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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

京都鉄道博物館7 目玉の車輌たちとSLナンバープレートの数々

2025年03月01日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都鉄道博物館本館一階の続きです。中央のメインホールに並ぶ3輌の車輌は、いずれもJR西日本を代表する特急車輌として知られます。上図は前回紹介した489系のクハ489形1号車です。

 

 その隣には583系のクハネ581形35号車が並びます。国鉄が設計し製造した動力分散方式の交直両用特急形寝台電車の一種です。1967年から1972年までに434輌が造られ、全国各地の主要路線で夜行列車および昼行特急として活躍しました。JR西日本での最後の列車の運行は2013年の事でした。

 

 嫁さんが「これも昭和の電車って雰囲気ですねえ、引退してから10年ぐらいですから平成にも走っていたわけですねえ」と言いました。

「君はこれを例えば京都駅とかで見たこと無いのかね」
「うん、無いと思いますね。ここで初めて見た気がするので・・・。乗った事あります?」
「あるよ、敦賀や金沢へカニ食べに行ったな。これの特急「雷鳥」に何度か乗ったけど、デザインカラーがこれと違ってた気がする。山陰線特急カラーみたいなグレー系やったと思う・・・前面がグレーで下に白の横線が何本か並んでて、側面は窓周りのブルーの下に黄色のラインが引いてあったかな・・・」
「あー、それNゲージで見たことありますよ、トミックスの特急「きたぐに」でしたかね」
「あっ、そうやな、それや。「きたぐに」は大阪から新潟まで行くけど同じ北陸線を走るから、車輌を「雷鳥」でも使ってたんやろうね」
「雷鳥って、いまのサンダーバードのことですよね」
「そうやな。むかしは「ライチョウ」と呼んだけど、車輌が新しくなった時に「サンダーバード」と改称したんやろな」
「雷鳥を英語で読んだらサンダーバードになるわけですねえ」
「え?・・・いや違うで。雷鳥は英語でグラウス(Grouse)や。サンダーバード(Thunderbird)ってのはアメリカインディアンの伝説に登場する雷鳴と稲妻の精霊のことや」
「ええ、そうなんですかー」

 

 こちらは新幹線の500系、521形の1号車です。最近まで東海道・山陽新幹線で「こだま」として普通に走っていたので嫁さんも私も何度か乗っています。現在も山陽新幹線で「こだま」として現役の数編成が走っていますが、次代のN700系への置き換えが進んでいるそうで、2027年には全廃される予定だそうです。

 

 500系は、JR西日本が独自に開発し製造した新幹線車輌です。自社路線の山陽新幹線の、航空機への競争力強化の一環として、車体強度・台車強度・力行性能などのすべてを320キロ運転対応として設計したもので、1996年から1998年までに16輌編成9本の合計144輌が製造されました。144輌の最低限数にとどまったのは、1輌あたりの製造コストが3億円を超えるという高コストの車輌であったためでした。

「コストが高かったから廃車になるのも早かったんですかねえ」
「それもあるやろうけど、500系ってのは、山陽新幹線の線形に合わせて開発されて320キロを出せるけど、東海道新幹線のほうは線形の関係で320キロを出せないの。確か上限が270キロまでやったと思う。それで500系は性能的には過剰やったんで、それでコストも高いときてるから、すぐにJR東海とJR西日本が共同で次世代の車輌の開発にとりかかって、それで出来たんが現行のN700系なわけ。そっちのほうがコストも安くて、東海道と山陽を通しで走らせても問題ないから、N700系は2992輌も造られて新幹線の主力になってて、いまは最新型のN700S系に発展しとるというな」
「なるほどー」

 

 嫁さんが「こうしてみると、この3輌、JR西日本の昭和、平成の代表的な特急電車を並べてるわけですねー」と言いました。同時に、運行当時に最も人気があった特急電車の車輌3種を並べている、という形でもあります。

 

 メインの特急車輌3種の向かいには、上図の230形蒸気機関車の233号機があります。
 230形は、日本国有鉄道の前身である逓信省鉄道作業局(官設鉄道)が発注したタンク式蒸気機関車です。日本にて量産が行われた最初の蒸気機関車の形式であり、日本で2番目の民間機関車メーカーである汽車製造会社が初めて官設鉄道に納入した機関車です。

 

 案内説明板です。230形機関車は43輌が製造されましたが、現存するのは2輌のみで、こちらの233号機は保存状態が極めて良好です。1959年の廃車後、1967年から2014年まで大阪の交通科学博物館で展示されていたものを、こちらに引き取ったわけです。
 2004年に鉄道記念物、2007年に機械遺産、そして2016年に国の重要文化財に指定されています。日本最初の量産型機関車であることにより、国内の鉄道遺産の最高ランクの資料として認定されたわけです。

 

 案内説明板はもう一種ありました。さっきのは国重要文化財の説明板で文化庁が設置したものですが、こちらは京都鉄道博物館の設置分です。

 

 続いて嫁さんが注目していたのが、本館内の北壁にずらりと貼られたナンバープレートの列でした。大半は蒸気機関車のものですが、一部に電気機関車やディーゼル機関車の分も混じっています。

 

 ナンバープレートは右から古い順に貼られているようです。一番最初が1800形の2号車のナンバーで、これは館内に展示されている1800形機関車がもと付けていたものです。

