気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く45 その1  伊香保温泉へ

2025年02月05日 | ゆるキャン△

 2024年10月15日の朝は快晴でした。ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼の四日目のコースは伊香保温泉でした。この日の宿も伊香保温泉なので、聖地スポットの再訪の他は温泉入浴と温泉街の散策と食べ歩きをゆっくりと楽しむ予定でした。

 それで、この日は8時過ぎまでゆっくりと寝て、前日の野反湖ハイキングの疲れも癒しておきました。朝食をとりに一階ラウンジへ降りた時には、既に朝食バイキング会場の混雑は解消していてテーブルについているのは数名だけでした。食後も部屋でゆっくりと休み、チェックアウトしたのは9時半過ぎでした。

 上図は出発時に撮った、宿の玄関口の標識です。

 

 数分でJR高崎駅に移動し、西口の南側にある上図の上野三碑(こうずけさんぴ)のレプリカ展示を見ました。

 上野三碑とは、古代の飛鳥時代から天平時代までに建てられた、漢文が刻まれた3基の石碑のことです。三碑とも高崎市内に伝存し、山ノ上碑(山上碑)、多胡碑、金井沢碑と呼ばれます。
 いずれも国の特別史跡に指定されており、私も平成八年(1996)の夏、大学時代の群馬県の友人Mに誘われて、碓氷郡松井田町の彼の実家へ遊びに行った折に上野三碑も案内してもらって実見しています。

 古代の石碑は国内でも18例しかなく、大変に貴重な文化財ですが、上野三碑はそのなかでも最古の石碑群として知られます。それらの実物大レプリカが高崎駅西口の駅そば店舗の横にあるよ、とMに教えられたので、立ち寄ったわけです。

 

 上野三碑のレプリカ展示を見た後、高崎駅西口のベデストリアンデッキにあがり、上図の写真を撮り、バス乗り場へ向かいました。

 

 バス乗り場は、毎度おなじみの西口2番乗り場です。ゆるキャンの群馬キャンプ編の聖地となった榛東村、榛名湖、そして伊香保温泉の全てに行くことが出来ます。

 

 9時54分、バス乗り場に着きました。まだバスは来ていませんでした。

 

 時刻表を確かめました。今回は10時5分発の水沢・伊香保温泉経由箕郷営業所行きに乗ります。その前の便は8時55分発で、それが伊香保温泉に立ち寄る最初の便であるようです。

 

 9時58分、バスが来ました。10時5分に出発、高崎市街から水沢観音門前街を経て伊香保温泉への約1時間半のバス旅を楽しみました。途中で有名な箕輪城跡の近くを通りましたが、お城まつりがあるようで、街中のあちこちに幟がはためいていました。それから水沢観音の門前街のうどん屋の並びを見ましたが、平日なのにどのお店も行列が居て、水沢うどんの人気の高さがうかがえました。バスの旅は、とにかく楽しいです。

 もともと私はバスの旅が好きで、太川陽介さん蛭子能収さんの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズのファンでもあったので、各地への旅行でもなるべく鉄道やバスを利用していかに目的地にたどり着くか、のプランを楽しみながら懸命に考えたりします。
 京都へ凱旋移住して車を手放してからは、ゆるキャン聖地巡礼を含めた全ての旅行が公共交通機関利用メインになりましたから、とにかく鉄道やバスを利用し、それらが無い地域では太川陽介さんばりに徒歩での移動を頑張ります。健康にもいいし、普段の生活でも歩き回っていますから、足腰が丈夫になって、悩んでいた腰痛も解消し、30分ぐらいの徒歩移動なら普通にこなせるようになりました。

 

 11時31分、目的地の「伊香保案内所」バス停で下車しました。前夜にMに電話して「伊香保温泉街を散策する場合はどこのバス停で降りたらいいか」と聞いたところ、「源泉の露天風呂を勧めるんで、最寄りは「伊香保案内所」だな」と教えられたからでした。

 

 Mが言うには、バス停から南へずっと坂を上っていくと源泉の露天風呂があるが、その途中に伊香保温泉発祥の地とされる、渋川市指定史跡の「千明元屋敷跡」があるので是非見て行ってくれ、との事でした。どんな遺跡か、と訊ねたら「行けば分かる」とだけ返されました。

 それで、元の計画ではバス停「伊香保案内所」から北に下りて温泉街に入る形であったのを、逆の南に進んで長い登り坂の車道をたどることになりました。思ったよりも急で距離があり、地図で見直すと約600メートルはあるようでした。登り切った時には汗だくになっていました。

 

 車道の脇に上図の石積みと看板がありました。たぶんこれだな、と思って近づきました。

 

 間違いなく、Mが教えてくれた渋川市指定史跡の「千明元屋敷跡(ちぎらもとやしき)」でした。中世戦国期に現地の湯元を支配していた土豪の千明(ちぎら)氏の屋敷跡です。源泉のすぐ下に位置し、屋敷の周囲の川沿いにもとの温泉街があったそうです。これを天正三年(1575)に武田勝頼が真田昌幸に命じて北麓に移転させて新たな温泉街を整備したのが、現在の石段街の始まりとされています。

 この移転により、千明氏も石段街に移転しましたが、伊香保温泉の有力者としての立場は維持して、引湯権を所有して温泉旅館を営んできました。いまの「千明仁泉亭」がその後身で、伊香保温泉屈指の高級旅館として知られます。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その18  野反湖 野反湖バス停から

2025年01月27日 | ゆるキャン△

 野反湖展望台案内所の南側に、上図の展望所とみられるベンチ群があり、その横を道が下の野反湖畔まで通っていました。ベンチ群からの眺望はあまり開けておらず、むしろ道を下った下の方にも広場らしき場所が見えて、そちらが展望所なのかもしれないな、と思いました。

 野反湖周辺ガイドの案内マップで見ると、道は湖畔の展望所までで行きどまりになっているようでした。最初はこの道が湖畔東岸ルートに続くのかなと考えていたのですが、マップではここ展望台駐車場の少し上にある池ノ峠駐車場の南側の「車道出合」から湖畔東岸ルートが始まっており、野反湖の東岸に沿ってほぼまっすぐに富士見峠まで続いていました。

 次に来るときは、この湖東岸ルートを歩いて、今日の湖畔西岸ルートに続けての野反湖一周を試みるのも面白そうだな、と思いました。行くなら、車道の冬季通行止めが解除されてバスが運行される陽春の5月から、高山植物の開花シーズンの6、7月にかけてのタイミングが良いな、と考えました。

 

 しばらく野反湖を眺めていましたが、そのうちに空は雲に覆われ、天気予報の通りに気温も下がってきて、寒くなってきました。時計を見ると15時32分でしたので、駐車場へ戻りました。

 

 バス停は、あれだな・・・。

 

 バス停「野反湖」です。長野原草津口駅からのバス路線の終点にあたります。今回は途中の「野反峠」で降りて富士見峠から歩きましたが、こちらの「野反湖」で降りて逆に歩いて富士見峠の「野反峠」バス停まで歩くことも出来ます。ただし、その場合は地形の関係で登り坂が多めになります。

 

 「野反峠」バス停の時刻表は御覧のとおり、一日に3便しかありません。5月1日から10月20日までがバスの運行期間で、それ以外は冬季通行止めとなりますから、車やバイクを利用したとしても、野反湖へ行ける期間は5か月余りしかないわけです。

 

 で、午後の最終便はこの15時39分発でした。これに乗れないと帰れなくなってしまいます。野反湖キャンプ場に一泊した場合は、午前の第1便が9時26分発となります。とにかく3便しかありませんので、バス利用での野反湖行きは、バスの時刻をおさえておくことが肝要です。

 同時に、長野原草津口駅から野反湖までの途中にある、各務原なでしこ達も立ち寄った旧太子駅跡へバス利用で立ち寄るのも難しいことが分かります。午前中に2便がありますから、始発便に乗れば旧太子駅跡へ立ち寄ることも出来ますが、その始発便は平日のみの運行で、長野原草津口駅を7時55分に出ます。それに合わせるならば、例えば高崎からですと6時10分発の普通列車に乗らないといけません。
 いずれにせよ、野反湖行きのバス便は最低限で、一往復するのがやっとというダイヤです。せめてもう1便あればな、と思います。

 

 バス停の前で思案しているうちに、帰りのバスがやってきました。時刻は15時37分でした。行きと同じ運転手さんが笑顔で「いかがでした?」と訊いてきました。

「お蔭様で、景色も良くてハイキングが楽しめました。地図にあるとおりの1時間40分で歩きました」
「ほう、そうですか、するとあなた、足は速いほうなのですな」
「ええ、そのようです。周りによく言われます」
「確か、湖畔西岸ルートでしたな、どこからでも野反湖が綺麗に見えますでしょう」
「ええ、どこから見ても絵になりますねえ」
「そう、そう、ノゾリキスゲの花が咲くころはもっと絵になりますよ」
「実はその花の咲くころにもう一度来たいと思っています」
「なら、5月下旬から6月いっぱいまでがよろしい。是非来て下さいや」

 

 予定通りの15時39分に出発しました。しばらくは登りになり、やがて池ノ峠駐車場の横を通りました。運転手さんがその横を指して「そこから湖畔東岸ルートになりますんでね、さっきの展望台駐車場からはいまの車道を登っていくことになりますんで」と教えてくれました。

「その近くにバス停は無いのでしょうか」
「あることはあるんですがね、「湖畔」てのがあるんですがね、もうちょっと南、車道のピークまで行くんで離れてるんですわ。「野反湖」のバス停から行ったほうが近いですよ」
「そうですか」

