気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く34 その4  雁坂みち、花かげの郷まきおか

2023年10月31日 | ゆるキャン△

 「みとみ笛吹の湯」から再び雁坂みちに戻り、少し南へ進んだところで上図の歩道橋をくぐりましたが、既視感を覚えたので付近の道端のスペースに車を停め、原作コミックのコピーを開いて確認しました。

 

 このシーンでした。私は雁坂みちを南下していましたが、作中にて犬山あおいと中津川メイは北へと登っていましたから、景色は南から北を見るものが殆どです。
 この時点で「道の駅から」「雁坂みちを登り続けること約1時間」とありますが、私は逆に下ってその「道の駅」を目指す途中でした。車でしたから、そんなに時間はかからないだろうと思いました。

 

 それから少し進んで、左手に農産物直売所がある場所に来ました。

 

 その農産物直売所の駐車場の一角に自販機と大きな石があるのを見て、あっ、と気付いて急いでその駐車場に入って停めました。ここも聖地スポットじゃないか、と感じたからでした。

 

 その直感は正しかったのでした。左のコマで犬山あおいと中津川メイが休憩してジュースを飲んでいますが、その後ろに石が並んでいます。その場所でした。
 初めて読んだ際に「何にもたれているんだろう、大きな石が幾つか並んでいるような」と思い、なぜか印象に残ったコマでした。右のコマの交通標識も実際に近くにありましたが、写真を撮り忘れました。時刻は14時33分でした。

 

 14時41分、作中の「道の駅」のモデルである道の駅「花かげの郷まきおか」に着きました。「まきおか」は漢字で書くと牧丘で、現地がかつての東山梨郡牧丘町であったことによります。2005年に山梨市と牧丘町と三富村が合併して現在の山梨市域が成立しています。

 

 このシーンですね。アングルも同じです。

 

 早速、あのテーブル席へ行ってみました。しっかり作中のページのコピーが飾ってありましたので、犬山あおいと中津川メイが一休みした場所がここだと分かりました。

 

 このシーンですね。周辺の景色もそのまんまでした。

 

 このテーブルで犬山あおいと中津川メイが、ごくごくごくと飲み、もぐもぐもぐと食べて、エネルギー補給につとめたわけですが、私のほうは持参のペットボトルの水を飲み、ミニタッパーに詰めたマカダミアナッツ、ピスタチオ、アーモンド、カシューナッツ、クルミをあわせて20個ほど食べて同じくエネルギー補給につとめました。ナッツ類が普段のおやつなので、旅行や聖地巡礼にもかかさず携行しています。

 「花かげの郷まきおか」の公式サイトはこちら。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 キューベルワーゲン82型(フェイズエリカ仕様)

2023年10月30日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.213 (商品コード35213)

  制作期間   2022年11月25日~11月28日

  製作記事   その1 その2 その3 完成です!!

  総評・備考
 キューベルワーゲンは、第二次世界大戦期にドイツで生産された小型軍用車両である。本来はバケットシート、折り畳み式の幌、取り外し可能なサイドカーテンまたは鋼製ドアを持つ複数の型式の軍用車の総称であったが、最も多く生産されて軍民を問わず広く運用されたフォルクスワーゲン版の82型が有名になったため、ドイツ語圏外においては「キューベルワーゲンとは82型のことである」という認識が定着し、現在に至っている。
 キューベルワーゲン82型は、ガルパンではコミック「フェイズエリカ」にて黒森峰女学園の車輌として登場する。ほぼ実車準拠に描かれるようで、複数のメーカーから幾つか出ている適応キットのいずれを用いても、気軽に再現製作が楽しめる。キューベルワーゲン82型は指揮車型、武装搭載型など多数のバリエーションがあってキットもそれぞれが豊富に出ているため、下記の一覧表には、コミック作中車向けのキットつまりノーマルタイプの製品のみを収録した。

  公式および適応キット一覧(2023年11月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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伏見歴史散歩3 御香宮の拝殿、本殿、能舞台

2023年10月29日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 伏見城残石を見た後は参道に戻り、さらに進んで上図の拝殿に行きました。御覧のように中央に通路が設けられる割拝殿の型式をとる建物です。これも伏見城からの移築だとか、伏見城の御車寄(くるまよせ)の拝領だとする紹介記事などがネット上でも散見されますが、全て間違いで、江戸期の 寛永二年(1625)に徳川頼宣が寄進した建物です。つまりは江戸初期の典型的な神社建築の一例です。

 

 中央の軒唐破風(のきからはふ)の内側には、御覧のように見事な極彩色の彫刻があります。大瓶束(たいへいづか)によって左右に区切られた壁面の、向かって右が「鯉の瀧のぼり」すなわち龍神伝説の光景、左が琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇る光景を彫り表しています。中国の登龍門の故事に基づいた彫刻意匠です。

 

 左右の三間分の貫上の蟇股にも、極彩色の彫刻が施されています。江戸期の遺構にしては綺麗だな、と思いましたが、脇の説明板に平成九年六月に半解体修理を施した旨が書かれているのを見て、なるほど修理に際して彩色も元通りに復元したわけか、と納得しました。この拝殿は京都府の有形文化財に指定されています。

 

 拝殿の奥には本殿がありますが、透塀に囲まれてよく見えませんでしたので、ちょっと横に回ってみるか、と考えました。

 

 その際に拝殿から本殿に繋がる通廊を見て、本殿前の拝所が御覧のように唐門の型式になっているのに驚きました。二度見しましたが、どう見ても唐門です。左右から神職が神前に進めるようになっているわけですが、あんまり見たことのない建築配置でした。珍しいなあ、贅沢だなあ、と思いました。

