気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

プラウダ高校 アエロサンRF-8 作ります!! その1

2025年01月04日 | ガルパン模型制作記

 2023年夏、まだ作っていないガルパン車輌を連続して製作していた時期に、プラウダ高校チームの車輌はあと4輌を予定していました。そのうちの1輌、正確には1台と言うべきでしょうが、上図のカチューシャがベッド代わりに使っていたアエロサンRF-8を最初に作りました。

 

 RF-8は、ソ連軍が第二次大戦期に使用した軍用アエロサン(プロペラ推進式スノーモービル)の一種です。テレビシリーズの対大洗女子学園戦の試合中に登場しています。

 

 劇中では上図の左側面観の大部分と・・・。

 

 後ろからみたアングルの2種類のシーンがあります。右側面観と前面部の様子は分かりませんが、大体は史実上のRF-8そのままに描写されているようなので、その適応キットもストレートに組み立てれば良いかな、と思いました。劇中のRF-8独特の仕様があれば、合わせてゆけば良いだろう、と割り切りました。

 

 適応キットは、上図のトランペッターの製品を5年前に購入してあったのを使用しました。適応キットは他にヴィジョンモデルからも出ていますが、私自身はキットの実物を目にした事がありません。

 

 中身です。今回は戦車ではなく橇ですから、転輪や履帯のような手間のかかるパーツが一切ありません。半日あれば完成までいけるのでは、と予想しましたが、塗装は別の日に行う予定でしたので、最低でも2日はかかる見込みとなりました。

 

 組み立てガイドの説明文はロシア語と中国語と英語でした。

 

 塗装見本図です。劇中車とはちょっと違います。劇中車はサスペンションのスプリング部が車体と同じホワイトで、エンジンカバー上部が黒っぽいカラーになっています。

 

 ステップ1ではエンジンを組み立てます。ステップ2では本体を組み合わせます。いずれもガイド図の指示通りに進めます。

 

 ステップ1で組み立てるエンジンのパーツです。エンジンは外、後ろから見える状態になりますので、ポスカやガンダムマーカー等で塗りながら組み立てます。

 

 組み上がりました。

 

 斜め前からのアングル。

 

 小型バイクのエンジンのような小さなサイズです。GAZ-M1と呼ばれる50hpのエンジンで、推進速度は50キロであったそうです。

 

 ステップ2に進みました。本体を組み立てます。

 

 あっという間に仕上がりました。

 

 この時点ですでにRF-8の姿になってきていました。小型でパーツ数も少ない、楽なキットです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その7  野反湖 どじょう小屋沢からカモシカ淵へ

2025年01月03日 | ゆるキャン△

 野反湖ハイキングの続きです。約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回は上図の「どじょう小屋沢」から「押出し」を経て「カモシカ淵」までの約1キロの赤線のコースを紹介します。

 

 「どじょう小屋沢」の標識の地点にて、歩いてきた道を振り返りました。沢がどこかに流れているのかと思って探していたからです。
 これまでに二ヶ所ほど小さな橋を渡りましたが、地形的に細い谷間になっている箇所ばかりで水は流れておらず、「どじょう小屋沢」の辺りに沢があるのだろうと思いましたが、それ以前に沢を渡る橋がまったくありませんでした。

 

 道は再び登り坂となりました。林も疎らになってきて、視界が次第に広がってきました。ハンディGPSの高度計は1520メートルを示していましたので、登っていると思っている割にはさっきよりも低い位置にいるのだと知りました。
 登りきると道は平坦になり、右手に野反湖の湖面が広がってゆきました。

 

 少し行くと上図の分岐点に出ました。弁天山ルートから北麓へと降りる支道がここに繋がっているのでした。標識とベンチがあり、眺めも良いので展望所を兼ねているようです。
 時計をみると12時54分でした。富士見峠を12時35分にスタートしましたから、19分で1キロ余りを歩いたことになります。

 

 同じ位置から後ろを振り返りました。斜面をびっしりと覆う千島笹の群生も、このあたりでは背が低くなっていました。雑木林の下では背が高く育っていて私の頭ぐらいまで伸びていた千島笹が、このような日当たりの良い場所では膝下ぐらいの高さにしかなっていませんので、不思議な気がしました。日陰を好む植物なのでしょうか。

 

 歩き出しつつ、野反湖の景色を眺めました。御覧のように周辺数キロの山々にもまったく人工物、例えば送電線鉄塔や電柱などが見当たりませんので、太古以来の大自然の風景をそのまま満喫出来ます。

 ですが、林野庁の報告資料などを読みますと、江戸期より付近の人々により入山地区の生活圏として認識されていたようで、毎年の秋に人々がイワスゲ(タテヤマスゲ)刈りを行い、食糧とするための山菜や生活用品の材料を採取する場として利用していたそうです。
 さらに前述したように明治期には野反池にドジョウやコイを放流し養殖する事業が行われて弁天山麓の湖畔に笹小屋が建てられています。また、昭和の始めには湖畔に登山者のための山小屋が建てられ、戦後には野反ダム建設のための板材とするべく、現在の野反湖キャンプ場の範囲の樹林が伐採されています。