 話しているうちにも登り坂は続き、ついにはハンディGPSの数値が1555メートルに達しました。そのピークを過ぎたあたりにオオカラボリ駐車場があり、そこに「湖畔」バス停も見えました。

「あれから下へ降りると湖畔東岸ルートの真ん中あたりに繋がってるんですよ」
「そうですか」

 

 その「湖畔」バス停付近からの景色でした。かなり高い位置に来ていることが野反湖の見え方から分かりました。そのあとは雑木林のトンネルの中を走ることが多く、富士見峠に近づくまでは、野反湖の湖面があまり見えませんでした。

 15時51分、行きに下車した「野反峠」バス停に停まりました。大きなリュックを背負った登山客3人が乗り込んできました。私を含めて4名が、その日の帰りのバスの乗客でした。

 

 それからはしばらくウトウトしていて、目が覚めた後はメモに湖畔西岸ルートの各ポイントの様子や所要時間などをまとめました。そのうちに16時34分、上図の「道の駅六合」に停まり、発車しました。

 

 それから窓の外の景色をボーッと眺めていましたが、時々、赤い三角形の防火用水標識が道端にあるのを見ました。集落ごとに設置されている感じで、この帰り道だけで12ヶ所を見つけました。ゆるキャンの作中にて斉藤恵那が見つけたのは、どのあたりだったのでしょうか。

 

 16時41分、運転手さんが左手を指差して「あれが太子駅跡ですよ」と教えてくれました。そちらを見ると、駅舎のような建物と数輌の貨車が見えました。その直後に入口に置かれた貨車と、その向かいの「旧太子駅」バス停を見ました。

 次に来るときは、あの旧太子駅へ行こう、大井川鐡道井川線から譲渡された貨車1輌も見たい、と考えました。

 

 また、例の防火標識を見つけて撮りました。夕方の薄暗い景色のなか、赤色の三角形はものすごく目立つのでした。遠くからでもすぐに分かるので、カメラを構えて準備して、横を通ったら撮る、ということを十五回ほど繰り返しましたが、成功したのは二回だけでした。

 

 16時55分、終点の長野原草津口駅に着きました。野反湖を出てから1時間16分後でした。運転手さんに御礼を言って下車しました。

 

 かくして、今回のゆるキャン聖地巡礼のメインであった野反湖行きが、つつがなく終わりました。予想よりも楽しく、素晴らしく、面白い学びが豊かな高山域の秘境でした。ゆるキャン聖地巡礼でなくても再度行きたい場所だな、と思いました。

 その後は長野原草津口駅の休憩ルームで50分ほどの待ち時間を過ごしました。吾妻線のダイヤと野反湖行きのバスの時刻は全然リンクしていませんから、行きも帰りも、長野原草津口駅での待ち時間が生じます。ここに着く特急「草津・四万」も、草津温泉行きのバスの時刻に合わせて運行されているため、野反湖へ行くための手段としては適していません。なんだかなあ、と思ってしまいます。

 長野原草津口駅からは、17時52分の普通列車で出て、19時5分に新前橋駅で乗り換えて、高崎駅に着いたのは19時17分でした。駅ビル内の中華料理店で夕食をとり、20時前に高崎の東横インにチェックインしました。

 以上、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼3日目のレポートを、野反湖編として括ります。次回からは項を改めて、4日目の伊香保温泉での聖地散策を綴ります。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その17  野反湖 野反ダムから展望台駐車場へ

2025年01月25日 | ゆるキャン△

 野反湖キャンプ場のバンガローエリアの見学を終えて車道の出入口より退出しました。

 

 野反湖キャンプ場の出入口の外側には上図の建物があります。板張りの山小屋ふうの建物で、最初はキャンプ場関係の施設かなと思いましたが、玄関口の表札には「野反ダム管理所」とありました。その横にダムがあるのかと探しましたが、もう少し北に離れていました。

 

 しばらく降りていくと、下方に野反ダムの堤体の一部が見えてきました。

 

 ダムの近くには上図の水利使用標識がありました。これを見ると、野反ダムが東京電力ホールディングスの再生可能エネルギー発電事業会社である東京電力リニューアブルパワーの管理に置かれていることが分かり、野反湖の正式名称が「野反貯水池」であることが分かります。

 へえ、湖じゃなくて貯水池なのか、と思いました。確かに元は野反池だったから、その貯水量がダムによって増えただけ、という認識なのかな、と考えました。
 そしてこのダムが信濃川水系の中津川の源流であると知り、要は長野県および新潟県側への水流のダムなのだ、と理解しました。

 

 野反ダムの堤体を見下ろしました。なにか普通の擁壁のようで、あまりダムらしくない外観でした。堤体の高さは44メートル、車道が通る堤頂部の長さは152.5メートルで、竣工年は昭和三十一年(1956)です。

 日本の発電用ダムとしては初めてのロックフィルダムであり、材料となる岩石を高所から落下させ、その衝撃で締め固めつつ高く築き上げるという投石工法で建設されました。堤体本体の上流側は水の流出を防止するため、一面にわたって鉄筋コンクリートで舗装されていますが、これも日本のダムとしては珍しいものだそうです。

 同じような型式のダムはここ野反ダムのほか、岐阜県の小渕ダム、岩手県の石淵ダム、秋田県の皆瀬ダムの3基だけだそうです。

 

 いずれにせよ、ダムとしては珍しい形式、工法によるものですが、小規模のダムであるためか、堤体の上を歩いている限りでは普通のコンクリート橋の上を進んでいるような感じでした。

 ゆるキャンでは以前に長島ダムや滝沢ダムが聖地として登場していますが、その2ヶ所はいずれも巨大で規模も大きくていかにもダムだという雰囲気、迫力がありましたが、今回の野反ダムはそれらとは正反対の印象でした。

 

 ダムの下方を見下ろしても、中津川の水流が全然見えず、水音もしませんでした。放流していないのか、それとも川が木々に埋もれて見えないのか、のどちらかだろうと考えました。

 

 反対側の野反湖です。なかなかの見ごたえある湖面の景観ですが、ゆるキャンの作中にはこのアングルも野反ダムも出てきません。原作者のあfろ氏が野反湖の周囲を歩き回っていないからでしょう。車かバイクでサーッと来て、キャンプしてハイ終わり、だったのかもしれません。

 

 満々と水をたたえて静まり返っていました。今回のルートにおいて最も湖面に近づいた時でした。汀の位置を見ると2メートルぐらい下がっているようなので、満水期ではないのだろうと思いました。総貯水容量が27,050,000立方メートルだそうなので、その九割か八割はあるんだろうか、と考えました。 

 

 ダムの中央から真南よりやや東寄りに見た図が、野反湖の南北を見渡せるような感じでした。よく見ると、向こうの鞍部が富士見峠であるようで、鞍部の中央にポツンと野反湖休憩舎らしき建物が見えました。

 あそこから、湖畔西岸ルートを1時間38分で歩いて野反湖キャンプ場ビジターセンターに入り、さらに10分ほど歩いてここ野反ダムの上に居るわけです。距離にして約5キロ余りでしたが、様々な景色の美しさに感動しながら歩いていたので、あまり距離を意識しなかったのでした。

 

 野反ダムを渡ると道は登り坂に転じ、ぐるりと右に回って開けた場所へ出ました。上図の標識を見て、今回の湖畔西岸ルートの終点である展望台駐車場に着いたことを知りました。時刻は15時25分でした。帰りのバスの時刻まで、残り14分でした。

 これにより、富士見峠から湖畔西岸ルートを通って展望台駐車場までのハイキングの距離と所要時間を、約5.5キロ、2時間50分と記録しました。これは、途中でのテントエリア広場、ビジターセンター、63番バンガロー区画の3ヶ所での休憩時間を含みます。

 ちなみに、バスで野反峠に着いたのが12時1分でしたから、それからの時間総計は3時間24分となります。富士見峠をスタートした12時35分までの34分間は野反湖休憩舎にてピザを食べて休んでいましたが、今回の残り時間が14分でしたので、野反湖休憩舎での食事休憩をもし1時間としていたら、帰りのバスの時刻には間に合わなかったことになります。

 

 展望台駐車場は、野反湖周辺の観光駐車場のなかで最も広いそうです。その北側に堂岩山(標高2051メートル)や八間山(標高1934メートル)への登山口があり、少し南側にある池ノ峠駐車場と併せて、野反湖の東側の山々への登山者が車を停めておく基地になっているそうです。

 その駐車場の中央あたりにバス停「野反湖」がありますが、まだバスは来ていませんでした。

 

 展望台駐車場の西側には、閉鎖となった野反湖展望台兼案内所の建物がありました。玄関口のガラス戸から中をのぞきましたが、内部は少々の廃材が置かれているのみでガランとしていました。

 

 建物の外壁に貼ってあった、上図の「ぐんま県境稜線トレイル」の案内マップです。

 

 現在地の野反湖が群馬県と新潟県の県境に接していることが分かります。

 

 南のほうには、昨日行ってきた榛名湖と榛名富士の表示もありました。同じ群馬県内にありますが、距離的にはものすごく離れています。私も一泊して二日をかけて榛名山、ここ野反湖を回りました。

 こんな長距離のルートを、高校生3人で榛東村経由でよく移動したなあ、と感心してしまいました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その16  野反湖 キャンプ場の63番バンガロー

