気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く46 その2  各務原なでしこのネギせんべい

2025年03月08日 | ゆるキャン△

 JR高崎駅ビル内の群馬県特産品販売コーナー「群馬いろは」の続きです。

 銘菓および菓子のコーナーで上図のカルビーのご当地商品とみられる「群馬下仁田ねぎポテトチップス」を見つけました。こういう商品が出ていること自体が、下仁田ネギのマーケット規模の大きさを伺わせます。群馬県民ならみんな食べているのでしょうか。

 

 類似の商品は他に幾らでもありました。品物の裏面の製造元を見るとそれぞれに違うので、多くのメーカーが競って下仁田ネギを原料とする銘菓、菓子類を製造販売していることが分かります。

 

 ポテトチップスもありますが、種類が多いのは煎餅仕上げの品のほうでした。価格も500円前後が主流のようでした。

 

 和風デザインパッケージの「上州ねぎみそせんべい」ですか。味噌味が好まれるようで、類似の商品は他に三種類ほど見かけました。

 

 出ましたね・・・、殿様バージョン。殿様ねぎ煎餅。上端に「群馬堪能御煎餅」とあるのが何気に郷土愛アピール感マシマシでポイント高いです。

 

 同じ陳列棚の上段には、お菓子っぽい黄色の袋詰めのバージョンもありましたが・・・、あれ・・・?

 

 あれれ・・・、この黄色の・・・じゃなくて、このパッケージのデザイン、「下仁田ネギ」のロゴのフォント、見たことあるような・・・、もしかして・・・?

 

 思わず商品のひとつを手にとって、二度見して確かめました。・・・これ・・・!これじゃないか・・・!!

 

 まさしく、作中で各務原なでしこが取り出していた下仁田ネギせんべいのパッケージそのまんまですよ・・・。ネギのイラストが1本になってて、「ネギ」が「ネギネギ」になってて、「揚げせん」が「せんべい」に変えてありますが、全体のデザインはほぼ一致します。

 

 値札を見ると、御覧の通りでした。432円は今までのどの商品よりも安いです。そうか、各務原なでしこが買った品の元ネタはやっぱり実在していたのか・・・。

 嬉しさと感動のあまり、その場でお土産として30パックを購入して宅急便発送手続きもして、それとは別に自分用のおやつとして2パックを買いました。

 

 思わぬ大戦果に満足し、高崎駅西口から外に出ました。出た所でいったん立ち止まり、どこかで夕食をとるか・・・、それともいつものイオンスタイルで弁当とか買って宿で食べるか・・・、と思案しました。

 

 結局、上図のいつものイオンスタイル高崎駅前店の惣菜や弁当のコーナーで色々買っていこうと決めました。すでに時刻は17時を過ぎており、夕方以降の生鮮食品類の値引き値下げのタイムに入っていますから、お握りでも弁当でも惣菜でも、定価よりは安く買えるに違いない、と考えたからです。

 そして思った通りに、値引きシールが貼られた沢山の商品を見て、あれこれ迷いつつも5品ほど買いまして、それからいつもの宿の「東横イン高崎駅西口」へ移動して17時33分にチェックインしました。

 

 部屋に落ち着いて、買ってきた弁当などを食べて落ち着いた後、ワクワクしながら上図の「下仁田ネギ揚げせん」を取り出しました。

 

 野反湖キャンプにて、各務原なでしこも絶賛推奨した「食後のネギせんべい」です。ゆるキャン聖地巡礼に来ていて、これを食べないわけにはいきません。瑞浪絵馬は満腹のために食べられなかったようですが、私はそこまで沢山食べていませんから、余裕でした。

 

 ほう、こういう外見ですか・・・、味は・・・、と一口かじってみました。「え?、普通に美味いやん、ネギの香りも濃厚に口中に広がる・・・下仁田ネギって甘味が強いなあ・・・」が初めての感想でした。

 「群馬いろは」にて購入した時に店員さんに教えて貰ったところによれば、この商品は、数ある下仁田ネギせんべいのなかでも流通量が少ない、珍しい部類に入るそうで、扱っているところも高崎市エリアでは「群馬いろは」ぐらいだそうです。
 原産地は渋川市伊香保で、吾妻郡草津町の草津温泉郷の酒店「安斎商店」が扱っているオリジナル商品の一つだそうです。「安斎商店」の公式サイトで紹介され、通販も扱っています。こちら。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く46 その1  高崎駅の「群馬いろは」

2025年03月07日 | ゆるキャン△

 2024年11月20日、ゆるキャン群馬キャンプ編三日目ルートの聖地巡礼をなすべく、京都を昼過ぎに出発して、夕方17時前に高崎駅に着きました。前回の10月の群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼の続きでした。

 今回は、原作コミック第17巻収録の、作中の各務原なでしこ達の群馬キャンプの三日目の行程、すなわち野反湖キャンプ場から旧太子駅跡を経て、一日目の甲府からの往路の逆の、横川からと軽井沢からの信越線、小海線を乗り継いでの復路を甲府まで辿る計画でした。これに山梨県内での聖地巡礼もおまけして、三泊四日の行程を組みました。

 その一日目は仕事を午前中で終えて、午後いっぱいを京都から高崎への移動にあてて、新幹線に乗って東京で乗り換え、18時には高崎のいつもの宿に入ることにしました。

 

 高崎駅のホームに降り立ち、乗ってきた16時47分着の新幹線あさま617号が走り去るのを見送りました。今回初めて乗った、E7系・W7系の車輌でした。北陸新幹線の長野駅、金沢駅間の延伸開業に際してJR東日本およびJR西日本が共同開発し導入したもので、製造は2013年から2023年まで、運行は2018年からで、現時点では二番目に新しい新幹線車輌であるそうです。

 ちなみにE7系とはJR東日本での呼称、W7系はJR西日本での呼称であるそうですが、共同開発した同じ車輌なのだから、名前ぐらい分けずに統一すれば良いのに、と思います。

 

 高崎駅の改札口を出て、斜め向かいの群馬県特産品販売コーナー「群馬いろは」に行きました。宿に入る前に、ここの調査と買い物をやっておこうと計画していたからです。

 と言うのは、これまでにゆるキャン群馬キャンプ編の一日目と二日目のルートの聖地巡礼を行なって各地で色々なお土産を買っていますが、それらの特産品類をもっと気軽に買える場所はないのか、各務原なでしこ達が買っていたご当地品や土産物を買うならどこがいいか、という問い合わせを拙ブログに約20件ほど頂いていたからでした。

 それで、群馬県の特産品の殆どを網羅して販売しているという、高崎駅ビル内の「群馬いろは」ならば、大体の品が買えるのではないか、と思いついて、取材も兼ねて立ち寄りました。この「群馬いろは」には、前回の帰りにも立ち寄ろうとしたのですが、朝の開店前だったので見送っていました。

 

 「群馬いろは」のレイアウト図です。この種の特産品販売コーナーは、ゆるキャン聖地巡礼でこれまでに回ってきた山梨県、静岡県、長野県の主要駅ビル内でも見かけましたが、ここは規模も広くて、駅ビルの商業エリアのワンフロアの大半を占めており、扱っている商品も多様多種にわたって、群馬県の特産品は全て揃っていそうな感じでした。上のほうのコーナーには「コオロギ」「かいこ」等の不気味な分類名も見えました。

 

 特に目立っていたのが、上図の下仁田ネギ関連の商品コーナーでした。「群馬いろは」のコーナーの隣に別の店舗のような空間をこしらえてまで、大々的にスペースをとって多様な品物を並べ、サンプル品を壁面の棚に陳列してありました。

 

 下仁田ネギは、前回泊まった伊香保温泉の宿の夕食でも出ましたが、群馬県甘楽郡(かんらぐん)下仁田町(しもにたまち)の冬季の特産品として知られています。現在は群馬県外でも栽培されているようですが、本来は群馬県西部の下仁田町を含む甘楽郡と富岡市の地域で栽培された歴史を持ちます。既に江戸時代から栽培が行われており、徳川将軍家や大名への献上品とされたため、殿様ネギの別名でも呼ばれています。

 でも、上図のごとく、関西では見た事のない大きな、そして太いボリューミーな、これがネギかと二度見してしまうような、魁偉な外見です。こんな立派なネギならば、ネギの殿様と呼んでもおかしくない、だから殿様ネギなんじゃないのかな、と思ったりもしました。

 

 下仁田ネギを原料とした特産品の一つが、有名な下仁田ネギせんべいです。ゆるキャンの作中でも、各務原なでしこが、どこで買ってきたのか、野反湖キャンプでの夕食の後のおやつとして取り出しています。

 それで、元ネタの商品が実際にあるのかを探してみましたが、上図の下仁田ネギコーナー内には見当たりませんでした。

 

 各務原なでしこが取り出していたのは袋タイプでしたが、こちらの販売品はいずれもちゃんとした箱詰めの、贈答品としても使える綺麗な包装の品でした。

 

 こちらも似たような箱詰めの品でした。類似の商品が他にも幾つかあって、製造元のメーカーも複数にわたっていますので、下仁田ネギせんべいというのは、間違いなく群馬県を代表する特産品なのだな、と理解しました。

 

 とりあえず、嫁さんやサークル仲間向けに先の赤い箱と上図の緑の箱とを10個ずつ購入し、その場で宅急便の手続きも行いました。

 

 それから、上図の上州名物のひとつ焼きまんじゅうのコーナーへ行きました。以前にゆるキャン群馬キャンプ編一日目ルートの聖地巡礼にて榛東村エリアへ行った際に、村のスーパーマーケットで各務原なでしこが買った品のモデルとされる商品を買いましたが、ここでも売ってないかなあ、と探しました。

 

