気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 完成です!!

2022年11月30日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業に入りました。下地をサーフェイサーで作り、続いてクレオスのミスターカラーの69番のグランプリホワイトを吹き付けました。ISU-152はIS-2と同じく車輪が鋼製でタイヤゴム部分がありませんので、その塗り分けが不要で楽です。

 

 ベルト式履帯をはめ込みました。

 

 車外装備品類を塗りました。スコップなどの金属部分は28番の黒鉄色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。

 

 ノコギリの金属部分も28番の黒鉄色で塗りました。

 

 クリーニングロッドを取り付けました。

 

 予備履帯を28番の黒鉄色で塗りました。

 

 車体側面の装備品は、校章マークのデカールを作中車に合わせて貼った後に取り付けました。上図は左側面です。

 

 右側面の校章マークは前寄りに位置しています。鶴嘴の位置も、作中車に合わせて再現しました。

 

 キットにはパーツが見当たらなかったアンテナもプラ棒で再現しました。

 

 最後に砲身の取り外しが自在であることを確かめ、いったん取り外した状態でつや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 以上で、コミック「プラウダ戦記」プラウダ高校チームのISU-152が完成しました。製作日数は、2022年7月3日から7日までと8月18日の6日間で、組み立てに約5日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。イタレリ発の古いズベズダ製品を使用したため、パーツ数は最低限で組み立ては楽でした。ガルパン仕様への工作ポイントも幾つかありましたが、いずれも簡単な改造や修正で済みました。大きな車輌のわりには楽に作れたという気がします。

 今回の車輌は、ガルパンのアニメ、コミックを通じてプラウダ高校チームにおける唯一の砲塔固定の自走砲であるという点でなかなかに面白いテーマでした。モデルのソ連軍は第二次大戦中に多くの自走砲を開発し運用していましたが、ガルパンのアニメ版ではなぜか顧みられることがなく、コミック「プラウダ戦記」にて初めてISU-152が出てきた形です。アニメ版の製作側がソ連の自走砲をあまり好まなかったからでしょうか。

 

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プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 作ります!! その6

2022年11月29日 | ガルパン模型制作記

 ステップ9でラストの工程が終わりましたが、ガルパン仕様への追加工作が四つ残っていました。まずは、上図赤円内に示した右前燃料タンクの固定用円環を2つ自作します。

 

 プラペーパーを細長いベルト状にカットして、燃料タンクのパーツに巻き付けて繋いで円環としました。

 

 架台の上に適当にセットしました。位置が上にズレましたが、まあいいか、と割り切りました。

 

 続いて、二つ目の追加として工作車体前面の予備履帯を取り付けました。履帯の内面を外側に向け、中央に4枚繋ぎ、左右に1枚ずつを並べましたが、これはIS-2の予備履帯と共通です。

 

 三つ目の追加工作は、上図の作中車天板上3ヶ所のペリスコープの覆い蓋の追加です。キットのパーツでは覆い蓋が無いので、プラ板で追加します。

 

天板上3ヶ所のペリスコープに覆い蓋を設けました。

 

 四つ目の追加工作は、車体前面右側に付く前照灯の減光カバーの追加です。キットのパーツでは普通にレンズのパーツをはめるだけでカバーはありませんので、赤円内の状態に合わせます。

 

 プラ板でそれらしく作って形を適当に合わせました。似たようなパーツがジャンクにあったかな、と探しましたが見つからなかったからです。

 

 以上で塗装前の組み立てとガルパン仕様への追加工作が全て完了しました。今回はイタレリ発の古いズベズダ製品を使用しましたが、タミヤやドラゴンのキットを使った場合は諸部分が作中車に近いので、今回の組み立てにて実施したガルパン仕様への追加工作の幾つかは不要になります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その16  駅前甚六公園

2022年11月28日 | ゆるキャン△

 勝沼ぶどう郷駅の駅舎の南側の「駅前甚六公園」へ行きました。この日の聖地巡礼の最後の目的地でした。既に時刻は16時を過ぎており、その後は甲府まで戻ってどこかで夕食をとって宿に入る予定でした。太陽は西に大きく傾きつつありました。

 

 改めて、原作コミック第13巻73ページ2コマ目のアングルで撮りました。こんな感じで各務原なでしこは撮っていたようですね。公園の名前は作中でも同じですが、店舗や施設の名前と違って、公園などの公共施設の名称は変えたりしないようです。

 

 この公園の範囲も、かつての旧勝沼駅のスイッチバック方式の線路の敷地をそのまま転用していると聞きます。上図の電気機関車の展示位置が本線の跡で、その手前の広場が2本あった駐機線の跡らしいのですが、どこからどこまでがそうであったのかは案内板にも図面がなくてよく分かりませんでした。

 

 公園内には上図の車輪も展示されていますが、案内板も説明表示も無いので、何の車輌の車輪なのか、ここに保存展示されている理由、は全く分かりませんでした。

 

 電気機関車はEF64形の18号機です。工場で整備されたばかりのようなピカピカ状態なので驚きましたが、説明板によれば今年の春にふるさと納税を活用したガバメントクラウドファンディングにより、設置当初の姿にお色直しを実施したそうです。

 

