おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

TS1に光明を見た

2009年01月28日 04時48分06秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の体調が少し進展してきたように思う。
認知症の様な様子も 少しづつ良くなってきた。
あの病院での様子はいったい何だったのだろう。
年寄りには 精神的な事ってすぐに出てしまうんだろう。
今は 落着きを完全に取り戻した。
とは言え 高齢なのだから あれっと思う事もある。
腰と足の痛いのが消えればそれだけでいいと思っている。
この頃は 「痛いのがなくなったら 温泉に行きたい。」 
場所も 『有馬温泉』が希望のようだ。
早くそうなればいいと願っている。 

インターネットを見ていて 朗報を目にした。
母の経口しているTSIと言う抗がん剤の事だ。

TS-1CDDP 併用療法にて長期CR を維持し切除にて病巣消失
確認された進行胃癌 http://journal.jsgs.or.jp/pdf/039010038.pdf
 
病巣消失したとの記述に 胃がんではあるが
光明を見た気がする。

そして 5年以上 経口している人がたくさん居られることにも
安心した。そんなに続けられるんだ。

今回の入院の際に 呼吸器科の先生に診てもらったが
MRIを見て 良くなっていると言われた。
定位放射線の後は 部分的だが消えてきている。
MRIのリンパに写った影も 無くなっている。
後は 腫瘍マーカーが下がっていれば 最高なんだけど。
来週 結果を聞きに行く予定だ。

温泉 温泉 計画立てないと 
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昨日出来た事が…

2009年01月18日 03時53分17秒 | 母の事(肺がん) そして絆
昨日出来た事が 今日は出来ない。
出来ない事を悲しむより 出来ることを喜びたい。
母は ポンプ式のシャンプーを使えない。
最近 転ぶと危ないので一緒に 風呂に入っている。
シャンプーを 開けて使った。
なんでこんな事も 出来ないのと悩んだ。
そして 使い方を教えた。水が入ると 腐敗の原因になる事も言った。

その事が頭から 離れなかった。
そうだ。出来ることを生かしてあげればいい。
私は ポンプ式でないシャンプーを渡せばいい。と思った。
蓋を開け本体を押せば出てくるシャンプーを買えばいいのだ。
母に「これは お母ちゃんのだよ。開けて押すと出るからね。」
母は 嬉しそうに 「ありがとう。」と言った。
1つ 解決した。 
これから いくつもこのような事があるだろう。
その度 何でこんな事ができないのと言うのではなく
出来る事を 探していこう思う。 
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認知症

2009年01月14日 04時04分29秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母に 認知症が出たのは 今回の入院だった。
母は 歩けない状態で入院した。
個室を取ったが トイレがなかった。
病院はポータブルトイレを用意してくれた。
母は 迷惑をかけるとトイレに行こうとした。
昼間は 私がいてトイレまでついていった。
母は 手押し車を押して ゆっくりだけど 歩いていた。
夜 母はトイレに行こうとして転んだ。
看護士たちは きっと転んだ事に気づき あわてて来てくれたのだろう。

しかし、なぜ一人で行ったのか。看護士を呼ぶよう言っているのに。
とか 言われたのだろう。
母は 自信をなくしてしまったのだろう。
パニックになってしまったと思う。

次の日 行くと母はまったく変わってしまっていた。
ベットは周りをサイドガードがはまっていた。
まるで 檻の中にいるようだった。
その中で 母は別人になっていた。
ベットの中で 忙しなく動き回る。
柵の間に 足を入れここから出たいと訴えているようだった。
私は どうしたの。何。どうしたいの。何があったの。
母に 矢継早に聞くが ただ動き回るだけだった。

すぐに このままには出来ないと思った。
付き添いとして 母に付いて泊まり込みたい旨を伝えた。
病院側は そうしてもらえばと言った。
そして 実は 夕べ転んだこと。
訳が分からない行動をするので ベットから出られないようにした事。
等を 私に話した。
しばらくすると ベットに閉じ込めたりしてもよいとの文章にサインを
求められた。ベットに縛ることもあるみたいな事も言われた。


付き添いの文章には 痴呆のためと書いてあった。 
私は ドクターに そんな事 1度も感じたこともないと言った。
が、週に1度 付き添いの文章にサインをする。それにはいつも痴呆の為と
書かれていた。私は 精神安定のためと書いた。
母の尊厳は守ってやりたかった。

母の行動も 段々落ち着いてきた。
今 思うと 始めから付いてやれば良かった。
今 母は ほとんど入院前と変わらない。

高齢になると 何かのきっかけで 1日で痴呆の状態になってしまう。
ゆっくりでいいからね。おかあちゃん。
ごめんね。怖い思いをさせたね。
もう大丈夫。一緒だよ。
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退院

2009年01月13日 01時27分51秒 | 母の事(肺がん) そして絆
今回の入院は 腰痛と足のひざの痛さによるものだった。
入院に際して 尽力して頂いた私達の先生が 肺に関しても
十分調べるように 呼吸器科の先生にも 手紙を書いて下さった。

その結果 母は 肺がんに対しては 順調な結果を出していた。
骨の痛みも 肺からきたものではないことが分かった。

後は 日にち薬だろう。
高齢の母は 自然と骨折をしているらしい。
それが痛いのだ。
骨は 最悪の状態で さわることは出来ない。
自然と骨折したのが 治るまで 痛さは続くと言う。
しかし このままにしておいたのでは 痛みがなくなった時に
歩けなくなる。その為 リハビリをした。
毎日 軽い体操と 歩行をした。
歩けなかった母が 足を引きずらずに 歩いている。
痛がる母を 毎日 病室までリハビリに来て下さった。
生活していくヒントにもなった。
例えば 椅子から立ち上がる時 両手を椅子の上(お尻の横)について
体を前に倒しながら立つ。
これだと 小さな力で立つことができる。
リハビリは 終わった。
後の痛みは 少しづつ 引いていくだろう。
病院での治療はもうない。との事。
退院をすることにした。
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