 この神社は伏見城の守護神として崇められましたから、豊臣政権期はもちろん、これを受け継いで伏見城を再建した徳川政権期においても重要な神社であった筈です。
 本殿、拝殿はもちろん、関連の建物がいずれも立派で、表門は伏見城大手門を移してあてるという贅沢さは、やはり徳川政権の初期の本拠地が伏見城に置かれて、江戸幕府の前段階としての伏見幕府とも呼ぶべき時期があったことと無関係ではないと思います。

 

 横に回って本殿の側面が見える位置まで来ました。かなり高さがあって規模も大きな建物です。いわゆる五間社流造のタイプですが、本殿の正面を五間に造る事自体が珍しいです。
 これは、主祭神が 神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、仁徳天皇、高良大明神の五柱であるのに対応した造りですが、四柱までが皇室の祖先神ですから、豊臣家も徳川家も篤く崇拝しないわけにはいかなかったのでしょう。ましてや伏見城の守護神でもあったのですから。

 

 この本殿もなかなか立派で極彩色の典型的な江戸初期の神殿建築の様相を示しています。-この建物は、慶長十年(1605)に徳川家康の命令で板倉勝重が普請奉行となって再建したもので、平成二年の修理にて極彩色の彫刻が復元されています。国の重要文化財に指定されています。

 

 デジカメの望遠モードで撮りました。妻方向の東側の貫上の壁面に飛天が描かれているのが見えました。

 

 反対側にも回ってみましたが、本殿を保護するガラス壁面の表面が乱反射によって白っぽくなり、中がよく見えませんでした。もう少し横か、後ろに回ってみることにしました。

 

 背面は御覧の通りの白壁でした。

 

 本殿の西側を見ました。この位置なら、保護ガラスで囲まれている部分より上がよく見えます。

 

 再び、デジカメの望遠モードで撮りました。先にみた東側の貫上の壁面は飛天が描かれていますが、西側のこちらの壁面には花鳥風月が描かれています。虹梁には唐草紋があしらわれ、壁面の植物文様と組み合わせて神仙の自然事象を表しています。

 

 拝殿の西隣に建つ能舞台です。独立式の屋根付き楽屋を備えた立派な構えです。

 

 ですが、建物はどうも新しい感じがして、江戸期までは遡らないように思いました。脇に説明板があったので近づいて読みました。

 

 説明板です。これによると現在の能舞台は明治十一年(1878)の再建です。やっぱり江戸期までは遡らなかったか、と納得しました。

 

 しかし、これだけの規模の能舞台もあんまり見ないです。この能舞台は、神社の氏子衆によって組織された和楽社という講社が中心となって、拝殿の南西側にあった九社堂という建物を改築する形で建てられたといいますが、つまりは地域住民の寄進奉納による建物です。当時の神社氏子衆および地域住民の財力が偲ばれます。

 明治時代から、京都の各地の主要神社境内において能舞台を建造する動きが盛んになりましたが、御香宮神社の能舞台はその先駆けでもありました。そのため、京都の他の神社の能舞台の幾つかはここ御香宮神社の能舞台を参考にしたようで、形式や建て方がよく似ている例が見られます。

 

 しばらく見ていて、舞台中央の天井の四角い穴に気付きました。能楽の主な演目のひとつ「道成寺」を演ずる際に鐘をおさめる空間だろうな、と思いました。あの穴から鐘をつり降ろしたり、引き上げたりするわけです。  (続く)

 

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最終章第4話の継続高校ヨウコ車の丸太について

2023年10月28日 | ガールズ&パンツァー

 ガルパン最終章第4話にて初めて外観を表したヨウコのⅢ号突撃砲G型です。御覧の通りのフィンランド軍仕様で、タミヤの有名なキットを連想させますが、劇中車は主砲や足回りなどが後期型の特徴を示しており、模型での再現製作にはある程度の変更および改修が必要です。

 このヨウコのⅢ号突撃砲G型については、サークル交流仲間のモケジョさん達の間でも話題になったようで、早速エリさんやミカさんが作ってるみたいですよ、と嫁さんに知らされました。

 モケジョさんたちが久しぶりにガルパン車輌作ってるのか、みんな第4話を観に行ったんやな、と言うと、「そりゃ観るでしょう、以前にあれだけガルパンに熱中してプラモもいっぱい作ってるんですもの、続きが気にならないって人、居ないと思いますけど」と、返されました。

 

 一昨日、ミカさんから質問のメールが届きました。ヨウコのⅢ号突撃砲G型の両サイドに括りつけてある丸太は、何に使うのか、表皮が白く見えるのも冬季塗装なのか、という二つの質問でした。

 丸太を何に使うのかというと、側面の防御板代わりにする、雪中でぬかるみなどにはまった際に丸太を履帯にかませて脱出させる、というように昔何かのミリタリー本で読んだ記憶があります。

 丸太の表皮が白く見えるのは、冬季塗装ではなくて、丸太そのものの表皮の本来の色だろうと思います。フィンランドの国土面積の約8割を覆う森林地帯の主要3樹種のトップで、フィンランドの国の木にもなっている「Silver birch」(銀の樺)の色です。「Silver birch」は、日本では白樺と呼ばれて信越地域や東北地方などに分布しています。

 要するに、ヨウコのⅢ号突撃砲G型の両サイドに括りつけてある丸太は白樺であるわけです。だから表皮が白く見えるのですね。冬季において雪中の戦車にくくりつけるのは、カムフラージュの効果もありそうです。

 ちなみにフィンランドの森林地帯の主要3樹種の残り2種とは、「Scots pine」と「Norway spruce」です。日本語に訳すと、前者は松の一種であるヨーロッパアカマツ、後者は日本には分布せず輸入されて北海道で鉄道防雪林などに使われるオウシュウトウヒ、です。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く34 その3  みとみ笛吹の湯

