気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く32 その9  土肥金山町の模型

2023年07月31日 | ゆるキャン△

 土肥金山の観光坑道を出た後は上図の金山資料館を見学しました。順路に組み込まれているので、この資料館を見て通らないと出口へ行けないのですが、大抵の見物客はここの展示の目玉である金塊などをみて大喜びするらしいので、実は坑道よりもこちらの方が人気が高いそうです。

 この施設は、法律上は博物館法に定めるところの展示施設に該当しますので、文化財指定を受けている物でも収容展示出来、展示方法も博物館に準じた内容になります。なので、個人的に期待していた展示がありました。

 

 期待していた展示とは、上図の土肥金山町の全体復元模型です。土肥金山の歴史を紹介する博物館的な施設ですから、立体復元展示の一種である模型は、必ずあるだろうと予想していましたが、やっぱりありました。しかも、なかなか精巧に作ってあって、江戸時代に栄えた土肥金山町の姿がよく分かります。

 

 町並みの中心あたりの山寄りにある、3番の札が立ててある区画が、江戸期の伊豆金山奉行所です。江戸幕府は土肥を直轄領として土肥金山の運営にあたり、金山奉行の大久保石見守長安は伊豆金山奉行も兼ねました。その事務所にあたります。

 

 金山町の中央に、鉱山の上流から流れる川があって海に注いでいます。現在の土肥街区の真ん中を流れている山川にあたるのでしょうか。

 

 金山奉行所に隣接して鉱山の付属施設が並び、そこから山の中腹の坑道口へと山道が続きます。この模型では三ヶ所に坑道口が見えますが、全盛期にはさらに数ヶ所にあったそうなので、坑道が広範囲に掘られていたことがうかがえます。

 

 土肥金山の金で作られたという、江戸期の大判小判です。時代劇の悪役スターの必須アイテムですな。「お代官様、山吹色の手土産をどうぞ」「お主もワルよのう・・・」のセリフは定番ですな。  (アホかお前は)

 

 続いて金山施設での諸作業の様子もこのように精密に模型化されて展示してありました。鉱石を砕いて粉にして、金を取り出すまでの各工程が分かりやすく示されています。

 

 私自身も模型が趣味なので、こういった模型による立体展示は見ていて楽しいですね。立体展示といえば、プラモデルで作るジオラマもそうですが、こういった歴史的光景の復元展示というのが、考証や文献検討をともなう研究活動なくしては出来ないだけに、ジオラマとしては最も難しい、高度なテーマなのだなと思います。人形にしても姿勢や服装、表情に至るまで細かく作り込んであって、同じものが全くありません。

 

 なので、こういった模型は、プロの業者が製作しているケースが殆どです。博物館や資料館向けの立体模型を製作する専門の業者が、日本だけでも数社あると聞きます。多くは建築模型などのメーカーであると聞いています。

 

 こういった展示模型をあちこちの博物館で拝見していて、いつも興味を覚えるのは、このような昔の日本の歴史的な風景、景色というものを具体的にどうやって考証し復元しているのか、ということです。
 基本的な資料は古文献や絵画であり、現代のように直接見て分かる写真や映像といったリアルな媒体がありませんから、立体化および復元にあたっては相当な考証と研究の蓄積が必要となる筈です。大体は考古学や歴史学の範疇に含まれる筈ですから、私自身の研究活動内容ともどこかでリンクすると思うのですが、それでも全く別のカテゴリーだなという気がします。

 

 面白いのは、監督の奉行所役人も含めて、作業に携わる関係者全員がマスクをしていることでした。常に粉塵に見舞われる鉱山環境にあっては、坑道だけでなく奉行所や工房でもマスクが欠かせなかったようです。現代のマスクとはちょっと構造が異なっていて、両耳にかけるのではなくて頭部に巻くような形状になっているのが面白いです。

 

 おお、千両箱だ。怪盗ねずみ小僧の必須アイテムですな・・・。  (アホかお前は)

 

 江戸幕府の御用船であった千石船の模型です。土肥金山は海に面していましたから、産出した金は船で幕府の直轄機関である銀座に運ばれていたわけです。銀座とは、いまでいうと銀行および貨幣鋳造所にあたり、江戸時代には江戸のほか大坂、京都、長崎などに置かれました。

 

 土肥金山の場合は、駿府の銀座が取扱拠点でしたから、上図の説明文のように駿府へと船で運んでいたわけです。往路は当然ながら金を積んでゆきますが、復路は資材や食料や雑貨などを運んでいた、というのは興味深いです。
 隆盛を極めた金山町の維持と、鉱山人足だけで一万人を超えたとされる人数を養うには、現地伊豆の生産量や経済力だけでは無理だったのでしょう。  (続く)

 

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黒森峰女学園 Sd.Kfz.251-1D型 装甲兵員輸送車(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その3

2023年07月30日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では内装部品を組み立てます。ステップ9では内装部品を車体各所に取り付けます。ステップ10では車体上部を組み立てます。

 

 ステップ8で組み立てる内装部品のパーツ類です。大別すると操縦席関連、車内の収納ラック、に分かれます。

 

 組み上がりました。操縦装置のハンドルは指示通りに取り付けた所、垂直に近い感じで縦になりますが、実際にそうだったのかな、と少し不思議に思いました。まるで船の舵輪のようです。

 

 組み上がりました。

 

 続くステップ9の作業も仕上がりました。ステップ8で組み立てた部品を車体に組み付けるだけですから、1分ぐらいで終わりました。

 

 続くステップ10も簡単です。無線機とみられるパーツC4を上部車体内部の操縦席側に取り付けるだけです。

 

 仕上がりました。

 

 ステップ11では車体上部を取り付けます。ステップ12ではツールボックス等を取り付けます。

 

 ステップ11で貼り合わせる車体の上下パーツです。指示では他に履帯も取り付けますが、私の製作においては塗装後に履帯をはめこむ予定です。

 

 組み上がりました。スマートな装甲車っぽい外観のフォルムが、いかにもドイツ車らしさを漂わせます。

 

 ステップ12で取り付けるツールボックス等のパーツ類です。前面に付くC1は機関銃の架台のレールのようなので、不要なのかどうか迷いましたが、作中車では後部の機関銃の架台のみが付いたままになっていますので、前部でも架台だけは付いたままだろうと判断し、取り付けました。

 

 組み上がりました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その8  土肥金山

2023年07月29日 | ゆるキャン△

 土肥金山の観光坑道に入って素掘りの坑道の奥へ進むと、上図のようなマネキン人形による江戸期の坑内作業の各場面の展示がありました。坑内に池があるので、その水を汲んでいる姿なのかと思いましたが・・・。

 

 説明板には、坑内に湧出する地下水をくみ上げる作業、とありました。そのための人足が大勢居たというのは、地下水の湧出量が多かった事を示しています。確か、生野銀山でも同じような水抜き作業の説明があったな、と思い出しました。

 

 上図は、見た時にすぐ分かりました。坑道の崩落などを防ぐために木で支持壁や天井を作る作業だな、と思いました。鯛生金山や石見銀山でも同じような展示をみた記憶があります。

 

 説明板にも同様の内容が書かれてありました。この普請作業が、坑内作業のなかで最も重要だったことは言うまでもありません。

 

 マネキン人形は、男性だけでなく女性も居ました。江戸期の鉱山労働者のうち、平均して三割が女性だった、昭和期になっても三割のところが多かった、と何かの本で読んだ記憶があります。中世戦国期までは男だけの仕事、女だけの仕事というものは数えるほどしかなく、農業や林業、商業や鉱工業、そして合戦時の兵役までもが男女共同であったといいます。

 

 通路のことを廊下と呼ぶのは、佐渡金山でも鯛生金山でもそうでした。金山に共通する呼び名なのでしょうか。

 

 これは坑道先端の掘削作業ですね。ここにも女性が混じってますね。篭を持っていますから、主に運搬を担当したのでしょうが、それでも相当の重労働だった筈です。
 江戸期の文献によれば、鉱山の掘り師は夫婦が割と居て、二人で協力して作業していた、それも鉱山にて一緒の受け持ち場所で出会って夫婦になった事例がかなりあった、ということです。いわゆる職場結婚の一例でしょう。

