おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 笑って 

2011年09月02日 11時52分43秒 | 老いを考える
おかあちゃんの顔から笑顔が消えた。
前は1日中笑っていたのに…
言葉もはっきりしない。何をいっているのか分からない。
私から「痛いの。」「しんどいの。」「食べる?」と言う。本当は分かるまでジッと聞いてあげないと。
よくは聞いているんだけど。分からないので「そうか。そうか。」と言うと
おかあちゃんも、もういいやって思うのかな。うんうんと頷く。
そんな事もあるのか話さなくなった。

ちょっと前に、点滴に行った時いつもは常時、おかあちゃんの横に付いているのだけど
「すぐに帰ってくるからね。」と言って買い物に出かけた。
本当にすぐに帰ってきたのだけれど、帰ると看護師がおかあちゃんの足をさすってくれていた。
礼を言い交代した。おかあちゃんが愚図ったのはおしっこしたから。
気持悪くなったらよく愚図る。でも看護師にはいえなかったんだね。

おしめを替えると気持よさそうにした。
この日から、おかあちゃんの言葉は激減した。
後でおかあちゃんは私が嫌いだと言う。そんな事いままで言ったことなかったのに。
よく聞いてみると看護師がおかあちゃんは何も分からないと思っていろいろ言ったみたい。
他の患者さん達と話ってたらしい。何を言ってたかは言ってくれなかった。
看護師の一言がお母ちゃんの心を深く傷つけた。
「人の言う事で傷ついてるなんて。気にしないで。私がついてるよ。」
そう言ったけどおかあちゃんの心は回復しない。


※ 世の看護師さんへ
何も分からないと思っても、誠実に接して下さいね。

おかあちゃん

2010年10月17日 17時17分37秒 | 老いを考える
先日、母を連れて病院へ行った。
母は、車いすの上で寝ている。
話しかけても、返事はなく眠っている。
連休明けだったので、患者さんも多かった。

点滴を受ける間も、眠っていた。
看護師さんに、診察日ではないが診てもらったほうがいいか聞く。
その方がいいだろうと、順番を取って下さった。

診察室に入っても、母は眠っていた。
先生がこられても眠っていた。
おかあちゃん、先生だよ。っと起すと
母は、「あっ。先生こんばんは。」
そう言うと、また眠ってしまった。

先生は、「貧血状態も解消されている。
これは、病気が原因はなさそうだ。
困ったね。何でかな。」
私には、先生の言いたい事は、だいたい分かった。
「寿命だよ。お歳だよ。」
覚悟しなさいと、言われたと思う。

先生は、点滴の終わった母に脱水状態なので、もう1本点滴をしよう。
ズーと寝ていた母が、点滴が終わりかけた頃、寝ざめてペットボトルの紅茶を
自身が持って飲んだ。
この変化に、驚いた。嬉しかった。まだまだ行けるかも。
看護師さんも、驚いていた。

点滴が終わって、病院を出たのは、4時をまわっていた。

そして、今日 やっぱり眠っている。
それでも、奇跡を信じたい。

もう、いいんだよ

2010年10月12日 06時13分25秒 | 老いを考える
おかあちゃんの容態は、きびしいものになっている。
足も、動かない。なのに、トイレに行く。
私は、トイレのたびベットから起し、手を持って連れていく。
そして、下着を下す。
おかあちゃんには、「もういいんだよ。
行かなくても。ちゃんと下着は変えてあげるから。
その為の、パンパースだから。」
それでも、トイレの度に起きる。
そして、不自由な体で、トイレに行くと言う。
それが、可哀想で。

そんなに、トイレ トイレと言うが、パンパースはグッショリ。
日に何回も取りかえる。
それを、言うとおかあちゃんは笑う。

痴呆も急に進んでいる。
私が、台所をしていると、歩けない足でトイレに行こうとするが
洗面所に向かってる。

「どうしたの。どこへ行くの。」
私は強い口調で言う。
恥ずかしい。何で優しく連れて行けないんだろう。
そんな母に、早くと追い立て1人で行けと言う。
つい最近までの出来ごと。
後どれ位、一緒に居られるかわからないのに。
とにかく付き合おう。
トイレに付き合う位、何ともないじゃないか。
今は、そう思う。決して楽ではない。