2023年10月27日 | ゆるキャン△

 広瀬ダムから国道140号線雁坂みちを南へ下り、14時18分に上図の「みとみ笛吹の湯」に着きました。山梨市の市営温泉施設です。雁坂みちの「三富庁舎南」信号交差点を左へ折れてすぐの所にあります。「アルカリ性単純温泉」に分類され、源泉かけ流しの内湯と露天風呂があります。

 

 この温泉施設に、雁坂みちを登って来た犬山あおいと中津川メイが立ち寄っています。作中では「三富温泉」となっています。

 

 御覧のように広い駐車場があり、左奥にグラウンドのような広い公園があります。地図で見たら「三富村民スポーツ広場」とありました。現地は2005年までは東山梨郡三富村でしたので、それまでに整備されたスポーツ広場施設であるようです。

 

 村民スポーツ広場の入口まで行ってみました。赤さびたゲートに「村民スポーツ広場」の字が残っていて、三富村時代の施設がそのまま現在に至っているようでした。このゲートの横のフェンスあたりに、既視感を覚えました。

 

 右のコマで中津川メイが自転車を停めている場所が、この位置でしょう。フェンス横に木が立つあたりです。

 

 そしてこのアングルも作中に出ています。

 

 このシーンですね。中津川メイの右奥にゲートの一部が出ています。

 

 この日の温泉施設は、地元の何かの団体の集まりで貸し切りになっていて、中に入ることは出来ませんでした。もともと立ち寄るだけで入浴する予定はありませんでしたから、施設の外観を見られれば充分でした。

 

 犬山あおいと中津川メイはここで温泉に浸かって、ラストスパートどころか撃沈されてしまうのでした。

 

 なかなか凝った造りの建物です。山梨市営ということは、もともとは三富村営の施設であったということでしょうか。そういえば、スポーツ広場の一角に建てられている事自体、スポーツ広場と一体で計画され整備された施設であったことを思わせます。

 

 作中では広域ワイドビューのような感じで温泉施設の建物群を全て描いていますが、実際には施設の全容をカメラにおさめるのは至難の業でした。
 「みとみ笛吹の湯」の公式案内はこちらこちら。  (続く)

 

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伏見歴史散歩2 旧伏見城の大手門と残石

2023年10月26日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 御香宮神社の旧伏見城大手門をしばらく見学しました。徳川期の再建ながらも豊臣期の建築意匠をよく伝えており、装飾部分はほぼそのまま残されているようです。

 

 内側から見ると、両脇の潜り戸もそのまま保たれているのが分かりました。城郭の門には一般的についている潜り戸ですが、神社の表門には不必要なものです。

 

 屋根の小屋組みも、どちらかといえば華奢なほうです。戦国期の武骨な建築の雰囲気はすっかり消えています。豊臣政権によって天下統一が達成された時期の、ようやく訪れた泰平を象徴するかのような、落ち着いた建築空間がそこにただよっています。壁を貼らずに木組みや蟇股だけにしている点にも、一種の美意識がしのばれます。

 

 両側の棟木を支える巨大な蟇股も見応えがあります。束をとりこんで高さをとることで、屋根そのものを高くして雄大さを演出する役目を果たしています。

 

 確かにこの建物は戦国乱世が終焉のときに至った時代特有の空気をまとっている、と再認識しました。20年ほど前に初めてこの大手門を見上げた時には、なにやら彫刻や装飾を色々くっつけて着飾ってるな、としか思いませんでしたが、戦国期の建物ならば、着飾ること自体が無理でしょう。

 創建当時は極彩色に彩られていたといいますが、豊臣期だけでなく徳川期の初期の建築も似たような傾向があります。長きにわたる戦国乱世が終わって天下泰平の世に至ったという気分を、鮮やかな極彩色の建築によって具体化するという文化的潮流が、德川期の初期までは明確に続いていたのだろうな、と思います。

 

 大手門をくぐって参道に入ると右手に上図の石柱のようなものが二本並んでいました。これも伏見城関連の遺品なのかな、と思いましたが・・・。

 

 先に見た大手筋の大鳥居の旧基礎石でした。大鳥居を平成十年に解体修理した際に、旧来の柱根石を交換してこちらに移して保存してあるということでした。

 

 参道上の石鳥居です。大手門前の大手筋の朱鳥居が一の鳥居ならば、こちらは二の鳥居にあたるのでしょう。

 

 20数年ぶりの境内地の景色です。正直言って、大手門以外はあまり記憶が無く、こんなところだったかなあ、と何度も思いました。

 

 しかも参道の右手には、上図のように沢山の石がゴロゴロと無造作に積まれ、転がしてあるのでした。

 

 最初は、神社の建物の石垣とかに使う石を一ヶ所に集めて保管してあるのかな、と思いましたが・・・。

 

 石の幾つかには、上図のような古い矢穴を残すものもありました。矢穴とは石材を割るために彫られた長方形の穴のことで、いわゆる石割の技術の痕跡です。時期によって色々な矢穴がありますが、こちらの石のそれは、どうみても中世戦国期のもののように見えました。それで、あれ、もしかしてこれも伏見城の石かな、と気付きました。

 

 反対側に回ってみると、上図の看板がありました。これらの石は伏見城跡の残石だったのでした。残石とは、城郭の石垣などに使われる予定だった石が残ったもの、城郭が廃されて破却された際に崩された石が残ったもの、の二通りの意味がありますが、伏見城の場合は廃城となっていますから、後者の意味の残石でしょう。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 シムカ5(フェイズエリカ仕様)

2023年10月25日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.321 (商品コード35321)

  制作期間   2022年11月29日~11月30日

  製作記事   その1 その2 その3 完成です!!

