気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

(車輌目次表紙)知波単学園 九五式小型乗用車(福田はる車)

2023年01月31日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ピットロード (商品コードG10)

  制作期間   2020年3月24日~4月14日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 完成です!!

  総評・備考
 九五式小型乗用車は、旧日本陸軍が使用した小型軍用乗用車である。日本初の国産実用四輪駆動車であり、「くろがね四起」の通称で知られる。ガルパンにおいては最終章第2話にて知波単学園チームの車輌として登場し、福田はるが大洗にアヒルさんチームの磯辺典子以下4人を訪ねた際の移動用に使用した。
 適応キットはファインモールド、ピットロードから2種類が出ているが、劇中車と同じ幌展開状態に作れるのは後者の製品(下のキット一覧の1から4)である。タミヤ製品(下のキット一覧の7)に含まれる分はファインモールド製品である。 
 劇中車再現においては、幌の形に拘らなければファインモールド製品が最も劇中車に近似する。ピットロード製品にて再現製作する場合は、ボンネットマスコットを追加し、バックランプを外し、幌の窓の形状などを修正する必要がある。いずれも簡単な作業で済むので、チャレンジしてみては如何だろうか。

  公式および適応キット一覧(2023年1月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く26 その7  伊奈ヶ湖県民の森

2023年01月30日 | ゆるキャン△

 利根川公園のボロ電を見た後、再び県道42号線に戻って北進し、南アルプス市に入りました。下町の信号交差点で左折して県道108号線に進み、あとは道なりに西へ進んで山に向かって登りました。途中で上図の「県民の森入口」の案内板を見つけて、目的地へのルートが正しい事を知りました。

 

 それから10分ほどは曲がりくねった九十九折のような林道をひたすら登り、道がやや平坦になってきたところで大きく右にカーブして左手に二つの池を見ました。県民の森こと「エコパ伊奈ヶ湖」の南に位置する菖蒲池と南伊奈ヶ湖でした。少し進んで右手に上図の看板が見えましたので、そこへ入りました。

 

 入ると上図の広い駐車場があり、そこに車を停めました。「エコパ伊奈ヶ湖」のほぼ中央やや南寄りに位置する第1駐車場でした。この「エコパ伊奈ヶ湖」第1駐車場が、劇場版視聴特典のコミック13.5巻3ページ3コマ目にて志摩リンが愛車ビーノを停めた場所です。上図は北東方向に撮ったもので、アングル的には作中画と逆方向になっていますが、上図右奥の白枠内が志摩リンの駐車位置だろうと思います。

 

 作中画ではこのような角度で描かれます。南側に向けての描写です。

 

 駐車場の入口の北側の窪地のような場所に上図の「レストハウス伊奈ヶ湖」の看板がありました。これも作中にて名前を変えて描かれています。

 

 コミック13.5巻3ページ4コマ目では「南アルプス伊奈ヶ湖森林公園」と変えてありますが、看板の形状、支柱先端の斜め落とし、看板下段の「INAGAKO」は一致しています。ちなみに「エコパ伊奈ヶ湖」は2014年にユネスコエコパークに登録されて以降の名称で、それ以前は「県民の森・伊奈ヶ湖森林公園」だったと聞きますから、作中画では以前の名称を採っていることが分かります。

 

 志摩リンは現地に着いて最初にこのレストハウスに行っています。

 

 コミック13.5巻4ページ4コマ目にレストハウスの建物がそのまま描かれています。作中で志摩リンが「レストハウスの裏が湖畔サイトか」「この駐車場の向こうが森林サイト」と確認していますが、実際には湖畔サイトはオートキャンプ場となっています。志摩リンは総合受付グリーンロッジの南側の森林内でテントを張っていますが、実際に同じ場所が「テントサイト」となっています。

 そして志摩リンはオートキャンプ場に散歩に行き、北伊奈ヶ湖の湖畔まで行って「でけー鯉」を見て、北伊奈ヶ湖の北側の辺りにチェアを置いてグランピングを楽しんでいますが、その範囲はオートキャンプ場の北側にあたります。第1駐車場からだとかなり距離があるので、奥の第3駐車場まで行ってそこから歩くのが良い、と総合受付にて教えられました。

 

 コミック13.5巻5ページ1コマ目にて志摩リンも見たレストハウスの案内看板です。作中では「本日のおすすめランチ 森のスープカレー 辛口ロングソーセージ入りです 1000円」と書かれていますが、実際にここのランチメニューにズバリの「森のスープカレー」があります。紹介記事はこちら

 今回は到着時刻が15時7分でランチタイムは終わっていましたから、実食はかないませんでした。志摩リンもこれを食べたそうにしていましたが、食べる場面はありませんでした。その代わり、各務原なでしこの合流後にレストハウスへ行ってアイスを買ってきた様子が22ページ3コマ目に描かれます。アイスも実際に売っていて、上図のようにソフトクリームのディスプレイが置かれています。  (続く)

 

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アンツィオ高校 ランチア1ZM装甲車 作ります!! その7

2023年01月29日 | ガルパン模型制作記

 ステップ34では車輪を取り付けます。ステップ35からステップ38までは足回りや車体各所の部品を取り付けます。

 

 ステップ34で組み立てる車輪です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ35、36で取り付ける前後のフェンダーです。

 

 取り付けました。

 

 ステップ37で付けるライト、ステップ38で付けるエンジン下部カバーです。

 

 エンジン下部カバーを取り付けました。

 

 ライトを取り付けました。

 

 ステップ39からは上部機銃塔の組み立てに入ります。ステップ43まで機銃塔および機銃の組み立てを進めます。ここでもガルパン仕様への改造が加わります。

 

 最初にガルパン仕様への改造を行ないます。上部機銃塔の前面部分、二ヶ所に銃眼が付くC1のパーツですが、御覧のような状態です。

 

 劇中車の同部分では銃眼の周縁部に薄い枠が付いているのが分かります。これに合わせます。

 

