気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く29 その3  門出から千頭へ

2023年04月30日 | ゆるキャン△

 門出駅を9時1分に出て、9時20分に折返し終点の家山駅に着きました。前回と同じく家山駅で代行バスに乗り換えますが、今回は終点の千頭駅まで行きます。

 

 この時の代行バスの便は9時32分発でしたので、12分の余裕がありました。それで、前回は見る暇すら無かった家山駅の駅舎や構内設備などを見て、撮影したりしました。

 

 この時の乗り換え乗客は20人ほど居たようです。私と同じように駅内のあちこちを撮っている人が何人か居ましたが、その全員がどうみても鉄道ファンのほうであり、ゆるキャン巡礼者には見えなかったのは、ちょっと残念でした。折角のコラボキャンペーン期間中の土曜日だというのに、でした。

 聞いたところによれば、新金谷駅で切符とグッズだけ買って鉄道にも乗らずに他の聖地へ行ってしまうファンが大半であったらしい、ということでした。大井川エリアでも、ゆるキャンファンは鉄道に乗るよりも、車やバイクでキャンプ場へ直行、というパターンが多かったらしい、と聞きました。

 

 駅内のあちこちを見学して撮影していた私を含めて、似たような行動をしていた4人が、最後に並んで改札口を通りました。大きなカメラを大事そうに持っている点が共通していて、撮り鉄なんだろうな、と思ったことでした。

 

 家山駅前に待機していた、千頭駅行きの代行バス。前回の川根温泉ホテルまでの巡礼時に乗ったバスとナンバーが同じでしたので、もしかして代行バスはこの1台だけで運行しているのかな、と思いましたが、千頭駅からの便も同時に運行するでしょうから、どこかですれ違えば2台での運行体制だと分かるな、と予測しました。

 

 代行バスのルートは、カーブが多くて距離も長い西側の国道473号線および362号線ではなく、川沿いの東側の県道64号線および77号線をなぞります。多くは大井川本線に沿って走っていることが多いのですが、線路よりも県道が高い位置にあるため、窓の景色も列車から見るのとは違っていてなかなかに楽しめました。

 

 全体として、大井川の東側を走るので、大井川の景色が逆光状態になることが少なく、窓から撮影するにも良いポイントが豊富でした。しかも距離的には鉄道よりも県道のほうがショートカット的なルートになっていて移動時間も少ないのでした。

 

 途中で見た、塩郷の吊橋です。大井川に架かる吊橋では最長の220メートルを誇り、私にとっては畑薙大吊橋(180メートル)よりもこちらが「デス・ブリッジ」でした。本気で二度と渡りたくない吊り橋ですが、見ているだけなら、良い思い出の景色となります。

 

 千頭駅に着く手前に渡る県道77号線千代橋からの景色です。実はここの景色を計画的に最初から狙っていましたので、タイミングをうまく捉えて撮影することに成功しました。

 ここからは御覧のように道路の橋、奥に大井川本線の鉄橋が並行して見えますが、実は家山駅から千頭駅までの代行バスルートから見て、道路の橋と大井川本線の鉄橋が並んで見え、かつ大井川本線の鉄橋が奥に見える、唯一の地点なのです。あとは全て大井川本線の鉄橋が手前に見えますので、その逆のパターンは珍しいというか、ここしかなくて面白いと思ったので、記念に撮っておいたわけです。

 

 千頭駅が見えてきました。ジェームズ、ヒロ、パーシーのトーマスファミリーも健在でした。

 

 代行バスから千頭駅ホームを見るのは、ちょっと不思議な気分でした。不通区間の終点だけに駅構内には人影が無く、寂漠とした雰囲気すら漂っていました。再びここへ大井川本線の列車で入る日は、果たしていつのことでしょうか。

 

 千頭駅前に10時15分に着きました。予定時刻の10時16分より1分早かったですが、もともとバスのほうが鉄道より早いのだろうと思います。大井川本線は大井川に沿ってのカーブの連続で大回りが少なくありませんが、代行バスのルートは地形に左右されずにショートカットで最短距離をとっている形ですので、移動時間も少ないそうです。

 バス停から道路を渡りつつ、道の駅のバス待機場へと移動してゆく代行バスを見送りました。千頭にて色々回ってから、11時7分発のバスで引き返す計画でしたから、おそらく、あの乗ってきたバスにまた乗って戻るのだろうな、と考えました。
 ということで、千頭駅エリアでの聖地巡礼行動の時間は52分でした。すぐに最初の目的地へ歩き出しました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 Ⅱ号戦車F型(3、4輌目)(リボンの武者版)

2023年04月29日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.9 (商品コード35009)

  制作期間   2022年3月3日、5月16日

  製作記事   完成記事

  総評・備考
 ガルパンにおけるⅡ号戦車は、劇場版における西住家車輌を初出とし、最終章第1話の青師団高校チームの車輌も同型である。いずれも実際のⅡ号戦車の標準型の最終形態となったF型に該当する。そのキットはプラッツから西住家、青師団高校の2種(下のキット一覧の1と2)が出ており、いずれも元キットはドラゴンの製品(下のキット一覧の7)である。適応キットはタミヤ(下のキット一覧の3)やアカデミー(下のキット一覧の9)の品が知られるが、前者は初心者向け入門キットの代表格とされ、初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作用の適応キットとしても有名である。
 今回の作例はコミック「リボンの武者」に登場する黒森峰選抜チームのシュバルツバルト戦闘団の所属車輌を再現したが、作中車の描写から元キットはタミヤ製品(下のキット一覧の3)であろうと推測し、それを使用した。ガルパン仕様への追加工作はハンドルぐらいで、初心者クラスでも十分に楽しめる対象のひとつである。

  公式および適応キット一覧(2023年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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黒森峰女学園 シムカ5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その2

2023年04月28日 | ガルパン模型制作記

 ステップ4では内装を組み立てます。シムカ5は、屋根がシートタイプで、巻いて収納すれば半オープンカーのようになる乗用車ですので、車内のインテリアも必要最低限でパーツが揃っていて組み立てて再現出来ます。このインテリア部分の再現が出来る点が、今回の塗装ステップで新たな塗装方法を試みる契機の一つでありました。
 ステップ5の人形は不要ですので、ここでは飛ばします。

 

 ステップ4で組み付ける内装のパーツ類です。座席と操縦装置とに大別されますが、塗装しながら組み立てるとなれば、座席は塗装後の組み付けになるな、と考えました。

 

 それで操縦装置のパーツを組み付けました。ハンドルだけは、取り回し途中の思わぬ破損防止のために後で付けることにしました。

 

 こうして見ますと、塗装する際の塗り分けが楽に出来るようにパーツ割が考えられているのが分かります。史実のシムカ5の車内色は明るい灰色系統のカラーであったそうですが、作中車のカラーは分かりませんので、ここでは史実に沿って近いカラーを塗ってみる方針でゆくことにしました。

 

 ステップ6では内装関連の組み立ての続きを進めます。ステップ7ではドアやバンパー等、ボディ関連部品を取り付けます。塗装段階での塗り分けをイメージしつつ、仮組みの気持で組み立てることにしました。

 