  総評・備考
 シムカ5 は、1936年にフランスのシムカ社がイタリア・フィアットのフィアット500トポリーノのフランス版として生産、販売した小型乗用車である。第二次大戦期にフランス軍向けに生産され、フランス降伏後はドイツ軍向けに生産されて幅広く使用された。ガルパンではコミック「フェイズエリカ」にて黒森峰女学園チームの移動用車輌として登場する。
 キットはタミヤの製品が唯一であるが、同型車輌であるフィアット500トポリーノがブロンコモデルから出ており、これをシムカ5に仕上げることも可能である。

  公式および適応キット一覧(2023年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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伏見歴史散歩1 御香宮へ

2023年10月24日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2023年4月22日、伏見方面へ歴史散歩に出かけました。嫁さんは神戸三宮にてモケジョの集まりがあるとかで、夕方に祇園で落ち合って夕食を食べる約束をしたので、午後5時までに祇園四条へ戻る予定になりましたが、今回の散策コースはそんなに遅くまでかからないだろう、と思いました。

 

 この日は嫁さんが早朝から出かけていったため、私も朝食をとらずに出発しました。家の最寄りのバス停からバスに乗って、清水五条で京阪電車に乗り換えて伏見桃山駅で降りました。歴史散策の前に、まず何か食べておこう、と考えて、近鉄桃山御陵駅ガード下の「大中」で軽くラーメンをいただきました。

 

 伏見エリアは、知る人ぞ知る京都ラーメンの激戦区です。有名なお店だけでも10軒は数えられるほどで、私も昔からあちこち食べに行っていますが、なかでもここ「大中」のラーメンは個人的に好きな味わいです。

 

 うーん、旨い。実に旨い。

 

 旨いラーメンに大満足しての後、ゆっくりと府道79号線伏見大手筋を東へ歩き、御香宮神社の大鳥居をくぐりました。

 

 そして御香宮神社の門前に着きました。今回の歴史散策の一ヶ所目がこの神社でありました。周知のように上図の神社表門は、もとは伏見城の大手門であったのを移築しています。国の重要文化財に指定されています。

 

 今回の歴史散策の目的の一つが、伏見エリアに残る旧伏見城の建物を見ることでした。ここ御香宮神社の大手門のほかにもう一ヶ所を予定していました。

 

 門柱には「伏見城大手門」の札が懸かっています。この大手門は、一般には豊臣秀吉が築城した伏見城の大手門を移築したもの、とされていますが、正しくは徳川家康が慶長七年(1602)6月から再建させた徳川期伏見城の大手門にあたります。

 その徳川期伏見城は、元和五年(1619)に廃城が決まって後、建物の多くが二条城や駿府城、淀城や福山城などへ移されました。そんななかで徳川頼房が元和八年(1622)に伏見城の大手門を貰い受け、後御香宮神社に寄進したことによって、貴重な建物が今日まで伝えられることになったわけです。

 

 大手門の規模は幅が約九メートル、高さが約八メートル、三間一戸、切妻造りの単層門で、屋根は本瓦葺きで両端に鯱を上げています。徳川期の再建ながらも建築の様式そのものは安土桃山時代のそれを踏襲しており、おそらくは豊臣期伏見城の大手門をほぼ復元する形で建てられたのではないかと思います。

 現在は古色蒼然としていますが、創建当時は豪華に彩色されていたことがうかがえ、庇の四個の蟇股(かえるまた)には中国の故事「二十四孝」を題材にした彫刻が施されています。こうした彫刻を建築の各所に配するのが安土桃山時代の特徴であり、他の時代の建築と比べると大変に分かりやすい特徴でもあります。

 

 かたわらに立つ文化財指定標識にも、伏見城大手門、とあります。伝承とかではなく、史料的にも建築史的にも間違いが無い本物の伏見城大手門であると確定しているからこその表記です。

 豊臣期および徳川期の伏見城からの移築伝承をもつ建物は、京都市内だけでも三十ヶ所近くにのぼりますが、由来や様式からみて確かな建築遺構だけに絞ると半数以下の十四、五ヶ所になります。非公開の建物も少なくないので、いつでも見学出来るのは十ヶ所前後となります。全部が京都市内にありますから、いずれはそれらを回って連載で紹介しようかと考えています。

 今回は、そのための見学取材も兼ねての歴史散策でしたから、大手門が移築されている御香宮神社を訪ねないわけにはいかなかったのでした。  (続く)

 

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最終章第4話に登場したヨウコ車は予想通りのⅢ号突撃砲G型

2023年10月23日 | ガールズ&パンツァー

 去る10月13日より公開されている「『最終章』第4話 新PVノンストップアクション編」にて、ついにヨウコ車が外観を表したことは周知の通りです。したがって、ヨウコ車に関するネタバレ解禁は、10月13日より公式の許可が出ていることになりますが、劇場公開日の10月6日からたった一週間後ですから、ちょっと早すぎるのでは、と思ってしまいます。

 とりあえず、二回出てくるヨウコの搭乗車ですが、上図のように、予想通りのⅢ号突撃砲G型であることが判明しました。やっぱりな、というか、継続高校チームがこのフィンランド軍仕様の車輌を保有していないと不自然だろう、という基本認識がありましたから、出てきて当たり前、というのが正直な感想でした。

 ちなみに劇場で販売しているパンフレットにも、このヨウコ車の図面が出ています。バッとみたら、大部分の人はタミヤの有名なあのキットを連想し、プラモデルを作るならそれでイケる、と考えて模型店へ向かう方も居られることと思います。

 

