お客さんに勧められ、見学をかねて行ってみました。
このネタは、また後日、書きますね。
…
はてさて、
金曜日は、どうしても、営業時間が延びて、帰りが遅くなりm(_ _)mます。
すると、翌日の全てのスケジュールが、前倒しとなり、土曜日営業前の、お楽しみ銭湯が、時間短縮となるのでした。
T^T
急ぎ足で、銭湯へ辿りつくも、受付番台に、顔馴染みの小料理屋の女将さんと遭遇してしまい、久しぶりだったので、あれこれ立ち話で、足留めされて、やっとの思いで、湯船に浸かるやいなや、お背中から袋はぎまで、ビッシリお絵描きされたお兄さん数人が登場し、側にこられ、僕だけタイミングを失い、お陰様で、湯当たり状態m(_ _)mとなりました。
いやはや、まいりモンスター‼︎
楽しい土曜日です。
(^ν^)
はてさて、そんなふうにしながら…
どんな人も、みんな、傷つきながら、成長し、大なり小なりの、被害者と言う志し(^^;;に、目覚めていくわけです。
いわゆる、コンプレックスとプライドが一つの塊となるわけです。
一般的には、その塊が、移りゆく時の流れの中で、自然に角が取れて、やがて、みんな丸い人になっていくもの。
…のはずですが、現実は、それは違っていて、育った環境で、それぞれ、人により、傷つき方が大きく変わるから、必然的に、角の取れ方も違ってくることで、同じ丸には、ならないようです。
人間関係の難しさは、そこのようです。
この、被害者意識の格差が、人間関係をさらに、難しくするようです。
傷つき方が違うと、被害者意識も、そのキーワードも違ってきます。
相手の受け取り方で、言葉は、どうにでもその意味を、本人により変えられてしまいます。
…
ある人は、被害者意識から逃れられずに、生涯を被害者で生きる人もいます。
ある人は、その被害者意識を、それをパワーに変えて、よりパワフルに、生きていく人もいます。
そして、反意語のはずの加害者は、この世にはいません。
加害者もまた、加害者と言う名の、被害者の被る心の闇を、背負わされるからです。
被害を、ポジティブに受け入れ、生きるも一生。
被害理由を全てのせいにして、ネガティヴに卑屈に生きるも一生。
人間関係の行き違いやすれ違いも、すべて、この被害者意識の個人差が、原因であるようです。
噛み合わないのです。
…
戦後の日本の復興の速さは、日本国民が、基本的に、みな真面目であったことは前提ですが、それ以上に、強い被害者意識が原動力となったことが、最も大きいと、僕は思っています。
真面目な人ほど、被害者意識も強いからです。
日本人は、生真面目な分、被害者意識も、他の国の民族よりも、遥かに、強かったと思うのです。
その後も続く、大なり小なり、大国被害を被った小国達の、その後の復興のあり方から、しみじみと、その違いを見てしまいます。
当時の日本人の多くが、私達は、この国に裏切られた、との被害者意識の強さが、敵国への憎しみも忘れ、敗戦を受け入れ、敵国の思想から文化までも、容易に受け入れ、寛大になったのだと思うのです。
それが、現代の日本にも、日本人にも、脈々と引き継がれています。
そんな気がします。
幕末のドラマを見ていても思うことです。
明治維新では、身分で押さえつけられてきた、その被害者意識の強い者の中から、時代の成り上がりやヒーローを、次々と、世に登場させる様子です。
アメリカは、早くから、そう言う研究や学問が発達していたと聞きます。
人の心理にとても長けています。
アメリカは、その国の性格や民族性を研究し、上手に利用します。
つまり、学問とは、客観性を育てるのだそうですが、三次元で、物事を捉えようとする、その知恵が学問なのでしょう、
だから、アメリカは、戦に強いのだと思うのです。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他の侵略地にしても、どんな形で終結しようと、
結果的にしろ、侵略された地は、やがて、アメリカ型に変容していきます。
そう言う意味では、日本は、結果的に、その後の、アメリカの素晴らしい実験台となったのかもしれません。
今だからこそ思うのですが(^^;;、本当の意味での、学問のパワーとは、ここにあると思うのです。
この世が矛盾と不条理の塊だと、その矛盾や不条理に、まともに、噛み付いていたら、被害者としての人生でしかありません。
被害者である以上ずっと不幸です。
矢沢永吉と言う、人生の表現者が、今では、多くの日本人から、リスペクトされるのは、被害者を受け入れ、自分に宿しえた唯一の生き証人だからです。
物事を三次元で見れるようにするために、本を読むこともそうだし、学問の意義は、そこにあると、思うのです。
恥ずかしながら、僕は、頭が悪かったので、たかが、そんなことに気づくのに、50年もかかってしまいました(^^;;
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スプリング ハズ カメ…へ続く…
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