「その次の番号って、28686てありますよね、28626形の機関車だったんですかね?」
「いや、あれはハチロクや。8620形蒸気機関車のことで、28686ってのは、ええと、ええとな・・・、計算するからちょっと待って・・・、よし、167やな、つまり8620形の167号機」
「えええ・・・、なにそれ・・・、28686が167号機って、全然分かんない・・・、ナンバープレートに6の数字はあるけど1と7の数字は無いじゃないですか・・・」
「やから、これは8620形独自の番号の付け方があるんよ・・・、千の単位の8と百の単位の6はハチロクの通し番号なの。これはずっと変わらない。番号の付け方は80進法なんで、万の単位の数字は80でかけるの。それから十の単位は8620形の20から付けてるんで、計算では十からの2ケタの数字は20で引くの。そういう独自の計算式があってな、正確には万の位の数字かける80、プラス十の単位からの二桁の数字から20を引いた数字、これにプラス1で、付番が決まるの。分かるかな・・・」
「うーんと、じゃあ28626は、2かける80で、プラス26から20を引いて、これにプラス1なの?全部足したら167、あー、167番ってわけですねー」
「そうそう、じゃあ、あの右端の38636って分かる?」
「3かける80の、プラス36から20引いて1をプラス、で240プラス17だから257、・・・257番?」
「そう。理解出来た?」
「なんとか・・・、そうなんだあ、8620形のナンバーってそうやって付けたんですか、なんか驚き・・・、でもなんでそんなややこしい付け方になったんですか?」
「説明するとやな、8620形の1号機は8620やから2号機は8621になる。それで順番に付けて行くと80号機で8699になる、やろ?」
「うん」
「すると81号機は8700となるんだが、当時は8700形機関車というのがあってな、その番号とダブるから、81号機は万の単位の数字を追加して18620としたわけ」
「へええ、18620・・・、計算すると80のゼロの1でプラスして81・・・、なるほど81番ですねえ、そうすると82号機は18621になる?」
「そう、そういう番号の付け方になる」
「うわあああ・・・、なんか凄い知識を覚えた気がするー。こんな計算の仕方、よく知ってますねえ・・・」
「父に教わったからね・・・」
「あっ・・お義父様に・・・そういえば鉄道の技術者だった方ですね・・・そういった計算式は基礎知識ですよね」
「だから8620形だけじゃなくて9600形、キューロクの付け番の計算も教わった」
「9600形蒸気機関車の?・・・大井川鐡道の千頭駅にあるヒロの元の機関車?」
「うん、あれに見える29642とか39621とかが9600形のナンバーや。千の単位の9と百の単位の6はキューロクの通し番号なんで、その96の数字が付いてたら全部9600形になる」
「番号はどう計算するんですか?」
「キューロクの場合は万の位の数字を100でかける、それと、十の位からの2ケタの数字にプラス1、これを全部足せばええんや」
「じゃあ、29642は、2かける100、42に1プラス、全部足して243、243番?」
「そうです」
「わーい、また覚えました。いつか誰かに自慢してやろうっと・・・」

 

「ナンバープレート、色んな機関車のを集めてありますね、かつて存在したのが廃車になったときに、ナンバープレートだけ残したんですね」
「そうやな」

 

「するとCはC11から始まってますけど・・・、あれ?・・・大井川鐡道で走ってるのC10ですよね?」
「ああ、C10形から始まるんやが、C10形は製造数が23輌しか無かったんで、ナンバープレートも回収出来なくてここには無いんやな」
「そうなんですかー」

 

「するとCが付く蒸気機関車は11、12と50から並んで、最後は63が見えるので、C63形までがあるわけですね」
「え?」
「えっ、何?」
「いまC63形と言わなかった?」
「うん、C63形まで」
「それはおかしいで。C62形までが存在したけど、C63形ってのは無かったんや」
「じゃあ、なんでナンバープレートがあるんですか?」
「えっ?」

「ほら、あの一番下の赤いの、C63形の1号機のナンバーですよね?」
「えー、マジか・・・、製造されてないのになんでナンバープレートが残されてるんや・・・」
「製造されてない・・・、でもNゲージのマイクロエースでC63形っての見たことありますけど・・・」
「Nゲージのは架空の機関車をモデル化してるだけやで、史実とゴッチャにせんといてくれ・・・、実際には設計段階で開発中止になってん、幻の蒸気機関車と言われるんや」
「ふーん」
「にもかかわらず、ナンバーが残されたのか。・・・と言う事は、試作機を造る直前まで段取りが進んで、そのナンバープレートを先行して製作したのかな・・・、そんなケースはあんまり聞いたこと無いけどな・・・」
「じゃあ、あの赤いナンバープレートは本物と違うんですか?」
「わからんね・・・、かと言って、レプリカにも見えないし・・・、ちょっと調べてみるわ・・・」

 

「Cの次のDは、D50から始まってますね、D51、D52、D60、D61とありますよ、D61形で終わりなんですね」
「え?」
「え?なに、違いますの?」
「D61形で終わりじゃない、次のD62形もあったよ。20輌しか無かったけどな・・・」
「D62・・・、のナンバープレートはあそこには無いですよ」
「そうか、もともと数が少なかったから、回収出来なかったわけか・・・」

 こんな調子で、ナンバープレートの見学だけで30分余りも過ごしていたのでした。  (続く)

 

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