD51形形機関車 トミックス 2207
7 DD54形機関車3次形 マイクロエース A6160
8 キハ40形-2000 カトー 6019
9 キハ47形-1000 カトー 6021
10 キハ48形-0 カトー 6022
11 キハ58形基本4両セット トミックス 92442 
12 キハ58形1100番台M トミックス 2421
13 キハ58形1100番台T トミックス 2422
14 キハ28形3000番台 トミックス 2423
15 キハ65形 トミックス 2428
16 キハ181形基本5両セット トミックス 92723 
17 117系0系近郊電車セット トミックス 98818
18 221系近郊電車基本セット トミックス 98466
19 223系近郊電車基本セット トミックス 98478
20 マニ60形客車 カトー 5020
21 貨物列車セット カトー10-209 ×2
22 カ3000形貨車 トミックス 2736
23 ツム1000形貨車  トミックス 2737
24 トラ55000形貨車3両セット カワイ KP-171 ×2
25 ワフ28000形貨車 旧トミー 09
26 ワフ35000形貨車 トミックス 2730 
27 ワム50000形貨車 トミックス 8701
28 ワラ1形貨車3両セット カワイ KP-127 ×2 


 年末年始はずっと家でゆっくり過ごします。私も嫁さんも職場の休みが12月28日からの9連休となりました。静かに過ごし、穏やかな正月をまったりと迎えつつ、のんびりとNゲージやジオラマ製作を楽しみます。
 今回も強い寒波が襲来しているようで、このところ寒さが一段と厳しくなっています。私も嫁さんも寒さに弱いので無理はせず、初詣などの外出も必要最低限にととめ、暖かくして休みます。

 それでは、皆さま、よいお年を。

 

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(車輌目次表紙)継続高校 T34-76(アリ車&レイノ車・最終章仕様)

2024年12月30日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.59 (商品コード35059)

  制作期間   2023年12月8日~12月11日

  製作記事   製作記事

  総評・備考
 第二次大戦中のソ連を代表するT34中戦車は、ガルパンにおいてもT34-76およびT34-85がプラウダ高校の中心戦力として活躍する。T34-76の劇中車は、1942年から1943年にかけて生産された「ナット」と呼ばれる六角形状の新型砲塔を使用するタイプの1943年型に該当する。「ナット」に良く似た六角形状の「フォルモチカ」と呼ばれる砲塔のタイプもあるが、劇中車の砲塔「ナット」は外周部と上面との間に継ぎ目があり、「フォルモチカ」には継ぎ目が無い。前者のキットでは砲塔と天板が別パーツになっており、後者のキットは砲塔が一体成型パーツになっているので、見分けるのは容易である。
 公式キット(下のキット一覧の1)は劇中車に形状がほぼ一致する1942年型のドラゴン製品(下のキット一覧の6)を用いており、転輪も劇中車仕様に合わせてあるので、最低限の改造でガルパンの雰囲気に仕上げることが出来る。
 適応キットも複数のメーカーから幾つか出ているが、劇中車に合わせて作る場合には砲塔形状と転輪のタイプを合わせる必要があるほか、車体各所の細かい特徴を全て合わせる作業が追加される。1943年型のキットが多く、中にはコマンダーキューボラ付きのものがあるが、これはコミック版「フェイズエリカ」に登場する継続高校チーム隊長トウコの搭乗車の型であるので、そちらの仕様で作ってみるのも面白いだろう。またAFVクラブのキット(下のキット一覧の10)はフルインテリアキットで、内部構造もすべて再現されている。
 今回の作例は最終章第4話に登場した継続高校チームの「アリぐんだん」こと3輌のT34-76のうち、アリの搭乗車(迷彩仕様)およびレイノの搭乗車を雪無しで再現したもので、仕様はプラウダ高校チームの車輌と共通である。

  公式および適応キット一覧(2024年12月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く44 その5  野反湖 富士見峠より

2024年12月29日 | ゆるキャン△

 「野反湖休憩舎」での昼食休憩は30分で切り上げました。これから野反湖ハイキングをするので時間が貴重だったからでした。外に出て、観光駐車場の向こうの車道までいったん戻りました。

 

 案内マップでは、この野反峠バス停の地点を富士見峠と記しています。富士山が遠くに望めるから富士見峠なのかな、と思いつつ地図で富士山の方角を確かめてそちらを凝視しましたが、遠景は霞んでいて近くの山並みさえも淡い影のみになっていました。

 とりあえず、この地点が今回の野反湖ハイキングの起点になりますので、時計を見て12時35分と知り、メモしました。
 アニメ4期では間違いなくここ野反湖も出ますから、その放送後には訪れるファンが増えるものと予想されます。その大半が私と同じように野反湖のハイキングを楽しむだろうと思うので、ルートの状況や所要時間を実際に見て調べて、レポートしておくのは大事だろう、と考えました。

 

 12時36分、富士見峠の石碑横から野反湖を再び眺めました。

 

 作中のカラー表紙でも同じ位置からの広域ワイドの景色が描かれます。各務原なでしこ達が立ち止まって野反湖を眺めていますが、右奥には、乗ってきたバスがまだ停車したままです。

 現実には、バスはすぐ発車して次のバス停へ行ってしまいますから、この描写は有り得ないのですが、3人がバスに乗ってきて、あの位置で降りたという流れが分かるように、あえてバスを描いているものと思われます。

 

 野反湖は、その美しい景観が自然のままに見えるので、人工湖であることが信じられないです。

 ですが、群馬県立自然史博物館の報告書「野反湖周辺(補完調査)」によれば、信濃川水系中津川の水源としてもとから存在していた野反池を、野反ダム(1956年竣工)によって嵩上げさせた人造湖であるということです。その湖面標高は1513メートル、総貯水容量は2705万立方メートル、周囲約9キロを測ります。

 もとの野反池については、前述の報告書の32ページに写真が掲載されてかつての規模が分かります。池と周囲の湿原から成っていたようで、現在の野反湖の写真と並べてあり、野反湖が野反池の約20倍ぐらいの規模になっている様子が分かります。

 

 野反湖を眺めつつ、周辺登山道を富士見峠から西へと辿り始めて、前方左寄りに大きな案内板が建つ分岐路へ向かいました。

 

 道標が立つ分岐路に着きました。左手にベンチが設けられ、登山客の方が一人地図をチェックしていました。

 

 道標の左へ進むと弁天山に行きます。

 

 その弁天山を望みました。上図の奥のピークがそれでした。

 

 道標の右へ進むと第2キャンプ場に行きます。このルートが今回選んだハイキングコースでした。第2キャンプ場とは、現在の野反湖キャンプ場のテントエリアの旧称にあたります。作中で各務原なでしこがバンガローエリアから散歩して野反湖を一望出来るベンチまで行った場所です。

 

 その第2キャンプ場つまり現在のテントエリアの方向を見ましたが、位置すら全然分かりませんでした。野反湖の北端の左側の尾根上にあるようですが、人工物が全く見えませんので、あの辺かなあ、と大まかに推測するにとどまりました。

 

 ハイキングコースの全体像を再確認すべく、案内板の地図に近寄りました。

 

 案内板の野反湖の地図です。南の富士見峠から4つのルートが出ていて、多くの登山客は左側の黒いルートをとって弁天山、エビ山に登り、キャンプ場のテントエリアへ降ります。ハイキングルートは野反湖の東西の湖畔を通っており、東の単調なコースが湖畔東岸ルート、西の折れ曲がる水際に沿ってやや迂回するコースが湖畔西岸ルートと呼ばれます。

 今回選んだのは、距離が約5キロの湖畔西岸ルートでした。聖地ポイントのテントエリアへ最短で行け、かつアップダウンが少ない平坦な道なので歩きやすいからです。
 バスの運転手さんもこのルートをすすめていましたが、その理由として、西岸に多くの淵や沢があること、湖面が西に出っ張るところを回るので景色が変化に富むこと、最も多くの高山植物がみられるルートであること、などを挙げていました。全ルートを2時間もあれば行けますよ、と話していましたので、とりあえずはテントエリアまで2時間以内で到達することにしよう、と考えました。