2025年01月24日 | ゆるキャン△

 野反湖キャンプ場バンガローエリアの続きです。ビジターセンターから三壁山への登山路を経て、バンガローエリアの北東端の高台に登りました。そして14時39分、上図の63番バンガローの前に着きました。

 

 おお、実際にあるんだ・・・。各務原なでしこ、斉藤恵那、瑞浪絵真らが泊まった63番バンガロー。

 

 現地はバンガローエリアの北東端にあたり、以前はこの63番と隣の48番の2棟のバンガローだけがあってその横は駐車場付きの展望広場になっていたそうです。確かに現状でも野反湖を一望できる一番のビューポイントです。

 

 そして近年に8人用の大型のバンガローが2棟増設されて、現在のように63番バンガローの左手に隣接しています。上図左端に見えるのがその8人用の大型のバンガロー2棟のうちの南側の建物で「白砂山」の名前が付けられています。

 「白砂山」との間にスペースがあり、そこが63番バンガローの区画になっているようで、作中でも各務原なでしこ達が景色を眺めています。

 

 このシーンです。作中では5月のGW期間中ですが、周辺にまだ残雪が見えます。5月でも現地ではまだ冬の気候であるようで、6月からようやく気温が上がって現地の高山植物群の開花期になり、行楽シーズンに入るそうです。

 ちなみに上図のシーンでも、あfろ氏特有の景観美化がなされていて、例えば手前の草藪や「白砂山」の横の木が省略されています。それで実際よりも広々として見えます。

 

 そして上図のスペースで、斉藤恵那と瑞浪絵真がシートを敷いて寝転がり、またはチェアに座って、のんびりと野反湖の景色を眺めていたわけです。

 

 このシーンですね。作中では残雪がありますから、全体的に白っぽくみえる景色だったことでしょう。

 この位置で、3人は夜を過ごしてキャンプ飯を楽しむわけです。実は、私がここに来た時点では、COMIC FIZでの連載の最新話がズバリの第98話で、まさに3人が第63番バンガローの横でキャンプを楽しんでいた最中でありました。

 なので、3人が居るところへ私が「加わった」ような気分で、野反湖の景色もキャンプ場の雰囲気も3人と「共有」している状態に浸れまして、テンションが最高潮に達していたのでした。意図して日時を合わせたわけではなく、たまたまそうなったのですが、とにかく嬉しい「一致」でした。最高のひとときでした。

 

 3人がシートを敷いて夜のひとときを過ごしていた場所は、御覧のように、63番バンガローの横になります。中には入れませんでしたが、室内の様子は作中にて見られます。

 

 このシーンです。バンガローとしては一般的な造りです。

 以前に奈良県に住んでいた頃に、アウトドアスポーツサークルに参加して各地でキャンプをした時期がありましたが、グループまたは団体での実施であったため、幾つかのキャンプ場ではバンガローやコテージに泊まっています。いずれも同じような、何もない殺風景ともいえる室内空間でした。当時、一緒に泊まった仲間が「捕虜収容所」とか「刑務所」とか形容していたのを覚えています。

 

 この位置で20分余り、「各務原なでしこ達と一緒に」座ってお茶を飲み、持参のナッツ類をかじり、まったりと野反湖の景色を眺めました。最高の聖地スポットで最高の気分を味わいましたが、既に日は傾き、雲も増えてきて現地が陰に包まれることが多くなり、それに応じるかのようにハンディGPSの温度計がぐんぐん降下しました。

 ビジターセンターに到着した時点では14度でしたが、この場所では8度になっていました。さすがに標高1500メートル余りの高山域は夕方に近づくと一気に寒くなるなあ、と身を震わせて立ち上がり、もう少し景色を眺めた後、いつかもう一度、高山植物の開花期シーズンに来よう、と思いつつ名残惜しい気持ちで出発しました。

 

 63番バンガローの広場から斜め下を見下ろした図です。沢山のバンガローが並んでいますが、眺望の良さではここ63番バンガローがダントツであることが実感出来ました。時計を見ると15時9分、帰りのバスの時刻まで30分でした。

 

 もと来た道を引き返して、ビジターセンターの前の車道まで降りました。

 

 それから車道をたどって、上図の野反湖キャンプ場の入口の看板の横を通りました。時刻は15時14分、帰りのバスの時刻まで25分でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その15  野反湖 キャンプ場バンガローエリアにて

2025年01月21日 | ゆるキャン△

 野反湖キャンプ場のバンガローエリアの見学に出かけました。ビジターセンターの外に出て、教えられた通りに車道を横ぎって向こう側へ行くと、上図の三壁山への登山口の標識がありました。その右に見える登り坂をたどればよいのだな、と思って足を進めました。

 

 かなり急な坂を登りながら左右を見回しました。上図は左手の景色です。三壁山の東麓の斜面上に沢山のバンガローが建ち並んでいました。

 

 対して右手には、上のほうに数棟しか見えませんでした。歩いている登山路がキャンプ場の北東端にあたることがよく分かりました。傾斜も急になっていて、建物とかを建てられるような地形ではありませんでした。

 

 50メートル余り登って、いったん後ろを振り返りました。野反湖の湖面を含めた周辺の景色が綺麗に望まれました。湖面を望むキャンプ場、がウリの野反湖キャンプ場ですが、さきに通ってきたテントエリア広場のほうが湖面に近くて景色も広々としていたな、と思い出しました。

 

 で、この道にも既視感がありました。やっぱりこの道が作中にも出ていた道か、と考えました。

 

 このシーンですね。各務原なでしこ達三人の背後にビジターセンターの建物の一部が見えますので、位置的にはもう少し下のほうの景観です。

 

 再び前へ向き直って登りました。このアングルも作中に出ています。

 

 右のシーンですね。道が右に曲がっていくところも同じです。曲がりきると車道に出ます。

 

 道を曲がりつつ、左側の下を見下ろしました。エリア内の車道を施設管理作業車とみられる軽トラが走り降りていくのが見えました。これだけの広さと多くの施設があると、メンテナンスも大変なんだろうなあ、と思いました。

 

 道を曲がりながら右手を見ると、端に位置する赤い屋根のバンガローが見えました。あれが目指す63番バンガローだな、と思いました。

 

 エリア内を九十九折に巡る車道に出ました。その右手の景色が上図で、バンガローエリアの中心域にあたります。

 

 車道から回り込む形で、48番バンガローの横を通り、少し行った所で後ろを振り返りました。上図左手前が48番バンガロー、車道の向こうの中央の三角屋根の小屋が3番バーベキュー棟、その右奥の赤い屋根が炊事場棟「ノゾリキスゲ」です。このアングルで作中に出ています。

 

 左のシーンです。瑞浪絵真がこちらを指差して「あれじゃないですか?」と話しています。その通り、こちらの位置の背後に、各務原なでしこ達が泊まる63番バンガローがあります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その14  野反湖 キャンプ場ビジターセンター

2025年01月20日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。今回は湖畔西岸ルートの終点である野反湖キャンプ場のバンガローエリア(旧称第1キャンプ場)のビジターセンターを紹介します。作中で各務原なでしこ、斉藤恵那が館内を見て回り、瑞浪絵真がピザが休みだったショックで玄関口に座り込んでいた施設です。

 上図がそのビジターセンターの正面観です。玄関前に作業用の軽ワゴン車が停めてあるのも、作中と同じです。

 

 このシーンです。野反湖キャンプ場の管理棟を兼ねており、キャンプの手続きもこちらで受け付けています。作中画では、作業用の軽ワゴン車の看板に何と書かれているのかが分かりませんでしたが・・・。

 

 実際には「野反湖キャンプ場入口」とあります。その通りにキャンプ場の入口付近に停めてあることが多いのか、それともこの駐車位置にて野反湖キャンプ場の入口にあたるビジターセンターを指しているか、のどちらかでしょう。

 

 ビジターセンターの玄関口です。右側に「キャンプ場受付事務所」とあります。建物は二階建てですが、斜面上に建っていて二階に玄関口が設けられていますので、一階部分は地階のような感じになってあまり目立ちません。

 

 中に入ると、フロント、自販機コーナー、売店、展示室などがあります。売店ではキャンプ用品を主に取り扱っています。

 

 作中でも同じアングルから描かれます。右手前の売店および展示室のショーケースのレイアウトも同じです。自販機コーナーは玄関ホールにあり、作中ではその横で瑞浪絵真がへたり込んでいます。

 

 同じ位置から右側を見ました。作中では切れている売店および展示室のスペースです。奥には薪も売っています。

 

 フロントの前を横切って奥へ進むと、上図の休憩室があります。かつて野反湖の北端に位置した展望台案内所が閉鎖されてその機能がこちらに移されています。

 係員の方の話によれば、こちらの休憩室では、売店で購入したコーヒーやインスタント、菓子や冷凍食品などを食べて下さい、との事で、食事の提供はやっていないそうです。基本営業時間は8時30分から19時までですが、状況により休憩室のみが休業の場合があるそうです。

 

 フロントにて、ゆるキャンの聖地巡礼に来た旨を話しましたら、展示コーナーにゆるキャンの案内もありますので見て行って下さい、と言われました。御覧のように、作中での野反湖キャンプ場の景色が実際の景色と並べてパネル展示してありました。

 

 既にゆるキャンの事は御存知のようで、関連グッズの一部も販売していました。巡礼者も夏ぐらいからちらほらやってきているとの事で、多くは日帰りだが一部はバンガローに泊まってくれたりします、と嬉しそうに話していました。