 枠は最初はプラ板で作りましたが、厚みが有り過ぎるので、マスキングテープをカットして上図のように貼りつける方法に落ち着きました。

 

 続いてステップ41までの工程を進めて機銃を組み立てました。

 

 ステップ41の機銃の取り付けが完了しました。  (続く)

 

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晩夏の京都御苑7 新島襄旧宅 下

2023年01月28日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 新島襄邸宅は、新島襄が同志社英学校を開設した際に仮校舎として借家した高松保実邸の跡地に、ボストンの友人J. M. シアーズの寄付によって建てられたとされています。設計者、施工者のいずれも明らかではありませんが、当時の同志社教員で医師および宣教師でもあったW. テイラーの助言を得ながら、新島襄が設計したとも伝えられています。

 

 なので、上図の応接間の調度や設えも、W. テイラーの助言によって実現したのかもしれません。

 

 外観はいわゆるコロニアルスタイルの洋風ですが、造りの基本は和風寄棟住宅です。間取りは日本的な田の字型であり、壁は柱を露出させる旧来の真壁造りとなっています。明治期に各地で流行した和洋折衷建築の一例とされます。

 

 御覧のように床が高く造られ、二階の三方にべランダをめぐらしています。窓には鎧戸をつけ、白い壁面に茶褐色の木部を見せています。華美な要素は一切見られず、簡素な二階建住宅の典型例として知られます。

 明治期に建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅の遺構は全国的にみても稀で、貴重な建物です。また、同志社創立者新島襄の旧居としての価値が認められ、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に指定されています。

 

 上図は東南の部屋で、書斎として使用されました。新島襄が使用していた状態のままで保存されており、奥の書棚には蔵書の一部が収められています。同行者の話では、新島襄の蔵書の殆どが洋書で、貴重なものが多いために現在は同志社社史資料センターに移して保管されている、との事でした。

 

 この机に新島襄が座っていたのですか・・・。個人的には、最期の言葉が「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」であったというのが印象に残っている人物です。

 

 東側の出入り口から廊下と二階への階段が見えました。二階は見られませんが、一階と同じく田の字型の間取りで、四つの部屋から成ります。寝室や居間など、新島夫婦の住居空間であったとされています。

 

 東側にある食堂です。奥には応接間が見えます。上画像では写っていませんが、向かって右側に台所があり、台所との間の壁にハッチ式の配膳棚が設けられています。当時の住宅としては珍しい設備であったそうです。

 

 台所は北西に位置して食堂と廊下で繋がっています。床板が張られていますが、当時の京民家の台所は土間が一般的でしたから、これも近代的な設えであったわけです。その床板の上にカマド流しが置かれていますが、このスタイルは現在の民家の台所と変わりません。

 

 なかなか面白い明治期建築でした。同行者は「私もまともに見学したの初めてかも」と笑っていました。同志社大学在学中に新島襄やここの邸宅について学ぶ機会とか講義は無かったのかね、と訊ねたら「一応あったんですけど、希望制で聴講は自由だったので・・・」と答えてきました。同行者の大学での籍は文学部で、専攻は国文学、平安期の王朝文学を中心とした分野であったため、主に神学部で履修する新島襄関連の講義とは縁が無かったそうです。

 かくして、京都御苑と新島襄旧艇の見学を終えました。その後は同行者の買い物に付き合って、言われるままに三条から四条河原町へと繰り出し、次第に増える荷物を運ぶことに専念しました。  (了)

 

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最終章第4話の予想というか妄想

2023年01月27日 | ガールズ&パンツァー

 周知のように、ガルパン最終章シリーズの第4話が今年2023年の公開となる旨がアナウンスされています。それに伴って予告編も大幅に追加され、興味深いシーンが幾つか加わっています。それらを見ての、個人的な予想というか妄想を綴ってみたいと思います。

 上図は、第3話のラストシーンです。副隊長西住みほ以下のⅣ号戦車が、ヨウコの約2キロにわたる悪魔的な長距離狙撃によって撃破され黒煙をあげて雪原に擱座したさまを、フラッグ車の三式中戦車チヌの猫田舞の視点で捉えた場面です。実質上の指揮車とも頼むあんこうチームの脱落を目の当たりにした猫田舞の心境はいかばかりであったでしょうか。

 

 興味深いシーンのひとつが、上図のカモさんチーム、園みどり子の闘志みなぎる表情です。よく見ると両目の周囲にメガネのような跡が見えます。双眼鏡か何かを長時間使用していたかのような圧着痕のようにみえます。

 おそらく、敵の雪だるまからの奇襲を受けて四散した際に、敵襲を回避し立て直しを図って彼女なりに敵の動向を注意深く把握しようと試みていたのでしょう。双眼鏡を使用したのであれば、目の周りの圧着痕からみて、かなり長い間使用していたものとみられます。それだけ敵動向の把握に時間がかかったということでしょうか。逆に言えば、相手の継続高校チームの動きもかなり広範囲にわたって分散していた形であった、ということでしょうか。

 考えてみれば、園みどり子は持ち前の高視力を活かしての監視や偵察の活躍シーンが多いです。テレビシリーズの対プラウダ戦でも冷泉麻子と組んで敵情偵察を成功させていますし、最終章第1話の対BC自由学園戦でも木造橋梁上にて敵を真っ先に発見して自チームのピンチ回避に貢献しています。

 以前に彼女の高視力について述べた通り、園みどり子は冷泉麻子とほぼ同等の高視力を誇ります。あんこうチームの脱落によって活かせなくなった冷泉麻子の高視力をカバーする形で、園みどり子が第4話において高視力を活かした何らかの働きを遂げるんじゃないかな、と予想しています。冷泉麻子が2キロの距離でヨウコの車輌を発見したように、園みどり子もまた遠距離から的確に敵の動きを察知し味方のピンチを辛うじて救うというような、そういう活躍をなして、勝利への流れを僅かながらに掴んでゆくのではないか、と想像しています。