 

 なるほど、男も大変だったけど、女も大変だったのだなあ・・・。

 中世戦国期に日本の鉱物産出量が飛躍的に増加し、それが金属の鋳造技術の発展を促し、例えば金属製の甲冑や火縄銃の生産量を押し上げたりしたわけです。織田信長の鉄砲隊や大筒や鉄甲船なども、そうした発展過程なしには作れなかったでしょう。それらを、全国の鉱山の無数の労働者たちが一生懸命になって支えていたわけですね。

 

 坑道は、別の坑道と数ヶ所で分岐したり合流したりしていて、縦横に張り巡らされていた様子が分かります。観光用の坑道は山の中でぐるりと回る感じで、体感としては左へ、左へ、と曲がる感じでした。右へ曲がったのは、奥まで行ってターンした時だけだったと思います。

 

 やがて道が下り坂になり、素掘りの坑道が次第に幅を狭め、天井が低くなってきて、上図のような木材での支持材によるトンネルに変わりました。
 このあたりが、あfろ氏の描き下ろしイラストのアングルに近いかな、と思いました。こんな感じの坑道内を、大垣千明と犬山あおいが急ぎ足で駆け抜けていましたね。

 

 まもなく出口に至りました。御覧のように入り口とは別の場所、入り口よりも50メートルぐらい奥に位置しています。付近の岩崖に閉鎖扉が一ヶ所、上の方にも板扉のようなものが見えましたので、かつては付近に幾つかの坑道が口を開けていたようです。

 

 出口からすぐの所に上図の建物がありました。観光順路はこの建物を通っているので、近寄っていくと「資料館」の看板が左手にありました。つまりは土肥金山の歴史や関連遺物を展示する資料館だろう、と思ってその入口に向かいました。  (続く)

 

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ゆるキャンから始めたNゲージ その10  各務原なでしこ達が見たSLかわね路号とは

2023年07月28日 | ゆるキャン△

 去る7月9日に公式より発表された、アニメ3期のシンボルロゴである。これを初めて目にしたとき、これは完全に大井川キャンプ編がメインだな、と受け止めた。予想通り、劇場版から時間軸を高校時代に戻して2期のストーリーの後からスタートするのだな、と確信した。

 

 なぜかというと、シンボルロゴの各所のデザインの意味を、上図のように容易に解釈出来るからである。まずバイクが2台に増えていて、形状から志摩リンのビーノ、土岐綾乃のエイプであると判る。この二人がバイクで行動するストーリーは、原作の連載の現時点に至るまで大井川キャンプ編しか有りえない。

 そうなると、他のデザインも大体分かってくる。左端の吊り橋は、大井川流域最奥の「デス・ブリッジ」こと畑薙大吊橋だろうし、そこへと続くグレーの帯も、二人のバイクが走っている道、つまりは畑薙までの「デスロード」に相当するであろう。そして、そのグレーの帯に並行する水色の帯は、間違いなく大井川を意味していると思う。

 つまり、この3期のストーリーのメインが大井川キャンプ編であることをよく示すデザインである、と理解出来る。大井川キャンプ編は、原作コミックのほうでは第10巻の中半から第11巻いっぱいまでを占め、第56話から第63話までの8話にまたがる長編となっているから、アニメ3期においても1クール12話のうちの過半を占めるものと予想される。2024年度の放映が確定したのも嬉しい限りである。

 

 そうなると、以前の記事で述べたように、原作コミックにて描かれた大井川鐡道の車輌は全てアニメ化されるものと考えられる。各務原なでしこが乗った本線の旧近鉄16000系と井川線のアプト式列車は確実に登場するだろうし、さらに上図の、第11巻の第63話の140ページに描かれるSL急行列車「かわね路」号も、当然ながら出てくるであろう。

 

 御覧のように、各務原なでしこ達が塩郷の吊橋を渡っている最中に、下を走り抜けていった様子が描かれる。列車そのものは、タンク式の蒸気機関車が3輌の客車を牽引している姿で描かれるが、蒸気機関車のナンバープレートの番号までは描かれないので、どの形式の蒸気機関車なのかは不明である。

 私自身は、Nゲージを楽しむ際の基本的なイメージを大井川鐡道と天竜浜名湖鉄道に置いて、それに準じたレイアウトと周辺環境をいずれは作り、聖地巡礼の際に見てきた車輌を可能な限り揃えて走らせてみたいと思うようになっているので、アニメ3期に登場することが確実になった車輌は特に買ってみようと考えている。SL急行列車「かわね路」号も当然ながら対象に含まれることになるわけで、とりあえずはこれをNゲージで揃えて再現してみようと考えた。

 

 それで、実際に新金谷車両区で見た、SL急行列車「かわね路」号の牽引車を務める上図のC10形8号機がNゲージで製品化されていないかと調べたところ、そのものズバリの品がマイクロエースから2019年に発売されていたことを知った。新品はもう無いようなので、中古品での購入しか手がないだろうと思い、中古ショップや中古模型の通販サイトなどで色々調べた。

 同時に、客車3輌のほうも出来たら揃えたいと考え、その型式が原作コミックの描写からは分からないため、大井川鐡道の公式サイトや関連資料をあたったところ、客車だけでも色々な種類の車輌があることを知った。それらのいずれかが3輌になっているが、どの形式の客車が該当するのかは、それ以上調べても全然分からないのであった。

 

 それで川本氏に電話で相談したところ、SL急行列車「かわね路」号の車輌セットがカトーから2015年に発売されていたと知らされた。上図のパッケージデザインで、いまもカトーの公式サイトで案内記事が見られることも教えられた。

「ふーん、2015年に「かわね路」号の車輌セットが出てたのか・・・」
「うん、俺も買ったんで、持ってたよ。三年ぐらい持ってて、鉄道仲間の知人に売ったけどな」
「どういうセットなんかね?」
「2015年当時の標準的な編成やったC11-227と客車3輌の4輌セットやな。あれは買うた時に1万円ちょっとした筈なんで、いまは中古品でもそれ以上の価格がつくやろうな」
「ふーん、で、客車3輌ってのは、その型式とかは、実際の「かわね路」号のそれなのかね?」
「厳密には、2015年当時の編成やろうな、時期によって色々入れ替わっとるから。カトーのセットではオハ35が2輌とオハフ33が1輌、ってなってるけど、それが2015年当時の標準的な編成やったんやろ。その後は増やされて5輌とか7輌になって、C11-227だけじゃ大変になってきて、補助機として後ろに電気機関車のいぶきとか追加してたぐらいや」
「ああ、その補助機ってのは見たことある。千頭駅や新金谷車両区で何度か「かわね路」号の客車見たことあるけど、最後尾にぶどう色の電気機関車が付いてたな」
「大体は付いてる筈やで。C11-227やC11-190だけじゃ大変やからな・・・」
「ちょっと待て、「かわね路」号の蒸気機関車はC11-227やC11-190なのか、C10-8じゃないのん?」
「ああ、最近はC10-8が引いてるけど、以前はC11-227やC11-190が担当してたのよ。ホッさんはゆるキャンの漫画のあれの蒸気機関車を特定したいみたいやけど、あれはちょっと分からんな。C11-227とC11-190とC10-8は同じタンク式で外見もほぼ同じに見えるしな。それに、「かわね路」号の蒸気機関車は時期によって替わってるからな・・・」
「すると、原作者さんが取材した時期が分からないと絞り込めないわけか」
「まあ、そういうことやな」

 

「ホッさんは知らないやろうと思うけど、いま門出駅の付属観光施設に置いてあるC11-312もさ、以前は「かわね路」号を引いてたんやで。その頃には確かC10-8も交替機として運用されてた筈・・・」
「ふーん、あのC11-312も活躍しとったのか・・・」

 