 この時点ではまだアニメ4期のことはアナウンスされていなかったと思いますが、アニメ4期には間違いなく群馬キャンプ編が含まれると思います。
 4期はおそらく、3期の終わりに新入生で加わった中津川メイ、瑞浪絵真の二人を準メインに据えてのストーリー展開がなされると思いますので、雁坂みちキャンプ編でメイの活躍を、群馬キャンプ編で絵真の活躍を描くのだろうと予想しています。
 野クルのメンバーも、大垣千明と犬山あおいが雁坂みちキャンプ編に、各務原なでしこと斉藤恵那が群馬キャンプ編に登場して分かれますので、雁坂みちキャンプ編と群馬キャンプ編はセットになるはずです。それに志摩リンのソロでの行動を三峰神社と滝沢ダムにて描写して加えることで、4期の1クールの12話が構成されるのかな、と予想しています。
 それで、アニメ4期にはここ野反湖キャンプ場も登場すると思います。放送後は全国から巡礼ファンが訪れるようになるでしょう。

 

 フロントにて、キャンプ場のバンガローエリアを見学したいと申し出ましたら、ビジターセンターの前から三壁山(みつかべやま 標高1930メートル)への登山路が通じていて一般登山客も行き来しているので、その範囲ならば良いですよ、と言われました。ゆるキャンの聖地の一つになった63番バンガローも、その登山路の近くなので、外見をみるだけなら良いでしょう、との事でした。

 それで、教えられた通りに外へ出て、駐車場の脇にある上図の案内板に近寄って地図を確認しました。

 

 上図右下の「現在地」が案内板の位置にあたります。そこから車道を隔てた向かいに三壁山への登山路の入口があり、その登山路が上図のマップに点線で示されていました。
 点線は斜め左上に進んで、バーベキュー棟の手前で右にクランクして上へ伸びますが、その手前右側に、48番と目指す63番のバンガローの位置表示がありました。

 ただ、この案内板のマップは古い時期のままなので、その後に増設された8人用大型バンガローなどは表示されていません。それで野反湖キャンプ場の公式サイトバンガロー配置図のほうを参考にして下さい、との事でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その13  野反湖 キャンプ場バンガローエリアへ

2025年01月17日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。今回は湖畔西岸ルートの終点である野反湖キャンプ場のバンガローエリア(旧称第1キャンプ場)の駐車場ゾーンおよびその周辺付近を紹介します。作中で各務原なでしこが案内板のマップを見ていたりした場所があります。

 上図は、湖畔西岸ルートの終点である観光駐車場の南側のゾーンです。「カメヤマ」駐車場といいます。すぐ西に「カメヤマ沢」の谷があることに因む名称のようです。バスで貰った野反湖周辺ガイドには漢字で「金山沢」と記されます。

 

 野反湖キャンプ場の体育館の横を抜けると、西の高台に上図の建物が見えました。地図を見て、キャンプ場の管理棟を兼ねる野反湖ビジターセンターだと知りました。その位置までに二段の削平段が連なって、いずれも駐車場になっていました。

 

 駐車場ゾーンの園路をたどり階段をあがって、一段上の広い駐車場に出ました。そこから道を横切って北側のもっと広い駐車場に行きました。広大なキャンプ場ですので、駐車場も充分過ぎるほどの広さがあるようですが、シーズン期には満杯となることもあるそうです。

 その駐車場の南側に、大きな案内板が立ちます。ビジターセンターが背景になっていますが、その景色に既視感を覚えました。

 

 このシーンでした。横に停めてある車が無ければ、同じアングルで撮れます。案内板の後ろの木々が小さいので、現在よりも昔の様子であることが伺えます。

 作中にて、各務原なでしこは63番バンガローに斉藤恵那と瑞浪絵真を残し、一人でテントエリアの広場へ散歩に出かけますが、その歩き始めに案内板のマップを見て位置とルートの確認をしています。

 

 各務原なでしこが見ていた案内板に近寄りました。同じものが富士見峠や野反湖休憩舎の横の分岐点にも立っていましたから、他にもあるのでしょう。

 

 ただ、こちらの地図は西を上に、北を右にしてあります。富士見峠や野反湖休憩舎横の分岐点の案内板の地図は北を上に、東を右にしてありましたから、こちらは野反湖が90度右に回転しているわけです。

 

 その地図の一部が作中にも描かれますので、拡大して合わせてみました。

 

 右のコマです。そのまま描かれています。この地図では「エビ山」は本来の漢字表記の「恵比山」ではないので、各務原なでしこも「エビ??」と首を傾げています。

 

 同じ地図の、現在私が居る地点を中心にしてみました。「現在地」とある地点で、野反湖キャンプ場のバンガローエリアの東端に位置することが分かります。湖畔西岸ルートの表示は特になく、その発着ポイントが野反湖ビジターセンターになっています。距離表示は全くありません。

 

 そういえば、どこにもハイキングルートの標識や距離表示が見当たらないのでした。作中に出ていた「テントエリア800m先」の立札も全然見当たらず、歩いてきた「カメヤマ」駐車場の一角に上図の、看板が外れてしまった支持棒が1本だけあったのを思い出しました。

 後でビジターセンターにて問い合わせて、その上図の棒がまさに作中の「テントエリア800m先」の立札のそれであったことを知りました。

 

 左のコマの立札です。その通り、「カメヤマ」駐車場からテントエリア広場までは約0.8キロあります。

 

 駐車場の北側には野反ダムから通っている車道があり、その向こうの傾斜面のうえには数棟のバンガローが見えました。

 ここからバンガローエリアになるのか、ついにここまでやってきたか、各務原なでしこ達が利用した63番バンガローはどのあたりにあるのだろうな、と考えたりしました。時刻は14時19分でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その12  野反湖 ニシブタ沢を通る

2025年01月16日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。今回は上図のテントエリア(旧称第2キャンプ場)付近から湖畔西岸ルートの終点付近までの約0.7キロの赤線のコースを紹介します。各務原なでしこがバンガローエリアから散歩してきたルートです。

 

 テントエリアの広場から出て「笹清水」の岩場を見た後、湖畔西岸ルートを再び歩きました。「笹清水」の北側の上図の景色にも既視感がありました。作中の景色が、このあたりをモデルにしているなと気付きました。

 

 このシーンです。実際にはシラカバの林と千島笹の群生に遮られて見えにくくなっている湖面が、シラカバの林と千島笹の群生を省いているために綺麗に見えます。あfろ氏の作画によくみられる、景観美化の手法です。

 現地では見られない景色なので、ちょっと困惑しつつ、いったん「笹清水」の南側まで引き返して、再度右手の景色を確認しましたが、広場からずっとシラカバの林と千島笹の群生が続いているので、湖面は僅かしか見えませんでした。

 

 再び前に進みました。緩やかな下り坂になっているのが、ハンディGPSの数値からも分かりました。標高の数値が少しずつ下がって1510メートルに近づきました。地図を見ると野反湖の北側の西の細い入り江の付け根にさしかかりつつありました。

 

 その入り江は西では細い谷間となり、御覧のようにそれを渡る橋が架けられています。湖畔西岸ルートのショートカット部分にあたりますが、作中で各務原なでしこはこの橋を渡っていないため、私も道から見下ろすにとどめました。

 

 道なりに進んで、14時2分、上図の大きな右カーブに着きました。さきに見た谷間の源流で、地図では「ニシブタ沢」とあります。ハンディGPSの数値は1507メートルになっていました。おそらく、湖畔西岸ルートで最も低い位置だろう、と思いました。この「ニシブタ沢」に架かるコンクリートの橋のあたりが作中に描かれます。

 

 左のコマです。右へ曲がる道、コンクリートの橋、奥の看板、沢から溢れて橋の手前の道を横切って流れる水、の全てが一致します。道に溢れて流れる水を、各務原なでしこが「よっ」と飛び越えています。

 

 実際に沢から溢れた水が橋の手前の道を横切って流れていました。現地はここ数日天気に恵まれていたそうなので、「ニシブタ沢」の流水量も少なかったようで、道への溢れ水も、上図のようになんとか歩いて渡れる程度でした。雨が降ったりしたら、溢れ水も数倍に増えるのかもしれません。

 

 「ニシブタ沢」を見ました。地図で見ると、野反湖に注ぐ沢はこの「ニシブタ沢」のほか、三ヵ所にあります。「ニシブタ沢」の北側に位置する「カメヤマ沢」、東岸の「ハンノ木沢」の支流、および八間山中腹の湧水に発する「大空堀沢」が地図に記されています。
 これらの沢からの流水が、いまの野反湖の水の大部分を占めているのでしょう。

 

 「ニシブタ沢」の奥には安山岩とみられる暗緑色の露岩が幾つも望まれます。これまでずっとなだらかな地形の中を歩いてきて岩や露岩などを全く見ていなかったので、こういった沢筋にて地層の断面をみると、やっぱりここも火山帯の造山活動による地形なのだな、と思い知らされます。

 

 再び歩き出して、「ニシブタ沢」の北へ回り、すぐ北にある「カメヤマ沢」を渡りました。それから道は登りに転じ、14時10分、ハンディGPSの数値が1521メートルに達しました。その際に後ろを振り返ったのが上図です。作中に描かれる場所がこのあたりかな、と考えたからでした。

 

 左のシーンですね。前のコマで終点にあたるハイキングルート入口の距離標識が描かれるので、終点が近づいているのだろうと思いました。

 

 道が左にカーブして、前方に上図の建物が見えてきました。野反湖キャンプ場の体育館で、セントラルロッジとも呼ばれる、緊急避難施設を兼ねた建物です。

 