 ステップ6で取り付けるパーツ類です。このうち予備タイヤのA19、フロントガラスのC4は塗装段階での組み付けとしました。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ7ではドアやドアのガラスやバンパー等、ボディ関連部品を組み付けます。ドアのガラスは閉状態と開状態とが選べます。運転席側のガラスを開状態のC2で組み付けて、助手席側のそれは閉状態のC6にしてみましたが、いずれも塗装後の取り付けとなります。

 

 組み上がりました。ドアや屋根の吹き抜けが広いので、内部の塗装が楽に出来そうに感じました。

 

 上下の車体パーツを仮組みで合わせました。塗装前の組み立て工程が完了しました。今回の作中車は実車そのままであるようで、キットもストレース組みで作りました。ここまでで二時間もかかりませんでした。  (続く)

 

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安祥寺1 秋の安祥寺へ

2023年04月27日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2022年11月19日、山科の安祥寺が特別公開やってるらしいから見に行きたい、と嫁さんが言うので、その安祥寺を訪ねました。最寄りのJR山科駅で降りて、改札口を出て右、西側に進んでセブンイレブンの脇から線路沿いの細い通路を進みました。
 安祥寺は、JR山科駅の北北西約200メートルに位置しますので、南にしか改札口が無い山科駅から行く場合は、西側の安祥寺川沿いの道へ回ってJRの高架下のトンネルをくぐるのが唯一のルートになります。

 

 その西側の安祥寺川沿いの道が、JRの高架下のレンガ積みのトンネルをくぐって北へ抜けます。

 

 このレンガのトンネルは、銘板によれば「安祥寺川橋梁」の下に作られています。下り線側が古くて大正十年の竣工であるそうです。そして太平洋戦争中の昭和十九年に上り線側が追加されたとあり、このときに複線化がなされたのでしょうか。

 

 そのトンネルを北へ進みました。わあ、レトロなレンガ造りのトンネルですねー、とレンガの幾つかを右手で撫で、スマホで撮りまくる嫁さんでした。歴史的な建造物や近代工業遺産の類にも興味があるそうです。

 

 トンネルを北へ抜けてそのまま登りました。この上図の登り坂が、安祥寺への参詣道でもありました。JR山科駅から徒歩で10分もかからない至近にある古刹ですが、普段は非公開なので観光スポットにはなり得ず、地元の山科区でもあまり知られていないと聞きます。

 嫁さんも安祥寺の事は、先週に京都の秋の特別公開情報を調べていて初めて知ったそうです。一昨日の夕食時に「ねー、安祥寺って知ってます?」と、私なら多分知ってるだろう、というニュアンスを込めて聞いてきました。知ってるよ、と返すと「やっぱりねー」と笑っていました。

 私に限らず、仏教美術史および仏像彫刻史を専攻する学徒なら、安祥寺の名は絶対に知っています。仏教美術史および仏像彫刻史の基本知識、基礎資料のなかでも重要度が高い古寺だからです。そして私は昭和63年に安祥寺を訪れて現在の下寺だけでなく、平安初期の 嘉祥元年(848)創建以来の上寺の遺跡にも登った事があります。

 なので、この旧参道をたどるのも、昭和63年以来、34年ぶりのことでした。歩きながら当時の記憶を少し話すと、「大昔ですね、記憶もセピア色ですかー?」とおどけて答える嫁さんでした。彼女は平成4年生まれなので、私が初めて安祥寺を訪ねた日にはまだ存在していなかったわけです。大昔ですね、の言葉には実感がこもっていました。

 その大昔から、この道はあんまり変わってない気がするな、と言うと、「ええー、それすごくない?」とスマホで撮影していました。

 

 旧参道は、境内地の手前で第一疎水を渡りますが、その疎水沿いに見事な紅葉が望まれました。綺麗ですねえ、と御機嫌の嫁さんでした。

 

 第一疎水にかかる橋を渡りました。銘板が見当たらないので橋の名前は分かりませんでしたが、安祥寺門前に位置するので、安祥寺の名が付いているかもしれません。安祥寺橋とか、安祥寺門前橋とか・・・。

 

 琵琶湖から引かれる第一疎水のあおあおとした水面を見ました。

 

 安祥寺の門前に貼ってあった、この秋の特別公開の案内です。2022年度は春と秋に、2021年度は春のみに行われましたが、そうした特別公開は2019年から始まったもので、それ以前は殆ど公開されていなかったと聞きました。

 毎年の京都の非公開寺院特別公開が好評で多くの見学客を呼んでいるため、ここ数年は、これまで非公開だった古社寺が初公開に踏み切るケースが増えていますが、安祥寺もその例にもれなかったということでしょうか。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その2  再び門出駅へ

2023年04月26日 | ゆるキャン△

 金谷駅を7時47分に出て、8時1分に上図の「KADODE OOIGAWA」に隣接する門出駅で下車しました。10日前の前回巡礼時に訪れた「KADODE OOIGAWA」ですが、その後に観光資料を読んで「KADODE OOIGAWA」が私の回った範囲よりももっと大きな施設であることを知り、その外回りや謎の線路がある場所などを全然見ていなかったことを思い出しましたので、二度目の機会にそれらを全部見て回ることにしました。

 例えば上図の施設外観は西館のメインエントランスであり、施設名のエンブレムも置かれた「顔」にあたる部分ですが、門出駅から入ると反対側にあたるため、前回は内部ばかりを回って外へ出なかったのもあって、全然こちらに回ることがありませんでした。

 

 「KADODE OOIGAWA」は国道沿いの道の駅なので、対象とする観光客は車での来場が大半を占めると聞きます。それで広い駐車場が西側に6ヶ所もあり、乗用車計550台とバス計34台が駐車可能です。さらに西館の西側にメインゲートがあって、その横にバスロータリーとバス停が設けられています。
 バス停から施設に向かうと、左側のカフェ施設の外壁の上図の大きなシンボルデザインが見えてきます。このシンボルデザインの南側に前述のエンブレムが置かれています。

 前回はこのメインゲートを含む西館西側の広大なエリアを見落としていたのでした。公園、ドッグラン、植物園コーナー、多目的スペース芝生などがあり、地域のプラザ的な多目的商業施設としての姿がようやく捉えられたのでした。島田市は相当力を入れたのだな、莫大な事業費を投入したのだろうな、と思いました。

 

 続いて、東館の北側にある駐車場に行き、そこにあるという謎の線路を見ました。上図のように、東館の北側から線路が北へ伸びているのですが、駐車場の中を横切っているので、どういう性格の線路なのか、廃線跡なのか、よく分かりませんでした。

 

 しかも線路は、駐車場の北側の出入口で切れて終わっています。廃線なのであれば撤去すればよさそうなのに、地面に埋めることもせず、ちゃんとレールが見えるように地面が整えられて線路敷きがタイルで形成されています。意図的に線路を残してある、としか思えませんでした。
 もしかして、ここの観光施設と門出駅が出来る前の大井川本線の位置だったのかな、と考えましたが、「KADODE OOIGAWA」の案内板にはこの線路に関する文は全く見当たりませんでした。

 

 そこで、8時45分に東館の観光案内カウンターが稼働し始めたのを見て、謎の線路について教えてもらいました。お話によれば、現在東館のエントランスに置かれているC11形312号機がもともと置かれていた線路だ、ということでした。