 現存するフィンランド軍仕様のⅢ号突撃砲G型の実車の一輌です。フィンランドのパロラ軍事博物館には、第二次大戦期にフィンランドがドイツより購入したⅢ号突撃砲G型59輌のうちの30輌が保存されており、上図のPs.531-44はイギリスのボービントン戦車博物館に貸し出されています。

 そしてヨウコの搭乗車は、外観はほぼこのPs.531-44にそっくりです。両サイドにくくりつけた丸太の形状や雰囲気までが似て見えるので、ひょっとするとこの展示現存車輌が、ガルパン劇中車のモデルなのかもしれません。
 なにしろ、ヨウコ車は、車体にやや厚みがあるようで、ドイツのMIAG社の製造タイプの後期型の雰囲気に似ているように感じられますが、その姿がそのまま上図のPs.531-44に重なるように思います。

 ヨウコ車がⅢ号突撃砲G型の後期型に属することは、車輪をみれば分かります。Ps.531-44と同じく上部転輪が穴開きの鋼製タイプで、起動輪も工程短縮のためにカバーを省いたタイプです。また主砲の48口径75ミリStuK 40L/48も、ザウコップ防盾を装備した後期型となっています。
 また上図では丸太に隠れて見えませんが、キューポラに半周形の後付け跳弾板が付けられており、ヨウコ車でもそれが忠実に再現されています。

 

 10月20日より公式サイトのメカニックの継続高校Ⅲ号突撃砲G型のページも更新され、劇中車の四面および天面の公式設定図が公開されています。上図は天面図で、キューポラにつく半周形の後付け跳弾板の形状も分かります。上図では三角形に見えますが、側面からみると台状に見えますので、全体的には五角形に近い形状です。
 これはフィンランド軍による独自の改修部分なので、ドイツ軍車輌の後期型のオリジナルの跳弾板とは形が異なります。プラモデルで再現する場合は、プラ板などで自作することになるでしょう。

 

 したがって、上図のタミヤのキットでは、劇中車を忠実に再現出来ないことが分かります。このキットは前期型にあたるので、主砲の防盾も逆台形のタイプです。上部車輪も前期型のゴムタイヤ付きで、起動輪のカバーも完備しています。キューポラの跳弾版もまだありません。劇中車とは色々と異なる点が視認出来ます。

 第3話の公開直後の時期に「継続高校チームのヨウコの搭乗車輌はⅢ号突撃砲G型か」と題する記事を述べ、色々と予想案を並べましたが、結果的にはそのうちの一つ、「パロラ軍事博物館に所蔵される他の実車の仕様で出てくるのでしょうか」の通りになったわけです。
 そもそも、ガルパンの劇中車が、既存のプラモデル製品にズバリ、ピッタリであった事例は、ファインモールドの特例を除いて皆無でありますから、タミヤのキットのまんまの姿であると期待するほうがどうかしていると思います。

 

 いずれにせよ、ヨウコ車は後期型なので、再現製作も後期型のキットをベースにしたほう取り組みやすいかと思います。後期型のキットはドラゴンやミニアート等から幾つか出ていますが、上図のミニアートの後期型の1945年生産型のキットなどは、主砲や足回りが完全にガルパンのヨウコ車と同じです。これに、タミヤ製品にしか付いていないコンクリートアーマー、丸太、増設ボックス、増加装甲のパーツを移植すれば、ほぼ劇中車の姿に仕上げることが出来るでしょう。

 その場合、タミヤキットを1個、部品取り用に使うことになりますが、それでは勿体無いので、タミヤキットのEランナーだけをタミヤカスタマーに注文して取り寄せるほうが良いでしょう。そのEランナーに、コンクリートアーマー、丸太、増設ボックス、増加装甲の一部のパーツが揃っています。

 私自身は、ヨウコ車の再現製作そのものは、模型誌などでガルパン特集が組まれて、モデルグラフィックスにガルパンアハトゥンクの公式設定資料が掲載されてから行う予定です。
 というのは、現時点ではまだ、二、三の疑問点が残っているからです。公式サイトのメカニックのページが公開されてもなお、それらの疑問点は依然として解き明かされていないままです。もう少し詳しい情報、資料が欲しいところです。

 とりあえず、12月頃に出るであろう、模型誌などでのガルパン特集、およびモデルグラフイックのガルパンアハトゥンクの公式設定資料を楽しみに待ちたいと思います。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く34 その2  笛吹小屋キャンプ場、広瀬ダム湖

2023年10月22日 | ゆるキャン△

 「道の駅みとみ」の向かいにある「笛吹小屋キャンプ場」の敷地というか入口へのスペースに入りました。キャンプをやるわけではないので、軽く店先を見物するだけ、というスタンスで近寄りました。

 大体、ゆるキャンの聖地の幾つかはキャンプ場なので、キャンプも楽しんで回れたら、とは思うのですが、私自身は既にマイカーを手放して久しく、聖地巡礼の旅も鉄道やバスなどの公共交通機関を利用して行きますから、キャンプもというのはちょっと大変です。キャンプ用の荷物が増えるし、時間を多くとられるので、原則的にキャンプは無し、という方針で今までやっています。
 例外として、富士山西麓の朝霧高原ふもとっぱらでキャンプをやったことがありますが、あの時はまだマイカーを持っていたし、一ヶ所ぐらいは聖地でキャンプしようという気持があったので、特別に気合を入れてやったわけです。

 なので、作中に出てくるキャンプ場の多くは見物するにとどめ、入れない場合はスルーしておくか、付近まで行って現地の雰囲気だけ味わうことにしています。今回の笛吹小屋キャンプ場も、入口まで行って中を見て雰囲気だけ感じられれば良い、と考えていました。

 