「あと、確かC12-164も昔は「かわね路」号を引いてた筈。ホッさんもC12-164は見たことあるんやろ?」
「うん、新金谷車両区の転車台に乗ってるのを何度か見たよ。あれも「かわね路」号の担当やったのか・・・」
「あれは確か最近にレストアが決まったんと違うかね?再び動態に戻して運行するとか何とか聞いたけど、そうなったら再び「かわね路」号を担当するかもしれんな・・・」

 かくして、大井川鐡道が保有している蒸気機関車の殆どが、SL急行列車「かわね路」号を牽引していたことを知るに至ったが、ゆるキャンの塩郷吊橋シーンにて登場する「かわね路」号の担当蒸気機関車の特定はついに出来ずじまいであった。各務原なでしこ達が見たSLが、どの蒸気機関車であったのかは、アニメ3期の放送を見るまでは分からないであろう。

 なので、Nゲージでその姿を再現したくても、現時点では蒸気機関車と客車3輌の型式名が分からないので、どうしようもないわけである。
 川本氏は冗談っぽく「そんなら、「かわね路」号の関連の機関車と客車を可能な限り揃えたらええんやないか?」と笑っていたが、私が「なるほど、そういう手もあるか、全部揃えとけば、そのどれかがアニメに出るわけやな・・・」と真面目に受け止めたので、慌てて「おい、本気にすんな、全部揃えるって、お前、幾らかかると思ってんや・・・」と打ち消しにかかってきた。

 しかし、私自身は、ゆるキャン聖地巡礼で見かけた大井川鐡道の車輌は基本的に揃えたい気持になってきているせいもあって、川本氏の制止をそのまま受け取らず、果敢な行動に出ることになったのであった。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その7  土肥金山へ

2023年07月27日 | ゆるキャン△

 修善寺駅からバスに揺られること50分、伊豆高原を超えて西伊豆の海岸線の景色を眺めた後の10時20分、上図の土肥金山バス停で降りました。今回のゆるキャン聖地巡礼の二ヶ所の目的地に着きました。

 

 降りた後に時刻表で次に乗るバスの時間を確認しました。土肥金山の見学に約1時間をとりますので、次に乗るバスは11時17分にしよう、と決めました。その後は堂ヶ島へ35分ぐらいで移動するので、堂ヶ島にて昼食休憩をするにはちょうど良い時間配分でした。

 

 土肥金山の入口の大きな標識塔です。前回のレンタカーでの伊豆ゆるキャン聖地巡礼でも、近くを通るので寄ろうかと考えたのですが、結局時間的余裕がなくて諦めたスポットでした。その時はまだ、大垣千明と犬山あおいが駆け足で回った場所の一つだとは知りませんでしたが、今回ようやく来られて良かったと思います。

 

 ようやく、というのは、もともとこういった中世期からの開削の歴史を有する有力鉱山の遺跡に興味があるからです。それを観光地化して公開している鉱山遺跡へは、機会があれば色々と見学に行ってきました。

 日本を代表する金銀の鉱山といえば、土肥金山のほかに、新潟県の佐渡金山、兵庫県の多田銀山や生野(いくの)銀山、島根県の石見銀山、大分県の鯛生(たいお)金山などがあっていずれも鉱山跡や坑道などが公開されています。その五ヶ所とも行っていますので、今回ここを訪れたことで、日本の代表的な金銀鉱山六ヶ所の全てを回れたことになりました。

 あと、個人的には秋田県の尾去沢(おさりざわ)鉱山、栃木県の足尾銅山、岡山県の柵原(やなはら)鉱山、兵庫県の明延(あけのべ)鉱山、愛媛県の別子鉱山にも行きましたので、とにかく鉱山遺跡も好きなんだなあ、と自分でも改めて思います。

 

 土肥金山は、室町期から戦国期にかけて最初の坑道が各所に開削されたのに始まります。その坑道跡の一つがいま龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)と呼ばれて伊豆市の史跡に指定されています。ここ土肥金山の一般公開施設より300メートルほど南に位置して、土肥金山遺跡の範囲に含まれています。

 そして今回訪れた鉱山跡のほうは、江戸幕府が直轄として開発を進め、戦国期に開削された大横谷、日向洞、楠山、柿山、鍛冶山の主な坑道を地中で繋ぐまでに発展させました。そのうちの一部をテーマパークの一部として公開しており、大垣千明と犬山あおいが駆け足で回った坑道も含まれています。

 上図は、江戸幕府が伊豆に置いた金山奉行所の正門を模した、観光坑道テーマパークの入口専門の門です。出口は別にあります。

 

 門をくぐると、観光坑道までの園路が上図のように公園内を通っています。両脇の桜をみながら歩きました。土肥金山は明治期に技術革新によって産出量を増やし、昭和40年に閉山するまで金約40t、銀約400tを産出したとされています。上図の公園地域は、かつて昭和期にここを運営した住友鉱業および三菱金属が各所の施設を配置したエリアであるそうです。

 

 奥へ進むと、右手に高い岩崖がチラチラと木立ちの間に見え始め、史跡指定範囲に入ったことを示すように、上図の遺跡標識や案内看板などが見えてきました。

 

 史跡案内説明板です。

 

 史跡案内板の奥にある、金山奉行堂です。金山奉行のお堂というから、伊豆の初代金山奉行にして土肥金山の開発に功績のあった大久保石見守長安をお祀りしているのかなと思いましたが、実際には堂内に七福神でのひとつ福禄寿の像を安置してあるだけでした。

 

 観光坑道の入り口です。いかにもテーマパークの洞窟みたいな、安っぽい造りなので、土肥金山の歴史を生で感じられると期待していたのが馬鹿らしく思われました。しょせんは観光用の坑道なのだな、と割り切っておくことにしました。

 

 入口から30メートルほどは、上図のような造りになっていて、第二次大戦中の軍の地下壕のような雰囲気でした。これが戦国期以来の古い金山の坑道跡なのか、と首をかしげてしまいました。

 

 その軍地下壕のような雰囲気の突き当りには、上図の神社がありました。昔からあったものではなく、観光坑道の整備にともなって置かれたもののようです。安っぽい金ピカの鳥居に、土産物店から持ってきたような安っぽい賽銭箱なので、ちょっとガッカリしました。他の鉱山遺跡ではこのような類の安っぽい施設を見たことが無かったからです。

 

 ですが、その奥から古めかしい素掘りの坑道になりました。上図のように、いかにも江戸期以来の鉱山らしい雰囲気が一気に濃厚に漂い始めました。
 ガッカリ続きだったのが、おおこれは、と感動に転じて、これから何を見られるのか、とワクワクしてきて、中央の柵を手でなぞり、片側のゴツゴツした荒々しい岩肌に頭や腕をぶつけたりしないように姿勢をややかがめつつ、やや登り坂になっている坑道を奥へと進みました。  (続く)

 

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ガルパン最終章第4話本予告第1弾から その2  継続高校の新たな戦車

2023年07月26日 | ガールズ&パンツァー

 周知のごとく、7月上旬にガルパン最終章第4話の本予告第1弾が公表されました。第3話の対継続高校戦の続きから始まりますが、第1弾ですから第2弾もあるでしょうし、重要な場面の予告は第2弾のほうでなされる可能性が考えられます。

 前回は大洗女子学園チームの車輌群について述べましたので、今回は継続高校チームの車輌群について綴ってみましょう。
 上図は、第3話から出ているT-26軽戦車です。継続高校チームは全部で15輌から成るようですが、第3話の時点ではBT-24が1輌、ヨウコの搭乗車1輌が内部構造からⅢ号突撃砲G型と推測される他は、T-26軽戦車ばかりが出ています。おそらく15輌の大半をT-26軽戦車が占めているものと思われます。

 

 上図のシーンでは、フラッグ車のBT-24に随伴する直衛らしきT-26軽戦車の姿が見られます。既に第3話の時点でT-26軽戦車はみな同じ形状をしており、第二次大戦期のフィンランド軍がソ連軍から鹵獲した各種のT-26軽戦車を運用していた史実は反映されていないものと思われます。