 説明板です。要約しますと、このEF64形18号機は、1966(昭和41)年5月に製造され、勾配のきつい山間部用として主に中央本線で使用されました。2005年(平成17)3月に廃車となり、翌2006年(平成18)11月に「勝沼ぶどう郷駅前公園」に静態保存されて現在に至ります。このEF64形18号機は「0番台」と呼ばれる基本番台で、わずかに現存する数少ない0番台のうちの1両であります。その価値の高さによって保存されているわけです。

 

 各務原なでしこが「ほおぉーーっ」と興奮して各所をスマホ撮影していた、原作コミック第13巻73ページ3コマ目のアングルです。作中車は屋根上のパンタグラフが両方とも上に展開されている状態ですが、実際には上図のように片側がやや畳んだ状態になっています。

 

 原作コミック第13巻74ページ4コマ目のアングルです。姉の桜に「あんた最近こういうレトロな電車が好きなのよね」と言われ、「うん、大井川でアプト式に乗ってから何かいいなぁって思うようになって」となでしこが返しています。その次のコマで、桜がスマホで検索して紹介していた群馬のレトロな電車を集めた博物館は「横川鉄道博物館」とあります。横川とあるので、群馬県安中市松井田町横川に所在する「碓氷峠鉄道文化むら」がモデルです。施設の外観や展示車輌がそのまんまですから、行ったことがある私にもすぐ分かりました。

 

 ゆるキャンには、この他にも山梨県内の各地で静態保存されている鉄道車輌が幾つか出てきます。コミック第14巻9ページでも2ヶ所が描写されていますが、いずれも車やバイクでないと行けないような所にあって、鉄道マニアでないと行かないだろうな、と思います。原作者のあfろ氏がたぶん鉄道マニアでもあるのかもしれません。

 

 原作コミック第13巻73ページ1コマ目のアングルで、ドヤ顔でピースサインの各務原なでしこの真似をして記念の自撮りを行ないました。が、どうしても笑ってしまってドヤ顔が出来ませんでした。ゆるキャン聖地巡礼中はだいたい至福の笑顔になっているホシノです。
 その後は南の廃線跡の遊歩道を少し歩いて、奥の大日影トンネルの入り口を見て満足し、引き返しました。

 

 駅には16時15分に戻り、3分後の16時18分発の普通列車に乗って甲府へ戻りました。16時42分に甲府駅で降りて駅ビル内のレストランで早い夕食をとり、18時過ぎに駅北口のビジネスホテル「甲府ステーションホテル」に入りました。

 以上がこの日の鉄道利用でのゆるキャン聖地巡礼の経緯でした。原作コミック第13巻に収録される各務原姉妹の桜めぐりドライブルートのうち、身延線の内船駅、および中央本線の石和温泉駅と塩山駅と勝沼ぶどう郷駅から行ける聖地スポットを抽出して徒歩またはレンタサイクル、タクシー利用で回ったものです。

 翌日からはレンタカー利用にてさらに広範囲を回りましたので、この日の巡礼レポートは内船、石和、塩山、勝沼ぶどう郷編として括ります。翌日の巡礼行程は、新たに25番目のレポートとして綴ります。  (了)

 

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プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 作ります!! その5

2022年11月27日 | ガルパン模型制作記

 ステップ9では砲身などを組み立てて車体にセットします。燃料タンクは既にステップ8にて3個を取り付け済みです。またハッチ横の機銃は作中車にありませんので、関連のパーツは全て不要です。また、ガイド図には載っていない車体前面の予備履帯が作中車にはあり、そのパーツも今回のキットには入っているので活用します。

 

 砲身と予備履帯と前部の牽引フックのパーツです。

 

 砲身のパーツのひとつ3Cにて、ガルパン仕様への工作を施します。上図にて赤ペン先で示した位置に穴を開けます。

 

 作中車の同位置に穴があるのが分かります。位置からみて砲照準器の覗き穴と思われます。

 

 ピンバイスで開口しました。

 

 砲身と予備履帯を組み立てました。

 

 砲身を仮に組み付けました。この状態ですと全長が25センチを超えますので、部屋の陳列棚のスペースからもはみ出します。箱への収納も難しくなりますので、砲身は取り外し自在として接着しないことにしました。

 

 砲身基部の上に付く装甲板7Cが、偶然にも砲身を車体にセットした際の押さえの役目を果たしてくれました。接着せずに砲身をセットしても、しっかりと固定されます。

 

 砲身部分の組み立ては完了したのでいったん取り外して、次のガルパン仕様への追加工作に進みました。上図のようにフェンダー前端を短くカットします。
 このフェンダー前端の短縮は、以前に同チームのIS-2を製作した際にも同じ寸法で切り詰めたのと同じ改造です。今回のISU-152はIS-2の車体をベースとしていますから、フェンダー前端の短縮状況は共通するわけです。

 

 フェンダー前端を短くカットしました。これで正面観の雰囲気が作中車に近づきました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その15  旧勝沼駅跡

2022年11月26日 | ゆるキャン△

 勝沼ぶどう郷駅前公園の鉄橋を渡って旧勝沼駅ホーム跡に入りました。旧勝沼駅のホームおよびスイッチバックの線路跡一帯には約1000本の桜があり、上図のように甚六桜公園と呼ばれます。甚六の名は、公園の桜を管理育成する地元菱山地区の団体「甚六会」の名に因むそうです。