 作中では各務原なでしこ達が富士見峠の野反湖休憩所に行って「本日休業」だったため、次のシーンでは野反湖キャンプ場のビジターセンターに入っています。3人が富士見峠まで乗ったバスは、実際のダイヤと同じとすれば最終便でしたから、そのあとの移動は歩きしかありません。野反湖休憩所つまり実際の野反湖休憩舎から野反湖キャンプ場まではトータルで約6キロありますが、それを歩いた描写もありませんから、どうやって行ったのかは不明なままです。

 しかし、個人的には、作中ではもう1便バスがあって、3人はそのバスで富士見峠から終点の野反湖バス停まで行き、そこからダムを渡って野反湖キャンプ場に到達したのだろう、と推測します。
 なぜそのように考えるかと言うと、3人がキャンプ場の63番バンガローに入って落ち着いた後、各務原なでしこが一人でテントエリアまで散歩に出かけるのですが、そのルートが湖畔西岸ルートの一部にあたるからです。にもかかわらず、各務原なでしこはそのルートを初めて歩いたような描写になっていて、テントエリアにもその時に初めて入ったように描かれます。
 なので、3人はこの湖畔西岸ルートを歩いていないのだろう、と考えられます。山登りのルートにしても、夜にエビ山山頂のトイレまで行く描写がありますが、それも瑞浪絵真の夢の中のストーリーに過ぎませんでしたから、山登りも実際にはやっていないものと思われます。

 したがって、湖畔東岸ルートも歩いていないと推測出来ます。このルートも約4.5キロありますから、それだけ歩いていけばそれなりに疲れる筈ですが、作中では苦労もなくのんびりまったりとキャンプ場に入っている雰囲気でしたから、やはりバスで行ったのでしょう。

 それ以前に、様々な景色が楽しめる野反湖エリアの風景が、キャンプ場エリアからのアングルしか描かれていませんから、原作者のあfろ氏自身が野反湖エリアの山道を全く歩いていないのだろう、と推測出来ます。車かバイクでパパッと回ってあとは適当にストーリーを作っていると、アニメ雑誌か何かの記事で読んだのを思い出しましたが、そういうことなのかもしれません。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その4  野反峠休憩舎の「のぞりっ湖ピザ」

2024年12月28日 | ゆるキャン△

 野反峠バス停の横には、上図のように案内図板と石碑が並び、ベンチが設けられています。その一角だけが方形に舗装されていて周囲の地面より僅かに高くなっています。休憩スペースと展望スペースを兼ねているようです。

 

 右側の案内図板に近寄りました。御覧のように野反湖周辺の登山路およびハイキングコースを、季節ごとの高山植物の図版とともに紹介しています。野反湖の高山植物の開花期は6月末から7月にかけてがピークだそうで、野反湖で見られる約300種の花のうちの約80種が見られるそうです。

 私が訪れた10月14日は、秋の開花期のピークを過ぎた後で、ごく一部を残して殆どの花は枯れてしまっていました。

 

 左側の石碑に近寄りました。現地は上信越高原国立公園内にあって、林野庁の吾妻森林管理署が管理する野反自然休養林となっています。つまりは一帯は国有林であるわけです。

 現地は、群馬、長野、新潟の三県の県境付近に位置し、野反湖(群馬県吾妻郡中之条町大字入山字沼山)を囲む高沢山(標高1908メートル)、エビ山(同1744メートル)、弁天山(同1652メートル)、八間山(同1934メートル)、堂岩山(同2051メートル)は、利根川水系と信濃川水系の分水嶺となる三国山地に含まれます。野反湖の北側は新潟県との県境にあたります。

 

 石碑の横から野反湖を見ました。予想以上の景観に目を見張りました。周囲が国有林ということもあってか、建物や電柱や鉄塔などの人工物が一切無く、太古以来の地形と植生の様相が変わらずに保たれているように思えるほどの、濃密な自然度の高さでした。この種の自然風景は、生まれて初めて見た気がしました。

 見た瞬間に、これは素晴らしい、というか凄い、と感じました。研究調査や観光で全国各地を旅して様々な自然の名所や名勝を見てきましたが、野反湖のような自然度の高い風景、周囲数キロにわたって人工物が一切見当たらない景色というのは、他にまったく思い出せません。はるばると来た甲斐があった、と感動を幾重にもかみしめたことでした。

 

 間違いなく、ゆるキャンの聖地としてはトップクラスの自然風景ですね。各務原なでしこ達もこの辺りから野反湖を眺めたのですね。

 

 このシーンですね。各務原なでしこが野反湖を眺めつつ「すごい景色だねぇー」と話していますが、原作コミックにおいて各務原なでしこが「すごい景色」と形容したのは野反湖だけです。それぐらいに感動的な景色だったのでしょう。

 

 野反湖の初景色を楽しんだ後、駐車場の奥の小ピークに建つ上図の「野反湖休憩舎」に向かいました。まずはここで昼食として名物の「のぞりっ湖ピザ」をいただいて腹ごしらえする積りでした。

 

 作中では「野反湖休憩所」となっていますが、建物は隣の小屋も含めてそのまま忠実に描かれます。

 

 バスの運転手さんに教えられた通り、営業中でした。後で知ったのですが、ここのお店は不定休で、土日祝でも休むことがあり、また食事の材料が無くなり次第終了する日もあるそうです。冬季の道路閉鎖期間はもちろん休業、とのことです。

 

 作中では出入口の戸に「本日休業」の札がかかっていて、瑞浪絵真がショックを受けています。GWの連休に来てお店が休みでは、そりゃショックでしょうね。キャンプで一夜を明かした翌日は営業していたので良かったですが。

 

 玄関口に立てかけてあったメニュー一覧。一番上に、このお店の名物である二種類のピザが見えます。

 

 中に入りました。内部は販売コーナーとカフェコーナーに分かれていました。

 

 カフェのカウンター横にも、玄関口で見たのと同じようなメニュー一覧があり、こちらは品数が多くなっていました。たぶんこちらが、このお店の提供している全てのメニューなのでしょう。

 そして、左端と上端には、お馴染みの本栖高校の5人のぬいぐるみがかけてありました。お店の方がノリノリで集めたものだそうです。

 

 すでにゆるキャンの舞台になったことは御存知で、しっかりコミック第16巻の表紙と該当シーンをパネル化して紹介していました。話を聞くと、ここのピザ目的で訪れる巡礼者が春から増えてきている、との事でした。アニメ4期も確定しましたから、放送後はさらに多くのファンが訪れることでしょう。

 

 で、ビザはどちらにしようかと少し迷いましたが、ここは瑞浪絵真が食べた左の「のぞりっ湖ピザ」だろうな、と決めました。

 

 山採りのフキノトウが各所に黒っぽく見え、チーズの中にむきエビが含まれる、それはそれは美味しいピザでした。

 本来はこういう小麦を使った食べ物は、体内炎症防止のためにグルテンフリーを心掛けてね、ということで嫁さんに禁止されているのですが、今回だけは特別に許可をいただいたのでした。

 既に、大好きだったパスタやラーメンも控えて食べなくなってから1年余り、パンもフライも天婦羅も菓子類もそうですが、小麦が使われている食品は極力控えています。そのためかどうか、体重がこの1年間で7キロ減り、中性脂肪量が半分以下になりました。高めだった血圧も下がり、コレステロール値も安定しました。今年の健康診断の結果も去年の数値と比べると相当の改善となりました。もともと花粉症対策で始めたグルテンフリーなので、これからの冬から春にかけての花粉症のピーク期に耐えられれば、一定の効果はあったと言えそうですが、果たしてどうなりますか。

 

 作中ではキャンプの翌日に各務原なでしこ達もこのお店でピザを食べています。瑞浪絵真は上図右の念願の「のぞりっ湖ピザ」をチョイス、各務原なでしこが選んだ左の「六合っ子ピザ」もシェアして、両方を並べて記念撮影しています。

 良かったな、絵真ちゃん。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)ヨーグルト学園 38(t)戦車

2024年12月27日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ホビーボス (商品コード80141)