 その各種のT-26軽戦車とは、パロラ軍事博物館の所蔵する保存車輌に限っても1933年型、1936年型、1937年型、1938年型、1939年型の5種類が知られますが、ガルパンの劇中車は1938年型のT-26(OT-133)つまりフィンランド軍での分類車番Ps. 164-9あたりを唯一のモデルとしているようです。複数の型式を出してしまうと、アニメの3Dモデル作画のコストがかかってしまうからでしょう。 

 

 そして今回は新キャラクターが一人、上図のようにアコーディオンを持った、「レニングラード・カウボーイズ」が元ネタのような極端なリーゼントの姿で登場しています。既に第1話にてミカ達のタワーワゴン車の横に並んで登場していた3人のメンバーのうちの一人かもしれませんが、名前などの詳細は明かされないままです。

 そして、その搭乗車両も砲塔内部のみですが、新たな車輌であることを示しています。サークルのAFV部会にて自他ともにソ連戦車通とされている先輩のF氏に、上図の画像を見せて、フィンランド軍が鹵獲したソ連軍車輌である旨を説明したら、しばらく考えて、「僕はいささか不勉強なもので、自信は無いけれど・・・」と謙虚に前置きしたうえで、「KV-1の1940年型で装甲を強化したEだろうね」と言いました。

 その根拠として、フィンランド軍が継続戦争で鹵獲したKV-1は2輌で、1940年型と1942年型があり、いずれもパロラ軍事博物館に現存していることを述べたうえで、劇中車は砲塔後部が直線であるので、1942年型の丸い鋳砲塔のKV-1Cではない、砲塔後部が方形である1940年型のKV-1Eが該当する、と話してくれました。

 これにより、継続高校チームの新たな戦車がKV-1Eである可能性がほぼ確定した形になりました。そうすると、以前に劇中の戦車道ニュースか何かで継続高校のKV-1の所有に関してプラウダ高校が異議を唱えていたという件が思い出されますが、その問題のKV-1にあたるのでしょうか・・・?  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その6  修善寺駅にて

2023年07月25日 | ゆるキャン△

 8時55分、終点の修善寺駅に着きました。起点の三島から35分の列車旅でした。これで伊豆箱根鉄道の駿豆線も全線を乗り通したわけです。降車後に、乗ってきた列車を撮りました。

 

 修善寺駅は、予想に反して真新しい建物でした。近年に新たに建て直されたもののようです。修善寺には鎌倉幕府二代将軍源頼家の墓所があり、関連の史跡や社寺も少なくないので、20代の頃から何度か訪れていますが、全てマイカーでしたので、修善寺駅に関しては前を通っただけでしたが、その頃の駅舎は今と違ってもっと小ぢんまりした姿であったように思います。

 

 改札口からの駅舎内は、広い通路空間があって西口へ出ると上図の修善寺温泉郷の方角へと抜けます。マイカーで行った頃は狩野川西岸の国道414号線から入って、修善寺城跡(上図奥の左側の丘、畠山国清最後の抵抗拠点)の山を左に見ながら温泉街へ進むのが常でしたから、狩野川東岸の修善寺駅辺りにはあまり訪れた記憶がありません。

 

 こちらは南口から出ての外観です。広いロータリー広場があり、東側にバスターミナルがあります。

 

 同じ位置から東側を見ました。タクシーが待機しているロータリーの向こうがバスターミナルで、そこから伊豆半島各地への路線バス、連絡バスが出ています。全てが東海バスの運行路線であり、伊豆半島の殆どの観光地へ行けます。これから行くゆるキャン聖地スポットへも、東海バスを利用すれば全て行けます。

 

 バスターミナルに移動して、バス案内所・乗車券売場でバスの時刻表を1枚貰い、これから行くゆるキャン聖地スポットへの経由路線を確認しました。案内所のお姉さんもゆるキャンの事はよく知っていて、「ファンの皆さんはみんな堂ヶ島へ行かれますねえ」と話していました。

 私がこれから行くのが土肥金山、堂ヶ島、石廊崎だと伝えると、「土肥金山と堂ヶ島は同じ路線で4番乗り場(上図)から行けますけど、石廊崎へは下田からしか行けませんので」と言い、路線図を出してきて大体の行き方を教えてくれました。

 

 4番乗り場に行ってバスの時刻表を見ました。私が乗るのは、主要バス停のみに停まる快速便で、東海バスのサイトでは「西海岸線」快速として案内されています。系統番号はW39で、終点は松崎、その次の便は、9時30分発でした。時計を見ると9時17分でしたので、あと13分か、と考えました。

 

 横のパネルの路線図を見ました。右上の修善寺駅から左下の松崎まで延びる赤い路線が、私が乗る系統番号W39のそれでした。バス停の数が多いですが、そのうちの20ヶ所にしか停まりません。快速便ですが、距離も長いので、次の目的地の土肥金山までは50分かかります。

 

 こちらは案内所の待合室の壁の大きな伊豆半島全域の路線概念図です。色が付いている路線が修善寺発の路線で、白いのが他ターミナルからの路線です。
 これで見ると、ゆるキャンの聖地のうち天城峠、堂ヶ島、伊東方面へはここ修善寺から行けることが分かります。伊豆半島のゆるキャン聖地巡礼はこれまで二度行きましたが、一回目はマイカー、二回目はレンタカーでした。三回目の今回は公共交通機関利用となったわけですが、鉄道やバスでも殆どの聖地へ行けるのですから、楽と言えば楽だなあ、と気付きました。

 

 こちらは伊豆半島エリアの東海バスの系統番号一覧です。伊豆半島全域を網羅しているだけあって、沢山の系統番号が並びます。しかし、私が乗るW39が見当たらなかったので、再度案内所のお姉さんに聞くと、「ああ、W39は快速便ですので別なんですよ、あの一覧表は全てのバス停に停まる便の一覧表ですのでねえ」と教えてくれました。

 

 9時26分、私が乗るW39の松崎行き快速便がバスターミナル4番乗り場に入ってきました。快速便というから大型の観光バスみたいなのを予想していたのですが、普通に路線バスの車両でした。

 

 乗り込みました。私の他に10人ほどが乗りましたが、ほぼ全員が私と同じ「全線フリーきっぷ」を運転手さんに提示していたので、やっぱり「全線フリーきっぷ」はけっこう利用されてるんだ、皆さんも快速便を利用して堂ヶ島とか松崎などの各地の主要観光地へ向かうのだろうな、と思いました。

 

 9時30分に発車し、修善寺駅の西側の街区を抜けて狩野川に架かる修善寺橋を渡りました。南の右手には修善寺城跡の山が横たわってあおあおとした新緑に包まれていました。  (続く)

 

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黒森峰女学園 Sd.Kfz.251-1D型 装甲兵員輸送車(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その2

2023年07月24日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2ではフロントサスペンションを組み立てます。ステップ3およびステップ4ではホイールを組み立てます。今回の作中車はほぼ実車準拠とみられるため、キットもそのままストレートに組みます。

 

 ステップ2で組み立てるフロントサスペンションのパーツ類です。割と細かくパーツ割りされていますが、これでも大まかでパーツ数も最低限だと思います。ホビーボスやミニアートですと、どえらいことになります。

 

 組み上がりました。慎重にやらなくてもしっかりはまってきっちりと仕上がります。この安定感に導かれるストレスフリーの作業がいかに楽しいかは、説明を要しないでしょう。

 

 ステップ3で組み立てるホイールのパーツ類です。今回の車輌は半装軌車なので、前輪はタイヤ、あとは履帯が付く転輪となります。この組み合わせの車輌を作るのは、今回が初めてです。ガルパンに登場する半装軌車は、アニメ版においては知波単学園チームの一式半装軌装甲兵車ホハが唯一だったと思いますが、そのプラモデルは出ておらず、ガレージキットのみが知られます。

 

 組み上がりました。上図左端の大きな車輪が前輪のタイヤです。

 

 ステップ4に進みました。

 

 車輪は、全て塗装後に組み付ける予定ですので、ここでは仮組みとし、フロントサスペンションのみを取り付けました。

 

