気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く41 その26  碓氷峠鉄道文化むら 数々の展示車輌 下

2024年10月29日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。上図は西側の車列の北端に位置する、気動車のキハ20形です。

 キハ20形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十二年(1957)に開発した一般形気動車の一種で、昭和四十一年(1966)までに同系列の車輌があわせて1126輌製造され、日本各地で広く使用されました。
 ゆるキャン聖地の範囲内では天竜浜名湖鉄道でかつて走っており、現在も天竜二俣駅の隣の公園内に1輌が静態保存されています。

 

 こちらはキハ35形です。キハ35形は日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十六年(1961)から製造した、大都市近郊の非電化通勤路線向け気動車の一種で、昭和四十一年(1966)にかけて同系列の車輌があわせて413輌製造されました。

 このキハ35形は、動いているのを見た記憶はありませんが、兵庫県に住んでいた頃に西脇市や多可町の鍛冶屋線の廃線跡の駅舎などで静態保存されている2輌を見ました。西脇市にあった1輌はラッピング車輌のようになっていましたが、多可町で見た1輌は現役当時のカラーであるブルーに白帯の姿でした。
 なので、こちらの赤い車体には珍しささえ感じましたが、本当はこちらのカラーが本来の大都市近郊の路線でのカラーであったそうです。鉄道模型Nゲージでもキハ35形はだいたい赤色で、首都圏色と呼ばれます。

 

 キハ20形の後ろにあるスニ30形と、その右隣のEF59形電気機関車です。スニ30形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が昭和二年(1927)から導入した、初の鋼製車体をもつ客車オハ31系客車の形式群の一種で、荷物車として昭和六年(1931)までに84輌が製造されました。

 

 EF59形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十八年(1963)から運用した電気機関車の一種です。山陽本線の瀬野と八本松の間にある「瀬野八」と呼ばれる22.6パーミルの連続する勾配区間の補助機関車として、EF53形とEF56形から改造された24輌が運用されていました。信越線の碓氷峠越えのための補助機関車であったEF63形と同じ立ち位置の車輌です。

 

 EF59形の手前、キハ20形の隣にあったEF60形電気機関車です。EF60形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十五年(1960)に開発した、平坦路線向けの電気機関車の一種で、昭和三十九年(1964)までに143輌が製造されました。東海道線や山陽本線などの主要路線の特急列車、臨時列車、貨物列車を牽引して活躍しました。

 

 見学路を引き返して、スニ30形の横を通りまして・・・。

 

 その東側にあるマイネ40形客車とEF80形電気機関車を見ました。EF80形は日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十七年(1962)から製造した電気機関車の一種で、昭和四十二年(1967)までに63輌が製造されました。常磐線や水戸線の電化区間の専用機として活躍しました。現存するのはこの63号機のみです。

 

 EF80形の向かいのマイネ40形客車は、日本国有鉄道の前身である運輸省鉄道総局が運用した寝台車両の一形式で、もともとは進駐軍専用車輌として進駐軍の指示により新製されたマロネ40形客車がキャンセルとなったため、運輸省鉄道総局が購入して特急および急行列車に使用し、また改造してマイネ40形客車となりました。

 上図の保存車は新造当時の塗装色に復元されており、クリーム色の帯には当時の運輸省の英語表記である「Japanese Government Railways」の略語「J・G・R」のロゴがあります。この「J・G・R」はサンフランシスコ講和条約締結後に廃止され、昭和二十四年(1949)からは日本国有鉄道「Japanese National Railways」の略語「JNR」に変更されました。

 

 マイネ40形客車の北側へ回ると、さきに見かけて気になっていた、上図の大型の車輌がありました。ふと時計を見て、16時3分であるのに驚きました。
 入場したのが14時48分でしたから、すでに1時間15分が経過したわけでした。もうそんなに経ったのか、閉館時間の17時までもう45分しかないのか、あと鉄道資料館も見ていきたいし、この屋外展示場の車輌群の見物はこの大型の車輌でしまいにしよう、と考えました。

 

 この大型の車輌はソ300形貨車といいます。、日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十一年(1966)に製造した、橋桁架設専用の事業用貨車です。エンジンを持っていて自走出来ますが、分類上は貨車となっています。2輌が製造され、現在はここの保存車が唯一となっています。

 

 架橋用の作業車だったのか・・・。車輪が16もある・・・。4軸ボギー台車を前後2群に配置しており、ずらっと並んだ車輪が独特の迫力を示しています。ガルパンにも出ていたカール自走臼砲みたいな重量感が感じられます。

 このソ300形は、Nゲージでも製品化されていたそうです。サンメックというメーカーが出していたそうですが、いまでは絶版となってどこにも無いそうです。

 

 時間が無いので、ソ300形の東側のDD53形ディーゼル機関車は、横目で眺めただけで通り過ぎました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その25  碓氷峠鉄道文化むら 数々の展示車輌 上

2024年10月28日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。D51形蒸気機関車をしばらく眺めました。

 

 やっぱり蒸気機関車といえばデゴイチですね。京都の梅小路機関車庫の保存機にもこれと同型の1号機がありますが、そちらは扇形車庫に収まったまま静態保存されていますので、こちらの96号機のように青空の下の広い場所で全容を眺めることが出来ません。

 

 最近にメンテナンスがなされたのか、車体の黒塗装は塗り直されたばかりのようでピカピカでした。唯一の蒸気機関車展示機なので、子供たちにも人気があるそうです。

 

 運転席を見上げていて、そのサイズがなにか小さいように感じました。鉄道模型のNゲージをともに楽しんでいる嫁さんが、自身の山陰線ジオラマ化計画の一環としてD51形の通常型(カトーの2006-2番)を購入して時々走らせているので、すっかり見慣れているのですが、その運転席のサイズ感とちょっと違うな、と思ったのでした。

 後日調べてみたら、やっぱりサイズが異なっていました。D51形の「ナメクジ」と呼ばれる初期型は、後の通常型に比べると運転席の奥行きサイズが短いそうです。Nゲージというのは小さいけれど、実機の外観や輪郭そのままですから、その姿をきちんと覚えていけば、実車をみたときに色々と見比べたりするので、その際に様々な気付きや発見があったりして楽しいです。

 

 東屋からの園路を南へと回りました。上図の電気機関車の並びの景色が、次第に作中のシーンと一致してきました。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻126ページ3コマ目です。各務原なでしこが指さしているのはEF53形電気機関車でしょうか。

 

 いいですね。多様多種の車輌が一堂に会しているのを見るのはワクワクしてしまいます。鉄道模型Nゲージにはまり出してからは、余計にそのワクワク感がヒートアップしています。

 私がゆるキャン△に登場する車輛も集め出した頃、サークル仲間の川本氏が「碓氷峠鉄道文化むらの展示機も対象なのか?全部揃えるんかね?」と訊いてきましたが、「さすがにそれは無理や、看板機関車のED42、EF62、EF63の三車種ぐらいで充分やな」と返しておきました。しかし、心の中では「全41輌の展示機を揃えてジオラマで作ってみたいかも」と時々思います。

 

 屋外展示場の南側に位置する車輌群です。手前右がEF58形電気機関車、左がEF30形電気機関車、左端奥はお座敷列車の12系のスロフ12客車です。

 

 南側から西側へ回りました。このあたりの車輌群はボロボロだったり、汚れがひどくなっていたりします。メンテナンス作業が追い付いていないのでしょうか。

 