 焼きまんじゅう、と言っても色々あります。蒸した饅頭を竹串に刺し味噌ダレを塗って焼いたもので、群馬県の郷土料理のひとつですが、地域によって味や焼き方に差があるようで、渋川の友人Mの話では「基本は素まんじゅうだけど、餡が入ってるものもある、生芋こんにゃく料理と並んで食卓には欠かせない食い物」だとのことです。

 他に「おっきりこみ」という郷土料理もあるそうで、山梨県の「ほうとう」に似た煮込み麺の一種らしいのですが、私自身は食べた事はなく、商品も今回の「群馬いろは」のコーナーで初めて見ました。水沢うどんと同じ麺類のコーナーの反対側に陳列されてありました。

 

 あっ、これです。以前にゆるキャン群馬キャンプ編一日目ルートの聖地巡礼にて榛東村エリアへ行った際に、村のスーパーマーケットで買った焼きまんじゅう。パッケージやデザインが作中にて各務原なでしこが買った品に似ているので、そのモデルとされています。榛東村まで行かなくても、「群馬いろは」で買えるのですね・・・。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その9  高崎駅の弁当屋と駅弁

2025年03月02日 | ゆるキャン△

 伊香保温泉口の「見晴下」バス停より、上図の9時10分発の渋川駅行きバスに乗りました。

 

 9時34分に終点のJR渋川駅に着きました。

 

 4分後の9時38分発の普通列車で高崎へ向かいました。

 

 高崎駅には9時58分に着きました。ここでゆるキャン群馬キャンプ編二日目聖地巡礼の最後のポイントを確認するべく、駅構内新幹線側改札口内側の上図の「駅弁屋上州2号店」に立ち寄り、いまは無くなってしまった中央改札口横の「駅弁屋上州1号店」の事を問い合わせました。

 

 作中に登場している、「駅弁屋上州1号店」がモデルの「弁当屋」です。現在は隣のコンビニの拡張スペースに転じています。

 

 その「駅弁屋上州1号店」が在った頃の写真を見せてもらいました。御覧のように、中央改札口の横と言う好立地にありながらも売り上げが低迷したため、昨年に閉鎖して跡地は隣のコンビニの拡張スペースになりました。
 ですが、駅弁の販売そのものはそのコンビニに引き継がれているそうで、それは実際に私も前回の訪問時に「峠の釜めし」を購入して確認しています。

 

 で、今回は作中にも登場した駅弁「30品目バランス弁当」を買いました。帰りの新幹線の中で食べることにしました。

 

 こちらの「鶏めし弁当」は撮影だけで済ませました。

 

 帰りの新幹線の時刻までまだ間があるので、お土産を買いに行くことにしました。駅ビル内の「群馬いろは」がまだ開いていなかったため、くまざわ書店だけに立ち寄って本を買い、それから西口を出て隣のイオンに向かいました。

 

 毎度の聖地巡礼中によく買い物をして、すっかり馴染みになったイオンスタイル高崎駅前店です。作中にも登場し、各務原なでしこ達がキャンプ用の食材を購入していますが、実際に行ってみて、群馬キャンプ編の聖地エリアを回る際に、食材や弁当などを買おうと思ったら、ここぐらいしかスーパーがないことを知りました。とにかくこのスーパーは重宝します。次の聖地巡礼でも必ず立ち寄るでしょう。

 このイオンスタイル高崎駅前店内にも、駅ビルの「群馬いろは」と似たような群馬の名産物直売コーナーがあり、そちらは9時開店でしたので、かねて嫁さんにリクエストされていた4つの土産物を買うことが出来ました。ついでに、弁当コーナーに行って惣菜セットとゆで卵パック、豆乳、麹甘酒を買いました。これらも帰りの新幹線のなかで食べる積りでした。

 

 何やかんやで30分余りがあっという間に過ぎ、高崎駅ビルに戻りました。時刻は10時38分、乗る予定の新幹線たにがわ408号東京行きの案内表示が出ていました。直後に携帯が鳴りました。Mからでした。

「いよう、もう出たんかな?」
「いや、まだ高崎駅に居る。11時4分の新幹線で帰るよ。今回は色々と世話になった。奥さんにも宜しく、と」
「ああ、来月も来るんだろ?」
「一応その積りやけどな、・・・天気次第やな」
「心配するな、上州は晴れの国だ、雨は少ないぞ」
「そうかね、また連絡する」
「うん、またな」

 

 それから駅構内の休憩ルームで一服し、嫁さんに連絡の電話を入れました。休憩ルームの外壁の上図の表示を何となく見て、高崎線以下の6つの路線名を見て、今回の旅で八高線以外は乗ったなあ、八高線ってどこだろう、と思いました。

 路線図を見ると、八高線も行きの特急「草津・四万」で通ってきていることに気付き、6つとも通ってるのか、と悟りました。この6つの路線が全て高崎駅から出ているのですから、群馬県内では一番の交通の要衝であることが分かります。だから新幹線の駅もあるわけだ、県庁も前橋でなくて高崎に置けば良かったのと違うかな、と考えたりしました。

 

 11時前に新幹線のホームに上がり、上図の駅名標を撮りました。間もなくやってきた11時4分発のたにがわ408号東京行きに乗り、帰途につきました。京都に着いたのは、4時間余り後の14時23分のことでした。

 以上、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼4日目のレポートを、伊香保編として括ります。次回からはゆるキャン群馬キャンプ編三日目ルートの聖地巡礼を長野原・中之条および軽井沢・小海線の二つのエリアに分けてレポートします。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その8  伊香保軌道の車輌と線路跡

2025年02月25日 | ゆるキャン△

 10月16日、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼の5日目の朝は、たまっていた疲れを癒すべくゆっくり寝て8時に起床しました。この日は本来の計画には無かったのですが、友人のMの勧めで伊香保温泉に泊まることとなり、昨晩はM夫妻と久しぶりの語らいを楽しめましたので、滞在を一日延ばして正解でした。

 上図は8時過ぎにとった朝食で、夕食と同じくバイキング方式でした。この日はMに勧められた一ヶ所を見て、あとは高崎経由で帰るだけでしたので、のんびりと、いつもより多めに食べました。

 

 8時40分に宿をチェックアウトして外に出ました。Mの奥さんもこの日はお休みでしたので、とりあえずMに電話してお礼を述べておきました。
 その際に「昨日話した鉄道遺跡、見て行ってくれよな」と言われました。宿の前から県道33号線を東へ歩いて200メートル余りの伊香保信号交差点の辻にある、と教えられました。

 

 県道33号線を下って、その場所へまっすぐに向かいました。伊香保信号交差点の南東側に渋川市の伊香保行政センターがあり、その敷地内と思われる広場が「峠の公園」として公開され、その一角に上図の保存車輛がありました。

 

 横の案内説明板です。かつて高崎および前橋とここ伊香保とを結んでいた、東武鉄道伊香保軌道線の概要と、展示車輌について述べられています。

 伊香保軌道線(いかほきどうせん)は、かつて群馬県前橋市の前橋駅前、および高崎市の高崎駅前から渋川市を経てここ北群馬郡伊香保町(現渋川市)の伊香保までを結んでいた路面電車です。その路線は前橋駅と渋川駅を結ぶ前橋線、高崎駅と渋川新町を結ぶ高崎線、渋川駅と伊香保を結ぶ伊香保線の三つがありました。

 創設は明治期で、馬車鉄道として開業、その後に東京電燈に転じ、1927年に東武鉄道の路線となりました。戦中戦後を通じて現地の交通機関として運営されましたが縮小に向かい、伊香保線だけが最後まで残されました。伊香保線は伊香保温泉へのアクセスルートとして機能し、路面電車としてはスイッチバック式の待避線を多くもつ屈指の登山電車として知られましたが、1956年にバスに代替されて廃止されました。

 

 この展示車輌はデハ27といいます。かつて東武鉄道伊香保軌道線で走っていたもので、1953年時点で在籍していた34輌の電動客車のうちの1輌を、廃線後に渋川市内の医師が引き取って保存していたもので、唯一の現存車体です。

 

 一見すると完存の車体に見えますが、渋川市内の医師が引き取って保存していた時点では台車および機器類が無く、車体だけが残っていたものです。これを渋川市が譲り受けて現地に移設するにあたり、別途入手した豊橋鉄道モハ300形モハ301(元は名古屋市電の140号)の台車「ブリル21E」および横浜市電の機器類を転用して復元しています。

 

 公園内には、上図のように線路の一部が復元されています。2014年に、伊香保温泉再生事業の一環として温泉の入り口付近の軌道跡を公園として整備し、線路跡に再びレールを敷いたものです。レールも当時のものを再利用しているのかどうかは聞き忘れましたが、路面電車規格の軽レールのようなので、本物かもしれません。

 

 線路わきの駅名標は、当時のものを復元したものではなく、それらしく作ったものだそうです。伊香保が当時の伊香保線の終点の駅でしたが、その位置は現地から少し坂を上った地点、いまの「榛名登山口」バス停の辺りにあったといいます。

 当時の伊香保駅の次の駅は見晴下でしたが、その位置は現在の「見晴下」バス停の辺りでした。つまりは県道33号線が、かつての軌道跡に重なっているわけです。

 

 上図では分かりにくいかもしれませんが、復元された線路はかなりの勾配です。下を通る県道33号線もずっと下まで続く坂道になっているので、かつての軌道跡が平均勾配41.8パーミル、最急勾配が57.1パーミルに達していたというのがよく分かります。
 大井川鐡道井川線アプト式区間の90パーミルには及びませんが、京阪電車の京津線の最大勾配が61パーミルですから、それに近い傾斜面を路面電車が明治期から行き来していたわけです。大したものだなあ、と感心してしまいます。

 

 伊香保軌道跡の見学後は、さらに県道33号線を下って、かつての見晴下駅があった場所のバス停「見晴下」に移動しました。時計を見ると9時8分でした。

 