 ゆるキャンの聖地スポットは、この甚六桜公園と、その南に隣接する駅前甚六公園の二ヶ所にあります。

 

 甚六桜公園の旧勝沼駅ホームの駅名標です。立川方面の次の駅名が昔のままになっています。志摩リンはここを訪れてこの駅名標も撮っています。原作コミック第13巻72ページ2コマ目のアングルです。

 

 ホームはいまも残されています。昭和43年に廃止されて以来の姿で、線路部分は遊歩道になっています。このホーム横を北端まで進みました。上図奥が、現在の中央本線との合流地点跡です。志摩リンはここまで行って引き返す形で、ホームの両側を回っています。

 

 引き返してホームを北から見ました。ホームの左側の線路跡は現在の駅の斜面下になって幅も狭くなっていました。その幅の狭い線路跡を、志摩リンはスマホで撮影しながら南の公園入口へ戻っています。当然ながら、私も同じように進みました。

 

 この位置が、原作コミック第13巻72ページ3コマ目のアングルです。桜の時期には薄桃色のトンネルになっていることでしょう。この位置で志摩リンがスマホで景色を撮っています。

 

 そのまま鉄橋を戻りました。線路跡に位置することは、橋の下にかつての鉄橋のコンクリート製橋台が白っぽく見えることからも分かります。

 

 線路跡は西側が開けて御覧の眺めです。甲州市の北の丘陵から南の盆地への地形が一望のもとに見渡せます。かつて甲府市の歴史観光団体に参加していた時期、勝沼エリアにおいては武田信玄の叔父にあたる勝沼信友の本拠地であった国史跡の勝沼館跡へ行った事があります。駅からは約2キロほど南にあります。

 

 駅前の広場に戻りました。駅前の道路沿いに時計台があります。原作コミック第13巻72ページ1コマ目のアングルです。志摩リンの散策シーンでこの景色が最初に描かれることから、志摩リンは駅前南側のレンタサイクル駐輪場の奥の駐輪場にビーノを停めたようです。

 

 勝沼ぶどう郷駅の立派な駅舎です。駅舎内部にはコンコースや駅事務室や待合室があるほか、市の観光案内所をかねたコーヒー店と市営のワインショップが併設されており、特産の甲州ワインの販売がなされています。

 

 駅舎の南側の「駅前甚六公園」へ行く遊歩道の脇に、上図の旧勝沼駅の説明板がありました。それによると現在の駅舎は昭和55年に完成しています。

 なので、平成の始めに甲府市の歴史観光団体に参加していた時期、ここにも一度来ているので今の駅舎を見た筈なのですが、全然記憶がありません。国史跡の勝沼館跡の見事な構えの姿が、記憶の深海のなかにポツンと浮き上がっているのみです。  (続く)

 

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プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 作ります!! その4

2022年11月25日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8では車体各所の部品、燃料タンクなどを組み立てます。ここではガルパン仕様への改造および修正が幾つかありますので、各作業工程にて順に紹介してゆきます。またパーツ23C、28Bは作中車に見えませんので不要です。

 

 ステップ8にて取り付けるパーツ類です。色々あって位置も変えたりしますので、間違えたり無くしたりしないように細心の注意をはらいました。

 

 上図の白っぽい3つのパーツは、ノコギリと燃料タンクの架台です。作中車に見えますが今回のキットにはパーツが含まれていないので、AFVクラブのT-34/85用の不要パーツを持ってきました。

 

 ノコギリは、上図のように作中車の右側面前部に装備されていますので、これに合わせます。

 

 燃料タンクは、ガイド指示では4個作りますが、作中車は3個を装備していますので、3個作りました。

 

 戦闘室側面の手摺つまりハンドルは、ガイド指示とは位置がやや異なり、数も3つではなくて5つ必要です。キットには幸いにもパーツが片面5つ入っていましたので、そのまま使って作中車の位置に合わせて取り付けました。

 

 車体後部のパーツは特に変更点も無いので、ガイド指示にしたがって組み付けました。

 

 戦闘室右後ろのハッチもガイド指示にしたがって組み付けました。

 

 続いて車体上部の底面をヤスリ調整して、下部車体とのすり合わせを行ないました。下部車体は組み立ての際に反りや歪みがあって瞬間接着剤で強引に組み立てているため、僅かな隙間やズレが残っているかもしれないと思っていましたが、その心配は杞憂に終わりました。

 

 御覧のように、上下の車体は隙間なくピッタリと合わさりました。

 

 燃料タンク3個と、フェンダー後端部の25Bを取り付けました。

 

 作中車の燃料タンク装備数は3個で、赤枠内の右前のタンクが無くて固定用の円環だけが見えます。タンクが無いとこういう状態になるのでしょうが、初めて見た気がします。円環の下には架台の一部らしきものも見えます。

 

 そこで、AFVクラブのT-34/85用の不要パーツより架台をもってきて上図のように取り付けました。円環は後でプラ板で作って取り付けることにしました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その14  勝沼ぶどう郷駅の下