 左が10系のオシ17形客車、中央奥がEF70形電気機関車、右は12系のオロ12形客車です。EF70形電気機関車が置かれた線路には、まだ1輌分のスペースが残されています。新たな展示機が加わることはあるのでしょうか。

 

 10系のオシ17形客車の北には上図の2輌の電気機関車が並びます。左がEF62形の1号機、右がEF15形の165号機です。EF62形の1号機は、車体塗色が登場当時のぶどう色2号に復元されています。

 

 EF62形の1号機の北にはEF65形電気機関車の520号機があります。EF65形は日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十年 (1965)に開発した平坦路線向け電気機関車です。昭和五十四年(1979)までに308輌が製造されました。

 このEF65形は大半が昭和四十一年(1966)に製造されているため、現存する車輛も私と同じ年齢のものが殆どです。子供の頃に、父や叔父が何度か「お前と同い年の機関車だぞ」と指さして教えてくれたのを覚えているので、今回もその姿を見て感慨深いものがありました。現在も約30輌ほどが各地で運用されており、まだまだ頑張っています。私も頑張ろう、という気持ちにさせてくれます。

 

 屋外展示場の外、西の高台にはトロッコラインの引き込み線があり、「アプトの道」からも見た動態保存機のEF63形電気機関車や189系の「特急あさま号」クハ189-5およびモハ189-5が停めてあります。

 

 園路の右側に視線を戻すと、作中にも描かれるEF65形電気機関車、気動車のキハ20、同じくキハ35が見えます。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻126ページ4コマ目です。360度カメラの画像が元になっているようで、右横の景色までが同じコマに入っています。

 

 そこで右横の景色を続けて撮りました。

 

 2枚撮ってひとつのシーンになるのが、ゆるキャンの原画の常です。原作者のあfろ氏が「MONO」で描いている「ヴィータ」なる360度カメラのモデル機を取材などで使っているからだろうと思います。

 周知のように、ゆるキャンの舞台は広大な自然の景色が多いので、その画像もワイドな範囲が撮れる広域レンズや360度カメラのそれが資料として適しているのでしょう。普通のカメラならば二枚か三枚ぐらいを撮らないといけない範囲を一度に撮れますから、そのままトレースして描けば、コマ数の節約にもなるわけですね。 (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その24  碓氷峠鉄道文化むら 屋外展示広場へ

2024年10月25日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。ED42形機関車のある西展示室の出口へ向かいました。検修車庫の裏口にあたるようですが、その景色にも既視感がありました。

 

 原作コミック第16巻125ページ2コマ目のシーンてした。セリフの吹き出しが多いので、左右にある展示物が殆ど隠れてしまっていますが、出入口の左側にキャラクター写真撮影機ボックスが置かれているのが同じでした。

 

 外に出ると、アジサイが咲いていました。その横から西へ登る園路に進みました。

 

 検修車庫の西側は一段高い平坦地になっていました。もとは低丘陵地だったところを、碓氷峠鉄道文化むらの建設にあたって削平し、屋外展示場としたもののようで、後で鉄道資料館にて見たかつての横川車両区の航空写真で状況を知ることが出来ました。

 

 御覧のように、舌状の低い尾根を切り開いた様子が現在の傾斜面からもうかがえます。そこに並べられた車輌群は、横を通る信越線の新線跡の線路からクレーンで移されたと聞きます。

 

 木立のなかを抜けて園路をぐるりとたどると、屋外展示場の車輌の並びが見えてきました。このアングルで作中に出ていますが、作者はおそらくシータのような360度全天球カメラを用いて撮影しているので、実際の見え方とは異なる広域ワイドの図になります。ゆるキャンの景色はほとんどそのパターンですから、普通のデジカメでは同じ範囲や角度での撮影が出来ないのが常です。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻125ページ3コマ目です。御覧のように園路の正面奥に蒸気機関車が見えますが、同じように撮ると今度は右のディーゼル機関車の並びがカメラのフレーム外になってしまいました。シータのような360度全天球カメラも持っていたほうが良いかな、と一瞬考えたりしました。

 

 屋外展示場の外周をめぐるミニSL運行コースの線路です。パンフレットでは「一周 約300メートル」とありましたが、もっと長いような印象でした。

 

 屋外展示場の北東隅にあるDD51形ディーゼル機関車1号機です。日本国有鉄道(国鉄)によって昭和三十七年(1962)から昭和五十三年(1978)にかけて649輌が製造されたディーゼル機関車です。最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化に貢献しています。

 DD51形は現在でも主力級のディーゼル機関車として各地で見かけますが、塗装色は赤が一般的です。しかし上図の1号機のブラウン系のぶどう色2号に白帯というスタイルが、実は登場時の塗装色であったそうです。

 

 DD51形の隣には上図のロータリーヘッドを連結したDD53形1号機がありました。幹線列車牽引と除雪で兼用することを目的として、日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十年(1965)から昭和四十二年(1967)にかけて3輌を製造しています。その唯一の現存機です。作中で各務原なでしこがスマホ撮影しています。

 

 右のシーンです。原作コミック第16巻126ページ1コマ目です。瑞浪絵真にはエビかカニのように見えたかもしれませんが、作中では描写がありません。

 

 園路の近くに東屋がありましたので、そこへ入って一休みしました。アプトの道からずっと歩きっ放しであったため、足が少しだるくなっていたからです。そこから改めてロータリーヘッドを連結したDD53形1号機を眺めましたが、その後ろには銀色の大型の見たこともない車輛が繋がっているので、あれは何だろう、後で近寄ってみよう、と思いました。

 

 それから上図のD51形蒸気機関車96号機を見ました。D51形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造したテンダー式蒸気機関車の一種です。昭和十年(1935)から昭和十九年(1944)にかけて1115輌が製造され、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車一形式の量産数としては最大を記録し、現在も更新されていません。

 上図の96号機は、初期型に属し、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水加熱器を置き、それらを覆う長いキセ(覆い)を付けるのが外観上の特徴で「半流線形形」と呼ばれ、鉄道ファンからは「ナメクジ」の愛称で親しまれました。碓氷峠鉄道文化むらにおける唯一の蒸気機関車であり、作中にも登場しています。

 

 左のシーンですね。原作コミック第16巻126ページ2コマ目です。D51形の前で各務原なでしこと斉藤恵那が揃って謎のリアクションをとっています。ギャグの積もりなんでしょうね。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その23  碓氷峠鉄道文化むら なでしこが見たかったED42形

2024年10月24日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。かつての検修車庫を利用した鉄道展示館の奧、西展示室に入りました。入って右側の天井に、上図の看板がかかっていました。各務原なでしこと同じように「あ、あった、あった」と声に出してそちらへ向かいました。

 

 同じアングルで原作コミック第16巻118ページ4コマ目に出ています。「日本国有鉄道関東支社」の文字だけが省かれています。
 それで、コミック上で国鉄の名称を出したらダメなのかな、と疑問に思いました。なぜならば、「準鉄道記念物」というのも国鉄の制度名であるからです。国鉄の各支社において、地方における歴史的文化価値の高いものを対象として指定するという制度であり、これは民営化後もJR各社に引き継がれています。

 

 その「準鉄道記念物」である、ED42形電気機関車の1号機です。信越本線最後のアプト式電気機関車として昭和四十二年(1967)に指定されています。静態保存機ですが、後ろに連結した軌道モーターカーTMC200Bによって動くことも可能で、年に1、2日ほど屋外展示と模擬走行が行われているそうです。

