Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

GLASSONION⭐️LINE ⭐️Facebook⭐️Instagramをもご覧ください❣️🙇‍♂️

その(4)

2008-12-15 | 時代の光景U+203CU+FE0E
僕は夜空が好きだ。宇宙が見えるから。

僕は青空が好きだ。いろんな空を想像できるから。

UFOでも飛んでくれてりゃ、なお嬉しい。

実家の掃除をすませヒマをもてあまし、約1年振りに、天下のNHKや民放の世情トークを、まじまじと見てしまった。

浮き世離れしているわけじゃないが、
ただ日本のメディアにすっかり関心がなくなってるからだろう。

もちろんネットのお陰もあるだろう。

テレビを見る時間があれば、映画か本を読むことに時間を費やすか、絵を描いている。

だから世情事にホントに弱い。
無知である。

もらった饅頭ほおばりながら、田舎自慢の茶をすする。

不況だ不況だとまくしたて、正規雇用だ非正規だと、怒り狂ったように不平等を嘆き訴えかける。

スクリーンに横並びしたエリートなおっさん達。
弱者の気持ちを代弁してくれてありがとうと言うべきなのだろうか…。

本屋では、特等席に彼等の名前が平積されていく。

テレビにでているあの人だから…。
それを手にするバカもいる。

ここにも社会の2:8がある。
蕎麦だけじゃない。2:8が世の中一番やりやすい。

そんな構図を何度も何度も見せられて、それでも飽きずに繰り返す人。
それでも懲りずに繰り返す人。

一昨日の深夜、僕は確かな時を見ていた。

深夜のケアハウスの窓辺から、階下におりた老人が、眠れないのだろうか、薄明かりの廊下のベンチに腰おろし、両手を膝にのせ物思いにふける、その背中を見ていた。

無音の時。
それでも時計は時を刻み続ける。

この老人はどんな人生を過ごしてこられた方なのだろう。

医者だったかもしれない。
八百屋さんだったかもしれない。
ヤクザだったかもしれないし、弁護士だったかもしれない。

たとえ、どんな人生を過ごしてこようと、人はみなその場所に腰おろす時が必ず訪れる。

多少の時差はあれ、みな平等に訪れる。

人は、ただ老いていく。

その本音こそが、人が生きることへの尊厳ではないのか。

他人のためでもなく自分のためでもなく。
自分のためでもあり、他人のためでもある。

その不確かな問い掛に僕はまだ応えを知らない。

知らないが感じる。
テレビの向こうのエリートなおっさん達は、10年後はもうそこにはいない。

その事実をどう平等に説明してくれるのか。

無宗教、無信教、アナーキー派の僕が生まれて初めて時を感じた瞬間だった。