 そして14時13分、ついに湖畔西岸ルートの終点、野反湖キャンプ場の駐車場の南端に着きました。12時35分に富士見峠を出発してから1時間38分で到達したわけで、スタート時に見込んだ所要時間1時間40分にあと2分でした。

 バスで運転手さんにいただいた野反湖周辺ガイドでも、この湖畔西岸ルートの所要時間を1時間40分と記していますが、まさにズバリであったわけです。私の歩速がかなり速いほうに属することを考えると、普通の方の所要時間は約2時間を見ておくべきだろうと思います。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その11  野反湖 キャンプ場テントエリアから

2025年01月12日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図のテントエリア(旧称第2キャンプ場)からテントエリアの北口付近までの赤線のコースを紹介します。各務原なでしこがバンガローエリアから散歩してきたルートの一部にあたります。

 

 テントエリアに着いて、各務原なでしこが座っていたベンチにて10分ほど休憩しました。その後にテントエリアの広場を北から撮ったのが上図です。

 この日もテント泊の客が数人居ましたが、いずれもテントを広場の西側の高台の芝生地、東南側の低地に張っていました。こちらの広場はハイキングコースの中継点ともなっていてハイカーや登山客も行き来するため、テント泊にはやや不向きのようでした。と言うより、広場ですからテント泊のエリアとは別になっているのかもしれません。

 

 同じ位置、各務原なでしこが座ったベンチから北側を見たのが上図です。左奥に炊事場の施設があります。炊事場の北側は広場の境界線になっているようで、生垣の向こうの雑木林はテントサイトになっています。その北東側には一段低い平地があってテントサイトになっています。

 広場の東側と東南側にも同じような平場のテントサイトがあり、広場からもよく見渡せます。
 このテントエリアは、全体としてみますと、この広場を中心にして、西側の高台、北側の雑木林、湖畔の低地の北東側、東側および東南側の5ヶ所のサイトに分かれているようで、かなりの広さがあります。バンガローエリアのほうも広大な面積に及ぶと聞きますから、これらを合わせた野反湖キャンプ場は、国内でも有数の大規模なキャンプ場なのだろうと思います。

 

 その炊事場の施設は、さきに広場の南側で見たのと同じ造り、同じ内部の建物でした。

 

 ここから再び湖畔西岸ルートの道に戻りました。作中で各務原なでしこがバンガローエリアから散歩してきたルートを逆にたどるわけです。上図のアングルも作中のそれでした。

 

 このシーンですね。例によって広域ワイド魚眼レンズ風の景色ですから、右半分の景色は私のデジカメでは捉えられませんでした。

 

 それで向きを40度ほど右にずらして、上掲の作中画の右半分の景色を撮りました。作中画は多くが広々として見えますが、ここも例にもれませんので、実際に現地を見るとそんなに広くはないことが分かります。

 原作者のあfろ氏は、取材時に景色をリコーのTHETAのような360度全天球カメラで撮ることが多いそうで、それは「MONO」の雨宮さつきの愛機「ヴィータ」にも反映されています。

 そういえば、サークル交流仲間のモケジョさんがスマホに乗せるだけで360度ビューが撮れるKRAVASのレンズキットを持っていて、それで模型内覧展示会の景色などを撮っているのでその画像を見せて貰ったことがありますが、同じような広域ワイド魚眼レンズ風の景色でした。両端が丸くゆがむものの、実際よりも広々として見える点はゆるキャンの作中画と同じでした。

 

 さて、テントエリアの広場から湖畔西岸ルートへ戻ることにしました。広場の北に上図の線路のように見える道が続いていました。その左脇に小さな立札がたっているので、近寄ってみました。

 

 その小さな立札には、上図のテントエリアマップが貼ってありました。テントエリアの規模がよく分かります。広場を中心にして南側を除く五方にサイトが配置されています。

 五方のサイトとは、西側の高台の芝生地「山手」(マップでは上)、北側の雑木林サイト「林間」(マップでは右)、北東側の低地「湖畔北」(マップでは右下)、東側の低地「湖畔中央」(マップでは下)、東南側の低地「湖畔南」(マップでは左下)を指します。これらのうち、東の三つの低地のサイトからは湖畔の汀の砂浜に下りられるようです。湖畔近くにテントを張るならその三ヶ所のサイトが良さそうです。

 マップ中に「ゴミ捨て場」とある地点の右側が広場北側の現在地でした。そこから右斜め上へまっすぐに引かれる道が、これからたどるキャンプ場バンガローエリアへの道、すなわち各務原なでしこが散歩してきたルートにあたります。

 

 道を20メートルばかり進むと、左手に上図の進路標識が立つ分岐点に着きました。標識が示すように、湖畔西岸ルートの道は広場の西側をまっすぐに通って、この分岐点で合流しています。私は南側の炊事場の横で湖畔西岸ルートから外れてテントエリア広場のほうに入ったのでした。

 

 分岐点の様子です。右が湖畔西岸ルートで、その右手にテントエリアの広い芝生地が広がります。この日は芝生地にテントが6張見えて、2張からは炊事の煙もたなびいていました。

 そして左がテントエリアの広場への道です。道に細い丸太が二本敷かれて線路のように見えますが、右の湖畔西岸ルートが道幅いっぱいなのに対して左の道は丸太の外側にもスペースがあります。所々に轍が見えましたので、この道は車でも通行が出来るようです。キャンプ場の施設管理用の作業車輛が通れるようにしてあるのでしょう。
 すると、線路のように見える部分の中央が、歩道なのかもしれない、と思いました。

 

 その道をさらに20メートルほど進んで一度振り返った図です。分岐点は見えなくなっていましたが、既視感がありました。作中にこのアングルで描かれるからです。

 

 上段の左のコマの場面です。道が実際よりも幅広に描かれ、各務原なでしこが歩いている中央部分が黒くあらわされていますが、実際には地面の色の塗り分けはなくて、丸太にはさまれた中央部分のみに簡易舗装が施されているにとどまります。

 

 道の西側には、マップで「笹清水」と示される自然石の手水があり、湧水からとみられる導水管より水が流れ落ちていました。

 

 水量が豊かなので、自然石の手水も溢れて下の水路へと流れ落ちていました。その透き通った綺麗な水で手を洗い、顔も洗ってサッパリしましたが、そのうちに、あっ、これか、と気付きました。

 

 上段の右のコマの場面だったのでした。作中画では残雪があって周囲が白っぽくなっているので、道端の「笹清水」だとは分かりませんでした。現地で実物を使用して初めて、やっと作中画のアレだと分かったのでした。

 各務原なでしこもこの「笹清水」を横目に見て、テントサイトへ向かったわけです。そして広場に至って「お」「ここかな?」と思っているわけです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その10  野反湖 テン場のお花畑からキャンプサイトへ

2025年01月11日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「シラカバ淵」を過ぎて少し進んだ地点からテントエリア(旧称第2キャンプ場)までの赤線のコースを紹介します。

 

 「シラカバ淵」を過ぎて少し進んだ地点から北へ進みました。御覧のように僅かな登り坂となり、前方に雑木林が見えてきました。エビ山の北西尾根の先端に位置する緩傾斜地をまっすぐ突っ切る形でした。

 

 まもなく、左手に上図の標識を見ました。富士見峠より4キロ地点、ビジターセンターまで1キロの地点でした。「テン場」とは現地の地名のようですが、「お花畑」はこのエリアが高山植物の集中域の中心にあたることを示した地称だろうか、と思いました。

 野反湖の多くの高山植物の開花シーズンは6月から8月にかけてですので、10月の今回は花を全く見かけませんでした。それで、開花シーズンに再度ここへ来ようか、と考え始めたことでした。今回の秋の景色があまりにも見応えがあって良いものですから、ノゾリキスゲなどの花が咲き乱れる陽春から初夏の頃は、もっと素晴らしいに違いない、と思いました。

 

 それから道は細い沢のような地形を越えて右にカーブし、階段となって高台に上がりました。その次の左カーブを過ぎると、前方に上図の建物が見えてきました。ハンディGPSの位置表示がキャンプ場ゾーンの南端に出ていたので、どうやら野反湖キャンプ場のテントエリアに着いたようだ、と悟りました。

 

 建物の手前に上図の分岐点がありました。上図の左が私の歩いてきた湖畔西岸ルート、右の奥へ続く道が弁天山からエビ山の稜線をたどる登山ルートの終点にあたります。その横にはテントエリアの一部とみられる芝生地が広がっていました。

 

 分岐点を過ぎて前方の建物に近づきました。野反湖キャンプ場の施設案内にて「炊事場」と呼ばれる施設でした。この「炊事場」はバンガローエリアに5ヵ所、テントエリアに2ヵ所あり、上図の建物はテントエリアの南端に位置しています。

 

 「炊事場」の内部です。左側にかまど、右側にシンクが並びます。建物の上半分は柱だけの吹き放ちで、炊事の煙が外へ流れやすいようになっており、下半分は防火防水のブロック積みとなっています。

 

 通り抜けて反対側から見ました。作中で各務原なでしこが見ていたのはこっちのアングルだったかな・・・。

 

 「炊事場」の脇からテントサイトに出ました。湖畔を望む高台を削平して広場を設け、休憩ベンチを配置してあります。奥に北側の「炊事場」が見えます。作中で各務原なでしこがバンガローエリアより散歩してここに来ています。

 

 南端の「炊事場」の東には上図の大きな建物がありました。作中にて各務原なでしこが「トイレもすごいちゃんとしてる」と感心して見ていた施設です。

 