 

 同じアングルで原作コミック第16巻119ページ1コマ目に出ています。各務原なでしこが「これが一番見たかったんだ」と話しています。以前に大井川鐡道井川線のアプト式列車に乗り、アプト式機関車ED90形の「ブッピガン」も見ていますから、こちらのアプト式機関車ED42形にも興味があったのでしょう。

 

 なにしろ、いま現存しているアプト式機関車は、大井川鐡道井川線の現役のED90形を除けば、このED42形しかありません。かつては信越線にて蒸気機関車が4型式、電気機関車が4型式の計8型式が運用されていましたが、その最後の型式にあたります。
 ED42形機関車は、この1号機のほか、2号機が軽井沢の東部小学校に静態保存されています。

 

 見学路の一部は上図のように階段で下に降りられるようになっていて、機関車のアプト式機構を間近で見る事が出来ます。

 

 御覧のように、信越線のかつての三条のラックレールに噛み合わせた三枚のピニオンギアがよく見えます。作中でも各務原なでしこ達がこれを見ています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻12ページ1コマ目です。ピニオンギアが「オイス」と挨拶してくるのは、松ぼっくりなどが「コンニチハ」などと挨拶してくる、ゆるキャンならばでのお約束です。

 

 走行用ボギー台車を見ました。軸間のドラム缶状のものは主発電機で、その側面ジャック軸から動力が連結棒(カップリングロッド)で各動輪に伝達されるシステムです。

 このシステムは、大井川鐡道井川線のED90形でも同様だと聞きますが、あちらの走行用ボギー台車は防護フレームや外郭板に囲まれていてよく見えませんので、こちらの走行用ボギー台車を間近で見る事が出来たのは良かったです。

 

 車体側面中央のナンバープレートの下にはメーカーズプレートもあり、この1号機の製造元が日立製作所であることを示します。

 ED42形は、昭和九年(1934)から昭和二十三年(1948)にかけて28輌が製造され、日立製作所のほか、芝浦製作所、川崎車輛、三菱重工業、汽車製造が製造を分担したそうです。当時は国鉄でしたから、国策としての機関車製造を国内の主要各メーカーに割り当てて発注していたわけです。

 

 このED42形機関車は、模型のNゲージではワールド工芸やマイクロエースから出ています。

 私が、大井川鐡道や天竜浜名湖鉄道の車輌とは別に、ゆるキャンに登場する車輛をも集めようとしていることを知った嫁さんが、ヤフオクでワールド工芸の中古品を落札してくれましたので、1輌が手元にあります。いつでも手に取って眺められますが、この碓氷峠鉄道文化むらの展示車輌の姿そのままですから、実車を見た際の感動が鮮やかによみがえります。

 

 同じアングルで原作コミック第16巻122ページ4コマ目に出ています。

 

 もう最高でした。記念の自撮りは必須でしたが、撮影時にどうしても笑ってしまう癖はなかなか治りませんでした。

 

 ED42形機関車の後ろに連結されている、軌道モーターカーのTMC200Bです。これがED42形機関車を推進または牽引することで、年に1、2日ほどの屋外展示と模擬走行が行われているそうです。

 

 西展示室は二階建てになっていて、二階は多目的スペースのようになっていましたが、その端からは上図のようにED42形機関車を見下ろせました。下からは見えない屋根部分の様子がよく分かります。戦前のタイプのパンタグラフもよく見えました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その22  碓氷峠鉄道文化むら 旧検収車庫にて

2024年10月21日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。EF62形54号機の運転室に入りました。

 

 いいですね、こういうメカメカ感あふれる運転席特有の雰囲気がたまりません。幾つになってもこういう場所に入るとワクワクして、血沸き肉躍るような高揚感というか、心地よい緊張感に包まれます。
 私も最近は鉄道ファンになってきましたので、マニアの方々がこういう運転席に入って狂喜し感涙にむせぶ気持ちが、だんだんと分かるようになっています。

 

 後から入ってきた鉄道ファンの方と写真を撮りあいまして、運転席にいる姿を記念に撮って貰いました。

 

 運転席から外に出て、かつては検収車庫であった展示館内部の諸設備や備品類を見下ろしました。以前に1/35スケールで製作したガルパン戦車工場の設備や備品によく似たものも幾つか見られましたので、乗り物の整備工場というのはどこも似たり寄ったりだなあ、と感じました。

 

 天井を見上げると、ガントリークレーンが見えました。ダブルガーダ天井クレーンのタイプでしょうか。ガーダ底面に方位板が付いているのが見えました。クレーン作業中に方位を指示するからでしょう。

 

 このタイプのダブルガーダ天井クレーンの容量は最大で350トンだと聞きました。EF63形電気機関車1輌の運転整備重量が108トンですから、余裕で吊り上げられるわけですね。

 

 あらためてEF63形10号機の前から見上げると、車庫の天井が高いことが分かります。鉄道の整備工場というのはどこでも大型の建物がありますが、屋根が高いのはあんまり見かけた気がしません。

 

 ダブルガーダ天井クレーンのレールが建物内部の端から端まで設けられています。つまりクレーンは建物内部のどこへも動かせるわけです。電気機関車を吊り上げて、端から端まで移動する、という作業も昔は行われていたのでしょうか。

 

 横の棚には工具類が置いてありました。どれもこれもサイズがビッグで、家庭用の工具の10倍はあろうかと思うほどの大きさでした。左手前のスパナの端を試しに片手で持ち上げてみましたが、これとて重くて全然持ち上がらず、両手で握りしめて力んでやっと上がる程度でした。鉄道の整備工具ってこんな重いのか、戦車の工具よりも大きいんじゃないか、と呆れました。

 

 戦車の車外装備品とよく似た形状の工具もありました。が、パールとかはもっと長さがあるようでした。よく考えたら鉄道車両は戦車の数倍もの大きさがありますから、工具もでかくて当たり前でした。

 

 工具類を見てから奥の通路に進み、奥の部屋に出てから振り返りました。このアングルで作中に出ているからです。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻118ページ3コマ目です。左側の壁にかけてある2つの円板は何だろう、と思いましたが・・・。

 

 実物はヘッドマークでした。いずれも実際に使われていたものでしょう。

 

 そして右側の奥に描かれていたものが、こちらの鉄道関連設備類でした。警報機、信号灯、輪轍器標識、標識灯などが並べてありました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その21  碓氷峠鉄道文化むら EF63とEF62

2024年10月20日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。EF63形10号機を見て回ったのち、隣のシミュレーターの前に移動しました。正面観は御覧のように箱状になっていますが、奥をのぞけば、赤い車体のEF63形18号機の運転席が箱状のシュミレーターに覆われているだけであるのが分かります。このアングルで作中に登場します。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻115ページ2コマ目です。実際の看板は「EF63シミュレーター」とありますが、作中では「電気機関車シミュレーター」と変えてあり、看板のサイズも小さくなって右側に切り欠きがあります。

 このとき、シミュレーターでは家族連れの観光客が体験運転中だったので、シミュレーターの中を覗くことは出来ませんでした。それで次へ行こう、と奥に進みました。

 

 奧にはもう1輌の電気機関車が置いてありました。EF63形10号機の真後ろに、似たような姿で見えたので、これもEF63形かと思いましたが、よく見るとEF62形の54号機でした。

 

 作中でも同じアングルで描かれます。原作コミック第16巻117ページ1コマ目です。右がEF63形10号機、左がEF62形54号機です。

 