 なあんだ、そういうことだったのか、と納得しましたが、C11形312号機が現在の展示位置に収まっているにもかかわらず、もとの位置の線路はそのまま維持されているのが不思議でしたので、その理由を聞いてみました。が、それはちょっと分からないです、との事でした。結局、謎の線路は謎を一部残したままになりました。

 

 とりあえず、外回りを全部回って、「KADODE OOIGAWA」の全容を把握しましたので、ぐるりと一周する形で門出駅のホームに戻りました。

 

 8時1分に着いて、「KADODE OOIGAWA」の西館の外回りの施設を全部回り、東館北側の謎の線路も見て、門出駅に戻ると上図のように8時52分になっていました。50分もかかるほどの広大な総合観光商業施設であるわけです。前回はその半分以下の範囲しか見ていなかったのだ、と悟りました。

 

 時刻表を見て、次の列車が9時1分発であることを確かめました。ちょうどいい感じに「KADODE OOIGAWA」をぐるりと回れたな、あと9分待てば良いか、とペットボトルの水を飲んでひと息つきました。

 

 門出駅に戻って3分後に、金谷行きの列車が入ってきて、発ってゆきました。金谷からの出発時に乗った旧南海電鉄車輌でした。つまり一時間で家山から折り返して戻ってくるわけか、と理解しました。

 

 その6分後に、家山行きの列車がやってきました。旧東急電鉄車輌でした。それを見て、われらの旧近鉄特急車輌はこの日もお休みらしい、と悟りました。この日は旧南海と旧東急の車輌で上下の便を運行しているのだ、と分かったからです。ちょっとガッカリしました。
 もしかして、旧近鉄車輌は運行出来ない状態に陥ってしまっているのか・・・、と一番考えたくないことを考えてしまいました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その1  浜松から金谷へ

2023年04月25日 | ゆるキャン△

 2023年1月20日18時過ぎ、JR浜松駅のメイワンエキマチのウエスト1階にある上図の「石松餃子」で夕食をとりました。浜松に夜に来た時はたいていこのお店で、名物の浜松餃子の定食をいただくのが常です。

 

 この日、翌21日からの大井川鐡道ゆるキャンコラボキャンペーン期間中の二度目、後半戦にのぞむべく掛川での前泊に向かい、その途中で浜松に立ち寄ってこのお店にやってきたのでした。と言うより、この浜松餃子を食べたくて、食べずにはいられなくて、掛川へ直行すべきところをわざわざ途中下車して浜松入りした次第でした。

 

 この日の夜は、昼のランチを手っ取り早く志津屋のブルーベリーパンと小川珈琲のキャラメルミルクコーヒーで済ませたために、ものすごい空腹に至っていましたので、迷わず上図の石松餃子定食(20個入り)をチョイスしました。

 おほほほほおーーっ!!これですよこれ!各務原なでしこが坦々餃子鍋の具に使った浜松餃子!!これを食べないで静岡ゆるキャン聖地巡礼が楽しめますか・・・!一口食べただけで元気パワーが充填されます。・・・どうする家康サン、これ食べてれば甲斐武田勢に三方ヶ原合戦で惨敗することもなかったんですよお・・・。 (アホかお前は)

 

 愛しの浜松餃子を堪能して大満足し、JRで掛川に移動しましたが、降車時に向かいの天浜線ホームに停車中のゆるキャン車輌を見つけまして、幸福感が最大レベルに達しました。

 これは幸先が良いぞ、なかなか撮れない図だからな、とデジカメで撮影しました。今回の聖地巡礼では一日目に大井川鐡道に乗り、二日目に天浜線に乗る計画でしたので、静岡県内の二つのゆるキャンコラボ鉄道を楽しむことになるのでした。

 

 今回、前泊を含めて二泊した、掛川駅南側の「東横イン掛川駅南口」です。今までは駅北側の「くれたけイン掛川」を利用していましたが、たまには別の宿も体験してみようと、こちらを選びました。

 もともと東横インの会員なので、料金も割引され、さらに旅行支援の値引きとクーポン券もいただきました。距離的には「くれたけイン掛川」とほぼ同じで、サービスレベルも差がありませんので、ゆるキャン聖地巡礼での宿泊施設としてもおすすめです。

 

 1月21日の朝は快晴、7時3分に「東横イン掛川駅南口」を出て、7時5分にJR掛川駅南口に着きました。歩いて2分の至近距離が有り難いものでした。予定では7時15分発の列車に乗る筈でしたが、突発的な理由による緊急点検により遅延が発生し、10分ほど遅れて7時26分に発車しました。

 

 なので、JR金谷駅にも10分遅れの7時39分に着きました。後日聞いた話では、この日の東海道線はその後大幅に遅延が長引いてダイヤが乱れ、最大で4時間の遅れが出たところもあったそうです。私が乗った時間帯がその遅延の発生段階にあたっていたようで、10分程度で済みましたが、その後は20分遅れ、30分遅れ、となっていったようです。危ないところだったなあ、と思いました。

 

 大井川鐡道への乗り換えには、今回の10分の遅れは支障がありませんでした。7時47分発の列車に乗る予定でしたから、10分遅れてもまだ8分の余裕があったのでした。

 

 さあ、10日振りにやってまいりましたぞ、本栖高校の諸君。

 

 既にホームに入っていたのは旧南海電鉄の21000系でした。我らの旧近鉄特急16000系はまたも新金谷車両区にてお休みなのかな・・・、と一抹の不安を覚えました。大丈夫かなあ、アニメ3期のスタートまで健在であって欲しい、と切に思いました。

 

 とりあえずお約束の駅名標撮影。今回はちょっとアングルを変えて列車とともに撮りました。

 

 続いて、この日のゆるキャンフリー周遊きっぷと共に記念撮影。

 

 で、乗りました。車内はガラガラでした。いつもこんな感じなのですが・・・。この日は土曜日でしたから、もう少しゆるキャン巡礼者が乗ってくるだろうと思ったのですが・・・。もしかして、大井川鐡道のコラボキャンペーンに鉄道利用でやってくるゆるキャンファンの比率は、ゆるキャンファン全体のなかでは極めて低い・・・のか?  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 パンターG型(2輌目)

2023年04月24日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  グンゼ産業 (商品コードG-782)

  制作期間   2020年5月2日~10月25日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 完成です!!