2022年11月24日 | ゆるキャン△

 塩山の慈雲寺は、桜の時期には境内の各所に花が咲き、花見客が大勢訪れるため、参拝者駐車場は閉鎖となって近くの小学校のグランドを臨時駐車場に開放するなどの手配をしたうえで、そこから徒歩で寺まで移動する形になるそうです。人数によっては通行規制や入山制限などの処置もある、とタクシーの運転手さんが話して下さいました。

 なので、上図の山門からの道も混雑するそうです。この道幅ですから、通行規制や入山制限などの処置は必須だろうな、と納得しました。

 

 とにかく、地元では桜の名所として有名な禅寺です。現に塩山駅でも観光案内所でもタクシーでも、慈雲寺と言うと「ああ、枝垂桜の」という答えが返ってきました。だから各務原姉妹もわざわざやってきたのでしょう。実際に桜の時期に聖地巡礼するという選択肢もありますが、個人的にはこのような静かな落ち着いた時期に訪ねるのが好みです。

 

 参道脇の上図の説明板には、当地が五千円札でお馴染みの樋口一葉の両親の地元である旨が記されています。樋口一葉(本名樋口奈津)は東京生まれですが、その両親樋口則義と多喜は当地の出身で、二人ともここ慈雲寺の寺子屋に通っていて知り合ったのだそうです。
 それで、境内に樋口一葉の文学碑があるわけか、と納得しました。

 

 慈雲寺の周囲は農地が広がっていて、民家は疎らでした。「昔からあんまり変わっていませんよ、この辺りはねえ」とタクシーの運転手さんが言いました。それから塩山駅まで戻っていただき、15時8分に駅北口でお礼を言って降りました。次の列車の時刻は、その6分後の15時14分でした。塩山での巡礼滞在所要時間は一時間2分でした。

 

 4分後の15時18分、この日の最終目的地である勝沼ぶどう郷駅で降りました。昨日の京都からの切符をここまでで購入して三日間有効となっていたので、それまでの全ての駅で途中下車が可能だったわけです。

 ゆるキャン聖地巡礼で鉄道を利用する場合は、身延線でもそうでしたが、最終目的地までの一枚を買っておいて途中の駅で途中下車して巡礼スポットを回ります。たいていの場合はどこかに泊まりますので、日にちをまたいで利用することになり、切符購入の際にそれを申し出ると、三日間または四日間有効になりますので、今回のように富士宮で前泊して身延線、中央本線と乗り継ぐことが出来るわけです。

 

 かくして、この日の巡礼行動のラスト、勝沼ぶどう郷駅に無事着きました。事故も遅延も思わぬアクシデントもなくてホッとしました。この日はここでの聖地スポットを幾つか回り、折り返して甲府へ戻って宿に入る予定でした。

 

 最初の聖地スポットは、志摩リンが訪れた場所でした。駅を出て右手に行き、線路の下の園地の散策路をたどって上図の「勝沼ぶどう郷駅前公園」に入りました。

 

 駅の北側の県道38号線上の鉄橋を渡りました。歩道の橋にしては立派な造りですが、かつてここにあった旧勝沼駅の線路の鉄橋を模しているのでしょうか。鉄橋の奥が旧勝沼駅のホームにあたります。

 

 鉄橋をわたる途中で、右上にいまの勝沼ぶどう郷駅のホームが見えました。降りた際に撮った駅名標も見えました。えらく高い所に線路を移したのだなあ、と思い、同時に勝沼ぶどう郷駅のホームが傾斜地に建っていて北(上図の左側)が低く南(上図の右側)が高くなっていることにも気付きました。

 なるほど、列車の性能向上によって傾斜地でも駅に停まれるようになったから、現在の位置に線路を移して駅も新たに設けて勝沼ぶどう郷駅としているわけか、と納得しました。かつての勝沼駅は、傾斜地で列車が滑って停まれないために地盤を水平化してスイッチバック方式で建設された駅であったからです。その跡地が、ゆるキャンに登場して聖地のひとつになっているわけです。  (続く)

 

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プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 作ります!! その3

2022年11月23日 | ガルパン模型制作記

 ステップ7では上部車体のハッチ類などを組み立てます。ガルパン仕様への追加工作が多数加わります。作業した順に述べてゆきます。

 

 ハッチは天板前部の左右の2ヶ所にありますので、2つを並行して組み立てます。いずれもピットマルチ使用にて開閉自在にしますので、ガイド図の閉状態に合わせて作ります。それからガルパン仕様への工作の一つ目に進みます。

 

 2ヶ所のハッチのうち、右側につくハッチの枠パーツ9Cには、赤枠で示した機銃架の基台がモールドされていますが、作中車にはありません。

 

 御覧の通り、作中車の右ハッチには機銃架の基台がありません。

 

 機銃架の基台部分をカットしました。

 ハッチを2つとも組み付けました。

 

 ガルパン仕様への工作の二つ目は、上図にて赤ペン先にて示した左右フェンダー上の二番目のステーを除去することです。

 

 御覧の通り、作中車においては左右フェンダー上の二番目のステーがありません。

 

 左右フェンダー上の二番目のステーを削り取りました。

 

 ガルパン仕様への工作の三つ目は、左フェンダー前部にセットされている2個の牽引ホールドの後ろの1個を前に向けて立てることです。ガイドでは2個とも横にセットしますが、上掲の作中車のシーンを参考にして合わせます。