悲しいけれど、考えたくないけれど、別れは
徐々に、近づいているのかな。

私は鬼か

2010年09月22日 07時18分12秒 | 老いを考える
もう、ブログを更新する気力さえ萎えてきた。
母の肺がんは、CEAの値が上昇。
17位から、段々上昇を続け、今27.4まできた。(標準5)

その上、痴呆が進んできた。
本当に急激だ。前から、軽い痴呆はあった。
しかし、この3日間で母の記憶は、消えつつなっている。
「お名前は?」と聞く。これには応えてくれる。
「お誕生日は?」と聞くと、もう無茶苦茶。

様子にも、変化がある。
何を聞いても、返事がない。
あんなに笑う母だったのに、無表情だ。
今は、夜中の小便が10分毎だ。
もう私もかなり参っている。
体が、いつまで続くだろうと思う。
それでも、しばらく空くと、グッショリと紙おむつは、重たくなっている。
しかも、パジャマも濡れ、寝具も。
ベットの上に引いている薄い布団もグッショリ。
1日5回のパジャマの着替え。
布団も毎日取りかえる。
山の様な、洗濯。
それでも母に生きてもらいたい。
いつまで母を愛せるだろう。
私は、生より死を思う時が、来るような気がする。

楽しい時間を大事にしようね。

2010年07月11日 16時04分39秒 | 老いを考える
おかあちゃん、この頃、1日中眠っているのを見て、不安がいっぱいになる。
夜中は、10分毎にトイレに行く。
眠りが浅いから、日中も眠るのね。
小さな体が、悲しい。

しっかり眠らせてあげたい。朝に「ああ~。よく寝た。スーッとした。」
と、言わせてあげた。

今までの私は、お母ちゃんの容態が悪くなると調べて下さい。
治してください。と、言ってた。

でも、もう検査はいいよ。辛い思いをさせたくない。
眠っている顔を見ていると、お別れが近いのかなって思う。

お母ちゃんの病気が分かった時、泣いた。
車を運転しながら泣いた。反対車線の運転手さんは、きっと何なんだ。って思ったでしょう。

でもね。今は少し違う。
きっと、お別れは突然やってくるでしょう。
それまで、私は何が出来るんだろう。
「もう、何で出来ないの。」とは、言わないよ。

優しく 優しくするからね。
だから、もういいんだよ。
トイレを、掃除したりしなくても。
怒ったりしないよ。トイレを汚したっていいんだよ。

楽しい時間を大事にしようね。

お母ちゃんにしてあげられる事

2010年05月20日 01時42分46秒 | 老いを考える
私が、お母ちゃんにしてあげられる事って、なんだろう。

お母ちゃん、貴女を見ていると、切なくて、愛おしくて。

私は、貴女に命令してばかり。

お薬を飲んで。これを食べて。etc。

お母ちゃん、貴女は何を望んでいるんだろう。

私は、何をしてあげられるんだろう。

私とお母ちゃんは、どの位一緒にいられるんだろう。

この頃の、お母ちゃんを見ていると、自分の力のなさに腹立たしくなる。

とても、しんどそう。体が辛いんだろうね。

私は、ひどい事ばかり言っている。

何でこんな事出来ないの。薬を飲んでって言ってるのに、忘れる。

私は、心配で。この薬で、お母ちゃんの命は保たれている。

そう思うと、きつく言ってしまう。

服装だってそう。綺麗に着れないお母ちゃんに、怒ってしまう。

どの位、一緒にいられるか分からないのに、もっと優しく接してあげないと。

これからは、そうできるように努力するね。

1日も長く、一緒にいられますように。

お母ちゃんが寝てばかり

2010年05月15日 05時46分04秒 | 老いを考える
おかあちゃんが、食事と用足し以外は、寝てばかり。
夜中、ふと気がつくと、ベットに座ってじっとしている。

私が、「どうしたの。しんどいの。」って、聞くと「ううん。トイレ行こうと思って。」
なんで、トイレに行くのに何分も、ジッと座ってるんの?
その表情が、寂しそうにも見える。
この頃、私もストレスが溜まっていて、きつい言葉を母にかける事が、多々ある。