 EF62形も、EF63形と同じく、信越線碓氷峠越えの運用向けに開発された電気機関車です。昭和三十七年(1962)から昭和四十四年(1969)までに54輌が生産され、その1号機と54号機とが碓氷峠鉄道文化むらにて静態保存されています。

 

 外観は、EF63形とほとんど同じです。信越線碓氷峠越えにおいては、EF63形のほうは碓氷峠区間専用の補助機関車という位置付けであり、牽引力およびブレーキ力に重点を置いた特殊形式であったのに対して、上図のEF62形は信越本線の前後区間をも直通できる主力機関車として開発されており、碓氷峠区間ではEF63の補助を受けて通過することを前提とした設計で造られました。

 

 つまり、こちらのEF63形が碓氷峠区間専用の電気機関車だったわけですね。「峠のシェルパ」の愛称が付けられているのもこちらです。

 

 そのEF63形10号機の、俗にジャンパ線などと呼ばれる、上図のジャンパ連結器(ジャンパれんけつき)に近寄ってみました。ジャンパカプラとも呼ばれ、鉄道車輌の制御回路や冷房などの電源回路を接続、連結する部品です。ちなみにジャンパとは、電気回路や基板同士を接続するための電線や端子の総称です。

 このジャンパ線を、作中にて瑞浪絵真が見て「スチームパンクぽくてちょっとかっこいい」と思っています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻117ページ3コマ目です。作中では手前に白い枠のようなものが描かれていますが、実際には見当たりませんでした。それで向かいのEF62形54号機のジャンパ連結器のほうを振り返りました。

 

 こちらのジャンパ連結器はシンプルな形状をしています。ここには他に機関車がありませんので、瑞浪絵真が見ていたのは、やっぱりEF63形10号機のそれでしょう。
 ちなみに上図のアングルも、瑞浪絵真の視点で描かれています。「確かにフグっぽい」と思っています。

 

 右のシーンですね。原作コミック第16巻118ページ1コマ目です。次の2コマ目で、三人がその横の通路を奥へと進んでいきます。

 

 このアングルですね。三人は奥へ進んでいき、EF62形54号機の運転席へと通じる階段には登らなかったようです。ですが、折角来たのですから、登って運転席へと上がりました。

 

 こちらもカッコいいです。さきに見たEF63形の運転席と比べるとこちらのほうが若干広く感じました。やっぱり主力機関車なので、長距離を走っても疲れないように運転席もゆったりスペースで設けられているのでしょうか。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その20  碓氷峠鉄道文化むら 碓氷峠を走ったEF63

2024年10月17日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。上図の鉄道展示館に向かいました。平成九年の廃線時まで車両区の検修車庫として使用されていた建物で、当時のまま改修も加えずに碓氷峠鉄道文化むらの施設として再活用されています。

 

 まず目につくのが、右のEF63形電気機関車10号機、これはさきにトロッコラインで動いているのを見た車輌の同型車輛で、こちらは静態保存となっています。EF63形は、かつての信越線の碓氷峠越えで活躍した機関車ですから、この碓氷峠鉄道文化むらの看板的存在として、このように入ってすぐの目立つ位置に展示されているのでしょう。

 その左隣にある大きな箱状の施設はEF63形電気機関車18号機を使用した運転シュミレーターです。

 

 まず右側のEF63形電気機関車10号機に近寄りました。近づくにつれてジワジワと既視感が感じられてきました。

 

 なぜなら、原作コミック第92話の表紙イラストになっているからです。108ページのアングルです。

 

 そして、EF63形電気機関車10号機のすぐ前にある線路の覆い板にも既視感がありました。

 

 右のシーンです。原作コミック第16巻113ページ3コマ目です。各務原なでしこがしゃがんで見下ろしていたのは何だろうと思っていましたが、現地で実際に確かめてみたら、ただの覆い板でした。4コマ目で、その板から視線を外に移して、5コマ目から各務原なでしこが妄想にひたるわけです。

 

 各務原なでしこと同じように、原作コミック第16巻113ページ4コマ目のアングルで線路の先を追いました。実際にはレールが残されているだけで、この線路を車輛が走る事は出来ません。

 

 あらためてEF63形10号機を見上げました。子供の頃に見た電気機関車はほとんどがこの外観のイメージで、車体色も青か赤でした。現在各所で走っている電気機関車は派手な車体色やマーキングがなされているものが多いので、この昭和以来のカラーを見るとなぜかホッとしてしまいます。

 

 傍らに置いてあった備品のひとつ。何に使われていたのかは分かりませんが、側面にはプッシュスラーと書かれてありました。メカメカ感がいいです。

 

 これも何かの備品です。先端がノズル状になっていてキャップがはめてありますので、繋いで何かを行なうための器械だろうと考えました。展示施設内の展示物のひとつですから、説明板とかあればいいのに、と思いました。

 

 EF63形10号機は階段が付けられていて運転席や機関室の内部を見られます。上図のように側面の放熱板が全て外されていますので、機関室の内部が見えます。

 

 説明板が全くありませんので、どのような部品かは分かりませんでしたが、上図右の上の丸いのは発電機、その下の丸いのはたぶん送風機の一部、左の銀色の柵状のものは主抵抗器か遮断器ではないかと思われます。

 

 運転席を見ました。カッコイイですね。小学校の頃、叔父が国鉄に勤めていて運転士だったのですが、二、三度ほど、キハ気動車の運転席に座らせてくれたことがあります。

 叔父の職場は名古屋車両区で、鉄道技術者だった父が検査業務でよく出かけていたのですが、時々の休みに私を連れて行き、検車区の建物内に並んでいた車輌の中へ入れてくれたり、ディーゼル機関車の運転席に座らせてくれたりしました。名古屋車両区の全ての車輌が関西本線で使われる気動車で、当時はキハ40、キハ47、キハ58などがずらりと並んでいたのですが、それよりもお菓子やラムネをくれるのが楽しみだった記憶があります。

 

 運転席に座ってみました。心躍る瞬間でした。男は幾つになっても、こういうのが好きなわけですね・・・。各務原なでしこは運転席に座ったのでしょうか。作中ではその描写はありませんでした。

 

 反対側の助手席にも座りましたが、そちらは操作機器が無いので座っても心が躍りませんでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その19  碓氷峠鉄道文化むらへ

2024年10月16日 | ゆるキャン△

 昼食を終えて碓氷峠鉄道文化むらへ向かいました。14時48分、ゲートの受付で入場料を払って中に入りました。入って右側の上図のアングルが作中の景色でした。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻107ページ1コマ目です。各務原なでしこが「レトロな電車」と言っていますが、これは電車ではありません。

 

 正式名称は新幹線軌道確認車GA-100型です。新幹線において、始発前に線路の異常がないかを確認するための車両です。GA-100型の5号車で、もとは交通建設が所有していましたが、碓氷峠鉄道文化むらの開園10周年を記念してここに移されて展示されています。
 このアングルでも作中に出ています。

 

 原作コミック第16巻107ページ2コマ目です。大井川鐡道に乗って以来、鉄道ファンになりつつある各務原なでしこの撮影行動がコミカルに描かれていますが、同じように鉄道ファンになってNゲージを楽しんでいる私も、似たような撮影行動をやっていました。

 

 ゲートから入ってくぐってきた、園内周遊の「あぷとくん」の軌道のレンガ造り高架。作中にも出ています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻109ページ2コマ目です。

 