 入口の看板に貼ってあった、宿泊料金と案内です。御覧の通りで、高いのか安いのかはよく分かりませんが、旅館やホテルに泊まるよりは安いです。でもキャンプ用の道具や食材や諸々の必需品などを用意するための費用を加算すると、キャンプというのは平均的にお金がかかるな、というのが正直な感想となります。

 

 この日は休日なのか、ゲートは閉じられて施錠されていて、中にもひと気が全く感じられませんでした。が、作中の描写と似た地形、景色が見えました。この道を大垣千明と鳥羽美波先生が登っていったのだな、と思いました。

 

 入口に向かって右側に、上図の看板が見えました。案内文と同じく手描きでキャンプの情景が分かりやすくペイントされていました。なにか昭和の頃の、私が大学生の頃にアウトドアスポーツサークルに属してキャンプもよくやっていた時期に利用した奈良県の山奥のキャンプ場にも、こんな感じの看板があったなあ、と思い出して、ちょっと懐かしい気分になりました。

 

 が、眺めているうちに、あれ・・・?と、既視感が強く湧きあがってきました。もしかして、とバッグから原作コミック連載のコピーを取り出してパラパラめくりました。そして、該当の場面を見つけました。

 

 このシーンでした。看板の左半分の絵柄がそのまま描かれています。道理で、テントの中の子供の姿に見覚えがあると思ったんだ、と納得しました。
 ですが、下段のキャンプ場の名称が「笛吹雁坂キャンプ場」となっています。作中では「雁坂のキャンプ場」などと語られていますが、正式名称がこれで判明します。

 

 14時きっかりに車に戻って再び国道140号線を南下し、上図の広瀬ダム観光駐車場へ移動しました。

 

 広瀬ダム観光駐車場は御覧のとおり、とても広くて、観光バスでも20台ぐらいは入れるほどのスペースがありました。広瀬ダムの東側に位置して奥にダム管理事務所があります。とりあえず、車を停めておいて、作中に出てくる広瀬ダム湖の景色を見に行きました。

 

 広瀬ダム観光駐車場へ入る前に渡ったダム湖の橋へ、歩いて戻りました。広瀬ダム観光駐車場の入り口からすぐに渡る感じで、橋の名前は上図のとおり「広川橋」でした。

 

 広川橋を歩いて渡りつつ、左手の広瀬ダム湖の景色を見ました。貯水量は100パーセントではなく、見た感じでは80パーセントぐらいかな、と思いました。

 

 30メートルぐらい歩いて、この辺りかなあ、と思いました。作中シーンではダム湖が満水状態になっていて景色がちょっと違うのですが、ダム湖の中にある水色の取水塔の見え方が、だんだんとそれらしくなってきました。

 

 作中のシーンです。左のコマが広瀬ダム湖で、大垣千明たちが車でこの景色を見つつ、「道の駅みとみ」へ向かったわけでした。
 大垣千明が「雲一つ無くていい感じじゃないすか」と言っていますが、この日は午後から曇りになっていて、青空もたまに雲の切れ目にのぞく、といった程度でした。午前中に三峰神社に参拝した時点で快晴であったのが嘘のようでした。

 この分だと夕方には一雨くるかもしれないな、とにかく聖地巡礼を急ごう、と考えました。写真を撮ってすぐに駐車場へ引き返しました。  (続く)

 

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サンダース大学付属高校 M4A1シャーマン76mm砲搭載型 完成です!!

2023年10月21日 | ガルパン模型制作記

 ラストのステップ22では、サンドシールドを取り付けます。私の製作では履帯パーツを塗装後にはめ込みますので、サンドシールドもその後に組み付けます。

 

 なので、この段階ではサンドシールドは接着しません。

 

 サンドシールドも別に組み立てて保管しておきました。

 

 塗装にとりかかりました。車体色は、タミヤのエアモデルスプレーAS14を使用して吹き付けました。履帯はミスターカラー28番の黒鉄色で吹き付けて、ゴム部分をポスカの黒で塗りました。

 

 転輪のタイヤゴム部分をポスカの黒で塗りました。ポスカのペン先を当てて固定しつつ、転輪を指で転がしてスーッと塗るのが私なりのやり方ですが、筆塗りよりは大変に楽なので、昔からずっとこの方法で戦車の転輪を塗っています。

 

 ベルト式履帯をはめ込みました。

 

 サンドシールドを組み付けました。

 

 車外装備品類を塗りました。金属部分は28番の黒鉄色、木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。

 

 そのうちのシャベルを車体後方の左側にセットしました。

 

 残りの部品は上図のようにエンジンデッキ後端と車体後方の右側にセットしました。

 

 車体前面の機銃は28番の黒鉄色で塗りました。前照灯の内部を8番のシルバーで塗ってライトレンズのクリアパーツを取り付けました。

 

 背面左右の予備履帯パーツを28番の黒鉄色で塗り、塗装の全てを完了しました。

 

 今回は公式キットを利用したので、校章デカールも付いていました。車体前面中央に2番のデカールを貼りました。

 

 そして砲塔の左右側面に1番のデカールを貼りました。今回のアリサ搭乗車は左右の校章マークが左右非対称の位置にあり、上図の左側のマークはやや前に付きます。

 

 砲塔右側の校章マークはほぼ中央に位置します。これでデカール貼りを完了してつや消しクリアーを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 アリサ搭乗車のM4A1シャーマン76mm砲搭載型を製作するのはこれで三度目となりました。最初はイタレリのキットで作り、二度目はドラゴンのキットで作り、今回はアスカモデルの製品を使用しましたから、製作工程も同じではなく、三者三様の段取りや改造や追加工作があってそれぞれに楽しめました。
 なかでも、今回のアスカモデルのキットが最も楽に作れた気がします。さすがはシャーマン愛に溢れるメーカーだけあって、シャーマン系列の取扱い易さ、作り易さにおいては他の追随を許しません。