 このシーンです。広域ワイドの魚眼レンズで撮った景色のようで、トイレの屋根が丸くゆがんでいます。

 

 富士見峠からの5キロをひたすら歩いてきましたので、休憩しようとベンチの一つに近寄りました。背景の湖面や山並みの見え方が作中と同じでしたが、作中画では景観を見やすくするために手前の木や草藪だけが省略されていました。

 

 このシーンですね。

 

 上掲のシーンにアングルを合わせてみました。作中の景色では手前の木や草藪だけが省かれていることが分かります。ゆるキャンではよく見られる景観向上の手法ですが、実際の景色とは異なるので、時折違和感を覚える事があります。

 

 作中の同じアングルの景色は、このようにスッキリしています。同じ景色を期待して現地に来ると、作中画と異なるのに驚かされることがままあります。上図では湖面が実際よりも広く、そして近くに感じられるのですが、実際には水辺までは少し距離があります。というか、広場の端は緩い崖面になっていて、その下にも平場があってテントサイトになっています。

 

 各務原なでしこが座って景色を眺めていたベンチに座りました。時刻は13時40分、富士見峠を出発してから1時間5分で今回のルートの8割近くの約4.5キロを歩いたことになります。ここから終点の野反湖バス停までは約1.5キロでしたから、あと30分も歩けば到達出来る見込みでした。

 いずれにせよ、今回の湖畔西岸ルートの全部を約2時間で踏破する計画でのぞみましたが、実際には1時間半ぐらいで行ける目途が立ちました。それで心に余裕が生まれて、なでしこリュックからペットボトルを出して水を飲みつつ、各務原なでしこのベンチに座っている幸福感に包まれました。最高の気分でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その9  野反湖 シラカバ淵を過ぎて

2025年01月07日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「蛇帝ガ原」から「シラカバ淵」を過ぎて少し進んだ地点までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「蛇帝ガ原」から100メートルほど進むと、千島笹の群生の背丈が低くなっていきました。各地点ごとに千島笹の背丈が異なるのは、生育時期が異なるからなのかな、と左右を見回しつつ考えました。

 標高1500メートル級の高山域の山道を歩くのは、私の場合は、20代後半期に登山に一時期はまって北アルプスや立山連峰の縦走などにアタックしていた時を除けば、30代や40代に故郷奈良県の大台ケ原(おおだいがはら 標高1695メートル)および大峰奥駈道(おおみねおくがけみち 標高1000から1900メートル)を歩いたぐらいですが、いずれも千島笹の群生の中を進んでいた記憶があります。

 それで、千島笹の群生を見ると標高1000メートル以上の高いところに居るな、といつも思います。

 

 ですが、大台ケ原でも大峰奥駈道でも湖というのはありませんでしたから、千島笹の群生の向こうにあおあおとした広い水面が見えること自体、私にとっては初めての体験でした。

 それもそのはず、野反湖はダム人造湖としては国内で2番目に高い所にある、稀に見る高山域の湖です。他で似たような標高レベルにある人造湖は長野県の奥三川湖のみで、あとは火山のカルデラ湖しかなく、それも標高1500メートル以上の高さにあるケースは稀です。

 なので、今回の野反湖は、ゆるキャン聖地の一つではありますが、それ以上に国内では稀な低地帯上限地域の湖として知られ、亜高山帯に近いために現地の自然や植物相にも独特のものがあり、登山ルートとしても珍しい部類に入るエリアとして知られています。
 ですが、知名度は関東地方でもそんなに高くないそうで、関西では知られていないようです。私自身もゆるキャンを通して初めて知りましたが、西日本では野反湖のような観光地がまったく存在しないことを考えると、国内でも稀有の穴場的スポットではないかと思います。

 

 道は僅かに登り坂となりましたが、ハンディGPSの高度計は1メートルも上がらず、また下りになって上図の雑木林に入りました。樹木の大半はブナとカバのようでしたが、見た事のない曲がりくねった木も混在していました。後で調べてダケカンバと分かりました。

 

 そのダケカンバ交じりの林を抜け、ハンディGPSの高度計が次第に下がるのを見、前方の上図の景色を見ました。エビ山の北東尾根が湖面に丸く突き出す地形の先端部を、等高線に沿って曲がるあたりで、野反湖の湖面が視界の半分ほどを占めて広がってきました。

 

 野反湖は南北に長い湖なので、西岸の中央部から眺めると上図のように横長の大きな湖に見えます。富士見峠から眺めた景色とまったく違う雰囲気なので、別の湖に思えてしまいました。景観の変化が楽しめる、というのはこういうことだな、と改めて感じました。

 

 個人的にはこのあたりの道と野反湖の景色が気に入りました。歩速も少し落として、ゆっくりと進みながら右手の景色をまったりと眺めました。

 

 真っすぐな道は、再び左に曲がっていき、前方に湖面が回ってきましたので、また西側に汀線が張り出すエリアであることが実感出来ました。

 

 間もなく、上図の標識の横を通りました。富士見峠から3.5キロ地点の「シラカバ淵」ですが、地形的には淵と思えるような低湿地帯は見当たらず、周囲の地面は千島笹の群生に覆われていました。

 

 標識の周りの景色です。「シラカバ淵」の名の通り、シラカバの林の中でした。

 

 そのシラカバ林を抜けると、右側つまり湖面側の千島笹の群生が途切れ、別の植物の群落が上図のように広がりました。後で調べて、オオバショリマおよびイワノガリヤスの群落と分かりました。

 

 なおも進むと、右側の植物相が再び変化しました。御覧のように枯れ草ばかりの茶色の群落になり、その奥にはススキのようにも見える別の植物の群落がありました。
 高山域にもススキがあるのか、と思いましたが、後で調べるとやっぱりススキでした。ただ、幾つかの種に分かれるようで、ノガリヤス、クロヅル、オヤマリンドウ、ノハナショウブを区分種としてススキ群落にまとめられる、と報告資料では述べられています。

 

 ススキっぽい群落の次は、上図の低い枯れ草まじりの群生が湖畔までの広い範囲を埋めていました。葉の形が笹とは違うので笹類ではないと分かったものの、名前までは分かりませんでした。枯れてボロボロになっているせいもありましたが、2、3種類の植物が混在しているように見えました。そのうちの1種はシラネアオイと後になって知りました。

 

 野反湖の湖面が左つまり北にいくにしたがって狭まってきていました。北端が近づいているな、と感じました。

 

 そして、やや後方を振り返ると、なんとなく既視感があるような景色が広がっていました。手前の木々が無ければ、作中の景色によく似ているのでした。

 

 このシーンです。湖面の向こうの八間山の姿が似たような形で望まれます。作中で各務原なでしこがテントサイトから眺めていた景色のワンシーンですので、テントサイトに近づいていることがよく分かりました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その8  野反湖 カモシカ淵から蛇帝ガ原へ

2025年01月06日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「カモシカ淵」から「エビ平」を経て「蛇帝ガ原」までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「カモシカ淵」より西へ200メートルほど進むと、北に見えていた野反湖の湖面が汀の砂浜に転じました。湖面が西に出っ張る部分の西岸でした。同時に、ブナやカバの雑木林を抜けました。

 

 それからは千島笹の群生が広がる緩やかな谷間に出て、視界が大きく180度に広がり、上図中央より左のピーク、標高1744メートルのエビ山が望まれました。手前の緩やかな谷間地形はそのエビ山の東麓にあたり、野反湖周辺では最もなだらかな低丘陵となっています。

 

 道は右へカープして、方位磁石の針が西から北へと移りました。前方に案内板らしき標識が見えてきました。ハンディGPSの高度計は1510メートルに近づきつつありました。

 上図中央の奥の小ピークは、地図では「エビの見晴台」とありました。作中の瑞浪絵真の夢の中で各務原なでしこ達3人がキャンプ場からエビ山へと登ったルートの途中にあたります。

 

 道が下り坂になり、谷間地形の底へと降りるような形になり、そのあたりの段差がかなりありました。その地点から北を見ました。野反湖の湖面は僅かしか見えませんでした。

 

 13時11分、上図の標識が立つ分岐点に着きました。今回の湖畔西岸ルートは右に進みますが、左に曲がると弁天山からエビ山への山道ルートへと登ります。

 

 分岐点より、もときた道を振り返りました。あの雑木林を抜け、段差を降りてきたわけです。

 

 分岐点から少し北へ進んだところに案内板とベンチがありました。その案内板の地図を見て、現在地の谷間地形が「エビ沢」であると知りました。

 この案内板および地図はかなり古いもので、現地の登山路が2018年に開通した「ぐんま県境稜線トレイル」の中心的エリアに属する前からあったそうです。現在の野反湖エリアの地図や登山ルートは「ぐんま県境稜線トレイル」の基本設定に沿って再構成されたものだといいますから、上図の地図の表記はそれ以前のものだろうな、と思いました。

 なので、現在は野反湖キャンプ場の「バンガローエリア」「テントエリア」と呼ばれる区域が、上図では「第1キャンプ場」「第2キャンプ場」の旧名で書かれ、現在は無くなっている「野反湖ロッジ」が記されています。

 

 そして「エビ山」は「恵比山」と表記されています。そうか、漢字で書くと恵比なのか、各務原なでしこがイメージしていた海老ではないわけだ、と理解しました。「エビ沢」も本来は「恵比沢」と書いたんだろうな、と思いました。

 

 案内板の地点から東を見ました。ここから見る野反湖の姿も風情があって良いです。色々な地点から眺めると、野反湖の景色もそれぞれに変化してゆきますので、見飽きることがありません。