 近くには上図のアプト式のラックレールの展示がありました。似たようなラックレールを大井川鐡道井川線でも見ていますので、アプト式の線路はみんなこうなってるのだな、と理解しました。

 

 このあたりはシンボル広場と呼ばれるそうです。左端に見える時計塔を囲むように、子供向けの遊具などが設置してあります。このアングルも作中に出ています。

 

 原作コミック第16巻109ページ3コマ目です。広角ワイドの絵になっています。

 

 シンボル広場の北側には上図の189系のクハ189-506号車が展示されています。189系は183系の改造型にあたり、かつての信越線の横川 - 軽井沢間の碓氷峠の急勾配区間を運行するエル特急の「あさま」「そよかぜ」用に製造された車輌です。それを示すように、上図の展示車も「あさま」のヘッドマークを付けています。
 この189系も作中に登場します。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻111ページ1コマ目です。瑞浪絵真が「カラーリングが昭和っぽいですね」と話していますが、確かに昭和っぽいですな。と言うかこれは国鉄のカラーリングですから昭和そのものですな・・・。

 

 このときは車体の塗り直し補修作業の最中でしたので、普段なら入れる車内への通路は臨時に閉鎖されていました。

 

 原作コミック第16巻112ページ2コマ目には189系の側面観も描かれます。各務原なでしこが「昔の電車ってゴツゴツしてるのに」と話していますが、最近の新型の電車もけっこうゴツゴツしてるのが多いような気がします。京阪の3000系とか、阪急の2300系とか、近鉄の8A系とか・・・。

 

 189系クハ189-506号車の後ろには、上図の国鉄ヨ3500形貨車がありました。国鉄が昭和二十五年(1950)から昭和三十三年(1958)にかけて1345輌を製造したうちの1輌で、かつての信越線碓氷峠越えにて、アブト式電気機関車ED42形1号機を1500Vで走らせるための電源車として使われたものです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その18  アプトの道 終点へ

2024年10月13日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。碓氷峠鉄道文化むらの屋外展示広場が見渡せる地点に来ました。

 御覧のとおりの眺めでした。沢山の車輌が並んでいるなあ、見学するのにどれぐらい時間がかかるかな、と考えたりしました。今回の計画では、碓氷峠鉄道文化むらの見学に2時間余りをあてていましたが、2時間で足りるかな、と少し不安になりました。

 

 少し行くと左手に上図の施設がありました。安中市の観光機構が運営する観光案内所です。

 

 立ち寄って中に入りましたが、観光案内所というよりは土産物販売所兼お休み処といった雰囲気で、向かいにテラス席があって、2組の観光客が「峠の釜めし」を食べていました。係員の方に「アプトの道」に関する展示がありますか、と問い合わせたところ、それは碓氷峠鉄道文化むらの鉄道資料館にあります、との事でした。

 

 再び歩き出しました。道は緑地帯の中の細い園路のようになり、線路跡よりはやや外側にずれているように感じましたが、すぐ右手にトロッコラインの線路が通っていましたので、かつての横川車両区の敷地内であったのだろうな、と考えました。

 

 まもなく右手のトロッコラインの線路が終わりになっているのを見、「ぶんかむら」駅のホームを見ましたが、その奥に上図の国鉄ヨ8000形貨車がありました。国鉄が昭和四十九年(1974)から昭和五十四年(1979)までに1170輌を製造した事業用貨車(車掌車)です。

 このヨ8000形貨車は、トロッコラインにて動態保存されており、EF63形機関車の体験運転で使われるほか、年に数回乗車体験イベントが行われているそうです。

 

 国鉄ヨ8000形貨車の横を過ぎると、「アプトの道」は右に曲がって碓氷峠鉄道文化むらの前の広場に繋がっていました。つまりは今回の散策の終点でありました。

 

 改めて外側から作中のアングルで。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻102ページ4コマ目です。

 今回、熊ノ平駐車場の入口から9時35分にスタートし、このゴールに14時16分に着きました。トータルで4時間41分かかりました。このうち碓氷湖畔のカフェ「MINI MINI」にて89分、峠の湯への入浴休憩で55分を使っていますので、歩きだけのトータルは2時間17分となります。

 観光案内資料や「碓氷峠路探訪マップ」では同じコースの所要時間を約2時間としていますが、私の場合はあちこちで聖地スポットを見たり撮影したり、小休止などを繰り返していましたから、2時間17分というのは早いほうだったな、と思います。

 ちなみに作中で各務原なでしこ達が歩いた区間は、私の記録では12時13分から14時16分までのタイムとなり、峠の湯への入浴休憩55分を除けば、歩いて68分でした。距離にして約4キロぐらいです。

 

 それから横川駅前の上図の荻野屋本店に行き、遅い昼食をとることにしました。

 

 いただいたのは1600円の峠の釜めし定食でした。実物は、食べるのに夢中で写真を撮り忘れました。

 平成八年(1996)の夏、大学時代の群馬県の知人に誘われて、彼の地元である碓氷郡松井田町へ行き、横川駅の横を通って坂本宿の街並みと碓氷関所跡にも行った後、このお店に行きました。そして初めて「峠の釜めし」を食べたのですが、当時の記憶がおぼろげなので、建物も内部も「こんな感じだったかなあ」と思いました。外観はともかく、内部はリニューアルされているようでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その17  アプトの道 碓氷関所跡と電気機関車

2024年10月12日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。碓氷関所跡に着きました。上図は作中のアングルです。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻102ページ1コマ目です。

 

 この碓氷関所跡には、平成八年(1996)の夏、大学時代の群馬県の知人に誘われて、彼の地元である碓氷郡松井田町へ行った時に訪れています。彼の実家が氏子になっている妙義神社に参拝、その後、横川駅の横を通って坂本宿の街並みを見て、それから碓氷関所跡に寄ったのでした。そのあと、関所跡からの旧中山道を少し歩いたのを覚えています。

 当時はまだ信越線は新線で運行されていましたが、その頃は鉄道には関心が無かったので、横川駅とその広大な車両区を横目に通り過ぎ、その帰りに横川駅前で「峠の釜めし」を食べたのでした。

 

 現存する上図の関所門は、かつての碓氷関所の東門にあたります。昭和三十年(1955年)に碓氷関所跡が群馬県の史跡に指定されたのにともない、昭和三十四年(1959)に江戸期より残されていた当時の柱や門扉や礎石などを用いて復元され、現在に至っています。ただし、位置はかつての門の場所ではなく、番所の跡に移動しています。
 上図のアングルでも作中に出ています。

 

 各務原なでしこと斉藤恵那が「ゴーーール!!!」と勘違いしたシーンですね。原作コミック第16巻102ページ2コマ目です。

 

 しかし、よく江戸期当時の部材が残されていたものです。碓氷関所は、明治二年(1869)2月に廃止されて4月から門や番所や塀などが取り壊されていますが、そのうちの門の部材を何らかの事情で廃棄せずに残していたということでしょうか。

 

 案内説明板です。碓氷関所は、上野国の松井田宿と坂本宿の間、現在の群馬県安中市松井田町横川にあった中山道の関所です。平安期の昌泰二年(899)に太政官符により碓氷坂に設けられたのが始まりで、関の設置と通過の取締が「類聚三代格」に記されています。が、当時の関の場所は現在の碓氷関所跡とは別であったそうです。

 

 江戸期の碓氷関所の古絵図と説明です。江戸期には幕府によって東海道の箱根関所、中山道の福島関所とともに重要な関所とされ、設置当初は「横川関所」と呼ばれましたが、宝永五年(1708)より「碓氷関所」と改称しています。

