時間が有るので爺の思い出話にお付き合いください。1970年 コザ騒動。大人しいうちな~んちゅ(沖縄県民)もMP(軍警察)の傲慢な態度で切れて騒動になったのですが(群衆にビビって威嚇射撃したのが引き金)、面白い事に白人は死なすが黒人はわし等と同じように差別されているから死なさない。とか車を燃やすひっくり返すもナンバーを確認して白人オーナーだったらやるねとかインドのオトモダチも仲間ね的に調和が(笑う)あり冷静に暴動したらしいのです。節度の有る行動(といっても現場は大混乱)に沖縄県民らしさを感じます。うぐぐ
で、与儀公園は今じゃあ桜が満開で平和な場所ですが、復帰直前はデモのメッカで何かあると機動隊VS学生の小競り合いが頻繁にあり、実は私の実家は与儀十字路の角にあり、公園とは斜向かいの場所でしたので2階屋上から高みの見物するのは中2~3年頃の私。思想的には0で何も知らなかったけど、目の前の暴力行為、具体的には素手の女子大生を盾で攻撃する機動隊の容赦ない行動にそこまでやるか!と反発。機動隊VS学生と書いたけど実は野次馬の方が多くて(ほとんど労働者)、機動隊の無慈悲な行為(北朝鮮とは違う)に最初は只の野次馬で中立だった民衆の皆様判官びいきか学生にシンパシーを感じ、徐々に機動隊VS学生+野次馬軍団と流れが変わり、高みの見物の私もいつの間には群衆の最前列、機動隊と5メートルのポジションへ。重装備+盾+警棒でプロの機動隊が一斉に群衆に突入すれば蜘蛛の子を散らすよ命が危ない、しかし怖くて足がすくみ、逃げ遅れ機動隊の膝蹴り一発で地面に押し倒され、顔面パンチを食う直前に機動隊が丸刈りの私を見て「中学生か」と次の獲物へ。あ~怖かったです。
その後、機動隊バスに投石する同級生、高圧放水車で道端の紙屑みたいに飛ばされる私達とか色々ありましたが、その後、左翼にはならず、性欲になりました。お陰様で皆元気です。
よんでくれてありがとうございます