  制作期間   2023年7月28日~10月4日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考
 38(t)戦車の適応キットは各型にわたり数多くが発売されているが、ガルパンのアニメの劇中車は型式上はB型に準ずるために該当キットは無きトライスターの品(下のキット一覧の3、4)及びその再販であるホビーボスの品(下のキット一覧の14、15)に限られる。他の型のキットを使う場合は外観の改造が必須となる。
 アニメの劇中車はB型のみであるが、コミック「樅の木と鉄の羽の魔女」の作中車はA型とE型の2種類が登場する。今回の作例は前者を再現した。A型の適応キットは未だに出ていないが、B型の原形であり形状も共通するので、適応キットも前掲の品がベースとして利用出来る。ホビーボスのインテリア付き製品(下のキット一覧の15)のインテリアパーツにはA型のパーツも含まれており、それを使えばA型を再現出来るが、入手が難しいようである。
 最終章で登場したヨーグルト学園の劇中車は、大洗女子学園カメさんチームの搭乗車と仕様が同じで、型式上はB型に準じてガルパン仕様への改造や追加工作も共通する。制作にあたってはホビーボスのインテリア付き製品(下のキット一覧の15)を使用し、インテリアの再現をメインとしての製作を行なった。

  公式および適応キット一覧(2024年12月現在) 黄帯が今回の使用キット


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ゆるキャン△の聖地を行く44 その3  野反峠へ

2024年12月26日 | ゆるキャン△

 バスは、長野原草津口駅を予定通りの10時57分に発車し、新須川橋の交差点を右折し、旧太子線の廃線跡の築堤と鉄橋を左手に見つつ、国道292号線へと進みました。この国道292号線は草津温泉へと続きますので、野反湖へは途中の分岐からの国道405号線をたどります。

 

 道は上図の白砂川に沿ってくねくねと続き、右手に赤岩の養蚕集落を見、同じく右手に旧太子駅跡の入口の黒い貨車を見つつ、緩やかに登っていきました。

 乗客は私だけで、一番前の席に座っていましたから、気さくで親切な運転手さんが時々見どころを説明して下さいました。白砂川は野反湖から流れているのではなくて源流が別にあること、赤岩の養蚕集落は重伝建になっていて古い養蚕農家の建物が多い事、旧太子駅跡には、日本でそこにしかない貴重な貨車が多く保存されていること、等でした。

 

 途中で上図の道の駅のバス停に停まりました。運転手さん曰く「もとは応徳温泉という一軒宿がある場所でして、そこをこのように広げて、販売所とか食事処とか便所を揃えて道の駅に整備したところですよ」との事でした。
 この道の駅も作中に登場します。

 

 このシーンですね。道の駅の看板は同じですが、「六合」が「小雨」に変えてあります。

 

 それから分岐にて左折して国道405号線に入り、カーブが増え、坂道の上り勾配もきつくなってきました。上図は途中の花敷温泉バス停に停まる直前の橋から見た白砂川の流れです。

 

 国道405号線に入ってから、左右の道端に上図のような赤いピラミッド形の設置物をよく見かけました。作中でも斉藤恵那が見ていて「謎の赤い三角錐が」と話しています。

 

 このシーンですね。続きのコマで瑞浪絵真が防火用水の標識である旨を指摘していましたが、各務原なでしこはキャンプ場への道標だと主張していましたね。

 でも、運転手さんに訊いたところ、「防火用水の印ですけどね。このへん冬には雪が積りますんでね、積もると防火用水の場所が分からんようになりますでしょ、雪が積もっていても、万が一の時に場所が分かるように赤く塗ってあるんですね・・・、えっ、初めて見たんですか、そうですか・・・この辺りではどこでもありますけどね」と話してくれました。

 

 花敷温泉を出て白砂ダム横の橋を渡った後は、道がずっと登り坂になり、九十九折のカーブが連続で続き、視界がだんだんと広がって行って、上図のように山並みが下に見えるまでになりました。運転手さんが「もうすぐ標高1000メートルを超えますよ」と言いました。

「1000メートルを超えるんですか」
「ええ、これからもっと登りますよ。野反湖は標高1513メートルですから」
「そんなに高いんですか、それで気温が低いとか言われてるわけですね」
「ええ、今あたりですと、下は暖かいですけど野反湖まで行くとずっと寒くなりますね。春は5月から山開きですけどまだ雪は残りますし、6月になっても夕方になれば寒くなりますよ、夏でも夜は涼し過ぎるぐらいですよ」
「はあ・・・」

 

 周囲の景色も、杉林から広葉樹林に変わり、木が疎らになって地面を熊笹が覆い、標高1000メートルを過ぎてからは熊笹が千島笹に変わりました。野反湖へ近づくにつれて周囲の地形がなだらかになり、青空が広がってゆきました。

 

 12時1分、目的地の野反峠バス停で降りました。入れ替わりに3人の登山客が乗ってゆきました。

 

 野反峠バス停から北には、あおあおとした野反湖の湖面が見えていました。ついにやってきたな、と込み上げてくる深い感動をかみしめました。京都からは550キロあまり、本当に遠い、とても遠い、最長距離を測るゆるキャン聖地でした。

 

 バス停から西には、観光駐車場があり、その奥に「野反峠休憩舎・花の駅」の建物が見えました。作中のアングルそのままでした。

 

 このシーンです。「そして約一時間後」とありますが、その通り、長野原草津口駅からバスに乗って1時間3分かかりました。つまり、各務原なでしこ達は、長野原草津口駅でバスに乗ってここで降りるまで、どこにも立ち寄っていないことが分かります。

 なので、この聖地巡礼の後で公開された連載最新の第98話にて、瑞浪絵真がスマホにて旧太子駅跡に立ち寄った際の写真を見ている場面を見てびっくりしました。
 あれ、旧太子駅跡に立ち寄ってるじゃないか、上図の「約1時間後」と矛盾してるじゃないか、と思いました。現実のバスのダイヤでは旧太子駅跡に立ち寄ることが不可能であることを運転手さんにも確認したばかりでしたので、また原作者あfろ氏ならばでの適当なストーリー展開になってるな、と思いました。

 ゆるキャンの第1話から見ていていつも感じるのですが、キャンプに向かう道中などの描写が最低限で、どこへ行くにも途中の行程や経路をほとんど描写しないケースが普通であるため、実際に聖地巡礼で行くと道中の長さに驚かされたり、山道の険しさにビビらされたり、作中にないポイントに出くわして混乱してしまうことが多いです。四尾連湖しかり、赤沢宿しかり、早川奈良田しかり、高ボッチ高原しかり、畑薙大吊橋しかりでしたが、今回の野反湖はさらに斜め上を行ってるな、と感じました。

 おそらく、旧太子駅跡に立ち寄った云々は、実際のバスのダイヤでは行きでも帰りでも立ち寄るのが不可能であるため、後から思いついて適当に追加されたストーリーかもしれません。
 原作者あfろ氏自身はツーリングが趣味だそうで、だいたいの取材はバイクか車で行くそうですので、野反湖へもバイクか車で行ったものと思われます。バイクか車であれば、野反湖への途中に旧太子駅跡に立ち寄ることは簡単だからです。 (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その2  長野原草津口駅にて

2024年12月25日 | ゆるキャン△

 長野原草津口駅の続きです。10時23分、バスターミナルに上図のJR関東の大型観光バスが停まりました。あれが草津温泉行きの連絡バスだな、と見ているとアナウンスが流れ、駅の休憩ルームから観光客の群れがぞろぞろ出てきてバスに乗り込んでゆきました。

 

 草津温泉行きのバスが走り去った後は、広い駅とバスターミナルに私だけが取り残されました。あれ、今日は祝日(スポーツの日)なのに野反湖へ向かうのは自分だけか、と少し驚きました。人気の観光地だと聞いていたので、もっと人数が居るかな、と思っていたからです。
 とりあえず、野反湖行きのバスが出る上図の5番乗り場に行ってみました。

 

 野反湖方面の路線バスの時刻表です。御覧のように1日に4便しかありません。この日は祝日なので、7時55分発の便は運休になります。最終便の17時5分発は花敷温泉までで野反湖へは行きませんので、この日のように土日祝に行く場合、10時57分発と14時3分発の2便しかありません。