 

 作中車に合わせて2個の牽引ホールドの後ろの1個、パーツ29Bを前に向けて立てました。

 

 他に取り付けるパーツのうち、26Bは左側のものだけを作中車に合わせて位置を右に寄せます。警笛の27Cは2ミリ下に移します。前照灯の25Cは2ミリ上に移し、独自のカバーを自作します。方形パーツの22Cは下へずらして下端をフェンダーに付けます。また、ガイド図には28Bのパーツもありますが、作中車には無いので不要です。

 

 組み上がりました。車外装備品のスコップ19C、パール20C、クリーニングロッド28Cは塗装後に取り付ける予定です。

 

 ステップ7の工程が完了しました。各部のパーツの幾つかは取り付け位置をずらして作中車に合わせましたので、上図の正面観も作中車にだんだんと近づきました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その13  塩山の慈雲寺

2022年11月22日 | ゆるキャン△

 石和温泉駅で14時発の列車に乗り、次の目的地へ移動しました。

 

 次の目的地の塩山駅には14時12分に着きました。12分の列車移動でした。塩山駅からは聖地スポット1ヶ所へ行きました。

 

 聖地スポット1ヶ所とは、上図の慈雲寺でした。原作コミック第14巻3ページに登場する臨済宗の禅寺です。各務原姉妹と志摩リンの3人が勝沼ぶどう郷駅の駅前甚六公園で出会って後、ここの枝垂桜を見に来ています。

 

 原作コミック第14巻3ページ3コマ目のアングルにあわせて寺号標を撮りました。天龍山の山号が示すように、京都の天龍寺を本山とする妙心寺派の夢窓疎石によって開かれたといいます。

 

 山門です。参道はさらに南の車道まで伸びており、その東側には観光バスが20台は余裕で停められそうな広い参拝者駐車場があります。

 この慈雲寺へは、塩山駅からタクシーで行きました。駅からの距離は約2.5キロありますので徒歩だと時間がかかります。バス路線が近くを通りますが便数が少なくて不便です。塩山駅のレンタサイクルを利用する手もありますが、駅からの2.5キロは殆ど登り坂です。塩山駅改札口横の観光案内所の人に「レンタサイクルは絶対止めたほうが良い、タクシーで行くのが良い」と勧められた次第でした。

 で、タクシーに乗ってみて分かったのは、寺までの道が本当にずっと登り坂で、かなり急なので徒歩でも相当キツイということ、駅から寺までの移動時間は約5分、往復の料金は2720円、ということでした。とにかく車やバイクでしか行けない山の上にありますので、今回のような公共交通機関利用の場合はちょっと行きづらいです。

 

 各務原姉妹と志摩リンの3人が見に行った枝垂桜は、と尋ねると「枝垂桜なら、門を入って奥に大きく見えますんで」と親切なタクシー運転手さんは教えてくれたのみならず、自身も降りて山門のところまで来てくれて、門の奥を指してくれました。
 なるほど、御覧の通りの立派な枝垂桜の姿でした。満開の頃の素晴らしさが分かるような気がしました。

 

 枝垂桜の右手には庫裏らしき建物がありますが、この日は人気が全く感じられなくて留守のようでした。法事にでも出かけられていたのでしょうか。

 

 枝垂桜の奥の左手には本堂があります。本尊は聖観音菩薩だそうです。桜越しに一礼しておきました。

 

 正式名称はイトザクラ、ウバヒガンの変種で樹齢は約330年とされています。山梨県の天然記念物に指定されています。

 

 堂々たる老樹の風格です。桜花の時期でなくても充分に見応えがあります。その素晴らしき満開の姿は、寺の公式サイトのギャラリーでも見ることが出来ます。

 天龍山慈雲寺の公式サイトはこちら。  (続く)

 

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プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 作ります!! その2

2022年11月21日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3およびステップ4では、車輪類を取り付けます。ガイドの指示通りに進めます。

 

 取り付ける車輪パーツの全部を切り出して準備しました。今回の車輌の車輪は全て鋼製で転輪も全て鋼製ですので、タイヤゴムは無く、塗り分けも必要ありません。

 

 全て組み付けました。

 

 確かにIS-2の足回りですね。

 

 ステップ5では起動輪の内側のパーツ1個を取り付けます。ステップ6ではベルト式履帯を組み立てます。

 

 ステップ5で取り付ける内側のパーツ1個と、ステップ6で組み立てるベルト式履帯です。

 

 まずベルト式履帯の繋ぎから始めました。瞬間接着剤で繋ぎました。

 

 ステップ5で取り付ける内側のパーツ1個、18Bを取り付けました。ガイドの指示通りに組み立てるのはここまででした。次のステップ7以降においてはガルパン仕様への修正や工作が幾つか追加されます。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その12  戦国期居館の面影

2022年11月20日 | ゆるキャン△

 八田家書院の見学の手始めに、上図の旧石和陣屋表門をくぐりました。時間的余裕は25分ぐらいでしたので、急いで見て回ることにしました。

 

 東面する旧石和陣屋表門の裏に隣接して南向きに建っている、通用門みたいな雰囲気の小さな門です。南側の環濠を渡る小橋から入る場合はこの門をくぐります。旧石和陣屋表門を移築する前までは、この門が八田家書院の表門だったのではないかな、と思いましたが、確認することは出来ませんでした。