 ステップ5ではドライブスプロケット等を取り付けます。ステップ6およびステップ7では、フロアーパネルを組み付けます。

 

 ステップ5で組み付ける車輪類は、ここでは仮組みで済ませました。塗装後に履帯と一括で取り付ける予定です。

 

 ステップ6で組み付けるフロアーパネルのパーツ類です。座席やロングシートのパーツは塗装時に塗り分けるので、ここでは接着しないことにしました。塗装してから取り付けます。

 

 なので、この状態のままにして、外側のA23とA24だけを取り付け、次のステップに進みました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その5  伊豆箱根鉄道

2023年07月23日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン聖地巡礼第一目標の「鮎壺の滝」見物を終えてJR三島駅に戻りました。これから上図の伊豆箱根鉄道に乗り換えて次の目的地を目指すわけですが、その前に買っておかないといけないものがありました。

 

 伊豆箱根鉄道三島駅のすぐ横にある、上図の東海バスの三島駅前案内所へ行き、買っておかないといけないものを購入しました。

 

 買っておかないといけないものとは、上図の「東海バス全線フリーきっぷ」でした。2日間使える「2日券」で、大人3900円でした。

 今回の聖地巡礼コースは、下田に1泊して二日間で伊豆半島をほぼ一周し、あちこちで東海バスの路線バスを利用する計画でした。予定では各地の路線で8回乗りますが、その都度運賃を払った場合の合計は7000円余りとなります。いちいち小銭で払うのも大変なので、なんとかならないかと調べたところ、大変お得で楽な全線フリーきっぷのサービスを知り、さっそく利用することにした次第でした。

 

 次いで隣の伊豆箱根鉄道三島駅に行き、券売機で切符を購入しました。伊豆半島エリアには20代の頃から十数度訪れていますが、レンタカーで聖地巡礼した前回以外は全てマイカーで行きましたので、伊豆半島の鉄道を利用するのは今回が初めてでした。鉄道の旅というのは嫌いではなく、むしろ好きなほうなので、楽しみにしていました。

 ただ、伊豆箱根鉄道に関しては、以前に小田原からの大雄山線のほうを三回ほど利用したことがあるので、初めてだったのは今回の駿豆線のほうでした。

 

 今回乗るのは、上図の発車案内電光板の上段の8時20分発の修善寺行きでした。8番線ホームから発車します。

 

 8番線には、すでにその8時20分発の修善寺行きが待機していました。初めて見る鉄道車両でした。1992年に投入された新型車両の7000系であるそうで、車体前面部が金色なので、2017年から金色に変更された第2編成である旨を、後日サークル仲間の鉄道ファンの友人に知らされました。

 

 車内は御覧のとおり空いていました。3両編成の1両目の真ん中あたりに席を選びました。

 

 今回購入した切符です。三島から修善寺まで駿豆線の全部を乗りますので、運賃も最高の550円でした。

 

 三島から伊豆長岡あたりまでの平野部は、20代の頃から鎌倉時代の仏教美術遺品巡り、社寺探訪、北条氏関連史跡巡りなどであちこち回りましたので、殆どの景色に見覚えのある部分があって、懐かしい気分にもなって楽しく眺めていました。

 

 とくに韮山は懐かしいですね。鎌倉幕府の初代執権をつとめた北条時政の菩提寺である願成就院があり、仏教美術史に名高い仏師運慶の初期の作品群が安置されているので、調査研究旅行も含めて7回ぐらいは行きました。

 北条氏ゆかりの社寺や仏像などは、韮山周辺だけでも約20ヶ所ぐらいが点在していますが、それらを全部訪ねて色々学びましたので、鎌倉幕府黎明期の北条氏の歴史というものが現地にてリアルに理解出来ました。本やNHK大河を見たぐらいでは得られない、鮮やかで奥行きの深い歴史認識というものが、いまなお私の中に生きています。

 

 ああ、富士山も見えるぞ・・・。今日は快晴で本当に良かった・・・。

 

 大仁駅に近づいた頃、右手に上図の大きな岩山が見えてきました。伊豆半島のジオスポットの一つ、城山でした。ゆるキャンにも登場しており、原作コミック第8巻66ページ2コマ目に描かれます。鳥羽美波先生の車に皆が乗って伊豆入りして、最初に見たジオスポットですが、各務原なでしこだけは居眠りしていたので見ていませんでした。

 

 太古の昔、伊豆半島を形成した火山活動や隆起現象が様々に展開し、火山の地下にマグマが通った跡が刻まれますが、それが地殻変動などで隆起して地表に姿を現したものを「火山の根」と呼びます。特異な岩山の景観をなすこの城山も、伊豆を代表する巨大な「火山の根」のひとつです。

 ちなみに城山の名称は、この岩山に中世期の室町時代に城塞が築かれたことによります。室町幕府最初の関東管領に任じられた伊豆国守護職の畠山国清がここに城を築いて金山城(きんざんじょう)と称し、本拠地となしたのでした。後に幕府に叛旗をひるがえし、次の関東管領上杉憲顕率いる20万の足利軍に攻められ、落城したといいます。

 

 私自身も、30代の頃にその金山城の跡に登った記憶がありますが、城跡そのものは上図の岩山の西側の斜面上に位置していたと思います。「火山の根」本体の巨大な岩塊の上には縄張りがほとんど無くて、岩塊のてっぺんに物見台とみられる小さな郭だけがあったのですが、そこへ登るまでの道が岩崖だらけだったのを覚えています。
 畠山国清も、天険をたのんで城塞となしたのでしょうが、大勢が立て籠もるには不便な地形であるため、20万の足利軍を防げなかったのも当然と言えましょう。  (続く)

 

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ゆるキャンから始めたNゲージ その9  走れ、大井川鐡道21000系、そして・・・

2023年07月22日 | ゆるキャン△

 ホビーランドぽち京都店で買ってきた、鉄道コレクション第3弾の南海電鉄21000系の2輌は、大井川鐡道に譲渡されて現在も運行している車輌であることが車番から知られる。そのままであれば、展示用の模型であるので飾るだけになるが、川本氏によれば、動力ユニットや走行用パーツを組み込むことによってNゲージの車輌にして、走らせる事も出来るとの事であった。

 それで、Nゲージの車輌にするべく、初めての「改修」にチャレンジしてみた。

 

 鉄道コレクションの車輌をNゲージの車輌にする場合、どんなユニットやパーツが必要になるのかは、鉄道コレクションのパッケージの横や裏などに上図のように示されている。21000系の場合は動力ユニットとしてTM-05が必要である、と分かる。

 私が購入した21000系は2輌で1編成となるが、動力ユニットを組み込むのは片方のみで、もう片方は「トレーラー車」つまり牽引される車輌となる。そのNゲージ化にあたっては、走行用パーツTT-04が必要である旨を、鉄道コレクションの旧サイトに付いているオプションパーツ対応リストにて調べて知った。

 

 翌日の退勤後に京都駅前ヨドバシへ立ち寄って、上図の動力ユニットTM-05Rと走行用パーツTT-04R、を買ってきた。いずれもリニューアル品であるそうで、品番の最後にRが付く。なお上図には写っていないが、パンタグラフ交換用のパーツPG16も買っておいた。

 これらの3点をヨドバシで買ったのは、定価の二割引きで買えるのと、ポイント付与もあわせれば実質的に価格の三割ぐらいは安くなって得する、と川本氏に教えられたからであった。

 

 その日の夕食後に、Nゲージ車輌への初めての「改修」にとりかかった。嫁さんも興味津々で作業を見守り、スマホで撮影してくれたので、以下の掲載画像の殆どは嫁さんのスマホ画像を使用している。

 手始めに、2輌のうちの1輌、モハ21004を「トレーラー車」つまり牽引される車輌に「改修」した。上図の走行用パーツTT-04Rを使用した。

 

 走行用パーツTT-04Rの中身は、上図のように車輪とウエイト(重り)が2輌ぶん含まれるが、ここでは1輌だけに使うので、車輪は4個、ウエイトは1枚を取り出して準備した。他にカプラーユニットやカプラースペーサーが付くが、ここでは使わないので不要となった。