 前夜に渋川の友人Mと電話で相談した際に「野反湖へのバスは実質2便しかないんだ、帰りも2便だからさ、時刻には絶対に気をつけろ、山の上へ行くんで1時間40分もかかるんで、乗り遅れたら遭難だぞ」と言われ、そんな大袈裟な、と思ったのですが、時刻表を見て決して大袈裟でないことに気付きました。Mはこうも話しました。

「明日行くんだろ?明日は祝日だから午前の1便、午後の1便しかないよ。午前の1便に乗って野反湖をハイキングして午後の1便の折り返しに乗るしかないよ。タクシーも来ないから、午後の1便の折り返しに絶対に乗らないといけんぞ」
「午前に1便しか無いということは、途中で降りて重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の赤岩集落とかを見るってのも無理なのか」
「ああ、残念だが無理だ。本当はさ、星野には赤岩養蚕集落や旧太子駅のほうを見てもらいたいんだけどなあ」
「また機会があればそっちへ行くよ」

 Mが言った「午後の1便の折り返し」とは、終点の野反湖バス停を15時39分に出る最終便のことです。これから乗るバスが10時57分発、目的地の野反峠に着くのが12時ジャストですから、瑞浪絵真推しのピザを食べて、野反湖畔を野反湖キャンプ場まで歩いて、キャンプ場を見学して、野反湖ダムを経て野反湖バス停へ行くまでの持ち時間が3時間39分であることを意味します。

 そしてこのときの私は、その予定コースを果たして3時間39分で回れるのかどうかが、心配で不安でした。Mは「まあ大丈夫だろ、俺が昔に歩いた時は3時間ぐらいで行けたし」と話していましたが、それは別のコースだったそうですから、参考にはなりませんでした。聖地スポットも探さないといけないし、撮影もやらなきゃいけないし、時間が足りるかなあ、という不安は依然として拭えませんでした。

 

 バスの時間までまだ間があるので、駅前の交差点のところまで行ってみました。草津温泉からの連絡バスがもう1台駅前に着いたのを見て、これは作中と同じ景色が撮れるかな、と気付いて聖地ポイントを探しました。上図のアングルでした。

 

 2分後に草津温泉行きのバスが発車して交差点の信号で停まりました。チャンスは今だ、とデジカメを構えて撮りました。

 

 この作中シーンを撮ったのでした。作中のバスは草津温泉行きではなくて野反湖行きのバスでしたが、同じバスをこのアングルで撮ることは今回は絶対に無理なのでした。

 ちなみに、作中では各務原なでしこ達が特急で長野原草津口駅に着いてすぐ、バス停に待機していた野反湖行きのバスに飛び乗っています。それで各務原なでしこが「間に合ったぁ」と話していますが、現実には特急「草津・四万」の到着時刻と野反湖行きバスの出発時刻は繋がっておらず、普通列車からの乗り継ぎでも約40分ほどの待ち時間があります。

 念のため、鉄道やバスのダイヤの変更が最近にあったかどうかを駅で問い合わせましたが、ここ数年は変わっていないとの事でしたから、作中での各務原なでしこ達の特急列車からバスへの乗り継ぎの場面は、完全な創作であることが分かります。

 さらに、前述したように野反湖へ土日祝に行く場合、10時57分発と14時3分発の2便しかありません。作中では各務原なでしこ達もGWの連休中に行っていますから、今回の私と同じバスのダイヤだった筈です。3人は高崎駅を昼過ぎに出て長野原草津口駅に着いていますから、バスは午後の14時3分発しかありません。それに乗って野反湖を望む高台の野反峠まで行っているわけですが、今回の聖地巡礼の時点でCOMIC FUZでの原作の連載の最新話は97話で、その描写では長野原草津口駅からずっとバスに乗っているような感じでした。

 それで、今回は私も野反峠まで乗る積りでいたのですが、そのときは、まさか98話で3人が途中の旧太子駅跡に立ち寄った際の写真が描かれるとは思いもしませんでした。

 しかし、現実のバスのダイヤでは、途中で降りてどこかへ立ち寄る事は不可能であり、旧太子駅跡に行きたくても無理なのでした。それで旧太子駅跡は次回の機会に回したわけですが、いずれにせよ、作中での3人の行動をそのまま同じ条件下で追体験することは不可能です。このあたりにも、原作者のあfろ氏がかなりの創作をまじえてストーリーを作っていることが伺えます。

 

 聖地スポットを撮った後は駅へ引き返し、上図の時計台を撮りました。

 

 記念の自撮り。時計台の左向こうに見える高い連絡橋は、駅の北の高台の集落と駅とを結んでいるそうです。

 

 バスターミナルの5番乗り場に戻って待つこと7分、10時42分にバスがやってきました。このアングルも作中に出ていますので忘れずに撮りました。

 

 このシーンですね。バスの車輌も全く同じでした。この野反湖への路線は正式には「六合(くに)地区路線」といい、地元の中之条町が業者に運行委託しているバス路線で、請負事業者はローズクイーン交通さんでした。

 

 バスの背面に路線の案内表示が付いています。野反湖行きのバスだと分かります。

 

 この時乗ったのは私だけでしたので、運転手さんが「野反湖ですか?」と訊いてきました。そうだと答えましたら、上図の野反湖案内ガイドをくださいました。

「野反湖のどちらまで乗られますか?」
「野反峠までです」
「お帰りは?」
「終点の野反湖から乗ります。15時39分発ですよね?」
「ええ、そうです」

 

 野反湖案内ガイドを開くと、上図のハイキングマップがありました。野反湖周辺の登山道やハイキングコースの全てが網羅され、所要時間まで明記されているのが、私にとっては大変に有り難いことでした。

 親切な運転手さんが「ハイキングされるのでしたら、湖畔の西側を回るコースがおすすめですよ」とそのルートを指でなぞって示して下さいました。そのルートが、まさに私の予定していたルートでしたので、思わず「その全部を歩いたらどのくらいの時間がかかりますかね?」と訊き返しました。運転手さんは少し考えて、答えました。

「地図では1時間40分とありますがね、少なくとも2時間はかかりますかね」
「2時間で行けますか」

 やった、と思いました。予定ルートのほぼ9割を2時間で行けるのであれば、あとの1時間39分を見学や撮影や休憩に回せる、余裕かもしれん、と考えて、先ほどまでの不安が薄らぎました。私の歩速は一般の方よりは速いし、山道は歩き慣れていますから、地図に示される1時間40分でもいけるかもしれないな、と前向きに考えました。

 

 野反湖案内ガイドには、上図のように野反峠(富士見峠)にある「野反湖休憩舎」の案内もありました。これから向かうのがこの「野反湖休憩舎」で、瑞浪絵真推しの名物ピザもそこでいただけます。

 運転手さんに営業日を訊いたら「ああ、今日はやってますよ」と言いましたので、再び、やった、と思いました。作中の瑞浪絵真と同じように「本日休業」にショックを受けることは無くなったわけでした。

 

 さらに、終点の「野反湖」バス停の横にある「野反湖展望台案内所」の案内もありました。時間があれば立ち寄ろう、と思いつつ、運転手さんに営業しているかどうかを訊ねたところ、「ああ、そこはちょっと前に閉鎖になってしまいましてね、案内所のほうもキャンプ場のビジターセンターのほうに移されたんですよ」と教えられました。

 それで現在は展望所のみが残っているということでした。
 そうなると、これから行く野反湖でのハイキングにて休憩地点を探すとしたら、「野反湖休憩舎」、各務原なでしこが散歩に行ったキャンプサイトのベンチ、キャンプ場のビジターセンターの3ヶ所、ということになるか、と考えました。計画表を取り出して赤ボールペンで休憩予定の地点をその3ヶ所に設定してマーキングしておきました。  (続く)

 

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継続高校 T34-76(アリ車&レイノ車・最終章仕様)を作りました

2024年12月24日 | ガルパン模型制作記

 ガルパン最終章第4話の劇場での初視聴にて印象に残ったもののひとつに、序盤の包囲戦にて継続高校チームのアキが示した上図の手描きの対陣配置図がありました。試合中に砲撃もこなしつつ短時間でよくここまで描けたな、と驚きましたが、それ以上に継続高校チームの布陣の様子が初めて分かったことが感動的でありました。