 

 次に興味深かったのが、上図のシーンです。序盤での集落内での敵の雪だるまからの奇襲を受けて四散した大洗女子学園チームが、フラッグ車の三式中戦車チヌへの合流をも含めて、再集結に成功していることが伺えます。フラッグ車を護る陣形の先頭にカバさんチームⅢ号突撃砲F型が位置し、狙われやすい後尾を最強のレオポンさんチームポルシェティーガーがカバーしているのは流石です。

 要するに、序盤での四散の危機は脱したということになるわけですが、よく見ると7輌しか見えません。第3話終了時点で撃破されたのはあんこうチームだけでしたから、8輌が健在であった筈なのですが、上図ではカメさんチームヘッツァーも見えません。こちらは別に活躍場面が出ていますから、撃破されたのではなくて毎度のように単独での別行動に移っているのかもしれません。
 その仮定に立った場合、カメさんチームの狙いは一体何か、あえて別行動をとっている目的、必要性がどのようにして生じたのか、という疑問がわいてまいります。が、それらへの手がかりは、上掲シーンからは全く伺えません。

 ただ気になるのは、あんこうチームが撃破されて西住みほ副隊長も戦列外に退けられた後、一時的であれチーム全体を統率出来るのは、隊長河嶋桃の上位に居て前生徒会長のカリスマ性も備える角谷杏しか居ない、という点です。その搭乗するヘッツアーが別行動をとっているということは、上図のシーンの時点ではチームの指揮統率をする必要性が特に無かったということを意味しているのかな、と感じます。

 その観点でもう一度、上図の7輌の並びをよく見てみると、興味深い事に、7輌の陣形の中央要の位置にウサギさんチームM3中戦車リーが見えます。前後左右を見渡せて全方位の僚車に連絡および掩護が可能な状態になっています。この時点でおそらくは澤梓が、7輌の部隊の中心的車輌として臨時に指揮統率をこなしているのかもしれません。フラッグ車のすぐ後ろに占位する点も、撃破されるまでのⅣ号戦車のそれと同じです。

 したがって、上図の場面の時点では、次期指揮官候補とも目される澤梓が、すでに何らかの形で角谷杏から権限移譲なり指揮権委任なりを受けて動いているものと考えられます。だからヘッツァーが別行動に移っていても問題ないのかもしれません。つまりは澤梓の初の指揮官ぶりが存分に見られるのでしょうか。個人的には、是非、そうであって欲しいところです。

 

 興味深いシーンといえば、上図のヨウコの場面もそうですね。初めて何らかのセリフを喋っています。どんな内容なのでしょうか。さきの大洗女子学園チーム7輌の場面を考えれば、Ⅳ号戦車を撃破した直後の孤立したフラッグ車への狙撃はどうやら失敗に終わったもののようですが、同時に大洗女子学園チーム側も、敵の最も危険なスナイパーの捕捉無力化に失敗したものと推測されます。

 このシーンの直後にヨウコがあっさり撃破されるのでなければ、この恐るべき狙撃者は次なるステージへ移行してなおも獲物を追い続けることでしょう。その悪魔的な脅威の蠢きにピリオドが打たれるのは、いかなる状況においてでしょうか。

 同時に、その搭乗車も初めて外観を現すに違いないので、その後はその適応キットが飛ぶように売れまくることでしょう。個人的にはⅢ号突撃砲G型だろうと推定していますが、もうそうならば、最近は海外の各メーカーから幾つかの新製品が豊富に出ていますので、選択肢は多いです。なので、瞬殺になって買えなくなる可能性よりも、どのキットを選ぶかで百家争鳴状態になる可能性のほうが高いだろうと思います。

 

 この場面では、継続高校チームの初めて見るモブキャラが登場しています。リーゼントじゃないんだな・・・。

 ただ、砲塔上に上半身を乗り出して視界を確保している点から、このT-26も相手の動向が掴みづらくなって周囲を見回しながらの作戦行動を余儀なくされている、という解釈も出来そうです。少なくとも一度は四散させた相手ですから、その再集結を確認するまでは、もともと分散していた継続高校側も、相手の動きが全て把握出来ている可能性は低く、それぞれの判断での行動を強いられる局面もあり得るかもしれません。

 ですが、最大の興味ポイントは、この新登場キャラクターが単なるモブなのか、台詞もちゃんと喋るチームメイトとしての立ち位置にあるのかどうか、という点です。第4話を楽しみに待ちましょう。

 

 この三式中戦車チヌのシーンもなかなか興味深いですね。敵の砲撃の雪煙の中、砲を後ろに向けて疾走していますから、追われている状態なのだろうと推定出来ます。
 問題は、この場面が、Ⅳ号戦車撃破直後の孤立状態でのものか、それとも前述の7輌の陣容から再びバラバラになって相手に狙われている状態であるのか、ということです。どちらに該当するかで解釈も左右されますから、いまこのシーンを見ただけでは何とも言えないのが正直なところです。

 ですが、前に書いた記事の三式中戦車チヌのシーンと比べると、明らかに車体が雪まみれになっています。あんこうチームが撃破された時点まで三式中戦車チヌにはほとんど雪が付いていませんでしたから、上掲の場面はそれから相当の時間が経過して降雪か吹雪の中を行動していた結果と解釈することも可能です。

 最悪の場合、僚車の大半が撃破されてしまって再び孤立した姿であるのかもしれません。もしそうであるならば、いかにしてこのピンチを切り抜けて自チームの勝利確定まで耐えてゆくのかが、見どころの一つとなるでしょう。ひょっとすると日吉葵の渾身の一撃が勝利をもぎ取ってゆくのかもしれません。

 ともあれ、第4話を楽しみに待ちましょう。現時点で何も情報が無いので、公開は秋か冬になるのかな・・・?

 

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(車輌目次表紙)知波単学園 特二式内火艇カミ(西原八十子車)

2023年01月26日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-49)

  制作期間   2019年12月19日~2020年5月16日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 その11 その12 その13 完成です!!