 

 書院の周りを環濠が巡っています。防御線ともなる施設で、中世戦国期の武士や有力層の屋敷には一般的にみられたものですが、いまも水をたたえて現存している事例は極めて稀です。

 

 さきの小さな門の前の小橋です。いまは石橋になっていますが、本来は木橋であったことでしょう。環濠の水量を調節する関門が小橋の下に設けられています。これに閉塞板を落とせば、南側と東側の環濠は隔てられて水位も変えることが出来るのでしょう。

 

 八田家書院の建物です。八田家の御朱印屋敷に付属する別棟書院であったもので、屋敷の南に位置しています。現存の建物は江戸初期の遺構で、八田家所蔵の古文書や八田家の菩提寺である真言宗寺院願念寺の書付から慶長六年(1601)の建立であることが判明しています。関ヶ原合戦の翌年にあたります。

 

 八田家書院の内部は西に奥の間、中央に中の間、東に三の間を配置して東西の三室から成り、これに玄関が設けられています。上級武士を招いた記録が残っていることから、接客や応待の場として機能したことが伺えます。戦国期武家居館のいわゆる会所部分に相当しますが、ここの建物は簡素な意匠でまとめられており、屋根も藁葺きです。

 関ヶ原合戦の翌年に建てられたのですから、まだ戦国期の余燼がくすぶっている時期の建物であるわけで、建築技法的には戦国期の延長上にあるものと理解出来ます。戦国期居館の面影を垣間見るような気分にさせられたのも当然でしょう。

 

 八田家は戦国期には甲斐武田氏の家臣として御蔵前衆(蔵奉行)を務める一方、在郷商人としての活動も知られています。江戸期には徳川家康より諸役免許状(朱印状)を受けて安堵され、有力郷士となりました。現在の屋敷地は戦国期以来の位置を保っていますが、規模は縮小されて旧地の多くは宅地化によって失われているそうです。

 

 かつての屋敷跡は変形方形の平面を占めて東西120メートル、南北150メートルの規模であったそうです。現在の八田家書院の区画はその北東部分に相当し、その北側にはいまも上図のように土塁が残ります。

 

 土塁は幅10メートル前後の規模を示します。内側は竹林のままで、まさに戦国期居館の雰囲気そのものでした。土塁の外側には堀が巡らされていましたが、殆どは埋められたりして一部が東側の旧石和陣屋表門の前などに残ります。

 

 北側からみた残存土塁です。中にある八田家書院の建物は全然見えませんでした。土塁が目隠しの機能を併せ持っていたことがよく理解出来ます。

 

 土塁は西側で斜めに伸びていました。変形方形の平面を持つ居館であった様子がよく分かりますが、屋敷地の外郭塁線をこのように不整形に配置する点にも、戦国期の防御思想の一端がうかがえて興味深いです。

 かくして25分はあっという間に過ぎました。次の列車の時刻が迫ってきたので、石和温泉駅へ戻って自転車を返却し、ホームへ急ぎました。  (続く)

 

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プラウダ高校 ISU-152(プラウダ戦記版) 作ります!! その1

2022年11月19日 | ガルパン模型制作記

 ガルパンコミックのひとつ「プラウダ戦記」だけに登場する車輌は全部で5種類が知られます。これらを再現製作しようと思い立ち、プラウダ高校チームのBT-5、KV-1、聖グロリアーナ女学院チームのクロムウェル、ボンプル高校チームのヘッツァーの4輌を作りました。残るは1輌、プラウダ高校チームのISU-152です。

 

 作中では上図のようにSU-152となっていますが、これは間違いです。車体をよく見ますとIS-2のそれと同一になっているからです。したがってIS-2の車体をベースとしているISU-152が正しいです。

 

 作中車がISU-152であることは、上掲のシーンにおける背面の描写からも分かります。車体がIS-2のそれです。SU-152のほうはKV-1をベースにしますので違いは明白です。正面観や側面観ではちょっと見分けにくいかもしれませんが、背面を見ればすぐに分かります。

 

 手元には、嫁さんからプレゼントで貰ったイタレリの古いキットがありました。私がプラウダ戦記の作中車を製作しようと考えている事を知って、いつものように中古ショップで買ってきてくれたものですが、嫁さんは最初はSU-152とISU-152は同一の車輌で、ISU-152のキットでもOKだと思っていたそうです。
 「このISU-152って、プラウダ戦記の作中車だよね」と言うので、作中ではSU152だよ、と返したら、ええー違ったの、と慌てていました。しかし作中のSU152の表記が間違いで、正確にはこのISU152なんだ、と話すとホッとしていて笑顔になりました。当時のツィートはこちら

 はじめは私自身も作中車はSU152だと思っていました。サークルの知人に「プラウダ戦記の作中車はSU152となってるが、おかしい」と言われて説明を受けるまでは、SU152とISU152の相違点を知りませんでした。一見しただけでは同じに見えたからでした。

 

 中身はこんな感じです。履帯は、個人的に救われた思いにもなる有り難いことこの上ないベルト式履帯でした。ベルト式履帯パーツが入っているので、かなり古い時期の製品なのだろうと思いました。