 この時点でヨウコのⅢ号突撃砲が隠密行動を取っていて除外されますから、図に示される8輌と合わせて9輌が、この時の継続高校チームの全兵力であるのか、と思いました。
 ということは、試合開始時の15輌のうちの6輌もが、既に撃破されていたのか、と悟りました。視聴した限りでは凍った川付近での交戦で1輌、雪だるまからの奇襲時に応戦されて2輌、五十鈴華の芸術的な射撃で2輌、の計5輌ぐらいか、と数えていたからです。

 そして対陣配置図の右には「うちらとタミたち」とあって、これはBT-42と随伴のT-26の部隊だと分かりました。反対側の「シープがーるず」はリーゼントの連中か、シープって何だろう、図の描き方からしても戦車はKV-1だろうな、と考えました。

 

 そして下の「アリぐんだん」には、アリって子が居るのかと察し、おそらくアリがリーダーの小隊だろうな、と思いました。直前の序盤戦にてBT-42以下の本隊と連携していたT34/76が少なくとも2輌視認出来ていましたので、おそらく「アリぐんだん」とはT34/76で編成された小隊なのだろう、T34/76はもう1輌いて、この3輌になっているのだろう、と察しました。

 

 その推測は、上図のスキージャンプ台とみられる施設での対峙シーンにて間違っていなかったことが分かりました。御覧のように3輌のT34/76が横一列の隊形を組んで大洗女子学園チームに砲口を向けていました。中央の1輌が迷彩で目立つので、これがリーダーのアリの搭乗車だろう、と察しました。

 

 その後の急斜面の直滑降シーンでアリが登場し、上図の迷彩のT34/76がアリの搭乗車だと確認出来ました。

 

 冬季ホワイトカラーの2輌のうちの上図の1輌は、スキージャンプ台とみられる施設での対戦にて大洗女子学園のポルシェティーガーやマークⅣの降下時の足場にされて押しつぶされ、次いで砲撃を受けて無力化されました。

 この車輌の車輪は、よく見ますとホワイトではなく、ブラウン系のカラーで塗られているのが分かります。大半に雪がこびりついているので見えにくいですが、公式設定資料図でもブラウン系の色が確かめられます。

 

 それで、残った1輌がアリの搭乗車と共に急斜面の直滑降シーンまで行動し、車長のレイノも登場してその搭乗車と確認出来ましたが、その後のマークⅣとの格闘戦で撃破され、戦列より除けられました。

 このT34/76の迷彩とホワイトの2輌を、手持ちのジャンクパーツで作れそうだな、と思いついたのは11月半ばのことでした。

 

 手元には、タミヤのT34/76やT34/85のキットでプラウダ高校チームの所属車などを製作した際に、部品取り用として使った同型車キットの残りパーツ類が車体2輌分、転輪なども劇中車と同じディスクタイプのものが1輌分、細かいパーツに至っては4輌分ぐらい貯まっていました。

 しかし、六角形の砲塔や履帯などは転用して無くなっていましたので、これだけではパーツ不足で製作には進めませんでした。その数日後にたまたまサークルでの売買譲渡会がありましたが、そこでも目指すパーツ類は見つかりませんでした。

 

 それで、不足している六角形の砲塔や履帯、転輪の一部をタミヤカスタマーに注文して取り寄せました。上図のパーツ類が届いたのは12月7日のことでした。その翌日から2輌まとめての製作に取り掛かりました。

 

 組み立ては2日で完了し、2輌のT34/76が上図のように仕上がりました。

 

 塗装も2輌まとめて行ない、ホワイトで吹き付けて塗りました。

 

 片方を迷彩とすべく、上図のミスターカラーの43番のウッドブラウン、それから136番のロシアングリーン2で筆塗りにて塗装しました。

 

 迷彩が仕上がった状態です。劇中では転輪や履帯に雪がこびりついていますが、それらの雪を取り払った状態にて再現しました。転輪の迷彩は、雪で隠れている部分もあったために明確には分からず、推測で仕上げました。

 

 「アリぐんだん」のリーダー、アリの搭乗車の勇姿です。

 

 レイノの搭乗車のほうは、車体はホワイトですが、車輪は前述したようにブラウン系のカラーになっています。劇中で車輪にこびりついた雪を取り払った状態にして、43番のウッドブラウンで塗りました。

 塗りつつも、継続高校チームの車輌にブラウン系のカラーというのは今回のT34/76が初めてだなあ、と気付きました。おそらく、車輪もホワイトのままにすると、プラウダ高校チームの所属車と変わらなくなってしまうため、差別化の意味でこちらの車輪を別のカラーでまとめたものと推測されます。

 

 「アリぐんだん」の1輌、レイノの搭乗車の勇姿です。

 

 以上で、継続高校チームの「アリぐんだん」のT34/76の2輌、アリ搭乗車およびレイノ搭乗車が完成しました。製作日数は、2023年12月8日から12月11日までの4日でした。組み立てに2日、塗装および塗装後の組み立てに2日かかりました。

 今回はタミヤのミリタリーミニチュアNo.59のキットの余剰パーツ類の活用も兼ねて、T34/76の2輌を一気に仕上げました。仕様はプラウダ高校チームの所属車と共通ですので、詳しい製作手順およびガルパン仕様への工作に関しては製作記の「プラウダ高校T34-76(1号車)」の項を参照いただければ、と存じます。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その1  長野原草津口へ

2024年12月23日 | ゆるキャン△

 2024年10月14日の朝は快晴でした。ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼の三日目のコースは、今回の聖地巡礼のメインである野反湖で、楽しみ過ぎて5時前に目が覚めてしまい、二度寝をして7時前に起床しました。バイキング方式の朝食も美味しくいただきました。とにかく朝からワクワクしていたのでした。

 

 ゆっくり休んだ後、宿を8時40分に出発して、ゆるゆるとJR高崎駅に行きました。改札口を通り、上図の電光表示板を見て、これから乗る8時53分発の大前行き普通列車が6番線から出ることを確かめました。それに乗って長野原草津口駅を目指します。

 作中では各務原なでしこ達が同じ高崎駅から特急「草津・四万」で移動していますが、これは昼過ぎの13時33分発の最終便に乗っているのであり、今回のように朝から行く場合は普通列車しかありません。特急「草津・四万」の第1便でも10時20分発なので、野反湖行きのバスの時刻には間に合いません。

 周知のように、長野原草津口駅からの野反湖行きのバスは一日4便しかなく、第1便は7時55分発なので、高崎から行こうとすれば6時ぐらいの電車に乗らないと間に合いません。続く第2便が10時57分発で、これに間に合う電車が今回乗る8時53分発の大前行きでした。高崎駅から長野原草津口駅までは約一時間半かかります。

 

 6番線ホームに降りたら、向かいの5番線にE257系の特急「草津・四万」の回送便が停まっていました。

 

 偶然でしたが、願ってもないタイミングでした。ボディカラーも各務原なでしこ達が乗ったのと同じデザインでした。思わず何枚も撮影してしまいました。このデザインの列車を作中と同じアングルで撮ったのはこの時が初めてでした。

 

 このシーンです。これが各務原なでしこ達が高崎駅から長野原草津口駅まで駅弁を食べながら乗っていった列車です。

 

 私が乗る8時53分発の大前行き普通列車も間もなくホームに入ってきました。お馴染みの211系でした。
 211系は、JR東日本の管区ではまだ普通に現役で活躍していますが、JR東海の管区例えば静岡県や山梨県などでは新型車両の315系への置き換えが進んでいるそうで、今後はゆるキャンの聖地エリアでもなかなか見られなくなるだろう、とサークル仲間の川本氏に聞いたことを思い出しました。

 

 乗った後はしばらくウトウトしていて、渋川駅を通過してからは30分ほど熟睡していました。ゴトンという揺れで目が覚めたら、群馬原町駅を出たところでした。前夜に渋川の友人Mと電話で話した時に「岩櫃城へは行かないのか」と言われた、その岩櫃城跡の天険の要害の姿が見えてきましたので、撮りました。

 

 10時19分、長野原草津口駅に着きました。

 

 長野原草津口駅の一番線は御覧のように行き止まりになっています。特急「草津・四万」がこの一番線に発着するそうです。ホームからは通廊を通って改札口に至り、休憩ルームの横から外に出ました。

 

 駅の玄関口の横の駅名表示です。左脇の「草津温泉」湯もみ娘のパネルが示すように、ここが有名な草津温泉への連絡口でもあり、毎時2便から3便の草津温泉行き連絡バスが発着しています。

 この日、同じ列車に乗ってきた乗客のほぼ全員が草津温泉へ向かうらしく、草津温泉行き連絡バスの待機所やバス停へと移動していました。

 

 駅から広いバスターミナルに出ました。駅の西側に場違いなほどに高い連絡橋が見えてきて、あっ、あれか、と既視感を覚えて立ち止まりました。

 

 作中のこのシーンのアングルでした。  (続く)

 

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ヨーグルト学園 38(t)戦車 完成です!!