  総評・備考
 特二式内火艇カミは、旧日本海軍が昭和17年(1942)に開発し運用した水陸両用の戦闘車両である。ガルパンでは最終章第2話にて知波単学園チームの所属車輌として2輌が登場し、水陸両用車の特性を活かして池や川および陸地での活発な動きを見せた。
 その1/35スケール適応キットはドラゴンの製品が唯一で、公式キット化もされているので入手し易い。キットは浮舟(フロート)を付けた姿と外した姿の2種類があるが、いずれも劇中で見られるために公式キットも2種類ある。日本軍の戦車としては大型の部類に入るものの、パーツは少なくて組み立ても楽である。ガルパン仕様への改造は前部フロートの中央分割線の修正ぐらいであり、初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。
 今回の作品の製作に際しては、帝国海軍特別陸戦隊の一員としてパラオ方面にて特二式内火艇カミに艇長として乗務された方、および呉海軍工廠の塗装工員であった方の御協力を得た。外観はガルパンの劇中車に合わせているが、お二方の指導教示により、内部のエンジンや操縦席等のインテリアを復原製作し、外面の迷彩塗粧用塗料を旧海軍の正式色にて調合いただいて使用した。

  公式および適応キット一覧(2023年1月現在) 黄帯が今回の使用キット


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ゆるキャン△の聖地を行く26 その6  ミート高橋と利根川公園ボロ電

2023年01月25日 | ゆるキャン△

 大法師公園は眺めが良いので、小休止を兼ねて四方の景色を眺めました。桜の時期には、遠くからでも目立つ山であるようです。

 

 次に向かうスポットは大体あの辺かな、と地図と景色を見比べて確認し、下の駐車場に戻って車に乗りました。一気に下山して下の県道42号線に戻り、劇場版にも登場した犬山あおいの異動先の学校のモデル、鰍沢小学校の西を通り過ぎて少し進みました。

 

 県道42号線の青柳五丁目信号交差点で左折して中央通りに進み、しばらく行くと右手に上図の「ミート高橋」が見えました。原作コミック第13巻150ページで鳥羽美波先生が花見キャンプ用の肉を調達しに行ったお店「肉の高林」のモデルで、151ページ2コマ目に外観もそのまま描かれています。

 

 さらに中央通りをそのまま道なりに北進して、14時46分に利根川公園沿いの新利根川橋南詰の信号交差点に至って右折、次の辻で公園の東側の旧道へと左折し、上図の公園東駐車場に入りました。

 

 駐車場の脇に上図の電車車輌が静態保存されていました。原作コミック第14巻9ページ2コマ目に出ている「レトロでかわいい路面電車」がこの車輌です。作中では各務原桜が「富士川長沢公園」と呼んでいますが、ここ利根川公園の所在地が富士川町長沢であるのに因むようです。

 

 この車輌はかつての山梨交通電車線の郊外型路面電車の車輌です。正式名は「山梨交通7形電車」で、昭和37年に廃止されるまで「ボロ電」の通称で親しまれたそうです。作中で各務原桜が「昔は甲府も路面電車が走っていたらしいわね」と言っていますが、その通り、車体前面に運行区間を示す「甲府駅前---甲斐青柳」の駅名を記したプレートがおさめられています。

 現在地の東の車道がかつての軌道跡で、そのまま富士川町役場の東側まで続いていますが、その行き止まり地点がかつての甲斐青柳駅の跡地です。

 

 脇に立てられる大きな案内板の左半分の説明文です。これによると、展示車輌は山梨交通電車線の廃止後は長野県の上田丸子電鉄で走り、次いで神奈川県の江ノ島鎌倉観光線で走って、昭和61年に廃車となって現地に里帰りした、となっています。
 なので、現在の姿は江ノ電での晩年の姿のままであるそうです。

 

 大きな案内板の右半分の年表です。当地はかつて増穂町でしたので、案内板の下に町名もそのまま書いてあります。かつては南巨摩郡増穂町でしたが、平成22年3月に鰍沢町と合併して富士川町となっています。

 

 展示車輌は御覧の通りの赤っぽいベージュ色で、江ノ電の二色塗りとは違うカラーなので、おそらくは山梨交通電車線当時のカラーに復元されているのかもしれません。

 

 かなり痛みが目立ちますが、覆屋が付いていて野ざらし状態ではないので、まだ保存状態はマシなほうだと思います。

 

 乗降扉への階段が設けられていて、扉ごしに中を見られます。定期的にメンテナンスがなされているのか、割合に綺麗な状態でした。利根川公園の園地内にありますので、行政当局が管理しているのか、それとも地元有志による保存管理がなされているのかは分かりませんが、少なくとも放置状態ではないようでした。  (続く)

 

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アンツィオ高校 ランチア1ZM装甲車 作ります!! その6

2023年01月24日 | ガルパン模型制作記

 ステップ29およびステップ30では車体の操縦手ハッチや前面部などを組み立てます。ステップ31ではエンジンのエナーシャハンドルなどを組み付けます。

 

 ステップ29で組み立てるパーツ類です。

 

 組み付けました。ハッチは劇中車に合わせて閉じておきました。

 

 反対側から見てチェックしました。

 

 ステップ30で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。このエナーシャハンドルを回してエンジンを始動させるわけです。本来ならば外して収納されるハンドルですが、この車輌では付いたままのようです。劇中車のシーンでは見えない範囲ですので、ハンドルの有無は気にしないことにしました。

 

 ステップ32ではワイヤー切断用レールを組み立てます。ここからガルパン仕様への改造が加わります。ステップ33では前照灯を組み付けます。劇中車の前照灯は木に隠れて見えませんが、ガイドの指示通りに組み付けます。

 

 ステップ32で組み立てるワイヤー切断用レールのパーツです。第一次大戦の戦訓により追加された装備ですが、劇中車のそれは形状が異なるので、改造します。

 