 

 まず、モハ21004を上図のように解体した。鉄道コレクションの車輌はだいたいこのような構成になっていて、上からボデイ、座席、車台、台車の4つに分かれる。

 

 このうち、台車の車輪を交換した。御覧のように車輪はオリジナルではプラ製だが、そのままだとNゲージのレール上を安定して走れないので、上図右側のように車輪を走行用パーツTT-04Rの金属製のものに交換した。作業そのものは至って簡単で、台車のフレームを少し押し拡げてプラ製車輪を外し、金属製車輪を同位置にはめこむだけであった。

 

 車輪を4個とも交換したのち、上図のように台車のダボにウェイトをはめこんだ。鉄道コレクションの車輌は軽いので、そのままだとNゲージのレール上を安定して走れず、走行中に浮き上がって脱線する場合が多いそうである。それをおさえるために車体重量を増やすべくウェイトを入れたわけである。

 

 あとは、元通りに組み立てて完了となった。嫁さんが「意外に簡単ですねー」と感心していたが、私も同感であった。もっと難しいのかと思っていたから、あっさりと楽に終わったのにはちょっと拍子抜けした。

 

 次は、モハ21003を「動力車」つまり牽引する車輌に「改修」した。上図の動力ユニットTM-05Rを使用した。モハ21003にはパンタグラフが2つ付くが、これらもNゲージ標準の折り畳み可能な金属製パーツPG16に交換した。

 

 TM-05RおよびPG16の中身である。動力ユニットは車台とモーターと台車がセットになっていて、これを鉄道コレクション車輌の車台および台車とそっくり交換するわけである。

 

 モハ21003を上図のように解体した。パンタグラフ、床下機器パーツも取り外した。そのうち車台と台車は交換となる。

 

 動力ユニットのほうに床下機器パーツを移してはめ込んだ。同じ位置に穴があるので、取り付けも容易であった。

 

 TM-05Rには、台車のパーツが3種類付いている。モハ21003の台車は、元キットのそれと同じ、左側のパーツを選んで使った。

 

 パーツを切り離して、上図のように動力ユニットの台車に取り付けた。ダボ穴が3つあるので、それにパーツのダボを合わせてはめこむだけであった。接着剤は基本的に不要であるので、嫁さんが「ガンプラみたい」と言った。

 

 動力ユニットの車台は、そのままだとモハ21003の元の車台より短いので、長さを調節出来るスペーサーという黒いパーツを前後に取り付けて調節し、車長を合わせた。

 

 カプラーユニットやカプラースペーサーも付くが、元の台車に同じものが付いていたので、それを外してこちらに移植するだけで事足りた。しかし、再チェックした際に、長さがちょっと足りないことに気付いて、カプラーのみをTM-05Rの長いパーツに換装した。

 

 最後に、パンタグラフを2個ともPG16の金属製精密パーツに交換した。元パーツはプラ製で折り畳めないが、PG16のパーツは御覧のように折り畳めるので、Nゲージ車輌用の収納ケース類に難なく収めることも可能となる。

 Nゲージ車輌用の収納ケース類は、トミックスやカトーやグリーンマックス、マイクロエースなどからそれぞれの仕様で販売されているが、価格が一様に安くないので、個人的には100円均一のケースやクッション材、スポンジなどで試作してみる予定である。
 今後、車輌を色々と中古品で買うことになるが、大体はケースも無いバラ売りやジャンク品が殆どであるそうなので、これらを収納するケースはいずれ必要となる。そのときになったらまた具体的に考えることにした。

 

 2輌のNゲージ化への作業が終わったので、レールの上に載せて試運転にのぞんた。なんの支障もなくスムーズに走ってくれたので安堵した。鉄道コレクションシリーズの車輌のNゲージ化への手順が、これでだいたい理解出来た気がした。素直な感想を言えば、面白い、の一言に尽きた。

 かくして、現在は大井川鐡道にて営業運転しているこの2輌が、私のNゲージにて同じように走ったので、嬉しくなり、楽しくなって、手元にある近鉄16000系と並べてみたくなった。

 

 なぜならば、ゆるキャン聖地巡礼にて二度ほど、上図のような南海21000系と近鉄16000系の並びを見かけたことがあるからだ。片方それぞれだけだと、南海、近鉄のそれぞれの雰囲気しか感じられないが、両方が同じ駅に入っていたりすると、完全に大井川鐡道の雰囲気になってくるのであった。

 

 で、レールをそれらしくつないで、上図のように21000系と16000系とを並べてみた。思わず「オオ・・・」と声が出てしまった。Nゲージサイズの小さい模型ながらも、大井川鐡道の確かな「景色」が再現されていたのであった。

 嫁さんが、「私も近鉄や南海に乗ったことありますけど、でもこの二つの電車が一緒に居るのって基本的に有り得ないですよね・・・。実際の近鉄と南海電鉄は走ってる所が違うし・・・」と言った。確かにその通りで、異なる鉄道事業者の電車同士が同じ線路にて走るというのは、現役営業運転路線においては基本的に有り得ない。

 しかし、大井川鐡道においては、旧南海と旧近鉄の車輌が実際に同じ線路を走っている。全国でも珍しい、大井川鐡道だけの運行形態である。その珍しさが全国の鉄道ファンに注目され、鉄道ファンの聖地と親しまれている所以であろう。

 

 そして私の場合、大井川鐡道は数度のゆるキャン聖地巡礼で利用したので、この2種類の電車の運行姿も、ゆるキャン聖地巡礼の「景色」の一つとして鮮やかに思い出せる。とくに近鉄の16000系は間違いなく2024年予定のアニメ3期に登場するから、ゆるキャンの重要な要素になる筈である。各務原なでしこが嬉々として16000系に乗って千頭駅へ向かう姿を見るのがとても楽しみになってきている。

 そして同時に、この21000系と16000系を並べてみて楽しくてしょうがなかったので、今後はゆるキャン聖地巡礼で見かけた大井川鐡道の色々な車輌を出来るだけ集めてみようか、と思いついた。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その4  三つの瀑布

2023年07月21日 | ゆるキャン△

 「鮎壺の滝」に来てから10分ぐらいが経ちました。景色を眺め、写真を色々撮っていたので、かなりの時間が経ったように感じましたが、時計を見るとまだ7時35分でした。するとあと10分ぐらいは滝を見られるか、と計算しました。予定では下土狩駅に戻って7時53分発の列車に乗るので、その5分ぐらい前に出て駅へ戻ることに決めました。

 それで、吊り橋から引き返して園路を戻り、再び滝に近寄りました。

 

 凄い迫力でした。瀑布、という表現がピッタリの、凄まじい滝音と水飛沫と水煙に包まれて、昨日からの大雨による増水後の奔流が富士山溶岩流の先端の約9メートルの段差に押し寄せて落ち続けるのでした。

 

 溶岩流の先端の岸壁の下に窪みが横たわっています。写真では窪みの陰になっていて見えにくいですが、窪みの各所に溶岩樹型(ようがんじゅけい)があるそうです。溶岩樹型とは、流動する高温の溶岩が樹木を包んで冷え固まったときに、燃焼した木の幹の跡が洞穴状に残ったもののことです。穴の壁に樹皮、木目(もくめ)などの型を残す場合もあり、ここ「鮎壺の滝」のそれには樹皮の痕跡も顕著に見られるそうです。

 

 西側の四番目の滝の脇にも穴らしいものが見えましたが、溶岩樹型ではなくてただの窪みのようでした。

 

 三つの瀑布は、ずっと見飽きませんでしたが、そのうちに、あることに気が付きました。

 

 この、増水状態で瀑布も広がっている状態では、河原に降りて近づくのも危険だな、ということでした。予定では河原に降りて、出来るだけ滝に近づいて、志摩リンが立っていた岩の所まで行ければ良い、としていたのですが、この滝の凄まじさを見ていて、そうするのは危険だ、と気付いたのでした。

 