2024年12月22日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業の続きです。装備品などの木製部分は43番のウッドブラウン、金属部分は28番の黒鉄色で塗りました。消火器は車体と同じカラーでした。

 

 履帯を取り付けました。

 

 車外装備品類のシャベル、鶴嘴、消火器を取り付けました。前部の機銃は28番の黒鉄色で塗りました。無線手ハッチは、最初は接着固定する積もりでしたが、接着するのを忘れたまま塗装しましたので、ピットマルチにて開閉自在にしました。

 

 車外装備品類のジャッキ台、ジャッキ、予備履帯を取り付けました。

 

 エンジン点検ハッチは取り外し自在ですので、中のエンジンを見る事が出来ます。

 

 砲塔をセットし、主砲の同軸機銃を28番の黒鉄色で塗りました。

 

 校章デカールは、モデルカステンの「MGデカール ガールズ&パンツァー Vol.8」より適当なサイズのものを計6枚使用しました。今回のヨーグルト学園車輛は、ガルパンの車輌のなかでも校章マークの数が多いです。

 

 大きいサイズの3枚は砲塔の左右側面と背面に貼りました。小さいサイズの3枚は左右のエンジン点検ハッチの側面前方と・・・。

 

 背面部の左上隅に貼りました。

 

 初めて作ったヨーグルト学園の戦車、初めて貼ったヨーグルト学園の校章です。感慨深いものがありました。

 

 最後につや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 パステルカラーの車体は、光輝性がないにも関わらず、パッとした明るさがあって眩しさも感じられます。少なくとも戦車に相応しい色には見えませんが、目立つことは目立ちます。これがヨーグルト学園のポリシーなのかもしれません。

 

 今回の車輌は、大洗女子学園カメさんチームの搭乗車と仕様が共通ですので、その色換えバージョンを作ったようなものでした。ただ、フルインテリアキットなので、塗装にも組み立てにも相当の手間がかかりました。他の車輌の製作の合間に少しずつ進めましたので、完成までに2か月余りを要しました。

 

 以上で、ヨーグルト学園チームの38(t)戦車B型が最終章仕様にて完成しました。製作期間は2023年7月28日から10月4日までで、組み立てに54日、塗装に8日、塗装後の組み立てとデカール貼り付けに1日かかりました。

 使用キットはホビーボスの品で、限定版のフルインテリアパーツ付きのキットでした。それで内部も完全に再現して隊長ソフィアも見ていた戦闘室空間の雰囲気も味わうべく、塗装しながらの組み立てを行ないました。ちょうど最終章第4話の公開前までの未製作車輌の連続製作の時期にあたっていたため、他の車輌の製作と並行で進めましたが、インテリアの塗装と製作に手間取り、実際には他の車輌の製作の合間に少しずつ進めました。

 仕様は大洗女子学園カメさんチームの搭乗車と共通で、キット自体が劇中車に近い仕上がりになるため、ガルパン仕様への改造および追加工作は最低限で済みました。38(t)戦車そのものの製作は、今回の車輌で5度目になるため、慣れてきてガイドを見なくても作れた部分が少なくなく、その意味では楽なほうだったと思います。

 

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ヨーグルト学園 38(t)戦車 作ります!! その8

2024年12月21日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップ9です。オプションのアンテナパーツは劇中車にありませんので不要です。砲塔を車体にセットし、履帯を繋ぎます。さらに劇中車に合わせて細部の仕上げを行ないます。

 

 砲塔を車体にセットしました。

 

 車体左側面の前部に付くアンテナ基台はE型以降の仕様で今回のB型のキットには付いていませんが、劇中車には付いていますのでジャンクよりドラゴンのパーツを持ってきて取り付けました。

 

 履帯は連結式でした。一枚一枚繋いで作りました。

 

 このように各部のパーツとして作り、塗装後に車輪に巻きつける際に繋いで接着することにしました。

 

 塗装に入りました。今回の劇中車のカラーはちょっと独特で、見ようによってはメタル系にも光沢系にも思えますが、劇中の戦闘シーンで各所がキラキラと光っていないので、輝きのある、つまりは光輝性のカラーではないことが分かります。

 それで、光輝性は無いけれども明度が高くて見栄えもするパステル系のカラーを試みに使ってみようと思い立ち、手元にあったアクリルガッシュのパステルシリーズより2色をチョイスしました。まずは上図の171A番のパステルエナメルを取り出して公式設定資料の図と比べてみました。御覧のとおり、ほぼ同じカラーです。

 

 ひととおり塗りました。水性塗料ですから扱いやすく、失敗しても水で洗い流せます。結果として、黄色味がやや眩しい感じになりました。劇中車のカラーはどちらかといえば薄茶色系ですので、そちらに色調を移して合わせる必要が生じました。

 

 そこで、次のカラーとして174A番のパステルサンドを取り出して、先の色がまだ生乾きのうちに上から塗り重ねました。先の色と次の色がふわりと混ざってゆきました。水性塗料だから出来る芸当でした。

 

 仕上がりました。なかなかいい感じです。光沢やメタル感こそありませんが、パステルカラーならばでのパッとした明るさが出ています。

 

 続いて、転輪のタイヤゴム部分のパーツを、ポスカの黒で塗りました。

 

 ポスカが乾いてから、転輪にはめ込みました。

 

 履帯はミスターカラー28番の黒鉄色で塗りました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く43 その12  伊香保のうどん

2024年12月20日 | ゆるキャン△

 伊香保神社への参拝を済ませて、引き返して石段街の階段を降りてゆきました。時刻はすでに13時半を過ぎており、観光客の波もピークに達しているようで、登ってきた時よりも賑わいが増していました。
 ゆるキャンの聖地スポットの一ヶ所も、御覧の有様でした。通行人が多すぎて思うように撮影も出来ませんでした。

 

 石段の湯も、出入りする人が増えていて、玄関口で並んでいる人も居ました。向かいに団子屋とアイス屋があるため、そこで買った人々が石段の湯の前で立ち止まって飲み食いしていたりで、とても聖地スポットを撮れる状態ではありませんでした。

 ゆるキャンの聖地スポットは、伊香保温泉においては人気の多い場所ばかりを選んでいることが、現地で観察していてよく分かりました。人気の無い場所、静かな路地、風情のある街並みの一角、通行人が少ないエリア、などは幾らでもあったのですが、人通りが最も多い石段街の石段沿いにのみ、聖地スポットが点在しています。原作者のあfろ氏が、人気のある場所しか行っていないからでしょう。

 この日は下見でしたので、あまり撮影はしていませんが、とてもあちこちで写真を撮れる状態ではなかったのも事実です。連休の初日だったというのもあるでしょうが、こういった観光地での聖地巡礼は、なるべく平日にやったほうが良いかもしれないな、と改めて思いました。

 

  予定では、この日のうちに伊香保温泉街のどこかで水沢うどんを食べる積りでしたが、多くの店が石段街にあって観光客であふれ、店先の待ち行列はどこも30人からの多数でした。

 水沢うどんというのは、本来は伊香保温泉街から南東へ峠を越えたところにある水沢観音こと水澤寺の門前町が本場で、老舗や人気店が多数並びます。私も高崎から伊香保ヘバスで移動中にその水澤寺の門前町を通って、沢山のうどん屋が建ち並ぶのを見ています。20店舗ぐらいは並んでいたように思います。対して伊香保温泉街のほうには3店舗ぐらいしかなく、平日でも観光客ですぐに一杯になるそうです。