  総評・備考
 パンターの1/35スケールキットは国内外の複数のメーカーから多数が出ているが、A型からF型までの各型に分かれるので、ガルパン劇中車のG型後期型となると数が絞られる。プラッツ発の公式キット(下のキット一覧の1)の元製品は、ドラゴン製品(下のキット一覧の4)にあたり、ほぼ劇中車準拠である。ガルパン仕様への改造も、溶接痕を消す、各所の小改造、の二つぐらいで事足りるため、手間も少なく、組み立てやすい。
 適応キットは、従来はタミヤ製品(下のキット一覧の3)が代表格として利用されていたが、最近はライフィールドモデルやタコムからフルインテリアキットを含む一連の新製品群がリリースされて選択の幅が広がっている。このうちライフィールドモデルのフルインテリアキット(下のキット一覧の9)は、黒森峰女学園乗員のフィギュアを追加したうえで公式キット化されている(下のキット一覧の2)。
 劇中車はテレビシリーズから最終章シリーズに至るまで仕様の変更が無いため、公式、適応キットのいずれを使用してもあまり改造の手間をかけずに製作が楽しめる数少ないガルパン戦車の一つである。
 今回の作例は中古品市場で購入したグンゼ産業の製品を使用したが、キット自体はドラゴンの旧版であるため、バーツ数も少なくて組み立て易く、劇中車への再現工作も最小限にとどまった。中古品であるために入手はやや困難だが、作りやすさは抜群であるので、見つけたら買っておくと良いかもしれない。

  公式および適応キット一覧(2023年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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黒森峰女学園 シムカ5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2023年04月23日 | ガルパン模型制作記

 御存知ガルパンコミックの「フェイズエリカ」です。同じコミックの「リボンの武者」とともに、多数多種の戦車および車輌が登場することで知られます。アニメシリーズには出てこない車輌が多いので、再現製作も様々に楽しめます。

 これらの作中車のうち、私の製作においては、既に継続高校チームの戦車を5輌作りました。さらに2輌を加える予定ですが、それとは別に黒森峰女学園チームの車輌を計4輌作る積りです。継続高校の車輌と交互に製作しますので、製作レポートもそれに合わせて交互に綴ることにします。

 

 「フェイズエリカ」に登場する黒森峰女学園チーム車輌は、以前に1輌を作りました。コミック第1巻のカバー表紙を飾る35(t)戦車です。その製作は五年前のことでしたから、「フェイズエリカ」の黒森峰女学園チーム車輌を製作するのは本当に久しぶりの事でした。

 それで、計画する4輌の1輌目はウォーミングアップの意味で、最も簡単に作れそうな上図の乗用車タイプの作中車をチョイスしました。コミック第2巻の96ページにて初めて登場する、黒森峰女学園チームの移動用車輌です。

 

 最初はフォルクスワーゲンかと思いましたが、よく見ると違いました。家の向かいの契約駐車場に、近所さんのフォルクスワーゲンが停めてあるので、出勤の際によく見直して、作中車とは似ているようで全然違う車であることを悟りました。

 

 それで史実でドイツ軍が使用していた乗用車を調べ、上図のシムカ5というフランス製の乗用車であることを知り、そのキットがタミヤから出ていることも突き止めました。すぐに買いに走ったのは言うまでもありませんでした。

 上図のタミヤ製品が、シムカ5の1/35スケールキットとしては唯一の品であるようです。幸いにもドイヅ軍仕様のスタッフカーとして作れるようです。と言うか、「フェイズエリカ」の作中車がこのタミヤキットを元ネタにしているのでしょう。

 

 中身は御覧の通りで、小型乗用車なりにパーツ数も最低限で、組み立て易さに重点が置かれているようです。これまで作ってきたガルパン車輌のなかでもかなりの小型に属し、かつ作りやすい感じが既にランナーやパーツ割を見ていて何となく察せられました。

 これは半日どころか一、二時間ぐらいで組み立てが終わるんじゃないか、と感じました。同時に、これはある意味チャンスかもしれない、と気付きました。組み立てに時間がかからないのであれば、最近に新たに買ってきた塗装ツールを試して自身なりに従来とは異なった塗装方法を、このシムカ5で試みてみようか、と思いついたのでした。

 

 とりあえず、上図の説明書(左)や組み立てガイドを二度ずつ読み込んで、シムカ5なる車輌の概要と組み立て手順を把握しました。組み立ての段取りやパーツの組み合わせが、今回試みようとしている新しい塗装方法にはピッタリであるように感じられたのは、なにか運命的な流れのように思えました。それで余計に気合が入りました。

 

 ステップ1ではサスペンションを組み立てます。ステップ2ではサスペンションを車体に組み付けます。ステップ3ではタイヤを組み立てて取り付けます。私の製作では、いつものようにタイヤは塗装後に取り付けます。

 このステップ3までの工程において、組み立てるパーツは計20個に満たないので、一時間もかからないな、と気付きました。

 

 ステップ1で組み立てるサスペンションのパーツです。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ2で車体に組み付けるサスペンションのパーツ類です。

 

 組み上がりました。ここまで10分ぐらいでした。

 

 ステップ3で組み立てるタイヤや排気管等のパーツ類です。

 

 組み上がりました。ここまでで20分も経っていませんでした。これ、タミヤの軍用車両キットとして初心者クラスの入門用に最適だなあ、と感じました。  (続く)

 

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大原秋景色5 大原の法華堂と勝林院

2023年04月22日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 三千院を出て、西の参道筋をさらに北へ進みました。この日の拝観予定は三千院まででしたので、それからは散策して帰るだけでしたが、その散策コースを嫁さんが「ちょっと北へ寄りましょう」と言って変更したのでした。

 それで、上図の律川に架かる赤い橋を渡りました。三千院の境内地の北を画する川ですので、これを渡れば他の寺院や陵墓のエリアに入ります。

 

 まもなく右手に上図の宮内庁管理地、後鳥羽天皇と順徳天皇の父子の陵墓がありました。その参道入口は平日のみ開けられるそうで、土日および春秋の繁忙期には閉じられています。なので、外から陵墓の聖域を遠目に覗き見るのみでした。

 

 その後鳥羽天皇と順徳天皇の父子の陵墓の区域の北側には、上図の法華堂が建っています。嫁さんは今回初めてその存在を知ったそうで、どういう建物なんですか、と訊いてきました。もともとは後鳥羽上皇の遺骨をおさめていた建物、つまりは納骨堂やな、と説明しました。

 後鳥羽天皇といえば、上皇となって後に鎌倉幕府に叛旗を翻して「承久の乱」を起こしたことで知られます。結果的には破れて隠岐に配流となり、そのまま亡くなりました。仁治元年(1240)、上皇と血縁関係にある梶井宮第二十世門跡の尊快法親王が、後鳥羽天皇と順徳天皇の菩提を弔うために水無瀬離宮から殿舎を移築して現在の御陵の位置に法華堂を建立し、後鳥羽天皇の遺骨を奉安しました。

 平安時代から鎌倉時代にかけての皇室、公家、武家の墓所は多くが仏教建築の堂宇として建てられ、法華堂や阿弥陀堂、多宝塔などの形式をとりましたが、現存する事例は僅かで、京都においては他に竹田の近衛天皇安楽寿院南陵の多宝塔が知られています。

 

 法華堂の説明板です。嫁さんが真面目に読んでいて、「尊快親王が梨本門主と書いてありますけど、梨本って?」と私を振り返りました。梨本は梨本坊のことで梶井宮の別称や、と答えておきました。

 天台宗の名刹に三門跡というのがあります。青蓮院、妙法院、そしてここ大原の三千院を指します。三千院の寺号は前述したように明治四年(1871)に京都市梶井町から現在地に移転してからの称で、それ以前は円融院と呼ばれました。円融院は中世から近世までは梶井宮とも呼ばれ、また梨本坊とも呼ばれました。