 碓氷関所の警護は元和二年(1616)に、彦根より分知されて安中藩に任じられた井伊直勝が任命されたのが始まりで、代々安中藩主が務めていました。上図の古絵図にあるように、街道の東西にそれぞれ門があり、その間に関所の番所や関連施設が建ち並んでいました。東門は安中藩の所管でしたが、西門は幕府の所管なので「天下門」と呼ばれました。このうちの東門が位置を変えて現存しているわけです。

 

 碓氷関所跡から引き返して「アプトの道」に戻りました。眼下には碓氷峠鉄道文化むらの敷地が広がり、トロッコラインの引き込み線には幾つかの車輌が並んでいました。背後に聳える岩山は、龍駒山といいます。

 

 電気機関車が2輌停めてありました。かつて信越線の碓氷峠越えで活躍した機関車でしょうか。パンタグラフが折り畳んであるので、少なくとも通電はしておらず、運行状態にはなっていないと分かりました。

 

 デジカメの望遠モードで引き寄せて撮りました。EF63型ですね。上図は12号機、後ろに繋がってるのが11号機でした。

 EF63型は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流電気機関車の一種で、ここ信越線の横川~軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車として開発されました。つまりは信越線碓氷峠越えの急勾配用専用機であり、「峠のシェルパ」の愛称がありました。横川~軽井沢間を通過する列車の横川側に、重連で連結して運用されていたそうです。カッコイイですね。

 この機関車、Nゲージでも買いました。トミックスの92128番、その名もズバリの「碓氷峠・EF63形電気機関車(1次形/2次形・青色)セット」です。最近はゆるキャンに登場している車輛も色々と買い揃えていますので、ここのEF63型機関車はどうしても欲しかったのでした。それで嫁さんにヤフオクで落札して貰いました。当時のポストはこちら

 

 しばらく眺めていると、背後からウィーンというモーター音と共に上図のEF63型が微速で進んできました。

 

 おおっ、動いてる、動いてるやん、と驚き慌ててカメラで何枚も撮りました。

 EF63型は昭和三十七年(1962)から昭和五十一年(1976)までに25輌が生産され、平成九年(1997)に全車が廃車となっています。現在は9輌が保存されており、うち1輌が長野県の軽井沢駅に、うち1輌が「峠の湯」の近くに、残る7輌がここ碓氷峠鉄道文化むらに居ます。そのうちの3輌が静態保存、4輌が動態保存となっていて、今回動いてるのを見たのは24号機でした。

 

 この日は平日で、トロッコラインの列車が運行されていませんでしたから、その線路上をEF63型24号機が走っていたわけですが、その走ってきた方向の線路を見て、引き込み線と繋がっているのを初めて知りました。
 それで、先に見た、引き込み線に停めてある2輌のEF63型機関車も、動態保存機なのだろう、と考えました。

 後で碓氷峠鉄道文化むらの展示を見て知ったのですが、ゆるキャンの作中でも紹介されていた、EF63型電気機関車の運転体験というのがあって、その体験講習にこのEF63型の動態保存機が使用されているのだそうです。鉄道マニアや子供たちが喜びそうな内容ですが、費用としては講習料が30000円、運転体験料が7000円もするそうです。
 作中の116ページ3コマ目で、斉藤恵那が「これ地味にお金かかるね」と言い、瑞浪絵真が「完全に大人の趣味ですね・・・」と話しているように、子供には無理ですね・・・。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その16  アプトの道 碓氷関所跡へ

2024年10月08日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。丸山変電所跡をあとにして、再び「アプトの道」を歩きました。線路に沿ってほぼ真っすぐな道が、2キロ近く続きますので、ただひたすら前を見、時々出没するという野生の猿などを警戒して左右に視線を配り、さらに歩き続ける、といった繰り返しになりました。

 そのうちに前方に線路上を横切る斜張橋タイプの高い陸橋が見えてきました。地図で確かめると、上信越自動車道の橋でした。

 

 喉が渇いたのでお茶を飲もうと、ザックを下ろしてペットボトルを引っ張り出し、飲みながら前方の景色を見ていて、あれ、と思いました。左の杭に付けられた金属製の箱が、なにか曰くありげに見えたので立ち止まりましたが、次の瞬間に、あっここか、と気付きました。脳裏の作中の景色にピタッと一致したからでした。

 

 上のコマの景色でした。原作コミック第16巻98ページ4コマ目です。ここの位置で斉藤恵那が「白目で思い出したんだけどさ」と話し始めたわけです。

 

 少し進んだところで、右手に踏切があって保線作業用とみられる道が見えました。踏切は上図のように閉鎖されていて、「アプトの道」との行き来は出来ないようになっていました。
 この場所でも、妙な既視感を覚えましたので、すぐに原作コミックを取り出して確認しました。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻100ページ2コマ目です。架線が省略されていますが、右の踏切の柵と左の柵端と奥の斜張橋タイプの高い陸橋が一致しています。この位置で3人で記念撮影したわけですね。

 

 近づくにつれて、その高さがジワジワと迫力を増してくる、上信越自動車道の陸橋。

 

 途中で見かけた信号機。御覧のように四灯式と分かります。つまり上から黄、赤、青、黄の3色のランプがあり、赤は「停止」、青は「進行」です。また黄だけが点けば「注意」で、黄と青が同時に点けば「減速」となります。

 こういった鉄道の信号機については従来ほとんど知らなかったのですが、昨年6月から鉄道模型Nゲージを始めて色々と勉強していますので、大抵の鉄道関連施設や設備、信号や標識などについても基本的な知識だけは覚えるようになっています。実際の鉄道に乗ったりすれば、とにかく何でもかんでも観察し、調べるという傾向が身についてきています。

 

 さらに5分ほど歩くと、前方右側が次第に開けてきて、民家が並んでいるのが見えてきました。もうすぐ横川駅かな、と考えました。

 

 さらに進むと、右手に碓氷峠鉄道文化むらの展示車輌らしいのが見えてきました。奥の山塊の独特の形状に既視感がありました。

 

 この景色ですね。原作コミック第16巻101ページ1コマ目です。碓氷湖のカフェを出発しアプトの道を歩くこと45分、とありますが、私の移動時間記録では49分でした。
 一般よりも歩速が早い、と周囲に言われる私が、割合に早足で移動して49分でしたから、作中の45分というのはちょっと早いなあ、と思いました。各務原なでしこ達も急ぎ足で歩いたのでしょうか。

 

 この地点で「アプトの道」は左に分岐しています。道標が立ち、左の分岐路は、上図のように碓氷関所跡へのルートになっています。この道標も作中に登場します。

 

 右のシーンです。原作コミック第16巻101ページ2コマ目です。次のコマで斉藤恵那が「すぐそこに碓氷の関所跡があるみたいだよ」と言い、3人は碓氷関所跡へ寄り道しています。

 

 なので、私も左の分岐路に進んで碓氷関所跡へ立ち寄ることにしました。道は上図の車道に突き当り、右へと誘う標識が立っていました。

 

 左へ曲がって車道の緩やかな登り坂を50メートル余り進むと、前方左手に石垣で囲まれた高台の区画があり、階段の上に古い門が見えてきました。それが碓氷関所跡でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その15  アプトの道 旧丸山変電所跡

2024年10月07日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。「峠の湯」の横の地下通路をくぐってから10分余り歩いたところで、上図のように前方にレンガ造りの建物の一部が見えてきました。