 次のバスは、関越交通バスの9時10分発、あと2分でした。これに乗って渋川駅へ移動することにしました。

 

 同じバス停には上図の群馬バスと水沢シャトルバスも停まります。が、群馬バスは時刻がちょっと後になるうえ、高崎駅までの直通便もこの時間帯にはありませんでした。

 水沢シャトルバスは群馬バスの一路線で、これに乗れば水沢観音の門前町へ行って水沢うどんを食べたりも出来ますが、1日に2便しか無いため、今回の聖地巡礼旅行においてはついに利用する機会に恵まれませんでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その7  伊香保温泉の宿へ

2025年02月20日 | ゆるキャン△

 14時47分、伊香保温泉石段街の一番下まで降りました。バス停が並ぶ温泉街の玄関口にあたり、上図の大きな「IKAHO」のロゴオブジェが記念撮影の人気スポットになっています。このロゴオブジェは、なぜかゆるキャンの作中には描かれていませんので、最近に設置されたものかもしれません。

 

 一昨日とこの日とで、石段街を上から下まで三度上り下りしました。左右の幾つかの路地へも進んでいましたから、石段街のエリアはだいたい回ったことになります。
 上図の石段の中央には、湯桶と呼ばれる導湯路が通っていて、温泉街の各旅館に引湯された残りの分が少し流れていました。

 

 ゆるキャンの作中では、だいたいこんなアングルで描かれています。

 

 このシーンですね。各務原なでしこ達がここのバス停から榛名山へ向かったのでしょうか。

 

 作中のアングルに合わせると、「IKAHO」のロゴオブジェの一部がバス停などで隠れてしまいます。もしかすると、そのために描写を省いたのかもしれません。

 

 石段街口から歩いて2分ほどで、この日の宿である伊東園ホテルズの「遊山の里とどろき」に着きました。友人Mの奥さんのお勤め先であるとかで、Mが勧めて予約もしてくれました。さきの電話で、前橋からこちらへ移動中だと話していましたが、着いているのか、いないのかは、まだ分かりませんでした。

 

 時計をみて15時になっているのを確認し、中に入りました。ちょうど観光バスが横付けして団体客がゾロゾロと入っている時でしたので、エントランスロビーからフロントまでの広い空間はごった返していました。すでにツアー団体が2組入っているほか、個人や家族の客も大勢いて、フロント前には5列の待ち行列が出来ていました。

 それで、すぐチェックインするのは無理だな、と思い、行列がなくなるのを待とう、とエントランスロビーのソファの空いている席を探してひとまず腰を下ろしました。
 しかし、下ろした途端に、ホテルの係員らしき女性の一人がスーッと近づいてきて「星野様」と一礼してきました。

「あ、あなた、増田の・・・」
「はい、お久し振りでございます。ようこそ伊香保へお出で下さいました。手続きをどうぞ」
「え、もう出来るの?いっぱい行列が並んでますけど・・・」
「あ、大丈夫でございますよ、予約の方は窓口が別ですので・・・」

 ということで、フロントカウンターの端の窓口に案内され、手続きをしました。Mの奥さんが応対し、そのまま部屋へも案内されました。

 

「はい、こちらのお部屋になります」
「おお、いい部屋ですねえ、貧乏人の私には贅沢過ぎるかな、高いんじゃないの?」
「うふふふ、そんな高くはないですよ、ここは主人持ちですからどうぞ御心配なく」
「いや、でも・・・、なんかその、申し訳ないですねえ・・・」
「いいえ、23年ぶりの再会ですから主人が大喜びでして、今日は午前中だけで切り上げて退庁してこちらに参りますので」
「それは電話で聞きましたが、前橋からここへは距離があるでしょ、まだ着いてない?」
「ええ、まだ・・・、普通なら一時間もかかりませんけど、きょうは渋滞がかなりあるみたいですから・・・」

 M夫妻とは、平成13年に奈良へ旅行に来たのを案内して以来でした。Mと同じく、奥さんも京都造形芸術大学の出で、学年が3つも下だったので在学中はまったく面識がありませんでした。Mも同様で、知り合ったのは卒業して数年後、地元の職場関連においてであったそうです。私は、平成11年のMの挙式に呼ばれた際に初めて会いましたが、それからもう25年が経ったわけでした。
 少し雑談を交わした後、「では主人が着き次第、直接こちらに参りますので」とフロントへ戻っていきました。

 

 部屋に落ち着くと、とたんに軽い疲労感におそわれました。温泉に入ってあたたまろう、と思いついて浴衣に着替えていると、携帯電話が鳴りました。Mからでした。

「わりい、渋滞で遅れる・・・、もう入ったんだろ」
「うん、奥さんが手続きも部屋案内もしてくれたよ、相変わらず綺麗な人やねえ」
「お世辞はいい、とにかく急ぐわ」
「いや、急がんでええよ、ゆっくり安全運転で来てくれ。こっちはこれから温泉に入る」
「そうか、ゆっくりしていってくれ。夕食は一緒に食べようぜ」
「え、こっちで食べるのか?」
「ああ、ホテルの食堂は宿泊客以外でも利用出来るんでな」

 

 ということで、温泉浴場へ行きました。館内に浴場は2ヶ所あり、1階に水車付きの大浴場、8階に露天風呂が設けられています。

 私の部屋が3階でしたので、はじめは近い方にしよう、と考えて1階の大浴場へ行きました。まだ16時にもなっていませんでしたが、団体客の老人ばかりで満員、芋洗い状態でした。
 それで大浴場はひとまず諦めて、8階の露天風呂へ向かいましたが、そちらは意外にも空いていて、しかも周囲の景色を眺められる展望風呂でしたので、ゆっくりと湯につかってあたたまり、温泉街散策の疲れをいやすことが出来ました。

 この宿のお湯は、伊香保温泉の新しい方の源泉からの「白銀の湯」でしたので、さきに源泉露天風呂と「石段の湯」の二ヶ所で入った「黄金の湯」とあわせ、伊香保温泉の二種類の温泉を両方とも堪能出来たことになります。

 

 ポカポカして心地よくなった状態で部屋に戻りました。数分後にMがやってきて、23年振りの再会を喜び合いました。夕食の時間までまだ間があるので、そのまま部屋にて久闊の語らいで盛り上がりました。

 18時から3階のバイキング会場へ移動し、二人でバイキングの夕食を楽しみました。上図はその際の、最初に選んできた料理の数々でした。御飯は後にしよう、と選ばなかったのですが、Mが「カレーでいってみようよ」と二人分を持ってきてくれたので、有り難く頂戴しました。
 それからの1時間余りは、食べながら色々喋り、馬鹿な話題に笑い転げたりしていましたので、二回目に選んだ料理の写真を撮り忘れました。

 話の成り行きで、今回の群馬旅行がゆるキャンの聖地巡礼であることを話すと「そんなに人気なのかそのアニメは」と訊かれ、既に4期のアニメ化も決定してるから群馬県の聖地スポットがアニメに出て、全国から巡礼ファンが訪れるのは間違いないよ、と教えました。
 するとMは真剣な表情になって「ちょっとそれ、詳しく教えてくれんか、知り合いに県の観光魅力創出課とか観光物産課とかの奴が何人か居るんで、色々話しとこうかな」と言いました。

 

 それで部屋に戻り、それからはゆるキャンの群馬キャンプ編の聖地スポットの話になりました。原作コミックは16巻まで刊行されていて、高崎市と安中市エリアのアプトの道、碓氷峠鉄道文化むらが登場していること、次の17巻はまだ未刊行だが榛東村から榛名山、伊香保温泉、そして野反湖などのエリアが収録されること、などを説明しました。

「それで星野は野反湖まで行ったわけか」
「うん、素晴らしくええ景色ばっかりの最高クラスの観光地じゃないか。あんな太古以来みたいな自然度の高い所ってあんまりないで・・・。野反湖がアニメ4期に出たら、ファンはみんな行きたがると思う」
「で、旧太子駅跡も出てくるわけか。まだそこへは行ってないのか」
「とにかくバスの便が少なさすぎてな・・・、立ち寄るのも時間的に無理なんや。今回行けなかったんで、次の聖地巡礼旅行で旧太子駅跡へは行く積りや」
「旧太子駅跡は中之条町だな・・・。向こうにも知り合いが何人か居るんでな、アニメの件は一度話しておこう」
「あ、それでな、出来たら長野原草津口駅からのバスの便を臨時にでもええから増やせないか、という・・・」
「分かってる、俺もちょっとそれを考えたんだよ、地元の人でもあんまり野反湖は行かないんだが、その原因の一つが交通アクセスの少なさなんだな」
「そう、それそれ・・・」

 話しているうちに、奥さんも19時で退勤してそのまま部屋に差し入れをもってきて下さいました。それからは3人で京都造形芸術大学の思い出やら、京都や奈良の思い出やらで盛り上がりました。
 さらに奥さんには「星野さんの奥様、どんな方ですか、写真とか見たいです・・・」と訊かれ、タブレットに記録している写真を見せたりしましたが、横からのぞきこんだMの方が驚いていて「うわっ、こんな若いんだ、可愛らしい感じの方だねえ・・・なに?26歳も下なの?、えーっ、なんだよそれ・・・するといま32歳?」と騒いでいました。

 それからは、訊かれるままに、嫁さんと初めて知り合ったのが2016年の模型サークルでの交流食事会での席であったこと、当時既に嫁さんが私のブログの読者で私を知っていたことを話しました。それぞれにMはいちいち驚いていました。
 親しくなったきっかけは?と尋ねられて、アニメのガルパン、およびガルパンのプラモデルであった事を話すと、夫妻の両方とも御存知なかったようで、「何それ?」とポカンとしていました。アニメにも模型にも縁の無かった夫妻ですから、無理もありませんでした。

