22日お亡くなりになった千葉さんに哀悼の意を表します。お疲れ様でした。千葉さん。
初めて千葉さんにお会いしたのは35年ほども前、当時グランドオリオン通り沿いのお店、カントリー&ウエスタンのお店で千葉さんがバンジョーを演奏している時ではなかったか、記憶は定かではない。それから暫らく間が有って、その後リーガルに常連として通い始め徐々に親交を深めていった。
まだ二十歳をいくつか過ぎたばかりの世間知らずの酒の飲み方知らずの礼儀知らずのゲロ吐きの絡み酒の自己中バンドマンの助平の薄ら馬鹿のハチ公とかその仲間などをいつも優しく迎え入れてくれた。昔からカメラ、ビデオなどの撮影が好きな千葉さんは本人(ハチ公)が好い大人になった頃(40過ぎ位)に何気なく店内上映を始め、タイトル「離婚した25歳・酔っ払い、くだを巻く髭面のハチ公」などと言う赤面ビデオを見せてくれたりした。同じように、こんなもの何時の間に・・・と唖然とした常連さんも多かったと思う。
最初はバーボン&カントリーの店だったけど年代によっては「アメリカーマリンコー集合呑み屋」になったり、「バイオリン方面」の音楽ばかりとか「リバーダンス」中心とか今になって思い返せば千葉さんの好き勝手に営業していたんだな~としみじみ思う。
病気で声を失っても相変わらずの頑張りで、会話は主に筆談となり、始めの頃の人口声帯の声質としぶとさに敬意を表して「ダースベイダー千葉」と勝手にあだ名を付けたりもしました。
もちろん、良い時ばかりではなく病気以外でも私生活での苦労も有りました。微力ながら、問題解決に少し協力できたことも嬉しかった。恐縮な事にその後3年間、私の家に毎年林檎をケースで送ってくれた事もありました。そんなに気を遣わなくてもいいのにね。
最初のお店は瓦屋の雑居店舗で、他の店が家賃を払わなくなって大家が怒り、建物の修理を拒むようになり、結果、屋根の崩落が進み、移転前は「店内で傘をさして飲む」になってしまったことも善き思い出です。2代目店舗に移る時「壁の絵とか書き込み」を板ごと移動して新店舗に張り替える事を、移転条件として不動産屋に約束させたのは私です(威張ったりして)。本当はカウンターまで移転して欲しかったけど千葉さんが反対。
話はまだまだ続きますが・・・別の機会に。