 改造するのは、一番上の端部です。御覧のように、ワイヤーを引っかけて切るように鉤形になっています。

 

 その鉤形の端部が、劇中車においては御覧のように上へ曲がっているだけの形状になっています。これに合わせて改造します。

 

 改造は、パーツを極力活かして行ないました。まず鉤形部分を半分ほどカットして、逆さにして付け直しました。そうするとレールが上に曲がる状態に近い形になりました。

 

 続いて余分な部分をヤスって削り、形を丸く整えました。

 

 続いてレール全体を組み立てました。

 

 車体に取り付けました。ついでにステップ33の前照灯を取り付けました。

 

 これでレールの上端は劇中車と同じ形状になりました。  (続く)

 

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晩夏の京都御苑6 新島襄旧宅 上

2023年01月23日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 富小路休憩所のエリアを見て、今回の目的であった京都御苑内の五ヶ所の休憩所施設巡りを完了しました。その後は「適当にブラブラしましょう」と同行者が言い、それに合わせました。富小路広場の北に京都大宮・仙洞御所のエリアがあるので、自然にその外郭築地塀に沿って歩く形になりました。

 

 仙洞御所の正門です。普段は閉じられています。仙洞御所の建物は江戸期に火災で失われて以来再建されておらず、庭園だけが残されていて、御殿の機能は北隣の大宮御所に移されているそうです。

 

 築地塀に沿って北へと進みました。

 

 京都大宮御所の正門です。門自体の名称はあるのか、と同行者に訊ねたら「御所のように各所に門があるのと違ってこちらは西側の正門だけなので、正門が正式名称です」と説明してくれました。
 こちらの正門も普段は閉じられており、一般参観の出入口は北側にある通用門にあてられています。

 

 北側へ回り、上図の清和院御門へと東進しました。

 

 清和院御門を出ました。その際に同行者が「まだ時間あるし、前は入れなかった所、行けますよ」と言うのでついて行きました。

 

 前は入れなかった所、とは上図の新島襄旧邸宅でした。この時期に特別公開されていました。

 

 同行者は大学時代にセミナーや特別講習で二度ほど入ったそうですが、私は今回が初めてでした。

 

 入ると左手に江戸期の長屋風の建物がありました。新島襄の本宅の付属屋で、新島襄が両親の隠居所として、江戸藩邸にあった住居の仕様で造らせた建物です。たぶん両親は、明治期のハイカラな折衷住宅には馴染めなかったのかもしれません。

 

 奥に新島襄夫妻の本宅の建物が見えました。周りに樹木が並んで繁っているため、建物の外観があまり見渡せませんでした。

 

 本宅の建物は周囲から窓越しに内部を見るという公開方式でしたので、中へは入れませんでした。原則として同志社大学の関係者でも入れない決まりであるそうです。創立者の邸宅空間ですから、聖域扱いされているのでしょう。

 それで、本宅の周りを一周しつつ、四方の窓や戸口から内部空間を順に見ました。上図は応接室で、奥の部屋は食堂です。応接室は、同志社大学の前身である同志社英学校が開校した際に仮校舎の教室または会議室として使われたそうです。机や椅子や調度品類も当時のままであるそうです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)知波単学園 九七式中戦車チハ新砲塔(浜田紀代車)

2023年01月22日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.75およびNo.137  (商品コード35075および35137)

  制作期間   2020年1月6日~2月20日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 完成です!!

  総評・備考
 知波単学園チームの主力戦車である九七式中戦車チハは旧砲塔型と新砲塔型の2種類が知られるが、浜田紀代の搭乗車は新砲塔型である。公式キットおよび適応キットがファインモールドより出ており、いずれを使用してもストレート組みで劇中車を再現出来る。こだわっても追加工作は簡単で2、3ヶ所ほどで済むので、ガルパン戦車制作の入門キットの一つとして初心者クラスにもおすすめ出来る。ただし、塗装のほうは3色迷彩なので難度が高い。
 ファインモールドの他にはタミヤやドラゴンから適応キットが出ている。タミヤ製品は価格も安くて買いやすいが、車台の形式が異なるため、同じタミヤの旧砲塔型のキット(商品番号35075)から車台を転用する必要がある。砲塔と車台の組み合わせは簡単な作業で済み、劇中車の再現工作もさほどに手間を要しない。ドラゴン製品のほうはホビコレの限定販売品であったためか、点数が少なくて入手困難である。
 今回の浜田紀代搭乗車はタミヤ製品にて製作した。公式設定における迷彩のパターンは劇場版、最終章のいずれにおいてもBであり、それに従った。

  公式および適応キット一覧(2023年1月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ゆるキャン△の聖地を行く26 その5  大法師公園

2023年01月21日 | ゆるキャン△

 鰍沢中部小学校跡を辞して再び国道52号線を北上、鰍沢中心街区の南の分岐で左に進んで県道42号線富士川街道に入り、すぐの鰍沢中入口信号交差点で左折しました。それから日蓮宗蓮華寺の門前を左にカーブして道なりに九十九折の坂道を登り、14時26分に上図の大法師公園(おおぼしこうえん)の駐車場に入りました。広い駐車場には、私が乗ってきたレンタカーだけが停まりましたので、他には誰も居ないようでした。
 上図は、原作コミック第13巻39ページ2コマ目のアングルです。駐車場の右側の木が全て桜です。

 

 大法師公園は、大法師山の山頂エリアに設けられた総合公園施設です。山頂に広場と関連施設、西側のやや低い地域に野球場やテニスコート、弓道場などがあります。それで西側にも駐車場がありますが、作中で各務原姉妹が入り、今回私が入ったのは東側の駐車場でした。
 上図のように南側に山頂への遊歩道のゲートがありました。それでそちらへ歩き始めましたが、景色を見ていて、あっ、と気付いて立ち止まりました。

 

 南方の山並みの向こうに富士山の頂が薄墨の山水画のような風情で見えました。おお、と思わずデジカメを構えました。

 