 なにしろ、あfろ氏の描き下ろしイラストで見ると、志摩リンの立っている岩というのは、上図の右から二番目の滝と三番目の滝の間の下に付き出ている岩にあたるようだ、と分かったからです。その岩は両脇の瀑布の飛沫の中に包まれ、河原からは水面に隔てられていました。防水靴を履いたとしても滝の水飛沫でびしょ濡れになってしまいます。河原にも水が流れ込んでいて、とても歩いて行ける状態ではありませんでした。

 

 なので、園路から河原へ降りられる道の入り口がチェーンで締められていたのにも納得しました。道と行っても遊歩道ではなく、河原べりのコンクリート堰堤ふうの斜面があるだけだからです。

 

 なので、園路から眺めるだけにとどめました。聖地巡礼の旅は始まったばかりなので、ここで無理して怪我をしては全てがパアになります。
 そこで、上図の滝の右側の岩盤の下の窪みなどをしっかり眺めておきました。この横たわる窪みは、かつてここにあったローム層が溶岩流の下になって後に水流で削られていった跡だそうです。自然が千年、万年の単位で作りだしていった天然の造形のひとつです。

 

 なかなか見ごたえのある「鮎壺の滝」でした。志摩リンが立ち寄ったのであれば、なぜアニメ2期の伊豆キャン編に登場させないのでしょうか・・・。それとも後から追加した設定なのかな・・・?

 

 「鮎壺の滝」には7時46分まで滞在しました。それから下土狩駅へ戻って7時53分発の列車に乗り、沼津経由で三島駅に8時10分に着きました。

 このように三島駅からJR線を利用して往復で行きましたが、三島駅から「鮎壺の滝」までは徒歩で直行することも可能です。ただし30分ほどかかるそうです。宿にレンタサイクルがあれば、それを利用して15分ぐらいで行けると思いますが、今回利用した三島駅北口の東横インは、レンタサイクルのサービスはやっていないのでした。

 なので、今回のJR線利用での片道18分の移動ルートは、限られた時間を活かすための唯一の選択肢でありました。  (続く)

 

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ガルパン最終章第4話本予告第1弾から その1  アリクイさんチームの動き

2023年07月20日 | ガールズ&パンツァー

 周知のごとく、7月上旬にガルパン最終章第4話の本予告第1弾が公表されました。第3話の対継続高校戦の続きから始まりますが、第1弾ですから第2弾もあるでしょうし、重要な場面の予告は第2弾のほうでなされる可能性が考えられます。

 第1弾の各シーンは、ざっと見て試合中の各場面を並べたという感じで、大洗女子学園チーム側は複数の車輌が一緒に行動している場面が多いです。例えば上図のシーンでは、撃破されたⅣ号戦車と孤立した三式中戦車チヌ、マークⅣ以外の6輌が共に進撃中です。

 ここで気になるのは、はるか後方に3輌の車影が見えることです。あんこうチームが脱落した時点で大洗女子学園の兵力は8輌となり、上図の6輌以外には三式中戦車チヌ、マークⅣの2輌しかいません。なので3輌並んで見える車影は、継続高校チームのそれである可能性が考えられます。
 もしそうならば、上図は接触直前なのか、それとも離脱場面なのか、いずれかになるでしょうが、フラッグ車の三式中戦車チヌの姿が見えないのが気がかりです。

 

 上図のシーンでは大洗女子学園チーム側の4輌が見えます。先のシーンでは見えなかったマークⅣがいますが、ヘッツァー、Ⅲ号突撃砲、B1bisの姿が見えません。撃破されたのか、別行動をとっているのかは、上図のシーンからは判断し難いです。

 ですが、八九式中戦車とポルシェティーガーの位置が先のシーンと殆ど変っていないので、この場面は相手との接触および競り合いの後に再集結したというのでもなさそうな気がします。何よりもマークⅣが中央寄りに居て、先頭にM3中戦車リーが占位しているのが、何らかの意図を匂わせます。そして依然としてフラッグ車の三式中戦車チヌの姿が見えませんので、この時点でもフラッグ車は孤立したままなのかもしれませんが、わざと隠密に行動している可能性も否定出来ません。

 

 このシーンは、B1bisが相手の2輌と接触した時点のものでしょうか。このときのB1bisが単独なのか、それとも陣形の一角を占めているのかは分かりませんが、相手の2輌はT-26軽戦車ですから、直後に砲撃戦になることでしょう。

 以前の記事で述べたように、Ⅳ号戦車が失われて後の大洗女子学園チームにおいては、B1bisの重要性が車長の園みどり子の存在とともに高まってくるだろう、と思います。2キロの距離でヨウコ車の存在を察知した冷泉麻子に劣らぬ高視力を誇る園みどり子が、その特技を生かして相当量の情報を味方にもたらし、かなりの貢献をなすだろう、と予想しているからです。

 

 なかなか姿が見えなかった、フラッグ車の三式中戦車チヌは、御覧のようにヨウコの一撃を右フェンダー前端に受けています。その衝撃でバランスを崩したのか、左方向へ斜面上を横転して転がり落ちていきます。

 この場面は、おそらく第3話のラストシーンの直後ではないかと思われます。三式中戦車チヌが単独であるようなのと、ヨウコが依然として射程内に捉え得る状態であったからです。しかし、ヨウコの悪魔的な狙撃は、このときは左にブレていてかすり傷にとどまったようです。

 その後の三式中戦車チヌはどうなったのでしょうか。斜面上を横転して転がり落ちていったため、一時的にヨウコの視界からも消えてしまい、その後しばらくは継続高校チームはその所在を見失ったのかもしれません。
 ただ、猫田舞以下は無線で僚車と連絡が取れるため、何らかの形で皆と合流を果たしたようで、以前の予告版では合流後の姿が見られます。

 個人的には、三式中戦車チヌのアリクイさんチーム3人は、第4話で初めて筋トレの成果を発揮して何らかの活躍を見せてくれるのではないか、と予想しています。フラッグ車なのでどうしても狙われますし、接敵後は常に追われますから、何らかの形で逆境を跳ね返すような動きに、一時的であれ、出てくるかもしれない、と思います。

 例えば、素早い装填と射撃で相手を撃破するとか、その相手がフラッグ車のBT-42だったりとか・・・。

 ま、これも妄想に終始して予想は思いっきり外れるのでしょうな・・・。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その3  鮎壺の滝

2023年07月19日 | ゆるキャン△

 「鮎壺広場」の脇の園路からみた、黄瀬川の奔流の途切れる箇所です。そこが有名な「鮎壺の滝」にあたりますが、滝そのものは、園路から回り込んで南側へ行かないと見えませんでした。

 

 この時点で、さきに見た案内板の写真の「現在地」の辺りに居ました。滝の位置からやや上流側にあたり、かつての富士山溶岩流が止まって形成された大きな岩崖の上に立っていたことを知りました。

 滝が見える位置へはどうやっていくのだろう、と見回した時、犬を連れた地元の方らしき老人がゆっくりとした足取りで、私の居る園路の横の分岐から下へ降りてゆきました。あの方向か、と察して、その後をついていきました。

 

 下りの階段道になっているのを降りていくうちに、滝の音がより響いてきて、右手に上図の景色がパッと見えてきました。

 

 おお、これが「鮎壺の滝」ですか。予想以上に迫力がある滝でした。溶岩流の三ヶ所の切れ目から凄まじい勢いでドドドドと川水が落ちていました。

 

 思わず「うわあ、凄いなあ・・・」と声に出してしまいました。それほどに感動的な滝の姿でした。私の声に、先ほどの犬を連れた老人が振り向いて、にこやかな表情で「確かに今日のは凄いですな、普段はなかなか見られるもんじゃない・・・」と話しかけてきました。

 