 この三門跡のうち最も古い歴史をもつのが円融院でした。もとは最澄が延暦年間(782~806)に比叡山延暦寺を開いた際に比叡山内の東塔の南谷の梨の大木の傍に一宇を構え、円融房と称したのに始まります。それで円融院の別名が梨本門跡であるわけです。
 そして円融院は比叡山東麓の坂本に里坊を構えていましたが、その所在地が東坂本の梶井(現・大津市坂本3丁目)であったために、梶井宮、梶井門跡の別称が生まれました。中世以降は正式名称の円融院よりも別称の梶井門跡のほうが広く使われて知られたようで、ここ大原でも梶井門跡の称のほうが定着しています。

 

 現在の法華堂は、仁治元年(1240)創建以来の建物が江戸期の元文元年(1736)に焼失した後、安永七年(1778)に再建されたものです。その後、幕末明治の後鳥羽天皇陵の修造に際して現在地に移築、それまで奉安されていた後鳥羽天皇の遺骨は陵墓のほうに埋納されています。

 

 法華堂参道口より北には勝林院の境内地が望まれました。

 

 勝林寺の門前には山門や土塀などの仕切り施設が無いので、参道筋からそのまま勝林院の本堂と前庭が見えます。嫁さんに「どうする?拝観していくか?」と声をかけましたが、相手は「ううん、次の機会にする。勝林院だけじゃなくて実光院も宝泉院もあるし、寂光院にもまた行ってみたいしね」と答えました。
 その後の予定は、四条河原町へ移動して東急ハンズ等で買い物、となっていましたから、ここは嫁さんの希望にあわせておくことにしました。

 

 なので、勝林院門前から川沿いに西へ下る上図の裏道をたどって大原バス停へ向かいました。

 

 この裏道の、実光院北側の土塀沿いの紅葉もまた見事でした。

 

 帰り道の景色は、道端の石仏といい、遠くの重なる山々といい、いかにも大原の里のそれでした。

 

 途中で、呂川沿いの参道に合流し、近くの呂川茶屋にて一服しました。嫁さんが「大原に来たからには焼き団子食べないと」と上図の名物の焼き団子を嬉しそうにほおばるのでした。
 これ、この団子の形や焼き方といい、藁造りの円環といい、ゆるキャン聖地巡礼で行った身延山ロープウェー奥の院で見た「くし切り団子」と一緒じゃないか、と思いましたが、口には出さないでおきました。

 秋の大原の紅葉と古寺特別公開見学の半日は、かくのごとしでした。  (了)

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その12  家山から金谷へ

2023年04月21日 | ゆるキャン△

 家山駅を16時52分に発車する上図の旧東急電鉄車輌にて、金谷へと向かいました。今回のゆるキャンコラボキャンペーン期間中の聖地巡礼は、今回ともう一回の二度に分けて計画し、今回は家山経由で川根温泉ホテルまでの往復コースとしました。そしてもう一回は10日後ぐらいに実施し、これは家山経由で千頭まで往復し、帰途に川根温泉に立ち寄るコースで行こうと決めていたものです。

 当初の案ではこれらを全部1回で回る積りだったのですが、台風被害による家山からの不通が長期化してきて、列車も代行バスも通常より少ない便数になっていたため、1回で回れなくなってしまい、二回に分割したわけです。
 その一回目が、とりあえず門出駅の観光施設と川根温泉ホテルでの入浴休憩をメインとしてなんとか無事に終わり、こうして帰りの列車に落ち着いた次第でした。

 

 帰りの列車内は、御覧の通りでした。平日でしたからこんなものなのかもしれませんが、やっぱり家山からの不通というのが相当響いているかな、と感じました。発車直前にもう一人が乗り込んできて、乗客は私とその人だけのまま、発車しました。

 

 車内には、ゆるキャン原作コミックの大井川キャンプ編の各シーンのポスターが吊り下げてありました。行きは見てチェックする余裕がありませんでしたが、これから金谷までは33分の移動時間がありましたので、ヨシ、と車内をゆっくり移動しつつ、各吊り下げのポスターを見て楽しむことにしました。
 新金谷駅のプラザロコで聞いたところによれば、このポスターは8種類あるとのことでした。

 

 一つ目が、原作コミック第10巻103ページ4コマ目でした。千頭駅で合流して一休みした後、大井川吊橋巡りツーリングに出発せんとする志摩リンと土岐綾乃の勇姿です。これは確か、第11巻のカバー表紙にもカラーで載っている筈です。

 

 2つ目は、原作コミック第11巻121ページの3、4コマ目です。寸又峡の夢の吊橋でのシーンです。畑薙大吊橋をデス・ブリッジと形容していますが、私が実際に畑薙大吊橋を渡った時は、デス・ブリッジとまでは感じませんでした。むしろ、塩郷の吊橋のほうが個人的には怖くてデス・ブリッジ感がありましたね・・・。

 

 3つ目は、原作コミック第11巻63ページ5コマ目。アプトいちしろキャンプ場にて志摩リン&土岐綾乃を待ちながらキャンプの準備として薪を小割にするバトニングに没頭していた各務原なでしこ。

 このバトニング、実は仏像彫刻の製作現場でも木槌とノミとを使用して同じような木の割り方をします。木を割り放つ面積に応じて大分け、小分け、などと呼び、干割れを防ぐために仏像の頭部胴体と両腕部、背中を割り放つ際にもバトニングのような要領でコンコンコンコンと割っていき、最後に一気にバーンと割ります。この割った部分を専門用語で割り矧ぎとか呼びます。

 

 4つ目は、原作コミック第11巻142ページ2コマ目。塩郷駅にて各務原なでしこが大井川鐡道の魅力を熱く語るシーンです。鉄道ファンでもない私が存分に楽しめますから、鉄道好きにはたまらない場所なんだよ、のセリフはバッチリ同感でございます・・・。

 

 5つ目は、原作コミック第10巻116ページ1コマ目。金谷駅から大井川の旅に出発した各務原なでしこの勇姿。我らの旧近鉄特急車両が金谷駅ホームから走り去ってゆくシーンもあります。

 これがありますからね、アニメ3期ではこのシーンが絶対出ますからね、旧近鉄車輌が引退とか廃車とか解体とか何とかの噂はしちゃいけませんね。残り一編成になってしまいましたが、まだまだ現役でしっかり走ってくれなきゃ困ります。少なくともアニメ3期の放送までは旧近鉄車両16000系を南海6000系に置き換えたりしちゃいけませんよ・・・。

 

 6つ目は、原作コミック第11巻34ページ1コマ目。井川から田代へ行く途中の井川オートキャンプ場の向かいにある滝浪商店がモデルの食事処で、土岐綾乃と共におでんを食べる志摩リン。

 滝浪商店さんには以前の畑薙行きにて立ち寄りましたが、コロナ禍下での休業でした。再び行けたら、今度はおでんを食べたいです・・・。

 

 7つ目は、原作コミック第11巻45ページ1コマ目。孫ライダーズ爆誕のシーンです。8種の吊り下げポスターで一番いいなと思ったのがコレでした。

 当然ながらこの吊り下げポスターは非売品ですが、ゆるキャンコラボキャンペーン期間中の関連グッズ購入の特典の一つになっていることを後で知りました。それで10日後の二度目の巡礼時に、なんと孫ライダーズのコレを関連グッズ購入の特典としていただいたのでした。

 