 各務原姉妹は桜の名所を回っている途中でここに立ち寄っています。実際に現地は山梨県で唯一、日本さくら名所100選に選ばれており、県を代表する桜の名所として知られます。眺望も良いので、桜の開花期にはここで「富士川桜まつり」が開催されて賑わうそうです。
 ちなみに大法師の名は、山頂の南の最高所に鎮座する山の神様「大法師権現」こと山王神社に因むと聞いたことがあります。

 

 遊歩道を登りました。御覧の通りの手摺付き階段です。作中では描かれませんが、これが山頂への唯一の登り道なので、各務原姉妹もここを通っている筈です。

 

 登りきると、北側は山頂からの舌状尾根になっていて、両側に桜並木があります。原作コミック第13巻39ページ2コマ目のアングルです。作中では各務原なでしこの足元に遊歩道が描写されますが、実際には全面的に芝生化していて、遊歩道との境目がほとんどハッキリしません。

 

 山頂の広場の東側に立つ時計台です。原作コミック第13巻39ページ4コマ目の各務原なでしこの頭部右後方に小さく頂部のみが描かれています。

 

 展望台に登ってみました。先ほどの北尾根方向を見ました。原作コミック第13巻39ページ4コマ目の左半分の範囲にあたります。作中画は広域ワイド撮影のビューにて描かれるため、実際には100度ぐらいの広角になって普通のデジカメでは同じ範囲を撮れません。ゆるキャンにおいてはよくあるパターンです。

 

 同じ位置から南に向きを変えて撮りました。原作コミック第13巻39ページ4コマ目の右半分の範囲です。この右側に各務原なでしこがスマホの自撮りで写っているわけですが、この日の展望台上にはロープが張られて東側へは行けませんでした。展望台施設そのものが老朽化していて、何らかの安全管理上の問題があったのかもしれません。

 

 しかし、眺望が素晴らしいですね。北には南アルプス市の街区が広がり、奥には八ヶ岳連峰がかすかに望まれました。

 

 そして東南には富士山が見えました。富士山も見える桜の名所は、山梨県ではあまり無いそうなので、各務原姉妹が立ち寄ったのも分かる気がします。富士山スキーの妹のために、桜さんが選んだのでしょう。
 なお、作中では桜満開の時期に姉妹二人だけで訪れていますが、実際には大勢の花見客で賑わうそうなので、作中通りの静かな花見散歩というのは楽しめないかもしれません。  (続く)

 

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アンツィオ高校 ランチア1ZM装甲車 作ります!! その5

2023年01月20日 | ガルパン模型制作記

 前回の続きです。ステップ18で組み立てるエンジンの外殻部のパーツです。

 

 組み上げて側面や底面からチェックしました。ズレや歪みが無いか調べましたが、きっちりと組み合わさっていて手直しは不要でした。

 

 これでステップ18は完了です。 

 

 ステップ19からステップ23までの一連の作業は御覧の通りです。今回のキットは一つの作業を一つの図面に示す一図一工程の分かり易いスタイルで、しかも扱うパーツを着彩してありますから、本当に見やすく理解しやすいです。この親切すぎるほどの配慮に好感度も上がります。一つの図に複数の作業工程をゴチャゴチャ詰め込んで分かりにくくしている傾向の強いドラゴンなどには是非見習っていただきたいものです。

 

 ステップ19を経てステップ20に進みました。

 

 ステップ21でカット指示が出ている不要部分です。

 

 不要部分をカットしました。出来た穴は外側にも貫通しているため、後でプラ材で埋めました。

 

 ステップ22が完了した時点での状態です。機銃手の収納式シートが左右の壁面にセットされました。

 

 ステップ23で上図のように右側面部を組み付けました。

 

 ステップ24からステップ26までは背面部とその機銃を組み立てます。ステップ27では左側面部を取り付け、ステップ28では銃塔から後ろの天板を取り付けます。

 

 ステップ24で組み立てる背面部のパーツです。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ25で背面の機銃を組み立てます。

 

 ステップ26で背面部と機銃を取り付けました。

 

 機銃は後方に向けて突き出されます。銃塔も後方を向きますが、そちらは前方や左右の射界を受け持つのでしょう。

 

 ステップ27とステップ28はまとめて行ないました。

 

 組み上がりました。相変わらず綺麗に組み合わさってゆくので、こんな組み立て易いキットもそうそう無いな、と改めて感心しました。ラトビア共和国のプラモデル製品は素晴らしい、バルト三国の新たな若き産業成長力に乾杯、と言いたい気分でした。  (続く)

 

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晩夏の京都御苑5 鷹司邸跡と富小路休憩所

2023年01月19日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 堺町休憩所での小休憩ののち、残る一ヶ所の休憩所施設、富小路休憩所へと向かいました。旧九條邸跡の北を通り、上図の堺町御門を右手に見つつ通り過ぎました。

 

 同行者が「あれですよ」と嬉しそうに指さした先に、富小路休憩所の建物が半分ほど見えていました。同行者はこの富小路休憩所がお気に入りで、大学時代にはよく入って試験や課題のレポートを書いたり、友人たちとお喋りして遊んでいたのだそうです。

 

 途中で左手に案内板を見つけました。ここも何かの遺跡なのか、と訊くと同行者は「鷹司(たかつかさ)卿の屋敷跡ですよ」と答えました。

 

 鷹司邸跡の案内板は字がかすれて読みにくかったです。宮内庁管轄エリアの案内板が綺麗にメンテナンスされて読みやすいのとは対照的です。環境省はもう少し頑張らないといけませんね。

 鷹司家は、藤原北家嫡流近衛家の庶流で公家の五摂家の一にして明治期以降は華族の公爵家となった家です。鎌倉期の建長四年(1252)に近衛家実の四男の藤原兼平が摂政・藤氏長者宣下を賜って以後、子孫が他の摂関家と交互に摂政・関白に任ぜられています。
 鷹司の家名は、藤原兼平の邸宅が鷹司室町に所在したこと由来します。現当主で伊勢神宮宮司などを務めた鷹司尚武氏は26代目にあたります。