 

 レンガ造りの建物は「アプトの道」の左側に、そして右側にはトロッコラインの「まるやま駅」のホームがありました。この「まるやま駅」はかつての信越線の丸山信号所の施設を再利用しているそうです。

 

 改めて左側のレンガ造り建物を見ました。このアングルで作中に登場しています。

 

 原作コミック第16巻95ページ1コマ目です。作中の説明どおりの旧丸山変電所跡です。明治四十五年(1912)の信越線の電化工事に伴って設けられた二ヶ所の変電所のうちの一ヶ所です。

 

 「アプトの道」沿いに建てられた案内説明板の位置からみた、建物の正面観です。作中では広域レンズでの画になっていて建物のほぼ全部が描かれています。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻95ページ2コマ目です。瑞浪絵真が案内説明板を読んでいます。各務原なでしこは建物の窓に近寄って中をのぞきこんでいます。

 

 瑞浪絵真が読んでいた案内説明板を読みました。

 補足すると、明治期の横川~軽井沢間の電化工事に際して設けられた施設は、横川火力発電所、丸山変電所、矢ヶ崎変電所の三ヶ所がありました。本来ならば変電所は、横川~軽井沢の中間に設置するのが理想的ですが、地形的に建設が困難であったため、急勾配区間の両端にそれぞれ変電所を設置することになり、横川側にこの丸山変電所、軽井沢側に矢ヶ崎変電所が設けられました。

 この二ヶ所の変電所に、横川火力発電所から地下のケーブル送電線によって電気が供給され、変電所から架線に送電されて急勾配区間のアプト式電気機関車が運行されていたわけです。

 

 窓のひとつに近寄りました。一ヶ所だけ、窓の下にベンチ状の足場が置いてありました。その窓が、各務原なでしこが中をのぞきこんだ窓です。

 

 右のシーンですね。原作コミック第16巻95ページ3コマ目です。作中では中に何があるかは言及されていませんが、実際に見たところでは、変電施設の機械などを据え付けたコンクリート製の台座や、何らかの廃材などが置いてありました。

 ですが、各務原なでしこにはそれらが何か分からなかったようで、左のシーンで謎のリアクションをとっています。

 

 横川火力発電所、丸山変電所、矢ヶ崎変電所の三ヶ所のうち、この丸山変電所以外は廃止解体されて現存していません。したがって、この丸山変電所の建物が明治期の電化関連施設の唯一の現存遺構であります。

 

 建物は平成六年(1994)に「旧碓氷峠鉄道施設」の構成物件として国の重要文化財に指定されています。それにともなう修復工事が平成十二年(2000)から平成十四年(2002)に行われ、陥没していた屋根やボロボロのレンガ壁なども元通りになりました。建物周囲の草藪も取り除かれ、御覧のような綺麗な芝生となって整備されています。線路跡の架線などはそのまま保存されています。

 

 トロッコラインの「まるやま駅」のホームと駅名標です。駅名標は碓氷峠鉄道文化むらのトロッコライン設置に伴ってリニューアルされていますが、ホームはかつての丸山信号所跡のそれを再利用しているといい、壁面がレンガ積みのまま保たれています。

 

 丸山変電所跡の建物は、熊ノ平駅跡から歩いていくとまず1棟が見えますが、その隣にもう1棟、同じような外観の上図の建物があります。

 

 「アプトの道」を進んで変電所跡の反対側へ進んでみました。御覧のように2棟が並んでいます。西側、上図の向こう側つまり軽井沢側の建物が機械室にあたり、手前の、東側の横川側の建物が蓄電池室であったそうです。

 これらの建物は、昭和三十八年(1963)のアプト式運行の廃止後は、放棄され荒廃していましたが、修復工事によってほぼ建築当初の外見に戻されています。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その14  アプトの道 信越線の線路跡

2024年10月05日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。「峠の湯」での入浴休憩の後、再び「アプトの道」を歩きました。上図は「峠の湯」の横の道で、作中でも各務原なでしこ達が歩いています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻92ページ1コマ目です。作中での「アプトの道」の描写はここら辺りから増えてきます。

 

 少し行くと、道は上図のようにいったん戻ってクランク状に地下道へ入り、信越線新線跡のトロッコラインの下をくぐります。ここも作中に出ています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻93ページ2コマ目です。右に線路が見えますので、「アプトの道」が現役の線路と交差する地点があるのだと分かっていましたが、現地に着くまでは位置が分かりませんでした。実際に現地を歩いてみて初めて知る情報は数多いです。

 

 「アプトの道」の上を通るかつての信越線の新線跡の下り線の線路です。現在は碓氷峠鉄道文化むらのトロッコラインの線路として再活用されています。熊ノ平駅跡からたどってきた「アプトの道」の旧線跡も、「峠の湯」付近でこの新線の下り線跡に合流していますので、「アプトの道」もその合流点で線路の下をくぐって北側に移り、新線跡の上り線跡をたどることになります。

 

 再び熊ノ平駅跡方面を見ました。新線跡はかつては複線でしたが、上り線跡の線路が「アプトの道」になったため、トロッコラインとして再利用されている下り線の線路だけが現役のまま、上図のように単線状態となって活かされています。熊ノ平駅跡からの旧線跡も、地図で見るとこの辺りで新線跡に合流していたようです。

 それで、「アプトの道」は南側の旧線跡から北側の新線跡上り線に付け替えられており、そのために新線跡下り線の線路の下をくぐらせる形になっていますが、その地下通路は、もともとあったものを再利用しているようです。上図に見える地下通路への坂道の両側の擁壁は石積みの古いものです。

 

 ですが、地下通路の部分は「アプトの道」整備に伴って壁も天井もコンクリートで補修されて綺麗になっています。出口の両側に元の擁壁が見えます。このアングルも作中に出ています。

 

 右のシーンですね。原作コミック第16巻93ページ3コマ目です。奥の斉藤恵那の向こうに見える地下通路が、かつての上り線跡の下に位置しているわけです。そして左の4コマ目のシーンが、地下通路から上に登るところの曲がり角にあたります。

 

 このアングルです。奥の壁の標識もそのままです。ここで「アプトの道」はいったん信越線新線跡の上下線の間を通る形になりますが、上にあがってからクランクして上り線跡にあがることになります。

 

 地下通路から上にあがってクランクして上り線跡にあがる地点です。御覧のように上り線跡は線路のレールが残されたまま、「アプトの道」の舗装路に埋められて保存されています。この場所も作中に登場します。

 

 右のシーンですね。原作コミック第16巻94ページ1コマ目です。ここからの「アプトの道」はトロッコラインの線路に沿って進みますので、かつての信越線の複線跡の片方をたどる形になり、レールをみながらの廃線跡歩きが楽しめます。

 

 こんな感じでレールが残されて舗装路に埋められていますので、鉄道に詳しくない人でも線路跡だと分かります。「旧碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定されている範囲ですから、架線や架線柱も当時のままに残されて保存されています。

 

 架線や架線柱は、現役時代のままの姿で、聞くところによりますと、電源に繋げば元通りに通電するそうです。各所に設けられた信号も点灯可能なままになっているそうで、何らかのイベントの時に復活点灯させるらしいです。
 隣の下り線跡の線路がトロッコラインに再利用されていまも現役ですから、それと繋がっているこちらの上り線跡の架線や信号も、まだ生きている、ということなのでしょう。