「え、普段はこういう状態ではないのですか、やっぱり昨晩の大雨で・・・?」
「そうそう、あれだけ雨降りましたからな、黄瀬川もあっという間に増水してますな。いつもはこんなじゃないのですよ・・・」
「すると今のこの流水量は、普段の倍ぐらいになっているのですか」
「倍どころか、もっと増えてますな。この状態ならな。三倍ぐらいかな」
「そんなに・・・、すると今日はなかなか見られない状態であるわけですか」
「そうそう、ここに20年住んでて毎日ここを散歩しとるのですが、こんな滝の姿は年に二、三回ぐらいですかな。普段は少なくて、最低限だと水も枯れてしまったりで、滝の下とか裏に回れますからな」
「滝の下や裏に行けるんですか・・・。今日は無理ですね・・・」
「そういうことです」

 

 それから老人は、園路の南の橋を指さして、「あの橋からも滝がよく見えますよ」とすすめてきました。会釈して謝意を述べると、「では」と待ちくたびれていた犬を起き上がらせて、もと来た方向へ戻っていきました。

 

 橋の方へ行ってみると、なんと吊り橋でした。マップで見ると「鮎壺のかけ橋」とありました。西岸にも「鮎壺の滝公園」というエリアがあるので、そこへの連絡橋となっているようです。

 

 ここも吊り橋であるのが、ゆるキャン聖地巡礼のスポットには相応しく思えました。志摩リンは、果たしてこの橋を渡ったのでしょうか。しっかりした歩道橋のような造りで、高所恐怖症の私でも難なく渡れました。

 

 橋からは、「鮎壺の滝」が正面に見えました。このビューポイントを狙って橋を架けたのでしょう。滝を形成している富士山溶岩流の段差面も階段状に見えてよく分かります。ここも伊豆半島ジオパークの景勝地に指定されており、しかも北端に位置しているので、伊豆半島ジオパークの観光ルートもここからスタートしているそうです。

 

 デジカメの望遠モードで撮影しました。さきに滝が三つ並んで見えましたが、少し離れた西側にもう一つ見えました。溶岩流の切れ目が四ヶ所にあるということでしょう。この時は流水量が約三倍になっていたそうですから、本来ならば流れない所にも水があふれて、小さな滝が派生しているのも見えました。

 普段はこの三分の一の流水量であるらしいので、滝の姿もこんなに迫力あるものにはならないようです。今回は滅多にないタイミングで来られたようだな、と思いました。  (続く)

 

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黒森峰女学園 Sd.Kfz.251-1D型 装甲兵員輸送車(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2023年07月18日 | ガルパン模型制作記

 御存知ガルパンコミックの「フェイズエリカ」です。同じコミックの「リボンの武者」とともに、多数多種の戦車および車輌が登場することで知られます。アニメシリーズには出てこない車輌が多いので、再現製作も様々に楽しめます。

 これらの作中車のうち、私の製作においては、既に継続高校チームの戦車を7輌作りました。そして主人公逸見エリカの属する黒森峰女学園チームの車輌を計4輌作ります。1輌目としてシムカ5、2輌目としてキューベルワーゲン82型を作りましたので、今回は3輌目にトライしてみます。

 

 3輌目の車輌は、コミック第3巻の終わり近くに初めて登場した、上図の車輌です。独特の背面観によって、第二次大戦期ドイツ軍の代表的な装甲兵員輸送車であったSd.Kfz.251-1であると分かります。 よくみると、車体側面の工具箱が装甲と一体化しており、1943年9月から生産された新型つまりD型であることが分かります。

 

 続くシーンでも上からの俯瞰アングルで車体の後部のみが描かれます。試合後のチームの移動用に使われているようですが、元々が兵員輸送用に開発された車輌ですから違和感はありません。外観もSd.Kfz.251-1D型そのままである、と思いました。

 

 早速、最も入手しやすい適応キットとして上図のタミヤの品を買ってまいりました。ミリタリーミニチュアシリーズの195番で、模型店でも定番として並んでいて普通によく見かけるキットです。
 タミヤからはSd.Kfz.251-1のキットが5種類出ていますが、いずれもSd.Kfz.251-1の開発元であるハノマーク社の名前をとって、ハノマーク兵員輸送車、ハノマークD型の称で商品名にしています。

 

 中身です。安定と安心のタミヤですから、履帯もごらんのとおり、初心者に優しいベルト式です。

 

 説明文付きの組み立てガイドです。

 

 ステップ1では、車体下部を組み立てます。

 

 ステップ1で組み立てるパーツ類です。車体が一体成型でワンパーツとなっているのがタミヤらしいです。ドラゴンやAFVクラブの製品では車体も幾つかのパーツに分割されていますから、タミヤのほうが楽であることは間違いありません。

 

 組み上がりました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く32 その2  鮎壺の滝へ

2023年07月17日 | ゆるキャン△

 JR御殿場線の下土狩駅から「鮎壺の滝」までの道順を確かめるべく、駅舎横の地図案内板を見ました。御覧のように駅舎前から北(上図の地図の右側)に進んで踏切を渡り、西を通る県道87号線に出て右折し、北へ30メートルほど行くと左に下り坂があり、それを下って行くと突き当りに「鮎壺広場」があって「鮎壺の滝」の横に着く、というわけです。
 駅から「鮎壺の滝」までの距離は約300メートルぐらいのようなので、歩いて5分ぐらいか、と計算しました。

 

 駅舎前から北に進んで、上図の踏切を渡りました。

 

 県道87号線に出て右折し、北へ30メートルほど行くと左に下り坂が見えてきました。その手前に「鮎壺の滝・鮎壺広場」の駐車場があったので分かり易かったです。車で来た場合はこの駐車場に停めることになります。下り坂は行き止まりとなって「鮎壺広場」への入り口にはゲートがあるため、車は入れないからです。

 

 下り坂の入り口にも案内標識がありました。標識に距離が250メートルと書いてありますが、タブレットのグーグルマップで調べたところ、実際は「鮎壺の滝・鮎壺広場」まで100メートルあるかないか、その南側の公園と「鮎壺の架け橋」まで回って行けば250メートルぐらいかな、という感じでした。

 

 下り坂の突き当りが「鮎壺広場」ですが、なにやらリニューアル工事中ということで広場一帯は立ち入り禁止になっていました。その南側の園路に進んで、上図の桜並木を見上げました。

 

 「鮎壺広場」付近から見た、黄瀬川の様子です。富士山の噴火により流れ出た溶岩の流れが、愛鷹山と箱根山の谷間を流れて愛鷹ローム層に乗り上げ、この場所で止まって固まったのでした。その溶岩流に沿ってやがて黄瀬川が流れ、柔らかいローム層を侵食し、硬い溶岩の部分が残りました。その段差が現在の「鮎壺の滝」であるということです。

 

 溶岩流のところどころに穴があいているのが見えました。大きなものや小さなものがありましたが、いずれも丸い感じの穴でした。これらはポットホールと呼ばれるもので、溶岩のくぼみに石がはまり込んで水流によりコロコロと回転し研磨されてできたものだそうです。

 

 付近にあった案内板です。「鮎壺広場」の脇の園路に建てられていて、位置的には鮎壺の滝の東岸の上段にあたりますが、その位置からは滝そのものは見えませんでした。しかし、ドドドド・・という滝の落ちる音はさっきからずっと響いていました。

 

 昨晩は大雨でしたから、この黄瀬川も増水しているようで、御覧のとおり流水量が普段よりも多い感じに見えました。この豊富な水が全て「鮎壺の滝」に向かうのですから、滝もさぞダイナミックなのだろうな、と予想出来ました。

 

 上段の黄瀬川のほうも水音がザザザー、ゴオオオー、と激しく響いていました。昨日の三島エリアは昼過ぎからずっと雨だったそうで、私が新幹線で着いた夜には激しい大雨になっていましたから、この日の黄瀬川の流水量はおそらく倍に近くなっているのだろうな、と考えました。

 

 溶岩流の上をうねりながら流れて行く奔流を北の上流側から目で追っていくと・・・。

 

 南のほうでストンと途切れて見えなくなりました。向こうの川面ははるか下に見えました。あの段差が「鮎壺の滝」だな、と理解しました。が、園路が迂回していたので、「鮎壺の滝」そのものを目にするまでは少しの移動が必要でした。  (続く)

 

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