 8つ目は、原作コミック第11巻131ページの余白下の図。たぶん、寸又峡の夢の吊り橋を渡った後の裏シーンだと思われます・・・。

 以上の8シーン、いずれも大井川鐡道としてはイチオシの場面なのでしょう。アニメ3期がスタートしたら、大井川鐡道も全力で乗っかって、間違いなくアニメ版のポスターやグッズ類を豊富に展開してくることでしょう。本当に楽しみです。

 

 なので、本当に、マジで家山駅以降の不通期間をなんとかして復旧してほしい・・・、と暗くなる外の景色を眺めつつ、何度も思いました。

 

 17時25分、終点の金谷駅に着きました。上図の写真を撮った後、隣のJR金谷駅へ移って17時33分の列車に乗り、帰途につきました。
 ですが、これはまだ2023年1月のゆるキャン大井川鐡道聖地巡礼の前半戦なのでした。後半戦を10日後に予定し、ほぼその通りの1月21日に再び金谷駅の上図のホームに戻ってくることになります。

 以上で、「ゆるキャン△の聖地をゆく28」の記述は完了です。 (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その11  川根温泉ホテルから

2023年04月20日 | ゆるキャン△

 川根温泉ホテルの大浴場にて30分余り、源泉かけ流しの湯に浸かって温まった後、休憩ルームに行ってアイスキャンデーを食べお茶を飲み、まったりと休みました。休憩ルームには上図のように広いベランダスペースがあり、そこにも椅子が置かれて景色を眺めながら座ることが出来ました。

 

 眼前に大井川が流れ、右手には大井川本線の鉄橋も見えました。が、台風被害による不通区間に含まれるので、そのうえを走る列車の姿は見ることが出来ませんでした。それだけが、大変に残念でした。同時に、とても不安でした。

 既にゆるキャンのアニメの3期の製作および放送が予告されています。2期までのストーリーが原作コミックを忠実になぞってきていることからみて、3期は間違いなく大井川キャンプ編が入ります。各務原なでしこが大井川鐡道を利用して旧近鉄特急の車輌で千頭へと行きます。その各務原なでしこのワクワク感、楽しい列車旅の様子が、大勢のファンを魅了するに決まっています。

 だから、3期の放送後は全国から多数のファンが確実に大井川鐡道にやってきます。みんなが一様に旧近鉄特急の車輌で千頭へと行くことを熱望するでしょう。それまでに、大井川本線の全線復旧および通常運行再開がなされれば良いのですが、年をまたいでもなお、見通しが立っていないと聞きます。なんとか間に合ってくれれば、と不安を抱きつつも祈っていますが、果たしてどうなるでしょうか。

 

 この時過ごしていた休憩ルームです。大浴場と同じ二階のエレベーターフロアにあり、御覧のように広々とした畳敷きのスペースとなっています。横の本棚の本や雑誌、観光案内、広告チラシ類も自由に読めます。手前のテーブルに置かれたジャケットとザックは私のもので、つまりはこの広い休憩ルームを一人で約一時間ほど、貸し切り状態で使っていたのでした。

 

 帰りのバスの時刻が近づいてきたので、10分前に一階に降りてカウンター横の上図のロビーに移動しました。玄関口の正面に位置し、外のバス停までの距離は20メートルほどです。バスが来たらすぐに飛び出せます。

 

 ロビーの脇に置いてあった、透明アクリル造形品の蒸気機関車です。これも模型だなあ、としばらく眺めました。

 

 同じくロビーに置いてあった、川根温泉ホテルの開館当時のヘッドマークです。なるほど2019年7月からの営業ですか、するとまだ4年も経ってないわけですか・・・。道理で建物がまだ新しくて、見るもの触るものがみんな高級品に見えるわけだな・・・。

 

 バスの時刻にはまだ早かったのですが、上図のようなゆるキャン周遊切符との記念写真を撮ろうと思い付き、外へ出てバス停へ行って時刻表と並べて撮りました。乗る予定のバスは、16時35分発の家山行きでした。

 

 ところが、バス停での記念撮影の直後に、上図のバスが入ってきてバス停の手前に停まりました。
 ええっ、あのバスが帰りのバス?・・・4分ほど早いんやけど・・・、と慌てましたが、よく見ると大井川鐡道の代行バスではなくて、地元島田市の路線バスでした。前面の行先表示が島田駅となっていました。

 

 近くにそのバス停もありました。島田市のコミュニティバスが川根温泉エリアでは大井川鐡道の代行バスと同じルートを走っているようでした。

 

 そして、その出発時刻は16時30分でした。しかも最終便でした。なるほど、だから4分早いんだ、と納得しました。

 

 その路線バスが発車して行ったのと入れ替わるようにして、大井川鐡道の代行バスが入って来ました。16時35分発の家山行きでした。これに乗りこみました。

 

 家山駅には16時45分、時刻ピッタリに着きました。ここで大井川本線の列車に繋ぐわけですから、遅延は許されないわけです。

 

 駅舎内を通る際にちょっと建物の内外を見て、ここも古い文化財級の建物だなあ、と思いました。おそらく鉄道開業当時の駅舎なんだろうな、と考えましたが、後日調べてみて、昭和四年(1929)12月開業以来の建物であることが分かりました。築94年の駅舎であるわけです。

 

 急いで通った上図の改札口も、昭和ノスタルジー感漂う木製柵のまま、なお現役で機能していますから、大井川鐡道の歴史というものが大変に長く、深いものであることが察せられます。

 

 既にホームには金谷行き16時52分発の列車が待機していました。

 

 帰りは旧東急電鉄でした・・・。我らの旧近鉄車輌は今日は完全に新金谷車両区でお休みだったのだな、と悟りました。既に相当ガタがきている車輌で、近鉄から譲渡された三編成のうちの二編成は既に廃車解体されています。残る一編成も、もう長くは持たないだろう、という気がします。噂では、最近に南海電鉄から譲渡された6000系に置き換わるらしい、とか。

 ですが、ゆるキャンアニメ3期で各務原なでしこが乗るのが、その我らの旧近鉄車輌なのです。少なくともアニメ3期オンエアまでは、現役のまま最低限でもいいから運行してくれよ・・・、と祈りました。

 

 発車1分前の16時51分、上図の駅名標を含めたホームの景色を記念に撮りました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 70V ラング(3輌目)

2023年04月19日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-32)

  制作期間   2020年3月25日~4月30日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンではⅣ号駆逐戦車ラングとされて黒森峰女学園が保有する車輌は、史実ではIV号駆逐戦車の発展型であるIV号戦車70(V)ラングに該当する。Vは製造元のフォマーク社の頭文字、ラングは「長砲身型」を意味する。史実ではIV号戦車の車体に低い戦闘室をデザインしたフォマーク社製の70(V)のほかに、Ⅳ号戦車J型の車台に戦闘室を載せただけのアルケット社製の70(A)も存在したが、ガルパンの劇中車は全て70(V)である。
 プラッツ発の公式キット(下のキット一覧の1)は、ドラゴンの製品(下のキット一覧の4)を使用している。適応キットはタミヤの新旧の2製品が知られるが、劇中車に近いのは新キット(下のキット一覧の3)のほうである。旧キット(下のキット一覧の2)を用いる場合は転輪の前部2個を鋼製リムに変更するほか、数ヶ所の修正および改造が必須となる。劇中車はアニメ独自の要素が多いため、公式キットやタミヤの新キットを用いても幾つかの改造や修正が必要となる。ガルパン仕様に拘らないのも一つの方法である。
 今回の作例は、プラッツ発の公式キット(下のキット一覧の1)を利用し、出来る範囲で劇中車に近づけるべく改造を加えて製作したものである。製作過程は製作記事を参照されたい。

  公式および適応キット一覧(2023年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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継続高校 T-20コムソモーレツ(フェイズエリカ版) 完成です !!