 

 かくして、サンダース大学付属高校チームのM4シャーマン76mm砲搭載型が劇場版仕様にて完成しました。製作日数は、2022年5月10日から5月13日までの4日でした。組み立てに3日、塗装および塗装後の組み立てとデカール貼り付けに1日かかりました。

 キットは安定のアスカモデルです。公式キット化されていますので、デカールも付いています。組み立て易いので劇中車を気軽に再現出来ます。初心者クラスにもお勧めのガルパン公式キットの一つです。
 ですが、劇中車特有のペリスコープガードのパーツだけは付いていませんので、こだわるならば、同じアスカモデルの「1/35 ペリスコープガード M4シャーマン 他アメリカ軍戦車用」(商品コード35-L40)を調達するか、ドラゴン等の他キットからトレードする必要があります。

 

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最終章第4話に登場した逸見エリカ搭乗車の塗装に関して

2023年10月20日 | ガールズ&パンツァー

 ガルパン最終章第4話に登場した黒森峰女学園の隊長逸見エリカの搭乗車は、第3話の対プラウダ高校戦にてティーガーⅡから乗り換えたⅢ号戦車J型でした。砲塔背後のゲベックカステンの背面に似顔絵がペイントされている、あの戦車です。もとは入間アンナの搭乗車でしたが、その入間アンナは第4話では別の戦車に乗って参戦しています。

 逸見エリカの搭乗車は、第3話の時点ではダークイエロー単色塗装でしたが、第4話では上図の通りブラウンとグリーンを追加した三色の迷彩となりました。おそらく複数のⅢ号戦車J型を参加させたために、隊長車を識別しやすいように、わざわざ目立つ迷彩を施したのでしょう。

 個人的には黒森峰女学園推しですので、このカッコいい迷彩のⅢ号戦車J型はプラモデルで作る予定です。手元に幾つかのⅢ号戦車のキットがありますが、そのうちの1つをエリカ搭乗車に作り、残りを他の車輌に仕上げてみようかと思案しています。

 

 サークルのガルパン同好会でも、エリカの搭乗車は何かと話題になり、タダ氏やイハラ氏は既にプラモデルを製作し始めたそうです。タダ氏はプラッツの公式キットで作り、イハラ氏はタミヤのL型からの改造にてチャレンジしたということでしたが、去る10月15日にイハラ氏から電話がありました。

「あのね、エリカ車の転輪って白っぽかったんやけど、気のせいかね?」と。

 エリカ車の転輪のタイヤゴム部分が白く塗られているのは、初視聴の時から気付いていました。上図の通り、上下の転輪のタイヤゴム部分が白く見えます。イハラ氏の気のせいでは決してありません。

 この白い転輪は史実のドイツ・アフリカ軍団の車輌にまま見られたそうです。少し前に、サークルの大先輩の一人でドイツ軍マニアのS氏に借りて読んだ「パンツァータクティク WW2ドイツ軍戦車部隊戦術マニュアル」にも写真があったと記憶しています。
 確か、アフリカ軍団の車輌の一部は砂漠での戦闘に備えて、転輪のタイヤゴムが熱せられて劣化しないように日焼け止めとして白く塗装した、というような説明文があったと思います。

 エリカ車は、その三色迷彩も含めてアフリカ軍団の車輌に似せてありますから、転輪の白塗装もそのまま取り入れたもののようですが、同チームの他のⅢ号戦車J型には転輪の白塗装がみられませんので、エリカ車のみの特徴であるようです。
 それで、史実の日焼け止めを踏襲したというよりは、単に隊長車の識別のために転輪の白塗装も採用している、と推測していますが、果たしてどうでしょうか。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く34 その1  道の駅みとみ

2023年10月19日 | ゆるキャン△

 2023年7月28日、志摩リンが巡った埼玉県の三峰神社と滝沢ダムのルートをまわって県境を越えて山梨県に戻りました。その後の13時47分に、上図の「道の駅みとみ」に入りました。朝からずっと動きっ放しでしたので、ちょっと一休みしてコーヒーでも飲むか、と考えて車を停めて降りました。

 

 「道の駅みとみ」の本館にあたる大きなドーム状の建物です。初めて来ましたが、既視感バッチリでした。ここもゆるキャンの聖地の一つだからです。

 ここからは山梨県内の雁坂みちルートを辿ります。作中では犬山あおいと中津川メイがロードでキャンプ場目指して登って行くルートなので、レポートも今回より項を改めて、雁坂みち編として綴ります。

 

 ゆるキャン原作コミック第83話にて、大垣千明が鳥羽美波先生の車に同乗してここにやってきています。作中では「道の駅雁坂」となっていますが、国道140号線雁坂みち沿いにあります。上図と同じアングルで描写されています。

 

 中の休憩コーナーには観光らしき団体客が大勢居て、売店にも大勢の観光客が居ましたので写真を撮るのは遠慮しました。自販機でコーヒーを買い、ベンチに座って5分ほど休憩しました。それから聖地巡礼を再開しました。

 

 本館を出て駐車場に戻り、自分のレンタカーへ行く途中で上図の景色を見ました。ここだな、と気付きました。屋根付きの駐輪場らしき施設でした。

 

 作中で、大垣千明がキャンプ場の位置を説明しているシーンに、屋根付きの駐輪場らしき施設が出ています。大垣千明の背後にあります。道の駅の向かいにキャンプ場があると話していますが、実際にそうです。

 

 とりあえず、向かいのキャンプ場へ行くべく、国道140号線雁坂みちを渡りました。この上図のアングルも作中に出ています。

 