 ともあれ、色々と楽しく盛り上がって、21時過ぎに夫妻が退出するまで「ミニ同窓会」が続いたのでした。帰り際に奥さんが「来年には主人と久し振りに京都か奈良に旅行に行きますんで、奥様にも宜しくお伝え下さい」と挨拶してきましたので、「承知いたしました」とうやうやしく一礼を返しておきました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その6  伊香保温泉街と食べ歩き

2025年02月19日 | ゆるキャン△

 伊香保温泉石段街のゆるキャンスポットのひとつアヒル神社を撮影した後、上段の上図の外湯施設「石段の湯」に入りました。作中にて各務原なでしこ達が伊香保温泉街にて立ち寄った唯一の場所で、ここで入浴し休憩しています。

 伊香保温泉には外湯が二ヶ所あり、そのうちの一ヶ所はさきに入ってきた源泉近くの露天風呂です。なのでこちらの「石段の湯」に入れば、二ヶ所とも回ったことになります。湯は同じ源泉からの「黄金の湯」ですが、湯桶で長い距離を流してくる湯なので、源泉近くの露天風呂の湯よりも滑らかな感じになっています。

 かくして、各務原なでしこ達と同じように、まったりと湯煙のなかに沈んであたたまりました。

 

 「石段の湯」には12時57分に入り、14時ジャストに出ましたので、1時間ほど滞在していたことになります。上図は「石段の湯」の休憩室からの景色です。真下に見える屋根は、一昨日に見学した「伊香保口留番所」のそれです。

 作中で各務原なでしこがゆったりと座っていたのと同じリクライニングチェアに身をあずけてしばらくボーッとし、ウトウトしかけましたが、ポケットの携帯電話が鳴りました。Mからでした。

「いまどこ?」
「石段の湯」
「そうか、ならチェックインは15時かね」
「うん、それに間に合うように行くよ」
「妻にはもう連絡してあるんだ、俺も後から行くよ」
「お前、仕事は?」
「ああ、半日であがらせてもらったんで、いま移動中」
「前橋の県庁からか?」
「ああ、15時過ぎには着くと思う」
「急がなくてええで、安全運転で来てくれ、こっちもしばらく散歩で食べ歩きするから・・・」
「そうか、なら上州肉巻きってのを食べてみてくれ」
「上州肉巻き?どんな食べ物なん?」
「見れば分かるよ」

 

 ということで、「石段の湯」を出て再び街中の路地歩きを再開しました。とりあえずは、Mがすすめてくれた上州肉巻きなるものを探そう、と考えました。どんな形、外見なのかを知らないので、Mにも聞いたのですが、彼はいつも「見れば分かる」「行けば分かる」とだけで全然説明してくれません。そういうところは、昔から変わっていません。

 それで、石段街のメインルート上を進み、左右の上図のような細い路地にも入って探しましたが、上州肉巻きの案内板は全然見当たりませんでした。

 

 路地の奥には古民家が割と多く並んでいて、一部はリノベーションされて店舗や食事処になっています。外観は古民家の良さを活かしているので、古い街並みの景観は保たれていて雰囲気も良いです。

 

 上州肉巻き、どこで食べられるんだろう・・・。水沢うどんは石段街の各所に看板を見かけますが・・・。そんなにポピュラーな食べ物ではなさそうだな・・・。ちょっと上へ戻って探してみるか・・・。

 

 引き返して再び登っていき、左手の「いさご屋物産店」に立ち寄りました。

 

 この看板につられたからでした。上州肉巻きではありませんでしたが、この「まる天」も美味しそうでしたので、「たこ棒」を1本買いました。その場で食べつつ、上州肉巻きのことを訊ねてみました。

「ああ、肉巻きお握りのことね、ここから下へいって、石段の湯の角を右に行って奥に「和テラス」ってお店があるんですよ、そこで出してますね」
「そこのお店だけなのですか?」
「うーん、そうだわねえ・・・、他でやってるって聞いたことありませんねえ」
「どうもありがとうございました」

 

 再び引き返して石段を降り、辻で右を何気なく見て、上図の「和雑貨レトロ館」の店舗が目に入りました。どんなものかなと思って近寄ってみたら、休業日でした。

 

 それで「石段の湯」の下の辻を右に入り、奥まで進んで上図の「和テラス」に着きました。

 

 店先のメニュー看板です。

 

 あった、上州肉巻き。正式商品名は「上州肉巻きおにぎり」なんですね。だから「いさご屋物産店」のおばさんも「肉巻きお握り」と話していたわけですか・・・。

 

 1本買いました。600円なり。フランクフルトみたいだな、と思って食べてみると、肉は外側だけで、中身は米でした。確かに肉巻きおにぎりだ、と納得しました。大井川鐡道千頭駅前の豚串とは全然違いましたね・・・。

 「和テラス」の前庭は広場になっていて、温泉街の北側を一望できる展望所もありました。上州肉巻きおにぎりを食べつつ、しばらく景色を眺めました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その5  伊香保温泉の石段の湯とアヒル神社

2025年02月16日 | ゆるキャン△

 伊香保温泉石段街の聖地スポットの続きです。斉藤恵那がスマホで景色を撮っている場所の作中イラストには、上図の「そば処 此処」の看板も描かれています。デザインは同じですが、作中では「そば処 何処」になっています。

 

 その「そば処 此処」は、この日は定休日のようでした。北海道産の蕎麦を打つお店のようですが、一度食べてみたかったな、と残念に思いつつ、石段を降りました。

 

 「そば処 此処」の手前の辻の奥には、上図の「伊香保点心219」の店舗がありました。看板の上に「手作り豚・牛まん、ちまき、ドイツソーセージ専門店」とありました。

 

 よし、ここでも食べていこう、と思いついて店先に近寄り、上図左端の「赤城牛すき焼きまん」を買いました。豚まんは関西でもお馴染みですが、牛まんは初めて見ましたので興味をそそられたからです。
 食べてみて、おっ確かにすき焼きの味わいだ、と感じました。美味しくて、写真を撮り忘れました。

 

 さらに下へ降りていきました。一昨日のここは海外からの観光客が大半を占めた大混雑で普通にまっすぐ歩くこともかないませんでしたが、この日は御覧のように観光客の数も疎らで落ち着いていました。人気の観光地として名高いですが、あんまり人混みになるのも考え物です。

 

 「そば処 此処」の次の辻から東の路地を見ました。上図の「つるや」はうどん屋さんのようですが、休業中でした。伊香保温泉のメインストリートの石段街界隈にさえ、このような休業中の店舗がちらほら見えるのが、伊香保温泉街のひそかな衰退ぶりを感じさせます。

 いや、伊香保温泉に限らず、全国各地の有名観光地はどこも似たような傾向にあるようです。国内観光トップの京都にさえ、衰微の影がしのびよっているのですから、いくらインバウンドに注力して海外からの観光客を呼び込んだとしても、賑わいは一時的、限定的にしか得られず、観光産業全体の斜陽化には歯止めがかからないのが現状と言えるでしょう。

 

 その傾向を象徴するかのように、石段街から左右の路地へ進むと、閉鎖した店舗が目立ってきました。一気に寂びれた、うらぶれた雰囲気になっていくのが、京都の四条や祇園界隈の裏通りのそれを思い起こさせました。

 

 それでなんとなく侘しい気分になってしまい、しばらく石段街をトボトボと降りていきました。

 

 下へ降りていくにつれて、観光客の姿も少なくなっていきました。一番下にバス停が並んでいますから、下へ行くほど観光客の数が増えてくるかと思いましたが、実際には下のエリアほど店舗が少ないですから、人の行き来も限られてゆくのかもしれません。

 

 そうして、ゆるキャンの聖地スポットのひとつ、石段の湯の前に着きました。一昨日はこの施設の前でも座り込んで食べている外国人観光客が多かったりで話になりませんでしたが、この日は落ち着いた雰囲気のなかに戻っていました。入浴もする予定でした。上図のアングルで作中に出ています。

 

 右のコマですね。作中では施設やたたずまいはそのまま描かれますが、「石段の湯」が「石畳の湯」に変えてあります。変えなくてもいいんじゃないか、と思うのですが、要は許可をとっていないのでしょう。

 そういえば、原作者のあfろ氏は、基本的に現地での取材時に対象施設に許可を取らないスタンスであるようだ、とあちこちで聞くことが多いです。アプトの道の湖畔のカフェでも同様の話を伺いましたが、こちらの「石段の湯」でも「取材とか、そういう方は知りませんし、漫画に出てるなんてそんな話は聞いてませんけどねえ」との事でした。許可を取らないから、施設の名前をそのまま出さずに変えたりするのでしょうか。

 

 入浴休憩の前に、「石段の湯」の石垣下にある上図のアヒル神社も撮っておこうと、いったん外に出て下の段へ降りました。

 

 何度見てもシュールな景色です。アヒルの口のような破風の形の屋根の貫のうえに黄色いソフビのアヒルがずらりと並んでいます。いつからこのような状態になっているのかは分かりませんが、「石段の湯」の係員の話では「もう何年も前からああですよ」との事でした。
 とりあえず、人通りが途絶えていたのを見て撮影しました。

 

 作中ではこの2シーンにて描かれます。右のシーンは石段の下からのアングルです。

 

 同じようなアングルで撮ってみました。一昨日は観光客が多すぎてこのアングルでさえ撮れませんでしたから、やっと撮れたな、というのが正直な気持ちでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その4  伊香保温泉石段街の聖地スポットへ