食事を思ったようにしてくれない。
作っても、ほとんど食べない日もある。

インターネットで、貧血にマグロとほうれん草を一緒にとればいいと見て
私は、すぐに実行した。野菜をほとんど食べない母のために「1日1本の野菜ジュース」
を補助のために飲ます。
それと、エンシュアリキッドを1本。これは温めて、コーヒーを入れる。これがお気に入りだ。

マグロは数日は、食べたが、もういい。と言う。
ほうれん草は、初めから1口が、大変という始末。

いらいらして、私は、「もう食べないなら、何も作らない。」と、きつく言う。

「もう、ええから。」と母。
それが、またムーとくる。

炊き込みご飯はお気に入りなので、野菜や揚げ豆腐やちりめんじゃこ・牛肉など
いっぱい入れる。
芋茎の酢の物(これが気に入っているので、総菜屋で買ってくる。)それと明太子。
それだけで、母はいいみたい。

でも、そんなんじゃ貧血はよくならない。
私は焦る。レバーも食べてくれなくて。

どうすりゃ、いいんだ。悩む事ばかり。


大腿骨骨折

2010年01月21日 04時13分53秒 | 老いを考える
お母ちゃんが、歩けなくなって2か月以上になる。
11月までは、痛み止めの注射を打ちに整形外科へ行っていた。
12月に入り、お母ちゃんは、整形外科へも行けなくなった。
痛がるのを、無理やり連れては行けなかった。

今年に入り、「薬をもらわないと。それに、点滴もしないとね。1度行こうよ。」
とお母ちゃんを、クリニックへ連れて行った。
痛がる母を診て、「先生は普通じゃない。CTを撮ろう。」
先生は、痛がる部位を診て、転移を心配された。

結果は、大腿骨骨折だった。
「折れている。痛かったやろ。」と、先生が言った。
すぐに、入院の手配をしてくれた。
「今日は、病室が空いていない。明日になる。」

翌日、入院先の病院で、主治医から
「痛がっているのに、今までほっておいたのか。」
と、怒ったように言われた。
私は、整形外科に行ってレントゲンを何度も撮っていただいたが、
骨には異常がないと言われ、痛み止めを打ちに週に1度通っていたことを
話した。
先生は、レントゲンを見ながら丁寧に、説明してくれた。
折れて、すぐになら、折れた骨をビスのような物で止めることが出来た。
しかし、折れて日数が経っているので、人工骨になる。

入院は、13日で、手術は19日と決まった。
手術までは、ひざの下に針金を通し、重しをつけ、短くなった足を伸ばした。
痛がると、少し体の位置を変えたりして、痛み止めの座薬を使っていた。

19日 手術は無事に終わった。
しかし、麻酔が切れると悪夢が始まった。 

お風呂は もう入ったよ。

2009年09月24日 03時59分59秒 | 老いを考える
お母ちゃんが ベットからムックと起き上った。
パジャマを脱ぎはじめた。

私:「どうしたの。パジャマをなんで脱ぐの。」
お母ちゃん:「お風呂に入る。」
私:「さっき入ったやん。頭も洗ったし。」
お母ちゃん:「そうやった。ボケてたわ。」

思い出してくれたから 今日はまだいい。

「あれしたやん。」とか言っても
「そうやったかいな。」
なんてことは 多々ある。

その時の 私の対応を考えないと。
もっと 優しくしないと。
ついつい 「もうさっきしたやんか。」って事を言ってしまう。

自分の小ささに 悲しくなってしまう。

歩いたね。

2009年09月20日 03時11分37秒 | 老いを考える
お母ちゃんが まったく歩けなくなって1か月近くなる。
足が腫れて ふくろはぎも硬くなっている。

リハビリに週1度きてもらっている。
彼女が 歩くのが1番いい。と言っていた。

今日 少し歩いてみた。
歩行車を押して ゆっくりゆっくり歩いた。
外はいい天気で 気持ち良かった。

少し疲れたようだったが 嬉しそうだった。

お母ちゃんが 散歩にいけるようになるといいな。
少しづつね。お母ちゃん。