 このシーンですね。この描写は向かいのキャンプ場の敷地内からのものです。そして手前の国道140号線雁坂みちを朝走って三峰神社へ向かったわけですが、その時は迂闊にもここ「道の駅みとみ」に気付かずに通り過ぎてしまいました。

 

 向かいのキャンプ場は、御覧のとおり「笛吹小屋」とありました。正式には笛吹小屋キャンプ場といいます。  (続く)

 

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ガルパン最終章第4話に登場した継続高校ほかの新車輌とその適応キット

2023年10月18日 | ガールズ&パンツァー

 今回は、9月に公開された本予告第2弾および10月7日から公開されている本編冒頭部分にて見られる継続高校の新車輌および他の車輌について述べ、それらの公式または適応キットを紹介します。

 周知のように、第3話ではBT-42とT-26軽戦車が出ていましたが、第4話の本予告第2弾ではT34/76が新たに加わっています。プラウダ高校の冬季塗装のT34/76と全く同じ車輌のようで、校章だけが入れ替わっていました。

 

 さらに、10月7日から公開されている本編冒頭部分では、上図の3色迷彩のT34/76も登場しました。これらのT34/76については、プラッツより公式キットが出ています。

 

 これがT34/76の公式キットです。ホビーサーチでの紹介記事はこちら

 

 こちらは最終章パッケージの公式キット。ホビーサーチでの紹介記事はこちら。それ以外の適応キットについてはこちらの記事のキット一覧を御覧下さい。

 

 10月7日から公開されている本編冒頭部分では、上図のKV-1Eも登場しています。これについては、既に9月に公開された本予告第2弾にて砲塔内部が出ていて、その構造からKV-1Eであることが判明していました。

 

 ですが、KV-1Eはまだ公式キットが出ていません。いずれプラッツから出るのかもしれませんが、現時点ではまだ情報がありません。

 KV-1の適応キットは複数のメーカーから色々出ていますが、KV-1Eのキットは、いまのところ2種類が知られています。ひとつは上図のトランぺッターの357番です。ホビーサーチでの紹介記事はこちら

 

 もうひとつが、上図のタミヤのミリタリーミニチュアシリーズ142番です。KV-1BとはKV-1Eのドイツ軍での分類称です。ホビーサーチでの紹介記事はこちら。それ以外の適応キットについてはこちらの記事のキット一覧を御覧下さい。

 

 続いて、10月7日から公開されている本編冒頭部分には、試合運営にあたっている戦車道連盟の車輌が出ていました。上図のベルゲパンツァー・ティーガーⅠです。

 

 ベルゲパンツァー・ティーガーⅠの適応キットは3種類が知られています。ひとつは上図のドラゴンの製品です。ホビーサーチでの紹介記事はこちら

 

 二つ目もドラゴンの製品ですが、こちらは爆薬運搬車のボルクヴァルトIVとセットになっています。ホビーサーチでの紹介記事はこちら

 

 三つ目が、上図のライフィールドモデルの製品です。ホビーサーチでの紹介記事はこちら

 これらのベルゲパンツァー・ティーガーⅠの適応キットはいずれも組み立てれば同じ姿に仕上がりますが、最終章第4話の劇中車には、これらの適応キットには無いエアクリーナーが付いています。完全再現を目指すのであれば、ティーガーⅠ用のエアクリーナーのパーツを別に用意する必要があります。

 

 おまけとして、上図のプラウダ高校トリオが観戦に来ていた際に背後に見える飛行機を紹介しましょう。これはソ連が開発した地面効果翼機 (WIG) エクラノプランの中型タイプであるA-90 オルリョノークのようです。プラモデルも1/144スケールで出ています。ホビーサーチでの紹介記事はこちら

 以上、最終章第4話に登場した新たな車輌を、黒森峰女学園、継続高校および戦車道連盟、の2回にわたって紹介しました。
 残るは、いま一番注目されている継続高校ヨウコの搭乗車であるⅢ号突撃砲G型ですが、これについては別に一項を設けて紹介するか、プラモデルにて劇中車を再現製作するレポートを綴るか、のいずれかにて詳しく紹介する予定です。

 

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サンダース大学付属高校 M4A1シャーマン76mm砲搭載型 作ります!! その6

2023年10月17日 | ガルパン模型制作記

 ステップ19では砲塔を組み立てます。ステップ20ではキューポラを組み立てます。ガルハン仕様への追加工作として、装填手用ハッチにペリスコープガード、車長用ハッチにハンドルを付けます。
 ステップ21では砲塔側面後部の吊り下げ用ホールドを付けます。

 

 ステップ19で組み立てる砲塔のパーツ類です。

 

 組み立て途中の状態です。斜め前から見ました。

 

 斜め後ろから見ました。

 

 主砲を取り付けて組み上げました。

 

 ステップ20で組み立てるキューポラ、ハッチのパーツ類です。

 

 組み上がりました。このあとガルハン仕様への追加工作として、装填手用ハッチにペリスコープガード、車長用ハッチにハンドルを付けます。ハンドルはキットに不要パーツのC13があったので転用しましたが、べりスコープガードは入っていませんので、ジャンクからドラゴンのパーツを調達し、後でまとめて取り付けることにしました。

 

 ステップ21で取り付ける、砲塔側面後部の吊り下げ用ホールドD6です。

 

 取り付けました。

 

 砲塔が組み上がりました。

 

 車体に仮組みしてみました。

 

 今回のキットには入っていないペリスコープガードのパーツをジャンクから調達しました。劇中車には3個のペリスコープガードが必要ですが、3個ともドラゴンのパーツがあったので、まず2個を車体前部の左右のハッチのペリスコープ上に取り付けました。

 

 そしてもう1個を、装填手用ハッチのペリスコープ上に取り付けました。  (続く)

 

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