2025年02月12日 | ゆるキャン△

 昼食後、外に出て、左方の上図の路地を見て、あれをまっすぐ行ったらどこへ行くかな、ちょっと歩いてみようかな、と考えたりしましたが、本来の目的であるゆるキャン聖地スポットの撮影をまだやっていなかったので、反対側の右に進んで石段街のメインルートに戻りました。

 

 石段街のメインルートです。一昨日の榛名山からの帰りにも立ち寄りましたが、観光客が多すぎて写真撮影も出来ませんでした。そのリベンジということで、一昨日に見つけて確認しておいた聖地スポットへと向かいました。
 この日は平日なので、観光客も疎らで、温泉街の雰囲気も落ち着いた本来の風情が戻ってきているようでした。

 

 まずは、この場所だ・・・。もう少しアングルを下に向けるのかな・・・。

 

 だいたいこんな構図かな。斉藤恵那がスマホで撮っていた景色は。手前右にタイル模様のマンホールの大小が見えますが、作中では右の小のほうが瑞浪絵真の立ち姿に隠れてしまっていたのですな。
 あと、左の「十一屋酒店」の看板は一部が見えていますが、その向かいの右の「湯の花パン」の看板は作中では省かれているようです。

 

 作中のイラストです。スマホで奥の山並みを撮る斉藤恵那の後姿、その様子を見上げる瑞浪絵真、そして下の方でニコニコ顔で登ってくる各務原なでしこ、の図です。

 

 ニコニコ顔で登ってくる各務原なでしこの横のお店「温泉まんじゅう」のモデルがこの「元祖湯の花まんじゅう」のお店「田中屋」です。

 

 一昨日も休みでしたが、この日も休みでした。もしかして、休業中なのでしょうか。作中イラストでも、こういう饅頭は買って食べるだろう各務原なでしこが素通りしているように描かれますので、あfろ氏が現地を取材した時にも休みだったのかもしれません。

 

 その上隣の「湯の花パン」は一昨日もこの日も開いていました。観光案内所で貰ったマップには「プリンとヨーグルトのお店」とあったので、ヨーグルトのほうがちょっと気になっていました。

 

 それで近寄ってみました。ショーウインドー内にはプリンとヨーグルトが並べてありました。パン屋さんなのに肝心のパンがパッと見当たらないのが面白かったです。パンは店内の奥のほうにありました。

 

 で、気になっていたヨーグルトを購入。300円なり。
 ラベルに「石段で飲むヨーグルト」とありますが、一昨日は本当に石段に腰かけてこれを飲んでる観光客が何人か居ましたね・・・。通行の邪魔になってましたけどね・・・。

 

 こちらは作中画にて「よしだや」となっているお店のモデル、雑貨屋の「すみよしや」です。上図の楕円形の看板の形だけが一致しています。

 

 「すみよしや」の外観はそのまま作中画にも描かれています。作中のアングルでは分かりにくいですが、御覧のように店舗の二階部分が雑貨屋になっています。一階部分は石段道の横に一部だけ見えますが、そこも何かお店になっているような雰囲気でした。

 

 それで石段道を降りてそちらを見ましたところ、御覧のように手作りガラス工房になっていて、「すみよしや」で販売しているガラス小物類をこちらで製作しているもののようでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その3  伊香保温泉石段街の洋食屋

2025年02月11日 | ゆるキャン△

 伊香保温泉の源泉の露天風呂を楽しんだ後、車道を道なりに下って温泉街に入りました。一昨日に訪れた上図の薬師堂の横を通り、ああ、道はここに通じてるのか、と頭の中で地図を描いて理解しました。

 

 それから右上に上図の伊香保神社の参道石段を見上げつつ、道を左にとって石段街へ進みました。その時に携帯電話が鳴りました。友人のMからでした。

 

「星野?・・・いまどこに居る?」
「伊香保神社の石段下やけど」
「千明元屋敷跡と露天風呂は行ったのか?」
「もちろん。教えられた通りに回ってきた。紅葉はまだなんやね」
「あー、今年は暑かってな、10月まで真夏日が続いてたからな」
「そうやな」
「今は?」
「どこかで食事しようかと思ってうろついてる」
「また水沢うどん食べるのか?」
「それは一昨日食べたんで、今日は普通に和食とか洋食とか食べたい・・・」
「ふーん」

 

 電話しながら歩いて、一昨日も見下ろした上図のマンホールの横を通りました。

 

「で、いま石段街を下りているんやけど、あんまり食事処って見当たらないのな・・・」
「それが実は伊香保温泉街の課題の一つでもあるの。食事処が分散しちゃってるから観光客が素通りしちゃうんだな」
「なんとなくそんな感じやな。一昨日も思ったけど、あんだけ海外からの観光客も大勢来てて賑わってたのに、食べるとこといったら、臨時の屋台や出店が多くてな、それで買って食べる人が石段街の階段をベンチ代わりにしてて塞いじゃってるとこ、けっこうあって歩きにくかったな」
「そう、そうなんだよ、もうな、とっくにキャパオーバーなのよ、ここは。観光客が多過ぎるし、特定の場所に集中しがちなんで、色々と問題になってる・・・」
「そうなんか、京都も似たようなもんやよ」

 

「で、いまどこに居る?」
「石段街」
「それはわかってんだ、石段街のどこかと聞いてる」
「いや、こっちは石段街をよく知らんので、どのへんかと言われても答えられん・・・」
「なら、近くの店の看板とかあるだろ、目につく看板。言ってみてくれ」
「ええと・・・、民芸、山・・山白?」
「うん、山白屋か。妻の友達の店だ」
「へえ・・・」

 

「それじゃあ、いい食事の店を教えよう。洋食でいいか?」
「洋食屋さんがあるのか?」
「ある。山白屋の前を過ぎたら、二つ目・・・いや次の辻で右にある。「サラズテラス アライヤ」という。知り合いがやってる店だ」
「次の辻って、すぐそこやないか・・・」

 

 そのお店の前に着きました。「サラズテラス アライヤ」つまり「SARA"S terrace Arraiya」です。

 

 外に出してあったメニュー看板です。なかなか本格的な内容です。伊香保温泉街においては数少ないというか、ほぼ唯一の洋食屋であるそうです。

 

 ちょうど12時7分、昼食どきでしたので、迷わず店内に入りました。外観もそうでしたが、内観もオシャレでいい雰囲気です。

 

 窓際のテーブル席に案内されました。席からは、御覧のように石段街が見下ろせます。伊香保温泉街の中に居るという実感が味わえます。

 ゆるキャンの作中では、各務原なでしこ達は「石畳の湯」に立ち寄って入浴したほかは、何も食べず、どこにも立ち寄らず、ただ石段街の景色だけを撮ってサーッと通り過ぎたようで、そのまま榛名山へのバスに乗っています。
 ですが、それをそのままなぞるだけでは面白くないし、勿体ないです。せっかく伊香保温泉に来たのだから、ゆっくり観光も楽しみたいし、食事ぐらいはとりたい、温泉街の散歩や食べ歩きもしたい、と考えた次第でした。

 ですが、Mもボヤいていたように、北関東有数の人気観光地でありながら食事処が驚くほどに少ないのでした。従来の伊香保観光が湯治滞在型であった歴史をひきずっていて、食事は温泉旅館のいずれかに泊って召し上がれ、という意識がいまだに根強く残っているからでしょうか。

 なので、ゆるキャン聖地巡礼の際にも、気軽に立ち寄れて普通に美味しいものがいただける食事処が一軒でもあれば良いわけです。アニメ4期には間違いなく伊香保温泉も出るでしょうから、放送後は全国からファンがやってくるはずです。その際の食事処としても、「SARA"S terrace Arraiya」はおすすめです。聖地スポットに近いので便利です。

 食べログでの紹介記事はこちら

 

 で、上図のカツカレーをチョイスしていただきました。もっと豪華なランチにしてもよかったのですが、このあとも食べ歩きを楽しみたいので、カツカレーもミニで済ませておきました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その2  伊香保温泉露天風呂へ

2025年02月08日 | ゆるキャン△

 伊香保温泉街の最奥部、物聞山(ものききやま)の東麓の谷間に、伊香保温泉の源泉があり、発祥の地とされる千明元屋敷跡(ちぎらもとやしきあと)があります。その横に上図の赤い橋がかかっています。河鹿(かじか)橋といい、観光遊歩道用の橋です。

 

 河鹿橋を渡りながら、右手に見える車道の橋を見ました。橋から右に行くと、私が上ってきたバス停「伊香保案内所」からの坂道に通じます。左に行くと温泉街へと進みます。

 

 河鹿橋の銘板です。このあたりは、春には新緑が、秋には紅葉が楽しめる名所となっているそうです。このときは10月中旬なので既に暦のうえでは秋になっていましたが、夏が暑すぎて10月でも気温が高止まりのままでしたから、周辺の紅葉もまだ鮮やかな青緑色のままでした。

 

 その河鹿橋を、今度は車道の橋から撮りました。下を流れる川は温泉に含まれる鉄分で茶色に染まっていました。

 

 伊香保温泉の源泉は二種類あり、中世戦国期から千明氏が支配していた湯元のほうは、「黄金(こがね)の湯」と呼ばれる硫酸塩泉(りゅうさんえんせん)で、もうひとつの湯元は平成八年(1996)に開削されたもので、メタ珪酸(けいさん)の含有量で温泉と認定されて「白銀の湯」と呼ばれます。

 伊香保温泉のお湯といえば、たいていは前者を指します。江戸期までに土地・温泉の一切を所有して「大屋(おおや)」と呼ばれた14軒の温泉旅館の全てが、この源泉から引かれる「黄金の湯」を用いています。ゆるキャンに登場した「石畳の湯」のモデル「石段の湯」も同じ「黄金の湯」です。

 

