
高田馬場のような学生街にいると、その後、いろんな職業選択をし、それぞれの現場での、生の面白い話をたくさん聞く事ができます。
それが、この街の特権でしょうか!
(^ν^)
今週は、今年の思い出したことなどを、記しております。
今年の、たぶん春先だったと記憶しています。
児童養護施設で働くお客さんと、ソーシャルワーカー的な立場で、長年介護施設で、傾聴ボランティアをやってたと言うお客さんと、社会について話をしたことがあります。
そこにある、いろんな人間模様を聞かせて頂きました。
介護の問題は、利用者だけの問題ではなく、それに携わる者の問題もあり、解決すべき課題が、山積みのようです。
僕は、今は老人介施設にいる父親がきっかけで、約二年ほど、介護技術を学ぶ目的で、資格を取得し、老人介護に携わった経験から、ちょっとだけ、介護に対する、アプローチが変わりました。
つまり、半端に経験したばかりに、高齢社会が抱える、現状の複雑さと、社会のもう一つの顔を見せられて、意見が出来なくなってるのかもしれませんが…
福島の放射能汚染問題しかり、原発の有無ついては、もはや、NO、ですが、そこで生きる人々に、NOと断言するだけの魂を、僕はまだ持ち合わせてはいないのでした。
それが本音です。
多くの不条理を知りながら、こうしている今も、介護の現場では、高齢者のために、日夜、一生懸命頑張っている介護士さんが、たくさんいることも事実です。
どんな仕事でも、聞くのとやるのと、見てるのと関わるのとでは、全く意識が異なります。
つまり、直接的なことは、憶測では語れなくなります。
本物の料理人が、食通ぶらないのと同じです。
プロは、その道のハードルの高さと、奥の深さを知ってるからだと思います。
僕など、なっちゃって(^^;;な店主ですが、それでも、時々、その道の本物と出会うことがあります。
すると、必然的に、僕はスッピンになっています。
本物の前では、なんちゃっては、通用しないからです。
職業において匠である人は、人間的にも匠です。
本物か偽物か…
最も、端的でわかりやすいのが、寺の坊主です。
もしかしたら、彼等は、お釈迦様からのメッセージを伝えるために、この世の人の業や有様を、ただ、演じてくれてるのかもしれません。
彼等の姿こそが、今の世の縮図なのかもしれませんがね(^^;;
一見簡単そうに思える職業ほど、誰にでも出来る職業ではない、奥の深い職業と言うことです。
あまりに俯瞰し過ぎですが…(^^;;
この世に生を授かった途端に、100万通りの人生が、待っているってことです。
つまり、100万通りの人間が存在すると言うことです。
人は、みんな、育つ環境が違うから、喜び方も、傷つき方も、怒り方も、みんな違います。
嫉妬や妬みもまた同様で、誰もにあって、みな、育つ環境の違いが、その基準を作るからです。
人間とは、さらに難しい生き物です。
その夜の結びは、
だから、人間は面白い…
私には、投げた球を打ってもらって、その球が、どこに飛んだかで、判断するしかないわけです。
何度も…、そして、何度でも…。
何とも、匠なお言葉でした。
なんちゃって店主は(^^;;、翌日から、この福音を無断で、お借りしています。
なーんちゃって‼︎