 

 説明書および組み立てガイドです。しかし、イタレリ製品にしては全然それらしくない簡素なガイドでした。ということは、これもどこかからのOEMなのかな、と考えてキットの中身をチェックしてみました。

 

 すると案の定、車体の底面のパーツの表面にズベズダのロゴが入っていました。ズベズタのキットをイタレリが仕入れて販売していたわけです。以前にもイタレリ販売のズベズダキットを作りましたので、またこれか、というのが正直な感想でした。

 同時に、これは手間がかかるだろう、と思いました。作中車は、「プラウダ戦記」に登場する5種類の車輌のなかで最も独自の仕様つまりガルパン独自の要素が多く見られるので、当然ながら改造や修正などの工作が追加されます。さらに作中車の装備品の一部は今回のキットにパーツが含まれないので、ジャンクパーツから該当するパーツを探し出す必要がありました。

 

 ステップ1およびステップ2で下部車体と足回りの軸部を組み立てます。ガイドの指示通りに進めます。

 

 ステップ1およびステップ2の工程をまとめて行うべく、パーツを全て準備しました。が、ズベズダの古い製品によくみられる歪みや反りが幾つかのパーツに生じていました。

 

 歪みは主に車体のパーツに出ていました。それでテープで歪みをおさえて是正しつつ接着固定しました。

 

 車体の底面パーツ1Aに至っては前後の端が反っていたため、テープで上図のように6ヶ所をおさえて瞬間接着剤で強引に繋ぎました。

 

 なんとか形になりました。おさえつけて瞬間接着剤ですぐに固定したため、歪みや反りはほぼ消えました。最初の工作でこのように手間取りましたから、今回も楽には作れそうにもないな、と思いました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その11  石和の足湯ひろばと八田家書院

2022年11月18日 | ゆるキャン△

 石和温泉街の「さくら温泉通り」の東の聖地スポットから、引き返して約400メートルほど戻りました。南北に通る「湯元通り」との交差点で右折して、次の聖地スポットに着きました。

 

 次の聖地スポット、石和温泉足湯ひろばです。原作コミック第13巻70ページ1コマ目のアングルです。武田信玄期の一族と家臣団のパネルがあります。横には広い観光駐車場もあり、観光客が車を停められるのはここだけですので、おそらく各務原姉妹もラシーンをここに停めて、あとは徒歩で桜見物をしていたのだろうと思われます。

 

 原作コミック第13巻70ページ3コマ目各務原なでしこが顔ハメをして姉に撮ってもらった、武田信玄サマです。左に正室の三条夫人、右に側室の湖衣姫つまり諏訪御料人をしたがえています。それぞれに顔が紙で付けてあり、それをめくって顔ハメをするわけです。

 

 3つめの聖地スポットは、石和温泉足湯ひろばの北西隅にあたる上図の信号交差点でした。原作コミック第13巻71ページ3コマ目のアングルです。なでしこがここで北西の山肌に「鳥居みたいな模様」を見つけたのでした。上図では左のカーブミラーの奥に見えます。確かに「鳥居みたいな模様」でした。

 

 その「鳥居みたいな模様」をデジカメの望遠モードで引き寄せて撮りました。確かに鳥居の形でした。

 

 石和温泉足湯ひろばから「さくら温泉通り」に戻って30メートルほど西へ行った地点からは、鳥居の形がハッキリ見えました。原作コミック第13巻71ページ4コマ目のアングルです。作中では近津川の北側は農地になっていますが、現在は2021年7月にオープンした上図のセブンイレブン春日居温泉郷店の敷地になっていました。

 これで石和温泉エリアの聖地スポット3ヶ所を回りましたが、まだ35分ほどの余裕がありましたので、巡礼計画にてオプションとしておいた場所へ向かいました。

 

 もと来た道を駅の方向へ引き返し、「八田書院通り」へ左折して南へ250メートルほど行くと、山梨県を代表する中世戦国期の在地武士居館遺跡である、八田家朱印屋敷跡および八田家書院に着きます。上図の案内板が遺跡の北側の竹林のなかにありました。

 

 八田家書院の東側の表門は陣屋門の構えです。ただし八田家屋敷本来の門では無く、江戸期に徳川政権が設置した石和陣屋の表門を移築したものです。石和陣屋は当地から南西400メートルの所、現在の石和南小学校の一帯に位置しましたが、いまは一切の遺構を残していません。

 

 石和陣屋の表門だけあって、重厚な構えです。門の両脇は長い建物で、おそらくは詰所か倉庫として使われたものと思われます。八田家屋敷地をめぐる本来の環濠とも妙にマッチしていて、城郭遺跡の城門と水濠のセットのような雰囲気が良い感じになっています。

 

 こちらは環濠に囲まれた屋敷地の南側に現存する八田家書院の案内板です。山梨県の指定文化財になっていますが、実は私はここへは甲府の歴史観光団体に参加していた時期にも行った事が無かったので、今回の機会に出来れば立ち寄りたいと考えていたのでした。
 それで、聖地巡礼の最中になんとか約30分の時間的余裕を得て、やってきた次第でした。  (続く)

 

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ボンプル高校 ヘッツアー(プラウダ戦記版) 完成です!!