 このように、野反湖エリアには江戸期より色々と人の手が入っており、いま自然林に見える雑木林も、一部は伐採後の代替植林であるそうです。

 

 道は平坦なまま北へと続き、やがて湖面が北へも回り始めてきました。ハンディGPSの現在位置表示を見て、弁天山の北麓の主尾根の先端にさしかかるところだと知りました。この日はよく晴れていましたから、雲などによるGPSの誤差は殆ど無かったようで、国土地理院の地図と照らし合わせてもあまりズレが感じられませんでした。

 

 道が左へ曲がり始めた地点に上図の標識がありました。弁天山の北麓の主尾根の先端が湖面に押し出すように張り出している地形をそのまま「押出し」と呼んだのでしょうか。シンプルで分かりやすい地名です。

 

 道は左に曲がり、再び上図のように真っすぐになり、その先で再び左に曲がりました。弁天山の北麓の主尾根の先端をぐるりと西へ回っていることが実感出来ました。
 こういった移動中に方位磁石の針が揺れてゆくのを見、ハンディGPSの表示数値が刻々と変わっていくのを見るのはなかなか楽しいです。現在地の地形状況をリアルタイムで把握出来ますので、野反湖湖畔の地形が手に取るように分かります。

 

 尾根の先端部から湖面を見ました。野反湖の水面が西側に大きく張り出す部分ですが、地図で見るよりも広々として感じられました。どこを見ても絵になる景色ばかりですので、撮影のほうも楽しくて大忙しでした。
 この日の野反湖だけで500枚ぐらい撮りましたが、全部をブログに掲載するのは無理なので、色々と厳選し、嫁さんにも選んでもらって50枚程度に絞り込みました。

 

 野反湖の西の張り出し部分は水深が浅くなっているようで、汀の砂浜もゆるやかに広がっていました。このあたりから道が下り坂となり、谷間のような低地を橋で渡り、さらにドロドロの地面が水草の間に見え隠れする湿地を再び長い橋で渡りました。

 

 このあたりで道が最も低い位置に下りて、ハンディGPSの数値は1512メートルを示しました。地図表示に切り替えると、細い谷間部分を示しました。

 

 その直後に上図の標識に出会いました。なるほど「カモシカ淵」か、さっきの低い谷間のような地形と湿地がもとは淵だったのだろう、と思い当りました。
 カモシカの姿は見当たりませんでしたが、林野庁の資料によれは、ニホンカモシカを始め、テンやキツネなど10種類以上の哺乳動物、オオタカ・ハイタカ・クマタカなどの鳥類が生息している、とあります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く44 その6  野反湖 湖畔西岸の径

2025年01月02日 | ゆるキャン△

 12時35分に富士見峠(野反峠)を起点としてスタートした今回の野反湖ハイキングは、上図の約5キロの湖畔西岸ルートをたどりました。今回はその最初の1キロ分、上図の「どじょう小屋沢」までの赤線のコースを紹介します。

 

 富士見峠より歩き出して、最初の分岐点にて、一度「野反湖休憩舎」のほうを振り返りました。分岐にて右へ行くと、弁天山やエビ山の稜線を登るルートに行きます。

 

 同じ位置から真東を見ました。奥のピークが八間山(標高1934.5メートル)です。富士見峠から東へ登る登山ルートがその八間山の山頂へ向かい、北尾根沿いに野反湖北端の観光駐車場の登山口まで続いています。
 その登山口の横に、長野原草津口駅からのバス路線の終点である野反湖バス停があります。今回のハイキングコースの終点が、その野反湖バス停で、バスの最終便の発車時刻である15時39分が、タイムリミットでした。

 

 歩き出しながら北の野反湖を眺めました。何度見ても、太古以来の自然の湖に見えるなあ、ダムによって出来た人造湖とは思えないなあ、と思いました。野反ダムは北端に位置しており、こちらからは全然見えませんでした。

 

 道は湖岸のほうへと迂回気味に、ずっと下り坂となっていました。全体的に平坦なルートだとは聞いていましたが、道の前方に弁天山やエビ山の西麓の支尾根が幾重にも連なって見えるので、それらを越える小さなアップダウンが連続するのだろうな、と思いました。

 

 野反湖は、御覧のように湖岸に白っぽい砂浜のような汀辺が幅広に見えて、満水期よりはやや水面が下がった状態であることが分かりました。そうすると、水深の浅い入り江部分などは水がかなり引いているのかもしれないな、と考えました。

 

 道は北に下って、湖畔に近づくかに見えて、実際にはやや離れ気味に北北東へ転じて、上図のまっすぐな登り坂になりました。両側に千島笹が広がりはじめ、雑木林の中に入りました。

 