 車道に戻って上に進むと、右手に上図の案内看板がありました。Mが言ってた古い道標はこれか、と気付きました。

 読みながら、ドイツ人医師ベルツ博士、とはエルヴィン・フォン・ベルツのことか、と思い出しました。帝国大学医学部教授で戦時中は海軍の軍医官だった祖父の書棚にもベルツ博士の著書が幾つかあって、そのうちの2冊を父が、そして私が受け継いで所蔵していますが、その1冊が「日本鉱泉論」といい、伊香保温泉の紹介も含まれています。

 ですが、私自身はもう1冊の「ベルツの日記」のほうが面白くて、よく読みました。明治期の日本の状況に関するベルツの分析や把握、日本人に対する手厳しい批判などが、現在の日本人にもあてはまるものがあって色々と考えさせられました。

 さらにベルツ博士は明治期の日本人の食と健康についても興味深い論述を残しています。例えば、日本人は長い歴史のなかで玄米と雑穀を主食とし野菜や海藻を多く食べているため、西洋栄養学の食事よりも和食が合っていた、といいます。肉食の歴史が短かい日本人は肉類消化に時間が掛かり、肉類のタンパク質と脂質は腸内で腐敗し酸毒化しやすく、長い腸内で老廃物が長時間血液を汚して細胞と組織を劣化させ、色々な病気を発症させる、と述べています。

 これは、戦後の日本人が肉食中心となるのと並行して様々な疾患や病気に悩まされ、癌の罹患率も激増していった状況を的確に言い表しています。肉を小麦に言い換えても、同様の状況が指摘出来ますから、嫁さんなどは私の病気や体調不良の原因が小麦だろうとみて、小麦を原料にした食品の摂取を一切禁じているわけです。

 

 古い道標の実物です。刻まれた文字もハッキリと読めました。

 

 さらに進むと左手に上図の飲泉所がありました。ここの温泉は飲むことも出来るようです。実は、伊香保温泉は「飲める温泉」と認定された国内第一号にあたるそうで、明治初期に伊香保を訪れたベルツ博士が、温泉街の環境や衛生について調査した結果により確定したそうです。

 

 道が行きどまりとなっている手前の右側に、目的地の伊香保温泉露天風呂がありました。伊香保温泉には二ヶ所の外湯があり、一ヶ所がここの源泉脇の露天風呂、もう一ヶ所がゆるキャンの聖地にもなった「石段の湯」です。

 

 露天風呂の施設の向かい、山側にある源泉の噴出口の覆屋です。

 

 銘板には「噴出口 第二号源泉」とあります。いまの伊香保温泉はここを源泉としていますが、昔は第一号の源泉もあったのでしょう。

 

 噴出口は、ドーム状のガラスに覆われていて、覗き込むことも出来ます。茶色の湯というから濁っているのかと思いきや、意外に透明な湯でした。地下からの送湯管によって絶えず地上に湧出し、それを湯桶と呼ばれる引湯管にて温泉街に流しているそうです。

 

 さて、いよいよ入りますか。大人600円なり。

 

 チケットは上図の自販機で購入し、窓口で半券を貰うシステムでした。

 

 内部は撮影禁止でした。源泉の「黄金の湯」を掛け流しで使用した野趣あふれる温泉で、湯船は二つに仕切られていて左側は熱め、右側はぬるめになっています。昔は混浴だったそうですが、今は広い湯船を中央で仕切って、奧が女湯になっています。

 お湯は、やや白濁した茶褐色でザラザラしており、これは鉄分を多く含むことによります。施設内の表示によれば、湯温は源泉で45度、湯口で43度となっていますが、個人的にはやや温いかな、と感じました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く45 その1  伊香保温泉へ

2025年02月05日 | ゆるキャン△

 2024年10月15日の朝は快晴でした。ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼の四日目のコースは伊香保温泉でした。この日の宿も伊香保温泉なので、聖地スポットの再訪の他は温泉入浴と温泉街の散策と食べ歩きをゆっくりと楽しむ予定でした。

 それで、この日は8時過ぎまでゆっくりと寝て、前日の野反湖ハイキングの疲れも癒しておきました。朝食をとりに一階ラウンジへ降りた時には、既に朝食バイキング会場の混雑は解消していてテーブルについているのは数名だけでした。食後も部屋でゆっくりと休み、チェックアウトしたのは9時半過ぎでした。

 上図は出発時に撮った、宿の玄関口の標識です。

 

 数分でJR高崎駅に移動し、西口の南側にある上図の上野三碑(こうずけさんぴ)のレプリカ展示を見ました。

 上野三碑とは、古代の飛鳥時代から天平時代までに建てられた、漢文が刻まれた3基の石碑のことです。三碑とも高崎市内に伝存し、山ノ上碑(山上碑)、多胡碑、金井沢碑と呼ばれます。
 いずれも国の特別史跡に指定されており、私も平成八年(1996)の夏、大学時代の群馬県の友人Mに誘われて、碓氷郡松井田町の彼の実家へ遊びに行った折に上野三碑も案内してもらって実見しています。

 古代の石碑は国内でも18例しかなく、大変に貴重な文化財ですが、上野三碑はそのなかでも最古の石碑群として知られます。それらの実物大レプリカが高崎駅西口の駅そば店舗の横にあるよ、とMに教えられたので、立ち寄ったわけです。

 

 上野三碑のレプリカ展示を見た後、高崎駅西口のベデストリアンデッキにあがり、上図の写真を撮り、バス乗り場へ向かいました。

 

 バス乗り場は、毎度おなじみの西口2番乗り場です。ゆるキャンの群馬キャンプ編の聖地となった榛東村、榛名湖、そして伊香保温泉の全てに行くことが出来ます。

 

 9時54分、バス乗り場に着きました。まだバスは来ていませんでした。

 

 時刻表を確かめました。今回は10時5分発の水沢・伊香保温泉経由箕郷営業所行きに乗ります。その前の便は8時55分発で、それが伊香保温泉に立ち寄る最初の便であるようです。

 

 9時58分、バスが来ました。10時5分に出発、高崎市街から水沢観音門前街を経て伊香保温泉への約1時間半のバス旅を楽しみました。途中で有名な箕輪城跡の近くを通りましたが、お城まつりがあるようで、街中のあちこちに幟がはためいていました。それから水沢観音の門前街のうどん屋の並びを見ましたが、平日なのにどのお店も行列が居て、水沢うどんの人気の高さがうかがえました。バスの旅は、とにかく楽しいです。

 もともと私はバスの旅が好きで、太川陽介さん蛭子能収さんの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」シリーズのファンでもあったので、各地への旅行でもなるべく鉄道やバスを利用していかに目的地にたどり着くか、のプランを楽しみながら懸命に考えたりします。
 京都へ凱旋移住して車を手放してからは、ゆるキャン聖地巡礼を含めた全ての旅行が公共交通機関利用メインになりましたから、とにかく鉄道やバスを利用し、それらが無い地域では太川陽介さんばりに徒歩での移動を頑張ります。健康にもいいし、普段の生活でも歩き回っていますから、足腰が丈夫になって、悩んでいた腰痛も解消し、30分ぐらいの徒歩移動なら普通にこなせるようになりました。

 

 11時31分、目的地の「伊香保案内所」バス停で下車しました。前夜にMに電話して「伊香保温泉街を散策する場合はどこのバス停で降りたらいいか」と聞いたところ、「源泉の露天風呂を勧めるんで、最寄りは「伊香保案内所」だな」と教えられたからでした。

 

 Mが言うには、バス停から南へずっと坂を上っていくと源泉の露天風呂があるが、その途中に伊香保温泉発祥の地とされる、渋川市指定史跡の「千明元屋敷跡」があるので是非見て行ってくれ、との事でした。どんな遺跡か、と訊ねたら「行けば分かる」とだけ返されました。

 それで、元の計画ではバス停「伊香保案内所」から北に下りて温泉街に入る形であったのを、逆の南に進んで長い登り坂の車道をたどることになりました。思ったよりも急で距離があり、地図で見直すと約600メートルはあるようでした。登り切った時には汗だくになっていました。

 

 車道の脇に上図の石積みと看板がありました。たぶんこれだな、と思って近づきました。

 

 間違いなく、Mが教えてくれた渋川市指定史跡の「千明元屋敷跡(ちぎらもとやしき)」でした。中世戦国期に現地の湯元を支配していた土豪の千明(ちぎら)氏の屋敷跡です。源泉のすぐ下に位置し、屋敷の周囲の川沿いにもとの温泉街があったそうです。これを天正三年(1575)に武田勝頼が真田昌幸に命じて北麓に移転させて新たな温泉街を整備したのが、現在の石段街の始まりとされています。

 この移転により、千明氏も石段街に移転しましたが、伊香保温泉の有力者としての立場は維持して、引湯権を所有して温泉旅館を営んできました。いまの「千明仁泉亭」がその後身で、伊香保温泉屈指の高級旅館として知られます。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その18  野反湖 野反湖バス停から

2025年01月27日 | ゆるキャン△

 野反湖展望台案内所の南側に、上図の展望所とみられるベンチ群があり、その横を道が下の野反湖畔まで通っていました。ベンチ群からの眺望はあまり開けておらず、むしろ道を下った下の方にも広場らしき場所が見えて、そちらが展望所なのかもしれないな、と思いました。

 野反湖周辺ガイドの案内マップで見ると、道は湖畔の展望所までで行きどまりになっているようでした。最初はこの道が湖畔東岸ルートに続くのかなと考えていたのですが、マップではここ展望台駐車場の少し上にある池ノ峠駐車場の南側の「車道出合」から湖畔東岸ルートが始まっており、野反湖の東岸に沿ってほぼまっすぐに富士見峠まで続いていました。