 

 富小路休憩所に着きました。京都御苑内にある五ヶ所の休憩所施設のうち、最も地元住民に親しまれて利用頻度も高いそうです。その主な理由として、周囲に野球場、テニスコート、ゲートボール場があり、地域住民のためのスポーツ公園のようなエリアになっていることが挙げられます。それで、スポーツで汗を流した後は富小路休憩所で、となるわけです。また、東側の外郭外に市営駐車場があって気軽にアクセス出来るのも大きいでしょう。

 

 しかも上図のようにオープンな無料休憩所で、誰でも自由に利用出来ます。近衛邸跡休憩所のようにテナントが入って有料になるとか、清和院休憩所のように京都迎賓館の受付施設同然になってしまっているとか、そういう風にはなっていませんから、入りやすいです。
 この日も、学生さん二人が奥のテーブルで楽しそうにお喋りしていました。同行者がお気に入りであるのも理解出来ました。

 

 それから周囲を回ってみました。富小路休憩所の東隣にテニスコート、北側一帯が富小路広場となっていて、ゲートボール場が二面、野球場が二面あります。片方の野球場で地元の女性ソフトボール部らしいのが練習試合をやっていて、同行者がそれをしばらく観戦していましたので、それに合わせました。

 

 野球場の西側には、上図の案内板がありました。明治期に毎年開かれた日本最初の博覧会の常設会場がここにあったそうです。
 博覧会は、京都博覧会社(のち京都博覧協会と改称)が主催して昭和三年(1928)までほぼ毎年開催されました。初回は西本願寺、第二回から九回までの会場は大宮御所・仙洞御所、明治十四年(1881)の第十回からここの常設博覧会場で開催されました。明治三十年(1897)に岡崎公園に博覧会館が建設されたため、大正三年(1914)以降は岡崎の京都市勧業館が博覧会会場となりました。

 

 同行者が「富小路広場の北西には桜町という場所があって、源氏物語ファンの聖地の一つになってるんですよ」と説明しつつ、その場所へ案内してくれました。

 

 現地の案内板です。ほう、紀貫之の邸宅跡がこの辺りですか・・・。源氏物語の中川家屋敷のモデル地ですか・・・。なるほど。  (続く)

 

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無限軌道杯の大洗女子学園チームのフラッグ車

2023年01月18日 | ガールズ&パンツァー

 御存知、大洗女子学園カメさんチームの駆逐戦車ヘッツァーです。最終章第1話の無限軌道杯第1試合、対BC自由学園戦のスタート後に、チームのパンツァーカイルの先端に占位して進撃しています。隊長河嶋桃が上半身を車上に出して偵察を行なおうとしています。車体の左後方に青色のフラッグが翻っていますので、このヘッツアーがフラッグ車を担当していました。
 カメさんチームはテレビシリーズ第5話の対サンダース大付属高校戦でもフラッグ車を務めていますので、あんこうチームに続く経験数を持っています。

 

 最終章においてヘッツアーがフラッグ車を務めたのは、第1試合の対BC自由学園戦、第2試合の対知波単学園戦においてでした。つまりは無限軌道杯において二度もフラッグ車を担当しているわけです。

 そして第1試合では全般的に僚車のガードを受けていて難なく勝利へとたどり着き、第2試合では橋を落とされたために単独行動に移って最終段階の奇襲成功による勝利まで一切所在が不明でした。いずれも敵の標的になって射撃にさらされるという状況には陥っていなかったようなので、フラッグ車としての行動においてある程度の安全性は確保されていたということになるでしょうか。

 

 ところが第3試合の対継続高校戦においては、なんとアリクイさんチームが初フラッグ車の重責を任され、猫田舞以下は意気軒昂となっていました。それまでフラッグ車を2度も務めたヘッツアーが、第3試合も担うのは大変だと判断されたのか、それとも別の思惑によって変更になったのかは分かりませんが、それにしても三式中戦車チヌの担当はやや不可解にも感じられます。対戦経験が無くて判断データも皆無である継続高校を相手にするには、この布陣でなければならない、というような基本方針に基づく配置なのかもしれませんが、第3話の時点ではその内部事情を伺わせる描写は一切ありませんでした。

 それどころか、相手の雪だるまからの奇襲を受けて集落内での守りの布陣を崩され、敵の追撃を受けてバラバラになり、三式中戦車チヌはあんこうチームのⅣ号戦車H型と2輌だけになって雪原に退避する流れとなりました。そして唯一の護衛のⅣ号戦車H型が敵の悪魔的な狙撃によって脱落、フラッグ車だけが孤立してなおも相手の射界内に捕捉されているという、テレビシリーズの対プラウダ高校戦の際のアヒルさんチーム八九式中戦車甲型の時と同じようなピンチに陥ったのでした。第3話はそこで終わっていますから、その後の流れは、第4話を待つしかありません。

 これまであまり言及されていませんが、今回の第3試合においてなぜフラッグ車が替わったのか、という点は現時点でも解き明かされていません。対継続高校戦という初経験の状況への対処法の一つであったのかもしれませんが、試合の経緯は想定外の繰り返しになっている感じです。なかなか先も裏も読めません。

 もし、カメさんチームが3度目もフラッグ車を担当していたならば、Ⅳ号戦車H型が狙撃でやられても三式中戦車チヌが孤立するだけになって、あとは猫田舞たちの奮闘が展開される成り行きにとどまるわけです。でも、それではストーリーが単純で緊張感にも欠けて面白くならないから、この窮地にフラッグ車を置いてみる、という発想で三式中戦車チヌにあてたのかもしれません。

 ただ、この場合でも、カメさんチームは第1試合、第2試合と同じように比較的安全な環境にて作戦行動していることになります。ひょっとすると、それが第3話のストーリー上の狙いなのかもしれません。ヘッツアーを試合のクライマックスで大いに活躍させるために、あえてフラッグ車任務から外して登場場面も抑えてゆくのかもしれません。