 そこで、うどん屋以外で水沢うどんを提供している店へ行くことにし、その一ヶ所のお店が石段街の一番下よりも外側に位置しているのを地図で確認し、そこへ行ってみました。上図の「茶屋たまき」で、隣接する旅館「玉樹」が経営するカフェです。

 

 玄関口横のウインドーメニューです。カフェですからスィーツ系がメインで、うどんは「うどんセット」が唯一のようでした。街道筋から少し奥まった所にあるせいか、観光客もあまり来ておらず、店内は割合に空いていました。

 

 席に案内されて時計を見、13時42分とメモしました。メニューを開いて「うどんセット」が正確には「餅入りうどんセット」であるのを知り、これはいい、と即座に注文しました。

 

 数分で運ばれてきました。餅入りの水沢うどん、おこわの御握り、漬物のセットでした。

 

 うどんは太め、ダシはあっさり、餅はふっくら、大変美味しくいただきました。

 さらにコーヒーを注文し、休憩も兼ねて一時間近くまったりと過ごしていたので、石段口下のバス停から高崎駅へ行く便の時刻は過ぎ去っていました。
 それで、渋川駅へ移動することにして、精算時に店員さんに「近くに渋川駅へ行くバスのバス停はありますか」と訊ねたら「外へ出て左へ50メートルぐらい行きますと「八千代坂下」ってバス停があります」と教えて下さいました。

 

 そのバス停「八千代坂下」へ行きました。

 

 時計を見ると14時29分、次に来るバスは14時32分発でした。実際には15分ほど遅れてきました。観光地の常で道が渋滞だったからでした。

 

 渋川駅には15時23分に着きました。駅前のバス停にて降りた直後に撮った、関越交通のバスです。

 

 バス停から渋川駅駅舎まではちょっと距離がありました。

 

 渋川駅の駅舎です。まだ真新しい感じの建物でした。近年にリニューアルされたのでしょうか。

 

 渋川駅の駅名標です。高崎駅と同じデザインですね。15時31分発の普通列車に乗りました。

 

 高崎駅には15時43分に着きました。あとは宿に入るだけなので、駅ビル内のくまざわ書店で本を買い、それから外に出て上図の写真を撮り、続いてイオンスタイル高崎駅前店へ行って夜のおやつや甘酒、ナッツ類、明日の行程にて必要なものを買い回りました。

 その後、近くの中華料理店に寄って早めの夕食をとり、宿の東横イン高崎2には17時48分にチェックインしました。部屋に入ってすぐに嫁さんに定期連絡を入れ、入浴後に渋川の友人に電話をして、明日の行程に関して相談や確認をしました。それをもとにして明日の行動計画を再チェックし、21時17分、早めに就寝しました。

 以上、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼2日目のレポートを、榛名公園・伊香保温泉下見編として括ります。次回からは項を改めて、今回の聖地巡礼のメインであった3日目の野反湖行きの顛末を綴ります。  (了)

 

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聖護院4 聖護院門跡の長屋門

2024年12月19日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 聖護院の宸殿と書院の見学を終えて式台より外に出ました。出て、右手にある本坊の門を見ましたが、見た途端に足が止まりました。横の嫁さんも同じように立ち止まって「?」の表情を向けてきました。

 

 上図の、寺では寺務所として使用している建物でした。二層式の長屋門の形をしていましたが、その外観に奇妙な違和感と既視感とを同時に覚えたのでした。
 それで、ちょっといいかな、と嫁さんに断って、そちらへ近寄りました。

 

 正面観だけでは物足りないので、側面の妻部が見える位置まで歩いて確かめました。上図の通り、上層にのみ窓があり、そのすぐ下から風雨除けの羽目板が張られていました。

 羽目板は、正面では下層の窓の下だけに張られていて、そちらは横に張って桟で留める一般的な造りでしたが、妻部のそれは縦張りで二段になっていました。羽目板の張られた時期が異なるのではないか、と思いました。

 

 改めて正面観の全体を見ました。寺院内部の本坊への通用門にしては不釣り合いなほどに、立派過ぎる構えです。しかも寺院の門建築のそれではなくて、城郭の門の造りと雰囲気に通じる要素が濃厚でした。これは・・・、と思っていると、嫁さんが言いました。

「なんか、お城の門みたいな感じですねえ」
「あ、君もそう思うか」
「ええ・・・、やっぱり、あれの関係なのかなあ」
「え・・?やっばりって?あれの関係って・・・?」
「大学時代に、ここでゼミ課題のレポート書くために色々調べていた時に、お寺の御厚意でここの茶室と一夜造御学問所を見せていただいたんですけど・・・」
「茶室?一夜造御学問所?」
「ええ、書院の奥にあるんです、きょうは非公開でしたけど、そこは天明の大火で御所が焼けた時に光格天皇がここを仮皇居としてお住まいになったときに、紀伊守の信道という大名家が・・・」
「ちょっと待って、紀伊守て言うたか、それ、もしかして形原松平家かね?丹波亀山藩主の・・・」
「ああ、そうですそうです、丹波亀山藩主でしたね。その紀伊守信道が禁裏の警護にあたりまして、聖護院に仮住まいの光格天皇に茶室と一夜造御学問所を献上しまして、その建物を丹波亀山城から持ってきたというんです」
「なるほど、そういうことか」
「そうなんです。その時に、宸殿に繋がる建物、庫裏とかも整備したらしいんですけど、幾つかの建物を丹波亀山藩が献上したって聞きました」

 

 その「幾つかの建物」のなかにこの長屋門が含まれていた可能性はあるかもしれない、と思いました。正面観はどう見ても城郭の櫓門に近い形式で、上図の中央の通路の奥に扉がつく形式も、防御に有利な構えとしてのそれと思われます。

 

 そして通路の天井を御覧のように梁と貫がむき出しのままの質素かつ武骨な状態にしているのも、寺院の門にはあまり見られませんが、武家の門ならば、似たような事例は全国各地に見られます。

 こういう武家風の門建築は、門跡寺院の格式からいうと建物としては「格下」になります。聖護院がわざわざ好んで「格下」の門を本坊の出入口に建てるとも思えませんので、丹波亀山藩主松平紀伊守信道が光格天皇の警護にあたった際に仮皇居の聖護院に献上した諸建物のうちに含まれていた、とするほうが自然です。

 この場合、「献上」という言葉をどう解釈するかが問題となります。建物の献上には二通りがあって、ひとつは現地での新築、もうひとつは他所からの移築、となります。
 個人的には前者かな、と思いましたが、嫁さんは後者だと考えたようで、「この門、丹波亀山城から持ってきたものだとしたらですね、一回バラして、ここでまた組み立てたって事になりますよね、そういうの、形跡ていうか痕跡とか、残るものなんですか?」と訊いてきました。

「移築であれば、何らかの痕跡は残るね。解体修理をやればすぐに分かるだろうね」
「いまのこの状態では、外から見て、痕跡とかは分からないんですか?」
「分からないというより、移築した形跡が感じられないんやな・・・。ここで新築したんやないか、と思う」
「ああ、ここで新たに建てたわけですか・・・、皇室への献上ですから中古品は失礼ですよね、やっぱり新品の建物が相応しいですよね」
「そういうことやな」
「つまりは、紀伊守信道が献上して新たに造らせた建物である可能性がある、ってことですね。だからお城の武家ふうの門なわけですねー」

 

 ですが、武家ふうの門といっても、この門のような二層の細長い門の建物は、あまり見た事がないように思いました。石垣にはさまれた櫓門に細長い多聞櫓がくっついているような姿です。

 試みに、下層部分を石垣に置き換えてイメージしてみますと、上層部分はまさに城郭の多聞櫓の姿になります。窓の形も櫓のそれですし、梁の先端を軒下に突き出している点も櫓の建物には普通に見られる要素です。これらのことを、嫁さんに訊かれるままに、説明しました。

 

「じゃあ、この門は完全な武家の門なんですね。やっぱり、これも丹波亀山藩からの献上になるんですかね?」
「それについて、寺ではどのように説明していたの?」
「ええと、確か伝承だとか言ってましたね。確実なのは茶室だけで、これは献上のときの目録が残ってるらしいんです。一夜造御学問所のほうも伝承で、紀伊守信道が一夜で造って献上したとか何とか・・・。光格天皇が御学問所として使われたのでそういう名前があるんですけど。あと伝承では、仮皇居となった時期に丹波亀山藩が警護役を勤めてましたから、それの番所もあるとか、そんな風に言ってましたけど・・・」
「番所・・・」