2022年11月17日 | ガルパン模型制作記

 背面に予備履帯を取り付けました。予備履帯は28番の黒鉄色で塗りました。

 

 車輪類を取り付けました。

 

 履帯を組み付けました。

 

 ジャッキを組み付けました。

 

 側面のスカートを取り付けました。

 

 右フェンダー前端にジャッキ台を取り付けました。以上で塗装後の組み立てが完了しました。

 

 作中車にならって車体側面にボンプル高校の校章マークを貼りました。モデルカステンのガルパンデカールセットに入っているものを使用し、火焔の描かれる左側面では上図のように後ろ寄りの位置に貼りました。

 

 右側面においては中央に貼りました。

 

 最後に、つや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 以上で、ボンプル高校チームの4号車「フファット」のヘッツアーがプラウダ戦記仕様にて完成しました。製作日数は、2022年6月23日から24日までと8月16日の3日間でした。組み立てに2日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。

 今回はサークルの譲渡会にていただいた製作途中のタミヤキットを活用しました。車体の組み立てがほぼ終わった状態でしたので、履帯と転輪を組み、作中車に合わせてマフラーを前期型タイプにて自作するだけで済みました。
 なので、組み立てよりも塗装のほうが大変でした。外縁付きの火焔模様を、なるべく作中車に合わせてトレースするのは簡単ではなく、下書きを二度やり直しました。塗るのもなかなか苦労しましたが、なんとか1日で終えることが出来ました。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く24 その10  石和のさくら温泉通り

2022年11月16日 | ゆるキャン△

 甲府城山手門郭を見終えて駅に戻りました。次に乗る列車の時刻が近づきましたので、甲府駅の中央本線ホームに移動しました。程なくしてやってきた12時45分発の普通列車に乗って、東へと向かいました。

 

 7分後の12時52分、石和温泉駅で降りました。次の聖地スポットは石和温泉地区に3つあります。いずれも原作コミック第13巻の第72話にて各務原姉妹が桜めぐりの途中で立ち寄った場所です。

 

 石和温泉駅の駅舎と南口ロータリーです。昔、甲府の歴史観光団体に参加していた頃、団体の事務局長さんが石和の方で、見学会や飲み会の際にそのお宅に二度ほど泊めていただいた記憶があります。もう20年余り昔の事なので、駅舎もいまの建物に建て直される前の、戦前の建物でした。

 

 さて、今回は滞在時間が約1時間と限られますので、駅舎南口一階の上図の観光案内所へ急いで、レンタサイクルの利用手続きを行ないました。利用は無料で、保証金1000円を払いますが、これは返却時に戻ります。16時半までに返却することが条件ですが、私の場合は14時発の列車に乗る予定でしたから、利用時間は1時間に満たないのでした。

 

 手続きを終え、教えられた通りに駅舎の東側にある上図の駐輪場の奥へ行き、停めてあるレンタサイクルを解錠し、使用者番号札をセットして乗り出しました。

 石和温泉駅のレンタサイクルは、普通の自転車のほかに電動アシスト車もありますが、そちらは有料です。少し迷ったのですが、結局無料の普通の自転車を選びました。

 

 石和温泉街は、泊めていただいた二度も含めて五回ほど訪れていますので、大体の地理は覚えていました。中心の温泉街へは地図を見なくてもスイスイ行けました。

 駅前ロータリーから東に行って突き当りを右折すれば、すぐに上図の近津川を渡ります。この近津川の南側の道「平等川通り」を東へ進んで次の交差点で南北の「八田書院通り」と交わりますが、そこを左折してまた近津川を北へと渡ります。橋を渡ったらすぐに右折して近津川沿いの北側の道を東へと進みます。その道が、原作コミック第13巻の第72話にて各務原姉妹が桜めぐりの途中で立ち寄った「さくら温泉通り」です。

 ただ、各務原姉妹は「さくら温泉通り」の東側へ行っているので、最も東にある聖地スポットは駅からは1キロ余りも離れています。徒歩では時間がかかりますし、バス路線からも外れています。それがレンタサイクルを利用した理由でした。

 

 「さくら温泉通り」の最も東にある聖地スポットに着きました。奥に橋が見えますが、それが「観音通り」の「観音橋」です。その西側の近津川の上に板を敷いて上図の広場が構成されていますが、そこが最初の聖地スポットでした。原作コミック第13巻69ページ3コマ目の場所にあたります。

 

 原作コミック第13巻69ページ3コマ目のアングルに合わせて撮りました。作中で描かれるように、川沿いの並木は全て桜です。

 

 広場から「観音通り」を渡って振り返り、西側を見たところの景色です。原作コミック第13巻69ページ1コマ目のアングルです。上図のまっすぐ向こうへ伸びる道が「さくら温泉通り」です。

 

 同地点から東を見ました。「さくら温泉通り」が東端まで続きます。原作コミック第13巻69ページ5コマ目のアングルです。これで、69ページの各コマの景色は、すべて「観音通り」の「観音橋」の周囲からのものであると分かりました。
 ここが、石和温泉エリアにおけるゆるキャン聖地の東限にあたります。次の聖地スポットへは、もと来た「さくら温泉通り」を引き返すことになります。  (続く)

 

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