 周知のように、Ⅳ号戦車H型が撃破されて西住副隊長以下の精鋭あんこうチームが戦列外に退いてしまいました。その後のチーム全体は誰が統率するのか、という問題に突き当たります。隊長は河嶋桃ですが、統率するどころかパニックに陥るかもしれません。西住みほ並みの指揮はまず無理でしょう。
 ファンの間では、ここで澤梓が一気に覚醒して・・・、などというような流れが多く期待されているようですが、澤梓の慎重かつ控えめな性格を踏まえると、劇的な変化は取りにくいだろうと思われます。
 やはり、隊長の河嶋桃が、というより河嶋桃の上位に立つ角谷杏が前生徒会長の位置もふまえて何らかの形で一時的にイニシアチブをとるでしょう。そしてあんこうチーム脱落後の緊急対応策を河嶋桃の口を通して伝達してゆくでしょう。

 問題は、その後の作戦上の指揮も角谷杏が引き続いて執るかどうか、という点ですが、個人的にはここで「後は宜しくー」とか何とかのんびり言って、さらりと次期隊長候補の澤梓への権限移譲を図るのではないかな、と思います。それによって慎重な澤梓にも徐々にスイッチが入って、持ち前の果敢な判断と勇敢な戦いぶりをみせてくるのではないか、と妄想しているわけです。

 なので、第3試合の後半戦においては、たぶん澤梓が実質的に指揮を執るだろう、と期待しています。そういったストーリー展開への布石としての、やや唐突にも感じられるアリクイさんチームの初フラッグ車任務、であったのかもしれないな、と思う次第です。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く26 その4  旧鰍沢中部小学校

2023年01月17日 | ゆるキャン△

 川窪書店を辞して国道52号線を北上、しばらく右手に富士川の悠々たる流れを見つつ、鹿島橋を過ぎてまもなくの鬼島地区で左の脇道に入りました。そのまま宅地の中の坂道を登って、上図の鰍沢中部小学校の跡地に着きました。車を回してバックで敷地内に入れました。時刻は14時12分でした。

 

 現在は北の鰍沢中心街にある鰍沢小学校に移転統合されて廃校となっています。が、上図のようにまだ新しい立派な校舎であるので、閉鎖状態のまま、富士川町教育委員会の管理下に置かれているようです。

 この学校跡が、ゆるキャンの劇場版にて犬山あおいが教師を務める学校のモデルとなって外観もそのままに登場しています。さらに劇場版キービジュアルポスターの犬山あおい版はこの校舎の内部を舞台としています。それで一躍、ゆるキャン聖地の一つに加わりまして、私が訪れてしばらく経った後に、ファン向けに校舎内部を公開するイベントも行われています。

 

 グラウンドの片隅にある閉校記念碑です。いまや日本中の各地で廃校になった小中高の学校校舎を見かけるようになりましたが、つまりは少子化および地域の衰微化が目に見えるほどになってきている、ということです。

 そういえば、ゆるキャンの聖地中の聖地である本栖高校も、実際には廃校になった下部中学校の敷地をモデルにしています。現役の学校をモデルにした場合よりは聖地巡礼者の来訪時のトラブルが無くて良い、という利点もありますが、地域創生および地方再編の観点からすれば、廃校が増えるのはあまり良い事ではありません。その地域の人口が減って若い人が居なくなっている、という傾向を証明しているからです。

 

 なので、ここ鰍沢中部小学校の校舎も、御覧のとおりまだまだ使用出来そうなのに、現地の子供たちが減少してゆく状況に耐えられずに移転統合の運びとなったわけです。
 この校舎が建ったのが昭和60年なので、35年余りが経過していることになりますが、全国の小中学校施設の施設の大半が昭和50年代の建築で多くが現役でありますから、ここの建物は新しいほうに属します。私の出身校の小中高のいずれも建物はもっと古い時期の建設になりますが、現在も現役です。

 

 校庭の様子です。平成26年の移転閉校から10年になろうとしていますが、御覧の通り、荒れているでもなく寂れている雰囲気でもなく、現役のグラウンド施設と大して変わらない状況です。定期的にメンテナンスがなされているのか、それとも地域のイベント等で不定期に使用されていて人々が入っているか、のいずれかでしょうか。

 

 このあたりの遊具類もゆるキャン劇場版に登場していたように思います。私自身は劇場版のほうはあまり感動しなかったので、視聴も一度で終わっていて、内容もいまでは忘れかけています。個人的には主要キャラクターが本栖高校の野クルメンバーと準メンバー、という世界観のほうが好きなので、彼女たちが社会人になってからの物語にはあまり魅力を感じないのです。

 

 なので、劇場版の聖地であるこの学校施設には、たまたま移動ルートの途中にあるのでついでに立ち寄った、というのが実態でした。

 この廃校跡は現在も状態が良いようなので、もしかしたら下部中学校跡のようにゆるキャンイベントの会場に供されて、校庭キャンプとかが開催されていったりする流れになるかもしれません・・・。
 いまやアニメ聖地というのは、地域振興や観光行政の重要な素材として全国的に見直されてきている傾向がありますから、各地でアニメ聖地をとりあげて人寄せを図る所が少なくありません。山梨県では既に県をあげてゆるキャンを後援し様々なイベントを仕掛けていますから、地元富士川町としても、今後何らかの動きを見せてくるかもしれませんね。

 

 校舎中央の向かって右寄りにある上図の半円形の張り出し部分は、内部が階段およびワークスペースになっています。その内部が、劇場版キービジュアルポスターの犬山あおい版の舞台になっています。熱心なファンは内部も見たがるようですが、私は外観を見ただけで充分でした。なぜならば、私の出身の小中学校にもほぼ同じ造りの部分があって内部も似ているからでした。  (続く)

 

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