 

 その番所というのは、山門の西隣にある上図の建物じゃないのか、と建物に近寄って嫁さんに訊きました。「さあ、建物を直に紹介してもらって説明受けたわけじゃないので・・・」と首を傾げる嫁さんでしたが、私自身は、上図の建物が丹波亀山藩の警護兵が詰めていた番所であった可能性は否定出来ないかもしれない、と感じました。

 

 何故ならば、その門内側、境内側の外観がまさに番所の監視小屋とそれに続く長屋ふうの詰所になっているからです。近年まで寺の拝観受付として使用されていたそうですが、受付用の大きな窓を追加して改造している他は、もとの状態をととめているようでした。詰所部分は築地塀に隠れて外からは見えませんが、かなり長い建物で、相当の人数を収容出来たものと思われます。

 天台宗の三門跡のひとつ聖護院の山門の横に、こんな武家風の番所と詰所が建っている事自体に違和感があります。仮皇居の警護所であったのならば、むしろ当然の構えですが、この武家風の番所を聖護院が自前で造るわけがありませんから、造ったのは警護役を勤めた丹波亀山藩であろう、という推論に自然に落ち着きます。

 ただ、推測ですので、史料なり文献記録なりの確実な証拠があればな、と思います。とりあえずは、可能性の問題にしかすぎませんが、ロマンがあって楽しいものでもあります。

 

 するとこの山門も・・・?と思いつつ、くぐって退出しました。実に楽しい時間が過ごせました。

 

 帰りに、嫁さんの希望で近くの上図の西尾八ツ橋別邸の「西尾八ツ橋の里」に立ち寄り、一休みして栗きんとんとお抹茶のセットをいただきました。

 

 その向かいの上図のお店が西尾八ッ橋本店だと思っていたのですが、「これは違います。聖護院八ツ橋総本店です」と言われました。よく見れば、暖簾に聖護院八ツ橋とありました。

 八ツ橋は京都を代表する和菓子の一種ですが、私自身は全然詳しくなく、食べたことも無いので、嫁さんに教えられるまで、八ツ橋のお店にも元祖、本家、分家等の関係があることを知りませんでした。

 

 西尾八ツ橋本店はこちらでした。「西尾八ツ橋の里」の西側に位置していました。嫁さんはこちらへも寄って、モケジョ仲間へのお土産を色々購入していました。

 かくして大徳寺真珠庵、聖護院を巡りを終え、その日の夕食後に出されたおやつの八ツ橋を、生まれて初めて食べたのでありました。  (了)

 

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ヨーグルト学園 38(t)戦車 作ります!! その7

2024年12月18日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8からは砲塔の組み立てになります。ステップ8の工程1から2までは砲身を組み、工程3から5までは砲塔を組み立てます。ペリスコープB14の筒部の中央の輪は劇中車にないので削り取り、防水カバーのB15も不要です。B14を直接天板B1の指示位置に取り付けます。砲塔前面の視察窓の上に貼るエッチングパーツのPE1はプラ板に置き換えます。

 あとは全てガイドの指示通りに進め、インテリア部分もインテリアの組み立てガイドのステップ7を参照して組み立てます。

 

 ステップ8の工程1および2で組み立てる砲身のパーツ類です。インテリアに含まれる一部のパーツは塗装しています。

 

 あちこち塗装しながら組み立てて、上図のように仕上がりました。6色のカラーで塗り分けました。

 

 主砲の右側の機銃は可動にしましたが、あまり動かすと横の主砲のパーツに当たって塗装が剥げたりしますので、極力動かさないように努めました。

 

 ステップ8の工程3から組み立てる砲塔のパーツ類です。工程5までをまとめて一気に作り上げます。

 

 インテリアの組み立てガイドのステップ7です。これらのパーツもまとめて組み立てます。こちらもガイド図の指示通りに進めます。

 

 インテリアを先に組み付けながら砲塔の各部を組み立ててゆきました。

 

 砲塔が組み上がりました。ペリスコープB14の筒部の中央の輪を削り取り、B14を直接天板B1の指示位置に取り付けました。砲塔前面の視察窓の上に貼るエッチングパーツのPE1はプラ板に置き換えました。

 

 砲塔の天板は接着せず、外して内部を見られるようにしました。

 

 砲塔の天板を外した状態です。砲塔内部が御覧のように見られます。

 

 上図では見えにくいですが、砲手および装填手の座席も砲塔内部下端に付いています。装填手は機銃手を兼ねるようです。  (続く)

 

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ヨーグルト学園 38(t)戦車 作ります!! その6

2024年12月17日 | ガルパン模型制作記

 ステップ5では車外装備品類を組み立てて車体にセットします。ガイド図は2、3種のバージョンを図示して選択する流れになっていますが、いずれも劇中車の仕様とは違いますので、ここは劇中車の状態に合わせて部品を組み立ててゆきます。大部分の装備品は塗装後に取り付けますので、ここでは仮組みして位置をチェックするだけにとどめます。

 

 パーツの中には、ジャッキのように形状が異なるのもあるため、ドラゴンのパーツに置き換えたりしました。上図右のボックスはF6、F7、F8のパーツを使用しました。中央の穴開きボックスは2種類があり、ここではガイド図のCを選びました。

 

 左フェンダー前方につく消火器も、形状が異なるため、ドラゴンのパーツに置き換えました。

 

 鶴嘴も、キットのパーツは大型なのでドラゴンの小型のパーツに交換しました。その後ろのボックスは蓋の外縁やラッチをプラ板で追加改造して劇中車の仕様に合わせました。その脇のフェンダー外縁のリブもプラ板で追加しました。

 

 右フェンダー上においては、ジャッキの長さを2ミリほど縮めたほか、ジャッキ台の留め具も劇中車に合わせてプラ板で追加しました。

 

 ステップ6では上面装甲板を貼り付けます。D48は不要です。

 ステップ7では、エンジン点検ハッチ等を取り付けます、オプションのロケット砲関連は不要です。C16、E28、PE4も不要です。ここではガルパン仕様への追加工作が6つ加わります。
 一つ目、後部ライトのD5は位置が異なるのでA10ともども車体左側面後方へ移します。二つ目、車間距離標識D3の上半分のカバーをプラ板で追加します。三つ目、牽引フックのD14およびD15は外側に曲がらないので真っすぐに直します。
 四つ目、予備履帯は2枚ですが、劇中車のは3枚ですのでパーツを追加します。五つ目、排気管C17の右のパイプ部分の形状が違うのでランナー等で改造します。六つ目、背面部にセットされるワイヤーは、キットにパーツがありませんので、ジャンクより調達してセットします。

 

 ステップ6で貼り付ける上面装甲板とハッチのパーツです。ハッチは隅部の改造のため接着固定します。

 

 組みつけました。これによってインテリアの半分ぐらいは完全に見えなくなりました。

 

 ステップ7に進み、各部品を組み立てながら、6つのガルパン仕様への追加工作を行ないました。

 

 仕上がった状態です。エンジン点検ハッチはピットマルチにて開閉自在とし、内部のエンジンを見られるようにします。後部ライトのD5はA10ともども左側へ取り付けました。車間距離標識D3の上半分のカバーをプラ板で追加しました。牽引フックのD14およびD15は真っすぐに直しました。予備履帯は3枚にしました。

 

 排気管C17の右のパイプ部分の形状の改造が最も手間取りました。パイプ部分を真ん中でカットし、カットした部分を反対に付け直してクランク状にしてヤスリがけで形を整えました。

 

 背面部にセットされるワイヤーは、キットにパーツがありませんので、ジャンクより調達して作りました。タミヤのⅣ号戦車装備品セットからホールドのパーツをもってきて、ワイヤーも他のキットの余りを使いました。

 

 劇中車のワイヤーのセット状況は大洗女子学園カメさんチーム搭乗車のそれと同じで、未だにどのような巻き付け方なのかが分かりませんので、適当に形状を合わせてなんとか上図のようにセットしました。  (続く)

 

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