2023年04月18日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップ9では、後部の座席シートなどを組み付けます。この座席シートは折りたたみ式で、展開すれば背中合わせに左右3名ずつ、計6名の砲兵を搭乗させることが出来たそうです。本来は野砲の牽引用として開発されたトラクターですから、砲兵の輸送も同時に行うわけです。

 

 ステップ9で組み立てる座席シートのパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

ベンチの背もたれの裏板同士を組み付けました。

 

 上図左の2個のパーツは、側面の保護板のようです。

 

 組み付けました。左右ともシート本体のパーツは塗装後に取り付けますので、別に保管しておきました。

 

 したがって、これで塗装前の組み立てが完了となりました。

 

 塗装を行ないました。車体には白のサーフェイサーを薄く吹き付けておいてから、ミスターカラーの11番のガルグレーで本塗装をしました。継続高校チームの車輌の車体色は、アニメ版ではグレーに白がまだらにかかったカラーですが、コミック版では車輌ごとにまちまちになっていることがカラーページからもうかがえます。

 今回のコムソモーレツはカラーページが無いので車体色が不明です。それで自由に色を決めることにして、隊長車のBT-42に近似した明るい灰色を基調としたカラーを探し、ガルグレーを選びました。

 

 シートはポスカの茶色で塗りました。

 

 シートを車体に取り付けました。

 

 履帯を28番の黒鉄色で塗りました。

 

 前部の車載機銃および前照灯の内側も28番の黒鉄色で塗りました。最近は、前照灯内部をシルバーよりも黒鉄色などの暗い色に塗ることが多くなっています。理由は、ライトのレンズ部をウェーブのクリアパーツに交換した場合に上図のように奥行きのある透明感が出てくるのが何となく気に入っているからです。

 

 かくして、継続高校チームのT20コムソモーレツがコミック「フェイズエリカ」仕様にて完成しました。製作日数は、2022年10月6日から12日までの7日でした。組み立てに4日、塗装に2日、塗装後の組み立てに1日かかりました。

 今回のキットはホビーボスの製品を利用しました。現時点で唯一の適応キットであり、他に選択肢がありませんが、キットそのものは小型車輌の故にパーツ数も少なくて組み立て易かったです。また作中車がほぼキット準拠に描かれている為、機銃マウントの形状を合わせる他は改造が一切必要無く、組み立て自体はストレートで楽しめました。

 このT20コムソモーレツは、2023年4月現在はコミック版にのみ出ていますが、10月公開予定の最終章第4話の継続高校チームのシーンにも出てくる可能性があります。出てくるのであれば、アニメ版はどのような姿、車体色で登場するのか、ちょっと気になりますね・・・。

 

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大原秋景色4 大原の三千院にて

2023年04月17日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 往生極楽院を出て、その周囲の庭園「有清園(ゆうせいえん)」東側の園池を見ました。上図がその園池の範囲ですが、水面が低くなっていて一部の底が露出、枯山水みたいな景石の並びが深緑の苔に覆われていました。よく見ないと園池であることが分かりにくいです。

 この園池は、平安時代以来の極楽院の庭に含まれるので、平安期の浄土系庭園の一例として重要な遺構であると思います。現状では相当の範囲が土砂と苔に埋もれてしまっているので、池の規模もおそらく半分以下に縮んでいるものと推定されます。

 

 なので、いま石灯籠の台石になっている上図右の景石も、たぶん園池の護岸石の一部なのだろうと思います。左奥に見える往生極楽院は、平安時代の創建以来ずっと原位置を保っていますから、平安期浄土系庭園の基本的なレイアウトにならえば、園池は往生極楽院の東側から南側に回っていた可能性が高いです。石灯籠の台石は、その南側の池面にアクセントを与える役目の景石だったのでは、と推測します。

 宇治平等院や当尾浄瑠璃寺の事例に知られる如く、平安期浄土系庭園の基本輪郭は、園池を仏堂の南側から東側に配置する形が多いです。仏堂はだいたい阿弥陀堂であることが多いので、西方極楽浄土のイメージに沿って仏堂および付属の堂舎を西側に建てるケースも多かったようです。園池が西側にまで回る遺跡が少ないのは、西側に伽藍の堂宇を並べるプランが好まれた傾向とも無縁ではないでしょう。

 そうすると、いまの往生極楽院の前身の極楽院の時期には、現存する阿弥陀堂の他に付属の建物が幾つかあった筈で、それらの建物が西側の広い区画に並んでいた可能性が考えられます。今の円融蔵の建物の東で地形が一段高くなっていて、そこまでが極楽院の境内地だったのだろうと個人的には考察していますので、西側に何らかの建物があったのだろうと推定しています。だから西側には園池の痕跡が全く見当たらないのも納得出来ます。

 ただ、嫁さんは隣の「聚碧園(しゅうへきえん)」の園池も位置的にはもともと往生極楽院の前身の極楽院の池の一部だったっぽいよ、と指摘していて、なるほどと思わせられました。
 確かに境内図を見ると、聚碧園の現存園池も、往生極楽院をはさんで有清園東側の園池と対称的な位置にあるのです。ふむ、これは面白いな、もとは北側だけが陸地で、東と南と西は全て園池が回っていた可能性も出てくるな、と学術的興味を大いにかきたてられました。

 ですが、三千院境内一帯はこれまでに一度も発掘調査がされたことが無いそうですので、地下の遺跡がどのように存在するのかは全く分かりません。現状でもすばらしい庭園として紅葉の名所になっていますから、その庭園を破壊するような発掘調査というものは、よっぽどの事情が介在しない限り、今後も無理だろうと思います。

 

 往生極楽院から順路を東にたどって一段高い平坦地へ登り、その区域の中心堂宇となっている上図の金色不動堂へ行きました。これは平成元年に建立された根本道場の建物で、智証大師円珍の作と伝える金色不動明王を本尊とするそうですが、たまたまこのときは開帳中で、薄暗い堂内に何やら金箔が貼られた本尊像が見えましたが、よく見えないので、嫁さんも訝しげに首をひねっていました。あれ、本物ですよね?と小声で訊いてきました。

 私も記憶があいまいになっているので、本物の筈だけどな・・・、と返しました。その金色不動明王像は、智証大師円珍が作らせたと伝わりますが、正確には円珍が感得した不動尊を描いた「黄不動」と呼ばれる画像を彫刻化した遺品であり、円珍その人の作ではないと思います。作風からみて12世紀末期から13世紀初め頃の遺品であり、平成20年ぐらいに国重要文化財に指定されたかな、と記憶しています。

 

 金色不動堂を出てその裏手にある律川(りつせん)と呼ばれる川の谷間に架かる橋を渡り、橋の北詰にある上図の鎌倉時代の石仏を見ました。

 

