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9月

2009-09-01 | 時代の光景U+203CU+FE0E
せっかく夏バテしたのに、

“どんぶりもの”が美味しい季節がやってくる。

“トマト丼”これが美味。
いたって簡単なのに美味!

やっぱり日本人は、米である。
農業に憧れはあるが百姓は辛い。

米が美味しい地域には厳しい冬がつきものだ。

それを肌で知り尽くした東北や日本海沿い生まれの人々は、都会生まれの人々のように、農業が素晴らしいとは決して軽く口にはしない。

より良い農業の在り方はどうなのか。

自然相手は、自分が朽ち果て土になる覚悟もなけりゃなりたたない。

都会生まれ、都会育ちが脱サラして農業に目覚め、ある程度の高いレベルでの農業経験や技術を学び具体的な理想農業をスタートする。

たいがい5~10年は、横文字が聞こえてきそうな楽しい予定通りの理想的な農業をヨーロッパ的に過ごす。

しかし、二十年もしない内に、初心はすっかりブレて、ヨーロッパどころか、インド帰りの無国籍な場末のヒッピー風に化してしまう。

そんな痛々しい人々も何人も見てきた。

それもまた現実であり真実なのだ。

染まらずに染め太郎。

どこでどんな生き方しようと、基本はこれだ。

都会には、たくさんの場末があり、場末な人間がたくさんいる。

場末とは、スラムではない。
生気をなくした場所である。


都会では、それを自分や身近な他人の中に見ると、大地と向かい合う農業に憧れる傾向にある。

都会では、農業やりたがる若者が増えているそうだ。

まさに、社会の場末を見過ぎたからだろう。


実態もなく上から語る大人じゃなく、背中で語る大人が若者にはカッコ良く映るのだ。

次回は、背中で語り続ける、あるおじさんの感動秘話を書いてみよう。