 次に来るときは、この湖東岸ルートを歩いて、今日の湖畔西岸ルートに続けての野反湖一周を試みるのも面白そうだな、と思いました。行くなら、車道の冬季通行止めが解除されてバスが運行される陽春の5月から、高山植物の開花シーズンの6、7月にかけてのタイミングが良いな、と考えました。

 

 しばらく野反湖を眺めていましたが、そのうちに空は雲に覆われ、天気予報の通りに気温も下がってきて、寒くなってきました。時計を見ると15時32分でしたので、駐車場へ戻りました。

 

 バス停は、あれだな・・・。

 

 バス停「野反湖」です。長野原草津口駅からのバス路線の終点にあたります。今回は途中の「野反峠」で降りて富士見峠から歩きましたが、こちらの「野反湖」で降りて逆に歩いて富士見峠の「野反峠」バス停まで歩くことも出来ます。ただし、その場合は地形の関係で登り坂が多めになります。

 

 「野反峠」バス停の時刻表は御覧のとおり、一日に3便しかありません。5月1日から10月20日までがバスの運行期間で、それ以外は冬季通行止めとなりますから、車やバイクを利用したとしても、野反湖へ行ける期間は5か月余りしかないわけです。

 

 で、午後の最終便はこの15時39分発でした。これに乗れないと帰れなくなってしまいます。野反湖キャンプ場に一泊した場合は、午前の第1便が9時26分発となります。とにかく3便しかありませんので、バス利用での野反湖行きは、バスの時刻をおさえておくことが肝要です。

 同時に、長野原草津口駅から野反湖までの途中にある、各務原なでしこ達も立ち寄った旧太子駅跡へバス利用で立ち寄るのも難しいことが分かります。午前中に2便がありますから、始発便に乗れば旧太子駅跡へ立ち寄ることも出来ますが、その始発便は平日のみの運行で、長野原草津口駅を7時55分に出ます。それに合わせるならば、例えば高崎からですと6時10分発の普通列車に乗らないといけません。
 いずれにせよ、野反湖行きのバス便は最低限で、一往復するのがやっとというダイヤです。せめてもう1便あればな、と思います。

 

 バス停の前で思案しているうちに、帰りのバスがやってきました。時刻は15時37分でした。行きと同じ運転手さんが笑顔で「いかがでした?」と訊いてきました。

「お蔭様で、景色も良くてハイキングが楽しめました。地図にあるとおりの1時間40分で歩きました」
「ほう、そうですか、するとあなた、足は速いほうなのですな」
「ええ、そのようです。周りによく言われます」
「確か、湖畔西岸ルートでしたな、どこからでも野反湖が綺麗に見えますでしょう」
「ええ、どこから見ても絵になりますねえ」
「そう、そう、ノゾリキスゲの花が咲くころはもっと絵になりますよ」
「実はその花の咲くころにもう一度来たいと思っています」
「なら、5月下旬から6月いっぱいまでがよろしい。是非来て下さいや」

 

 予定通りの15時39分に出発しました。しばらくは登りになり、やがて池ノ峠駐車場の横を通りました。運転手さんがその横を指して「そこから湖畔東岸ルートになりますんでね、さっきの展望台駐車場からはいまの車道を登っていくことになりますんで」と教えてくれました。

「その近くにバス停は無いのでしょうか」
「あることはあるんですがね、「湖畔」てのがあるんですがね、もうちょっと南、車道のピークまで行くんで離れてるんですわ。「野反湖」のバス停から行ったほうが近いですよ」
「そうですか」

 話しているうちにも登り坂は続き、ついにはハンディGPSの数値が1555メートルに達しました。そのピークを過ぎたあたりにオオカラボリ駐車場があり、そこに「湖畔」バス停も見えました。

「あれから下へ降りると湖畔東岸ルートの真ん中あたりに繋がってるんですよ」
「そうですか」

 

 その「湖畔」バス停付近からの景色でした。かなり高い位置に来ていることが野反湖の見え方から分かりました。そのあとは雑木林のトンネルの中を走ることが多く、富士見峠に近づくまでは、野反湖の湖面があまり見えませんでした。

 15時51分、行きに下車した「野反峠」バス停に停まりました。大きなリュックを背負った登山客3人が乗り込んできました。私を含めて4名が、その日の帰りのバスの乗客でした。

 

 それからはしばらくウトウトしていて、目が覚めた後はメモに湖畔西岸ルートの各ポイントの様子や所要時間などをまとめました。そのうちに16時34分、上図の「道の駅六合」に停まり、発車しました。

 

 それから窓の外の景色をボーッと眺めていましたが、時々、赤い三角形の防火用水標識が道端にあるのを見ました。集落ごとに設置されている感じで、この帰り道だけで12ヶ所を見つけました。ゆるキャンの作中にて斉藤恵那が見つけたのは、どのあたりだったのでしょうか。

 

 16時41分、運転手さんが左手を指差して「あれが太子駅跡ですよ」と教えてくれました。そちらを見ると、駅舎のような建物と数輌の貨車が見えました。その直後に入口に置かれた貨車と、その向かいの「旧太子駅」バス停を見ました。

 次に来るときは、あの旧太子駅へ行こう、大井川鐡道井川線から譲渡された貨車1輌も見たい、と考えました。

 

 また、例の防火標識を見つけて撮りました。夕方の薄暗い景色のなか、赤色の三角形はものすごく目立つのでした。遠くからでもすぐに分かるので、カメラを構えて準備して、横を通ったら撮る、ということを十五回ほど繰り返しましたが、成功したのは二回だけでした。

 

 16時55分、終点の長野原草津口駅に着きました。野反湖を出てから1時間16分後でした。運転手さんに御礼を言って下車しました。

 

 かくして、今回のゆるキャン聖地巡礼のメインであった野反湖行きが、つつがなく終わりました。予想よりも楽しく、素晴らしく、面白い学びが豊かな高山域の秘境でした。ゆるキャン聖地巡礼でなくても再度行きたい場所だな、と思いました。

 その後は長野原草津口駅の休憩ルームで50分ほどの待ち時間を過ごしました。吾妻線のダイヤと野反湖行きのバスの時刻は全然リンクしていませんから、行きも帰りも、長野原草津口駅での待ち時間が生じます。ここに着く特急「草津・四万」も、草津温泉行きのバスの時刻に合わせて運行されているため、野反湖へ行くための手段としては適していません。なんだかなあ、と思ってしまいます。

 長野原草津口駅からは、17時52分の普通列車で出て、19時5分に新前橋駅で乗り換えて、高崎駅に着いたのは19時17分でした。駅ビル内の中華料理店で夕食をとり、20時前に高崎の東横インにチェックインしました。

 以上、ゆるキャン群馬キャンプ編二日目ルート聖地巡礼3日目のレポートを、野反湖編として括ります。次回からは項を改めて、4日目の伊香保温泉での聖地散策を綴ります。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その17  野反湖 野反ダムから展望台駐車場へ

2025年01月25日 | ゆるキャン△

 野反湖キャンプ場のバンガローエリアの見学を終えて車道の出入口より退出しました。

 

 野反湖キャンプ場の出入口の外側には上図の建物があります。板張りの山小屋ふうの建物で、最初はキャンプ場関係の施設かなと思いましたが、玄関口の表札には「野反ダム管理所」とありました。その横にダムがあるのかと探しましたが、もう少し北に離れていました。

 

 しばらく降りていくと、下方に野反ダムの堤体の一部が見えてきました。

 

 ダムの近くには上図の水利使用標識がありました。これを見ると、野反ダムが東京電力ホールディングスの再生可能エネルギー発電事業会社である東京電力リニューアブルパワーの管理に置かれていることが分かり、野反湖の正式名称が「野反貯水池」であることが分かります。

 へえ、湖じゃなくて貯水池なのか、と思いました。確かに元は野反池だったから、その貯水量がダムによって増えただけ、という認識なのかな、と考えました。
 そしてこのダムが信濃川水系の中津川の源流であると知り、要は長野県および新潟県側への水流のダムなのだ、と理解しました。

 

 野反ダムの堤体を見下ろしました。なにか普通の擁壁のようで、あまりダムらしくない外観でした。堤体の高さは44メートル、車道が通る堤頂部の長さは152.5メートルで、竣工年は昭和三十一年(1956)です。

 日本の発電用ダムとしては初めてのロックフィルダムであり、材料となる岩石を高所から落下させ、その衝撃で締め固めつつ高く築き上げるという投石工法で建設されました。堤体本体の上流側は水の流出を防止するため、一面にわたって鉄筋コンクリートで舗装されていますが、これも日本のダムとしては珍しいものだそうです。

 同じような型式のダムはここ野反ダムのほか、岐阜県の小渕ダム、岩手県の石淵ダム、秋田県の皆瀬ダムの3基だけだそうです。

 

 いずれにせよ、ダムとしては珍しい形式、工法によるものですが、小規模のダムであるためか、堤体の上を歩いている限りでは普通のコンクリート橋の上を進んでいるような感じでした。

 ゆるキャンでは以前に長島ダムや滝沢ダムが聖地として登場していますが、その2ヶ所はいずれも巨大で規模も大きくていかにもダムだという雰囲気、迫力がありましたが、今回の野反ダムはそれらとは正反対の印象でした。

 

 ダムの下方を見下ろしても、中津川の水流が全然見えず、水音もしませんでした。放流していないのか、それとも川が木々に埋もれて見えないのか、のどちらかだろうと考えました。

 

 反対側の野反湖です。なかなかの見ごたえある湖面の景観ですが、ゆるキャンの作中にはこのアングルも野反ダムも出てきません。原作者のあfろ氏が野反湖の周囲を歩き回っていないからでしょう。車かバイクでサーッと来て、キャンプしてハイ終わり、だったのかもしれません。

 