 

 50メートルぐらい歩いて、上図の「エビ平」の標識を見ました。富士見峠から2.5キロ、ビジターセンターまで2.5キロですから、ここが今回の湖畔西岸ルートの中間点にあたるわけでした。

 時刻は13時14分、スタートしてから49分でした。約2時間でいけるだろうと見込んでいましたが、実際には中間点に1時間足らずで到達したわけでした。よし、いいぞ、いけるぞ、と心に余裕が生まれてきて、気が楽になりました。

 

 道は僅かな登り坂となって、野反湖の西の出っ張りの汀線と等間隔を保ちつつ、北東へ、次いで北へ続きました。ハンディGPSの高度計も、エビ平での1510メートルから少しずつ上昇し始めて、1513メートルまであがっていきました。

 

 それからしばらくは、道が等高線に沿っているとみえて、ハンディGPSの高度計も1513メートルの前後に揺れるだけの状態が続きました。道も笹の落ち葉に覆われずに地面がずっと見えている状態で、歩きやすかったです。

 

 上図を撮影した直後に、向こうから夫婦とみられる2人のハイカーがやってきて、挨拶を交わしながらすれ違いました。道は平坦ですか、と訊かれましたので、少しはアップダウンがありますよ、と答えました。向こうは「ここから先はずっとキャンプ場まで、下りか平坦でしてね」と教えてくれました。

 

 道の左右の千島笹の群生の背丈がまた伸びてきました。所々に細い枯れ木が点在していました。何の木かな、と思いましたが、現地には樹種の表札すらありませんので、木々の種類はよく分からないままでした。

 

 道は平坦なまま、北北西にほぼ直線状に続きました。空を覆うほどの雑木林が無いので、陽光に暖まりつつ、右に野反湖の湖面を眺めながら進みました。

 

 程なくして、上図の「蛇帝ガ原」の標識に辿り着きました。富士見峠から3キロの地点でした。周囲の千島笹は私の身長よりも高く伸びていて、そのために東上に見えるはずの「エビ山」の斜面が全然見えませんでした。

 蛇の字が付くので、このあたりに蛇がたくさん生息していたのかもしれませんが、群馬県立自然史博物館が2019年に実施した野生動物類の生態調査では、蛇を含めた爬虫類の生息は確認出来なかったとの事です。
 両生類のほうは、クロサンショウウオ、モリアオガエル、アズマヒキガエル、ヤマアカガエルなどが多数確認されたといい、いずれも国および群馬県のレッドリストにおいて準絶滅危惧と評価されているそうです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その7  野反湖 どじょう小屋沢からカモシカ淵へ

2025年01月03日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「どじょう小屋沢」から「押出し」を経て「カモシカ淵」までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「どじょう小屋沢」の標識の地点にて、歩いてきた道を振り返りました。沢がどこかに流れているのかと思って探していたからです。
 これまでに二ヶ所ほど小さな橋を渡りましたが、地形的に細い谷間になっている箇所ばかりで水は流れておらず、「どじょう小屋沢」の辺りに沢があるのだろうと思いましたが、それ以前に沢を渡る橋がまったくありませんでした。

 

 道は再び登り坂となりました。林も疎らになってきて、視界が次第に広がってきました。ハンディGPSの高度計は1520メートルを示していましたので、登っていると思っている割にはさっきよりも低い位置にいるのだと知りました。
 登りきると道は平坦になり、右手に野反湖の湖面が広がってゆきました。

 

 少し行くと上図の分岐点に出ました。弁天山ルートから北麓へと降りる支道がここに繋がっているのでした。標識とベンチがあり、眺めも良いので展望所を兼ねているようです。
 時計をみると12時54分でした。富士見峠を12時35分にスタートしましたから、19分で1キロ余りを歩いたことになります。

 

 同じ位置から後ろを振り返りました。斜面をびっしりと覆う千島笹の群生も、このあたりでは背が低くなっていました。雑木林の下では背が高く育っていて私の頭ぐらいまで伸びていた千島笹が、このような日当たりの良い場所では膝下ぐらいの高さにしかなっていませんので、不思議な気がしました。日陰を好む植物なのでしょうか。

 

 歩き出しつつ、野反湖の景色を眺めました。御覧のように周辺数キロの山々にもまったく人工物、例えば送電線鉄塔や電柱などが見当たりませんので、太古以来の大自然の風景をそのまま満喫出来ます。

 ですが、林野庁の報告資料などを読みますと、江戸期より付近の人々により入山地区の生活圏として認識されていたようで、毎年の秋に人々がイワスゲ(タテヤマスゲ)刈りを行い、食糧とするための山菜や生活用品の材料を採取する場として利用していたそうです。
 さらに前述したように明治期には野反池にドジョウやコイを放流し養殖する事業が行われて弁天山麓の湖畔に笹小屋が建てられています。また、昭和の始めには湖畔に登山者のための山小屋が建てられ、戦後には野反ダム建設のための板材とするべく、現在の野反湖キャンプ場の範囲の樹林が伐採されています。

 このように、野反湖エリアには江戸期より色々と人の手が入っており、いま自然林に見える雑木林も、一部は伐採後の代替植林であるそうです。

 

 道は平坦なまま北へと続き、やがて湖面が北へも回り始めてきました。ハンディGPSの現在位置表示を見て、弁天山の北麓の主尾根の先端にさしかかるところだと知りました。この日はよく晴れていましたから、雲などによるGPSの誤差は殆ど無かったようで、国土地理院の地図と照らし合わせてもあまりズレが感じられませんでした。

 

 道が左へ曲がり始めた地点に上図の標識がありました。弁天山の北麓の主尾根の先端が湖面に押し出すように張り出している地形をそのまま「押出し」と呼んだのでしょうか。シンプルで分かりやすい地名です。

 

 道は左に曲がり、再び上図のように真っすぐになり、その先で再び左に曲がりました。弁天山の北麓の主尾根の先端をぐるりと西へ回っていることが実感出来ました。
 こういった移動中に方位磁石の針が揺れてゆくのを見、ハンディGPSの表示数値が刻々と変わっていくのを見るのはなかなか楽しいです。現在地の地形状況をリアルタイムで把握出来ますので、野反湖湖畔の地形が手に取るように分かります。

 

 尾根の先端部から湖面を見ました。野反湖の水面が西側に大きく張り出す部分ですが、地図で見るよりも広々として感じられました。どこを見ても絵になる景色ばかりですので、撮影のほうも楽しくて大忙しでした。
 この日の野反湖だけで500枚ぐらい撮りましたが、全部をブログに掲載するのは無理なので、色々と厳選し、嫁さんにも選んでもらって50枚程度に絞り込みました。

 

 野反湖の西の張り出し部分は水深が浅くなっているようで、汀の砂浜もゆるやかに広がっていました。このあたりから道が下り坂となり、谷間のような低地を橋で渡り、さらにドロドロの地面が水草の間に見え隠れする湿地を再び長い橋で渡りました。

 

 このあたりで道が最も低い位置に下りて、ハンディGPSの数値は1512メートルを示しました。地図表示に切り替えると、細い谷間部分を示しました。

 

 その直後に上図の標識に出会いました。なるほど「カモシカ淵」か、さっきの低い谷間のような地形と湿地がもとは淵だったのだろう、と思い当りました。
 カモシカの姿は見当たりませんでしたが、林野庁の資料によれは、ニホンカモシカを始め、テンやキツネなど10種類以上の哺乳動物、オオタカ・ハイタカ・クマタカなどの鳥類が生息している、とあります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その6  野反湖 湖畔西岸の径

2025年01月02日 | ゆるキャン△

 12時35分に富士見峠(野反峠)を起点としてスタートした今回の野反湖ハイキングは、上図の約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回はその最初の1キロ分、上図の「どじょう小屋沢」までの赤線のコースを紹介します。

 

 富士見峠より歩き出して、最初の分岐点にて、一度「野反湖休憩舎」のほうを振り返りました。分岐にて右へ行くと、弁天山やエビ山の稜線を登るルートに行きます。

 

 同じ位置から真東を見ました。奥のピークが八間山(標高1934.5メートル)です。富士見峠から東へ登る登山ルートがその八間山の山頂へ向かい、北尾根沿いに野反湖北端の観光駐車場の登山口まで続いています。
 その登山口の横に、長野原草津口駅からのバス路線の終点である野反湖バス停があります。今回のハイキングコースの終点が、その野反湖バス停で、バスの最終便の発車時刻である15時39分が、タイムリミットでした。

 

 歩き出しながら北の野反湖を眺めました。何度見ても、太古以来の自然の湖に見えるなあ、ダムによって出来た人造湖とは思えないなあ、と思いました。野反ダムは北端に位置しており、こちらからは全然見えませんでした。

 

 道は湖岸のほうへと迂回気味に、ずっと下り坂となっていました。全体的に平坦なルートだとは聞いていましたが、道の前方に弁天山やエビ山の西麓の支尾根が幾重にも連なって見えるので、それらを越える小さなアップダウンが連続するのだろうな、と思いました。

 

 野反湖は、御覧のように湖岸に白っぽい砂浜のような汀辺が幅広に見えて、満水期よりはやや水面が下がった状態であることが分かりました。そうすると、水深の浅い入り江部分などは水がかなり引いているのかもしれないな、と考えました。

 

 道は北に下って、湖畔に近づくかに見えて、実際にはやや離れ気味に北北東へ転じて、上図のまっすぐな登り坂になりました。両側に千島笹が広がりはじめ、雑木林の中に入りました。