 雑木林に入る直前に一度後ろを振り返りました。降りてきた道の向こうに富士見峠の稜線と「野反湖休憩舎」が見えました。まだ歩き始めて3分ぐらいでしたが、もうあんなに離れているか、と思いました。

 

 少し歩いた後の12時41分、上図の小屋が見える分岐に出ました。小屋は廃屋然とした雰囲気で、長い事使われていないようでした。現地は野反湖の南端に丸く突き出た、弁天山の南東尾根上の小ピークにあたるので、周囲の林が無かったら、湖面の眺望が良いだろうな、と思いました。

 上図の分岐で右に行くと、湖畔東岸ルートに行きます。今回は湖畔西岸ルートなので左に進みました。

 

 再び緩やかな登り坂になりました。樺とみられる林の下の千島笹の群生地のなかを登りました。普段はなかなか見られない、標高1500メートル台の高海抜地ならばでの植物相の景観が新鮮なものとして目に映りました。

 

 途中で見かけた湖畔西岸歩道の標識。富士見峠から0.5キロの地点でした。右の「ビジターセンター」とは今回目指している野反湖キャンプ場のビジターセンターのことで、ここから4.5キロ先となっていました。

 

 道は緩やかに右へ曲がり、持参した方位磁石の針がさっきまで西寄りだったのが、次第に北西、北北西へと転じました。左右の千島笹はだんだん背が高くなってきましたが、空を覆う樺の林は変わらない高さで弁天山の北東麓の斜面を覆っていました。

 

 北北西に登ると道は上図のように真っすぐなまま、僅かな下り坂に転じました。方位磁石と共に持参したハンディGPSの高度計は1528メートルを示していました。

 奈良県に住んでいた頃、県内の中世戦国期の数多くの山城跡を訪ね歩いていた時期に使用していた方位磁石とハンディGPSですが、十数年ぶりの使用にもかかわらず、正確に作動し測定値を表示し続けていました。それに励まされるように、枯れ笹が積み重なった柔らかい山道を歩きました。

 

 それから登り坂になりましたが、程なくピークに達してしばらくは平坦になり、右手の雑木林が無くなって上図のように野反湖の青い湖面が見えるようになりました。

 

 右下に湖岸線が小さく入り江ふうに屈曲しているのが見え、そこからは上図のように千島笹の群生も背が低くなって、湖面の眺望が開けてきました。雑木林が帯状に無くなっているので、戦前および戦後に伐採が行われたのはこのあたりかな、と考えました。

 

 上図の標識を見ました。この場所一帯が「どじょう小屋沢」と呼ばれ、富士見峠から1キロの地点にあたります。

 この辺りに、明治時代末にドジョウやコイを放流、養殖するための笹小屋(ドジョウ小屋)が建てられ、初夏から秋まで泊まり込みでドジョウを取り、近くの草津温泉の旅館に販売していたといいます。
 笹小屋は戦後間もなくの昭和26年頃まで続いたそうですが、全て廃止撤去され、いまではどこにも痕跡すらとどめていません。「どじょう小屋沢」の地名だけが残っています。  (続く)

 

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2025年元旦の挨拶

2025年01月01日 | ガールズ&パンツァー

新年明けましておめでとうございます。

 

本年度も宜しく拙ブログを御笑読下さいませ。

 


2025年 元旦

 


 今年も変わらずガルパンとゆるキャンを応援してゆきます。ゆるキャンのアニメ4期が決定しましたが、ガルパン「最終章」第5話のほうはいつになるのでしょうね。出来れば年内に上映してくれたら良いですね。

 ガルパン戦車プラモデル制作のほうは作りたいもの、作れるものはほぼ九割を組み立てましたが、製作レポートのほうがまだ追い付いていなくて、現時点でもまだ2023年度製作分が数輌残っています。とりあえずはそれらのレポートを消化してから、新たな車輌の製作に進みたいと思います。

 ゆるキャンのほうは、今年も聖地巡礼の計画が幾つかあります。未訪地コースは原作コミックの最新話に追いついていますが、土岐綾乃と志摩リンの「地獄のデスロード」第2弾こと国道152号線のルートに関しては連載もまだこれからですので、巡礼計画は未定です。国道152号線ルートは昔に知人と一度走りましたので、ストーリーの内容次第になります。ただ走って、キャンプ場に泊まる、というシンプルな内容であれば、あまり魅力を感じないかもしれません。
 それとは別に、去年に行って楽しかった碓氷峠アプトの道や野反湖には季節を変えて再び行こうと考えています。あと、天竜浜名湖鉄道の新ラッピング車輌もまだ乗っていません。
 また、山梨県と長野県に未訪のスポットが幾つか残っていますので、それらも計画して回ろうと考えています。

 ということで、新年も一ガルパンファンおよびゆるキャンファンとして地味にやってゆきます。同好同志の皆様、今年も宜しくお願い申し上げます。お互いに健康に留意しつつ、楽しみながら日々を頑張りましょう。

 

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