 ちなみに、ここから横川駅までの約2.5キロの区間が、ずっと線路沿いをたどる単調な道なので、移動の距離も時間もやたらに長く感じます。作中ではサクッと移動しているように描かれますが、実際には途中に休憩ポイントもトイレも無く、脇へ抜ける分岐もまったくありませんから、鉄道博物館の敷地横までの約2キロ余りをひたすら歩き続けることになります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その13  アプトの道 峠の湯へ

2024年10月02日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。北原白秋の歌碑を過ぎると、再び上図の国道18号線旧線の橋の下をくぐります。

 上図では橋の右手前に階段がありますが、その左手前にも階段があります。それを上にあがって国道18号線旧線を北に渡ると、道のカーブの外側に「碓氷峠の力餅 玉屋ドライブイン」という昭和の大衆食堂の雰囲気を漂わせる食事処があります。メイン商品は力餅(ちからもち)であるそうですが、普通に食事も出来ます。「アプトの道」沿いにある数少ない食事処のひとつです。

 

 橋をくぐって、緩やかに右へカーブする「アプトの道」を進むと、やがて右手に立派な三角屋根の建物が見えてきます。

 

 右手に見えてきた立派な三角屋根の建物の横に交差点があります。このアングルで作中に出ています。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻89ページ2コマ目です。三角屋根の建物を各務原なでしこが「碓氷の湯」と呼んでいますが、実際には「峠の湯」といいます。

 

 交差点の左側、「峠の湯」の向かいには、信越線の新線跡の一部を利用したトロッコ列車の駅があります。これも作中に出ています。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻89ページ3コマ目です。このトロッコ列車を利用すれば、「アプトの道」の終点まで一気に移動出来ますが、各務原なでしこ達は「アプトの道」歩きが主目的でしたので、ひたすら「アプトの道」をたどっていきます。

 私自身はこのトロッコ列車を利用するコース案も考えたのですが、聖地巡礼に出かけたのが平日でしたから、利用出来ませんでした。

 

 このトロッコ列車は、正式には「碓氷峠鉄道文化むら」の「トロッコ列車ライン」と呼ばれる移動施設で、かつての信越線の新線跡の下り線を再利用して運行されています。運行日は3月から11月までの土日祝日のみで、お盆の時期は毎日運行されるそうです。

 

 交差点脇の道標です。終点の横川駅まで2.9キロです。熊ノ平駅跡からは約3.3キロの地点にあたります。各務原なでしこ達は碓氷湖畔カフェの横からスタートしていますから、まだ1キロぐらいしか進んでおらず、それで各務原なでしこが「ここで1/4くらいかな」と言っています。

 その通り、碓氷湖畔カフェの横から終点の横川駅まで約4キロぐらいなので、「峠の湯」の交差点で残り2.9キロであれば、ちょうど1/4くらいになります。

 

 今回は「峠の湯」にて温泉入浴して休憩する予定でしたので、「アプトの道」から右にそれて「峠の湯」への導入路に進みましたが、その道は御覧のように信越線跡の枕木を転用していました。

 

 そのまま行くと裏口から入りますが、正面口も見ておこうと思って、裏口からエントランスロビーを突っ切って正面玄関からいったん外に出ました。エントランスの外観は「めがね橋」をシンボライズしているようです。広い駐車場もあり、そこまで車で来て、「アプトの道」を熊ノ平駅跡まで歩いて往復し、帰りに「峠の湯」の温泉を楽しむ観光客も多いそうなので、ここは一種の「道の駅」的な使われ方をしていると聞きました。

 

 「峠の湯」の正面玄関です。温泉施設および食事処があり、隣に宿泊研修施設の「くろつぎの郷コテージ」があります。

 

 温泉は二階にありました。12時32分に着いて、13時27分に出発しましたから、約1時間の入浴休憩でした。

 「峠の湯」の公式サイトはこちら。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その12  アプトの道 第一トンネルを抜けて

2024年10月01日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。斉藤恵那のベンチからはしばらく上図のような開けた場所の廃線跡を歩きました。一見すると山の中の未舗装路という雰囲気で、廃線跡にはちょっと見えない感じでした。

 

 のんびり歩いていて、いつの間にか橋を渡っていました。渡ってから上図の標識に気付いて、いま橋を渡ったのか、と振り返りました。碓氷第二橋梁でした。明治25年11月の竣功で、全長は約23.5メートル、川底からの高さは約12.2メートルです。横から見ようとしましたが平場が無く、橋も夏草に覆われていましたのでよく見えませんでした。

 

 さらに「アプトの道」は続きます。このあたりは右側が碓氷湖の坂本ダムからの渓谷になっていますが、木々に覆われて地形が全然見えませんでした。木々の葉が枯れ落ちて林間にも視界が広がる秋から春までの時期ですと、もっと見渡せるそうです。

 

 渓谷は見えませんでしたが、その奥に聳える妙義山の独特の岩塊群はよく見えました。昔、あの向こう側の麓の妙義神社へ参拝したことがありますが、その境内地から見上げると岩塊群の迫力に満ちた独特の奇観が楽しめます。

 

 碓氷第一トンネルの手前まで来ました。ここの景色も既視感バッチリでした。

 

 このシーンですね。斉藤恵那がトンネルの右脇の道標に気付いた場面です。原作コミック第16巻87ページ4コマ目です。

 

 斉藤恵那が見つけた道標は、旧中山道ルートへの案内標識でした。

 

 作中でも詳しく紹介されています。原作コミック第16巻88ページの1、2コマ目です。江戸期までは碓氷峠越えといえば中山道のことでありました。

 中山道は、中世戦国期まではもっと険しい山道でしたが、江戸幕府が五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)整備の一環として新たにルートも変えて道幅も広げ、一般の人々でも楽に旅が出来るように整備したうえで、通行監視の拠点として碓氷関所を設置した歴史があります。

 

 江戸期の中山道は、碓氷第一トンネルの上の尾根筋に沿って北から南東へと通り、麓の坂本宿まで続いていました。上図はその中山道へ通じる連絡路の山道です。それを斉藤恵那がのぞきこんでいたのでした。

 

 作中の右のシーンで斉藤恵那が山道をのぞきこみ、それから左のシーンで意味不明のリアクションをしています。原作コミック第16巻88ページの3、4コマ目です。
 このリアクションは各務原なでしこも丸山変電所跡でやっており、さらに二人で横川鉄道博物館にて蒸気機関車の前でもやっています。

 

 さて、碓氷第一トンネルに進みました。明治25年9月の竣功で、全長は約186メートル、今回の「アプトの道」散策でくぐる最後のトンネルでした。ここのポータルも標準的な型式で、総レンガ造りです。

 

 内部はこのように上下に照明が設けられて明るく、歩きやすかったです。他のトンネルとは違って、ガードレール状の長い柵があり、それに等間隔でライトが点いているのでした。何らかの事情があったのでしょうか。

 

 第一トンネルを抜けました。あたりの地形が平坦になって空が広く感じられましたので、これで山岳地帯を抜けたのだな、と思いました。

 

 第一トンネルを振り返ると、こちらのポータルはレンガ造りではなく、アーチ環以外は全て切石で造られていました。石造の冠木門タイプです。内部のレンガ壁はこちら側のほうが保存状態が良いように思いました。

 

 しばらく進むと、右手に上図の立派な石碑がありました。「アプトの道」に関する碑かな、と思って近寄ってみましたら・・・。

 

 北原白秋の歌碑でした。  (続く)

 

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