 

 雑木林に入る直前に一度後ろを振り返りました。降りてきた道の向こうに富士見峠の稜線と「野反湖休憩舎」が見えました。まだ歩き始めて3分ぐらいでしたが、もうあんなに離れているか、と思いました。

 

 少し歩いた後の12時41分、上図の小屋が見える分岐に出ました。小屋は廃屋然とした雰囲気で、長い事使われていないようでした。現地は野反湖の南端に丸く突き出た、弁天山の南東尾根上の小ピークにあたるので、周囲の林が無かったら、湖面の眺望が良いだろうな、と思いました。

 上図の分岐で右に行くと、湖畔東岸ルートに行きます。今回は湖畔西岸ルートなので左に進みました。

 

 再び緩やかな登り坂になりました。樺とみられる林の下の千島笹の群生地のなかを登りました。普段はなかなか見られない、標高1500メートル台の高海抜地ならばでの植物相の景観が新鮮なものとして目に映りました。

 

 途中で見かけた湖畔西岸歩道の標識。富士見峠から0.5キロの地点でした。右の「ビジターセンター」とは今回目指している野反湖キャンプ場のビジターセンターのことで、ここから4.5キロ先となっていました。

 

 道は緩やかに右へ曲がり、持参した方位磁石の針がさっきまで西寄りだったのが、次第に北西、北北西へと転じました。左右の千島笹はだんだん背が高くなってきましたが、空を覆う樺の林は変わらない高さで弁天山の北東麓の斜面を覆っていました。

 

 北北西に登ると道は上図のように真っすぐなまま、僅かな下り坂に転じました。方位磁石と共に持参したハンディGPSの高度計は1528メートルを示していました。

 奈良県に住んでいた頃、県内の中世戦国期の数多くの山城跡を訪ね歩いていた時期に使用していた方位磁石とハンディGPSですが、十数年ぶりの使用にもかかわらず、正確に作動し測定値を表示し続けていました。それに励まされるように、枯れ笹が積み重なった柔らかい山道を歩きました。

 

 それから登り坂になりましたが、程なくピークに達してしばらくは平坦になり、右手の雑木林が無くなって上図のように野反湖の青い湖面が見えるようになりました。

 

 右下に湖岸線が小さく入り江ふうに屈曲しているのが見え、そこからは上図のように千島笹の群生も背が低くなって、湖面の眺望が開けてきました。雑木林が帯状に無くなっているので、戦前および戦後に伐採が行われたのはこのあたりかな、と考えました。

 

 上図の標識を見ました。この場所一帯が「どじょう小屋沢」と呼ばれ、富士見峠から1キロの地点にあたります。

 この辺りに、明治時代末にドジョウやコイを放流、養殖するための笹小屋(ドジョウ小屋)が建てられ、初夏から秋まで泊まり込みでドジョウを取り、近くの草津温泉の旅館に販売していたといいます。
 笹小屋は戦後間もなくの昭和26年頃まで続いたそうですが、全て廃止撤去され、いまではどこにも痕跡すらとどめていません。「どじょう小屋沢」の地名だけが残っています。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その5  野反湖 富士見峠より

2024年12月29日 | ゆるキャン△

 「野反湖休憩舎」での昼食休憩は30分で切り上げました。これから野反湖ハイキングをするので時間が貴重だったからでした。外に出て、観光駐車場の向こうの車道までいったん戻りました。

 

 案内マップでは、この野反峠バス停の地点を富士見峠と記しています。富士山が遠くに望めるから富士見峠なのかな、と思いつつ地図で富士山の方角を確かめてそちらを凝視しましたが、遠景は霞んでいて近くの山並みさえも淡い影のみになっていました。

 とりあえず、この地点が今回の野反湖ハイキングの起点になりますので、時計を見て12時35分と知り、メモしました。
 アニメ4期では間違いなくここ野反湖も出ますから、その放送後には訪れるファンが増えるものと予想されます。その大半が私と同じように野反湖のハイキングを楽しむだろうと思うので、ルートの状況や所要時間を実際に見て調べて、レポートしておくのは大事だろう、と考えました。

 

 12時36分、富士見峠の石碑横から野反湖を再び眺めました。

 

 作中のカラー表紙でも同じ位置からの広域ワイドの景色が描かれます。各務原なでしこ達が立ち止まって野反湖を眺めていますが、右奥には、乗ってきたバスがまだ停車したままです。

 現実には、バスはすぐ発車して次のバス停へ行ってしまいますから、この描写は有り得ないのですが、3人がバスに乗ってきて、あの位置で降りたという流れが分かるように、あえてバスを描いているものと思われます。

 

 野反湖は、その美しい景観が自然のままに見えるので、人工湖であることが信じられないです。

 ですが、群馬県立自然史博物館の報告書「野反湖周辺(補完調査)」によれば、信濃川水系中津川の水源としてもとから存在していた野反池を、野反ダム(1956年竣工)によって嵩上げさせた人造湖であるということです。その湖面標高は1513メートル、総貯水容量は2705万立方メートル、周囲約9キロを測ります。

 もとの野反池については、前述の報告書の32ページに写真が掲載されてかつての規模が分かります。池と周囲の湿原から成っていたようで、現在の野反湖の写真と並べてあり、野反湖が野反池の約20倍ぐらいの規模になっている様子が分かります。

 

 野反湖を眺めつつ、周辺登山道を富士見峠から西へと辿り始めて、前方左寄りに大きな案内板が建つ分岐路へ向かいました。

 

 道標が立つ分岐路に着きました。左手にベンチが設けられ、登山客の方が一人地図をチェックしていました。

 

 道標の左へ進むと弁天山に行きます。

 

 その弁天山を望みました。上図の奥のピークがそれでした。

 

 道標の右へ進むと第2キャンプ場に行きます。このルートが今回選んだハイキングコースでした。第2キャンプ場とは、現在の野反湖キャンプ場のテントエリアの旧称にあたります。作中で各務原なでしこがバンガローエリアから散歩して野反湖を一望出来るベンチまで行った場所です。

 

 その第2キャンプ場つまり現在のテントエリアの方向を見ましたが、位置すら全然分かりませんでした。野反湖の北端の左側の尾根上にあるようですが、人工物が全く見えませんので、あの辺かなあ、と大まかに推測するにとどまりました。

 

 ハイキングコースの全体像を再確認すべく、案内板の地図に近寄りました。

 

 案内板の野反湖の地図です。南の富士見峠から4つのルートが出ていて、多くの登山客は左側の黒いルートをとって弁天山、エビ山に登り、キャンプ場のテントエリアへ降ります。ハイキングルートは野反湖の東西の湖畔を通っており、東の単調なコースが湖畔東岸ルート、西の折れ曲がる水際に沿ってやや迂回するコースが湖畔西岸ルートと呼ばれます。

 今回選んだのは、距離が約5キロの湖畔西岸ルートでした。聖地ポイントのテントエリアへ最短で行け、かつアップダウンが少ない平坦な道なので歩きやすいからです。
 バスの運転手さんもこのルートをすすめていましたが、その理由として、西岸に多くの淵や沢があること、湖面が西に出っ張るところを回るので景色が変化に富むこと、最も多くの高山植物がみられるルートであること、などを挙げていました。全ルートを2時間もあれば行けますよ、と話していましたので、とりあえずはテントエリアまで2時間以内で到達することにしよう、と考えました。

 作中では各務原なでしこ達が富士見峠の野反湖休憩所に行って「本日休業」だったため、次のシーンでは野反湖キャンプ場のビジターセンターに入っています。3人が富士見峠まで乗ったバスは、実際のダイヤと同じとすれば最終便でしたから、そのあとの移動は歩きしかありません。野反湖休憩所つまり実際の野反湖休憩舎から野反湖キャンプ場まではトータルで約6キロありますが、それを歩いた描写もありませんから、どうやって行ったのかは不明なままです。

 しかし、個人的には、作中ではもう1便バスがあって、3人はそのバスで富士見峠から終点の野反湖バス停まで行き、そこからダムを渡って野反湖キャンプ場に到達したのだろう、と推測します。
 なぜそのように考えるかと言うと、3人がキャンプ場の63番バンガローに入って落ち着いた後、各務原なでしこが一人でテントエリアまで散歩に出かけるのですが、そのルートが湖畔西岸ルートの一部にあたるからです。にもかかわらず、各務原なでしこはそのルートを初めて歩いたような描写になっていて、テントエリアにもその時に初めて入ったように描かれます。
 なので、3人はこの湖畔西岸ルートを歩いていないのだろう、と考えられます。山登りのルートにしても、夜にエビ山山頂のトイレまで行く描写がありますが、それも瑞浪絵真の夢の中のストーリーに過ぎませんでしたから、山登りも実際にはやっていないものと思われます。

 したがって、湖畔東岸ルートも歩いていないと推測出来ます。このルートも約4.5キロありますから、それだけ歩いていけばそれなりに疲れる筈ですが、作中では苦労もなくのんびりまったりとキャンプ場に入っている雰囲気でしたから、やはりバスで行ったのでしょう。

 それ以前に、様々な景色が楽しめる野反湖エリアの風景が、キャンプ場エリアからのアングルしか描かれていませんから、原作者のあfろ氏自身が野反湖エリアの山道を全く歩いていないのだろう、と推測出来ます。車かバイクでパパッと回ってあとは適当にストーリーを作っていると、アニメ雑誌か何かの記事で読んだのを思い出しましたが、そういうことなのかもしれません。  (続く)

 

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