 高さ225センチを測る立派な定印の阿弥陀如来坐像です。寺では、かつてこの辺りに住んで炭を焼き始めた老翁「売炭翁(ばいたんおきな)」ゆかりの旧跡としていて、この石仏も売炭翁石仏と呼ばれています。鎌倉期に当時の極楽院に結集して欣求浄土(ごんぐじょうど)を祈願した願った近隣の念仏行者たちによって作られたものと推定されます。

 

 それから順路をまわって往生極楽院のエリアに戻りました。階段を降りたところで、嫁さんが「あっ、綺麗」と立ち止まって撮っていた景色は、上図のように園池の水面ごしに往生極楽院を望むアングルでした。かつての浄土系庭園の景観の面影が残っていました。かつての庭園と園池の規模を知りたいなあ、やっぱり発掘調査とかやってほしいなあ、と思いました。

 

 さらに嫁さんが「ここもなんか良い、鮮やかな紅葉と日陰の苔むした石垣のコントラストが素敵」と言って撮影していた場所が、上図の地点でした。往生極楽院の正門であった朱雀門の東側です。

 

 ついでに朱雀門も見ました。蓮成院および来迎院へ登る途中で見かけたのがこの門です。江戸時代の再建で、明治時代以降の建物が殆どを占める三千院にあっては、かつての大原寺の政所であり龍禅院と呼ばれた客殿とともに古い建築遺構として知られます。

 

 順路は、往生極楽院の南西側で西方門をくぐって西側の円融院エリアへと導かれます。それで、西方門をくぐるときに見た上図の景色が、往生極楽院エリアのラストとなりました。

 

 円融院エリアのメイン施設は、上図の宝物館である円融蔵です。平成18年に開館した収蔵庫兼展示施設ですが、まだ知名度は高くないようで、観光客の大部分は前を素通りしていました。嫁さんも入った事が無いと言うので、「そんなら、見せておきたいものがある」と言って入館しました。

 

 館内には、三千院に伝わる仏像、仏画、障壁画、典籍文書類などが収蔵展示されています。目玉は上図の往生極楽院内部の「舟底天井」の原寸大復元レプリカで、天井画と壁画を平安時代当時の状態に復元して展示しています。往生極楽院内陣の実物は剥落や褪色が著しいため、肉眼では殆ど見えないからです。

 えー、あの国宝の阿弥陀三尊像の上の壁画、こんなに綺麗やったのですかー、と驚き感動しながらスマホで何枚もあちこちから撮る嫁さんでした。次に出た言葉が「模型で作れますかね、これ」だったのには笑ってしまいました。モケジョさんの面目躍如、といったところでした。

 

 それから円融房および客殿の西側を通って出口へと向かいました。上図右の唐破風の玄関口が客殿のそれです。江戸期には龍禅院(りゅうぜんいん)と呼ばれ、大原寺の政所であったとされる建物です。安土桃山時代末期の慶長年間(1596~1615年)に豊臣秀吉が禁裏修復にて建て替えた旧御所の旧材を用いて建てられたもので、つまりは安土桃山期の御所の建物の一部であったわけですが、このことはあまり知られていません。

 

 出口は、入った時と同じ西側の御殿門でした。三千院には南にも門があるのですが、歴史的には梶井門跡の本坊および大原寺の政所として西に正面を構えてこの御殿門を総門としていた時期が長かったため、明治期に三千院がここに移転してからもそのまま御殿門を山門としています。門前の参道や売店街が既に江戸期には西側に形成されていて参詣路となっていたのも大きかったようです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く28 その10  川根温泉ホテル

2023年04月16日 | ゆるキャン△

 門出駅にて14時1分の列車に乗りました。この日の最後の目的地へ向かいました。

 

 この日の最後の目的地というのは、ゆるキャン周遊きっぷ購入の特典品のひとつであった上図の無料入浴券が使える、川根温泉ホテルでした。もちろん初めて行く施設なので、大いに興味もありました。

 

 門出駅から家山駅まで約20分、窓の景色の殆どを占める大井川の雄大な姿をボーっと眺めていました。

 

 この日も流水量が最低限であったようで、水面よりも白っぽく広がる河原のほうが印象に残りました。毎回こんな景色ばかり見てきますと、梅雨や集中豪雨時の増水濁流の姿というのがなかなか想像出来ません。この広い川が溢れてしまう光景を、まったくイメージ出来ません。

 

 14時20分、暫定運行の折返し地点の家山駅に着きました。2022年9月の台風15号による水害および土砂崩れ等によって家山駅から千頭駅までの区間は列車運転が不可能となり、2023年4月時点でもバスによる代行輸送が行われています。それで大井川本線は家山までの運行となっており、それが長期化しつつあると聞きます。不通区間での災害復旧工事が資金難によって殆ど進捗していないから、であるそうです。

 

 なので、家山駅から先は、代行バスに乗り換えて行くことになりました。この時も、殆どの乗客がバスに乗り換えるようで、降車後は駅舎のほうへ足早に歩いてゆきました。代行バスの出発時刻まで5分ぐらいしかないためでしょうか。

 

 家山駅に降りるのは今回が初めてでした。それであちこち撮影しつつ歩いていましたが、そのうちにバスに向かう乗客の一番最後になってしまい、上図の駅舎を撮ったのち、慌てて改札口を駆け抜けました。

 

 代行バスには、出発1分前に乗り込みました。運転手さんに「こちらです」と案内されたため、バスの外観を撮っている暇がありませんでした。そのまま14時25分に発車しました。

 

 6分後の14時31分、川根温泉ホテルに着きました。代行バスのバス停がこのホテルの前に置かれているので、大井川本線の川根温泉笹間渡駅から歩いて5分、というのに比べれば楽でした。

 

 なかなか立派な構えのホテルだな、と建物を一度見上げ、思ったよりも大きな施設であるのを確認しました。大井川鐡道の直営ホテルというか、運営の指定管理者が大井川鐡道であります。だからゆるキャンコラボキャンペーン期間中の無料入浴サービスという粋な特典を提供出来るわけですね。

 

 で、玄関をくぐりました。カウンターで来意を告げて無料入浴券を渡すと、係のお姉さんがにこやかにお辞儀し、それから入浴券の右端下の隅の「ゆ」の三角部分をハサミで切り離しました。その入浴券を返しつつ、丁寧に大浴場までの行き方を説明してくれました。

 

 案内された通りに二階へあがり、右奥へと通廊を通り、迷うことなく大浴場の入口に着きました。右端下の隅の「ゆ」の三角部分が切り離された入浴券も記念に撮っておきました。

 

 もちろん大浴場内は撮影禁止でしたから、画像はありません。30分ほどまったりと源泉かけ流しの温泉を楽しんで、ポカポカと温まりました。

 

 湯上り後に、上図のアイスキャンデーをいただきました。大浴場前の通廊のリクライニングスペースに置いてあり、宿泊客、入浴利用客を問わず自由にいただけるようになっていました。

 

 アイスキャンデーは4種類、アップル、オレンジ、グレープ、パイナップルがありましたが、そのうちのオレンジとグレープをいただきました。この種のアイスキャンデーは、なぜか食べた後に手がベトベトになりますね・・・。  (続く)

 

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