 満々と水をたたえて静まり返っていました。今回のルートにおいて最も湖面に近づいた時でした。汀の位置を見ると2メートルぐらい下がっているようなので、満水期ではないのだろうと思いました。総貯水容量が27,050,000立方メートルだそうなので、その九割か八割はあるんだろうか、と考えました。 

 

 ダムの中央から真南よりやや東寄りに見た図が、野反湖の南北を見渡せるような感じでした。よく見ると、向こうの鞍部が富士見峠であるようで、鞍部の中央にポツンと野反湖休憩舎らしき建物が見えました。

 あそこから、湖畔西岸ルートを1時間38分で歩いて野反湖キャンプ場ビジターセンターに入り、さらに10分ほど歩いてここ野反ダムの上に居るわけです。距離にして約5キロ余りでしたが、様々な景色の美しさに感動しながら歩いていたので、あまり距離を意識しなかったのでした。

 

 野反ダムを渡ると道は登り坂に転じ、ぐるりと右に回って開けた場所へ出ました。上図の標識を見て、今回の湖畔西岸ルートの終点である展望台駐車場に着いたことを知りました。時刻は15時25分でした。帰りのバスの時刻まで、残り14分でした。

 これにより、富士見峠から湖畔西岸ルートを通って展望台駐車場までのハイキングの距離と所要時間を、約5.5キロ、2時間50分と記録しました。これは、途中でのテントエリア広場、ビジターセンター、63番バンガロー区画の3ヶ所での休憩時間を含みます。

 ちなみに、バスで野反峠に着いたのが12時1分でしたから、それからの時間総計は3時間24分となります。富士見峠をスタートした12時35分までの34分間は野反湖休憩舎にてピザを食べて休んでいましたが、今回の残り時間が14分でしたので、野反湖休憩舎での食事休憩をもし1時間としていたら、帰りのバスの時刻には間に合わなかったことになります。

 

 展望台駐車場は、野反湖周辺の観光駐車場のなかで最も広いそうです。その北側に堂岩山(標高2051メートル)や八間山(標高1934メートル)への登山口があり、少し南側にある池ノ峠駐車場と併せて、野反湖の東側の山々への登山者が車を停めておく基地になっているそうです。

 その駐車場の中央あたりにバス停「野反湖」がありますが、まだバスは来ていませんでした。

 

 展望台駐車場の西側には、閉鎖となった野反湖展望台兼案内所の建物がありました。玄関口のガラス戸から中をのぞきましたが、内部は少々の廃材が置かれているのみでガランとしていました。

 

 建物の外壁に貼ってあった、上図の「ぐんま県境稜線トレイル」の案内マップです。

 

 現在地の野反湖が群馬県と新潟県の県境に接していることが分かります。

 

 南のほうには、昨日行ってきた榛名湖と榛名富士の表示もありました。同じ群馬県内にありますが、距離的にはものすごく離れています。私も一泊して二日をかけて榛名山、ここ野反湖を回りました。

 こんな長距離のルートを、高校生3人で榛東村経由でよく移動したなあ、と感心してしまいました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その16  野反湖 キャンプ場の63番バンガロー

2025年01月24日 | ゆるキャン△

 野反湖キャンプ場バンガローエリアの続きです。ビジターセンターから三壁山への登山路を経て、バンガローエリアの北東端の高台に登りました。そして14時39分、上図の63番バンガローの前に着きました。

 

 おお、実際にあるんだ・・・。各務原なでしこ、斉藤恵那、瑞浪絵真らが泊まった63番バンガロー。

 

 現地はバンガローエリアの北東端にあたり、以前はこの63番と隣の48番の2棟のバンガローだけがあってその横は駐車場付きの展望広場になっていたそうです。確かに現状でも野反湖を一望できる一番のビューポイントです。

 

 そして近年に8人用の大型のバンガローが2棟増設されて、現在のように63番バンガローの左手に隣接しています。上図左端に見えるのがその8人用の大型のバンガロー2棟のうちの南側の建物で「白砂山」の名前が付けられています。

 「白砂山」との間にスペースがあり、そこが63番バンガローの区画になっているようで、作中でも各務原なでしこ達が景色を眺めています。

 

 このシーンです。作中では5月のGW期間中ですが、周辺にまだ残雪が見えます。5月でも現地ではまだ冬の気候であるようで、6月からようやく気温が上がって現地の高山植物群の開花期になり、行楽シーズンに入るそうです。

 ちなみに上図のシーンでも、あfろ氏特有の景観美化がなされていて、例えば手前の草藪や「白砂山」の横の木が省略されています。それで実際よりも広々として見えます。

 

 そして上図のスペースで、斉藤恵那と瑞浪絵真がシートを敷いて寝転がり、またはチェアに座って、のんびりと野反湖の景色を眺めていたわけです。

 

 このシーンですね。作中では残雪がありますから、全体的に白っぽくみえる景色だったことでしょう。

 この位置で、3人は夜を過ごしてキャンプ飯を楽しむわけです。実は、私がここに来た時点では、COMIC FIZでの連載の最新話がズバリの第98話で、まさに3人が第63番バンガローの横でキャンプを楽しんでいた最中でありました。

 なので、3人が居るところへ私が「加わった」ような気分で、野反湖の景色もキャンプ場の雰囲気も3人と「共有」している状態に浸れまして、テンションが最高潮に達していたのでした。意図して日時を合わせたわけではなく、たまたまそうなったのですが、とにかく嬉しい「一致」でした。最高のひとときでした。

 

 3人がシートを敷いて夜のひとときを過ごしていた場所は、御覧のように、63番バンガローの横になります。中には入れませんでしたが、室内の様子は作中にて見られます。

 

 このシーンです。バンガローとしては一般的な造りです。

 以前に奈良県に住んでいた頃に、アウトドアスポーツサークルに参加して各地でキャンプをした時期がありましたが、グループまたは団体での実施であったため、幾つかのキャンプ場ではバンガローやコテージに泊まっています。いずれも同じような、何もない殺風景ともいえる室内空間でした。当時、一緒に泊まった仲間が「捕虜収容所」とか「刑務所」とか形容していたのを覚えています。

 

 この位置で20分余り、「各務原なでしこ達と一緒に」座ってお茶を飲み、持参のナッツ類をかじり、まったりと野反湖の景色を眺めました。最高の聖地スポットで最高の気分を味わいましたが、既に日は傾き、雲も増えてきて現地が陰に包まれることが多くなり、それに応じるかのようにハンディGPSの温度計がぐんぐん降下しました。

 ビジターセンターに到着した時点では14度でしたが、この場所では8度になっていました。さすがに標高1500メートル余りの高山域は夕方に近づくと一気に寒くなるなあ、と身を震わせて立ち上がり、もう少し景色を眺めた後、いつかもう一度、高山植物の開花期シーズンに来よう、と思いつつ名残惜しい気持ちで出発しました。

 

 63番バンガローの広場から斜め下を見下ろした図です。沢山のバンガローが並んでいますが、眺望の良さではここ63番バンガローがダントツであることが実感出来ました。時計を見ると15時9分、帰りのバスの時刻まで30分でした。

 

 もと来た道を引き返して、ビジターセンターの前の車道まで降りました。

 

 それから車道をたどって、上図の野反湖キャンプ場の入口の看板の横を通りました。時刻は15時14分、帰りのバスの時刻まで25分でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その15  野反湖 キャンプ場バンガローエリアにて

2025年01月21日 | ゆるキャン△

 野反湖キャンプ場のバンガローエリアの見学に出かけました。ビジターセンターの外に出て、教えられた通りに車道を横ぎって向こう側へ行くと、上図の三壁山への登山口の標識がありました。その右に見える登り坂をたどればよいのだな、と思って足を進めました。

 

 かなり急な坂を登りながら左右を見回しました。上図は左手の景色です。三壁山の東麓の斜面上に沢山のバンガローが建ち並んでいました。

 

 対して右手には、上のほうに数棟しか見えませんでした。歩いている登山路がキャンプ場の北東端にあたることがよく分かりました。傾斜も急になっていて、建物とかを建てられるような地形ではありませんでした。

 

 50メートル余り登って、いったん後ろを振り返りました。野反湖の湖面を含めた周辺の景色が綺麗に望まれました。湖面を望むキャンプ場、がウリの野反湖キャンプ場ですが、さきに通ってきたテントエリア広場のほうが湖面に近くて景色も広々としていたな、と思い出しました。

 

 で、この道にも既視感がありました。やっぱりこの道が作中にも出ていた道か、と考えました。

 

 このシーンですね。各務原なでしこ達三人の背後にビジターセンターの建物の一部が見えますので、位置的にはもう少し下のほうの景観です。

 

 再び前へ向き直って登りました。このアングルも作中に出ています。

 

 右のシーンですね。道が右に曲がっていくところも同じです。曲がりきると車道に出ます。

 

 道を曲がりつつ、左側の下を見下ろしました。エリア内の車道を施設管理作業車とみられる軽トラが走り降りていくのが見えました。これだけの広さと多くの施設があると、メンテナンスも大変なんだろうなあ、と思いました。

 

 道を曲がりながら右手を見ると、端に位置する赤い屋根のバンガローが見えました。あれが目指す63番バンガローだな、と思いました。

 

 エリア内を九十九折に巡る車道に出ました。その右手の景色が上図で、バンガローエリアの中心域にあたります。

 

 車道から回り込む形で、48番バンガローの横を通り、少し行った所で後ろを振り返りました。上図左手前が48番バンガロー、車道の向こうの中央の三角屋根の小屋が3番バーベキュー棟、その右奥の赤い屋根が炊事場棟「ノゾリキスゲ」です。このアングルで作中に出ています。

 

 左のシーンです。瑞浪絵真がこちらを指差して「あれじゃないですか?」と話しています。その通り、こちらの位置の背後に、各務原なでしこ達が泊まる63番バンガローがあります。  (続く)

 

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